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「これニンニクじゃなくて無臭ニンニクだから」

「うわぁ……空すごいね、佳奈かなちゃん……」

「そうだね……きれい……」


 空を見た私たちは、二人して言葉を失った。


 晩ご飯の準備が終わって再びバルコニーに戻った私たちを出迎えたのは、夜空の色とは違う、濃い青色の空だった。

 さっきまで空の大部分を占めていたオレンジ色は下の方に追いやられ、その代わりにあお色が空をおおっている。


 ――ブルーアワー。


 よく晴れた日の日没直後に見られる、薄明はくめいの空。

 世界を蒼く染めてしまう、神秘的な時間。


 これまで見たことがないわけじゃない。でも意識して見たことはなかった。

 それが今、こうしてちゃんと見ると、魅入みいってしまうほどのものだったということに気付かされる。


 押し黙ったまま、美愛みあと一緒に蒼い空を眺める。


 そっと、美愛が肩を寄せてきたのがわかった。 

 私は何も言わず、そのまま受け止める。


 きれいな空の下、静かな空気の中で、身体を寄せ合う。

 これが恋人同士なら、きっと『いい雰囲気』というものが流れている。


 ――そんな雰囲気を壊したのは、美愛のお腹の音だった。


「あ、あはっ……ご、ごめんね……? なんかいい雰囲気だったのに……」


「もう最悪……」と美愛がしゃがんで縮こまってしまう。

 そんな、落ち込む美愛の肩を私は優しくとんとん、と叩く。


「聞こえなかったかもだけど、実は私もさっきからお腹鳴りっぱなしなんだよね。ご飯にしようよ」


 手を差し伸べると、美愛の小さな手が私の手を握った。そのまま引っ張って、立たせてあげる。


「まだ一応見えるけど、もう暗くなってきたし、先に明かりける?」

「……そ、そうだねっ、そうしよ! あたし、ランタン点けるねっ」

「じゃあ、私は蚊取り線香やっておくよ」


 なぜか手を繋いだままで、一緒に部屋に入る。部屋の中で手を離して、美愛はランタン――結局、ガスランタンにした――を、私は屋外用の蚊取り線香を荷物から取り出す。

 十月とはいえ、まだ蚊はいる。昼間は虫よけスプレーをしていたけど、さすがに夜は蚊取り線香をいておいた方がいい。テントで寝るときにも使えるし。


 バルコニーに出てから缶を開けて一巻ひとまき取り出し、裏返したフタを缶にはめてその上に置く。

 白檀びゃくだんのいい匂いがするとはいえ、これからご飯を食べるということで、椅子やテーブルから少し離れた風上に設置して、火をつけた。


 テーブルまで戻ってみれば、美愛がテーブルのガスランタンに火を点けているところだった。

 円筒形のガラスの中に、ほわっ、と明かりがともる。そのガラスの下にはずんぐりとした形のガス缶(ODアウトドア缶というらしい)がセットされていた。

 

 ガラスの中で燃えて優しくゆらめく炎が、テーブルの上や周囲を照らす。

 薄闇うすやみを照らす暖かなその光は、美愛が言っていた通りに『なんかいい』ものだった。

 この明かりだけで、非日常感が出る。雰囲気が全然違う。


 ランタンがあまり大きくない分、明かりとしては少し弱いかもしれないけれど、それでもテーブル周辺を照らすには十分だった。

 なにより、ゆらめく炎が見ていてなんだかいやされる。こういうの、ナントカゆらぎ、って言うんだっけ。


「はー……やっぱりいいねぇ……」


 炎が灯ったガスランタンを見て、うっとりした様子で美愛が呟く。


「ガスランタンにしてよかったね」

「うんっ!」


 そう頷く美愛の本当にうれしそうな笑顔に釣られて、私も笑顔になる。

 笑顔を浮かべたまま、美愛は椅子に腰を下ろすと、


「よしっ、それじゃあご飯にしよっか!」


 と、元気よく宣言した。


 今、テーブルの上のカセットコンロには、コンロ用のたこ焼きプレートがセットされていた。美愛が家から持ってきたものだ。

 十六個の穴が開いたそれは火にかけられ、熱せられている。

 そして、その半分の八つの穴には油が注がれていた。その油にはニンニクスライスと輪切りにされた唐辛子がけられている。


 ガスランタンを置いたこともあり、それほど大きくないテーブルはさらに手狭になっていた。

 置ききれない材料は、お盆に載って人工芝のシートの上に置かれている。

 お盆に載せてあったとしても、さすがにバルコニーの板のままだったらちょっと嫌だったので、人工芝のシートがあってよかったなと思う。


「それじゃあ、焼いてくよー!」


 美愛は空いている八つの穴に油を塗ると、そこにたこ焼きの生地を流し入れた。入れすぎたのか、穴からあふれてしまう。

 流し入れた生地それぞれにぶつ切りのタコを入り、天かす、刻んだ紅ショウガ、青ねぎがその上に適当に載せられる。生地といい、なんだか色々とはみ出しているような気がするんだけど、大丈夫なんだろうか。


 次に、油――オリーブオイルにブロッコリー、マッシュルーム、ミニトマト、エビをそれぞれ二つずつ沈めていく。

 ニンニクと唐辛子とオリーブオイル――つまり、アヒージョだった。まさか、たこ焼きプレートにそんな使い方があったなんて。


 あとは火が通るの待ちなのか、美愛はそこでスマホをポケットから取り出した。


「焼けるまでの間に、佳奈ちゃん、写真撮っていい?」

「ん、いいよ」


 美愛に「もうちょっとこっち寄って?」と言われるままに身体を寄せる。

 内カメラを表示している画面内には、美愛と私、それからたこ焼きプレートとランタンが映っていて――フラッシュが光って、音が鳴った。


「ありがとう、佳奈ちゃん。さてさて、もうそろそろいいかなー」


 写真を撮り終えた美愛は千枚通しを手に持つと、まずは穴の外にまであふれている生地を四角に区切った。

 八つの穴の生地をそうして区切ったあと、未だ焼けておらずとろとろ状態の生地へとためらうことなく、千枚通しの先端を突っ込んだ。

 

 ――そこからは魔法のようだった。


 美愛が生地の中で千枚通しをくるり、と回すと、その動きに従うように生地がひっくり返り、穴の中から見覚えのあるきつね色の丸い形が現れた。

 慣れているかのように、美愛は生地を次々にひっくり返していく。

 最後に、ひっくり返したときに中に入りきらなかった分の生地を、穴に押し込んだ。


「たこ焼きひっくり返すのうまいね、美愛」

「――あはは、やってみたら思ってるより全然簡単だよ?」


 ひっくり返してから少し待つと、美愛はたこ焼きを千枚通しで刺して持ち上げて、お皿の上へと取り出した。

 そして、そのいい焼き色がついたたこ焼きにソースと青のりをかけ、最後にかつお節を振りかけると、熱さでかつお節が踊った。


 そうしてできあがったのは、どこからどう見ても完璧にたこ焼きだった。


「できたー! 佳奈ちゃん、食べていいよっ」

「ありがと」


「どうぞどうぞ」と、取り皿にたこ焼きを載せて、美愛が渡してくれる。


「アヒージョも、もう食べれるからね」


 自分でそう言いながら、美愛はつまようじで油の中に沈むブロッコリーを刺して取って、口に運んでもぐもぐと食べた。たこ焼きよりもアヒージョを優先するのが、いつもメインをあとに回す美愛らしい。


 私は先にたこ焼きを食べることにする。

 つまようじで刺して、口の中に放り込む。途端、口の中に広がるソースとかつおぶしの味。そこに紅ショウガやねぎの風味が加わって――うん、おいしい……けど、熱っ!

 焼きたてで熱々のたこ焼きは外はカリカリ、中はとろとろだった。

 はふはふして冷ましながら食べていく。


 そんな風に私の熱がって食べる様子を美愛がばっちり見ていた。にんまりと笑っている。恥ずかしいところを見られたような気がして、耳が赤くなるのを感じた。


「――んっ……なに? 美愛」

「ううん、なんでもない」

「なんでもないっていう顔じゃないじゃん……言いたいことがあるなら言って」

「いやー……はふはふしてる佳奈ちゃんがかわいかったなー、って」

「待って、その感想は絶対におかしい。かわいくないって」


 はふはふしてる顔って絶対ブサイクだと思うんだけど。

「そんなことないよー」と美愛は言うけれど、恥ずかしいので、はふはふしているのを手で隠しながら食べることにする。


 それにしても、こうしてご飯を作りながら食べるのはなかなか新鮮な体験だった。

 鍋とか焼肉とかはしたことがあるけど、それは『作りながら』っていう感じはしないし。


「こうやって、作りながら食べるのなんか楽しくていいね」

「ご飯食べるのに時間はかかっちゃうけどいいよね! キャンプならでは……ってわけでもないけど、でもキャンプだと時間を気にしなくていいし」


 たこ焼きプレートの穴は多くないし、しかもその半分をアヒージョで使っているから、用意した生地分のたこ焼きを作るには時間がかかりそうだ。

 でも、確かに美愛の言う通り、今は時間がかかってしまうことは気にならない。

 今日一日ゆっくり過ごして、時間の使い方に寛容かんようになっているのかもしれない。


 たこ焼きを取り出して空いた穴に、また美愛が油を塗った。

 ボウルを持った美愛が生地を流し入れるのかと思いきや、私に向けてボウルを差し出してきた。


「じゃあ次、佳奈ちゃんがたこ焼き作ってみる?」

「えっ、でも……」

「大丈夫大丈夫、焼き加減はあたしが見るし。それに、たこ焼きは作るのが楽しいんだから!」


 美愛がそう言うなら……、と私はボウルを受け取る。

 ボウルにかかっているラップを半分めくり、お玉で生地をすくう。掬ってみてわかったけど、私が生地を混ぜていたときにはあったダマが、いつのまにか消えていた。

 さっき美愛がやっていたのを思い出して、同じように少しあふれるように流し入れてみる。美愛が何も言わないし、たぶんこれでいいはず。


 そうしたら次は生地の中にタコを入れ、天かすと紅ショウガと青ねぎを載せる。

 ちらり、と美愛を見れば、うんうん、とうなずいていた。ほっ、と胸をなで下ろす。


「そしたら次はねー、たこ焼き作りで一番楽しい、ひっくり返す作業だよ! 焼けるまでちょっと待ってね」

「う、うん……」


 うまくできるんだろうか、という不安が私を襲う。

 美愛みたいにうまくひっくり返せないかもしれない。


 落ち着こう、とたこ焼きが焼けるまでの間に、アヒージョをつまむ。

 ニンニクと唐辛子の風味が移ったオリーブオイルで煮られて、油を吸ったマッシュルームが抜群においしい。


「アヒージョおいしい……たこ焼きプレートでアヒージョなんてできるんだね」

「……うん……前に教えてもらったんだ」

「……?」


 一瞬、美愛の声に元気がなかったような気がして、美愛を見る。

 私の視線に気が付いた美愛は「ん?」と首をかしげて笑顔を浮かべ――その笑顔がなんだかいつもと違うような気がした。どう違うのか、とかれても、うまくは説明できないけど。

 説明できないし、勘違いだったら恥ずかしいので、私は「なんでもないよ」となかったことにする。


 食べて空いた油の穴に美愛がぽいぽい、と具材を入れていく。

 その穴の具材を避けて、すでに火が通っているところのをつまようじで刺して口に入れる――ミニトマトの中からあふれた汁が、口の中で暴れた。

 おいしかったけど、熱かった。次は気を付けよ……。


「おいしいから食べすぎちゃいそう……ニンニクの匂い、大丈夫だといいけど……」

「あはは、大丈夫だよ佳奈ちゃん。これニンニクじゃなくて無臭むしゅうニンニクだから」

「……ニンニクはニンニクでしょ?」

「ううん、無臭ニンニクはニンニクってついてるけど、実は別物なんだよー。ただ、無臭っていっても食べすぎるとやっぱり多少は匂いがしちゃうんだけどね」

「匂い対策には、食べたあとにお茶飲めばいいんだっけ?」

「そうそう。というわけで、あとでお茶飲もうよ……佳奈ちゃんにニンニク臭い、って思われたくないし……」


 ぽつり、と美愛が漏らした言葉に、私も心の中で同意する。

 私も美愛にそう思われたくない、かも。


「あっ、佳奈ちゃん、もうひっくり返していいかも」

「……やってみる」


 私が見る分にはやっぱりまだ焼けてなさそうに見えるたこ焼き。しかし、美愛にはもう焼けているとわかっているみたいだった。千枚通しを手渡され、ドキドキしながらそれを構える。

 美愛がしていたのを思い出して、まずは生地を四角に区切って切り離す。あとは穴の中に千枚通しの先端を入れ――くるくる回してみても生地がうまくひっくり返らない。何度か試してみるけど、ダメだった。

 あせる私に、美愛が落ち着いた声で、


「佳奈ちゃん、焦らなくて大丈夫だから。その穴の中でゆっくり、ひらがなで『の』を書く感じでやってみて?」

「う、うん、わかった……」


 言われた通りにゆっくりと『の』の字を書いてみる。すると――くるん、とたこ焼きがひっくり返った。

 驚いて、思わず美愛の顔を見てしまう。にっこりと笑っていた。


「そうそう、うまいよ佳奈ちゃん! 穴の中に収まりきってない生地は中に押し込んじゃったらいいから」


 一つできて感覚を掴んだ私は、残る七つもどうにかひっくり返すことに成功する。

 ただ、美愛と違って手早くできなかったためか、焦げてはいないものの焼き色が付きすぎていた。


 そのまま待つこと少し。美愛の合図で、私はたこ焼きをお皿へと取り出した。

 ソースと青のりとかつお節をかけて、完成。

 美愛が作ったものより、ちょっと形も色もよくないけれど、ちゃんとたこ焼きだった。


「うん、完璧完璧」

「そうかな、美愛のと比べたら――」

「いただきまーす」


 私の言葉をさえぎって、美愛が私の作ったたこ焼きに手を伸ばし――ぱくっ、と食べた。

 できたてで焼きたてだから当然熱くて、美愛ははふはふと口の中の熱気を逃がしつつ冷ましながら食べる。


 はふはふしながら食べる美愛は――なるほど、確かにかわいかった。


「――っ、おいしいよ! 佳奈ちゃんが作ったたこ焼き!」

「私が作った、って焼いただけじゃん……」

「いーや、生地混ぜたのも佳奈ちゃんだし、そう言っても過言じゃないね!」


「おいしいよ!」と美愛が二つ目に手を伸ばしたのを見て、私も試しに一つ自分が焼いたのを食べてみる。

 でもやっぱり、美愛が焼いたのと比べて焼きすぎている分、少し味が落ちている気がした。


「……美愛の作ったたこ焼きの方がおいしいと思うけどなぁ」

「あたしにとっては、こっちの方がおいしいの!」


 けれど、美愛は満足そうなので、それならいいか、と思う。

「おいしい!」と連呼れんこする美愛を見て、自然と笑みがこぼれた――自分が作ったものを『おいしい』と言ってもらえるのが、こんなにもうれしいなんて。


 ――そうして、騒がしくも、ゆっくりまったりとした、おいしいご飯の時間は過ぎていった。

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