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36 会わんわけにはいかぬだろう


 荷造りを終えた令嬢達が逃げるように館を出ていくざわめきで騒々しかった聖獣の館が、ようやく静けさを取り戻したのは、日暮れ間近になってからのことだった。


 令嬢達は退去する前に、「どうか、陛下にひと目挨拶を」と望んだが、ジェスロッドはすべての申し出を断った。


 ひとりに目通りを許せば、全員の挨拶を受けなければならない。その間、ユウェルリースのそばを離れることになるからだろう。


 先ほど、エディンスから送られてきた急ぎの文を読んでから、ジェスロッドの表情が険しい。


 おずおずとソティアが問うと、ジェスロッドが不在にしている隙を突くかのように、何やら王城でよからぬ噂が流れているということだった。


 邪神の欠片が聖域内に潜んでいることが発覚し、令嬢達が退去する羽目になったためだろうが、ジェスロッドは言を濁してくわしい内容までは教えてくれなかった。


 当たり前だ。ソティアはユウェルリースのお世話係のひとりに過ぎないのだから。


 ソティアなどに政治のことを話してもまったくの無駄だろう。


 頭ではわかっているのにつきりと胸が痛み、ソティアはごまかすようにユウェルリースのお世話に打ち込んでいた。


 しばらく前、日が暮れた頃から静かになったので、令嬢達全員の退去がようやく済んだらしい。ソティアはそう思っていたのだが。


「マルガレーナ嬢が……?」


 そんな一息ついた安堵の雰囲気を破ったのは、ローテーブルで引き続き書類仕事を行っていたジェスロッドが発したいぶかしげな声だった。


 その声にソティアはジェスロッドの方を振り向いた。


 夕食と沐浴を済ませてあとは寝るばかりとなったユウェルリースは、再びソティアの腕の中で抱かれたまままどろんでいる。


「はい。陛下とお話をなさりたいとお待ちになっていらっしゃいます。いかがいたしましょうか……?」


 ジェスロッドに報告に来た侍女が、不安そうな面持ちで意向を問う。ソティアも無意識に不安を宿したまなざしでジェスロッドを見つめた。


 マルガレーナが最後のひとりになるまで残ったのは、なんとしてもジェスロッドと話をしたかったからに違いない。だが、いったい何の話をするつもりなのだろうか。


「一人だけ特別扱いするわけにもいかん。帰るよう伝えてくれ」


「それがその……」


 侍女が失礼します、とジェスロッドの側に寄ると耳打ちする。


「なんだと!?」


「いかがいたしましょう……?」


「……会わんわけにはいかぬだろう。通してくれ」


 溜息をついたジェスロッドが苦い声で指示を出すと、すぐさま侍女がマルガレーナを恭しく招き入れた。


「陛下、お時間を取っていただき、ありがとうございます」


 一足早く夜が来たかのような深い藍色のドレスに身を包んだマルガレーナが、ドアをくぐると優雅な仕草で一礼し、花が咲いたような麗しい笑みをジェスロッドに向ける。


 が、同性のソティアですら見惚れてしまいそうな笑みを見ても、ジェスロッドの険しい表情はぴくりとゆるまなかった。


「マルガレーナ嬢。おぬしが聖獣の館を退去せずに滞在を続けると、いましがた侍女から報告を受けたのだが。何かの間違いではないか?」


「っ!?」


 ジェスロッドの言葉に、ソティアは鋭く息を呑む。


 令嬢達は皆、邪神の欠片を恐れて退去するものだと思っていた。


 だが、マルガレーナが退去ではなく滞在を望むとは。まったく予想だにしていなかった。


 予想外だったのはジェスロッドも同じだろう。マルガレーナに向けられた面輪は険しさに満ちている。


「いいえ、間違いではありませんわ」


 ジェスロッドのまなざしを真っ向から受け止め、マルガレーナがにこやかに宣言する。


「わたくしはこのまま、聖獣の館に滞在させていただきます」


 マルガレーナの言葉を聞いた途端、ジェスロッドの眉がきつく寄る。


「俺は令嬢達には世話係の任から外れてもらうと言ったはずだが?」


 威圧感を増したジェスロッドの低い声に、しかしマルガレーナはたじろがない。


「お言葉を返すようで恐縮でございますが、陛下がわたくし達におっしゃったのは『安全が確認できるまで、いったん世話係の任から外れてもらおうと思う』ということだけで、聖獣の館から出るように命じられてはおりませんわ」


 ぐっ、とジェスロッドが言葉を飲み込む。


 確かに、マルガレーナが指摘するとおりだ。令嬢達が自ら選択して出ていった体裁にするべく、ジェスロッドはあえて、聖獣の館から出ていくよう言葉にしなかった。


「退去した令嬢達は、自分の意志で出て行くことを決めたのです。でしたら、わたくしが自分の意志で残ることを決めたとしても、何らおかしいところはございませんでしょう? 何より――」


 マルガレーナの視線が思わせぶりにソティアに向けられる。


「お世話係として来た令嬢達がみな退去せねばならないとしたら、そちらのソティア嬢も退去せねばならないのではございませんか?」


「ソティア嬢は特別だ」


 マルガレーナの声にかぶせるように間髪入れずに返された言葉に、ぱくりと心臓が跳ねる。


 ジェスロッドの黒瑪瑙の瞳が、真っ直ぐにソティアにそそがれていた。


「ソティア嬢は赤子の世話に慣れている上に、ユウェルもよくなついている。ユウェルが健やかに過ごすために、ソティア嬢に退去されるわけにはいかん」


 きっぱりと告げられた言葉に、胸の奥がじんと熱を持つ心地がする。


 いままで、家族以外にこんな風に求められたことなど、一度もなかった。


 誰かに必要だと言ってもらえることが、こんなに嬉しいだなんて。



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