口
高校二年の夏休みも中盤を迎え、夏も折り返す明日はお盆。
その日はとても暑く、アスファルトからは陽炎が揺らめき、道ゆく人々はできるだけ日の当たらない所を探しながら汗を拭き拭きそれぞれの目的地へと向かっていた。
僕もその例に漏れず、放っておくと頭から流れ出る汗をタオルで抑えながら日陰を求めながら家路を行く。
観光地として有名な港町に住んでいるため、街中は異国情緒あふれるお盆の装いに色めいている。
赤と黄色を主としたカラーリングの飾りがぶら下がる街頭や店々を眺めながら、ようやく求めたアーケード街にたどり着く。
「ふう・・・こんなに暑くっちゃご先祖さまだってお盆に帰ってきたく無くなるよ・・・」
なんて得体もないことを呟きながら、友人たちと約束もなく集まるいつものゲームセンターへと向かう。
アーケード街からゲームセンターのある細道へと曲がり、じわじわと茹だる暑さに焼かれながら聴き慣れた格闘ゲームの音が微かに聞こえてきた頃
ふと、流れる汗が一瞬で引くほど空気が変わった。
正確には変わったのではない。急激に上へと流れているのだ、空気が。
僕はあまりに突然な変化に戸惑い、思わず空気が流れていっている空を見上げたが、そこにはいつも見慣れているはずの空はなかった。
例えるならば大きく開けた「口」。人のそれとは違う、口吻とでも言うのだろうか。ともかくそれは口としか言いようのないものが、見上げた僕の視界いっぱいにあった。
ぐるりと大きく円を描くように並ぶ歯のような石のようなものの周りは景色がぼやけて見え、果たしてそれがどれくらい大きい「口」なのか目の前にあるのに想像もつかない。
歯のようなものの中には赤黒くウネウネとしたものが見え、そこに向かって空気が急激に流れていっていた。
物理的な吸引力とはまた違うのか、竜巻や掃除機のように何かが吸い込まれている様子はないが、確かに空気はそこに向かって吸い込まれている。
何より、ウネウネと蠢く口が頭上に大きく顎門を開けているこの光景が僕には非日常すぎて、どうにも呆けてしまい、焦るでもなく目的のゲームセンターの前までやってきてしまった。
ゲームセンターの中に入ってしまえば、そこは喧しくも聞き慣れた電子音が鳴り交わし、外の空気の変化もさしたる物では無いような気がしてしまう。
やはりと言うか、約束も何もしていないものの見知った顔を一人見つけ、声を掛ける。
「よう。外、見た?」
「なんだよ、来るなり。どしたん?」
電子音の波の中では長い会話などできず要点だけを話すのはいつものことだが、今日は様子が違う、そう汲み取ってくれたのだろう。
手で来いよとジェスチャーをして外に向かうと友も着いてきた。
二人が近づくとゲームセンターの自動ドアが開き、外の空気が流れ込んで・・・いや、今日に限っては流れ出ていく。
その変化に友も気付いたのだろう。ん?と訝しがりながらこちらを見、そして空に顔を向ける。
さっき空を見上げた僕もこんな顔をしていたのだろうか。ぽかんと口を開けて見上げたまま固まってしまった友。
「おい・・・あれ・・・」
「ああ、なんかすげえ口だよなあ」
「え?ああ、言われてみりゃ確かに口、みたいだな・・・」
固まる友と空の大口を見比べつつ、なんとも不思議なものを共有できたことに一人落ち着く。
しかし、突然現れたこの口は先ほどよりも心なしか激しくウネウネしているように感じる。
少し落ち着いたおかげでじっと観察していると、ウネウネの中心に何か影を見つけた。
よくよく目を凝らしていくとなぜかその影は近く見えるような気がする。
ちらと友を見るが、友は大きな口の外側を探そうとしているようでグルグルと大きく見渡している。
もう一度、影の方に目を凝らすと先ほどよりもさらに近くに見えるような気がする。
不思議体験をしている中にさらに不思議があるなと思いながらもっと目を凝らすと、それは赤黒いウネウネにポカリと空いた穴であることに気づいた。
気づいた途端に吸い込まれるようにその穴の様子が近く見えてくる。
それはまるで望遠鏡で覗いていながらどんどんと倍率を上げていくように、空に開いた口の中の穴、さらにその中へと視界がぐんぐん吸い込まれていく。
穴は景色だった。
初めは小さな点にしか見えなかったが、今では窓から外を覗くように見える。
赤い空に砂岩でできた山がある。遠くまで広がる荒れた地。
谷間が道路のように山間をうねり、さらに視界は近づいていく。
風が吹き荒び、まるでいつか何かの本で見た火星のような・・・
次の瞬間には、一人で空を見渡している友だけが立っていた。