キャンディー
夕子は頼んだミートクリームソースのパスタに、粉チーズを控えめにふった。ミートクリームと粉チーズが混ざり合い、淡いピンク色になる。
「おいしいでしょ? これからここ、きっと有名になるよ」
「うんうん。ほんとモチモチしてておいしい」
会社の同僚と三人でテーブルを囲みながら、夕子もスプーンにパスタを巻きつけ、スーツにクリームが飛び散らないように口に運ぶ。
こんなときグルメレポーターなら何て言うんだろう。パスタの王様? いや、なんとなく女性っぽいからパスタの女王? う~ん、やっぱり思いつかないな。
赤と白を基調とした店内の壁にはたくさんの小物が飾られ、オシャレというよりはかわいらしいといったお店だった。満席のテーブルはどこも女性ばかりで、窓の外にも寒そうにしている何人かの女性が並んでいる。
あたしはいつからパスタが好きになったんだろう。
同僚と話しながらそんなことを考えていた。
「じゃあそろそろ行こうか」
同僚二人が席を立ちレジに向かった。夕子も立ち上がり、オレンジの腕時計を見る。12時46分。
「今度はきのことじゃがいものパスタにしようかな」
「それもおいしそうだね。また来ようね」
女性店員が一人ひとりお会計をしていく。
「えー、ミートクリームソースのお客様、780円になります」
夕子はオレンジ色の財布から千円札を取り出し、店員に渡した。レジの横に
『ご自由にどうぞ』
と書かれた小さな箱がある。中にはたくさんの色の飴玉が詰め込まれている。夕子は目をつぶり、一つ手に取った。
「220円のお返しです。またお越しくださいませ」
同僚二人が店のドアを開けた。冷たい風に混じって一枚の木の葉が店内に入り込む。夕子は枯れた茶色の葉を拾って店を出た。カランコロンと音がした。
「はい。じゃあみんな。気に入った葉っぱを拾ってくださーい」
担任の先生が大きな声で言った。
たくさん拾ってやるんだ。
夕子は地面に積もった色とりどりの落ち葉をかき集めた。下の方から集めたら水に濡れていて嫌な感じがしたので、もう一度別の場所へ移動し積もった上部をやさしく集める。
「おーい、見ろよ」
見ると、男子生徒がたくさんの落ち葉を入れた袋を頭上にかざしている。他の男子生徒も
「俺も」「僕も」と次々に落ち葉の入った袋を見せびらかした。
あんな落ち葉。あたしはもっといい落ち葉を集めるぞ。
夕子はまた場所を移動した。どこかにいい落ち葉はないものか。いい落ち葉とはそもそもなんなのか、それは分からなかったが、きっとあると夕子は確信した。
「あんまり遠くにいかないでよー」
と言う先生の声が遠くに聞こえる。周りにはだれもいなかった。水の音が聞こえる。夕子は音のする方へ歩いた。
樹々が増え、葉のすき間からの木漏れ日も少なくなり、少し寒くなった気がした。落ち葉の地面が途切れている。
夕子はそばの木に手をかけ、下をのぞいた。3メートルほどの斜面の下に川が流れていた。そしてその緩やかな川の流れの中の一か所に、岩に引っかかった落ち葉が溜まって浮かんでいた。
あれがいい。
夕子は満面の笑顔になった。ポケットに袋をがむしゃらに突っ込み、斜面をゆっくりとゆっくりと後ろ向きで降りる。落ちないようにつま先で斜面を軽く掘り、足掛かりを作る。服には落ち葉が何枚か着き、指先は泥が付いた。
うわっ。
湿った斜面に足が滑り、手で斜面をつかもうとしたが無駄だった。
夕子は川に滑り落ちた。
下半身がずっぽりと水に浸かった。ズボンが足に引っ付き、緩い川の流れでも夕子の体を押してくる。
まったく。なんなんだよ。
川の流れに負けないように前かがみになり体を支え
ま、いっか。
と、落ち葉のある川の溜まりまで進む。
普通に歩くと水が重かったので足を引きずるようにすると、少しはましになった気がした。
溜まりにある落ち葉は特段その辺に積もっていたものと変わりはなかった。でも夕子は思った。
川の水できれいになった『いい落ち葉』だな。と。
冷たい水にもお構いなしに、夕子は袋に落ち葉を詰め込んだ。図工の時間に作成する、落ち葉で作った個人個人の作品。夕子は落ち葉で洋服を作ろうと考えていた。詰め込みながら、その洋服の映像がはっきりとはっきりと完成されていく。冷たい水の中、夕子は笑顔で落ち葉を袋に詰め込んだ。
さて、そろそろもどるか。
夕子は斜面に引き返し、頭上を眺めた。3メートルの高さを登ることはできない。
どうしよう……。このまま戻れずにみんな先に帰っちゃったら……。う~ん。ま、いっか。
夕子は斜面伝いに上流のほうへ進んだ。きっと低くなっている斜面がどこかにあるはずだ。
足元のゴロゴロとした岩がヌルヌルしていて転びそうになった。それでも落ち葉の入った袋だけはぎっちりと握っていた。右手を斜面に、左手に袋を持って進む。進む。進む。
ん? なんだこれ?
斜面にはツタが覆いかぶさり、手で少し掻き分けると中が空洞になっていた。でも暗くて見えない。
これは……。
「お~い、夕~子~。夕~子~」
先生や生徒の声がする。きっとあたしを探しに来てくれているんだ。やばい。
夕子は声を上げて助けを求めなかった。さらに上流へ20メートルほど進む。まだ声がする。
お、あそこなら。
さらに30メートルほど先に、斜面の低い場所があった。あの場所をみんなに知られてはいけない。そして水の中に一度潜る。
「どうしたの? そのかっこう」
ずぶ濡れになった夕子の姿を見て先生は言った。
「急に雨が降ってきたんです」
「んなわけねーだろ。晴れてるじゃねーか」
男子生徒が嘘を指摘した。
「あたしだって知らないよ。急にどしゃ降りになったんだもん」
「ま、このままだと風邪ひいちゃうから。はい。ではみなさん、帰りますよー」
晴れ渡った山に先生の声が響いた。
「すみません。うちの子が本当にご迷惑を……」
夕子のお母さんが電話越しに謝っている。夕子は誰のか分からない学校のジャージを着ていた。
「いえいえ、先生は悪くありません。私が聞いても、『雨が降った』しか言わないんです」
階段の中ほどからお母さんの様子を見ていた夕子は
ふう。
と一息つき、階段を上がり部屋に戻る。きっとあとで叱られると思ったけど、そんなことはどうでもいい。
押入れを開ける。中からオレンジ色のリュックを取り出す。あとはなんだ? 懐中電灯はたしか玄関の靴箱にある。あとでこっそり取ってこよう。
散らかった勉強机の一番大きな引き出しを開ける。中から取り出す。
フルーツ味のキャンディーの入った袋。
夕子は目をつぶり、中から一つ選ぶ。
さあ、どうかな。
目はつぶったまま慣れた手つきでキャンディーの包みを開け、口へ放り込む。
きた!
みかん味だった。夕子の運が絶好調のしるしだ。ランドセルからノートを取り出す。
『4年2組 丘 夕子』
その上の『算数』と書かれた文字をマジックで塗りつぶし、『宝探し』と書く。ためしに一枚めくってみると、先生の赤で書かれた採点が丸よりバツのほうが多かったのでやぶいて捨てた。
きっとあの空洞の先には金銀財宝があるにちがいない。ぜったいそうだ。
「夕子! ちょっときなさい!」
お母さんの大声が下の階から聞こえ、夕子は慌ててノートを机にしまう。夕子の口の中でみかん味のキャンディーがカチッと割れる音がした。
ぜったい見つけてやるぞ!
そう思いながら、夕子はお母さんに叱られに、笑顔で一階に降りた。