3話 日常ー2
シリアスな場面もあります
カレーとは、俺の不思議な記憶の中の料理のことだ。つまり、元々はこの世界の料理ではないということ。ユージは、曖昧な記憶の中から手に入れた(知った)レシピを元にカレーを作った。はじめの頃は全く美味しくなかったが、八百屋のダンナやダンナの奥さんと試行錯誤するうちに美味しいスパイスの組み合わせを発見した。
八百屋のダンナにはレシピの所有権を譲る代わりに、少々値の張るスパイスを融通してもらった。ダンナ様様だ。
最終的に完成したカレーは、記憶の中で食べた味とは違うが、孤児院の中ではかなり好評だった。というか、孤児院で作られる料理の中で1番美味しかった。ただ、記憶の中では"コメ"と呼ばれる穀物と一緒に食べていたが、その食材だけはこの王国に似たものも無かった。
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「よし、みんな手を合わせたか?」
ユージの声に、みんな頷く。目の前にある温かいカレーを早く食べたいので、みんな従順だ。
「じゃあ、いただきます!」
「「「いただきます!」」」
この食事の前の作法は、この国に伝わるものではない。ユージが発案したのものだ。と言っても、この孤児院でしか使われない作法だが。
この作法は、ユージの記憶の中で行われていた食事前の作法だ。なぜその作法を取り入れたかというと、美味しい食事のほとんどはニホンの記憶の恩恵に預かっているからという単純な理由だ。
「もが、もがが」
ワーサンがカレーを口に含みながら喋ろうとしているのを、隣にいるフィーカがあたふたしながら止めようとしている。
「はい」「あーん」
お互いで食べさせ合うエルクとイルク。恋人かよ。
アシレとサナーテは黙々と食べている。ただそのスピードがとんでもない。さっきお代わりして、それすらももう食べ終わりそうだ。ワーサンなんて騒ぎながら食べてるからまだ1皿目だぞ。
「おいしいね!モモイ姉ちゃん!」
「う、うん。おいひぃ」
いきなりマリーに話しかけられたモモイは、とっさに飲み込むことができず変な発音で返事をした。さらに、それを俺に見られていたことに気づいて顔を真っ赤にしてしまった。辛かったわけじゃ、ないよな?
「うん、今日も美味しいね」
隣に座って話しかけてくるのが、ボイヌの夫カルストだ。カレーが出来上がる少し前に庭から戻って来た。
「ありがとう、父さん。じゃあ俺は母さんにも食べさせてくるよ」
「ああ。すまんなユージ」
いつもの賑やかな食卓。賑やかな子供達。だが、その中に母がいない。それが俺にはつらくて、この幸せな場所にいつまでもいたくなかった。
寝室に入ると、上半身を起こして目をつむっているボイヌがいた。
「だ、大丈夫か?どこか痛いのか?」
手に持ったカレーをベッドの横の机に置き、そう語りかける。
「いいえ。今は大丈夫よ」
「そ、そうか。よかった」
「こうしてね、ここで眼をつむっていると子供達の楽しそうな声が聞こえてくるの。大きな声を出す子も、喋らずに食器の音だけをたてる子のことも、みんな感じる事ができるのよ。まるで、私もみんなと一緒にそのカレーを食べているかのように」
母の言葉は、どこか寂しげでありながらユージの胸に突き刺さるものだった。
「母さん……。とりあえず、これ食べてくれ」
何も返事のできないユージは皿に盛られたカレーを差し出した。ボイヌはゆっくりとそれを受け取ると、静かに食べ始めた。
半分くらい食べたところで、ボイヌは泣き始めた。
「う……うう。あぁ、きっとこれは神様からの罰なの。あの時、あの子を見殺しにしてしまった罰なのよ。神様は私の罪を許さなかった。幸せになることを奪ったのよ。ううう……ゴホッゴホッ」
母が言っているのは、昔のことだ。若い頃に王国を流れる川に溺れている1人の少年を、助けなかったのだ。自力でどうにかできると思い、その時の用事を果たすためにその場を後にした。次の日、遥か下流で発見されたのは水生生物によって食い荒らされ、見るも無惨な姿の子供の死体だった。そして、その第1発見者はボイヌだったのだ。ボイヌはこれを神の意志により、昨日の罪の意味を知らしめられているのだと感じたらしい。その日からボイヌの罪滅ぼしが始まった。その1つが、孤児院の経営というわけだ。
俺は目の前で、神に恐れながら静かに涙を流すボイヌに何も言うことができなかった。ボイヌはすでに贖罪を終えられるだけの事を成した。だがそれをボイヌに言ったところで何が変わるわけでもないことを知っているから。自分の非力さを知っているから。俺はその場に立ち尽くすことしかできなかった。
結局、心配してのぞきに来たモモイとカルストによってボイヌは平静を取り戻して、俺も食堂に戻った。
自分達の食器は、自分達で洗うのがこの家のルールだ。子供達は自分の皿を抱えて洗っていたり、拭いていたりした。俺も使った食器を洗って、今日やるべき事を全て終えた。
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自分の部屋に戻った。この孤児院で自分の部屋を持っているのは俺とボイヌとカルストだけだ。子供達は寝る時は3つのグループに分かれて寝ている。
机の引き出しを開けると、手のひらサイズの細いクリスタルがあった。それを握って、魔力を流し込んだ。これは魔道具。「記録結晶」と言う名称で、魔力を流し込んで話しかけると、その内容を録音してくれるというものだ。ある程度魔力を流し込んだところで、クリスタルが淡く光った。
「今日は、そうだな。足りない食材の買い物をした。途中でカインのパーティに会ったな。ジャガーラット持ってた。あと、家の前でダンナにも会った。そう言えば白髪の美少女がナントカって言ってたな。なんなんだろう。あー、そして今日の夕飯はカレーだった。あいつらすごく喜んでたよ。作ってよかった。母さんは……、母さんはまだ良くならないらしい。一度お医者様に診せてあげたい。最後に、今日の記憶の想起は無かった」
このクリスタルはカルストからもらったものだ。カルストだけには、俺が不思議な記憶を持ってるという事実を明かした。すると、カルスト自身が昔使っていたというこの魔道具をくれた。
ーーその記憶の内容は非常に有用だね。あと、その記憶がどういったタイミングで想起されるのか、規則性があるのかどうか分かるかもしれないからこれを使いなさい。毎日記録し続けなさい。
そう言われたのだ。その時はおよそ10歳くらいの時だった。それ以来毎日ずっと記録し続けている。1年に1度、記録を整理しているのだが、分かったことが1つあった。"記憶の想起は、求めた時に起きる。"と言うものだ。つまり、ユージが具体的に何かの目標を達したい時、その目標達成のためにまつわる有益な情報を得られるということだ。しかし、求めた時に確実に得られるわけではなかった。
今日の分の記録を終え、椅子に座り窓の外を見た。俺は2階に部屋を持っているので、この窓からはある程度王国の街並みが拝見できる。
もう夜は更け、街の中に連なる家々の暗い屋根を照らすのは月明かりだけだ。今日は赤月。3つある太陽のうちの1つ「レッド・ソル」の影響が強く出ている。
ーー綺麗だ。
真紅に光る月を眺めて、心の中でそう呟いた。
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