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苦手な方はご注意ください。

ワールズエンド・スーパーノヴァ

作者: TEN

 目を開けると、そこには雲一つない茜色の空が広がっていた。

 傾きかけた陽光が、ぼんやりとした意識の中にじんわりと染み込んでくる。

 顔を動かさず視線だけを巡らせると、遠くから喧騒が聞こえて来た。

 何かのサイレンの音、車の音、そしてきっと、風の音。

 日頃から馴染みのある、街でよく聞こえる日常の音。

 どうやら屋上かどこかで、仰向けになって眠っていたみたいだ。

 我ながら、なんて無防備な──でも、まぁいっか。

 何もなかった。至って平和な夕方だった。

「……んー」

 まだ頭がぼんやりとしている。

 ふと見上げた空に、黒い影が点々と舞っているのが見えた。

 カラスか何かの群れかな。なんとなく、その黒い影に向かって右手を伸ばしてみる。

 届くわけがない──そう思っていたのに。

 指先には、まさにその群れに触れた感触がした。

「え?」

 まるで霧のように、それらは消え去った。

 ──違う。落ちた。

 もっと正確には今もまだ──ゆっくりと、私の手から落ち続けている。

 私の手には確かに、あのカラスの群れをはたき落とした感触が残っていた。

 本当に手が、空の向こうまで届いたように──。

 あり得ない。何が起きた。どうして。意味がわからない。

 突然の、情報量。止め処無い、違和感。

 その正体を確かめたくなって、地面に左手をついた。

 ザラッ。

「……?」

 屋上じゃない。指先に感じるのは、土の感触──?

 いや違う。ゴツゴツとした、しかし妙に脆い何か。

 あまり感じたことがない感触で、どう言葉にしたらいいか。

 持ち上げて視界に入った左手から、今なおパラパラと落ちて行くそれらは──。

「何……?」

 手のひらや指にこびり付いた一際大きな粒を、目を凝らしてよく見てみると——きっとそれらは、辛うじて、どうにか、ギリギリ——家の形をしていた。

 三角屋根があって、窓みたいなのがあって……ああっ、崩れ落ちた。

 サアッと、血の気が引く感覚。

 我慢できなくて起き上がり、今まで寝転んでいた場所を改めて確認する。

 地面は——そう、確かにそこは地面には間違いなかったけれども、そこに広がるのは——自分の身体やさっき下ろした手で潰してしまった、まるでGoogleマップで見るような──酷く、本当に酷く小さな、市街地。

「……え?」

 そこから聞こえる、車の音。そして人々の怒号。

 拡声器を通したか、それとも何人もが一斉に声を上げたか。

 それなのに、私にはあまりも小さ過ぎて、何を言っているのか分からなかった。

 パチッ。

「いたっ」

 小さな破裂音の後、何かが顔に当たった。

 言うほど痛くはなかった。微かにチクチクとする程度だった。

 尚も、何かが発射されるような音がした。

 まさか。

 恐る恐る地面に顔を近づけてみると、そこには……本当に、本当に極小の、戦車。

 そして合間に蠢く、ミジンコのような……人間たち。

 彼らはこちらに向かって何か叫び、そして大砲か何かを撃っている。

 パチ、パチパチッ。

 何となく、熱も感じる。

 でもようやっと、大体のことは理解出来た。

 正直理解しきれてはいないのだけど、整理がついた。

「……私、巨大化してる?」

 夢じゃない。これは現実だ。

 呆然とする私の下で都市が潰れ、極小の住人たちが、悲鳴を上げて逃げ惑っていた。


 思い出せ。眠る前の記憶を。一体どこで、何をしていたのかを。

 そうだ、学校だ。私は学校にいたんだ。

 下校中でも、帰宅した後でもない。制服を着ているし、カバンもない。

 多分、授業中だった……そんな気がする。

 確信はないけど、それ以外の可能性が思い浮かばない。

「……でも、なんで?」

 こんなところで寝ている理由も、どうして突然巨大化してしまったのかも分からない。

 記憶だけがただただ、すとんと抜け落ちていた。

 再び視線を下ろし、自分の周囲を見渡す。

 まるで航空写真のように広がる、博物館のミニチュアのような街。

 そのあちこちに、私が手や肘や、背中で押し潰してしまったような痕跡。

 特に自分が寝転んでいた場所は、地面がかなり抉れていた。

 じゃあ、さっき私が手を伸ばしてはたき落としたのは──カラスな訳がない。

 今の私にカラスなんて、小さ過ぎて見えやしない。

 なら、飛行機?何機もあったから、戦闘機か何か?でも、どこの?

 そんなこと、どうでもいい。今この光景を、何とかしたい。

 せめて何か、知っている目印を探したくなる。

 そう思っていたら、案外早く見つけた。

 無限に広がる市街地をあっちとこっちで二分する、まぁまぁ太い水の筋。

 あれはそう、多摩川。家からも、学校からも一番近い、名前の通った大きな川。

 そこに伸びて行く筋は多分、毎日乗ってる小田急線の線路。

 ちゃんと、鉄橋がかかっている。今の私の足より、短いかも。なんか可愛い。

 目線を逆方向へ。見えるのは、大きな建物群。そう、きっと新宿。

 学校帰りに、ごくたまに遊びに行ったから、あのスカイラインに見覚えがあった。

 見下ろすアングルがあまりに違い過ぎるだけで、辺りはよくよく知ったモノだらけ。

 つまり——。

「ここ……学校の近く、だよね……?」

 ここまで理解した瞬間、また全身の血が引いていくのを感じた。

「じゃあ、学校は……?」

 息を呑んで、身体の周りをもう一度見下ろした。

 きっとあるはずの場所に、それらしき建物は見当たらない。

 いや、あるにはある。あるけれど、それはもうべしゃりと潰れた、瓦礫の山。

 元の形を留めてはいない、どれが何かも分からない、無数のコンクリートの破片。

 それらを半分飲み込む、抉れた茶色い大地。

「……嘘……」

 今、自分が寝転んでいた場所。それが答え。

 何もかも、ものの見事に押し潰してしまっていた。


 パチ、パチッ。

 まただ。

 さっきから、ずっと何かが私の身体に当たっている。

 痛くはない。むしろ、痒い。

「……あー、もう……」

 首筋を軽く掻く。それでもまた小さな閃光が走り、微かな爆発音が響いた。

 ミサイル?

 いやまさかと一瞬思ったけど、この状況ではそれもあり得る話。

 おもちゃみたいな戦車やヘリコプターが、私に向かって次々と何かを撃ち込んでくる。

 自衛隊だ。

 突如現れた超巨大な私を、彼らが敵と見なすのは当然のこと……なのかな。

 ……でも、かわいそう。

 何をしても、全く痛くない。

 本気で攻撃しているのに、それがまるで意味をなしていない。

 ほんの少しでも通じて私が痛がったら、彼らに動揺が走ったのかな。

 攻撃を止めて、ちゃんと話して、誤解解いて小指で握手。

 でも、この体格差は——きっと無理だ。

 分からないんだ。通じないんだ。生の声が。お互いの意志が。

 そう思った瞬間——気づけば、私の手は自衛隊が集まっている一番騒がしい区画の上にかざされていた。

 すぐに、向こうも気付いたみたいだった。

 何かが一斉に飛び上がる。戦車が後退し、ヘリが高度を上げ、ミサイルが連続で発射される。

 けど、ごめん。

 私のほうが、早い。

 ドンッ。

 手を振り落とした。

 まるで机の上に置かれた砂の山を潰すような感触。

 地面が揺れ、瓦礫が粉々に砕け散り、爆発の閃光が一瞬だけ指の間から漏れた。

 そして——音が、消えた。

 ただ夕焼けの中、風がどこか遠くで吹いているだけだった。

 今の私は、きっとゴジラよりも、たちが悪い。


 立ち上がってみて、改めて理解した。

 遠くに見えるはずの山々が、ちょっと足を伸ばせば届きそうなくらい小さく見える。

 私の影が、丸く広がる水平線の向こうまで伸びていく。

 そして私は——。

「はぁ……」

 ため息をついた。

 白い霧が立ち上る。

 違う、雲だ。私の吐息が、本物の雲になった。

 それだけで、どれほど自分が巨大になったのかが分かる。

 何よりも、足元と首元で気温の違いが分かる。

 地面の方はまぁまぁ生暖かい空気なのに、顔の周りはひんやりとする。

 小学校の頃、林間学校で、長野の山の方に行ったっけ。

 あの時みたいな空気の冷たさを、肌に感じる。

 普通に生きていたら感じるはずのないことが、本当に起きている。

「……おかしい、よね」

 でも、これが現実。

 それに、もっと異常なのは息苦しさを感じないこと。

 こんなに大きくなったなら、体内の酸素供給とか、顔の高度の空気の薄さとか、色々難しいことがあるんじゃないかって。

 けれど——。

「……あぁ、そっか」

 違和感の正体に気付いた。

 多分、私の呼吸が強過ぎるんだ。

 息を吸うたび、周囲の空気を一気に集め過ぎている。

 それと、万有引力?知らないけど。多分、私の周りだけ空気圧が違う。

 だから、こんなに大きくなっても、酸素不足を感じないんだ。

 多分、きっと、ね。

 別に私、物理が得意なわけじゃない。というか、むしろ苦手だ。

 けれど、それでも何となく分かる。

 単純に物理法則が、崩壊している。それも、とても都合よく。

 私が「人間」ではなくなったのと同時に、環境に私が作用している。

 それが次にどんなご都合を突き付けてくるのか、それすら私には分からなかった。

 自分のことなのに、ね。

 こうも目の前の事態が手に余ると、感情が追いつかなくなってくる。

 悲しいとか、そういう気持ちがなかなか湧いてこない。

 だって、無駄だもん。

 悲しんだところで、どうにかなるわけじゃない。

 正常化バイアスっていうの?逆に冷静になって、考えようとする。

 ひょっとしたら、それが一番無駄かもだけど。

 だって、頭悪いもんね、私。

 でも、そんなことを思っていたら、本当に困ることが出て来た。

「……お腹すいた」

 それと、のどが渇いた。

 いつもなら、コンビニで何か買えば済む話だけど……このサイズでは流石に、ね。

 喉の渇きは、どこかの湖や川の水でもすくって飲めば、どうにかなるかな。

 今なら、富士五湖の一番小さいのだったら、頑張って飲み干せそうな気がする。

 お腹……壊すかな?塩素入ってないよね?

 でも、お腹はどうにもならない。

 私、何を食べればいい?

 誰か、私にパンケーキとか作ってくれる?

 インディペンデンス・デイのUFOみたいなの。

「……このまま、お腹が空いて死ぬのかな」

 それだけは、明確に怖かった。

 どれだけ大きくなっても、空腹は容赦なく襲ってくる。

 このまま何も食べられずに、衰弱していくのかな。

 それとも——血迷って何かを、口にするのかな。

 そう思った瞬間、私は地面にへばりつく豆粒みたいな建物を引き抜いていた。

 きのこを狩るように、土ごと、慎重に、壊さないように。

 ——いや、もう壊れているのかもしれないけど。

 目の前に持ってくると、それは団地だった。

 あぁ……こんなに小さくなっちゃって。

 大きくそびえていたはずの建物が、今や指先で潰せそうなくらいの可愛い大きさだ。

 ——ラムネみたいな味だったら、いいなぁ。

 春日井ラムネとか、クッピーラムネとか、ああいう感じの。

 そう思って、何の気なく口に含んでみた。

 サクッ。

「あ……」

 食感は、ウエハースみたいだった。

 だけど。

 次の瞬間——ゲホッと吐き出していた。

「おぇっ……!!」

 唾液まみれの団地が、ベチャッと市街地に墜落する。

 建物の残骸が飛び散る。それだけじゃない。

 中に溢れていた生活も、何もかも。

 落ちた先の市街地も、広がった唾液がじわじわと飲み込んで行った。

「……」

 不味い。とてつもなく、不味かった。

 そんなこと、ちょっと考えれば分かったはずなのに。

 なのに──私、馬鹿だ。

 あまりの自己嫌悪に、胸が締め付けられた。

 気付けば、目が熱い。

 涙がぽろぽろと溢れ出て来た。

「……ッ、うぅ……!」

 止められない。止めたくても、止まらない。

 嗚咽が、大気を震わせる。

 こんなことになって初めて、私は号泣した。

 さっきまで、妙に落ち着いていたと言うのに。

 今はただ、自分の愚かさがとにかく許せなかった


 ──夜空をこんな風に見上げるのは、いつぶりだろう。

 寝転んで見上げる星が、ただただ綺麗だった。

 街の灯りが、ごっそり消えたからだ。

 私の巨体に踏み躙られて、刈り取られたみたいに。

 きっと、地上には天の川みたいな光の帯が広がっていたのだろうに。

 でも、今はない。私がその光を殺した。

 なら、私はさながら——。

「……ブラックホール、みたい。」

 私がいた場所、今いる場所。

 そこだけがぽっかりと闇に沈んでいる。

 その証拠に、私から離れれば離れるほど、まだ無事な街の光が増えていく。

 逃げるように広がる、地上の星々。

 その眩しさが、余計に惨めだった。

 ……あそこにツッと指を突き立てて、名前を書いてみようか。

 誰が読めるわけでもないけど。

 あ、飛行機からならきっと見下ろせるんじゃないかな。

 これから飛び立つ羽田発や成田発に向けて。うん、いいかも知れない。

 でも、今日のところはまだいいや。

 今のうちに、逃げられる人は逃げて。それくらいは待つからさ。


 ——今、私の手のひらの下にあったのはどこだったんだろう。

 経堂?千歳台?それとも祖師谷?

 ただ、私の手のひらからサラサラと砂のような何かがこぼれ落ちるだけ。

 風に舞って、夜の闇に溶けていく。

 ……砂遊びみたい。

 私にとっては、年甲斐もない遊び。

 でも世界にとっては、今まさに進行中の天変地異。

 何もかもが手に負えなくて、どうでもよくなっていた。

 夢なら覚めてほしかった。

 でも——。

「……痛い。」

 抓った頬が、確かに痛かった。

 だから、これは確かに現実だった。


 スマホ——そうだ、スマホ。

 本当に今更になって、スカートのポケットをまさぐった。

 普段、あんなににらめっこしていたのに。

 理解を超える出来事が立て続けで、今の今まですっかり忘れていた。

 指先に触れる、硬くて滑らかな感触。

 あった。初めて安堵した。

 スライドして取り出す。

 側面の電源ボタンを押すと——ああっ、点いた!

 バッテリーは……ちょっと心許ないけど、残ってる。

 しかも、こんな状況で電波を拾えているのが本当に奇跡だった。

 ……基地局って言うんだっけ。壊していないのかな?

 いやまさか、そんな器用な真似が出来る訳がない。

 きっと、街と一緒に。気づかないうちに。

 なのに今は、どういう訳か繋がっている——。

 通知が溢れだした。

 ——緊急速報、何件も。

 見なくたって、私のことだとすぐ分かった。

 それに負けず劣らず、多過ぎる不在通知。

 お母さんから。

 そして、お父さんのも。

 ……でも、ある時間からぴたりと途絶えていた。

 多分、目が覚めた時間と、同じ頃。

 あの時、私が大きく動いた。

 自衛隊が攻撃して来て、片手で潰して、それで——。

 不安が襲って来た。

 指が震える。

 今さらだけど、電話をかけた。

 期待と、恐怖。だけど、その答えはすぐに。

『お掛けになった電話番号は——』

 何度かけても、同じだった。

 震える手を何とか抑えながら、スマホを耳元から離した。

 ——きっと大丈夫。だって、電車通学だもん。

 ……えっと、新百合ってどこらへんだっけ。

 とにかく、こんな近くに家はない。

 お父さんの会社もない……はず。

 だから、私が壊した範囲に、お母さんもお父さんも、きっと。

 そう、思いたかった。


 ……会いたいよ。

 話したいよ。

 いつもみたいに、下らないことで叱られたいよ。

 お父さんと、洗濯物を分けた。自室で、お菓子を食べた。

 言われたことをしなかった。生意気な口を利いた。

 お母さん、お父さん——。

 画面が、滲む。

 スマホを見つめるほど、涙が溢れた。

 我慢できなかった。

 ドサッ——。

 私は大地に倒れ込み、スマホを投げ出した。

 スマホはクルクルと回転しながら、地上を滑って行った。

 その先で、地上の光が幾つか消えて行った。


 道理で、通知に気付かなかったわけだ。

 どういうわけか、スマホはドライブモードになっていた。

 ——着信音なし。

 ——バイブなし。

 緊急通知は、第一報が来た瞬間何かエラーを吐いていた。

 だから、後から一気にやって来た。

 何もかも、後の祭りだった。



 午後8時。

 スマホのバッテリーは、案外しぶとく保っていた。

 することもないから、ただいつもの癖でSNSを開き、タイムラインを流し見する。

 話題は勿論、私で持ちきりだった。

『巨大化物出現』

『一挙一動が大地震』

『世田谷周辺壊滅的被害、首都機能麻痺』

 スクロールしても、しても、しても。

 どこまでも、私。

 すっかり有名人になっちゃったな。

 空虚な笑いが漏れる。

 みんな、無意味に騒いでいるだけ。

 どこか遠くへ逃げろと叫ぶ人。

 私の制服デザインから学校を割り出す人。

 私の推定サイズを測ろうとする人。

 自衛隊の動向を追い、私への徹底抗戦を主張する人。

 全部——下らない。

 ちっぽけで、馬鹿らしくて、まるで蟻の喚きを聞いているみたい。

 このタイムラインの中の誰かが、すぐそこの街の灯りの中にいるのなら。

 ……手でブルドーザーしてあげようか?

 一瞬、そんな考えが頭をよぎる。

 だって、目障りなんだもの。

 でも、それをしないのは、私にまだ理性があるから?

 それとも、ただの気まぐれ?

 分からない。

 ——みんな狂っている。そして、私も。

 善悪の区別が、どんどん曖昧になっていく。

 誰もが、見境なくなって来ている。

 けれどもタイムラインのどこを見ても、学校の友達らしきポストはどこにもなかった。

 理由なんて知れたこと。

 もう、誰とも会えない。みんな、私の下に消えたんだもの。

 私が、殺したんだもの。

 せめて——せめてその時、苦しまなかったことを……今はただ、祈るばかり。

 ……不思議ともう、涙は枯れていた。


 ——そうだ。自撮り、上げてみようかな。


 ふと、そんな考えすら浮かぶ。

 この状況で自撮りなんて、馬鹿みたい。

 でも、こんな状況だからこそ、やってみるのも悪くない気がした。

 辺りはもうかなり暗い。

 でも、生き残っている街の灯りをバックにすれば、シルエットくらいは写るかも。

 スマホのライトを使って、自分の顔を少し照らして。

 それから……能天気に呟いてみよう。

 『#巨大少女』『#世界最大のJK』『#はらぺこ』

 ハッシュタグも、いっぱいつけて。

 ——いいね、沢山もらえるかな?


 いよいよ、自撮りをポストしてみた。

 ポストを押した瞬間、妙な高揚感と、不安と、期待……色んなのが混じった奇妙な感覚が胸をよぎった。

 でも、それもほんの一瞬だった。

 ——反応は、驚くほど早かった。

 いいね。

 リポスト。

 ブックマーク。

 そして……山のようなレス。

 通知が、スマホの画面を埋め尽くしていく。

 数秒もしないうちに、私のポストはカオスの中心へと変貌した。

『お前のせいで家族が死んだ』

『今すぐ死ね』

『人間じゃねえ』

 ほとんど否定的な反応。罵詈雑言のオンパレード。

 うん、知ってた。

 分かりきったことだから、大して傷つきもしない。

 むしろ、あまりにテンプレ過ぎて笑えた。

 いいよ、いいよ。

 怒れ。罵れ。叫べ。

 ……おっ、一番ムカつくそこのお前。

『この害虫さっさと殺処分しろ』とか書いてるお前。

 私を虫扱いか?お前こそ微生物のくせに。

 ご丁寧に、プロフィールに住所載せてんじゃん。


 上等だ。明日潰しに行ってやんよ(物理)。


 それにしても、理解不能なのはむしろ、肯定的な反応だ。

『クソデカJK、いい』

『踏まれたい』

『すこ』

 何?

 マジ本当に、何??

 この状況で私にそれが言える奴、どうかしてるだろ……。

 分かりやすくヘイトをぶつけて来る連中より、こっちの方が一周回って気持ち悪い。

 ——などと、エゴサを兼ねてレスを辿っていた、その時だった。

 私の名前が、瞬く間に特定された。

『フルカワアイ』

 野生の特定班みたいな連中、仕事し過ぎ。早過ぎる。

 ……まぁ、当然か。

 このご時世、SNSはある意味、政府よりも強力な監視機関みたいなもの。

 私の名前がどんどん拡散されて行く。本当に凄い。

『全国のフルカワさんとアイちゃんに謝るのだ』

 うるせぇ。何様だよアライさん。

『今、アイに行きます』

 こわ。東急京王辺りも寸断しとこ。

『アイたんprpr』

 えぇ……キモ……(困惑)。

 最後のレスを意識したら、ちょっと身体がむず痒くなって来た。

 あいつ、貼り付いてないよね?私の身体に?

 念入りに、体中のホコリをはたき落とした。


 人生初めての炎上案件はもう、いいや。疲れた。

 私は、タイムラインをそっ閉じした。



 午後10時。

 退屈がじわじわと忍び寄る。

 もう、スマホの通知は切った。騒がしいタイムラインは見えない。

 何か別のもので気を紛らわしたくて、適当にアプリを探した。

 そして指が止まったのは、Spotifyのアイコン。

 タップすると、すんなりホーム画面が開いた。

 ファミリープランは、まだ有効。

 お父さんが月額を支払って、そこに私のアカウントを紐付け済みだから。

 試しにお父さんのお気に入りリストから、ランダム再生してみる。

 流れ始めたのは、The Ink Spots – I Don't Want To Set The World On Fire。


 ——火の海にしたいわけじゃないんだ。

 ただ、君の心に火を灯したいだけ——。


 古い、古い、アメリカの歌。

 ずっと昔の曲だけど、どこか懐かしくて、温かい。

 思い出した。

 Amazonプライムで、お父さんと一緒に見た海外ドラマで使われてた。

 名前は──そう、『Fallout』。

 見たいドラマがあるって、珍しくリビングのテレビ権を欲しがったんだよね。

 元々はゲームだった作品で、舞台は核戦争後の終末世界。

 気持ちの悪い突然変異の生物。

 直球過ぎる暴力や、生々しい倫理観のない描写。

 ちょっと引きながらも怖いもの見たさで観続けて、国が違うと、こんなにも価値観が違うのかって、変な感心をしたっけ。

 グロとかエロシーンが流れたとき、お父さんが一言、すまんって。

 ちょっと驚いたけど、別にお父さんのせいじゃないじゃんって、言ったっけ。

 懐かしいなぁ……。


 ——この歌は、不思議と落ち着く。


 気づけば、かつて街だった場所の廃墟の上に、私は寝転がっていた。

 隣には、誰もいない。

 いるはずがない。

 けれど音楽のせいか、まるでお父さんがまだ、隣にいてくれているような気がした。

「ふぅ……」

 大きく息を吐く。

 空へ向かって、温かい吐息が昇っていく。

 夜の冷たい空気とぶつかって、ふわりと雲が出来た。

 手を伸ばして、その雲を指先でかき消した。

 この世界は、すっかり変わってしまった。

 私が、すっかり変わってしまったように。


 私が爆心地となって、世界は明日も更に変わる。


 誰も止められない。私自身すら、もう止め方が分からない。

 この手は、一度壊すことを覚えてしまった。

 踏み潰す感触。握り潰す感覚。

 腕を振るうだけで、あらゆるものが砕け散る。

 ——実はほんのちょっぴり、それが快感なんだ。

 でも、心の中の理性がまだ、かすかにブレーキをかけようとする。

 本当に、これでいいの?

 もう元には戻れないんだよ?

 でも、それがどうした。

 戻る場所なんて、とうになくなっちゃったじゃないか。

 だったら、どうして躊躇うの?


 ——私は、私のままでいていいんだ。


 明日も世界は変わる。

 私がその中心で、引き金を引く。

 世界の変貌の、爆心地となって。


『私は、ここにいるよ。』


 もう一度タイムラインを開け、そうポストして、画面を閉じた。

 いいねも、リポストも、罵詈雑言も、もう見ない。

 この街には、もう誰もいない。

 私だけがぽつんと、ここにいる。

 風が吹いた。

 粉塵が舞い、私の頬を撫でる。

 ずっと昔から、ここが私の居場所だったみたいに、静かで、虚しい。

 けれども、どこか心地よかった。

 私は、まだ生きている。

 それが、この世界の唯一の真実。


 気が付くと、朝日が見えた。

 あんなにお腹が減っていたのに、よく眠れたみたいだ。

 あくびをして起き上がり、息から湧いた雲を手でかき消し、服や腕についた土かも瓦礫かもわからない微粒子をはたき落とす。

 でも、目の前に広がるこの光景は変わらない。現実だった。

 遠く、かろうじて形を保った、町並み。

 無事とは言えないだろうけど、そこにはまだ人がいるんだ。

 でも、私の周りは違った。

 茶色く耕された大地。

 ただ滑らかに、均された大地が広がっている。

 まるで巨大なブルドーザーが、都市を根こそぎ削ぎ落としたみたいに。

 ──違う。削ぎ落としたのは私だ。

 私の身体が。


 私の下敷きになったものは、もう跡形もない。

 建物も、道路も、そこにいた人々も。

 全て、私の肌で押し潰され、かつての形を失ったんだ。

 それだけ。たったそれだけ。それだけだったんだよ。


 そして──朝焼けに輝く光景の中に幾つもの光の玉。

 東の海から空を切り裂いて、細長い煙の軌跡を描きながら私に向かっている。

 まるで花火みたいに空を染めながら、私のいるこの場所目がけ、降り注ごうとしている。


 ああ、またか。

 ただ、滑稽だなと思った。


 私の心の底からのため息が、雲の帯を作った。

 誰が撃ったのかは知らない。北朝鮮? それとも……アメリカ?

 ガワだけ立派なロケット?それとも、本物の核弾頭?

 でもきっとどちらにしろ、意味がない。

「本気……なんだね」

 私は立ち上がる。

 ゆっくりと背伸びをしながら、朝の空気を吸い込む。

 肺の奥まで、世界の残り香を取り込むように。

「世界は、私を許さないんだね」

 分かってたよ。

 こんなことになって、のうのうと生きて行けるはずがない。

 この世界にとって私という存在は、まるでシステムのバグ。

 だから、排除しようとしてくる。

 それが国の決断なのか、人類の総意なのかは知らない。

 だけど──全部無駄。

 私は負ける気がしない。

 幾ら撃ち込んで来たって、私を傷つけられやしない。

 この手で全部、握り潰して終わり。

 ──でも、分かったよ。それがそっちの答えなら。

「なら、私も世界を許してあげないよ」

 指先を伸ばす。

 子供の頃、照り付ける太陽を手で掴もうとしたみたいに、飛んでくるミサイルに向かって。

 今の私は、本当にそれができてしまうんだ。


 愛を込めて、優しく、丁寧に。

 世界を果てまで、くまなく壊してあげる。


 お父さん、マイリスト良かったよ。気に入った曲はダウンロードした。

 お母さん、ごめんなさい。私、いつの間にか、途方もなく悪い子だった。

 いっぱい話したいことがあった。でももう無理なんだ。

 だから、どうか見ていて。

 自慢の娘の、最初で最後の晴れ舞台を。

 だからSpotify、最初にこの曲を聞かせて。




 ワールズエンド・スーパーノヴァを。




 それじゃあ──行ってきます。















(以下、あとがき。本編とずれるので読まなくても大丈夫です)


ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

この話は本当にここで終わりです。

もしこの先を想像したい場合は、ぜひ2002年リリースのくるりのアルバム「THE WORLD IS MINE」をお聴き下さい。

どの曲を聴いて頂いても多分大丈夫です。

スタンダードは表題の通り、WORLD’S END SUPERNOVA。

アイが最初に壊しに行く世界を想像するなら、GO BACK TO CHINA。

絶望の世界を背負わされた兵隊の気持ちなら、ARMY。

アイの父の目線で見たいなら、THANK YOU MY GIRL。

しっとりとアイの手で終末を迎えるなら、それ以外の曲がおすすめです。


最後にフルカワアイについて。

スーパーカーのフルカワミキ、そして彼女が歌った数少ない曲STROBOLIGHTSから名付けました。

敢えて、身体的特徴は書きませんでした。

お好きな容姿を想像いただければ幸いです。


参考音源

 くるり

 The Ink Spots

 スーパーカー

 相対性理論


参考文献

 文研出版 片山 健 1984年10月発行 「どんどん どんどん」


Special Thanks

 Spotify 今日も、懐かしい音源をありがとう。

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