異世界転生したら素敵な彼氏が出来ました!――ただし彼の周囲でよく人が死にます――
※部分的にはガチホラーなので苦手な人はご注意ください。
その『仕事場』に立ったとき、私の口からはハリウッド映画を思わせる『seriously?』というつぶやきがこぼれていた。
そしてその瞬間、私は自分が幸運と不運の丁度中間に立っていることに気づいたのだ。
幸運だったのは、夢にまで見た『異世界転生』をしていたと気づけたこと。
現世での私は冴えない女子高生だったので、割と本気で異世界転生と無双を夢見ていたのである。
しかし不運だったのは、そこが、夢見ていた乙女ゲームやRPGをモチーフにした世界ではなかったことだ。
「それじゃあ、仕事を頼むぞ」
そう言って部屋を出て行ったのは黒人の警察官。
一方私は、掃除用具を担いだ貧相なティーンエイジャーだった。むろん無双できるような特殊能力などない。
そんな私の前には、血で真っ赤に汚れたソファとテレビが鎮座している。
血痕自体は別にどうってことない。そういう物を片付けるのが私の仕事だし、五歳の時から父を手伝って特殊清掃をしているので今更驚いたりはしない。
でも問題は血に濡れたその部屋に見覚えがあったことだ。
花柄のソファに趣味の悪い壁紙、何故か部屋の隅に置かれている血まみれのカーネルサンダース人形は、私――正確には前世の私が死ぬ前に見ていたホラー映画『血まみれブラッディーマリー』のエンディングシーンに出てくる殺人鬼の実家にあまりによく似ていた。
映画はこの部屋でヒロインが殺人鬼をショットガンで返り討ちにするところで終わる。
と言うことはテレビにこびり付いた血しぶきと肉片はあの殺人鬼の物だろう。
「マジで……?」
自分がヒロインでなかったことを喜ぶべきか、前世で憧れていた転生先がスプラッターであることを悲しむべきか迷いつつ、私は手にしたブラシを握り直す。
「まあでも、稼げることに変わりはないか」
少なくとも殺人鬼は死んでいるので身の安全は保証されている。
それに、確かこの家にはいくつかの隠し部屋と死体があるはず――多分警察も保険会社もまだ気づいていないから、教えれば私のギャラも倍くらいにはなるだろう。
となればまずは隠し部屋に続く階段下の床をぶち抜かねばと思いつつ、私は側に落ちていたバールを拾い上げた。
【異世界転生したら素敵な彼氏が出来ました!――ただし彼の周囲でよく人が死にます――】
「疲れた顔をしているけど、昨日の現場は大変だったのか?」
低く柔らかな声に耳朶をくすぐられ、私ははっと我に返った。
車窓に映る自分の顔から視線を外し、声の方へと目を向けるとハリウッド俳優かと見まごう凜々しい顔がこちらを見ていた。
「珍しく顔が痩けてるけど、もしかして相当悲惨な現場だった?」
「ううん。ただちょっと、今日は朝まで調べ物をしていたからあんまり寝てなくて」
「そこは、久々のデートが楽しみで眠れなかったって言って欲しかったな」
キザな台詞もよく似合う彼の名前はハーヴィ=ディケンズ。私より十五歳も年上で、ホーキンという小さな街で保安官をしている。
運転しているのはおんぼろのピックアップトラックだし、顎に生えた無精ひげのせいで無駄にワイルドな容姿だが、こう見えても彼は資産家で、ニューヨークにはペントハウスを、マリブには馬鹿デカい別荘を持っている。あとたぶん、クルーザーなんかもいっぱい持っている。お金持ちと言えばクルーザーだし。
そしてデートなどと言っているが、私たちは恋人同士ではなくあくまでも友人だ。友人よりは少し親密で、あと数回デートをしたらベッドインできそうな雰囲気だったけれど、今やもうそんな気にはなれない。
だってこの世界はホラー映画やゲームに出てくるガチの殺人鬼がうようよいる世界なのだ。そんな世界で処女を捨てたら、死亡率が跳ね上がること間違いない。
ただまあそれでも、彼を逃すのは惜しいと思ってしまうけれど。
「それで、一体何を調べていたんだ?」
トラックのハンドルを片手で操作しながら、ハーヴィが柔らかな声で尋ねてくる。その横顔を見ていると、自分が転生したのは恋愛映画の世界なのではと思いたくなる。
御曹司らしい容姿ではないけれど、凜々しい顔立ちや筋肉質な肉体はロマンス小説の表紙を飾るイケメンそのもの。
それに微笑まれていると、たいして大きくない胸が跳ねてしまう。
だが今でこそ恋愛映画のような素敵なドライブをしているが、ハーヴィと出会ったきっかけは相当物騒なものだった。
資産家である彼の一族は、大富豪であったハーヴィの祖父の遺産を巡る争いをしていた。
文字通りの、血で血を洗う争いである。
彼の家族は立て続けに不審死を遂げ、その片付けのためにやってきた私は彼と出会ったのだ。
元々ハーヴィは遺産放棄のために一族の屋敷を訪れ、そこで一連の殺人事件に巻き込まれた。そして保安官として地元警察と協力し事件の捜査を行っていた。
相手は大人だし、保安官だし、加えて御曹司。特殊清掃を営むティーンエイジャーとは住む世界が違う。
だが毎週のように屋敷に出向き、彼の家族で汚れた部屋を掃除していれば嫌でも面識は出来るものだ。
多分、彼は自分の身の回りで起きる悲劇から目を背ける何かが欲しかったのだろう。
『このあたりで、何か気晴らしが出来る場所はないか?』
バスルームの壁にへばりついていたハーヴィの又従兄弟の一部を片付けていた私に、彼はある日そう言った。
そして私はその日、たまたまロッキー・ホラー・ショーのチケットを二枚持っていたので、彼を屋敷から連れ出したのだ。
親戚が殺された日に連れて行く演目ではなかった気もするが、そのチョイスは彼の琴線に触れたらしい。以来、毎週彼の屋敷で誰かが死ぬ度、私たちはデートをするようになった。
そうして彼の身内が半分に減った頃、「デートのきっかけがなくなる前に、連絡先を交換しないか」と彼は言ってくれた。
『あなたがこの先誰かに殺されないならいいよ』
『安心してくれ。殺人犯は俺だから死んだりはしない』
そんな冗談を交わし合いながら、私たちは連絡先を交換した。
その数週間後、事件の真犯人であったハーヴィの従兄弟を含め、資産家一族は誰もいなくなった。
唯一生き残ったのはハーヴィで、放棄するはずだった一族の遺産を、彼は全て引き継ぐことになったのだ。
センセーショナルな事件故に生き残ったハーヴィは一躍時の人となり、ここ数週間は顔を合わせることすら出来なかったが、この世界では月に一度はむごたらしい殺人事件が起きている。
そのせいでマスコミの注目も彼から離れ、ようやく久々のデートをすることになったのだ。
「それで、俺との一ヶ月ぶりのデートがどうでも良くなるほど気になることって?」
投げかけられた質問に、私は答えを迷う。
どうせ言ったって信じてもらえるわけがない。
だが私が直面した世界の真理は、別れ話にはもってこいだとも思えた。
ハーヴィは底抜けに優しくて、私にベタ惚れだけれど、家族を失ったばかりの彼に『この世界はホラー映画なの』なんて言ったらさすがに気分を害するだろう。
「レストランで話す。言ったら多分、あなたは私を車から降ろしたくなるから」
「それは困ったな。今日は車でないと行けない素敵な場所で食事をするつもりだったのに」
「もしかしてそこ、殺人鬼が潜んでそうな山荘とかじゃないよね?」
「いや、湖畔のリゾート地だよ。ただ少し、不便なところにあるけど」
そんな言葉に続いてハーヴィが口にした地名には、もの凄く聞き覚えがあった。
何せその名は、前世で良くプレイしたゲームのタイトルとまったく同じものである。
足を踏み入れたが最後、霧に包まれ悪夢のような世界を延々さまよう羽目になるのは間違いない。
「……映画だけじゃなくて、ゲームも網羅しているなんて恐ろしすぎる」
「ゲーム?」
「こっちの話。あと今すぐUターンして。少し前にダイナーがあったから、夕食はそこにしよ」
事情を知らないハーヴィからしたら、私の提案はあまりに唐突だったことだろう。
なのに彼は「お姫様のお心のままに」と笑顔でハンドルを切る。
その一瞬だけ切り取ったらもの凄く恋愛映画っぽいのに、チラリと見えたこの先――(地名は掠れていて所々しか読めない)まで十五キロ。という不気味な看板が全てを台無しにする。
掠れていたが、やはりアレはゲームに出てきた地名だろう。あぶなかった。あと少し進んでいたら二度と戻れないところだった。
ひとまず生き残れたことにほっとしながら、私はハーヴィと共にうらぶれたダイナーに足を踏み入れた。
私達の他に客はおらず、従業員には生気がなかったので少し不安になったが、映画やゲームの舞台となった店名ではなかったのでひとまず安心する。
バーガーとパンケーキとコーヒーを頼むと、そこでハーヴィは甘い微笑みを私に向けた。
「それで? 君の睡眠不足の原因は?」
ハーヴィの質問に、私は躊躇いを捨て、自分が知ってしまったことを洗いざらい打ち明けることにした。
自分は前世の記憶があること。
前世で見たホラー映画そっくりの殺人現場に遭遇したこと。
そして色々と調べてみた結果、この世界は私が前世で見てきた様々なホラー映画やゲームがつぎはぎになってできているとわかったこと。
改めて口にすると突拍子もないが、ハーヴィは最低限の相づちを打ちながらも、静かに話を聞いてくれた。
「つまりね、この世界にはもの凄く沢山の殺人鬼が潜んでるって訳」
「悪霊とかも?」
「悪霊はたぶんいる。エクソシストにそっくりな事件のこと、新聞になってたし」
「じゃあゾンビは」
「たぶんゾンビはいないわ。いくら調べても、生物兵器を開発しているような企業はなかったし。……あと、宇宙人ネタもないみたい」
「つまりプレデターはいない?」
「ええ。この世界でも映画になっているようなキャラはいないようなの。だからエイリアンとスピーシーズは回避できてるみたい」
昨晩のうちにインターネットで得た情報を告げれば、ハーヴィはむしろ嬉々として私の話を聞いているようだった。
それを少し怪訝に思っていると、彼はふと真顔になった。
「……その話が事実なら、もしかして俺も映画の登場人物だったりするのか?」
「少なくとも、私は見てない。前世では結構なホラー映画オタクで相当数見てたけど、あなたのことはまったく記憶にないもの」
「忘れてるだけってことは?」
「あなたの顔って私のタイプなのよ? もし見てたらどんなB級ホラー映画でも二百回はリピートするだろうし忘れるわけない」
「それ、今までで最高の賛辞だな」
ハーヴィは嬉しげに目を細めながら、運ばれてきたパンケーキを切り分ける。
怒る様子もなく、優雅な手つきでナイフを扱う様子を見ていると、彼が気分を害していないとわかり少しだけほっとする。
いや、ほっとしている場合ではない。むしろ私は振られるつもりだったのだ。
「ということで、別れたいの」
「待ってくれ。話の流れがもの凄く飛躍したぞ」
「私ね、処女を失いたくないの」
「君、処女だったのか? 高校ではフットボール選手とやりまくってたって言ってただろ」
「あれは…見栄を張ったの……。親父が死んでからは仕事が忙しくて高校も行ってない」
「何故言わなかった」
「だって好みが服を着て歩いてるような素敵な男性に出会ったのよ。絶対逃したくないじゃない」
「そんな可愛い台詞を置いて、今更俺から逃げられると思ってるのか?」
「修羅場を生き残ったあなたと違って、私はしがない特殊清掃員なのよ。処女であることくらいしか、生存確率を上げる方法ないもの」
「じゃあ、確率を上げる方法が他にあればいいのか?」
不意に手を止め、ハーヴィは私をじっと見つめた。
彼の瞳に射貫かれるとなんだかドキドキしてしまい、私は言葉を発することが出来ない。
そうしていると私のハンバーガーが運ばれてきた。
とりあえずこの場は食事をすることで誤魔化そうと思ったのに、テーブルに置かれたハンバーガーに手をつけることはできなかった。
突然、激しい音と共に薄汚れたハチェットがテーブルにたたき付けられたからである。
清掃現場で時折見るこれがなぜここに……と思った瞬間、ハーヴィの逞しい右腕が不自然な角度で私の前へと転がってくる。
文字通り、それは転がってきた。まるで木の枝のように、ごろりと。
「――ッ!」
悲鳴は上げられなかった。声帯どころか指一本動かすことが出来ず、私は唯一動かすことができた視線をそっと横に傾ける。
すぐ側に立っていたのは、あの店員だったと思う。確証がないのは、彼が紙袋を頭からすっぽりかぶっていたからだ。
紙袋に空いた雑な穴からは血走った眼がのぞき、はぁはぁというくぐもった荒い呼吸だけが聞こえてくる。
紙袋には血がついていたが、多分それはハーヴィのものだろう。だがそれをこの目で確認するほどの余裕はなかった。
あれほどホラー映画をみていたのに、目の前の彼が腕を失い死にかけている姿を、どうしても視界に入れることが出来なかったのだ。
張り詰めた空気の中、店員がテーブルに突き刺さったハチェットを引き抜こうとする。
思いのほか深く刺さっていたのか、男はかなりもたもたしていた。多分今なら逃げられると思うが、いざ自分が当事者になると椅子から立ち上がることも出来ない。
「……ああ、そういう可愛い顔も出来るんだな」
冷え冷えとした声に私はびくりと肩をふるわせた。
だが不思議だったのは、私と同じように店員もビクッと肩をふるわせたことだ。
「でもその顔は、俺が引き出したかったよ」
てっきり店員が発した言葉だと思っていたのに、彼はただただ狼狽するばかりだった。
それを見てようやく、私は声の主が店員ではなく目の前に座るハーヴィのものだと気がついた。
「ようやくこっちを見てくれたな」
顔を上げた私の前で、彼は何事もなかったかのように笑っていた。
彼は右腕を失い、傷口からは凄まじい量の血が出ているのに、私に向ける顔だけは恋愛映画のように甘いままだ。むしろ今までで一番甘くて優しい顔をしている。
「さっきの話の続きだが、要はこういう奴に出会っても死ななければいいんだろう?」
笑みを浮かべたまま、ハーヴィはすらすらと言葉を紡ぐ。
「死なないなら、君が処女でいる必要はないわけだ」
何度見ても彼の右腕は切り落とされている。なのに彼は、あまりに平然と食事と会話を続けていた。
私以上に驚いていたのは店員だった。
ようやく抜けたハチェットを握りしめ、私たちのテーブルから後退する店員にハーヴィがチラリと視線を向ける。
「君は、死体は見慣れているな?」
「み、見慣れてはいる」
「スプラッターホラーは大丈夫か?」
「わ、わりと好き……かな」
「それを聞いて安心した」
そういって、にっこり笑った直後、ハーヴィーは獣の様に跳び上がった。
左腕だけで店員を掴み上げ、彼をカウンター席の向こうに投げ飛ばす。
その衝撃で私の足下に落ちたハチェットを拾い上げた後、側に置いてあった紙ナプキンを広げて私に持たせた。
「返り血に気をつけて」
笑顔を崩さぬまま、ハーヴィはカウンターを華麗に飛び越えた。
そしてその後は、ホラー映画でよく見る展開だ。
不自然にチカチカしだす蛍光灯。
断末魔の叫び。
激しい血しぶき。
壁に映る殺人鬼の影――。
普通なら何カットにも及ぶシーンを長回しでみせられた私は、ナプキンを広げたままただただ呆然としていた。
正直、映画のヒロインみたいに気絶でもできたらと思う。でも私は死体とホラーに慣れ過ぎていて、簡単に意識を飛ばすことができなかった。
とは言え、この状況に恐怖を感じないわけではない。ホラーが好きなのはそれがフィクションだからだ。目の前で繰り広げられる殺戮を嬉々として見ていられるわけがない。
「これで、証明できたかな?」
しかしこの男は――ハーヴィという名の私のボーイフレンドは、最後まで笑顔を絶やさなかった。
右腕を失い、自分と店員の血で顔も身体も真っ赤に染まっているというのに、いつもの調子をまったく崩さない。
あまりに普段通りの彼を目の前にしていると、私も妙に冷静になってしまう。
「……もしかして、連絡先を交換したときに『殺人鬼』だっていったの、あれ本当だったの?」
「ああ。まあ厳密に言うと、殺人鬼カテゴリーではないんだけど」
言いながら再びカウンターを飛び越え、戻ってきたハーヴィはテーブルの上に転がっている自分の腕を持ち上げる。
それを欠損部分に当てた瞬間、まるで時間が巻戻るように傷は消え腕は元通りになってしまう。
「えっ、まさかゾンビ?」
「腐った奴らと一緒にしないでくれ。こう見えても、割と由緒正しいタイプだよ」
「……もしかして血とか……吸う?」
「否定はしないが、恋人の血はワイングラスから頂くタイプだから安心してくれ」
「まったくもって安心できる要素ないよ!」
思わずツッコむと、ハーヴィは腹を抱えながら笑った。
「殺人鬼だけじゃなくて、モンスターもいる世界だったなんて……」
「ちなみに言うと、エイリアンもいる。ただ、地球ごと破壊しかねない奴らは適時掃除されているだけで」
「掃除?」
「ああ、そういえばこっちのバッジはみせてなかったな」
そう言うと、ハーヴィは血で濡れた手を紙ナプキンでゴシゴシと拭いて、ジャケットの下からバッジを取り出す。
「一応俺は正義の味方なんだ。ホラーな事件を専門に捜査したり、殺人鬼を捕まえたり、今日みたいにお仕置きしたりする仕事って言えば良いかな」
「待って、これFBIって書いてあるんだけど!?」
「表向きはね。でも実質別組織みたいなもんだよ。人間全然いないし」
「……もしかしてあの、メンインブラックみたいな?」
「もしくは血みどろエージェントオブシールド」
言いながら、彼は切り分けたままになっていたパンケーキをひょいとつまみ上げる。
血まみれのそれを容赦なく口に放り、それから彼は繋がったばかりの右手で私の手をそっと握った。
「これで、俺が真っ当だってわかってくれた?」
「真っ当どころか危険人物だとしか思えないんだけど」
「身分証明書見た? FBIって書いてあっただろ?」
「FBIが、殺人鬼相手とはいえむちゃくちゃ残酷な殺し方する? しないよね? ああいうのは映画の中でしかやっちゃいけないんだよ?」
「俺が人外だって知っていながら、真面目にツッコんでくれるとこ好きだな」
「いや、愛の告白は今いらない。っていうか、私家に帰してもらえるの?」
「帰すわけないだろ。ホテルはもう用意してあるし」
「どうせ殺すなら痛くない方法にして」
「殺すわけないだろ。ようやくセックスできそうなのに」
「待って、そっち?」
「そうだよ。一目惚れしてからずっとこの日を待ってたってのに、殺人鬼を殺したくらいで延期になんてしたくない」
「ひ、一目惚れ……だったの?」
「俺にとっても君は理想が服を着て歩いてる存在だ」
そういう声があんまり甘くて優しいものだから、私はうっかりドキドキしてしまった。
血まみれの相手なのに。切り落とされた腕を易々繋げ、自分より大柄な殺人鬼をバラバラにするような男なのに、高鳴る鼓動が収まらない。
いや、もしかしたらこれは、命の危機に反応しているだけかもしれないけど。
「それでどうする? 自分で言うのもなんだけど、俺みたいなのを彼氏にしとくとこの世界で生きやすいって思わないか?」
「いや、でも……」
「国勤めだし給料も良いぞ? あとこの前の事件の報酬で、ディケンズ家の遺産も貰ったから実質御曹司設定は生きてるし、こう見えてかなり長い年月生きてるから俺自身の資産もすごいぞ?」
「金で釣ろうとしないでよ」
「金以外はホラー要素絡みまくりだし、アピールポイントにならないから」
「アピールしないという手は?」
「ない。馬鹿みたいだが、長いこと生きてきて君ほど愛しいと思った相手は初めてなんだ」
「ほ、ホラー映画じゃそんな台詞言わない!」
「いやあるだろ。トワイライトだ、トワイライトだと思え」
「トワイライトにしては色々と刺激が強すぎる」
「でも刺激がある方が好きだろ?」
飛ばされたウインクを跳ね返せないことがつらい。
そう、確かに刺激的なのは好きだ。というか多分私は血も死体も殺人鬼も好きなのだ。むしろトワイライトみたいなキラキラなんちゃってホラーのほうに吐き気を催すタイプなのだ。
でもそれを、私は認めてこなかった。
この世界がホラーの世界だと気づいたときも、本当は結構ワクワクしたのにそれを見ないふりをしてきた。
でもこの男の前では、本心が隠しきれない。こんな状況でときめいたりワクワクしているなんてすっごく異常なのに、それでもいいとさえ思えてきてしまう。
「私のこと、殺さないって約束してくれるなら付き合う」
「殺さないし、殺させない」
物騒な言葉を甘い声にのせながら、ハーヴィは私にキスをしてくれる。
その顔にときめいてしまうあたり、多分私もどこかおかしい。
けれどこの世界なら、こんなおかしな自分でも楽しく生きて行けるかもしれないと、私は思い始めていた。
物騒で、血みどろで、毎日どこかの街で誰かが惨殺されている世界だけれど、強くて素敵な彼氏に守られるという異世界転生のテンプレは生きてるし。
「それで、他に何か条件はある? 君の彼氏になれるなら、俺は何だってするよ?」
私が望めば大統領だって殺しに行きそうな男に抱き締められながら、私は彼の血まみれの顔を見上げた。
「……血まみれのまま抱きつかれると洗濯が大変だから自重してほしい」
まあ、今はもう汚れてしまったから良いけどと言えば、彼は「ごめん」と言いつつ更にぎゅっと抱きしめてくる。
「あと初めてするのは、安全な場所が良い」
間違っても『ベイツ』の名のつくモーテルだけはやめてと主張してから、私は愛しい殺人鬼の唇にキスをする。
「血の味がする」
「そのうち慣れるさ」
それは御免被りたいと思ったが、彼とのキスの虜になりそうな予感と不安が私の中には渦巻いていた――。
【異世界転生したら素敵な彼氏が出来ました!――ただし彼の周囲でよく人が死にます――】END