8 初めての……
ノア皇子とのやり取りに拍子抜けしたルイード皇子は、その後少し気まずそうに私に声をかけてきた。
「……リディア、遅くなってごめんね。
ここに座らせてもらってもいいかな」
「あ、どうぞ」
そう言って私が横にズレると、ルイード皇子は私とノア皇子の間に腰を下ろした。
ルイード皇子が来た時から私達の様子を見ていたエリン皇女が、我慢できなくなったのか突然可愛らしく笑った。
「あははっ。ルイード様って可愛い方ですのね。
婚約者の方をそこまで大事にされるなんて、めずらしいお方ですわ」
「え? エリン様の国ではめずらしいのですか?」
エリン皇女の発言に驚いたマレアージュがそう尋ねると、エリン様は当然とばかりの態度で答えた。
「それはそうですわ。
王族の結婚なんて、利益しか見ていないただの契約と同じ。
少しでも都合悪くなればすぐに相手を変えますし、愛なんてありませんもの。
そんな相手にいちいち気遣ったりなんかしませんわ」
とても冷めた事を言っているのに、エリン皇女の顔は可愛らしく微笑まれていて、そのギャップに背筋がゾッとした。
優しいエリン皇女らしからぬ言葉。
でも皇女という立場だからこその言葉なのかもしれない。
だからエリン皇女は、婚約者がいても普通に他の男性と一緒にいるんだわ。
罪悪感とかそういったものはないのね……。
エリン皇女の横に座っている男達は、小悪魔のようなエリン皇女に惹かれているのか、今の話を聞いていても何も動揺などしていない。
変わらずエリン皇女に熱い視線を送っている。
「愛のない相手であれば、そう思ってしまうのも仕方ないかもしれませんね。
……おや、もう休憩時間も終わりだ。
教室へ戻りましょう」
ルイード皇子が時計を確認して、その場に立ち上がった。
そしてすぐに私の目の前に手を差し出してくれる。
「あ、ありがとうございます……」
その手につかまり立ち上がると、2人の男性から手を差し出されていたエリン皇女がそれを無視してルイード皇子を呼んだ。
「ルイード様。私にも手を貸してくださる?」
えっ!?
驚いてエリン皇女を振り返る。
エリン皇女は視線をルイード皇子にのみ向けていて、私や隣でショックを受けている男性達のことは一切見ていない。
ルイード皇子も予想外だったのか、動きが止まっている。
マレアージュが少し冷たい視線をエリン皇女に向けていたのを、私は見逃さなかった。
「どうかしまして?」
何故すぐに来ないのかと、不思議そうな顔をしているエリン皇女。
その表情は本当に無邪気な子どもそのもので、悪意などは感じない。
「……あいつ、男はなんでも言うこと聞いてくれると思ってるから」
固まっている私とルイード皇子に向かって、ノア皇子がボソッと呟いた。
男はなんでも言うこと聞いてくれるって……。
それはその通りなのでしょうけど……ちょっと自由すぎませんか?
仮にも婚約者本人がいる目の前で、そんなお願いしてくるなんて。
ルイード様は優しいから、断れないわよね……。
頭の中にエリン皇女に手を差し出すルイード皇子の姿が浮かんだ。
ズキッ……
胸が痛む。なんでだろう……。
なんでそんなの見たくないって思ってるんだろう。
チラッとルイード皇子の顔を見ると、皇子も私を見ていた。
目が合った瞬間、ニコッと優しく笑って手を強く握られる。
そして、ルイード皇子はエリン皇女に向かってキッパリ言った。
「すみません、エリン様。それはできません」
「え……?」
断られたエリン皇女は、心底驚いている。
まさか断られるかも……なんて、微塵も思っていなかったのだろう。
エリン皇女は頬をぷくっと膨らませて、拗ねたように文句を言ってきた。
「どうして?
女性からのお願いを断るなんて、それでも皇子のすることですか?」
「もしこの場に男性が俺1人しかいなかったのであれば、手をお貸ししたでしょう。
ですが、ここには他に3人も男性がいます。
俺が手を貸す必要はないでしょう」
少し怒りの感情が出ているエリン皇女に対し、ルイード皇子は爽やかな笑顔を向けたままだ。
「私は貴方にお願いしたのよ」
「失礼ですが、俺はリディアに少しでも誤解されたくないのです。
俺の最優先はリディアですから。
ではお先に失礼します」
そう言うと、ルイード皇子は私の手を引いてそのまま踵を返して歩き出した。
「あっ」という声が聞こえて後ろを振り返ると、ポカン……としているエリン皇女の姿が見えた。
マレアージュが少しニヤけているように見えたのは、気のせいだろうか。
しばらく歩き続け、誰もいない廊下に来た時、やっとルイード皇子が足を止めた。
つないでいた手を離し、皇子は元気がなさそうな顔でゆっくり振り向きながら謝ってきた。
「……ごめんね、リディア。
君の友達にあんな態度をとってしまって」
「えっ? い、いいえ! 大丈夫です!」
「嫌な気持ちになってない?」
「はい」
私がそう答えても、皇子は切なそうに笑うだけだ。
きっと、私が遠慮して本当の事を言えないとでも思っているのだろう。
私のために、皇女様にあそこまで言ってくれたの……嬉しかったのに。
こんな悲しい顔をさせてしまっている事に、私まで悲しくなってくる。
本当に嬉しかったという事を、ちゃんと伝えたい。
また歩き出そうとする皇子の服を慌てて掴み、その動きを止めた。
「……リディア?」
「あ、あの……嫌でした」
「……そうか」
「ルイード様がエリン様の手に触れるって考えたら、嫌でした。
だから……断ってくださって、正直安心……しました」
「…………え?」
恥ずかしくて、皇子の服を掴んでいる自分の手を見ながらそう言った。
どうしよう……この後は何を言えばいいの?
と、とりあえず離れて……
掴んでいた手を離した瞬間、ルイード皇子に抱きしめられた。
え……えええええ!?
だっ抱きしめられてる!?
頬に微かに触れている皇子の肌の感触が、どれだけ密着しているかを直に伝えてくる。
緊張して身動きがとれない。
ドクドクドクドクすごい心臓の音が聞こえてくる。
自分の手が小刻みに震えているのがわかった。
私の背中に回されている皇子の手も、微かに震えている気がする。
こういう場合、私も自分の腕を皇子の背中に回した方がいいのだろうか……そんな葛藤をしていると、ルイード皇子が小さな声で呟いた。
「なに、それ…………嬉しい」
「……!」
ルイード皇子の口から嬉しいという言葉が聞けて、ホッと安心する。
良かった……!
私の嬉しかった気持ち、ちゃんと伝わった。
………………でも、なんで今抱きしめられてるんですかね、私!!!
少し冷静になってしまったせいで、今の状況がどんどん恥ずかしくなってくる。
え!? なんで!?
そりゃ一応婚約者ですけど!
でも、皇子とこんなに密着した事なんて……。
あああ。そろそろ限界!!
これ以上くっついてたら、心臓もたない!!
その時、遠くの方からガヤガヤした人の話し声が聞こえてきた。
数人こちらに近づいて来ているようだ。
その声が聞こえて、ルイード皇子がスッと私から離れた。
あっ……は、離れた……。
ホッとしたような残念なような、複雑な気持ちになる。
「…………」
「…………」
無言のまま皇子の顔を覗くと、真っ赤になって困ったような顔で私を見ている。
でもどこか嬉しそうなその顔に、ぎゅうっと心臓を掴まれてしまった。
なにこの皇子……かわいすぎる……!
「……教室……戻ろうか」
「……はい」
……絶対に私の顔も赤くなっているんだろうなぁ。
なんとか教室に着くまでには、この顔をどうにかしないと……!
赤い顔だけではなく、ニヤけそうになってしまう口元をおさえるのも大変だ。
今の私の顔を見られたら、絶対変に思われる……!
恥ずかしい!
そんな事を考えながら、ルイード皇子の後ろをついて歩いて行った。