56 それもこれも、ソティア嬢のおかげですね!
「わ、私とですか……?」
驚きのあまり、思わず声がこぼれ出る。
いったいソティアの何がマルガレーナの意志を変えたのか。ソティア自身にはまったく心当たりがない。
ソティアの困惑をよそに、マルガレーナがソティアを振り向き、華やかな笑顔を浮かべた。
「ええ。あなたと話をして、わたくしもわたくし自身の幸せを願っていいのではないかと思えるようになったの。両親の望みを叶えることだけに汲々《きゅうきゅう》とするのではなく、何が本当にわたくしの幸せにつながるのか、一度、まっさらな状態で、心を落ち着けて考えてもよいのではないかと……。そう、思いましたの」
「まっさらな心で、ですか……?」
晴れ晴れとしたマルガレーナの笑顔に引き込まれるように呟く。「ええ」とマルガレーナが大きく頷いた。
「そうですわ。具体的には……」
悪戯っぽい表情を浮かべたマルガレーナが、エディンスを見やってにこりと微笑む。
「新しい恋を探してもよいかもと思っていますの」
「マ、マルガレーナ嬢っ!? そ、それは……っ!?」
エディンスがこぼれんばかりに緑の瞳を見開く。
「落ち着いてくださいませ、エディンス様。まだ、可能性がある、という話ですわ」
先走るエディンスをマルガレーナがやんわりと諌める。
「可能性があるというだけで十分です! 決して叶わぬものと……。そう嘆いていた身からすれば、これほど喜ばしいことはありません!」
顔を輝かせるエディンスは、マルガレーナ嬢の手を取っていますぐ踊り出しそうな勢いだ。
「エディンス……。お前、もしや……」
いま初めて気づいたと言わんばかりに驚きに目を瞠ったのは、ユウェルリースを抱いたジェスロッドだ。
「マルガレーナ嬢に想いを寄せていたのなら、俺に遠慮などせずそうと言ってくれればよいものを」
「いや、無理ですよっ! そんなことっ!」
間髪入れずエディンスが吠える。
「陛下とおれじゃあ、中身はともかく身分が違い過ぎますよっ! そもそも、王妃を目指してらっしゃるマルガレーナ嬢は、いまのいままで、おれなんて眼中になかったでしょうし……」
エディンスの声の勢いが、後半につれて次第に落ちていく。
「第一、おれが勝手に想いを寄せていたただけで、告げるつもりなんてこれっぽっちもありませんでしたから。……そりゃあ、マルガレーナ嬢がおれを振り向いてくださったら嬉しいですけど、それはおれの勝手な希望であって、一番の望みはマルガレーナ嬢が幸せでいてくださることですし……」
いつものエディンスとは別人のような頼りない声。
だが、ソティアはエディンスの言葉に胸をつかれる。
ソティアもエディンスとまったく同じだ。想いを告げることすらできず、ただただ、どうか愛しい人が幸せでありますようにと願い……。
「エディンス様……っ!」
エディンスの言葉にマルガレーナが感動したように声を洩らす。
「そのように想っていただけていたなんて……。嬉しいですわ……っ」
告げるマルガレーナの可憐な面輪は花ひらいた薔薇のように薄紅色に染まっていて、エディンスの気持ちを喜んでいるのがひと目でわかる。
ソティアなどと一緒にしてはエディンスに不敬極まりないが、自分と似た境遇のエディンスの恋が実りそうな気配に、ソティアの胸まで喜びでじんと熱くなってくる。
「エディンス様。気が早いかもしれませんが、誠におめでとうございます……っ!」
ソティアの祝福の言葉に、エディンスが満面の笑みで答える。
「ありがとうございます! それもこれも、ソティア嬢のおかげですね! いくら感謝しても足りませんっ!」
「え……っ!?」
思いもかけないことを言われ、すっとんきょうな声が飛び出す。
「いえっ、私は何も……っ」
先ほどマルガレーナも名前を出してくれたが、ソティア自身は、何かしたつもりはまったくない。
マルガレーナもエディンスも、何か誤解しているのではなかろうか。
恐縮してかぶりを振ると、マルガレーナがくすりと笑みをこぼした。
「ソティア嬢はきっと、ごく自然に、深い慈愛の心で周りの人々を幸せにする才能をお持ちなのですわ」
「そ、そんな……っ! とんでもないことでございます」
マルガレーナの言葉に、あわてふためいてかぶりを振る。
「ですが、いまはそろそろ失礼いたしましょう。先ほどから陛下がお待ちですもの」
思わせぶりなマルガレーナと目があったジェスロッドが、我に返ったように黒瑪瑙の目を瞬く。
悪戯っぽい笑みをこぼしたマルガレーナが、エディンスに手を差し出した。
「エディンス様。よろしければ、帰りの馬車までエスコートしていただけますか?」
「もちろんですっ! いえっ、マルガレーナ嬢さえよろしければ、馬車と言わず、お屋敷までお送りさせてくださいっ!」
間髪入れず即答したエディンスが、宝物にふれるようにマルガレーナの繊手をとり、ジェスロッドを振り仰いだ。
「では陛下。おれとマルガレーナ嬢はこれで失礼いたします。陛下もどうぞ、ご武運を!」
明るい声で告げたエディンスが、ジェスロッドの返答も待たず、マルガレーナをエスコートして踵を返す。
が、ジェスロッドはマルガレーナとエディンスが柵を越えて聖域を出ていっても、ユウェルリースを抱いたまま、難しい表情を浮かべ続けていた。