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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十三章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 ミルトン王国戦線編 上
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幕間 その2 続・ジール視点




 ニートが約一万の兵力を率いて、ネプルーズの街へいよいよ迫っている頃。

 そのネプルーズの街を守る将の一人、『ジール・ナ・ヴィア・ウルザルブル』子爵は多忙を極める最中に発生した余計な事件に苛立っていた。




 ******




「いい加減にして下さい! 何度、言ったら解るんですか!

 今は貴族も、平民も、街の住人全てが一丸となって纏まらなければ、勝てる戦いにも勝てなくなると!」


 この街の警邏隊の一人から届けられた凶報。

 事件を解決する難度の高さから幾人もの手を渡ったが為、初動の遅れが致命的となり、私が現場へ到着した時は時既に遅し。全てが終わっていた。

 

 若の戯れによって、花を折られてしまった少女は今回で五人目。

 いずれも女の色をまだ匂わせておらず、男を迎える準備さえも出来ていない幼い子供だ。


 若はこう言い張っている。無理強いなどしていない。合意の上だと。

 なるほど、確かに合意はあったのかも知れないが、それは断れないからに過ぎない。


 その理由は語るまでもない。

 今、このネプルーズの街において、公爵家嫡子であり、王位継承権を末席であっても所持している若に勝てる貴族格の者は居ない。

 若の要求を真っ向から否定して切って捨てれるとしたら、それは公爵一人しか居ない。


 事実、このネプルーズの街から公爵が離れた途端、若は愚行に走り始めている。

 私は公爵から留守を預かる総司令官代理の役目を頂いているが、所詮はブラックバーン公爵家の寄り子でしかない。若を抑止するほどの存在にはなれていない。


 だからと言って、放置は出来ない。今、怒鳴って挙げた問題が有る。

 このネプルーズの街に住んでいる者達の殆どは国家総動員令の名の下に行き場を縛られた平民達であり、男達は戦う為に兵士となり、女子供達は男達を支える為に食事を作り、洗濯を行う。それは老人も例外では無い。


 本人の意思を無視して、住み慣れた土地から見知らぬ土地へ移住を強要された上に仕事も強要される。

 その不満たるや、相当なモノに違いない。決して、口に出して言えないが、そう言った存在を通常は『奴隷』と呼ぶのだから。


 それでも、『国の為』という大義名分が彼等を支えて、最前線から届く報告は勝利ばかり。

 国は彼等の期待にちゃんと応え、上手くやってこれた。時に公爵から戦勝の酒が振る舞われる事も有って、街全体が逆に活気付く事さえもあった。


 だが、それも今後は次第に難しくなってゆくだろう。

 我々の敵に対する基本戦略は専守防衛であり、この街を取り囲んでいる堅牢な城壁を活かした籠城戦を行えば、同数の兵力どころか、二倍の兵力を相手にしても互角以上に戦える圧倒的な有利さを持つが、敵を迎え撃つというスタンスを取る以上、戦闘における全てのイニシアティブは敵へ渡さなければならない欠点も持っている。


 つまり、それは勝敗の決定権にまで及び、我々は敵が音を上げるその日まで籠城戦を強いられる。

 堅牢な城壁に守られているとは言えども、敵が朝に、夜にと襲ってくるかも知れない緊張と不安の中で正気を保ち続けるのは歴戦の猛者でも難しい。


 だったら、女、子供、老人は尚更だ。

 籠城戦が長引けば、長引くほどに『国の為』という大義名分で覆い隠していた不満は露わとなってゆくに違いない。


 しかも、今回の籠城戦は前回の籠城戦の様に一ヶ月足らずで済まないのが最初から解っている。

 前回、インランド王国の第二王子を旗頭とする軍勢がこのネプルーズの街まで迫った時、季節は秋の半ばを過ぎていた。

 この地で越冬するとなったら、仮設の街を造るくらいの気構えで陣を構築しなければらなず、その時間的余裕が無かったが、今はまだ春に入ったばかり。


 さぞや、今回の敵は我々の眼前に立派な陣を築いてくれる筈だ。

 それを邪魔するだけの余剰戦力はこちらに無く、業腹であっても黙って見ているしか無い。

 全ては公爵の帰還を待ってからの話となるが、今現在の基本戦略をそのまま継続するとしたら、籠城戦が数年に及ぶ可能性も否定しきれない。


 だからこそ、貴族も、平民も、男も、女も、老人も、若者も分け隔てなく協力して、今から互いを支え合わなければならない。

 私も、公爵も腐心して、その為の様々な手段を講じているにも関わらず、若は戯れで愚行を五度も重ね、平民達の不満を反対に煽っているのだから堪らなかった。


 しかし、戦いを前にした昂ぶりから、どうしようもなく異性を欲してしまう衝動は解るし、若が持つ歓迎が出来ない性癖も承知している。

 もし、若が自分の愚行に少しでも悔いているなら、怒りの矛を少しは収める事が出来た。


「って、若! 私の話をちゃんと聞いていますか!」


 ところが、若の態度は悔いを感じるどころか、悪びれた様子すら感じられない。

 そっぽを向ける頭と両腕を背もたれに乗せながら、肥えきった身体を長ソファーの中央に沈めており、その気怠そう姿は煩わしい時間が早く過ぎてくれと言っている様にしか見えない。


 こちらが公爵家嫡子たる若の面子を考えて、わざわざ場所を衆人環視の有る現場から公爵が仮住まいとして使っている屋敷の若の自室へ改める配慮を行なっているにも関わらずだ。

 あまりのふてぶてしさに堪えに堪えていた堪忍袋の緒が遂に切れ、ふと気付いたら両掌をテーブルへ思いっきり叩き付けると共にソファーを蹴って立ち上がっていた。


「聞いてる、聞いてる。そうカッカするな」


 しかし、効果はこれっぽっちも無かった。

 若は身体をビクッと震わせて固まり、こちらへ大きく見開いた目を向けたが、ただ単に驚いただけ。

 それも一呼吸の間が過ぎると、元の気怠そうな姿勢へ戻り、これ見よがしに溜息を深々と漏らして、更なる煩わしさを言葉外に訴えてきた。


「ぐぐぐっ……。だったら、街の娘達へ手を出すのは止して下さい!」


 鼻息を荒くして、両拳を力一杯に握り締めながら肩を震わす。

 立場を投げ捨てて、若を殴り飛ばしたい衝動に駆られるが、奥歯を噛みしめて懸命に耐える。


 有り体に言ってしまえば、若の存在は害悪でしかない。

 このネプルーズの街において、公爵に次ぐ権威者として、誰よりも率先して規律を守り、皆のお手本を示さねばならない存在が和を乱しているのだからタチが悪い。


 若が悪さをしているのだから、俺だって構わない。

 そんな身勝手な言い分から、程度の差は有れども若を真似る愚か者が籠城戦が長期に及んでゆくに従って現れる筈だ。


 また、付け加えるなら役立たずでもある。

 公爵家嫡子であり、将来の寄り親をそう呼ぶのは心苦しいが、それが歴然とした事実なのだから仕方が無い。


 なにしろ、ほんの少し走っただけで息切れを起こしてしまう肥えきった身体である。

 この数年の間、鍛練を行なっている姿は一度も無いが、剣を満足に振れる筈が無い。振れたとしても、一回か、二回が限度だろう。


 無論、馬へ乗るのも無理だ。

 踏み台などで騎乗する為の工夫を行なったとしても、馬が若の重さに耐え切れないのは最初から目に見えている。


 戦場で戦えないなら、その代わりに机上の才を持っているのかと言えば、この点に関しては解らない。

 国軍の全てを預かる公爵の後継者として相応しい教育を幼少の頃より受けていた筈だが、若が軍議へ参加した事は一度も無い。

 恐らく、オーガスタ要塞の陥落で自信を失ってしまったのだろう。


 害悪であり、役立たず。要するに厄介者以外の何者でもない。

 今すぐにでも王都へ避難して貰うのが、若にとっても、我々にとっても最良の手段だが、その選択肢はどうしても選べない。


 何故ならば、戦場で失ったモノは戦場でしか取り戻せない。

 ブラックバーン公爵家は建国以来の武門の家であり、オーガスタ要塞の陥落による若の失墜はあまりにも大きい。誰もが認める武勲が必要だった。


 剣を振れず、馬へ乗れず、机上の才を見せず、武勲を挙げる。

 矛盾している様に思えるが、若自身が武勲を挙げる必要は無い。我々の武勲は我々を率いる公爵の武勲であり、若の武勲でもあるのだから。


『どうか、私を信じて欲しい!

 そして、私が必ずや立ち直ると信じたアレを信じて欲しい! 頼む!』


 しかし、それ以前にある最大の理由がこれだ。

 公爵から頭を下げられるどころか、土下座までして縋られては断れる筈が無い。


 それ故、若には一日も早く目を醒まして貰い、我々を率いるに相応しい存在となって欲しかった。

 もし、それが難しいと言うのなら最低限の規律を守るだけで構わない。和を乱す様な真似はして欲しくなかった。


 こちらとて、その為の配慮や努力を怠ったつもりは無い。

 特に若が持つ歓迎が出来ない性癖に関しては気を使ったつもりだ。


 なにせ、性癖とは衝動である。

 当人でさえ、どうする事も出来ないモノが多く、他人がとやかく言ったところで矯正は不可能な場合が多い。


 だが、若が持つ歓迎が出来ない性癖は世間一般的にも歓迎されておらず、禁忌に属するもの。

 噂によると、王都には若の性癖を満足させる秘密の娼館も存在するらしいが、このネプルーズの街には存在しない。


 だったら、ソレをこちらで用意するしか方法は無い。

 只でさえ、このネプルーズの街へ来る以前から若の愚行は噂となっており、若が性欲を自己手段で満足して済ませてくれるとは考え難かった。


 ここは最前線。幸いにしてと言うべきか、不足がちな命を補充する為、奴隷が定期的に送られてくる。

 その中には幼い少女達も居り、大を生かす為に小を殺す心苦しさはあったが、既に多くの幼い少女達を若へあてがっていた。


 ちなみに、この少女達は奴隷としては犯罪奴隷に分類され、その全てが元国民である。

 もっと明確に言うと、国家総動員令に従う事を由とせず、国外逃亡を企てた末に捕縛された者達だ。


 本人の意思を無視して、住み慣れた土地から見知らぬ土地へ移住を強要された上に仕事も強要される。

 前述と重なるが、国家総動員令に従わず、逃げ出したくなる気持ちは解らないでもないが、それは愚かな選択と言うしか無い。


 国は兵力と労力が足りないからこそ、それを補う為に国家総動員令を発令したのであって、国民に逃げられてしまっては意味が無い。

 国家総動員令の発令と同時に国外逃亡を企てる者達を取り締まる専門の機関が新設されており、この機関部隊が王都を始めとする主要の街に配置され、特に西の『ラバマ王国』と南の『ジョシア公国』の国境は厳戒態勢が敷かれていた。


 はっきり言って、国外へ逃げられる可能性は極めて低い。

 彼等の存在を避けて、街道を用いずに森を進むという手段も有るが、そこはモンスターの領域。逃げる以上に生き延びる事自体が難しい。


 そして、捕まった者達の末路は悲惨だ。

 最も重い罪『不敬罪』に次いで重い罪『国家反逆罪』に無条件で問われ、財産を全て没収された上に身分を犯罪奴隷に落とされて、結局は国家総動員令に従ったのと同じ結果が待っている。


 しかし、当然ではあるが、国家総動員令に従った者と犯罪奴隷の両者では扱いが大きく違う。

 奴隷は便利な道具に過ぎない。最低限の衣食住しか与えられず、皆から裏切り者と罵られながら人が嫌がる様な仕事を強要された挙句、必要となったら捨て駒として、敵の矢面に立たされる。


 それこそ、籠城戦が長引き、食料の備蓄に余裕が無くなれば、真っ先に口減らしの対象となって文字通りに切り捨てられる。

 戦いのどさくさに紛れ、上手く逃げたところで利き腕に焼き付けられた奴隷の証は消えない。奴隷の扱いを何処へ行っても受け、逃亡奴隷である事実が周囲に知られでもしたら、奴隷商人に捕まった末に再び誰かの奴隷となる人生が待っている。


 だが、そうは言っても元国民である。

 この十年、我が国の人口はインランド王国との戦いで大きく減っている現実が有り、公爵は国外逃亡を企てた犯罪奴隷に限り、インランド王国との停戦後は焦土作戦で荒れ果てた村や街を再建させる貴重な労働力として考えており、無闇矢鱈に粗末な扱いは出来ない。


「別に構わないだろう? 平民など幾らでも居るのだからな」

「な゛っ!? 何を言っているんですか! そもそも、何の為に奴隷を……。

 ……って、もう一人は何処に居るんです? つい先日、入れ替えたのも合わせて、今は五人居た筈ですが?」


 ところが、若は奴隷以前に平民さえも扱いが軽すぎる。

 その人を人と思わない発言に絶句する傍ら、今更ながらに気づいたものがあった。


 部屋の片隅にて、壁を背にして列んで立っている四人の幼い少女達。

 いずれもメイド服を身に付けて、若付きの侍女という身分になっているが、彼女達こそが人身御供として選ばれた者達である。


 しかし、もう一人の姿が何処にも見当たらない。

 この部屋と繋がる寝室や浴室、トイレなどから物音は聞こえないし、気配も感じられない。


 外出している可能性が真っ先に浮かぶが、それは有り得ない。

 公爵の厳命によって、彼女達は屋敷からの外出が許されておらず、この部屋から出るのも許可と誰かしらの付き添いを必要とする。


 彼女達が自由に外出が許されるのは、この屋敷から離れる日だ。

 即ち、若が飽きて手放そうとしない限り、その日は決して訪れない。


 但し、それが彼女達の幸せとは限らない。

 今の若の発言で解る通り、平民さえも扱いがこうも軽いのだから、奴隷の扱いはもっと軽い。


 若から気に入られて、寵を受けている内は良い。

 嫌な事に目を瞑りさえすれば、公爵家の侍女に相応しい衣食住が与えられて大事にされるが、飽きた後は道具以下の存在に成り下がる。


 若がこのネプルーズの街へ訪れてからの約二年間。

 既に二十人を超える幼い少女達が入れ替わり立ち代り、若付きの侍女となった後、その全てが一ヶ月足らずで解雇されているが、今もまともに生活が出来ている者はたったの二人しか居ない。

 大半の者は自ら命を絶ってしまい、残りの数人も心を病んで事実上の生きる屍と化している。


 こうして、彼女達を眺めていると、そうなってしまう若の業の深さを否が応でも理解する。

 それが自分へ向けられたモノでなくとも、すぐ近くで怒鳴られたら身体が竦むのは当然の反射行動であるにも関わらず、彼女達は完全な無反応。見た目が良いだけに精巧な等身大人形がそこに飾られている様な印象を受ける。


 四人の内、二人はつい一週間ほど前に若付きの侍女となったばかり。

 主人達の会話を邪魔しない様に気配を殺そうとする十年以上の経験を持つベテランの侍女でもこうはいかない。

 彼女達を若へあてがう際、振り払って捨てた筈の罪悪感が湧き起こり、心にチクリとした痛みを覚えるが、その一方でちゃんと列んで立っていられる内はまだ大丈夫だと冷酷に判断する。


 だが、もう一人はもう駄目になってしまったのだろう。姿も、気配も見当たらないという事はそう言う事だ。

 その彼女もつい一週間ほど前に若付きの侍女となったばかりで私の推測通りなら、この屋敷をたったの一週間で去るのは今までの最速記録となる。


「ああ、アレか……。俺好みではあったが、活きが良すぎるのも考えものだな。

 これっぽっちも懐かないどころか、俺の大事なモノに噛み付こうとしてな。ちょっと厳しく躾をしたら、あっさりと壊れてしまったよ」

「……壊れてしまった?」

 

 思わず溜息が漏れそうになるのを堪らえようとした瞬間だった。

 若の口から衝撃の事実が告げられ、溜息を堪えるまでもなく息を飲みながら目を見開き、それが何を意味するかなど問いかけるまでもなく解っていたが、否定欲しさにか細い期待を込めながらオウム返す。


「心配をするな。お前の手は煩わせないから安心しろ。

 ほら、お前も知っているだろ? 父上の手の者に拷問を役目とする者が居るのを……。

 そいつへ相談したら、上手く処分してくれるそうだ。……と言うか、そいつと一緒に躾をしていたんだがな。くっくっくっ……。」

「な゛っ!? 」


 しかし、若は微かな笑みを口元に描いて、期待をあっさりと裏切ってくれた。

 二度目になる絶句を重ねて、何かを言い返そうとするも言葉にならず、口がパクパクと虚しく動くのみ。


 平民や奴隷をどんなに酷く扱っていても最後の一線だけは守り続けてくれると信じていたがもう駄目だ。

 こういった禁忌はタガが一度でも外れたら、あとは坂を転がり落ちるが如し。一回目にあった躊躇いが二回目は軽くなり、回を重ねる毎に平然となってゆく。


 最早、若へ新しい少女達をあてがう事は出来ない。

 部屋の片隅で身体をブルブルと震わせて、初めて人間らしい反応を見せている四人の少女達も今すぐ連れて帰るしかない。


 だが、それを実行したら、若が街の娘達へ手を出すのは目に見えている。

 インランド王国が憎かった。若をこうも変えてしまったインランド王国が憎くて堪らなかった。


 今の姿からは想像もつかないが、騎士叙任を受けた頃の若はこうも肥えてはいなかった。

 骨太な公爵に似たらしく、ガッシリとした体格をしており、多少はふくよかな感は有れども太ってはいなかった。


 性格や価値観も傲慢で不遜な面は少し有ったが、それは公爵家嫡子としての頼もしさを感じるもの。

 平民や奴隷を虐げず、その逆に労る心を持ち、領民の誰からも好かれる立派な気高い少年だった。


 その証拠にオーガスタ要塞の失墜の原因は、若が平民達を助けようとしたのを端を発する。

 私は当時の戦いに参戦しておらず、軍監が書いた記録を読み、生き残った当事者達の話を聞いただけだが、若はとんでもなく運が無かったと言うしか無い。


 当初、オーガスタ要塞の総司令官に着任した若は任期の二年間を防衛に徹して、インランド王国へ戦いを仕掛けるつもりは無かったらしい。

 それが正解である。若が王都から率いてきた二万の兵力とオーガスタ要塞に駐留していた一万の兵力を合わせたら、三万の大軍となるが、過去に同数の兵力を用いた侵略を三度も失敗している。

 インランド王国から領土を切り取れたとしても、それは一時的なもので結局は取り返されるのが最初から解っている以上、命を無駄遣いする意味の無い戦いでしかない。


 しかし、例年のオーガスタ要塞の常駐定員数が一万五千に対して、三万もの大軍がオーガスタ要塞へ集ったのは十数年ぶり。

 国王からの期待も有ったが、若は武勲を欲する者達に何度も煽られた末に国境を跨ぐ決断を行い、それが寝ていたドラゴンを起こしてしまう。


 カーテリーナ・デ・ミディルリ・レスボス。

 嘗て、『修羅姫』の二つ名で呼ばれ、我々の世代なら誰もが恐怖と共に憶えている存在が一万の兵力を率いて、若に奪われた領土を取り戻す為に現れたのである。


 彼女は既に『姫』と呼ばれる様な年齡では無いが、その鬼神の様な強さは健在だった様だ。

 二倍強の兵力を有していた若の軍勢へ真っ向から突撃を敢行して、強引な勝利をもぎ取っている。


 そればかりか、敗走する若の軍勢を執拗に追撃して、オーガスタ要塞まで遂に追い詰めてしまうのだが、この時に問題が発生した。

 オーガスタ要塞の城門を守る門番長は鬼気迫る『修羅姫』の姿を目の当たりにして恐れ慄き、馬に乗っているが故に足の早い騎士達の殆どが撤退を終えると、まだ五千を超える多数の味方兵士達が戦場に残っていると知りながら命令を待たずして、なんと全ての城門を閉じたのだ。


 建造から半世紀以上に渡り、攻城兵器の破壊槌や宮廷魔術師の魔術に幾度も耐えて、国境を死守してきたオーガスタ要塞の城門は巨大で重い。

 その開け閉めには時間がかかり、即座に開けて、即座に閉めるといった真似は出来ない為、開閉のタイミングは非常に重要となってくる。この状況下において、戦場に取り残された味方兵士達を救うのに門を再び開けたら、敵兵達も一緒に要塞内へ招き入れてしまうのは誰の目にも明白だった。


 ところが、若は周囲の反対を押し切り、城門を開けると共に時間を稼ごうと自ら打って出た。

 これがオーガスタ要塞の失陥へと繋がり、若は人としての判断は誤らなかったが、指揮官としての判断を誤ってしまった。


 その後、王都へ命からがら帰還した若を待っていたのは猛烈なバッシングだった。

 温和な性格で人当たりが良く、怒る事が滅多に無い国王でさえも唾を飛ばして怒鳴り、顔を二度と見たくないとまで言い放って、若へ無期限の登城禁止処分を与えたほどだ。


 この時、双方とも公爵家の陪臣ではあったが、若が対等に接していた乳兄弟か、若の守役を務めていた頑固で厳しい老人のどちらかが居たら、きっと若は今と違った青年に育っていただろう。

 だが、オーガスタ要塞からの撤退戦において、その二人は残念ながら命を落としており、この世の全てに裏切られたかの様に落ち込んでいた若を立ち直らせる者は一人も居なかった。


 その結果、若は変わった。

 ブラックバーン公爵家の甘い汁を吸おうとする愚劣な者達がここぞと若の懐へ忍び寄り、心を弱めていた若を変えてしまったのである。


 もちろん、公爵がこれを黙って見ている筈がない。

 ただ、公爵は公人としてはとても立派だが、私人としてはとても残念な人で家庭内の威厳はゼロに等しい。

 気が強い奥方に頭が全く上がらず、その奥方が若へ対して過保護である為に強く出られず、まだ取り返しが簡単に効いただろう若が変化を始めた最初期を完全に逸してしまう。


 そこで公爵は自身の経験を踏まえて、他者の手による一計を講じた。

 その内容は『いつの世も、どんな時も、男を立ち直らせるのは女だ! 息子に大人の階段を上らせて、スカッと解決!』という生粋の軍人である公爵らしいもの。

 通常、若ほどの身分なら悪い女に騙されたり、色に深く耽ったりしない為の予防として、その方面の手ほどきをとっくに受けていてもおかしくは無いが、奥方の『女に処女性を求めていながら、男は違うのはおかしい。男も結婚までは清い体であるべきだ』という教育方針から若は男としての通過儀礼を済ませていなかったとか。


 ところが、この一計は失敗した挙句、大きく裏目に出る。

 奥方が友人宅へ出かけた夜を狙い、王都一の評判を持つ最高級娼婦が王都の公爵邸へ秘密裏に呼ばれたが、若は男となる以前に駄目だった。


 どうやら、オーガスタ要塞における一連の戦いにて、強いトラウマを『修羅姫』に刻みつけられ、大人の女性が恐怖の対象になってしまったらしい。

 王都の男達の憧れであり、その流し目で初な少年が至ってしまったという逸話すら持つ彼女の類稀な美貌、魅惑的なスタイル、男殺しの寝技を以ってしても、若の大事なアレはピクリと反応しなかった。


 その昔、『修羅姫』と実際に戦った経験が有る者として、若の気持ちが解らないでもない。

 とにかく、あの女は恐ろしいの一言。見た目は誰もが美女と認める容姿とスタイルの持ち主だが、戦場では正に『修羅姫』と呼ぶに相応しい姿へ変貌する。


 女であるが故に一撃、一撃の重さは無いが、圧倒的な手数を持ち味にしており、両の手から繰り出される双剣は閃光の如く速い。

 それだけに彼女の前に立ち塞がった者は浅い斬り傷を幾つも負い易く、彼女は返り血を浴び易い為、戦うほどに血塗れの姿となってゆく。


 これだけでも畏怖を与えるに十分な要素が有るにも関わらず、彼女は笑うのだ。それも豪快な笑い声をあげてだ。

 それがどれほど恐ろしいか、全身を血塗れにした美女が笑い声を戦場に響かせながら襲ってくる姿を想像してみて欲しい。

 彼女にその気は無くても、傍目にそれは戦う相手を嬲り殺している様にしか見えず、若き日の私は彼女と戦場で初めて相対した時、大も、小も漏らしながら一目散に逃げ出した苦い思い出がある。


 さて、ここで話を戻すと、どんな深い事情が若に有ろうが、王都一の評判を持つ最高級娼婦の彼女には関係ない。関係が有るのは王都一の評判である。

 公爵家の嫡子を満足させられなかったという事実が世間へ広まったら評判はガタ落ちとなり、王都一の称号も失ってしまうと考えたのだろう。彼女は自分のプライドを満足させる為に若をなじって、なじって、なじりまくった。


 その様子をドア越しに盗み聴き、公爵は上級者向けなプレイの一環だと勘違いをして放置したらしい。

 本当に私人としては駄目駄目の残念な人だ。酒を酌み交わしながら、この懺悔を公爵から聞いている時、『どうして、そんな考えになるんだよ!』と素でツッコんでしまった。


 おかげで、若はトラウマに塩を塗りこまれて、大人の女性が完全に駄目となり、その味を何処で覚えてきたのか、世間的に禁忌とされる幼女趣味を開花させる。

 要するに平民や奴隷なら権力で、幼い少女なら腕力で簡単に屈服させる事が出来るという訳だ。自分の心を守る為とは言えども、その様な誰からも謗られる道を何故に選択してしまったのか、落胆せざるを得ない。


 過去を振り返って考えている内に心が落ち着き、過去を振り返った事で思わず溜息が漏れたその時だった。

 突然、ノックの前触れも無しに出入口のドアが勢い良く開いて、この屋敷の侍従長が血相を変えながら現れたのは。


「た、大変です! い、今、子爵様の副官が参りまして!

 い、インランドが! い、インランドの軍勢がこの街のすぐ傍まで迫っていると!」

「解った! 今すぐ、行く!」


 その風雲急を告げる報告に目を見開くと、それを口実に目の前の問題を棚上げして、未だ震えている四人の少女達を見ない様に部屋から駆け出てゆく。




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