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1 聖域での死闘と、そして……。


 ローゲンブルグ王国の王城の一画。


 聖なる一角獣がまい、聖別された結界に守られる『聖獣の館』。


 王族の血を引く者と、清らかな乙女以外は入ることができぬ結界は、だが、外からの侵入を防ぐためのものではない。


 結界の内に、聖獣の館の地下に――。


 封じられたおぞましいものを、外に逃がさぬための『おり』に他ならない。


『聖獣の館』の最深部。ふだんなら扉に厳重な封印が施されている薄暗い地下室には淀んだ腐臭が立ち込めていた。


 壁にかけられている獣脂じゅうし蝋燭ろうそくのせいではない。


 腐臭と瘴気を放っている原因は、巨体から何本もの太い触手をうごめかせながら、いままさに自らに施された封印から抜け出そうとする邪神だった。


 子どもが手遊てすさび作った泥団子のような……。だが、泥団子と呼ぶにはあまりにも大きい小山ほどもある巨体と、大人の腕ほどもある触手をくねらせながら、邪神が床に描かれた封印紋から巨体を引き出そうと試みる。


 結界に封じられた邪神の全身がどれほどあるのか、知っている者はいないだろう。


 蠢く触手が結界を破ろうと試みる。だが。


「はぁっ!」


 ジェスロッドの裂帛れっぱくの声とともに、聖剣 ラーシェリンが振るわれる。


 ローゲンブルグ王国の国王に代々受け継がれる聖剣ラーシェリンはジェスロッドの巧みな剣さばきに応え、邪神の巨体からうねうねと伸びる何本もの触手をたやすく斬り裂いた。


 しかし、触手は斬られた程度では動きを止めない。


 まるで自分の意志を持つかのように空中で身をくねらせたかと思うと、ジェスロッド目がけて矢のように飛んでくる。


 だが、ジェスロッドの黒瑪瑙くろめのうの瞳は邪神を見据えたままだ。迫りくる触手を気にも留めずに、邪神の巨体の真ん中で禍々《まがまが》しい光を放つ巨大な赤眼へ剣を突き立てようとする。


 斬られた触手が、ジェスロッドが纏う白銀の鎧に突き立つ寸前で。


「《聖壁せいへき!》」


 青年の澄んだ声が響くと同時に、光の壁がジェスロッドを取り巻き、触手を遮る。


 まるで何かに打ち据えられたように、触手が弾き飛ばされ、干からびた肉片となって床に転がった。


「ジェス、無茶しすぎだよ! わたしの力も無尽蔵にあるわけじゃないんだから」


 緊迫した戦いの場にもかかわらずやんわりと抗議の声を上げたのは、背の半ばまである長い銀の髪をうなじのところでひとつに縛り、同じ色の銀の瞳を持つ、女性と見まごうような美青年だ。


 邪神との戦いの場だというのに、鎧すら身につけていない。細身に纏っているのは白を基調とした上質だが簡素な服だ。


 だが、月の光が人の形をとったかのような美貌の青年が人間でないことは、額から真っ直ぐに伸びる銀の角を見れば明らかだ。


 口調こそ柔らかなものの、肩は呼吸のたびに上下し、優美な面輪には吹き出した汗が伝っている。


「だからこそ次で決めるっ! ユウェル、あと少しだけつきあえっ!」


 美貌の青年に言い返したジェスロッドの息も荒い。短く刈られた黒髪はにじんだ汗で額にはりついていた。


 すでに半刻近く、瘴気が渦巻く中で戦っているのだ。いくらユウェルリースの守りがあるとはいえ、体力も気力も限界に近づきつつある。


「守りは任せたっ!」


 蠕動ぜんどうする邪神の巨体。不格好な肉饅頭にくまんじゅうの中心にある巨大な赤い目を守ろうとする触手達をジェスロッドが聖剣で斬り飛ばす。


 一瞬、無防備になった赤眼せきがんに。


「邪神よ、ふたたび長き眠りにつけっ! 聖剣ラーシェリンよっ! 我に力をっ!」


 ジェスロッドの声に応え、まばゆいほどの光を纏った切っ先が深く突き入れられる。


 邪神が声にならぬ悲鳴を上げる。地下室の壁や天井がびりびりと震えた。


「くぅ……っ!」


 邪神から放たれる瘴気しょうきが不可視の圧となってジェスロッドに襲いかかる。


 だが、歯を食いしばり両手で柄を握りしめ、聖剣をさらに深く赤眼へ突き入れる。


 常人なら息さえできない瘴気のうず。その中で立っていられるのは、ユウェルリースの浄化と守りの力があるからだ。


「いい加減、眠りにつけ……っ!」


 握りしめた柄からジェスロッドの意志が伝わったかのように、聖剣が輝きを増す。


 あぶられたろうのようにぐずぐずと邪神の巨体が溶けてゆき――。


 不意に、瘴気の圧が消えた。


 同時に、邪神の姿が消え、先ほどまで巨体で隠されていた床の結界紋が、聖剣ラーシェリンに宿るのと同じ、白く清浄な光を放つ。


「封じられた、のか……?」


 思わずこぼした呟きに、脳天気なユウェルリースの声が返ってくる。


「結界紋が輝きを取り戻したから、本体はね。まだ欠片が残ってる可能性があるから、油断はできないけど……。ふう、疲れた……っ!」


 聖剣ラーシェリンを鞘にしまったジェスロッドにユウェルリースが近づいてきたかと思うと、突然、ぐでっと正面から抱きつく。


「おいっ!? 角が刺さるっ!」


 男にしては細い身体をとっさに抱きとめるも、ユウェルリースの額から真っ直ぐに伸びる角が頬をかすめ、ジェスロッドは抗議の叫びを上げた。


「お前なぁっ! いつも言ってるだろ!? 抱きついてくるのはまだしも、角には気をつけろって! 癒やしの聖なる角で怪我するって、どんな悪い冗談だよ……!」


 ジェスロッドの抗議にも、ユウェルリースは悪びれたところがない。


「ぼくなりにちゃんと気を遣っているってば。怪我させたことなんてないだろ?」


「俺がしっかり避けてるからだよっ! っていうか俺は男に抱きつかれて喜ぶ趣味はないっ!」


 口ではそう言いつつも、ジェスロッドは全体重を押しつけるかのように寄りかかってくるユウェルリースの身体をしっかりと抱きとめる。


 ジェスロッドより何百歳、下手したら何千歳も年上で、物静かな言動のくせに、実はやたらと人懐ひとなつこくて甘えん坊なのだ、この聖獣様は。


「男が嫌ってことは、ぼくの本来の姿のほうが好みってこと? さすがにそれは、どうかと思うよ」


「誰もそんなこと言ってないだろうが!」


 ユウェルリースの本来の姿は純白の一角獣だ。


 聖なる力をその身に宿し、古よりローゲンブルグ王国に巣喰う邪神を封じる聖なる獣。


 遥かいにしえの昔、ローゲンブルグ王国の初代国王は、聖獣とともに人々を苦しめる邪神をこの地に封じたのだという。


 だが、邪神といってもそこはやはり神。封じることはできても、滅することはできない。


 何十年かに一度、王城の一画にある聖域の地下に施された結界が緩むたび、封印の力を受け継ぐ王族が聖剣ラーシェリンと聖獣の力を借りて邪神を封印し直すことが、この国の王族に生まれた者の義務だ。


 そのために、ジェスロッドも幼い頃からひたすらに剣の腕を磨いてきた。


 父王の代では封印は緩まなかった。ならば、きっと自分の代で再封印を施さなければならないのだろうと。


 代々のローゲンブルグ国王とともに戦い、封印を護り続ける聖獣にも、敬意を持って接そうと……。


 まだ純真無垢に剣の稽古の打ち込んでいた幼い頃は、そう思っていたはず、なのに。


「いや、やはり今後の王家の繁栄のためにもだね。きみはなんというか、控えめに言っても朴念仁だし、もうすこし女性に目を向けたほうがいいとぼくは思うよ」


 まるで気安い友人にアドバイスするようなユウェルリースには、聖獣にふさわしい高貴さも神秘さも、どこにも見当たらない。


 しかも文句を言いつつ、ぐいぐいすりすりと身を寄せてくるのだから、正直勘弁してほしい。


 細身とはいえ引き締まった男の身体ですり寄られてもごりごり骨が当たって痛い。ぐりぐりと肩に頬ずりをするたび、直径は細いものの大人の腕くらいの長さはある角が、耳や髪をかすめて上下するのも、油断できない。


「おいユウェル、いい加減放せ。扉の向こうでアルベッドが待機しているんだ。結界の外では、父上や大臣達がやきもきしながら待ってるだろうしな。再封印が成就したと伝えないと……」


 ジェスロッドだけに許された愛称を紡ぎ、力づくでユウェルリースを引きはがそうとすると、抵抗するようにジェスロッドの身体に回された腕に力がこもった。


「ジェスってば真面目だね。もうちょっとくらいいいだろう? ……こうやって同じ身長でじゃれあえる機会は、あと十数年はないだろうから……さ」


「っ!? おいっ!?」


 さらりと告げられたとんでもない告白に息を呑む。


 ジェスロッドが無理やり引きはがすより早く、わずかに身を離したユウェルリースが真っ直ぐにジェスロッドを見つめる。


 きらめく星を閉じ込めたような銀の瞳を細めて笑い。


「さすがにちょっと無理しすぎちゃったよ。力を蓄えるためにしばらく幼体に戻るから。封印の見守りは任せたよ」


「おい、待てっ! ユウェル!」


 ジェスロッドの叫びを無視して、ユウェルリースがもう一度、ぎゅっと抱きついてくる。


 白銀の角が耳朶じだをかすめ。


「ぼくのこと、ちゃんとお世話してくれよ、ジェス」


 くすりと悪戯っぽく告げたユウェルリースの身体が淡い光を放つ。


「おい……っ!?」


 身体に寄りかかる重さがどんどん軽くなる。


 同時に腕の中のユウェルリースがどんどん縮んでいき――。


「おい待て、ユウェル! ふざけんなっ!」


 ジェスロッドの叫びもむなしく、ユウェルリースが着ていた服がずるりとずれ落ちる。


 服の中から現れたのは、一歳にも満たないほどの赤ん坊だ。


 長かった白銀の角も、大人の指ほどの長さまで縮んで、額からちょこんと生えていた。


「嘘だろう……っ!?」



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