14 …………え?
扉を開けると、廊下には頬を膨らませているエリン皇女と、同情するような顔をしたマレアージュが立っていた。
私達の姿が見えるなり、エリン皇女がキャンキャンと可愛らしく文句を言ってくる。
「もう! ルイード様ったら!
まさかいきなりリディアを拉致なさるとは思いませんでしたわ!」
「拉致とは……ただのかくれんぼですよ」
ルイード皇子が爽やかな笑顔で流す。
一応目的が達成できたからか、最近はイライラが少し態度に出ていた皇子に余裕さが戻っている。
その皇子の様子にピンときたのか、エリン様が目を細めて睨むように訊ねてきた。
「まさか……この場所でペアのお誘いをされたんですの!?」
「ええ」
堂々と答えるルイード皇子に、エリン皇女は目を丸くしてからはぁーーと大きなため息をついた。
片手で頭を押さえていて、予想外の行動に呆れているようだ。
「ルイード様って意外と我慢できない方なのですね。
あと3日経ってもダメそうであれば、解放して上げるつもりでしたのに……」
「え?」
「私やリディアを狙っている男性はたくさんおりますのよ?
私達が早くペアを組まなければ、他の方々が動けないのですわ。
あと3日が限度だと思っていたのですが、まさかこんな場所でお誘いするほど焦っていらしたなんて……」
エリン皇女は、まったく……と呆れた果てた口ぶりだが、どこか不機嫌そうな空気も漂っている。
あと3日で解放される予定だったと知った皇子は、呆然と立ち尽くしている。
なら無理にこの場所で誘う必要はなかったのに……! とか思っていそうね。
後で、場所は全然気にしてないって伝えてあげよう。
皇子が素敵すぎて、ただの準備室が満天の星空の下かと錯覚するほどだったし。
「エリン様……本当は、最初からお2人にペアを組ませて差し上げるおつもりでしたのね」
感動した様子のマレアージュがそう言うと、エリン皇女はキョトンとした顔でそれを否定した。
「え? 私は最初から本気でルイード様の心変わりを期待していたわよ?
ただ、もしダメだった時のことも考えておいただけ。
実際に私にはすでにペアのお相手もいますし」
「え!? もうペアが決まっているんですか!?」
私とマレアージュが同時に叫んだ。
「そうよ。ルイード様が私と組んでくだされば、断るつもりでしたが、彼と出る事にするわ。
もう少し貴方達を邪魔していたかったのに……」
にっこりと、相変わらず悪びれもせずに言うエリン皇女。
それって……キープしてたってことだよね……。
さすがエリン皇女……。
まだ相手が決まっていないマレアージュは、別の意味でショックを受けているようだった。
「私もなんとかしなければ……」とブツブツ言っている。
ルイード皇子は、安心したような……でも少し怒っているような、複雑な顔でエリン皇女を見ていた。
その日の夜、私は昼間のことを思い出してはベッドでバタバタと悶えていた。
やっとルイード皇子とペアが組めた嬉しさと、誘われた時の皇子のカッコ良さが他のことを考えさせてくれない。
ここに来て初めてと言うくらい幸せな気分だった。
あーー良かった! 無事にルイード様とペアが組めて安心したわ。
あの時のルイード様、本当に皇子様って感じで素敵だったなぁ……。
最終日のダンスパーティーが楽しみだわっ。
ダンス……パーティー……。
…………あれ?
なんかこの世界に慣れて普通に受け入れてたけど、私……ダンス……踊れなくない!?
数ヶ月前に、王宮パーティーで踊れるようにって練習したけど!
その時にルイード様と一度踊っているけど!
もうすっかり忘れちゃってるわよ!!
どうしよう!!!
エリン皇女とかはきっと上手に踊るよね……。
他の令嬢達だって、みんな上手なはず……。
私はベッドから飛び起きて、思い出せる限りのステップの練習をしようとポーズをとった。
エアーの相手がいると思って、腕を前に出す。
「…………」
その状態のまま、私は固まった。
ステップどころか最初に右足を動かすのか左足を動かすのかさえ思い出せない。
「や……やばすぎる……」
どうしよう!? 先生もなしに練習なんてできない!
でも、この年でダンスができないなんて言ったら、コーディアス侯爵家の名誉が……!
マレアージュやエリン皇女には言えない!
ダンスが踊れなくて恥をかくのは私だけじゃない。
パートナーのルイード皇子の評判だって下がってしまう。
ルイード様のためにも、絶対に失敗はできないわ……!
半泣き状態になりながら、私は思い出せるだけのステップを練習して夜を過ごした。
「はぁぁ……」
「ため息ついてどうしたの?」
講習中、隣に座っているルイード皇子が小さい声で話しかけてきた。
昨日まで私の横に張りついていたエリン皇女は、もう邪魔する必要がなくなったからか……以前のように男性に囲まれて座っている。
久々に2人で講習を受けられているというのに、無意識にため息をついてしまった。
こんな態度、相手に嫌な思いをさせてしまうはず。
そう思ったが、ルイード皇子の表情に不快の色はなく、ただ心配しているようにしか見えない。
優しいルイード皇子に、今日も癒される……。
「い、いえ。なんでもないです」
「なんでもなさそうには見えないけど。何か悩んでるの?
もしかして……ペアになるのが本当は嫌だったとか……?」
「ちっ違います!」
子犬のようにシュンとしてしまった皇子を見て、慌てて否定する。
ダンスができないなんて恥ずかしくて言いたくないけど、でも誰かに教わらないといけないのなら……ルイード様しかいないわ。
ここは正直にお願いするしかない……!
「実は……私、ダンスが……踊れないのです……」
小さな声でボソボソと打ち明けると、ルイード皇子は目を丸くしながら聞いてきた。
「え? ダンスって……リディアは踊れるじゃないか」
「王宮のパーティーの時は、たくさん練習したのです……。
でも、もうそれも……その……」
「…………」
あああ。忘れたなんて、言いにくい!
恥ずかしすぎる!!
私が言い淀んでいると、ルイード皇子がニコッと笑顔になった。
爽やかな風が吹いたと錯覚しそうになるほど眩しい。
「じゃあこっそり練習しようか、2人で」
「え……教えてくださるのですか?」
「もちろん。エリン様もついて来なくなったからね」
「……! ありがとうございます」
私が笑顔でお礼を言うと、ルイード皇子も嬉しそうな顔をした。
昼食後、早速私達はダンスの練習をしようと空いている教室にやってきた。
「まずはゆっくりと踊ってみよう」
「はい。よろしくお願いします」
ルイード皇子は優しく微笑むと、スッと私に手を差し出してくる。
その手に自分の手を重ねると、もう片方の手が私の腰に伸びてきた。
一気に皇子との距離が縮まり、そのあまりにも密着した状態に心臓が早鐘を打つ。
あれ!? ダンスってこんなに近いんだっけ!?
ルイード様とは一度踊ったことがあるし、大丈夫だと思ってたけど……えっ、ちょっと密着しすぎじゃない!?
家では主にエリックが練習相手になってくれて、その距離の近さにドキドキしていた記憶はあるけれど、今回はその比ではない。
全然集中できないレベルで緊張してしまっている。
逆方向に動いたり、何度もルイード皇子の足を踏みそうになってしまう。
「ごごごめんなさい……!」
「……大丈夫だよ」
あああああ。もう!
せっかくルイード様が教えてくれているのに!
で、でもドキドキしすぎて、頭が働かないーー。
ルイード様も口数が減ってるし。
私のダンスのできなさ具合に、呆れちゃったのかな……。
恐る恐る顔を上げてみると、ルイード皇子は頬を赤らめ口元をぎゅっと閉じている。
どんな感情なのかがわからず、つい訊ねてしまった。
「ルイード様……お、怒ってますか?」
「え!? 怒ってないよ!」
「で、でも……」
私が皇子の顔をジーーっと見つめると、自分の今の表情に気づいたのか、気まずそうに視線を外された。
さっきよりも顔が赤くなっている。
軽くダンスのステップを踏んでいたが、その動きもピタリと止まる。
「……怒っているように見えたのは、口元が緩まないように気をつけてたからだと思う」
「……?」
「リディアが赤くなっているのが嬉しくて……。
俺のこと、意識してくれてた……?」
「えっ……」
直球な質問に、顔がボッと火照ったのがわかった。
少し遠慮がちに……でも真っ直ぐに見つめてくる皇子の瞳から、目が離せない。
どうしよう。なんて答えればいいの?
意識……しまくってましたけど! なんて、正直に言うの恥ずかしい。
そんなの、告白してるのと同じじゃん……。
もう自分の気持ちには気づいてる。
以前とは違う目でルイード様を見ている自覚はある。
でも、まだ伝えるのは恥ずかしい……。
「あ、あの……」
「うん」
「…………え、と」
「……俺の勘違いかな」
「!! ……か、勘違い……じゃないです」
私がそう言うと、腰に当てられていた皇子の手に力が入ったのがわかった。
グイッと身体が引き寄せられる。
皇子の綺麗な顔が近づいてきたと思った瞬間、唇に柔らかい感触がした。
ルイード皇子にキスされている。
!?
…………え?
唇が離れて、皇子の艶かしい瞳と見つめ合う。
頭の中が真っ白になっていた私は、きっとポカンとした間抜け顔をしていたはずだ。
私を見る皇子の目が、だんだんと大きく見開いていく。
色っぽく見えていた皇子の顔が、いつもの可愛い皇子の顔に戻っていく。
我に返ったルイード皇子が、私と同じようにポカンとした顔で呟いた。
「…………え?」