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黒狼と幼妻  作者: 霜月さいき
2/6

黒狼は来し方を懐かしむ


私がかの【砂糖菓子姫(レディ・コンフィズリー)】と出会ったのは、半年ほど前のひどい嵐の夜だった。


「毛布をこちらに!」

「誰か倉庫から暖炉をもう一台持ってきてくれ!」

「怪我人を優先してこちら側へ!」

その日は近年稀にみる天災で、川の水位がせり上がり、橋が決壊して民家の一部から水没被害が出ていた。本来の管轄とは外れるが、別任務で駐屯中だった私は救助要請の依頼を受けて、部隊を率いて街の救援にあたっていた。緊急避難場となっていた高台の教会へ、被害にみまわれた人々を次々と避難させていたのだ。

教会内には近くの病院から看護団が派遣され、慌ただしい声が飛び交っている。

雪解けから間もない季節の嵐だ。吹き付ける雨粒は氷を投げつけられるかのように冷たく、容赦なく体温を奪っていく。日頃、訓練された軍人ですら根をあげたくなる寒さだった。膝まで泥水に浸水され、ぶ厚い軍靴の中で指先の感覚がなくなっていく頃、ようやく救助を終えて一息つけるかというところだった。

「お疲れ様です、ティルグナード卿。このようなものしかご用意できませんでしたが…」

白髭を蓄えた神父が、保存食用の堅焼きパンと白湯を用意してくれていた。傍でみていた部下たちからも、ようやく休めると安堵の息が漏れる。

「ありがとうございます、お心遣い感謝します」

部下に配給を任せ、私は一度、被害状況の確認に乗り出そうとした時だった。

「触るんじゃねぇ!薄汚いヴァーニトス人が!!」

荒々しい男の怒鳴り声と、銀食器が床に叩きつけられるけたたましい音に、一気に視線が集まった。

何事かとそちらに足を向ければ、怪我人のために敷かれた麻布で半身を起こしていた男が、シスターに向かって鼻息荒く怒鳴りつけていた。ひっくり返った銀食器からポタージュがこぼれて、布を湿らせていた。男は片足を怪我しているようで、立ち上がりこそしないものの、興奮状態でなおもシスターに罵声をあびせる。

「奴隷の末裔が俺に施しを与えようなんて、ふざけるんじゃねぇ! 馬鹿にしてんのかっ!」

「そのようなことは…っ」

「うるせぇ!奴隷が口答えするなっ!」

「おやめください、ミスター。神の御前ですよ。それに怪我にも響きますわ」

おびえて半泣きになっているシスターを庇うように、看護師のご婦人が割って入る。病院から派遣されてきた医師団のリーダーだ。穏やかそうな顔をして内心の嫌悪感を上手に隠している。年期の入った慈悲の微笑みはさすがと言うほかない。

「すぐに換えのポタージュを持ってきますから、落ち着いてくださいな。空腹を満たして、眠りにつけば、嵐もあっとういう間に去りますよ」

「うるせぇって言ってんだ!その女の味方しようってか!? 薄汚い奴隷をかばうってのか!?」

奴隷奴隷と繰り返す罵声に、周囲の人間はうんざりしていた。男が言うようにシスターがヴァーニトス人なのは容姿をみれば明らかだ。小国のヴァーニトスは長らく我がリーヴェタニア王国の植民地だった過去がある。同盟国となって奴隷制度は廃止されたものの、いまも社会では奴隷として不当な扱いを受けているのを取り締まりきれずにいるのが現状だ。だから選民意識が拭えず、度々こういった目に余る差別が減らない。

栄えあるリーヴェタニア王国の民がこれでは、どちらが薄汚いというのか。軍人として騒ぎの仲裁に入ろうとした私だったが、突如、カァンっ!と響いた床を打ち付ける杖の音に、踏み出した足が止まった。

「――やめよ!」

次いで場を律した叱責に、室内はしんと静まりかえる。

場を震わせた言葉の圧よりも、その声の音があまりにも・・・そう、あまりにもセリフとかみ合っていないほど可愛らしかったので、不自然さに目を丸くする。声のした方に目を向ければ、裏手口側の扉の前に、その人物はいた。

一瞬、士官学校の生徒かと思ってしまったのは、白を基調とした軍服を身に纏っていたからだ。

私が身につけているものとデザインはそう変らない。違う箇所といえば腰から下が膝丈のスカートのデザインであることと、私の方が黒を基調としていること、それから目深なフードをかぶって顔の半分が隠されているということだった。見慣れたデザインの見慣れない色合い。違和感はそれだけではない。

本来、左胸に着用されるべき階級章の部分には、猫と剣をモチーフにした凝った意匠が施されていた。王家直轄の特務部隊とも違うその階級章はまったく覚えのないもので、所属部隊が定かでなかった。

声の主は雨水を吸ってくたびれたフードをめくりあげることもなく、颯爽と騒ぎの中心に進み出る。その後ろに赤毛の少年従者が影のように付き従っていた。周囲がぽかんとするなか、少年従者がわざとらしく咳払いをすれば、弾かれたように看護師長が、神父が、罵声を受けたシスターや、騒ぎを見守っていた他のシスターや看護師たちが一斉に頭を下げる。声の主は鷹揚に手を翳してそれらを制した。

「お嬢、来訪に気づかず申し訳ありませんでした。御前でとんだご無礼を・・・」

「よい。物資を届けにきただけじゃ。それよりも・・・」

ちらっと、少女が怒鳴る男を見下ろす。こちらからはその素顔を拝むことは出来なかったが、男がバツの悪そうな顔で舌打ちしたのはわかった。ひとまわりも小さな相手に気圧されているのは明らかで、それでも矜恃のためか睨むことをやめない。真っ向から視線を受け止めながら、フードのふちにしたたる雨粒を細い指先でそっと払う少女のくちから、呆れ混じりの溜息が落ちる。

「今夜はかような嵐で、おぬしは怪我もしたとあって、心が荒む気持ちもわからんではないが、若い娘相手に粗暴が過ぎるのではないか?」

「・・・っるせぇ!奴隷がいっぱしの人間面してんのが気に食わねぇんだよ!」

「がなるな、傷に障るぞ」

「い゛だっ!!」

うんざりした様子で、空気を切った杖が男の怪我をした方とは逆の足を打った。ふくらはぎを叩かれた男がその場でもんどり打つ。

「何すんだ、ガキっ!」

「威勢がよいのう。けっこうけっこう」

「いで、いで、痛エっての!やめろ!」

悪し様に吠えられても彼女は一向に気にもとめず、繰り返しバシバシと杖を振り下ろす。叩く音は大きいが、実際は加減されていて、それほどのダメージがないのがまた凄い。急所のすねを避けているのがいい証拠だ。軽快なリズムで何度も足を打ちながら、コロコロと鈴が鳴るように笑う。

「見たところ、そっちの足は捻挫かのう? こっちの足も同じくらいの傷を与えておけばおとなしく夜明かししてくれるか? いやはや、誇り高きリーヴェタニア王国の真摯たるもの、そんな愚かな真似は必要ないか? ん?」

くるりと杖を一回転させる。絶えず打撃を食らった男はその杖の動きに、肩をびくりと跳ねさせた。男の全身から怒気はすっかり削がれていた。そんな様子を見届けた彼女は、杖に両手を添えて静かに告げる。

「・・・・・・そなたにはそなたの思想があり、理想がある。それを否定はせん。けれど、同じくこちらの少女にも心があることを忘れてはならぬ。人間面ではない。彼女もまた知性ありし人間なのじゃ。そなたの中に知性があり、良心があるのなら、むやみやたらと傷つけることの意味を、いまいちど考えよ」

その声音に怒りはなく、ただただ静謐さだけが滲んでいた。

心にすとんと落ちてくる言葉だった。単に叱られたと思えない何かが宿っている。神の御使いがその善を説くような、ありがたい啓示を与えてくださるような・・・、そんな言葉に場の空気が凪のように静まりかえる。

男は毒気を抜かれて押し黙る。そのままシスターに謝罪の一言でもあればよかったのだが、そこまでは歩み寄れなかったようで、複雑そうに顔をしかめながら毛布にまるまって完全に場の空気から自分を切り離した。褒められた態度ではないが、これ以上の騒ぎを起こす気はないようで、ひとまず安心してよいのだろう。

そんな男の態度に少女も思うところはありそうだったが、肩を竦めるだけでとどめていた。フードの下で苦笑する気配があったあと、看護師長に向き直る。

「重傷者はおらんと聞いておったが、その後も急ぎ王立病院に運んだ方がよいものはおらぬな?」

「問題ございません」

「うむ。では、看護師長殿にあとのことは任せる。神父殿、物資の確認をしていただきたい。裏門に積み荷を運ばせているので確認してくれ」

「承知しました」

「ああ、それから・・・・・・ララウェルや、お前もこっちにきて手伝ってくれ。物資の中にワインも積んできたから、温めてみなにふるまっておくれ」

「は、はい、お嬢っ!」

ララウェルと呼ばれたのは渦中に放り込まれていたヴァーニトス人のシスターだ。この場に残されても気まずいだけだから、少女が気遣って逃げ口を作ったのだ。その尊い優しさに、私は感服した。

少女は迅速に歩き出し、少年従者たちを伴って裏口に消えていった。

ほとんど好奇心のままに、その後ろをこっそり追いかけた。砂糖菓子のような甘ったるい声音で紡がれる老人のような口調が、私の心を掴んで離さなかったのだ。声だけではない。あの小柄な身体から滲む凛とした空気がたまらなく胸を打った。この心を鎮めることは出来ない。

それに軍服を身につけているのに顔を隠している理由も気になる。この短時間のやりとりを見て、あくどいことをしようという雰囲気でないのはわかったが、それでも所属不明部隊は問題だ。私とて王家の特務部隊の存在は認知しているのだ。それ以外に知らない部隊があるとも思えない。

廊下を出てすぐの階段の角に身を潜め、様子をうかがう。

少女は手元の書類に目を落として神父と話をしていた。何を話しているかは聞き取れないが、追加の毛布や食料についてだろう。あれこれ話していた少女だったが、文字を読むのに目深なフードが邪魔になったのだろう、まるで猫が不機嫌にうなるように喉を鳴らして、細い首をふるふると揺らしフードをめくりあげた。

――天使がいた。

晴れた雪原を思わせるほのかに青みがかった銀髪と、艶やかに透きとおる黄水晶(シトリン)の大粒の瞳。老々とした台詞が紡がれるとは信じがたい小さな唇はほんのりピンクに色づいている。色白な頬と小さな鼻は、ここに来るまでに雨に濡れていたためか朱をさしていた。可憐だとか、愛々しいだとか、そんな言葉で表現しきれない存在がそこに顕現されていた。その背に白い翼が見えたのは気のせいではない。天使がそこにいた。いや本当に。

「日を改めて、男爵様にもお礼に伺います。お嬢も、悪天候のなか我々のために有り難うございました。心よりお礼申し上げます」

「よいよい、そんなものはいらん。こちらよりララウェルたちを気遣ってやってくれ。ああまであからさまな暴言は減ったろうが、差別的な空気はなかなか風化しないものだ。口惜しいことじゃ」

「それでも、昔に比べればずっと生きやすいですよ。お嬢や男爵様あってのことです。彼女たちもきっと感謝しております」

「よせ、面映ゆいわ。わしはわしの仕事をしているだけなのだからの。たいしたことはしておらんよ。・・・・・・ふむ、これで全てじゃな、明日また改めて視察にくるのでよろしく頼む」

「承知しました」

「――お嬢・・・」

「うん? どうかしたか?」

それまで黙ってやりとりを見守っていた少年従者が静かに口をひらいた。少女に話しかけながらも、油断なく気配を探る様は、少年がただの従者でないことを物語っていた。立ち振る舞いから普通の子供でないことは察していたが、こちらの存在に勘づかれるとは予想外だ。私は少年従者に近づかれる前に、油断なくその場から立ち去った。

「・・・・・・いえ、気のせいです。帰りましょう、親方様が心配します」

敵意を感じさせなかったのが幸いしたか、少年従者はそれ以上の追求はしてこなかった。

後日、私はすぐに天使の身元を調べた。神父が『男爵』とくちにしていたのを足がかりに、領地のリストワール男爵にあたりをつければあとは簡単だった。天使の所属部隊はおおやけにされていないものの、さりとて機密レベルで秘匿されているわけではないのも幸いした。

あの白の軍服はリストワール男爵の私兵部隊だった。

否、それだと語弊がありそうだ。より正確にいうと、港湾都市エ・ギールの独立防衛部隊、リストワール領においてのみあらゆる特権の公使を許可された特務機関だったのだ。事業で忙しい男爵に代わり、現場指揮を彼女が執っているのが現状だった。王家から直々に許可証を賜っているという話だが、彼女がそれを行使することはほとんどないようで、それが更に彼女らの存在を謎めいたものにしていた。というのも、警察や海軍ともきっちり連携を築いているため、天使本人が表立って動くことはめったにないらしい。考えてもみれば、若かりしリストワール男爵はかつて世界大戦を生き抜いた【海神(オケアノス)】の異名をもつ誉れ高い武人だ。海運業に身を置いて一線を退いたものの、海軍からの信頼は厚いだろう。加えて天使には手柄を立てようという気概はなく、ほとんどの手柄は警察と海軍にバランスよく振っているようで、双方との軋轢もなく上手に渡っていた。おそらく王家はそれを承知で、彼女らに権利を与えているのだろう。

権威に驕るでなく、地位に溺れるでなく、陰日向から領民に尽くす姿のなんと理想的なことか。

あの容姿では苦労も多いだろうに、ヒマワリのように天にむかって姿勢を伸ばす様がなんとも美しい。

もっと近づきたい。話をしてみたい。

男爵に直接繋ぎをつけて、愛孫に婚約を申し入れる許可をもらうまで、自分でも驚くほどあっというまだった。男爵は自身が壮健なうちに孫娘の婚姻を済ませておきたい気持ちはあるが、王家との特殊な繋がりがある分、慎重にことを進めたいようで、そのせいでなかなか相応しい相手を見つけられずにいたらしい。

私からの直接の申し入れにも、探る気配があった。それはそうだろう。当家は昔から何人もの宰相や大臣を輩出してきた名家で、王家とも繋がりが深いため、国の中枢に切り込める立場にある。もともと力のある家系に、さらに扱い難い力を有されれば、王政の均衡が崩れかねない。懸念はもっともだ。

私の答えは明白だった。

じゃあ、ひとりの男として、孫娘に求婚してもよいかと許可をもらったまでだ。

嫡男ではあるが、必ずしも跡目を継がなければならないわけではない。私には弟妹がひとりずついる。数年前から他国に領事館の武官として派遣されている弟はまだまだ経験は浅いが馬鹿ではない。いざとなれば後継を明け渡しても、多少、外聞が悪いだけで私としてはなんら問題ない。周りがうるさいだけなら、いずれ収まるだろうと開き直っていた。主君である王太子たちには呆れられそうだが。

思えば二十代も後半になってから、母親から結婚の催促はあったが、歯牙にもかけていなかったのだ。それが、いざ恋に落ちてみれば、自分の性急さに苦笑するばかりだ。

男爵は怪我を利用して孫娘を社交場に立たせて、注目を集めることには成功していたが、誰も彼もが、彼女を幼く可愛らしい令嬢と侮っていた。犬猫を愛でるような態度が私には心底気に入らなかった。彼女の価値はそれだけではない。むしろ内面に秘めた高潔さこそ、最大の魅力だろう。見た目こそ砂糖菓子と称する可憐なものだが、彼女の真価は中身にこそある。私ならあの清廉さを称えて【戦乙女(ヴァルキュリー)】と呼ぶ。その称号が何よりも似合う。

女性がおとなしく家を守るという常識など、つまらない。私が求めていたのは後ろに付き従うではなく、隣りに並び立ち、ともに世界を見聞きしてくれる相手だったのだ。

早く私の腕の中に落ちておいで。

そうなれば絶対に、離しはしない。



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