15 ルイード皇子視点
リディアがダンスをうまく踊れる自信がないと言うので、昼食のあと俺達は空き教室でダンスの練習をすることにした。
エリン皇女がついて来る事もなくなったし、久しぶりに2人でゆっくりできるのが嬉しい。
……ダンスの練習なら、自然とリディアと触れ合う事ができるし。
そんな俺の下心に気づかないリディアは、しっかり練習しようと気合を入れている。
一生懸命なその姿に心が温かくなる。
「まずはゆっくりと踊ってみよう」
「はい。よろしくお願いします」
俺が手を差し出すと、リディアが細くて小さい手をそっと重ねてきた。
う、わ……!
ただ手が重なっただけなのに、リディアから触れてきてくれたというだけで何かが込み上げてくる。
そのまま反対の手を腰に回すと、一気に距離が近くなった。
目の前にあるリディアの髪からいい香りがして、一瞬足がもつれかけてしまった。
こ、これは……!
かなり気合入れないと色々とまずいぞ!
気を抜いたらすぐに抱きしめてしまいそうだ……!
リディアとは一度踊った事があるし、大丈夫だと思っていたが……大勢の前で踊るのと2人きりで踊るのでは全然違う。
誰もいない場所でこの距離感は危険だ。
俺がこんなことを考えていると、気づかれていないだろうか。
ふと心配になり、リディアの顔をチラッと確認してみる。
真正面からではないが、リディアの顔も真っ赤になっているのが見えた。
よくよく意識してみると、身体も少し硬くなっていて緊張しているのがわかる。
もしかして、リディアも俺との距離に緊張してくれているのか……?
淡い期待が胸に押し寄せてくる。
リディアは何度もステップを間違えているが、焦っている様子が伝わって来るほど俺の期待が大きくなっていく。
「ごごごめんなさい……!」
「……大丈夫だよ」
真っ赤になって焦っているリディア、可愛すぎる……!
ダメだ、口元が緩んでしまう! 堪えろ!
俺はすぐに緩みそうになる口元をぎゅっと閉じて必死に耐えた。
そんな時、突然顔を上げたリディアと目が合う。
「ルイード様……怒ってますか?」
不安そうなリディアの言葉に、思わず素で驚いてしまった。
「え!? 怒ってないよ!」
「で、でも……」
リディアは泣きそうな顔で俺をジッと見つめている。
まさか、今のこの堪えた顔が誤解を与えてしまったのか?
正直に言っていいものか悩み、俺は足を止めて彼女から視線を外した。
「……怒っているように見えたのは、口元が緩まないように気をつけてたからだと思う」
リディアの不安を取り除きたくて、正直に伝えることにした。
だがこれだけではうまく伝わっていないらしい。
「リディアが赤くなっているのが嬉しくて……。
俺のこと、意識してくれてた……?」
「えっ……」
思わずリディアの気持ちを確認するようなことまで言ってしまった。
彼女は返答に困っているが、さらに赤くなったその顔にまた期待する気持ちが湧いてくる。
どっちだ……? ただ照れているだけなのか?
それとも、本当に俺を意識してくれてる?
「あ、あの……」
「うん」
「…………え、と」
「……俺の勘違いかな」
言いにくそうにしているリディアの顔に、先程まで持っていたはずの自信が一気になくなった。
彼女の口から直接言われるのが怖くなり、自分から先手を打ってしまう。
ところが、俺の言葉を聞いた彼女は焦ってそれを否定してくれた。
「か、勘違い……じゃないです」
「!!」
俺の目を真っ直ぐに見つめて、恥ずかしそうに小さな声でそう言ってくれた。
初めて見るリディアのその表情に、心臓がドクンと大きく鳴った。
可愛い……嬉しい……可愛い……。
リディア……。
腰に回していた手に力を込めて彼女を自分に引き寄せる。
そして俺はその小さくて可愛い唇にキスをしていた。
俺の腕に触れていたリディアの手が、ギュッと服の裾を握ったのがわかった。
静かに唇を離して彼女を見ると、薄いブルーの瞳が大きく見開かれている。
ポカンとした表情で俺を見つめている。
なんだ……?
なんでリディアはこんなに驚いた顔をしているんだ……?
だんだん自分の頭が冴えてくる。
さっきまでは、夢心地のようなふわふわした感覚だった。
…………ん? …………あれ?
俺、今なにをした……?
リディアにキスをしてなかったか……?
「…………え?」
唇には、まだ柔らかな感触が残っている。夢じゃない。
リディアにキスをしてしまった!!!
「!!」
バッと慌ててリディアから手を離し、数歩後ろに下がった。
ポカンとしていたリディアの顔が、どんどんと赤くなっていく。
きっと俺も同じくらい……いやそれ以上に赤くなっているはずだ。
心臓が驚くほど速くバクバクいっている。
「リ……リディア……」
「…………っ」
リディアはふいっと顔を背けて視線を外したかと思うと、突然走って教室から出て行ってしまった。
「あっ……!」
手を伸ばし追いかけようとしたが、ピタリと止まって思い直す。
追いかけてどうする。何を言うつもりなんだ。
ごめんなさい!?
ついしてしまいました!?
……何を言っても最低な男じゃないか。
というか何をやってるんだ俺は!?
相手の同意も得ず、はっきりと好意を伝えられたわけでもないというのに、いきなりキスしてしまうなんて……!
皇子……いや男として失格だ。最低だ。最悪だ。
まさか自分がこんなに理性の保てない男だったとは。
リディアにどう詫びればいいんだ……。
1人取り残された俺は、頭を抱えて座り込んでしまった。
リディアに嫌われてしまったのではないかという不安が、胸を押しつぶしてくるようだった。
次の講習は剣術訓練だったため、男女別であったのが救いである。
今のこの精神状態では、とてもじゃないがリディアの隣に座る事はできそうにない。
きっとリディアもホッとしていることだろう。
ボーーっとしながら訓練場に立ち、講師がやって来るのを待っていると、突然肩を強く叩かれた。
何事かと振り返ると、目の前には立派な騎士の姿をした若者が立っている。
赤褐色の髪にキリッとした濃いグリーンの瞳、長身にガタイの良い体格。
リディアの兄であるカイザが、笑顔で俺を見ている。
「カイザ!」
「久しぶりですね! ルイード様!」
「どうしてここに……」
「そりゃあ国の英雄騎士として、講師役で呼ばれたんですよ」
周りにいる貴族子息達からの崇めるような視線を感じ取っているのか、カイザが嬉しそうに答えた。
「リディアは元気ですか?
俺が来たって知ったらどんな反応するのか楽しみだなー」
突然出たリディアの名前に、先程のことを思い出し身体が硬直してしまう。
まさかその後すぐに、勝手にキスした相手の兄に会うとか……どんな拷問なんだ。
今俺は心の中で何度もカイザに向かってごめんなさいと言ったぞ……!
「この講習が終わったら、リディアのところに行くつもりなんだが……ルイード様もどうですか?
女子寮には行けないし、俺の講習はリディアは受けられないからと、特別にカフェテラスを用意してくれるそうだ」
「そうなのか。それは行きたいが……今日はやる事があるのでやめておこう」
「そうですか」
カイザは特に気にした様子もなくあっさりと了承すると、前に移動して自己紹介を始めた。
英雄騎士であるカイザは他国でも人気らしく、今までに見た事がないほどみんな盛り上がっている。
騎士を目指している者の中には、感動して泣いている者もいるくらいだ。
いつもはエリックにバカにされているカイザだが、実力だけは確かだからな。
もしカイザを本気で怒らせたなら、止められる者などそうはいないだろう。
……俺も気をつけなければ。
講習を受けているうちにだんだんと冷静になってきた俺は、先程のカイザの提案を断ったことを少し後悔していた。
俺もリディアに会いに行きたい……だが今この状態でカイザの前で会うなんて無理だろう。
きっとお互い不自然な態度になってしまうに違いない。
でも、リディアに会いたい。
講習後、俺は途中まで一緒に……と、カフェテラスの場所までついて行くことにした。
カイザと並んで歩きその場所に向かっていると、途中でばったりリディアと遭遇してしまった。
まだ心の準備ができていなかった俺は、「あっ」と言って思わず数歩後ずさりしてしまう。
同じように俺がいると思ってなかったであろうリディアも、驚いてピタリと立ち止まっている。
……と思ったら突然リディアが走り出した。
一緒にいたマレアージュ様が「リディア様!?」と叫んでいるが、止まらない。
しかしすぐに後を追いかけたカイザに捕まっていた。
「どうしたんだリディア!?」
「い、いえ。なんでも……」
「なんでもないヤツが何で逃げるんだ!?」
「…………」
顔を赤くして返答に困っているリディアを見て、俺は早くここから去った方がいいと思い、口を挟んだ。
「では、俺は用事があるのでここで……また明日」
「えっ……」
リディアがパッと俺の方を向いてくれたが、そのまま後ろを振り返り戻って行った。
頭の中は、俺を見て走って逃げた先程の映像が流れ続けている。
逃げられた……!
あんな走って逃げるほど、嫌だったのか……!
どうしよう。どうしたらいいんだ。
きちんと話せばいいのか?
でも話すと言っても何を?
やはりしっかりと謝らなければダメだよな?
だけど俺の話を聞いてくれるだろうか?
自業自得とはいえ、逃げられたショックで頭が働かない。
リディアに嫌われてしまったらどうすればいいんだ……。