16 ノア皇子の不思議な感情
ルイード様とキスしちゃった!!!
いきなりの展開に耐えきれなくなり、何も言わずに教室を飛び出してしまった私は、誰もいない廊下でしゃがみ込んだ。
走ったからか元からか、心臓がバクバクと早鐘を鳴らしている。
緊張のとれていない私の手は、小刻みに震えていた。
「う、うそ……」
今起きた事は本当に現実……?
あのルイード様が、いきなりキスしてくるなんて……もしかして夢?
そんなことを考えてしまうが、唇にはしっかりと先程の感触が残ったままである。
夢じゃない。現実だ。
顔がこれ以上は赤くならないのでは!? というほど赤くなっている気がする。
頭の先から足の先まで、全身がカッカしてるくらいに熱い。
うあああああ。これって私、ファーストキスだよね!?
ルイード様と!! あのルイード様と!!
ああああ。もうどうしよう!!
恥ずかしすぎて頭が爆発しそうなんですけど!!
こ、こんな状態で講習なんて受けられない……!
ごめんなさい!!
私は初めて講習をサボることに決め、すぐに図書室へと向かった。
担当者にも何も言われないし、静かで落ち着ける場所といったら図書室しかない。
中に入るなり、私は1番奥の棚の前まで歩いて行った。
私が整理しているこの棚のある通路が、この中でも1番安らげる場所だ。
誰もいないからと、そのまま床に座り込んで一息つく。
「ふぅ……」
「わあ……令嬢が床に座ってるのを初めて見た」
「!?」
声のした方を振り返ると、ノア皇子が私を見下ろす状態で横に立っていた。
貴族令嬢としてあるまじき姿を見せてしまった! と慌てて立ち上がろうとしたが、ノア皇子はすでに興味がないような顔でその場に座った。
「もしかしてサボり?」
「……ノア様こそ、今日もサボりですか?」
「だって実技講習とか面倒なんだもん……」
心底めんどくさそうな顔をしたノア皇子は、頭を本棚にコツンと当ててそのまま寄りかかっていた。
この人にとってめんどくさくない事ってあるのだろうかと疑問に思う。
「リディア……顔が赤いけど、何かあった?」
「!!」
顔の赤さを指摘されて、両手で頬を隠す。
しかしその様子を見ていたノア皇子は、少し笑いながらさらに食い付いてくる。
「あっ! もっと赤くなった。おもしろい」
「……ノア様……」
「なにがあったの?
そこまで赤くなるって、ちょっと気になる……」
ノア皇子の変な興味スイッチに触れてしまったらしい。
めずらしくノア皇子がたくさん質問してくる。
「なんでもないです」
「えーー……何で隠すの……?
…………あっ。もしかしてルイード様と何かあった?」
「!!!」
「……リディア、わかりやすいね」
自分がどんな反応をしたのかはわからないが、ノア皇子の呆れたような表情を見れば、思いっきり顔に出てしまったのだという事はわかる。
心を落ち着かせたくて図書室に来たというのに、何故私は今、心を乱されているのでしょうか……。
「ルイード皇子と……何があったんだろうね?」
「ノア様……おもしろがるのはやめてください……」
「…………おもしろがってないけど」
ノア皇子は、一瞬間があいてからボソッと言った。
その答えに皇子自身も不思議に思っているようだった。
「……? でもさっき、おもしろいって言ってましたよ」
「うん……。なんでだろう……最初はおもしろいと思ってたのに。
原因がルイード様だってわかったら、おもしろくなくなった」
「…………?」
その後いきなりノア皇子がジーーーーっと見つめてきたので、思わず身体を後ろに引いてしまった。
少し不機嫌そうで、どこか納得のいかないような、変な顔をしている。
「ねぇ……何でおもしろくないんだろう?」
「……そんなこと私に聞かれても知りませんよ」
「……だよね。俺もわからないや。
……まぁいいや。眠いから寝よ」
ノア皇子はそう言うと、いつもの長ソファへと歩いて行った。
不思議な皇子だとは思ってたけど、本当に何を考えてるのかさっぱりだわ……。
私が図書室を出る時にも、ノア皇子はずっと眠り続けていた。
ノア皇子が寝た後は1人でゆっくりできたので、赤かった顔やうるさかった心臓もだいぶ落ち着きが戻っている。
とりあえず荷物を置いていた教室に行こうと廊下を歩いていると、誰かがものすごい勢いでこちらに走って来るのが見えた。
……ん!? 誰!?
こんなにバタバタと廊下を走る令嬢なんていないはず……。
そう思いながら様子を見ていると、その令嬢がマレアージュだと気づく。
彼女らしからぬ行動に驚きが隠せない。
ポカンとした顔で立っている私に向かって、マレアージュは怒ったように叫んでいる。
「リディア様!! どこに行ってらしたのですか!?
この一大事に!!!」
「い……一大事?」
マレアージュは私の目の前に来ると、ゼーゼー息を切らしながら私の肩をガシッと掴んだ。
目が血走っているマレアージュの顔は、「ひぃぃ」と悲鳴をあげたくなるくらい恐ろしい。
「どっどうしたの!?」
「カッ……カッ……」
「蚊?」
「カイザ様がっ……この学園にいらしていますの!!」
「えっ!? カイザお兄様が?
どうして……」
「そんなの、英雄騎士様だからに決まっているでしょう!!」
普段は淑女として徹底しているマレアージュが、廊下を走ったりするほどの大興奮をしている理由がわかった。
「カイザ様ほどの素晴らしいお方が、講師にならないなんておかしいとは思っていましたのよ。
人に教えを乞うのであれば、やはりカイザ様くらい完璧なお方でなければいけませんわ」
……その相手がカイザという事だけは、理解してあげられないけど。
「でもどうしてその情報が……?」
「先程の講習をされていた方から伝言を預かったのですわ。
全ての講習が終わった後、カフェテラスを用意させるから来るようにと」
まさかカイザが無理矢理そんな場を作らせたんじゃないわよね?
わざわざ妹と会う場を作ってもらうって、普通? 普通じゃない?
興奮が少しだけ落ち着いたのか、マレアージュがキラキラした瞳で私を見つめている。
羨ましいと思われているのが全身から伝わってくる。
「……マレアージュ様も一緒に行きますか?」
「えっ! い……いいんですの……?
でも感動の兄妹再会に私がいてはお邪魔では……」
「大したことない再会だから大丈夫!」
マレアージュの顔がパァァと輝いたと思ったら、いきなり真っ青になった。
情緒不安定のマレアージュは、見てておもしろ……かわいい。
「でも私、お顔を叩いてしまったあの日以来なのですわ。
どんな顔でご挨拶をすればいいのか……」
「大丈夫! カイザお兄様は(脳筋だから)きっと覚えていないと思うわ」
「そうかしら……」
カイザに会うのは不安だけど、それでも会いたいと思ってるマレアージュの気持ちがよくわかる。
ルイード様に次会ったらどんな顔をすればいいのか……恥ずかしくて困るけど、それでも会いたいって思ってる。
不安そうなマレアージュに自分を重ねながら、2人で一緒にカフェテラスへ向かっていると、ばったりカイザとルイード皇子に遭遇してしまった。
想像以上に早いルイード皇子との再会に、足がピタリと止まる。
皇子も驚いているのが表情でわかる。
え。何でルイード様もいるの。えっ。もしかして一緒にお茶するの?え、本当に?え、無理なんだけど。まだ顔合わせながら普通に話せる精神状態じゃないんだけど。しかも兄の前であの時のこと思い出すのとか恥ずかしいし。無理だよ。ムリムリ……。
頭の中でパニックになった私は、気づけばその場から走り出していた。
「リディア様!?」という私を呼ぶ声にも答えずに走って逃げ……ようとしたが、秒でカイザに捕まってしまった。
いや!! 速すぎでしょ!?
ちょっと離してよーーまだ心の準備が!!
「では、俺は用事があるのでここで……また明日」
「えっ……」
私がカイザとの攻防を繰り広げていると、ルイード皇子が悲しそうな顔で言った。
落ち込んでいる姿に、胸がズキッと痛む。
ルイード皇子は一瞬だけ目が合うと、すぐにそらして行ってしまった。
どうしよう……! 顔を見るなり逃げ出したりしたから、傷つけてしまったのかも……。
皇子の悲しそうな顔が頭から離れない。
さっきまでドキドキしていた胸が、苦しいくらいのズキズキという痛みに変わっている。
皇子を追いかけたい気持ちが押し寄せてくるが、会えてもきちんと話せる自信がまだない。
「どうしたんだ、大丈夫か?」
「…………うん」
「全然大丈夫に見えないぞ!?
抱えて医務室に連れて行こうか?」
「それはやめて」
心配してくれてるカイザを見て、どこか安心している自分がいる。
私の中で、兄の存在って意外と大きかったのかもしれない。
また私が突然走り出すのではと警戒しているカイザと、「お優しいですわカイザ様……」と小さな声でブツブツ言っているマレアージュと一緒に、私は皇子とは反対方向に歩き出した。