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第六話

「みなさん、何をしていらっしゃるの?」

 舞台の前で慌ただしく何かの準備をしているシロとガラクタたちの姿を見て、漆黒のクリストーナが尋ねた。

 テレビの電源コードを片手に、シロはぱっと顔を上げて、答えた。

「今から"お笑い"の上映会をやるんだよ!」

 その顔には、嬉しくてたまらないというような、満面の笑みが浮かんでいた。

 洗濯機の裏でコンセントを発見したシロたちは、さっそく"若手芸人列伝2"の上映会をやることにしたのだ。シロは、舞台の上から移動することのできないクリストーナにもぜひDVDを見てもらいたかった。洞窟中を走り回ってありったけの延長コードを集め、繋げると、なんとか電源を舞台の前まで引っ張って来ることができた。

「何がなんだかわからないが、おもしろそうだねえ」

 金ぴかのアドルフが、危なっかしくテレビを運んで来る双子の人形を眺めながら鷹揚にそう言った。

 そのうち、いつもは皆から少し離れたところでもの思いにふけっているハマサキも、騒ぎを聞きつけてやって来た。これで、地下室のガラクタたちが全員、珍しく一堂に会したことになる。

 テレビと再生機のセッティングを終えるとニコラとテトラは、いつも舞台の近くに転がっている、ステッカーのべたべた貼られた派手なトランクを椅子代わりに、画面の真ん前に座を占めた。マカとミスター・パパラッチも横に並び、興味津々で覗き込む。

「ああ、とうとう"オワライ"が見られるぜ」

「人間のお手並み、拝見だ」

「いったい何が起こるんだろうなあ」

「とっても楽しみであります!」

 皆総じて、まだ見ぬ人間の文化にわくわくしていた。瞳及び瞳に当たるパーツをきらめかせて真っ黒な画面を見つめる。

 シロは薄いDVDケースをぱかと開くと、痛めないよう慎重に"若手芸人列伝2"を取り出した。ふうと息を吹いて盤面に乗った埃を飛ばし、再生機に差し入れる。古びた再生機は、億劫そうながらも、滑らかに円盤を吸い込んだ。その現象だけでも、ガラクタたちはわあと驚きの声を漏らした。

 シロはテトラの"手乗り迷路"を手に取ると、ガラクタたちのほうを振り返って言った。

「いくよ」

 ガラクタたちは口をつぐみ、うんとひとつ頷いた。

 地下室で眠り続けていたこの古いDVDがまだちゃんと夢を見せてくれるのか……シロはドキドキしながらリモコンの再生ボタンを押した。

 皆、息を潜めて真っ黒な画面を見守る。

 ふいに再生機が、ディスクを回転させるブーンという音を立て始めた。テレビ画面がぱっと輝く。

「わ・か・て・げいにんれつでん……ツー!!」

 爆発的なタイトルコールとともに、盤面の印刷と同じ、ひょうきんな形のロゴが画面の真ん中に現れたかと思うと、弾けて消え、黒いスーツに蝶ネクタイを付けた男性がこちらに爽やかな笑顔を向けていた。

「レディースアンドジェントルメン!皆さま、お元気でしたか?とうとう、あの若手芸人列伝が帰って参りました!今回も、司会はこのわたくし、ハッピーウキタが務めさせていただきます!」

 突如やかましい物体に変化したテレビに、ガラクタたちはびっくり仰天し、口々に素頓狂な声をあげた。

「なんだこれ!」

「人間だ!」

「ちっさい人間だ!」

「ちっさい人間が喋ってる!」

 後方でも、腰を抜かしたクリストーナとアドルフの不協和音が響く。

 だが、インチキくさい司会者はそんな狂騒などものともせず、小さな画面の中でマイペースに喋り続けた。

「前回のこの若手芸人列伝は、おかげさまで大反響に大反響を呼び、出演した芸人は皆、今やテレビで見ない日は無い売れっ子となっております!というわけで、今回、皆さんのご期待にお答えするべく、第二弾をぶち上げる運びとなりました。今回も、今超絶旬の若手十組が、珠玉のネタを皆さまにお届け致します!それでは、私のお喋りはこのへんでおしまいにして、さっそく若手芸人たちの漫才を楽しんでいただきましょう!一組目は、結成二年、予測不能のボケと鋭いツッコミで爆笑の渦を巻き起こす、若手注目度ナンバーワン漫才師……ダンゴ!」

 そして、ドラムの激しい元気な出囃子が爆音で鳴り出したかと思うと、太った男と痩せた男が、両手を打ち合わせながら、引きで映った広い舞台に駆け出して来た。

「はいどーもー」

「ダンゴでーす」

 カメラが一気にふたりをズームアップする。元気よく声をあげながら、痩せたほうが素早くセンターマイクのノブを捻って高さを調節する。画面に映らぬどこかから、歓迎の拍手が響く。拍手が収まるか収まらないかのぎりぎりに、定番の「俺、もし芸人をやってなかったら他にやりたい職業があったんだ」の台詞が放たれる……

 ガラクタたちは、目まぐるしく変わる場面を、呆気に取られたように口をぽかんと開けて見つめていた。

 ただひとり状況を理解し、冷静にわくわくして画面を眺めていたシロは、このダンゴという漫才師を別の場所で何度も見たことがあった。なんせ、彼らは毎日のようにどこかのチャンネルに出演している安定的な売れっ子なのだ。だが、シロの知っているダンゴは、すっかり出汁の出たおっさん二人組で、このフレッシュな若者たちとはかなり様相が違っていた。おそらく、この若手芸人列伝2は、シロが生まれてもいないくらい昔に録られたのだろう。

「縦に入れるから満員になるんですよ。横に入れたらいいんですよ」

「いや、クッキーかい、クッキー焼くときかい」

 太ったほうのツッコミに合わせて、テレビの中の観客がわははと笑い声をあげた。

 ガラクタたちは相変わらず茫然と、ちかちか輝く画面を見つめていた。箱の中の盛り上がりとは打って変わって、こちらの場外客席は困惑で静まり返っている。シロは、漫才を楽しみながらも、ガラクタたちへのウケの悪さが気になり、些か不安を覚え始めていた。生まれてこのかた地下室から一歩も出たことのないガラクタたちに、漫才を理解するのは、さすがに難しかったか。

 ところが、ダンゴの漫才が中盤に差し掛かった頃、ふいに、沈黙した集団の中で誰かがぷっと息を漏らした。皆一斉にそちらに目をやる。

 目線の先では、ニコラが、口を引き結んだままダンゴの漫才を凝視していた。何かをこらえるかのように、ときどき肩をびくりと震わせる。しかし、太ったほうが一層声を張り上げて次のツッコミを放ったとき、もう耐えられないとでもいうふうに、ぶはっと大口を開けた。そして、堤防が決壊したみたいに勢いよく笑い出した。

「あっははははははははははは!何これ!おっかしい!あっはははははははははは!」

 腹を抱えて狂ったように笑うニコラを見て、他のガラクタたちは目を丸くした。だが自分たちも、ニコラの止まらない笑い声に表情を解かされるかのように徐々に笑い出し、ついには、たがが外れたように大爆笑し始めた。

「あはははははは!」

「ほんとだ、おっかしい!」

「変なことばーっかり喋ってるぞ!」

「人間、おもしろい!」

「"オワライ"って最高じゃん!」

 ガラクタたちは、もうそのへん一帯が九官鳥の楽園になったみたいに、騒がしく笑い転げた。ニコラとテトラは甲高い声でひいひい笑うし、パパラッチはウケるたびにバシャバシャ写真を吐き出すし、マカは可笑しさに身をよじってべこべこと紙面を鳴らした。アドルフとクリストーナも、頻りにピンピンピンとしゃっくりみたいな笑い声を弾けさせる。控えめなハマサキでさえ、口元を押さえて、こらえ切れぬようにぷぷぷと肩を揺らしていた。

 シロもまた、逆らうことのできないガラクタたちの笑いの波にさらわれたかのように、もはやげらげら笑うのを止めることができなかった。

 それ以降の彼らはもう、芸人にとってどれだけたやすい客であったことだろう!ダンゴの漫才が終わり、二組目が出て来ても、三組目が出て来ても、シロとガラクタたちはドタバタひっくり返って笑った。ボケがボケて、ツッコミがツッコむたびに笑った。あいまあいまに登場する、インチキ司会者の詐欺師めいたお喋りにすら笑った。世間知らずな彼らがボケの意味を理解しているのかどうか定かではなかったが、そんなことはどうでもよくて、とにかくあの人間の不思議な文化そのもの、他人を笑わせようとする試みそれ自体が彼らにとってひどく可笑しくておもしろいのだった。

 息も切れるほどに笑っているうちに、再生時間を示す再生機のデジタル時計の数字はどんどん大きくなってゆき、とうとうインチキ司会者が十度目の画面への登場を果たした。

「さあ、いよいよ残り一組となりました!トリを飾るのはもちろんあのコンビ!結成わずか一年、弱冠十六歳にしてニュースター漫才グランプリで優勝、今絶好調のこのふたりにはもはや誰も適うまい……弾丸ブリッツ!」

 そしてまた、激しい出囃子が鳴り響く。

「どーもー!」

「弾丸ブリッツでーす!」

 ひときわ元気な挨拶とともに、元気なふたりの十六歳が、画面を破ってこちらまで来てしまいそうな勢いで飛び出して来た。テレビの中の観客が、今まででいちばん大きな、笑いの混じった黄色い歓声で迎える。

 だが、舞台上に現れたそのふたりの姿を見て、今まで爆笑していたニコラとテトラは、つと固まってしまった。

「お、おい、テトラ、こいつら……」

「ああ、ニコラ……」

 双子はびっくりした顔で画面を凝視したまま、無意識にお互いの肩に手をかけた。

「ハイ!弾・丸・バキューン!」

 画面の真ん中で、弾丸ブリッツがポーズを決める。

「こいつら……俺たちにそっくりだ!」

 ニコラとテトラが、同時に叫んだ。

「俺たち、ふたりとも十六歳なんすよ、絶賛反抗期です!」

「そうです、反抗期っす。反抗期なんで今日も、親のやりかけの数独に線足してタータンチェックに変えてやりました」

「いや、どんな反抗の仕方だよ、親の脳トレに冬の装いさせるなよ」

「じゃ、おまえはどんな反抗してんのか見せてみろ」

「いいぜ。じゃあおまえ、俺の母親やってくれ」

 確かに弾丸ブリッツのふたりはニコラとテトラによく似ていた!ふたりとも細身で、黄緑色のスーツを着て、黄色のネクタイまで締めている。そして、いかにもやんちゃそうな十六歳の、ともすれば非礼で不敵な笑い顔が、いたずらを企んでいるときの双子の人形のそれにそっくりだった。

 他のガラクタたちも、口々にニコラとテトラの意見に同意した。

「本当だ!あの黄緑の服、そっくり」

「ネクタイまで一緒でありますよ!」

 ニコラとテトラは、今までより一層テレビ画面に近づいて、自分たちにそっくりな、手に負えなさそうなやんちゃ坊主ふたりの漫才を食い入るように見つめた。

「コンコン、ちょっと、あなた、ちゃんとお勉強してるの」

「黙ればばあ、てめーの命令なんか聞かねえよ!」

「ちゃんとカンニングの練習はしてるの?」

「おいおい、子どもになんちゅーことさせようとしてんだ!」

「だってあなたは、お医者さんになるんだから、医学部に合格しないと」

「ふん、俺は親の言う通りになんか生きてやらねえぞ!」

「ええっ、お医者さんにならないなら、どうするの」

「漫才師になるんだよ!」

「……は・ん・ざ・い・しゃ?」

「てめーぶち殺すぞぉぉぉ!」

 今絶好調だというそのふたりの漫才は、非礼で不敵で乱暴で毒々しいのに、とんでもないくらいおもしろくて、ボケるたび、ツッコむたび、会場中に拍手笑いを起こした。彼らは呼吸なんて必要無いかのように息も切らずに喋り続け、まさしく弾丸が空を切るみたいに時間を疾駆する。だが、不思議と観客も遅れることなく、彼らのペースに巻き込まれ、最高のタイミングで笑いの合いの手を入れる。彼らの繰り出す言葉はすべて、正しく選ばれ、そうあるべき速度で、そうあるべき語調で、そうあるべきときに発現し、理屈では説明のできない完全な彼らの世界を成して、笑いを生んだ!

 双子の人形は、弾丸ブリッツの漫才にすっかり魅せられ、画面に釘付けになっていた。フェルトの瞳が、彼らの激しい身振り手振りをわずかながら反射して、ちらちらと輝く。腹の底から、感動によって機能停止した身体を通って、自然な笑いだけがこみ上げて、へへっへへっと外に漏れた。他のガラクタたちもまた、息ができないみたいにひいひいと笑った。

 やがて弾丸ブリッツは、明らかにオチと思われるボケをかますと、叫んだ。

「いや、もういいよ!」

「ありがとうございました!」

 激しい音楽が流れる中、若い漫才師は双子とそっくりの黄緑色のスーツを翻し、出て来たときと同じくらい元気に舞台袖へと消えて行った。

 それは、好ましい嵐のような短い楽しい時間だった。弾丸のごとき漫才が終わると、ガラクタたちはひとっ走りした後みたいに一気に脱力し、緊張していた精神的な筋肉が解放され、へなへなとくずおれた。

 テレビ画面には再びインチキ司会者が現れて、締めの口上を始めたが、弾丸ブリッツの漫才で興奮のピークが過ぎたガラクタたちは、もはや誰もそれを聞いていなかった。インチキ司会者が消えると、短いスタッフクレジットが流れ、やがて画面は真っ黒に戻った。再生機がキュルルと音を立てて、DVDの回転を止める。

 シロは再生機からディスクを取り出すと、脱力して余韻に浸っているガラクタたちを、満足げな顔で眺め回した。自分の試みが、予想以上の素晴らしい反響を呼んで、最高の気分だった。

 しばらく静かに余韻に浸る時間が続いたが、やがて、後方でグランドピアノがポロンとつぶやいた。

「……人間って不思議なことをお考えになるのね。わたくし、笑ってしまったわ!」

 アドルフも、隣で機嫌よさげに頷く。

「ああ、まったく。可笑しくてたまらなかったよ」

 ミスター・パパラッチは、自分の吐き出した写真の山の上に、満ち足りた顔で座っていた。

「本当、すっごくおもしろかった」

 そして、シロのほうを向いて言う。

「シロ、オイラたちにおもしろいものを見せてくれてありがとう!」

 それに続いて、他の皆も、ありがとう、おもしろかった、だのと口々に述べた

 シロは、ガラクタたちの顔を見回してにっこりと笑った。

「私も、みんなに喜んでもらえて嬉しいよ」

 ただふたり、ニコラとテトラだけは、まだ余韻から抜け出すことができないようで、憧憬の表情を浮かべながらトランクの上に寝転がっていた。

「……ああ……最高の時間だった」

「……世の中にこんなおもしろいことがあるなんて、ちっとも知らなかったぜ」

「まったく、人間もなかなかやるんだな」

「ああ。特に、最後のあいつら……」

 あの映像を思い出すように、目をつむる。

「俺たちに、そっくりだった」

「それとも、俺たちがあいつらにそっくりなのかな?」

 どうしてか、周りのガラクタたちは静まり返って、双子の独白のようなかすかな会話に耳を傾けていた。

「このスーツに、このネクタイ……」

「生まれたときからずっと……」

何かを考えるように黙り込む。ふいにニコラは身体を起こし、テトラの肩を掴んで相手の身体も引っ張り上げた。そして、他の者たちの存在など忘れてしまったかのように、テトラだけに語りかけた。

「なあ、テトラ。俺、思ったんだ。俺たち、いつ生まれたのか、どうして生まれたのか、全然考えたことなかったけど」

 テトラはニコラの肩を掴んでその言葉を制止した。

「いや、待て。俺もきっと今、おまえと同じことを考えてるよ」

「本当か?」

「ああ」

 あのいたずら双子が、今まで見たことのないような真剣な顔つきをしている。周りの者たちは、固唾を飲んで見守った。

 ニコラとテトラはお互いの顔を見つめながら、ゆっくりと、声を揃えて言った。

「俺たち、もしかして漫才をするために生まれて来たんじゃないか?」

 奇妙な沈黙の時間が流れた。先ほどの上映会で前借りしたすべての音の返済期限が今いちどきにやって来たみたいに。

 だが、ふいに変人中学生が沈黙を破った。

「そうだ!そうだ!きっとそうだよ!」

 悩み続けた問題の答えが突如閃いたかのように、嬉しそうに飛び跳ねて叫ぶ。

「ふたりは、漫才をするために生まれて来たんだ!」

ニコラとテトラは、その叫びを聞くと、顔を輝かせて振り向いた。

「シロもそう思うか?」

 シロはうんうんと頷いた。

「うん!きっと、ふたりは漫才をするために生まれて来たからそんな格好をしてるんだと思う!」

 強い同意を得られて嬉しそうに、ニコラは表情をほころばせた。

「そう、だよな。そうだよな……俺たち、あの、弾丸ブリッツみたいに漫才をするために、こんな格好してるんだ!」

「ああ、そうだ。あいつらみたいに、漫才をして……みんなを笑わせるために!」

 テトラも満面の笑みで叫ぶ。

「俺たち、漫才がしたいよ!」

 シロはもはや愉快極まって踊るように、双子のあいだに割って入った。

「しなよ!ふたりならきっと最高の漫才ができるよ」

 すると、今までじっと双子とシロのやり取りを見守っていた他のガラクタたちも、次々と相槌を打ち始めた。

「それ、おもしろそうであります!」

「ニコラとテトラの漫才、見てみたい!」

「あの乱暴なお喋り……まさしくきみたちにぴったりだ!」

 アドルフとクリストーナが、ピーピーパフパフと鳴らして囃し立てる。ハマサキも、一歩下がったところで、皆の意見に同意するように優しい微笑を浮かべていた。

 ニコラとテトラは、自分たちを包む賛成の大合唱に、照れくさいような、でも嬉しくてたまらないようなかわいらしい表情を見せた。

「へへへ。やってやろうじゃないの」

「そうと決まれば、練習しないとな」

「ねえ、いつ披露するのか、決めておこうよ!そうすれば、みんなでその日を楽しみにできるでしょ?」

 シロが双子の周りを踊り巡りながら言った。

「ああ、確かに!」

 沸き立ったムードの中発されたシロの素晴らしい提案に、誰も異を唱える者は居なかった…………

 それからガラクタたちは、興奮した歓喜の時間から一転、舞台の上にぐるりと円を作り、真面目な企みごとの会議モードに移った。

かりそめ議長のシロが、かしこまって、委員たちに呼びかける。

「ごほん、それではこれより、ニコラとテトラの漫才お披露目会の日取りについて話し合いたいと思います」

 ニコラがあぐらをかいた足を両手で引っ掛けて揺れながら、頭を捻った。

「しっかし、漫才なんて初めてで、どれくらい練習すればいいのかわからねえなあ」

「一ヶ月くらいやればできるようになるんじゃないか?」

 隣のテトラが答える。

 シロの向かいに居たミスター・パパラッチが、例の派手なトランクに飛び乗り、挙手をするみたいにストラップをびょんびょんと上に突き上げた。

「はいはい、はーい」

「ミスター・パパラッチくん。意見をどうぞ」

「せっかく漫才をするんなら、普通にするんじゃなくて、何かのお祝いパーティーにしたらいいと思います」

「ふむふむ」

 シロ議長は頷いた。

「そうだね。そうしたらニコラとテトラも、よりやる気が出るかもしれない」

 だが、生真面目なマカがツッコミを入れた。

「しかし、お祝いと言っても何をお祝いするでありますか?」

 ガラクタたちは皆、押し黙った。地下室には、季節も無ければ祝祭日も無い。毎日が同じような普通の日々の繰り返しで、何かを祝う特別な日など存在しなかった。

「うーん、誰かの誕生日を祝うのはどう?」

 シロが行き詰った委員たちの輪に尋ねた。

「タンジョウビ?タンジョウビって?」

「誰かが生まれた日を祝うの」

 テトラが呆れたように首を振る。

「おいおい、俺たち自分がいつ生まれたか知らないのに、どうやってそんな日を祝うんだ?」

「あ、そっか」

 我ながら馬鹿な物忘れをしたものだ。

 マカが考えごとをするように紙面を歪めて、犬の眉根にしわを寄せながら言った。

「では、シロさんの誕生日を祝うのはどうでしょう。シロさんはご自分が生まれた日をご存知でありますか?」

「えっ、私?」

 もちろん、シロは自分の誕生日を知っていた。だがあいにく、彼女は新学期が始まった春に早々と歳を取ってしまっていた。

「知ってるけど、私の誕生日は今からじゃずいぶん先だよ」

 それを聞いて、ニコラは不満そうに口を尖らせた。

「じゃあ、駄目だ!そんなに待ってられねえよ。俺たちゃ、ばりばり練習して、早く披露したいんだ」

 ガラクタたちは再び押し黙った。

 外の人間にはどうでもいいと思えるようなことでも、彼らにとってはたいへん重要な問題なのである。ニコラとテトラが漫才を披露するために、いったい何を祝えばよいのか、ガラクタたちは皆真剣そのもので頭を捻った。だが、よいアイディアはちっとも浮かばない。

 そのとき、隅のほうで一応会議の輪に並んでいたハマサキが、おずおずと沈黙を破った。

「あの……社長のお誕生日は、どうでしょう?」

「社長、だって?」

 ニコラとテトラは、目を丸くして、一斉にハマサキのほうに顔を向けた。

 勇気を出して発言してみたものの、筋金入りの悪童ふたりが自分を見つめるそのまん丸い目に、気弱なマネキンはすぐさま自信を失ってしまい、身を縮こませた。頭をうつむけ、大きな真っ白い瞳を上目遣いにしてちらちらと様子を覗う。

 だが双子は、テレパシーで互いの意思を確認をするかのように顔を見合わせた後、ぱっと振り向いて、納得したようにふむふむと頷いた。

「なるほど、社長を祝うってのもアリだな。なんだかんだ言っても俺たちの親だし」

「そうだな。いつもいたずらして怒らせてばっかりだから、たまには感謝を伝えてみるのもいいかもしれねえ」

 後ろで会議を見守っていたクリストーナも、賛同のCメジャーを鳴らした。

「あら、社長を祝うんだったら、わたくしも音楽で参加したいわ。わたくしの弛んだ弦をいつも直してくれるの、社長だもの。ね、ダーリン」

「そうだね、クリストーナ。僕も社長にはよくオイルを差してもらってるし、お礼したいな」

 自分の提案が意外にも肯定的に受け入れられているので、ハマサキは驚き、そして恥ずかしそうにはにかんだ。

「よし、俺たちの初舞台の客は、社長ってことで決まりだ!」

 ニコラは元気よくそう叫ぶと、こぶしを突き上げた。

「おう、やってやろう!」

 テトラもやる気満々応じる。

「しかし、社長を祝うっつっても、その社長の誕生日はいつなんだい?」

 双子は、答えを求めるようにハマサキのほうを振り向いた。

 すると、ハマサキは慌てたように首を振り、人工のブロンド髪を揺らした。

「あ、あの、ごめんなさい、私にはわからないんですけど、でも、シロさんに誕生日があるなら、社長にもあるはずだと思って。ごめんなさい、わかりもしないのに提案して……」

 そのとき、マカが、会議に飽きてトランクの上でバランス遊びを始めていたミスター・パパラッチに隣からツッコんだ。

「ちょっと、パパラッチ、真面目に考えているでありますか?お祝いパーティーにしたいと言ったのはパパラッチでありますよ」

 ミスター・パパラッチはトランクの上でぐらぐら揺れながら反論した。

「考えてるよお。オイラ、考えるときはこうやって考えるの」

「考えているように見えないであります。パパラッチはいつも、何も考えずにああしたいこうしたいと、自分の希望だけ言うであります」

 犬の警官が、おりこうさん然としたきびきびした調子で言う。

「そう言うマカも、オイラの批判ばっかりして、何も役に立ってないじゃない!」

「皆さんが一生懸命考えているときにひとりサボっているから、注意したんでありますよ!」

「ちょっと、ふたりとも仲良くやろうよ……」

 またいつもの罪の無い小競り合いが始まりそうな様子を見かねて、シロが議長席から声をかけた。

 だが、お説教を垂らされたパパラッチの不満は止まらない。

「もう!いい加減マカはオイラのことほっといてくれたらいいのに!」

 怒りでぷりぷり身体を揺らしながらそう叫んだ拍子に、ポラロイドカメラの角が、トランクの留め金に引っ掛かった。

「わあっ」

 トランクの口が勢いよく開き、驚きのフラッシュが一瞬洞窟を白く染めたかと思うと、視界が戻った頃には、もうミスター・パパラッチが後ろ向きに落下するところだった。プラスチックの背中と、木製のフローリングが、派手な音を立てて接触した。

 アドルフとクリストーナが、その音に不快感を示すように、思わずピンっと高い悲鳴を鳴らす。悪魔のような双子は、おもしろがってへへへと笑った。

「パパラッチ!大丈夫?」

 優しいシロは、慌ててミスター・パパラッチのもとに駆け寄った。

 ポラロイドカメラは床の上に伸びて、レンズをちかちかさせながら答えた。

「だ、だ、大丈夫……」

 シロはパパラッチの身体を抱え上げて裏を確認した。派手な音を立てて落下したものの、そのカメラは意外と上物らしく、丈夫な表面には特に目立つ傷は付いていなかった。

「よかった。どこも壊れてなさそうだね」

「まったく、パパラッチは落ち着きが無いから……」

 マカが呆れたように言った。だが、パパラッチに対して申し訳なく感じたのか、先ほどよりはずいぶんトーンダウンしていた。

 シロはミスター・パパラッチの身体を優しく床に降ろすと、ふと、開いたトランクの中で何かがきらりと光ったのに気づいた。

「ん?なんだろ……」

手を入れて、拾い上げる。見ると、それはシルバー製の丸くて平らなペンダントだった。この洞窟に転がっている他のガラクタと比べると、まだ新しい物らしく、乙女座を表すシンボルを縁どる細かな装飾が、照明を反射し白くきらきら輝いている。裏返すと、洒落たイタリックの文字が刻まれているのが目に入った。


 For My Love,

  8.31


 計られたように完璧なタイミングでもたらされた恵みに、シロは目を丸くした。

「こりゃ、いったいなんだ?」

 いつのまにか、シロの後ろからガラクタたちが覗き込んでいた。ニコラが尋ねる。

 シロは驚いた表情のまま振り返ると、興奮気味に答えた。

「これ!きっと誕生日プレゼントだよ。もしかしたら、社長に贈られた物かもしれない」

「なんだって!」

 素頓狂な声を上げるニコラ。

「じゃあ、この数字、社長の誕生日かな?」

「ひょっとすると、そうかも」

「へへへ、馬鹿みたいにラッキーだな。もう問題が解決したじゃないか」

「この日に、パーティーをしたらいいんだ」

 双子の人形は愉快げににやにやと笑った。

 そのとき、自分の愛しい人宛てのプレゼントかもしれないと聞いて、遠慮がちだが興味津々でペンダントを眺めていたハマサキが、日付の上に書かれた"我が恋人へ"のアルファベットを指差して、おずおずと尋ねた。

「あの、この数字の上に書かれているのは、文字ですか?いったいどういう意味なんでしょう……」

「えっ、これ?えーと、これは……」

 健気なマネキンに純朴な眼差しで見つめられて、シロは答えに窮した。

「これはまあ、大事な人へ、みたいな意味かな」

 もごもごとお茶を濁す。

「へえ、そうなんですね!」

 ハマサキは納得したように手を打ち合わせた。そして、嬉しそうに微笑み独り言ちる。

「社長には、よいお友だちが居るのですね……」

 シロは、苦笑した。

 そして、もう一度ペンダントを眺めた。無数の溝が入った、凝った細かな装飾は美しく、この小さな物体に宿った金銭的価値の大きさが乙女座の向こうに透けて見えるようだった。すると、ふとシロの頭に疑問が湧いた。こんなところにほっぽり出しておくくらいだから、おそらく現恋人からの贈り物ではないのだろう。だが、そもそもの問題として、あの汚らしい男に、こんな洒落たプレゼントを贈ろうという恋人の居たことが、たとえ過去のこととはいえ、本当にあるのだろうか?そう考えると、一目見てすぐに社長宛ての贈り物だと決めつけたものの、だんだん、違う可能性も大いにあるように思えてきた。

「シロ、今日は何日だ?」

 テトラが尋ねる。

「今日は七月二十一日だよ」

「ここに書いてある日まで、時間はどれくらいある?」

「大体一ヶ月ちょっとくらいかな」

「おお!じゃあ、上手い具合にたっぷり練習できるな」

 偶然の計らいの気前のよさに、嬉しそうに手を叩く。

だが、疑いを持ってしまったシロは、慌てて制止した。

「いや、待って。やっぱりこれ、社長の誕生日じゃないかも……」

 テトラは顔をしかめた。

「なんだ、違うの?」

「えっと、違うかもしれないし、違わないかもしれない」

「はあ?結局どっちなんだ」

「ええと、このペンダントだけじゃ、はっきりわからない……」

 まごついていると、やんちゃなニコラがうんざりしたように首を振った。

「まあいいじゃねえか、細かいことは。生まれたもんは確かに生まれたんだ。祝う日がちょっとずれたって、どうってことねえよ。俺たちは、漫才ができればなんでもいい」

「そうだそうだ。漫才ができれば、いつだっていい」

 今までの議論をすべて無に帰するニコラの究極の意見に、テトラも同意した。

 双子の人形の表情は期待とやる気に満ち満ちて、もうすっかり、一ヶ月後に漫才を披露する気で居るようだった。そんなふたりの様子を見ていると、シロもまた、確かに社長の生まれた日が一日ずれようが一カ月ずれようが一年ずれようが、どうだっていい気がしてきた。

「そうだね……いつだっていいか、社長に漫才を見てもらえさえすれば。それが、いちばん大事だものね」

「そう、そう」

「じゃ、八月最後の日に、漫才を初披露するってことで決まりだね!」

「わあ、頑張って」

「とても楽しみであります!」

「応援してるよ」

「わたくしたちも練習しなくちゃ」

 周りのガラクタたちは、双子を囲んで口々に声援を送った。床で伸びていたミスター・パパラッチも、いつのまにかすっかり元気になっていた。

 テトラは、愉快そうにひひひと笑いながら、気合を入れるように袖を捲り上げた。

「うんじゃあ、これから一ヶ月、漫才の猛特訓だな!」

「おう、手は抜かねえぞ」

 そして、身体を少しかがめて、内証話めいた調子で他のガラクタたちに語りかける。

「なあみんな、このことは社長には秘密だぞ。サプライズにして、驚かせてやるんだ」

「わあ、それすっごくいいね」

 フラッシュを焚いて称賛するミスター・パパラッチ。

 ニコラは身体をぴんと起こすと、広い洞窟の天井に向かって、誰にともなく宣言した。

「へへへ、怒ってばっかりのあいつを、俺たちの最高の漫才で笑わせてやるぜ!」

 漫才にうってつけなニコラの快活な声は、地下室中にぼわんぼわんとこだました…………

 それからというもの、ニコラとテトラの漫才大特訓が始まった。

 夏休みに入ると、シロは案の定恵美と四葉に呼び出されて小道具係の仕事をさせられたが、それでも毎日のように地下室に通い、ニコラとテトラの漫才の練習に付き合った。双子は、DVDに収録された漫才を何度も再生し、漫才の構造、始まり方、終わり方、声のトーン、大きさ、速さ、間の取り方、表情の作り方、見やすい身振り手振り、とにかくあらゆることを研究した。特に、弾丸ブリッツの漫才は呆れるほどに何度も見返したが、それは自分たちのやりたい理想の漫才が彼らの漫才だからという研究的な理由とともに、ただ単純におもしろくて大好きで何度だって見たいからという無邪気な愛好のためだった。ニコラとテトラが参考にしたのは"若手芸人列伝2"だけではない。シロは、地上の中古ビデオ屋を巡って弾丸ブリッツの出演しているDVDを見つけては、地下室の新米漫才師のために買って来てやった。記録媒体中に登場する弾丸ブリッツは不思議といつも、まだ大人にならない若い姿ばかりだったが、それがかえって彼らに幻の宝物のような魅力を与えた。ニコラとテトラは新しいDVDを手に入れるたび心底喜んで、それもまた何度も再生した。そうやって日がな一日漫才の研究と練習に明け暮れながら、社長が様子を見に下りて来たときだけは、慌ててDVDを隠し、もとのなんでもない悪い双子に戻って、なんでもないふうを装うのだった。ニコラとテトラが漫才の練習で忙しくなって以降、いたずらをされることが減った社長は、かえって気味悪がって、怪訝そうな顔でお澄ましする双子を見たが、そんな社長の顔を見るにつけ双子は、「しめしめ、あんな顔してらあ、待ってろよ、たっぷり笑わせてやるからな」ということを心に思って、ますますやる気を募らせた。アドルフとクリストーナもまた、漫才の出囃子の練習に励んだ。"若手芸人列伝2"の中で流れていたあのドラムの激しい出囃子は、アルトサックスとグランドピアノの音色で奏でると、なんとも雄大で洒落た響きに変わった。

 すべての準備が着々と進み、期待が膨らむ中、シロにとってもガラクタたちにとっても史上最も密な夏が、特急列車のように過ぎ去って行った。

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