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黒狼と幼妻  作者: 霜月さいき
1/6

少女は黙して語らず


――幼妻はいいものだ・・・・・・とは、よく聞くものの。


貴族の婚姻において、年の差はさほど重要視されない。家柄や爵位は横においておくとして、花嫁本人に求められるのは社交界に出ても恥ずかしくない教養と、世継ぎを産める健康な身体、そこにプラスアルファとして美しい容姿や、優れた特技などがあればなお良いというだけで。

実際、親子ほど年の離れた夫婦は珍しくもないし、若い夫人と連れだって歩く姿は、独り身の男からみれば羨ましいことこの上ないだろう。

今宵の宴は、そんな年の差婚を果たしたとある貴族の婚約お披露目パーティーだった。優雅な楽の音色に合わせて、色とりどり華やかなドレスが舞い踊る。

主催の伯爵は御年六十を迎える初老のお人だ。お相手は貴族階級ではないが貿易業で成功した一族の箱入り娘さんである。なんと驚くことに婚約者はまだ十代だという。いったいどんな手を使って、あんな若い娘さんを捕まえたのだろう。寄り添う二人の初々しい雰囲気をみれば、政略結婚でないのは一目瞭然だ。少し見つめ合うだけで、照れて微笑みあっている。見ているだけで口から砂糖がでてきそうだ。

目立たぬよう壁際に寄り、ほとんどジュースのような甘いシャンパンを舌で舐め、渋面を作ったわたしに親切な声がかかる。

「エミリア嬢、どうぞこちらのグラスを」

差し出されたグラスに微笑みを浮かべて会釈し、そっと受け取る。先ほどのシャンパンと色味こそ変らないが、炭酸の泡すら消えたそれは、林檎ジュースであるのは一目瞭然で、わたしは一口飲んで顔を崩さないようにするので精一杯だった。うええ、げろ甘。

内心の悪態を悟らせまいと、頬に力をいれて笑みを絶やさないよう取り繕う。グラスをくれた男は、まるで愛玩動物を見るように、慈しみに溢れた眼差しでわたしを見つめていた。

すぐそばにいた何人かの男女も、そっと近づいてきてわたしに挨拶をする。

「ごきげんよう、【砂糖菓子姫(レディ・コンフィズリー)】」

「エミリア様、今宵もなんて愛くるしいのでしょう。今日は御髪を巻かれているのですね、碧のリボンがよくお似合いです」

「お腹は空いておりませんか?なにかお持ちいたしましょう」

―――はじまった。

半ば諦め気味にこっそり嘆息する。ええ、ええ、犬猫のように世話を焼きたくなるのよね、はいはい、わかっていますとも。

わたしを囲う人々の外側からも、ひそひそとこちらを伺う声がする。

あれがエミリア・シーラ・リストワール。青みがかった銀髪と黄水晶(シトリン)の瞳、神秘的な色彩を備えた顔立ちはまだ幼く、しかしその造詣はどこか艶を纏い溢れる美しさを隠しきれていないアンバランスさ、時の流れがここにないような、まるで妖精のようなご令嬢ってね。

褒めてくれてありがとう、特に嬉しくはないです。

社交界デビューして間もないと思われていそうだが、とんでもない。華やかな場が嫌いで、こういった場所に積極的に顔を出さなかっただけで、こちらはもう十七ぞ、来年には立派に成人ぞ。

絶対いま構ってくる人の中には年下も混ざってると思うんですけどね、どうですかね。

あれこれ世話を焼いてくる面々に苦心しつつ、それでもわたしは表面上の笑顔を保ち続けた。こうして慣れない社交場に出てきているのは、ぎっくり腰をやらかして病床に伏せった祖父の名代である。怪我の原因が、いまなら宙返りが出来そうなどと突然言い出して、見事に転倒した間抜けでお茶目な祖父だとしても、面目を潰すことは…まあそうしたところでどうということもないが、なるべくしたくはない。

これだけ聞かせると馬鹿なのではと思われてしまいそうだが、大雑把で豪気な祖父は男爵の地位を賜ったれっきとした貴族である。爵位だけみれば侮られるかもしれないが、祖父は貴族階級にはなんら興味がなく、海運事業を成功させた相当な資産持ちなのだ。今宵の宴に招待されたのは、祖父と伯爵が往年の朋友であったためだ。

わたしとて社交界にはなるべく出席しないようにしてきた。表舞台に出るとその容姿から愛くるしいと褒めそやされるが、いかんせん内面との落差が激しいのだ。事業が栄えて一線を退いたが、もともと海軍あがりの奔放な祖父に育てられたことで、好みも祖父に似てしまったわたしは、甘いものより辛いもの、カクテルよりも渋みの強い麦酒やワインを好んで食す。花より武器、ドレスよりも骨董品、手芸よりも乗馬が得意だし、ロマンス小説よりも兵法書、ダンスよりも武闘が好き。貴族令嬢としてあるまじき・・・というより、見かけ詐欺がひどすぎる。ボロが出て悪評が立つような真似は避けたいので、夜会もお茶会もほとんど顔を出さないようにしていた。

そんな男爵家の孫娘がここ暫く、目撃されたとあって噂はいらない尾ひれとともに広がっていた。

曰く、リストワール男爵は病で伏せって、老い先短いために婿養子を探しているのではないか・・・と。

あってるけれど、あっていない。祖父はめそめそしながらベッドで寝ているが、至って元気である。腰以外。

結婚相手を探しているのも嘘ではないが、わたし個人の意見としてはそんなに焦っているわけではない。いやまあ、根も葉もない噂で当家にいらない虫が寄ってくることは問題といえば問題なので、財産目当てでよからぬ縁談話に追われるぐらいなら、政略結婚でちゃっちゃと片がつくのはむしろ望むところではあるが・・・。

冒頭の話に戻りましょう。

――幼妻はいいものだ・・・・・・とはいえ、それはきちんと男女の恋人同士として見れるのならば、だ。

わたしも成人には届かずとも、立派に淑女として扱われていい年齢である。それにも関わらず、周りは愛玩動物に餌やりでもするように世話を焼くし、可愛い可愛いと他意なく褒めそやし構い倒してくる。声をかけてくる紳士諸君は大勢いるが、そこに恋愛色は一切ない。対等に人間扱いされている気がまったくしない。

妖精国の姫君だから人間界とは時の流れが違うのねと御伽噺のネタにされるばかりだ。わるうございますね、迷宮クラスの童顔ですよ。

政略結婚は望むところである・・・・・・が、そういう後ろ暗い背景より何よりも、わたしと婚姻を結ぶ殿方はこの上ない罪悪感に苛まれるのでしょうねと思わずにいられない。わたしと結婚? ままごとの話? と笑われそうだ。

なにせ近しい年齢の殿方と並んでも、年の離れた兄妹にしか見えない。十代でこれでは、二十代、三十代の面々は更にハードルが高いでしょうよ。犯罪的にみえますよね、わたしもそう思います。でも、きちんと大人なんですよ、なんら問題ないんですよ。下世話なことを言ってしまうと、子供だって作れてしまうんですよ。

失礼、言葉が過ぎました。咳払いをして誤魔化す。

周りから相手にされないのは困るけれど、相手にしてもらえても目的が違うのでは意味がない。

けれど仕方ないことだともわかる。

誰がつけたか【砂糖菓子姫】なんて甘ったるい存在に懸想しようものなら、幼女趣味の危ない人だ、・・・・・・自分で言ってて悲しくなってくる。そんな愛称で呼ばれても、中身はぜんぜん違うなんて口が裂けても言えないけれど。ああ、もう疲れた。うんと渋い麦酒が飲みたい。

くちを開けばボロが出てしまいそうで、喉の病気とふれ回って喋らないでいいように計らっているが、くちに出せない分、笑顔で応え続けるというのもなかなかに苦労していた。

いい加減、疲れてきて周囲を見回すが、折をみて迎えに来てくれるよう頼んである従者が現れる気配は一向にない。あとどれだけ、ここで笑みを浮かべなければならないのか。夜風に当たるフリをして抜け出そうにも、誰かしらが心配してついてこようとするのは明白だ。

どうしたものかと考えあぐねていると、突然フロアがざわめいた。

何事かと視線の先を注視すれば、フロアに現れた人物に周りが色めきだっていた。

取り囲まれていた視界の隙間から盗み見れば、くだんの人物とはっきりと視線が交わり思わず目を瞠る。

シャンデリアの煌びやかな灯も飲み込んでしまう闇色の髪は艶を放って色気が凄まじい。切れ長の目は涼しげなアクアマリンの色をたたえながらも鋭い視線を宿し、感情を悟らせてくれない。冷たい美貌と、キリリとした隙のない佇まいは軍人のそれで、姿勢が良い分、長身の引き締まった体躯を更に引き立たせる。

あれは―――

「ラルフ様だわ。殿下のおられない夜会にお越しになるなんて珍しい」

傍にいた令嬢がほうと熱っぽい溜息とともに答える。

そう、そうだ。彼の名は――ラルフ・ドグラ・ティルグナード。

名門ティルグナード伯爵家の嫡男。ご本人は軍の若き少佐で、宮廷近衛兵団に所属している。気難しそうな印象が際立っているのをものともしない極上の色男だ。誰だってそんな反応になるだろう。うら若い令嬢のみならずご婦人も見惚れているし、殿方たちの目にも憧れめいた感情が宿っている。積極的に社交の場に立たれることがなく、王太子殿下や王女殿下の護衛役を務めることが多いため、宮廷の舞踏会などでしかお目に掛かる機会がないと噂程度に聞いている。

貴族としての彼を知っている情報はその程度で、どちらかと言えば、王家に仇なす不穏分子の検挙などでの戦功のほうが興味を引く。実際に彼が戦闘している場面を目撃したことはないが、その姿はまさしく鬼神、王家の忠実な黒狼ともっぱらの評判だ。一人で一個中隊を相手に獅子奮迅し最後には殲滅せしめたと・・・・・・さすがに盛りすぎだとは思うがそういうとんでもない逸話まである。

そんな彼は野生動物の本能のごとき眼光でわたしを見ていた。え、いや、なんでだ。

逸らしたら負けとでもいうような視線を受け、こちらも負けじと視線を返す。見た目通りのかよわい淑女じゃないので、すみませんね。売られた喧嘩は端から端まで買っちゃうタイプだから。

周囲に異様な空気が漂う中、わたしは彼としばし見つめ合った。ラルフの顔は無表情に近いし、わたしは漫然と微笑んでいるものの瞳はちっとも笑っていない、それはもう異様な光景だろう。

先に目を逸らしたのはラルフだ。たじろいだような気配がしたと思ったら、パッと視線を逸らされた。

――勝った。

内心でほくそ笑んでいると、ラルフは次いで主催である伯爵の元へ足を向けかけたが、初老の伯爵はどこか可笑しげに手を翳してそれを断った。伯爵家同士、気安い仲なのかはわからないが、ラルフが瞑目してその場で会釈しただけで鷹揚にうなずいてみせた。

そのままキビキビとした足取りで、あろうことかわたしの前まで進み出る。その剣幕に押されて人垣が海を割るようにサッと避けていく。

え、まさか本当に喧嘩しようってつもり?

とは思うものの、いやいやまさかね。そんなわけはなく。

ラルフは眉間に皺を寄せて、端正な顔に気難しそうな表情を浮かべたまま、わたしの前に立ち……大人と子供のような身長差を目の当たりにして、膝をついた。ようやく同じ目線で再び交わった視線に、敵意は感じない。

敵意は感じないが、なんだろう……形容しがたい熱意を感じる。

「こんばんは、エミリア嬢」

堅い声のなかにもどこか艶っぽい響きがある。真面目そうな人物から発せられると、それだけでドキリとしてしまう。

初対面だがわたしが声を発しないことを承知しているようで、ラルフは特に気を悪くすることもなく手を差し出した。麗しの騎士から跪いて手を差し出されると、なんだか高貴なお姫様にでもなった気分で落ち着かない。けれど応じなければ伯爵家の人間に恥をかかせてしまう。それはいただけない。おっかなびっくり差し出したわたしの手を、ラルフはガラス細工に触れるかのように丁重にすくいあげ、唇を落とす。

間近でみると本当に顔がいい、この御方。触れた唇が自分の手だという実感を忘れて、まじまじと造形を凝視してしまう。物語の王子様がそのまま本の中から出てきた印象だ。一挙手一投足どれをとっても隙のない動きはなかなかに好ましく、まさしく異名の【黒狼】というわけだ。

「私はラルフ・ドグラ・ティルグナードと言います。どうぞお見知りおきを」

名乗ったラルフはまばゆい微笑みでわたしをまっすぐに見据えた。無表情でも恐ろしく整った顔だったのだ。とろける笑顔の破壊力は凄まじい。女性陣から堪えきれず黄色い悲鳴があがるのも仕方なかろう。

わたしは逆にその好意的な笑顔にビビって、手を引こうとしたが、情熱的な力で握られて叶わなかった。

笑顔の裏で混乱しつつ困ったように小首を傾げると、ラルフも意図を察してか握る力を緩めてくれたが、離す気はさらさらなく、わたしの手をしっかり包み込んだ。

「あなたがここにいると聞きつけ、馳せ参じました」

え、まってなになになに。

混乱するわたしに構わず、ラルフの碧の瞳はいっそう熱を帯びてわたしを見つめた。

「――私と結婚していただけませんか?」

あ、たいへん。この人、変態さんでした。


***


貴族令嬢だって悪態を吐きたいときもある――やりやがったな、こんちくしょう。

他人様の婚約発表の場でよくやったなと関心してしまうが、いまはそれどころではない。

あの場に留まっていれば確実にボロが出そうだったので、早々に宴の席から辞した。戸惑ったわたしがラルフの腕を引いて、場内を出て行く姿を周りはどう思っただろうか。考えただけで悪寒がする。

月の明るい夜だった。待機している馬車の傍で、わたしの従者が頭を下げた。

赤銅の短髪に、翡翠の丸い瞳。落ち着き払った態度をしている少年が無感動に尋ねる。

「お嬢、おかえりなさいませ。楽しめましたか?」

大きな狼を引っ張ってきたわたしに、従者は焦りひとつ見せない。しれっとした態度で黙殺している。こいつ、さてはどこかで見てたな?

人目につくと困る、本当に困る。とにかくここから離れてからでないと行動に移せない。

わたしは身振り手振りでラルフを馬車に乗るように指示した。あわあわと忙しない態度はさぞ滑稽だろうに、彼は照れくさそうに口元を押さえた。

「意外と積極的で嬉しいことです。脈があると思っても?」

そうじゃねえから、とは思っても声に出せない。不便このうえない。

ラルフを先に馬車の中に押し込んでから、適当に走らせて落ち着けそうな場所で止めるよう従者に耳打ちすると馬車はゆったりと進み出す。勝手に引っ張りこまれて連れ去られたわりに、ラルフは気にする様子もない。むしろ嬉しそうだ。これはなんというか・・・ダメな性癖の人だ。

さて、どう切り出そうか悩んでいると、向こうから話しかけてきた。

「どうぞ声を聞かせてください、人魚姫」

「・・・・・・」

「リストワール男爵から孫自慢はたっぷりと聞かせていただいていますよ。男爵はあなたからの呼び名をとても気に入っているそうですね。私もぜひあなたから特別な呼び名を賜りたいものです」

何でもお見通し、という眼差しにイラッとした。ならばどうとでもなれと、わたしは背もたれに深く座り直して堂々と腕を組む。

「じじ様とどんなやりとりをしたか知らんが、迷惑極まりないのう。無礼千万、業腹じゃ」

ふんっと鼻を鳴らして顔を背けると、ラルフは眉間に手を当てて深く熱い息を吐いた。

「はぁぁ・・・・・・天使ですか、天使ですね、そうなんですね」

「・・・・・・は?」

「大衆のなかでお愛想の引きつった笑顔もあれはあれでせいいっぱいなカンジで可愛らしかったが、やはりあなたはその凜々しいお顔が似合いますね。幼い顔立ちとのアンバランスさがたいへんよい。ホールに踏み入れた私をジッと見つめてくれた眼差しに、この胸ははち切れんばかりでした」

ノンブレスで言い切りおった。

「・・・・・・おぬし、本当にヤバいやつだったのじゃな」

「あなたが可愛すぎるのがいけないのですよ、罪な人」

「やめんか、わしをまきこむでない、気色悪い!」

怒鳴りつけてもラルフは堪える様子がない。熱っぽい吐息で打ち震えている。わたしは脱力して、頬杖をつく。

「わしはおぬしのことなど露ほども知らん。勝手に知った気になってもらっては気分が悪い。委細きっちり説明せよ」

「あなたの夫です」

「ゼーレンの滝に突き落とすぞ」

ドスをきかせた声で、世界一長い滝の名前を出して威嚇する。

「光栄です。あなたとならどこまでも」

「なぜ、わしも一緒に落ちる前提で話しておる!おぬしひとりで逝け!」

「この身はあなたに捧げると決めておりますゆえ、この命果てるその時まで片時も傍を離れないと誓いましょう」

「頼む、人類の言語で申せ。語彙力はあろう?」

目の前の男は本当にあのラルフ・ドグラ・ティルグナードか? 名門伯爵家の? 影武者でなく?

いやこんな影武者を用意していたとしても、それはそれで伯爵家の家格を疑うが。

「失礼、いささか取り乱してしまいました。こうしてお目通り願ったのは、お察しのとおり男爵に頼み込んだのです。あなたとの婚約を願い出たところ、衆目で公開プロポーズをしてこいと条件を出されまして。度胸試しというなら望むところでしたし、外堀を埋められるのならこちらとしても願ってもないと、有言実行させていただきました。あ、ジェラルド卿ともグルですよ。舞台を整えてくださいました。ちなみにジェラルド卿たちは内々の婚約パーティーを既に済ませているので、気に病まれることはないですよ」

爽やかな笑顔で何でもないことのように暴露してくる。悪びれる様子は微塵もない。

夜会の主催であるジェラルド伯爵とのやりとりも、全て知ってのことだったわけだ。さすがじじ様の朋友。悪ふざけがお好きらしい。

「・・・・・・して、ティルグナードの若様が、我が家に何を所望か」

改めて空気を張り詰めさせて、眼前の男を睨めつける。相手の家格を思えば不敬なふるまいだと百も承知だが、あいにくと、そういったものに媚びへつらう気は毛頭ない。

伯爵家のありあまる富を持ってしても、まだ財を築こうというのか。はたまた、領地や海域のルートが欲しいとでもいうのか。祖父の治めるリストワール領は、王都からもっとも近い港湾都市なのだ。国内外、最先端の情報はここに集約されるといっても過言ではない。防衛のためにとある特権の公使も許されている為、使いようはいくらでもある。

「決まっています。エミリア嬢の御心を。私が望むのはそれだけです」

「駆け引きする気はないぞ」

「私もです」

「・・・・・・」

淀みなく返してくるラルフに、こちらは口がへの字に歪んでしまう。意図がまったく読めない。やれ堅物だ朴念仁だと聞いていた噂とは違って、浮かべる微笑みは無邪気そのものもだし、言葉に含みがあるようにも思えない。本当にわたし個人への想いで動いているとでも言うのだろうか。およそ信じがたい。

微妙な顔をしてしまうわたしに、ラルフは苦笑して付け加えた。

「初めから信用を得ようなどとは思っておりません。それでも本当に、心から、あなたを妻に迎えたいのです。伯爵家に引け目を感じるようでしたら、私は実家と縁を切るつもりです」

「は!?」

ラルフはあっさりと、それはもう肩についた埃でも払うかのごとく、言ってのけた。しっかりしろ、跡取り。

目を丸くするわたしを、ラルフは顎に手を当てて不思議そうに見やる。わたしが何に対して驚いているのか、本気でわかっていない。いや、わかっていて、敢えてとぼけているのか。食えない男だ。

「・・・・・・とりあえず、わしがおぬしに気がある前提で話を進めるのはよせ。今のところ、おぬしは身元の割れている不審者でしかないぞ」

「手厳しい。だが、そこがいい」

「真面目に話を聞け。いちいち話の腰を折るでない」

ぴしゃりと語気を強めれば、ラルフもさすがに茶化すのをやめて、わたしと向き合った。静かな水面のような瞳が、気恥ずかしさを覚えるほどひたむきにわたしを見つめる。

「たしかに、いますぐに答えを求めるのは性急ですね。あなたにはぜひ私の人となりを知っていただきたい。私は、あなたの犬になりたいのですよ。公私ともに――ね」



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