5話 邂逅
孤児院の門の前に少女が立っていた。その髪の毛は透き通る白さで、何からの影響をも受けまいと主張しているかのようだ。肩の少し上までで切られたその髪は、印象的な赤い2つのピンによって耳元でしっかりと留められている。ほぼ無表情で、絵になるような美少女だ。身長はそこまで高いわけではないが、多分俺と同い年くらいだろう。ただ一つ残念な点を挙げるとすれば、年頃の少女に見られる胸の起伏が皆無に等しいことだ。うむ。別に俺は巨乳が好きなわけではないが。
白い髪......、ダンナの言っていた女の子なのかな。
少女は門に入ろうかどうか迷っているようだ。門の取っ手を触ったり離したり、深呼吸すらしている。入ればいいのに。そんな真剣な顔で、緊張するほどの用がこんな所にあるのだろうか。
すると少女は意を決したようにコクリと頷き、門の取っ手を引いた。
バキッ
「あ」
思わず声を出した。そうだった、あの門スライド式だ。
古くなって壊れやすくなっていたとはいえ、取れてしまった門の取っ手。あとで直さなきゃいけないなと思いつつ、俺は少女の観察を続ける。今の俺は周りから見るとただの変態に見えるだろう。なにせ、物陰から美少女をじっと見つめているのだから。軽蔑するならすればいい。俺は可愛かったり綺麗なものはできる限り長く眺めていたいのだ。
さてさて、取っ手を壊してしまった少女の心境やいかに。おそらくあたふたして……ないだと!?なんだあの子。普通、知り合ってもない家のモノを壊したら何かしら動揺するだろ。その場から逃げたり、無理やり直そうとしたり。
壊れた取っ手を左手で持って、じっと見つめている。表情の1つも崩さずに。空いている右手で髪をかき分ける余裕すらあるようだ。
ん?髪をかき分ける途中で少女の動きが止まった。その少女の視線は取っ手に固定したまま、見事に静止している。本当にあそこの空間だけ時が止まって、絵画が完成しているかのようだ。
10秒ほどの時間が過ぎて、俺はある異変に気付いた。少女の顔がみるみる赤くなっていったのだ。頰には一筋の汗。いや、どんどん汗が流れ始めている。も、もしかして現実を理解するのにこんなに時間を要したというのか!ある意味大物だな、あの子。
焦ってる姿の少女も可愛いが、さすがに見てられないな。そろそろ行くか。
「大丈夫か?」
「ほ!」
「ほ?」
「あ、いえ、、、なんでもありません」
「なんでもないこたないだろ。それ。その手に持ってるやつ、ウチの門の取っ手だろ?あと、さっきの『ほ!』ってなんだ?」
少女の顔がさらに赤くなった。
「あ、コレは、そうですね。取っ手です」
「取っ手なのは分かってるって。それをどうするつもりだって聞いてる。あと、さっきの『ほ!』ってなんだ?」
ゆでダコみたいに赤い。
「ああ、そういうことですか。ええと、直します」
「直すって、どうやるんだよ。直せそうな道具も何も持ってないじゃないか。『ほ!』ってなんだ?」
「道具……」
「そうだ。道具だ。……まぁいいや。その門、前からボロかったからいつか修繕しようかとは思ってたんだ。俺が直すよ。ところで、『ほ!』ってなんだったの?」
「すみません。お金は払います」
「いいっていいって。それより『ほ!』ってなんだよ」
「いいえ、払います」
「そうか。で、『ほ!』って?」
気づいたら少女の顔は恥辱の赤一色で、少し涙を浮かべていた。さっきまでの無表情なんて微塵も残っていない。そして、
「さっきから!なんなんですか!人がわざと回避してた質問を何度も何度も何度も何度も何度も繰り返して!たまたま出てしまった声になにをこだわっているのかわからない!イジメですか!?イジメなのでしょうか!?門を壊したから私をいじめているのでしょう!?もう、弁償でもなんでもしますからやめてください!」
あららー、怒っちゃった。そりゃそうか。こんだけイジったら誰でも怒るか。まあでも怒ってるところも可愛いわ。
「ごめんごめん、君が可愛かったからつい。無表情以外の表情もしっかり持ってるんだな」
素直な理由を述べる。
「な……、可愛い……?」
今度の少女の頰には先ほどの恥ずかしさとはまた違う色の紅が差した。
再び黙ってしまった少女。とりあえずこんなところでずっと立ち尽くしてるのもなんだから、中に入るか。
「とりあえず、中に入るか。用があるんだろ?このダネフ王国3番地ボイヌの孤児院に」
そう核心を突くと、少女の顔に無表情が戻った。なるほど。この顔は真剣であることの何よりの証なんだな。少女は頷いて、
「はい。本日はこの孤児院に用件があり参りました」
だよな。どんな用なんだろう。全く想像ができないけど、子供達の養子や奉公、ボイヌが動かなければいけないような話だったら今のうちに聞いておいた方がいいな。突然な事だとあいつらはどんな曲がった決断になるかわからない。話し合いになるかどうかさえ分からない。
「あのさ、俺はユージ。お前は?」
「……そうですね、私の名前はリーエです」
リーエか。いい名前だ。
「じゃあリーエ。その用件なんだが、先に俺に言ってくれることはできるか?」
「ええと、なぜですか?」
「突然言われると、子供達や母に都合が悪くなる場合があるからだ」
「……なるほど、そうですね。納得しました。特にあなた方に害のある案件でないとは思いますが、言うことにします」
そして少女は一度、深く目を瞑ってその綺麗な赤の瞳を開けた。
「ご存知かもしれませんが、最近王国の地下水道で繁殖期を迎えたビルダーラットのことです。例年よりはるかに多くの巣が確認されていて、王国でも少しずつ重要度を増していってる案件です。そこで、冒険者組合による王国命令の掃討作戦が始まったのですが、いくつかの群に逃げられるということが確認されています。この孤児院には地下独房がありますよね?地下水道と配管を通して繋がっているようなので、その地下独房の調査に来ました」
「ビルダーラットか……。もしいたら厄介だな。……まてよ?組合からの調査っていうことは」
「はい。私は冒険者です。まだ銅級ですので、ビルダーラットの単体ならまだしも、群の討伐は難しいです。それで、"討伐"ではなく"調査"を組合の方から斡旋されました」
そういうことか。でも、もし地下独房にビルダーラットがいたらどうするのだろう。ある程度は倒さなきゃいけないよな。それよりも気になることが。
「よくソロで銅級までいけたな」
「えっ。あ、それは、そうですよね。たまたまランクポイントの高い依頼が運良く転がってきたから、です」
どこか歯切れが悪いが、運が良かったということなのだろう。採取や人探し、配達などの依頼でも積み重ねれば銅級までいけるっちゃいける。
「そうか、ソロはすごいな。尊敬するよ。冒険者は俺の憧れなんだ」
「憧れ、ですか」
「ああそうだ。憧れだ。外の世界で生きるお前らにな」
そう言うと、リーエは下を向いて何か呟いた。そして顔を上げると
「それで、話すことは終わりましたしそろそろこの孤児院の院長の方に会わせてもらってよろしいでしょうか。特にこの案件に関して影響はありませんよね?」
そうだな。ビルダーラットがいたらそこそこの問題になりそうだが、組合の方がなんとかしてくれそうだ。そのためにはリーエには無事で組合に報告してもらいたい。地下独房には俺も付いて行けばリーエの危険も減るだろう。俺は体は鍛えている方なのだ。
「ああ。じゃあ中に入ってくれ」
そう言ってわざと壊れた取っ手の部分に手をかけて空をきる仕草をして、再び顔を赤くしたリーエを見てほっこりした。もう一度この顔を見ておきたかった。
さっきリーエが下を向いていた時、その顔は無表情ではなかった。
確かな憎悪がその金の瞳に宿っていた。
「外の世界なんて、本当は無いんですよ」
そう呟いたのを俺の耳は逃さなかった。
会って数十分も経たないし、別にリーエの何を知っているというわけではないが、リーエにはそんな憎悪に満ちた顔は似合わないと思ってしまった。