表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
なきものねだり  作者: ほしがひかる
8/13

     13


 永遠に感じられる夜が明けて、山と町は一晩で白に染め上げられていた。昨日の夜、旧校舎に居た時は月が露わになっていたのに山間部は天候が急激に変化するようだった。この町の今年の初雪は例年よりも幾日か早いらしく、そのことを周囲の人たちは話題にしていた。長靴を履くほどの積雪ではないけれど、歩くたびに靴に纏わりつくような感覚が不快だった。

 白く光り輝く世界は、僕の心情とは真反対で直視出来なかった。

 僕は朝、昼と食べ物が喉を通らなくて、水分の補給だけを繰り返していた。

 相手を傷つけてしまったら謝る。そんな当たり前のことに一日耽っていて、昨日よりも時間の経過が早く感じられた。教室にある時計の秒針を睨みつけては、もっと遅くなれ、と馬鹿みたいに願っていた。少しでも心を落ち着かせる時間が延びてほしかったから。

 無情にも時計の短針は刻々と進んで、学校の一日の過程終了を知らせる時刻を差してチャイムが鳴った。

 今日も青井とは何も話さず、むしろ視線の交差すらしなかった。

 けれど今は青井よりも一瀬のことが気にかかって、それがなかなか踏み出そうとしなかった足を動かして僕を旧校舎に向かわせた。

 肝心の一瀬を探したけれど、どこにも姿が見当たらなかった。いつも居るはずの教室にも。それほど広くない旧校舎を探し回るのは苦でなかったけど、それでも彼女と会うことは出来ず空回りに終わってしまった。

 無念の心持ちで暗くなった廊下を歩いていると、いつかと似たようなシチュエーションである人物と遭遇した。

 傷だらけの少女。

彼女が僕の数歩先に居た。

 相変わらず顔はマスクと右目の眼帯で大半を隠していて、前よりも伸びた髪によって左目は覆われていた。額の大きな傷跡も前髪に隠れていた。しかし前に遭遇した時は太ももに巻かれていた包帯は取り除かれていた。冬季の制服に変わっているため腕の包帯の状態は確認できなかったけれど、おそらく腕の方も取り除かれているだろう。

 傷だらけの少女が青井と一瀬に深く関わりのある人物ということを知ったから、同じシチュエーションにもかかわらず、前とは違うように感じられる。

 初めて遭遇した時は約二メートルほどの距離を保っていて決して双方近づかなかったけれど、彼女は足早に僕との距離を詰めてきた。そして両手を僕の肩に伸ばして掴みかかってきた。突発的なその行為に驚いて身構えたけれど、それよりも速く彼女は僕の両肩を力強く掴んできた。

「声が、聞こえなく、なった」

 それが久しぶりに聞く傷だらけの少女の第一声だった。弱々しくも芯がある声。

 声。

 僕はそう繰り返した。

「昨日の夜、あなたが旧校舎から、出たのを見計らって、私も来た」

でも、と彼女は続ける。

「昨日も今日も、ずっと真琴の声が、聞こえない」

 あなた、真琴に何かしたの。

 怒気を含んだ声で彼女はそう訊いてきたけど、僕はそれよりも気にかかることに答えた。

「一瀬の声が、聞こえない? それはそうだよ。だって彼女は人気姫のように声が出せないじゃないか」

 いや、実際には声を出しているかもしれない。僕には聞こえないが。

 傷だらけの少女は僕の肩を掴む力を一層強めて言う。

「なに、言っているの? あなたも、聞こえてたでしょう?」

「キミは何のことを言ってるの。僕には彼女の姿が見えるだけで、彼女の声なんて一度も聞こえた例がないよ」

 すると僕の肩を掴んでいた手の力が緩んで、落ちた。

「姿が、見える?」

「そうだよ。キミもそうじゃないの?」

 傷だらけの少女は一瞬呆気に取られていたようだけど、すぐに首を振った。

「私には、見えない」

 少し、混乱する。

 てっきり僕は傷だらけの少女にも一瀬の姿が見えているものだと思い込んでいた。そんなはずは、と僕は思うけれど、すぐにその思いを捨てる。たしか青井は一瀬に触られた感覚があった、と言っていた。でも彼にも一瀬の姿は見えていなかった。

 三者三様で一瀬の認識がまったく異なっている。

 僕はハッキリと一瀬の姿が見える。

 青井は一瀬の存在を物理的に感じる。

 傷だらけの少女は一瀬の声が聞こえる。

 まるで一瀬という一つの少女が三つのパーツに分けられたようだ。

 混乱する頭をなんとか正常に戻そうと、僕はずっと抱えていた疑問を彼女に訊いた。

「キミは、一体、何者なの?」

 初めて傷だらけの少女と対面した時も同じ事を訊いた。

 今回もあなたに関係ないと拒否されると思っていたけれど、彼女は少し躊躇してから「分かった。教える」と言った。

顔の大半を隠されているためどんな表情をしているのか分からないけれど、僕が一瀬に深く関わっていると彼女が判断したからか。SNSの非公開アカウントがフォロー申請を承諾したみたいに、彼女はようやく正体を明らかにしてくれるようだった。

「一瀬真尋」

 少しの間を置いて彼女は補足する。

「一瀬真琴の、双子の妹」

 世界の秘密を知ってしまった時のような衝撃が、僕の頭を激しく揺さぶった。

 一方で、いくつか思い当たる節があった。

 僕がいつもクラスメイトたちと同じ時を過ごす教室、そこの窓際には一つの空席があった。木下が教えてくれた時、僕は一瀬という名前を聞いただけで幽霊の一瀬が生前に使用していた席だと思っていた。

 それは完全に僕の早計だった。亡くなった人の席をいつまでもそのままにしておくだろうか。常識的に考えればその可能性はゼロに等しい。そこの席はまぎれもなく、傷だらけの少女の席だ。僕は自分から身近にあった答えに気が付こうとしなかった。

 それに初めて傷だらけの少女――真尋に出会った時、何となくではあるけれど、彼女が僕と同い年ぐらいに感じた。それはそうだ。だって、毎日その双子と顔を合わせて姿を目に焼き付けていたのだから。

 しかし、そうすると新たな疑問が生ずる。

「なんでキミは学校に来ないの?」

 僕は一度も教室の空席に、本来の人物が座るのを見たことがなかった。

 私は、と彼女は俯きがちになって言う。

「あのクラスから……一樹から、嫌われているから」

「嫌われている?」どうして、とその後に言うのは野暮のような気がしたけれど、一瀬真琴のことと関係しているような気もして、結局「どうして」と言った。

 彼女はさらに下を向いて、僕の耳に届く前に消えてしまいそうな声で答えてくれた。

「私が、真琴を、殺してしまったから」

 真尋は『幽霊で、殺人犯』と以前言っていた。

 あと少しのところで全てが分かりそうで、「どういうこと?」と僕は話を掘り下げる。

 今までの人生を振り返るように彼女はしばらく考え込んだ。どこから話そうかあぐねているようだった。

 罪人が語るような口調で、ゆっくりと彼女は話し始めた。

「私と真琴は双子で、容姿も声も何もかもそっくりだった。性格だけを除いて。真琴は絵に描いたような元気溌剌の性格で、私はその真反対。光と影みたいに。当然、そうなれば環境がお互いに異なる。真琴には友達が一杯いて、私は一人。もちろん、それは私が選んだ末の結果だから不満はなかった」

久しく長く喋るからか、彼女は一旦呼吸を整える。

「自分が選んだ末の環境に不満がなかったのは、本当。でも真琴は優しいから、そんな私を見かねて、よく友達と遊ぶときに誘ってくれた。小さい頃からずっと。それはそれで楽しかったっていうのも本当。でも、だからこそ光が眩しくて辛かった。生きてることがいけないことだと批判されてるみたいで。それに十数年も悩まされてた。けど真琴に相談出来るはずもなかったし、親にも、誰にも。一人ずっと抱えてた。よく旧校舎に来ては、ずっと考え事してた」

 また呼吸を整える。

「それで、六カ月前。クラスメイトが話してるのを偶然聞いて……私と真琴、なんであんなに違うのって。侮辱とかそういう類の話じゃなかったと思うけれど、その時の私にとっては十分過ぎるくらいのダメージで募りに募ったものがそこで一気に溢れた。それに私がいる限り真琴にも迷惑が掛かるのも目に見えてた。客観的には、たいしたことじゃないって思うでしょ?」

 彼女の問いかけに僕は首を振る。

 しかし、彼女も首を振った。

「大抵の人はそう思うの。でも主観は異なる。思い悩んで、考え抜いた末に自殺しようと思った。いつも居た旧校舎の屋上から。そしてやっと屋上に踏み込んだの。でも、その日に限って真琴が私を心配して旧校舎の屋上まで来てくれた。一瞬、真琴の顔を見たときに決意が揺らいだ。だけど、ごめんねって真琴に告げて屋上から飛び降りた」

 真尋の話は簡略されているようでポイントとなる部分だけが話されていたいけれど、それでも十分に彼女が思い悩んだ姿が見えた。

 でも、と真尋は続ける。

「まるで私が飛び降りるのを真琴は予知してたみたいに私のすぐ後に飛び降りて、落ちながら私の体を抱きしめて、気付かなくてごめんね、って言った」

彼女の声は震えている。

「それが最期の真琴の言葉だった。気が付いたら私は病院でベッドの上。私は生きてる。なのに、真琴の方が死んでしまった。もう、何よりもそれが、死のうとした私にとっての罰だった。なんで真琴が。なんで私は生きてるの。なんで。なんで。もう死ぬ気力もなくなった」

 いつか青井から聞いた話では、真琴は二階から落ちて亡くなってしまったと聞いたけれどそれとは若干の違いがあった。誰よりも近くに居た彼女が言うのだから、それが真実なのだろう。

 そして真尋はマスクと眼帯と取ってアシンメトリーの前髪もヘアピンで留めて、初めて彼女の顔が露わになった。けれど見慣れた顔がそこにはあった。髪型、額の傷、結膜が赤く染まった右目。それらが真琴とは違ったけれど、やはり瓜二つの姿だ。

 もう隠すことは何もない。だから彼女は顔を覆っていたものを取り払ったのだ。

「キミは姉――真琴の声が聞こえるようになったのは、いつから?」

「……八月から。ハッキリと覚えてる」

 八月というと、ちょうどその頃から旧校舎に行くと誰かに触られる感じがするようになったと青井が言っていた。時期的には同じだ。でもその頃になって真琴が幽霊として出てくるようになった理由は分からない。何かきっかけがあったのだろうか。

「最初、真琴の声が聞こえたのは、私の幻聴だと思ってた」

「自然に考えれば、そうだろうね」

「だけど、あまりにも会話がリアルだった。私が質問したらイエス、ノーだけが返ってくるんじゃなくて、曖昧な答えが返ってくる時もあった。口調も真琴そのもので、段々と本当に真琴は居るんだと思い始めた」

「真琴は存在しているよ。実際にこの目で見ていから」

 そう言うと彼女は弱々しく頷いた。

「真琴とまた会話が出来て嬉しい反面、後ろめたい気持ちがあった。だって真琴を殺したのは私だから」

 僕は首を振る。

「それは事故だったんだ。どうすることも出来なかったから仕方ないよ」

「違う。これは見方の問題。あなたは事故と捉えるかもしれない。でも私と、少なくとも一樹は、私が殺したと捉えてる。たぶんクラスのみんなも」

「彼はこの真相を知っているの?」

 真尋は眉を皺を寄せて、頷いた。

「一樹と真琴は、付き合ってたから」

 今度は僕が眉に皺を寄せる。

 本当はそうじゃない。

僕はそう言いたかったけれど、それをぐっと我慢した。

 真尋が青井と真琴の交際関係の裏にあった事情を知っているのかは分からないけれど、彼女は二人がその関係にあったことを認知していた。

「一樹には知る権利があった。だから真琴が死んだ後、すぐに全部包み隠さず教えた」

 真尋は窓の外へ視線を向けた。

実際には窓に映る自分を睨みつけているようだった。

「すごく怒られた。怒られたっていうより非難の方が正しいかも」

 当然なんだけどね、と彼女は自嘲するように呟いた。

 あの青井が誰かを非難するというのは想像がつかなかった。でも「あいつを赦せない」と言っていた理由が明らかになった。けれどこれは赦す、赦せないというだけの問題ではないように思う。真尋はどうすれば良かったのか、その正解は誰にも分からないのだから。もちろん、僕にも分からない。

「真琴の声が聞こえるようになって少し経った頃に、真琴にそのことを話した。そしたら、知ってるよって言われた」

「知ってるよ?」

「そう。ここから真琴の未練の話に繋がる」

 強力な磁石に引っ張られるみたいに僕の意識がすべて真尋に向かう。

 真琴の未練。

 僕が今心底知りたいことだ。

「僕が以前、彼女の未練について言ったらキミに否定されたけど、それにも繋がるのかな?」

「うん。あの時は違うって言ったけれど、正しく言うと、それだけじゃない」

 僕は首を傾げた。

「それだけじゃない?」

「あなたは真琴の未練が恋を知りたがってることだと言ってた」僕が頷くと「それはあなたに課せられた真琴の未練」と言った。

 真尋は遠回しに言うことが癖になっているようで、なかなか彼女の言いたいことが僕には分からなくて考えさせられる。探偵のゲームをしているような感覚に近いけれど、これは画面の世界の問題じゃない。どうしようもなく、現実の問題だ。

「……真琴の未練は恋を知りたい。これでいいんだろう?」

「そうなんだけど、そうじゃない」

「つまり?」

 まどろこしくて、つい腕を組んでしまった。

 彼女が遠回しに言うのは、今まで物事をはっきりと言えなかった環境によるものだろう。言葉一つ一つを丁寧に選んで、失敗を恐れている。少しだけ、彼女に同情する気持ちが湧いてしまった。

「私と、一樹と、あなた。それぞれ三人に課せられた真琴の未練があるの」

「……未練が三つある、ということかな」

「そう。それぞれ違う内容の」

 僕は組んでいた腕を解いて、額に片手を当てた。

 一度、未練とはどういうものだろうと考えたことがあった。その時は漠然とした考えで、未練というものは一つしかないと思っていた。その偏見と視界の狭さに僕は恥じた。

「だとしたら、キミや青井に託された真琴の未練は何なの?」

「私が聞いた真琴の未練は、私への謝罪」

「謝罪?」

 彼女は不本意そうな表情で頷く。

「私が真尋のすべてを奪っちゃったんだ、私がもっと早くに気が付いてれば真尋は傷つかなかったのかもしれない。そう真琴が言ってた」

「……ああ、そういうことか」

 僕の頭の隅にあった記憶を想起する。

 真琴に、キミは人魚姫みたいだね、と言った時があった。

 しかし彼女は、人魚姫からすべてを奪った瓜二つの女性の方が私だよ、と言っていた。その理由を訊いたけど、その時は町内放送に邪魔されて分からなかった。

 でも今なら分かる。すべてを奪ってしまったというのは、おそらく真尋のことを指していたのだろう。

「すべてを奪っちゃったのは私のほうなのに」

 想起することに集中していた意識を目の前の少女に戻す。

「私は自分の環境を自分で選んだ。だから真琴は悪くなかった」

「真琴からすれば、残された選択肢を選ばせてしまった感が拭えなかったのだろうね」

「違う」

「違わないよ、これは見方の問題だ」

 そう言われた真尋は、ただ悲しそうに俯いた。

「でも真琴に謝罪されて、それで彼女の未練が一つ解決されたんでしょ?」

 真尋は俯いたまま、僅かに頷いた。

「なら、良かったんじゃないかな。あとはキミがその謝罪を受け取れるかどうかだ」

「……当分は掛かりそう」

「それでもいいと思うよ」

 そっか、と彼女は言った。どこか釈然としていないけれど納得もいった様子に見えた。

 ただ、僕が知らない未練がもう一つある。

「青井に課せられた真琴の未練は、キミは知っているの?」

 真尋は顔を上げた。

「一応、知ってる」

 けど、と彼女はまた俯いて続ける。

「こっちの未練は、私と一樹の問題」

「僕に教えられないような未練なのかな」

「そういうわけじゃない」

「なら」

 僕がそう言ったけれど、真尋は首を振る。

「教えられるとかの問題じゃなくて、解消出来ない未練だから……」

「出来ない?」

「たぶん。私には無理だと思う」

「分からないよ。もしかしたら出来るかもしれない。訊いてもいいかな?」

 少しの間、真尋は口を開くまでに躊躇して、悩みを打ち明けるように言った。

「私と、一樹の間にある誤解を解くこと。これが真琴の未練」

「誤解って、真琴の死に関して?」

「そう」

「……たしかに、難しいかもしれないね」と僕は頷いた。

 真琴が死んでしまったのは事故か、真尋が殺してしまったか。

それは誤解というよりも、やはり見方の問題だ。それを変えるのは容易なことではない。

 結果的に人魚姫から様々なものを奪ってしまった瓜二つの女性をまったくの無実だと説明しなければならないように。

 一見、それは容易く解決できるようにも思えるけれどそうはいかない。青井の感情や真尋の事情が紐のように複雑に絡んで一筋縄ではいかない。

「青井とはそのことで会って話したりしたの?」

「しようと思ったことは、あった。でも出来るはずなかった」

 彼が真尋を傷だらけの少女と揶揄するようなあだ名をつけるほど恨んでいるのだから、それは仕方のないことだった。「なるほど」と僕は答えることしか出来ないほどに。

「キミはどうするつもり?」

 僕がそう訊くと、真尋は困惑の表情を浮かべる。

「正直、見当もつかない」と小さく首を振って「そのことを昨日、今日、真琴に言ってみようかと思ってた。けど、真琴の声が全然聞こえなくなって」と嘆くように言った。

 ここで最初の話に戻る。

顔を合わせること自体が難しい青井よりも僕に訊ねてきた彼女は、それが結果的にも正しかった。

「最初の質問に答えよう。昨日、僕が真琴を傷つけてしまったんだ。だから彼女の姿が見えなくて、声も聞こえないんだと思う」

「傷つけた?」

 昨日の一連の経緯を真尋に説明した。自分で説明しながら、僕は馬鹿だ、と感じた。

 一からすべてを話し終えると、彼女の目には憤りのようなものが感じられた。僕を責める権利がある彼女には是非そうして欲しかったけれど、彼女は「そう」と口にしただけで。きっと彼女は僕を責める権利は自分にはないと思ってしまっているのだろう。

 彼女は歯を食いしばるような表情で、

「あなたが、羨ましい」

 と、わけがわからないことを真尋は呟いた。

「なんで?」

「だって、真琴の姿が見えるのは、声だけよりも羨ましい。私だってまた真琴の笑顔が見たいのに」

「そうかな。喋らない会話をするのは、文字の言葉が好きな僕みたいじゃないと厳しいと思うよ。黒板に書くのは腕が疲れるし。でも正直、声が聞こえるキミが羨ましくも思えるよ」

「……そうだね。ないものねだりしたら、駄目だね」

「隣の芝生は青く見えるものだから、しょうがないよ」

 そう言って、僕は話を戻す。

「とりあえず、もう一度真琴を探してみよう。キミは彼女の声が聞こえるだけでは難しいだろう? だから一緒に回ろう」

 そう提案したのは目的が一緒だからだ。決していつか捨てた幼い人情があるからではない。僕は自分にそう言い聞かせた。

「分かった」

 真尋は渋々承諾したように見えたが、彼女は真琴を探し出すためには手段を選んでいられない様子だった。

 誰かと同じ歩幅で旧校舎を歩き回るのは初めてで途中の沈黙や気まずさが変な感じがしていたけれど、探し回るにつれてそれは消えていった。

 でも、一向に一瀬真琴の姿は見つけられず、真尋も声が聞こえかったようで。

時刻が午後十時を回ったところで僕と真尋は、明日の夜にもう一度旧校舎に来ることを約束して、今日は諦めることにした。

旧校舎から出た後に暗い夜の空を見上げて、真尋に一つ訊く。

「双子だったけれど、キミは同じ人を好きになったりしなかったの?」

 一瞬だけ彼女は虚を突かれたような表情をしたけれど、すぐに答えた。

「どうだろう。私は恋なんて分からないし。でも仮にそうだとしたら、真相を一樹に伝えずにいて同じ姿っていうのを利用してたかもしれない」

 人魚姫の瓜二つの女性みたいに。

 最後にそう付け加えて、真尋は少しだけ微笑んだように見えた。いたずらっ子がするような笑い方。

 彼女につられて僕も少しだけ微笑んで「そうだったら、僕はキミを軽蔑していたかもしれないよ」と言った。

 もしかしたら、人魚姫も瓜二つの女性が双子だったら、結末はまったく変わっていたのかもしれない。


人魚姫が泡となって消えてしまった後、王子や周囲の人々から見えない姿になってしまったように、真琴も僕らには認識できない状態になってしまったのだろうか。

旧校舎からの帰り道、そう考えていた。

もしこのまま彼女の姿を見ることが出来ないまま、未練を解消したのとは別の理由で、彼女が消えてしまったとする。

それは僕の望みではなかった。

真琴と交わした約束――恋と愛を教え合うこと――を達成していないのに彼女が消えてしまうのは違う気がする。簡単に言えば、彼女は未練を果たせていないから成仏出来ていないわけだ。

だから、彼女が消えてしまうのは僕の望みではない。

そう思っていた。

けれど、真琴が未練を解消して消えてしまった時のことも想像する。

彼女が居なくなった旧校舎。二度度使われないだろう、いつもの黒板。放置されたままのチョーク。

それらを想像して、ひどく胸が痛んだ。

以前はなかったその形容しがたい痛みに驚いた。理由が分からない痛みは誰だって驚く。しかし驚いただけではなく、胸を巨大な穴開けパンチで開けたようなものも感じた。これもまた理由が分からない。真琴を傷つけてしまった時も同じような虚空感があったけれど、それよりもはるかに巨大な穴。

彼女が消えてしまうのは、二度とない一年が終わってしまうような感じと似ていて、でもそれよりも遥かに寂寥感がある。

これを何て言うのだろう。

僕には、分からない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ