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深海の星空  作者: ふあ
邂逅
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リュウグウノツカイ 4

 明け方にようやく眠りにつき、目を覚ました時刻には、とうに日は高く昇っていた。締め切ったカーテンの隙間から差し込む光に、ぼんやりとした頭を振りながら、少女は通学鞄を引きずって自室のドアを開けた。

 大遅刻は決定しているし、このまま一日サボってしまおうかとも考えたが、折角終わらせた大量の宿題が、無為に消えてしまうのも勿体無い。提出だけを目的に、午後からでも行こうと、少女は面白くもない一日の計画を立てる。上役出勤だな。そう思う端でトーストが焼けた。


 母はとうに仕事に出ており、窓から日差しが流れ込むリビングは静かだ。カップ一杯のコーンスープ、甘さ控えめのコーヒーを並べ、焼けたばかりのトーストにマーガリンを塗りたくりながら、スイッチを入れたテレビを眺めた。

 九時半を回った時刻。四角い画面の中で、黄色い着ぐるみが幼児と踊り狂っている。チャンネルを繰ると、実用性のない手作り玩具が組み立てられ、粘土の青虫が木の上を這いずり、好き嫌いは駄目だと平仮名だらけの歌詞が流れる。こんな時間に誰が見るんだと、自分を棚に上げながら、ようやくニュース番組にたどり着いた。


 億単位の政治資金の使い込み。どこかの街にいる逃亡中の通り魔。今週のヒットチャート。地元のおすすめ名産品。年々に増えていくいじめの件数。今日のお天気は、続いて気になる星座占いの行方は。

 うるさい。声に出さずぼやいて、少女はテレビ画面を黒く塗りつぶした。一貫性がないにも程がある。このトーストに無秩序に塗られたマーガリンみたいに、随分とムラがある。


 サクサクと咀嚼しながら、ふと目をやった先にあった新聞を手元に寄せた。明け方にテーブルの端に放っておいてから、母も目にしなかったらしい。もしかしたら、あの出来事は、寝つきの悪い夢であるという可能性も否めなかったから、少女は四十面まである新聞を、目当ての面まで後ろからめくった。


 どうやら、今朝の声は現実のものだったようだ。上半分、更に右半分にも満たない大きさの枠には、確かに本の紹介文がある。下部には、本にも掲載されている一枚の写真。リュウグウノツカイという魚が、深海を泳いでいる風景だった。この魚の出現は、地震の前触れだとも言われているらしい。

 記事を読み終わり、開いた新聞を二つに折った。

 面白くもなんともない。わざわざ思いながら、彼女は指先からトーストのカスを払い、新聞の下敷きになっていたスマートフォンを操作した。赤いケースに包まれた画面の中にある、緑やオレンジの細々としたアイコンから一つを選び、下から生えてきたキーボードをすいすいと指でなぞる。


 深海魚 リュウグウノツカイ


 入力後に現れた膨大な検索結果の中から、トップに躍り出た一文を叩くと、至極丁寧な説明やカラーの写真が流れてきた。


 太刀魚に似た、細長い銀色の体に、鮮やかな赤いヒレが背をなぞり、頭側の先端は特にタテガミのように長く伸びている。神秘的かもしれないが、決して可愛いものではない。世界最長の硬骨魚。大人が幾人も横に並び、伸ばしたそいつを抱えている写真がある。大きなもので、十一メートルの長さになるという。

「なが」

 一階の高さが二点五メートルのビルなら、五階に到達する。見上げる想像をして、思わず彼女は小さく声を漏らした。


 冷めたスープを飲み干しながら、読む奴の気がしれないと、適当に検索ページをめくる。世間のどこに隠れているのか、深海魚好きがまとめたサイトは、意外にも充実していた。

 ラブカとは、数時間前に聞いた気がする。切れ込みのようなヒレを持つ、なんとも恐ろしい顔つきの生きた化石は、サメの一種らしい大きな口を開けている。如何にも、男の子が好きそうな生き物だ。


 なんだ。あいつもやっぱり、子どもなんじゃないか。


 毎日機械のように同じ時刻にやって来ては、寸分違わぬ動作で去っていく、暗い瞳を伏せたままの少年にも、やはり好きなものはあるのだ。当然のことを考えながら、今朝見たばかりの、珍しくこちらを向いた瞳と、下に落ちない声を思い出す。大人ぶってるくせに。まんざらでもない気分で、悪態をつく。

 つらつらと流れる名前一覧の中には、あの後、彼が紡いだ単語と一致するものも幾つか含まれていた。


 デメニギス。クシクラゲ。ミツクリザメ。リーフィーシードラゴン。


 写真に写る彼らは、どれも見覚えのない形態で、不思議に光ったり、口が飛び出たり、頭が透明だったり。こんなのが泳いでいるなんて、深海とはまるでこの世とは別世界のようだ。

 ブロブフィッシュ。

「……気色悪」

 世界一醜いと言われる、唇の腫れた肌色の魚に、歯に衣着せぬ感想を呟くと、少女は顔を上げた。テレビの頭上にかかっている時計は、いつの間にか一時間の経過を示している。これから食器を洗い、遅めの洗濯をすれば、午後の授業には間に合ってしまう。

 機器をホーム画面に戻すと、彼女は大きくため息をついた。

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