8話 地下独房ー3
リーエに降りかかろうとする酸の唾液。
俺は叫ぶと同時に走り出し手のひらをいっぱいに広げて唾液を、その手のひらに受けた。
「ぐ、あぁ!」
いてぇ。指紋が消えて、手のひらの皮が溶けてしまった。結構痛いじゃないか。利き手に酸を受けてしまったので短剣が使えない。
「リーエ!魔法だ!」
「え?え?」
ダメだ。リーエは突然のことで、さっきまで溜めていた魔力をおじゃんにしてしまった。リーエは、俺が鼠の気を引いてないと攻撃できない。くそ、たった1匹のビルダーラットだぞ。苦戦しまくりじゃないか。だがまだ使える手はある。俺は背中で開いてしまった扉を閉めて、使える方の手を鼠に向けた。そして魔力をその手に流した。
「ハァッ!!」
指から小さな小さな雷が走った。ビルダーラットに直撃すると、痙攣し出して泡を吹いた。思いのほか長い間小雷は続いた。小雷が止むと、指輪の1つに付いていた黄色い石が割れて粉々になった。ビルダーラットはというと、体毛は黒焦げだが、その体は未だに痙攣を繰り返していてまだ生きていることが分かる。本当にそこまでの威力ないんだなこの指輪、あと少し強ければビルダーラットくらいは殺せるのに。
「リーエ、トドメだ!」
「はい、分かりました」
ようやく平静を取り戻したリーエにあとは任せた。
「風よ、裁きを与えんとするわが身に力を。風刃」
詠唱と同時に杖の先から放たれた見えない風の斬撃によりビルダーラットの体は飛散した。
「ユージさん!わ、私のせいで傷を負わせてしまい本当にすみません。今回復魔法をかけます」
「ああ。悪い」
俺は扉に体重をかけたまま右手を差し出した。
「光よ、慈悲を与えんとするわが身に加護を。中治癒」
おお。すげえ。手の皮がみるみるうちに元どおりになっていく。なんかこう、神秘的と言うよりかグロテスクな感じがするな。てか、なんでお前も驚いてるんだよ。
「なあリーエ。お前、人を治すのは初めてなのか?」
「あ、はい、そうですね。人を治すのはこれが初めてです」
「ふーん。つくづくなんでお前が銅級になれたのか不思議に思うよ」
リーエは黙ってしまった。さっきの歯切れの悪さといい、これは聞いちゃいけないことなのかな。
「この扉壊れてるな。多分今背中をどけると勝手に開く」
「え、じゃあこのままにしてないといけないということですか?」
「ああ、少なくともどっちか1人がここで扉を抑えててもう1人が重しを持ってくるか、俺が抑えてる間にリーエが組合に報告するかだ」
「でも、報告しても討伐に来るのは2、3日後になると思います......」
「そうだよな。重しといっても外にある石は2人がかりじゃないと運べないものばかり。父はこの時間教会の方に行ってしまっているし、子供達をこんな危険な所に入れたくない。結構詰んでるな」
「そんな......」
実はさっき、指輪を使ったところで思い出したことがある。
それを実行してみたい。
「悪いリーエ、抑えるの変わってくれないか?」
「え!私を置いていくつもりですか?そりゃ私が受けた依頼ですが、酷いじゃないですか」
「違う違う、そうじゃない。ちょっとやってみたいことがあるんだ」
「やってみたいこと、ですか?」
リーエが扉を抑えるのを確認して、俺は早速準備に取り掛かった。
準備といっても大それた事ではない。指輪に残っている2つの黄色い石のうち、1つをはずしもう1つの指輪の凹凸にはめ込んだ。そう、この凸凹は恐らくこのように多くの石をはめ込むのが本来の使われ方なのだと思う。
そして、この黄色い石はニホンの記憶で見た電気のエネルギー体、すなわち「電池」だ。直流つなぎという概念がこの魔道具にあるか分からないが、単純な威力倍増には成功しているはずだ。威力倍増、つまりあのビルダーラットを一撃で殺せる威力だ。
そして、この雷撃魔法の効果時間が長いのはすでに知っている。言わば遠距離型「スタンガン(使い捨て)」と化したこの指輪をあの水浸しの部屋に撃てばどうなるだろうか。試す価値はありそうだ。
「よしできた。じゃあリーエ、離れててくれ」
「分かりました」
言われた通り、ささっとその場から離れるリーエ。小動物みたいでほっこりしそうだ。
俺は再び扉を少しだけ開けて、指を巣の方へ向けた。
「ふんっ!!」
ありったけの魔力を指に流した。その瞬間、凄まじい轟音。まるで近くで雷が落ちた時のような轟音。嘘だろこの威力。2倍どころじゃなくて10倍以上あるだろ。俺自身が感電しそうで怖い。リーエはというと耳と目を塞いでうずくまっている。7秒ほどして、轟音が鳴り止むと同時に石が2つとも砕け散るのが分かった。
「終わり、ましたか?」
恐る恐る顔を上げるリーエ。少し涙ぐんでいるのが可愛らしい。
「ああ。中を確認しよう」
覗いて見る限りではさっきまでのように蠢く無数の影はない。黒い炭みたいなものが煙を少し上げて転がっているだけだ。もちろん、ピクリとも動かない。
「臭いですね」
「こいつらが焼けた匂いってのもあるだろうが、もともとの排泄物とかの匂いもあるんだろうな」
ほとんどの個体は目が蒸発して血が流れ、喉袋は破裂していた。糞尿を垂れ流し、体毛は灰色から醜い黒に変貌している。つくづくこのスタンガンの威力にため息が出る。父さんもすごいのを渡してくれたもんだ。巣は白いままだが、その大きな入り口から少しの煙が出ていることから、巣の中の奴らにも有効だったようだ。
「ユージさん、上手くいったのは嬉しい事なんですが、酷いですよ」
「え?」
「び、びっくりしたじゃないですか!あんなすごい音出るならあらかじめ言っておいてくださいよ!」
「いや、俺だってこんなんになるとは予想外だったんだよ」
「っ!それでも、どんな魔法なのかくらいは言うべきじゃないですか!?」
それは確かにそうだな。ん?リーエ妙に内股だな。こんなに女々しかったか?......まさか!
「リーエ、まさかお前、ビビって漏らしたのか?」
言った瞬間顔の横を鋭い、これほどまで洗練されたものはないと思うほどの風の斬撃が通った。軽く耳が切れてますねこれ。
「あ、すいません。リーエ様。どうかご慈悲を」
俺はこの距離でのリーエに勝ち目はないと思う。斬撃を受けた時の姿勢かつそのままの顔で即謝った。
「......孤児院に戻ったら深くお詫びしてもらいますからね」
「ぅぅ、こんなか弱き孤児からこれ以上何を奪い取ると......」
言い切る前に、今度はさっきの耳とは反対の頬から血が流れた。か、感じることもできない速さの斬撃だと?
「反省していないようですね」
「わ、分かった!反省する!お詫びもする!どうか寛大な御心を!絶世の美女リーエ様!許してください!」
土下座する勢い。こ、これで許してもらえるか?
「び、美女だっなん、て。それも絶世の......そんなこと。ぇぇと......。そ、そうですね。今のところは許します」
あらやだこの子チョロい。
「ありがとうございます。可愛い可愛いリーエ様」
努めてかっこよく言ったつもりだが、客観的に見ると自分でも気持ち悪いと思う。
「......っ!と、とにかく今はこの部屋に異常が無いか確認してこんなところ出ましょう!」
「そうだな。配管も塞いでおかないとまた湧いてくるかもしれないしな」
そう言ってリーエは部屋にあるタンスなどの家具の中を、俺は配管の方を調べることにした。
うわー、これは派手に食い破ってくれたもんだ。内側からグチャグチャに食い破られている。金属の配管と言えど、古くなってサビが回ってしまっているので簡単に歯が通ったん......ゴォッ!
「ぅわ!」
突然頭の上を大きな『火の塊』が通過して、壁にぶつかった。
「おい!ひどいぞリーエ!さっき許してくれるって言ったじゃないか!」
「え?何のことですか?」
火球が飛んできた方を向いたら、リーエはいなかった。あったのは大きな入り口を持った白い巣だけ。
......待て、何かおかしい。まず、リーエは火の魔法を使わない。基本風魔法だ。嘘をついている可能性もあるが、そんなことをしてもリーエにメリットが無い。
次に、あの巣だ。よく考えると異様だ。異様なのはその規模ではなく、その『入り口』 だ。ビルダーラットは本来自分たちの体の大きさに合わせた直径の巣穴しか作らないはずだ。しかしこの穴の大きさはビルダーラット単体の大きさをゆうに超えている。
ーーそれは、黒かった。
大きな巣穴から顔を出し、時間の流れるまま全体を現したその魔獣は、漆黒の体毛に覆われていた。瞳は紅く、瞳孔などない。その紅さはまるで怒りの具現のように光を放ち、俺を睨んでいる。いくら大きな巣とはいえ、ここまで大きな個体がこの巣の中に入っていたというのか。いや違う。こいつ、巣を出た瞬間から体が膨張している。まるで、何かから力を吸い取るように。
その『何か』はすぐに分かった。俺の周り、いやこの部屋全てのビルダーラットの死体が灰の粉になったのだ。それがどんな力なのかはわからないが、とてつもなくヤバイ香りしかしない。やがて部屋の全てのビルダーラットの死体から『何か』を吸い取ったその魔獣はもう鼠の姿はしていなかった。
ーー魔獣の体のいたるところから紅い目が無数に開いてこちらを見た。なるほど、弱点ぽかった目は弱点ではないと。......ふざけてやがる。
横目に、怖がるリーエが見える。
「リーエ!逃げろォ!」
地下独房での戦いは闇に包まれようとしていた。
書く方も面白くなってきた感じですね