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公式企画参加作品集

ある報われない物書きの生き辛さ

作者: ミント

「君は要領が悪い」

「ちょっとは考えてから行動しろ」

「少しは見た目を気にしたらどうだ」


 ……私は今までの人生で、どれだけこんな言葉を投げかけられてきただろう。


 どんなに努力しても、それが報われるとは限らない。こちらの頑張りを他人は容赦なく否定する。世間は冷たく、残酷なものなのだ。私はそれを嫌というほど知っている。




 子どもの頃から寂しさと、言いようのない不安を抱えて生きてきた。


 愛情深いが貧しさに抗えない両親、空想癖のある祖父母。私の家族は社会に馴染めない人間ばかりで、その一員として生まれ育った私もなんとなく生き辛さを感じていた。まるで本当なら海で生きるはずの生き物が、無理やり陸で生きているかのように……その圧迫感は、成長すればするほど大きくなっていくような気すらした。


 そういう息苦しさを抱える中で私が、空想の世界に縋るのは必然であったと思う。職人だった父は早世したものの、教育熱心で私にたくさんの物語を教えてくれた。昔から語り継がれる、教訓交じりの物語。どこか遠い国で起こった、不思議な出来事の物語。王族から動植物まで、一同に会する壮大な世界観の物語……父の口で語られ、紙の本で読み聞きし、手作りの人形を使って再現されるそれらを「私も作ってみたい」と考えるようになった。


 たくさんの話を考え、想像していると妄想と現実の区別がつかなくなってくる。そうして自分で何を言っているのかわからなくなり、慌てて言葉を重ねていけば「嘘つき」と詰られることもあった。


 くだらないことばかり言っているものではない、現実を見ろ、と……もともと見た目が悪く、特に大きな鼻を揶揄われることの多かった私は惨めな子ども時代を過ごしていた。




 それでも父が死んだ後、すぐ別の男と再婚してしまった母の姿に耐え切れず家を飛び出したはいいが……私はどこまで行っても孤独で、何をやっても上手くいかず報われない生活を送るばかりだった。




 最初は何か、物語――大好きな空想の世界を現実にできずとも、せめてそれに近い場所で働ける仕事をしたいと思った。


 役者、ダンサー、劇作家、歌手。いずれも私は懸命に努力したものの、それを認めてくれる人は誰もいなかった。むしろ周りは必死になる私を見下し、蔑みの目すら向けた。誰も彼も私を馬鹿にして嘲笑ったり、大声で怒鳴り散らしたり……何度も傷つき、恥をかき、涙しては上手く生きられない「私」という存在を呪った。


 気を遣ったつもりが、空回りして上手くいかない。なんとかその場を取り繕おうとして、言葉を絞り出すはいいがそれがかえって自らを追い込んでしまう。焦れば焦るほど、妙な行動ばかり取ってしまい後悔と羞恥だけが残るのだ。なぜ私はこうも、立ち回りが下手なのだろう。どうして他の人のように、大勢いる「一般人」の一人として生きることができないのだろう……皆がきちんとした服を着ているのに対し、自分だけ裸で歩いているようで私はいつも自分自身に締め付けられているような気がした。


 そうして、ひたすら空回りする私を憐れんでか一人の演劇関係者が大学を紹介してくれた。


 そこで私は改めて物書きを目指し、また一から「物語を作る」という行為に向き合うこととなったのだが……私は幼い頃から得意だったはずのそれ、「書く」ということですらも酷評されることになってしまった。


「君はものを書くのに向いていないのかもしれないけどね……」


 心無い学長が、いかにも「自分は気遣いのできる、とても心優しい人間です」なんて面をしながら放ったその言葉。その口角が冷徹な悪魔のように、嫌らしく上がっていたのは決して気のせいではないだろう。そんな鏡の破片のような鋭く、冷たい一言は私の胸に深く突き刺さった。




 私は醜く、人に誇れるものなどありはしない。


 細長い体に巨大な鼻。見た目だけじゃない、人間性だってそうだ。他の人が簡単にできることを、私にはできない。心配性なくせに、肝心なところで間違え失敗してしまう。人に怒られ、自身の過ちを指摘されるとすぐ頭が真っ白になり何をすればいいのかわからなくなってしまうのだ。そうして間抜けに走り回っては、醜態を晒す……私はそんな、この世で生きている意味すらわからないような人間だった。


 ――それでも私は、「書く」という行為にだけは希望を持っていた。


 誰かと愛し合い、家庭を作ることはできなくても。人々の群れに紛れ込み、そこで調和し生きることができなくても。物語を書くこと、感情を書くこと、世界を書くこと。それだけなら、私でもできると思っていた。私でもなんとか、できることだと思っていた。




 だが、それを否定されてしまったなら私に生きる意味はないのではないだろうか。




「君はものを書くのに向いていないんじゃないか」

「その書くこともできないのなら、この社会にいる意味などないんじゃないか」

「そもそもこの世界で生きること自体、向いていないんじゃないか」


 そう言われた気がして私は一人、深い地獄へと突き落とされていく。


 満足に他者を愛することのできない私。愚かで醜い、立ち回りの下手な私。


 私は「社会」で生きることに向いていない。この世界で、人として生きることそのものに適応できていない。


 それでもこの世界で生きていくしかないのなら、私は一体どうやって生きていけばいいのだろうか。




「何を書くかに固執しすぎてはいけないよ。ものを書くということは、それそのものに意味があるんだ」


 もう何度目になるかもわからない、絶望に沈み切った私に彼はそう声をかける。


 私に大学入学を勧めてくれた恩人である彼は、精神的に病んだ私を気にかけわざわざ個人授業の機会を設けてくれた。それでもなお、自己嫌悪を止められず筆を折ろうとした私に彼は語る。


「自分の思ったこと、感じたことを文章にする。それは人間という生き物にのみ許された特権だ。そうして作られた文章が誰か一人にでも届けば、それは大きな意味がある」


 ……綺麗事だ。誰の心にも届かない物書きは、私以外にも大勢いる。


 まして私は、書く以外に秀でているところが何もないのだ。臆病なくせに妙なところで虚勢を張り、それでも人並みに事をこなすことができず周りから浮いてしまう。どれだけ足掻いてもそれは、大雪の中でようやく点いた小さな灯火ぐらいにしかならない。きっと私は、何をやっても駄目なのだ。報われない、無駄な努力を続けては打ちのめされる。それの繰り返しで私の人生は、誰の心にも留まらずに終わる。


 思えば恵まれない人生だった。誰かに恋をしても、一方的に想いを寄せるだけで相手に応えてもらえることはない。自分の居場所を探そうと懸命に藻掻いても、結局何一つこなせずに白い目を浴びて終わる。社会は、この冷たい世界は私のような醜く非力な者に対してどこまでも残酷なのだ。貧しさに苦しむ者は、生きている限り永遠に貧困で苦しみ続ける。思い合った二人も何かのきっかけですれ違えば、たちまちその恋は破れ生涯心に残る悲劇へと変貌を遂げる。


 そんな非情で、残酷なまでに冷え切ったこの世界に生まれた私は――ただひたすら、苦しかった。他の人間のように、平凡に生きることもできない焦りと嘆き。必死に頑張っているのにそれを認めてもらえない、怒りと悲しみ。なんとか前に進もうとしても、決して逃れられず心に忍び寄ってくる寂しさと恐怖。そして――その全てが漠然とした「不安」になって、ただただ私の精神を摩耗させていく。




 そんな社会にも自分にも順応できない私の文章が、一体誰に届くというのだろう? 今まで頑張って物書きを続けてきたが、それすらも馬鹿にされ続けた。めげずに努力し、文章を書いても最後には「君はものを書くのに向いていない」とまで言われてしまった。


 もう、私が何か書いても何の意味もないのではないか……そうやって鬱々としている私に、彼はこう畳みかけてくる。


「まぁ、最終的にこれからも『書く』という行為を続けるかどうかは君の自由だ。ただ……決めるのなら誰かに評価されるか、ではなく君が『何かを書く』という行為を好きかどうかで決めるといい。『書く』という行為そのものが好きであれば、必ずまた文章を書きたくなる。だから……今は勉強しながら、これからも物書きを続けるかをゆっくり考えてみればいい」


 何か新しいことを学んでいけば、それだけ書けるものも増えていくからな。


 そう言い終わった彼は美しい瞳で、私を真っすぐに見つめる。




 ……あぁ、澄んだ綺麗な瞳だ。


 私は、人間性はその人の「目」に表れると思う。慈愛に満ちた人間はその愛情が、賢明な人間はその知性が瞳から見て取れるものなのだ。そんな私の考えを、「つまらない」「くだらない」とせせら笑う者もいたが……それでも私はそう思い、信じることがやめられなかったのだ。


 私は、「私」という存在を捨てるに捨てられず生きている。醜い見た目、器用に立ち回れない性格、その場その場で機転を利かせた対応ができない不器用さ。いつも他人の顔色を伺ってばかりで、あれこれ考えすぎるくせに妙なところでとち狂った行動をしてしまう。手際よく何かをこなすことなんてできはしない、とにかく愚図でのろまにしか思われない愚かな私。だが、その裏で私なりに必死に考えているということは他でもない私がよくわかっていることで……そんな風に、自問自答を続けていれば様々な感情が溢れ出てくる。


 「社会」という場所は、深い海や白銀の世界よりさらに冷たい。

 他人は破片のように鋭い言葉を容赦なく投げつけてくるし、弱き者や貧しい者はいとも簡単に切り捨てられる。貧困に喘ぐ少女、報われない恋に涙する者、集団に入れてもらえずたった一人で孤独に生きることしかできない存在……私もそんな、寒々とした世界で孤独に生きる社会不適合者の一人だ。誰からも必要とされない、誰にも気に留めてもらえない。もし私が裸で街を歩き出しても、誰も気に留めないのではないかとさえ考えてしまう疎外感。それが幾度も幾度も積み重なり、自身の感情が爆発しそうになると――きっと私は、物書きの世界に逃げてしまうのだ。


「君はものを書くのに向いていないのかもしれないけどね……」


 心無い学長の言葉は、未だ胸に突き刺さっている。


 私の書いた文章は、誰にも届かないかもしれない。私が物書きを続けたところで報われない、学長の言う通り私はものを書くのに向いていないのかもしれない。

 そうして物語を書くことすら上手くいかず、私は一生何も残せず報われない人生を送るのかもしれないが――




「……私、やっぱり……物書きでいることをやめたくないです」


 口から漏れ出たその言葉は、いつも口にするその場しのぎの適当な言葉ではない。ポツポツと、それでも語る言葉は確かに私の「決断」だった。恩人の彼に真っすぐな瞳で見つめられながら、それでも私は続ける。


「寂しさも、苦しさも、惨めさも……私は自分の駄目なところを、物語に落とし込んで書くのが好きです。自分の抱えている生き辛さや弱さを、文章にしてみれば誰かに伝わる気がするから……」


 どもり、つっかえ、ボソボソと呟くような声でしか口にできなかったその言葉だったが――それでも私は、自身の決意を口にした。


「例え評価されなくても、やっぱり私は物書きでいたいです。物語を書くことを、やめたくないです」

 そんな私の言葉を聞いた彼は、「そうか」とだけ答えると私に個人授業を受けさせることを提案してくれた。


「君が『書く』と決めたのなら、それそのものに大きな意味がある。感情を込めて、必死に紡いだ言葉は必ず誰かに届く。だから君の物語も、きっと誰かの心に届くはずだ。君が書いた物語もきっと、誰かの心に届くことになるだろう」


 恩人である彼はそう言って、私の決断を――後になって振り返れば、私の人生を大きく変えることになったこの大きな決断を、優しい眼差しで受け入れてくれた。




 それはずっと生き辛さを感じていた私にとって、「自分」という存在を肯定してくれる神の赦しの光のようだった。




 ◇




 デンマーク出身の作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンは貧しい家庭で生まれ、自身の容貌に大きなコンプレックスを抱きながら育った。加えて虚言癖や彼独自の拘りによる奇行が多く、その一生では何度も挫折や失恋を繰り返していたという。


 だが、彼の書いた物語――『人魚姫』や『マッチ売りの少女』、『雪の女王』などは今なお多くの人々に愛され、読み継がれている。


 その功績から「デンマークの国民的作家」とまで謳われるようになった彼は死後、国葬によって弔われ彼をあんなにも悩ませたその顔は紙幣の肖像画にも採用されたという。




 不遇な生い立ちから生き辛さに翻弄され、それでも物書きとして生きる道を選んだアンデルセン。



 その人生は彼の代表作の一つである、『醜いアヒルの子』に例えられることも多い。


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