図書館で
おっとあぶない、あぶない。
夕子は学校の裏山にある坂を自転車で下りながら思った。
朝ご飯を食べなきゃ。
今ごろお母さんは起きてご飯を作っているはずだ。勝手にどこに行ってたの? と言われるかもしれないが、朝の散歩と言えばいいだろう。のこぎりやロープなどの道具は山に隠してある。大丈夫だ。
ペダルはそのままで、両足を広げる。顔に当たる空気は山の枯れ葉の匂いがした。散歩中の犬に吠えられた。
玄関のドアを開け、居間に入る。台所でお母さんが何かを作っている。
「どこ行ってたの?」
お母さんは夕子の顔を見ずに言った。
「ちょっと朝の散歩。朝の散歩は健康にいいんだから」
根拠など知らないし、だれかがそんなことを言ってたから真似した。
「これ、運ぶの手伝って」
お母さんにはとくに何もあやしまれなかった。
朝食はいつものように、焼いた食パンと目玉焼きにウインナー、サラダといったものだった。いつもならまたか……と思うところだったが、今日の夕子はとてもお腹が空いていた。
テーブルに置かれたバターは無視し、食パンをかじり、目玉焼きをかじり、ウインナーをかじる。口の中がいっぱいになったので牛乳で流し込む。
ひと仕事終わった後の食事は最高だな。
「ちょっと夕子。お行儀よく食べなさい」
そう言われたものの台所へ行き、昨夜のあまったおでんの大根を一切れお皿にのせる。当然冷たかったが、味が染みていて美味しかった。あ、マヨネーズ忘れた。
そして二枚目の食パンにはバターを塗って食べた。
「ごちそうさま。出かけてくる」
夕子は席を立った。
「おはよう……」
居間に入ってきた眠そうな顔のお姉ちゃんとすれ違う。「おはよ」と言って玄関に向かう。
「何これ。パンくずだらけじゃない」
背後でお姉ちゃんの声がした。
開館したばかりの図書館はすでに人がたくさんいた。夕子と同じ小学生も多かった。なにをしているかと見れば、少し広めのロビーでおしゃべりをしているだけだった。
「あ、夕子。おはよう。夕子も一緒に遊ばない?」
遠くからクラスメイトに声をかけられる。まあ遊びたい気持ちもあったがぐっとこらえ
「ちょっと調べ物しないといけないの。だからごめん」
と答えた。今は優先しなければならないことがある。
図書館には何度も来たことがあったが、夕子もさっきのクラスメイトたちのようにロビーで話をしたり、館内でも子供コーナーしか立ち入ったことがなかった。でも今は大人の、というか一般のコーナーにいる。
夕子の身長よりもはるかに高い本棚が奥まできれいに並んでいる。その次もその次も同じように本棚が並んでいて、棚の本もぎっしりだ。
う~ん。どうやってさがせばいいんだ?
こんな中から上手く探せない。夕子はそばにいた一目で分かる青いエプロンをした図書館員さんに声をかけた。
「すみません。え~と。この町の歴史の本ってどこにありますか?」
女性館員さんが「それだったら」と言ったので、夕子は案内してくれるのかなと思ったら
「ここだけど」
と教えてくれた。なんだ、ここじゃないか。
たくさん並んだ本の中で、館員さんが教えてくれたこの町の歴史について書かれた本はたったの三冊だった。全部持ち出す。
近くにあった背もたれのない小さな四角いソファーに座る。角が破れていてスポンジが少しはみ出ていた。
『湯来町の歴史』『足跡を追って~湯来町』『歴史を振り返って。湯来町写真集』。
手っ取り早くまずは写真集を見る。農作業をしている白黒の写真、がらんとした街並み、年代ごとの駅と電車の変化、名物湯来町まんじゅうのパッケージ……。ないか、ないかとつるつるとしたページをめくる。
『湯来町湯来山』これだ。
今の小学校はまだ木造の小さな校舎だった。その裏手にあたる場所には、たしかに見覚えのある形をした山が映っている。『湯来山』。そんな名前だったのか。初めて知った。解説を読む。
『地元の間では昔から紅葉のスポットとして知られる湯来山。なめらかな山の輪郭。冬には雪で真っ白に覆われ、四季折々の姿を見せてくれる』
う~ん。これだけじゃダメだな。次のページをめくる。
『湯来山から見た天の川』
『透き通った空気の湯来山。天の川がなんともきれいです』
う~ん。と、さっきからずっと夕子は唸っていた。どれもピンとこない。他の二冊は字だけだったのですぐに閉じる。
ダメだこりゃ。ハンマーを探そう。
夕子は本を戻し出口に向かった。寝ているおじさんが窓から差し込む日の光に照らされ、気持ちよさそうだった。