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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十三章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 ミルトン王国戦線編 上
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第02話 テーブルの上で踊る



「いよいよですな! 腕が鳴ります!」

「殿下、是非とも私に先陣をお任せ下さい!」

「狡いですよ! 私はここまで後衛にずっと回っていたのですから、次は私が!」

「それを言ったら、俺は今まで出番無しだ! 先陣は俺が頂く!」


 約五千の兵力を率いる俺達は最初の目標『ネプルーズの街』の手前、進軍速度であと三日ほどの地に在った廃村跡地で進軍を停止。

 この廃村跡地を最前線前への中継基地とする為の設備を築きながら約三千前後の兵力単位で続く後続部隊の合流を待ち、その全ての到着が済み、総兵力が二万の兵力に膨れ上がった今、全軍による一斉進軍を明日に控えて、ネプルーズ攻略に関する会議を行なっていた。


 報告によると、常に最前線を進軍してきた俺達以外の部隊にも敵との交戦が何度か起きた様だが、全戦全勝。大きな敗北も、小さな敗北も起きていない。

 そのせいか、この会議に集った男爵以上の爵位持ちと百騎長以上の階級持ちの声から解る通り、祖国から遠く離れた敵地に在りながら士気は高いまま。会議前、気分転換を含めた散歩に各部隊の様子を見て回ったが、兵士達も同様だ。


 だが、過度さを少し感じないでもない。

 これまでが順調だったこその驕りと言うべきか、まだ戦ってもいないのに勝った気でいる様な浮つきも感じる。


 なにせ、ジュリアスが会議を始める挨拶を済ませた途端にこれだ。

 大抵、こういった場合は足元を疎かにしがちとなり、取るに足らない些細な失敗から大きな失敗へと繋がり易い。


 これがまだ超短期決戦を狙っているなら一気呵成の助力になり得るが、ネプールズの街を超短期決戦で落とすのは不可能と言っても過言でない。

 天然の要害と言える防衛に適した立地条件が揃っている上、街を守る石造りの外郭は攻め手の頭を悩ます特殊な形状をして高く、これを落とすには何らかの策を講じた長期戦を用いるしか無い。


 この廃村跡地に最前線への中継基地を築いているのはそれが大きな理由だ。

 今の季節は春。可能なら、雪が降ってくる前に決着を着けたいが、最前線の陣中での越冬も覚悟した長期戦になるかも知れない以上、士気の高くても泰然自若であるのが最も望ましい。


 しかし、俺は参謀長という重責に就いているが、若輩もいいところ。

 爵位も、経験も上の者達ばかりの中、第十三騎士団で最も提供兵力を有する俺が苦言を呈しては嫌味になる。


「それなら、権利は私にも有る筈だ! なら、私で決まりだ!」

「話にならん! 緒戦はその後の戦いに大きく影響を与えるもの! その先頭を立つのは最も精強な部隊が務めるべきだ!」

「だったら、俺しか居ないだろう! 俺以外に相応しい者は他に居るか!」

「はん! 前に突き進むだけの猪が何を言うか! 俺こそが相応しい!」


 それならとこの場における最上位者たるジュリアスに期待するが、それも駄目だった。

 視線を向けると、逆に縋る様な眼差しを返されて、お互いに何度かの視線の応酬で『お願い』、『いや、お前が言えよ』となすり付けあった末、顔を揃って引きつらせる。


 今更の事だが、ジュリアスが民衆や下級貴族に人気が高いのはインランド王国民なら誰もが知るところ。

 その人気の最たる理由は二つ。出自故の王族らしからぬ民衆目線の低い視点を持っており、親しみやすい温和な性格の持ち主だからだ。


 但し、この美点はヒトを集めて束ねる要素を持つが、その一方では存在を軽く扱われがちな欠点も有している。

 言い換えるなら、ジュリアスはヒトを黙って従わせる気迫を持っていない。正しく、今の状況がそれに当たるだろう。

 それを実績で補う為、俺は参謀長の地位を用いて、本来なら陣容の中程か、後方に配置する総司令官たるジュリアスを俺が居る最前列に敢えて配置して、ここまで進軍してきた。


 だが、小競り合いを何度も重ねたところで無駄だったらしい。

 やはり誰もが認める大きな実績が、ネプルーズの街を攻略する必要が有ると考えながら、さしあたってはこの場をどう纏めたら良いだろうかと悩んでいたその時だった。


「ええい、黙らんか! 殿下の前で見苦しいぞ!

 第一、ネプルーズはあのジェスター殿下でさえも落とせずに引き下がるしか無かったのを忘れたか!

 お前等の意気込みは買うがそれだけでネプルーズが落ちるなら、とうにジェスター殿下が落としている! 違うか!

 今、我々に必要なのはネプルーズを落とす為の作戦だ! だから、こうして集まっている! 意気込みを語る前に作戦の具体案を語れ!」


 俺の真向かいの席に座る第十三騎士団副団長であるバーランド卿が徐ろに右拳を高々と掲げたかと思ったら、それをテーブルへ勢い良く振り落として叩き付けると共に怒号を轟かせた。

 その凄まじさたるや、雷鳴が目の前に落ちた如し。各々の前に置かれたテーブルの上のマグカップが微かに跳ね、怒号の対象に入っていなかった俺ですら思わず身をビクッと竦めてしまったほど。


 当然、俺ですらこうなのだから、その効果は抜群だった。

 今さっきまでの血気盛んさは何処へやら、先陣の役目を得ようと騒いでいた者達は俺以上に身を竦めて黙り込み、視線をテーブルへ深く落としている。


「ふんっ……。どうやら無い様だな?

 だったら、まずはコミュショー卿の話を黙って聞くべきだ。コミュショー卿、作戦の説明を頼む」


 その様子をぐるりと見渡して、バーランド卿が腕を組みながら鼻を鳴らす。

 さすが、ロンブーツ教国による侵略の危険性を常に孕んでいる北の国境『トーリノ関門』と領地を接する伯爵だけの事はある。先ほど語ったジュリアスがまだ持っていない気迫を感じさせる。


 改めて、バーランド卿がジュリアスの派閥に加わってくれた意味は大きい。

 北方領主達の多くをジュリアスの派閥へ勧誘してくれた事実も然ることながら、こういった場面での補佐は俺も、ジュリアスも本当に助かっている。

 それに俺の名前を出してきたところを見ると、感情を表へ出したつもりは無いが、俺とジュリアスの微妙な変化を感じ取ったのかも知れない。この辺りの機敏も俺達がまだまだ足りないところだ。


「はい、では……。」


 この会議が終わったら、お礼をちゃんと言っておこう。

 心のメモにそう書き留めながら席を立ち上がると、背後に控えていたネーハイムさんとマイルズが白い巻布をテーブルの上を転がして広げてゆく。


 余談だが、マイルズがこの場に居るのは何故かと言えば、俺の従卒だからである。

 初めて出会った頃は十二歳だったマイルズも去年度に十五歳となり、騎士叙任に伴う兵役へ赴く大人としての年齡を迎えて、その任地にミルトン王国戦線が命じられ、第十三騎士団のとある補給部隊の小隊長に配属が決定していた。


 それを俺が配置転換させた。

 俺とルシルさんが婚約した今、俺とマイルズが義理の兄弟となったのは知り合いなら誰もが知っており、第十三騎士団の人事権を握っているジュリアスとジェックスさんへ『どうせ、従卒を置かなければならないのなら気心の知れた者の方が良いし、自分の手元に置いた方がいざという時に守れる』と訴えたら、二つ返事で了承してくれた。


 しかし、この理由はあくまで表向きのもの。

 裏側の真の理由、それは俺が望んでいる未来を見据えての判断だ。


 俺はジュリアスを次代の王にしてみせると決意した。

 それが叶った暁はインランド王国内の爵位と官職に大きな変動が必然的に起こる。


 何故ならば、第一王女派と第二王子派は高位爵位所有者と高位官職所有者が多い。

 その影響力と反乱の危険性を考えたら、いずれも失脚させなければならず、引退や蟄居は当たり前として、爵位の降格や領地、荘園の没収はおろか、爵位の没収や当人の死刑のみならず、一族死刑、三族死刑、五族死刑の罰さえも執行しなければならない。


 もしかしたら、優しいジュリアスの事だ。

 多くの者を温情で許す可能性が高いが、それは俺が許さない。


 この際だから、インランド王国に溜まりきった全ての膿を取り除かせて貰う。

 先祖の偉大さを自分のモノと勘違いして、受け継いだ爵位の威を借るしか芸が無いアホは一人も要らない。

 今現在ですら苦しい国家財政を立て直すのに、アホ共へ払う貴族年金は一小銅貨ですら惜しい。


 問題はそれ等が済んだ後に有る。

 俺はオータク侯爵家の執政である為、常にジュリアスの傍に居られない。

 王都に常駐する事が出来ない以上、それなりの才覚を持ち、俺の考えを知っていて、ジュリアスを絶対に裏切らない存在が必要になってくるが、この条件にマイルズほどの適任者は他に居ない。


 やらしい話を付け加えるなら、俺はジュリアス派の中でかなり重要な位置にいる自覚が有る。

 前記の失脚の件に伴い、その失脚した者達の穴を埋める為、俺が高位の官職を得るのは想像に難くないが、その俺の義兄弟であるマイルズが男爵の爵位と南門門番長の地位に在るのは国王の側近になる意味も合わせたら格が明らかに足りない。


 当初の配属先だった補給部隊の小隊長では危険が比較的に少なく、実績は無難に得られても所詮は無難止まり。

 今、エスカ家が世襲している男爵の爵位と南門門番長の地位を維持するには十分でも、俺の思惑を達成させる為にはもっと大きな実績が必要になる。


 その点、俺の従卒という立ち位置は全てを解決する。

 四六時中、俺の傍に居たら俺の考えも自ずと理解するし、俺を間に挟む事でジュリアスとの仲も深まる。

 実績だって、常に俺の部隊は最前線に在り、否が応でも重ねられてゆく。正しく、一石二鳥ならぬ、一石三鳥といった具合だ。


 実際、マイルズは能力的に見ても申し分ない。

 姉のルシルさんほどの飛び抜けた武はさすがに持っていないが、槍術を指導している師匠の贔屓目を除いても及第点な武に育ってきている。


 また、ルシルさんが納得詰めで譲るとは言え、その爵位と官職を奪うのは違いない。そう父親から戒められて、子供の頃から学問に励んでいたらしい。

 騎士叙任を受けるまで王都の私塾へ通っており、その成績や評判を聞いてみると、これがなかなかのもの。社交に関しても、人付き合いの下手なルシルさんよりも確実に高く、戦場の外でも将来の期待が持てる。


 欠点を挙げるとするなら、女ばかりの姉弟の末っ子として育ったせいだろうか。

 姉贔屓と言うか、女性を神聖視していると言うか、色事に潔癖な傾向を持っているのが実に頂けない。


 例を挙げると、ルシルさん、サビーネさん、ララノアの三人以外の女性へ声をかけようとするのをあからさまに邪魔してくる。

 先日に至っては、ジュリアスとジェックスさんの三人で酒を酌み交わして、すっかりと酔い潰れた挙句に自分の天幕へ朝帰りすると、マイルズが徹夜明けの顔で待っており、何処へ行っていたのか、行き先を教えていかなかったのは何故か、妻帯者としての自覚はあるのかと二日酔いの頭にお説教のオンパレードである。


 この時、俺は正座を強要されながら必死に考えた。

 マイルズがこうでは俺の自由は無い。自由を勝ち取る為にはどうするのが最良なのか、この欠点を無くす方法は無いのかと。


 そして、俺は天啓を受けたかの様に閃いた。

 マイルズが抱いている価値観は女性から植え付けられたものであるなら、俺が男の価値観を新たに教えたら良い。その為には男を爆発させる娼館へ連れて行く必要が有ると。


 良く考えてみれば、当然の事だ。

 マイルズは女の子が気になるお年頃でありながら、女性の少ない戦場に居るにも関わらず、その傍に居る俺は夜毎にルシルさん、サビーネさん、ララノアの誰かとハッスルしまくり。これでは若さを持て余して苛立たない筈が無い。


 しかも、いつも濁して煙に巻き、明確に答えようとしないが、マイルズはまず間違いなく童貞だ。

 俺も経験が有る。前の世界にて、童貞を拗らせていた時はカップルを見ては苛立っていたが、コゼットが初めて俺の爆発する若さを受け止めてくれた後は憑き物が落ちたかの様に心は晴れやかと澄み渡り、それまで抱えていた濁りは一切が消えた。


 だったら、義兄として、人生の先輩として、男として、俺にはマイルズを導く義務が有る。

 勿論、マイルズの事だから今まで訪れた経験が一度も無い娼館での一時は不安で堪らないだろうから、俺も娼館の中まで同伴するしかない。壁を隔てていても隣の部屋に俺が居れば、きっと安心するに違いない。


 そう考えたら、実に楽しみになってきた。

 中規模な街として数えられるネプルーズの街は娼館が存在する筈であり、この手の商売は戦時下だろうと営業を止めないものだ。むしろ、逆に積極的な営業を行うと言うべきか。


 もっとも、これ等はまだ未来の話に過ぎない。

 取らぬ狸の何とやら、まずはネプルーズの街を落とす為に今は目の前の事に集中するとしよう。


「ま、まさか、これは……。」

「い、いや……。ま、間違いない」

「だ、だが、どうやって?」


 元々はベットシーツのソレを三割ほど広げた時点で何が描かれているのかが解ったのだろう。

 ざわめきがあちらこちらで湧き起こり、白い巻布が広げきられて、その全貌が露わになると今度は誰もが息を飲んで場はシーンと静まり返った。


「ええ、皆さんが考えている通り、今居るこの場所からネプルーズまでの周辺地図です。

 まあ、多少の誤差は有るでしょうが……。ネプルーズの街は当然として、道、森、川、泉と今の我々に必要なモノがここに全て描いてあります」


 その様子に思わずニヤリとした笑みが零れる。

 正直、絵心を持たない俺が描いた代物だけにお粗末な地図だが、そのお粗末さでもご覧の通り、驚愕に値する逸品となってしまうのがこの世界だ。


 なにしろ、この世界は地図学が全くと言っても過言でないくらいに育っていない。

 その理由は簡単明白。庶民にとって、世界とは自分が住んでいる村や街であり、それで十分だからである。

 要するに地図自体を必要とせず、需要が無いのだから供給どころか、地図製作に関する技術が育つ筈が無い。

 地図を欲するとしたら、それは施政者と商人、あとは各地を行き来する根無し草の冒険者くらいか。


 だが、施政者と商人にとって、地図は門外不出の財産と言える存在。

 施政者は自分が治める地を他者に知られるのは軍事的な面で不都合が多く、商人は自分以外の商人に村や街の所在が知られた時点で飯の種が目減りするからだ。


 それでも、少数ながらも地図を逆の意味で欲する者が居る為、市場に出回っている事がたまに有るが、その精度は大雑把なものばかり。

 街道沿いに存在する村や街を記している程度でしかなく、地図として重要な街道や地形などは適当の一言。端的に言って、安価な品は只のメモに近く、高価な品は美術品の意味合いが強い。


 しかし、活版印刷技術がこの世界にまだ生まれてもいないのだから仕方が無い。

 誰だって、手元に残すのは最も出来栄えの良い品であり、二次製作品、三次製作品、四次製作品とヒトの手に渡ってゆく内、複製が手書きである以上は劣化をどうしても避けられない。


 そう言った理由からテーブルの上に広げた地図に話を戻すと、そもそもがここまで小さな地域を地図化したモノがまず存在しない。

 この程度の小さな地域の地図なら、その村々の住人達の頭の中にあるだけで十分だからだ。


 恐らく、この場の全員がこう考えているに違いない。

 こんな地元の者も欲しない小さな地域を限定とした地図を、それも市場に売られているどんな地図よりも精巧なモノを俺が何故に持っているのかと。


 ところが、実は所謂『コロンブスの卵』的な発想で他の技術を流用しただけに過ぎず、大したものでは無かったりする。

 それをここで明かしても良いのだが、こういった事は勿体ぶって隠した方が価値が上がると昔から相場が決まっており、どうしても知りたい場合はお値段次第という奴だ。


「ここまでの進軍である程度は予想していたが……。

 コミュショー卿は優秀な斥候を多く抱えているのだな。これだけの地図をこの短期間で作り上げるとは驚きだ」

「ええ、いつも助けられています」

「トーリノ関門に居た頃、遠目に何度か見たが……。確か、猫族だったか? 私も真剣に考えてみよう」


 バーランド卿が地図から視線を上げて、俺へ探る様な視線を向けてくる。

 無論、手品のタネを正直に明かすつもりは無いが、嘘も言わない。自分の悪どさを自覚して、弧を描いているニヤリとした笑みが深まる。


 先ほども言ったが、どうしても知りたい場合はお値段次第だ。

 バーランド卿が尚も欲するなら後で話し合うとして、今はネプルーズ攻略の作戦をこれから説明するに辺り、自分自身の復習を兼ねて、持っている情報を整理しておこう。

 題を強いて付けるとするのなら、『数年に渡って、ミルトン王国戦線が停滞している理由は何故なのか。その傾向と対策』と言ったところか。


 インランド王国の西に位置するミルトン王国。

 軍部が所有している大雑把な地図によると、その国土の形状は前の世界の漢字『入』に似ており、北部、西部、東部、中部の四地方に分かれている。


 ミルトン王国王都が在るのは西部。

 インランド王国より約百年古い歴史を持つ建国時より遷都は行われていない。


 インランド王国が版図を確立しているのは東部。 

 中部と東部の出入口『レッドヤードの街』に約一万の兵力を常駐させると共に絶対死守防衛線の前線基地と定め、兵鋲管理を行う後方基地はインランド王国に最も近い中規模都市『トリオールの街』と定めている。


 戦線が停滞して問題になっているのが中部である。

 先ほどバーランド卿の発言でもあったが、第二王子がミルトン王国戦線の総司令官として出兵した際、戦線を『ネプルーズの街』まで前進させる事に成功したが、その後が芳しくない。

 戦線はじりじりと後退して、俺がレッドヤードの街へ到着した時はもう目と鼻の先が最前線になっていた。


 何故、ここまで戦線が後退したのか。

 歴代の総司令官はいずれも確かな実績を持つ者達で決して無能とは違う。

 敗北の要因は敵に圧倒的な地の利が有るという点に尽きる。


 どうやらミルトン王国中部はインランド王国より緯度が高いらしく、インランド王国の最北端『トーリノ関門』ほどでないにしろ、冬が厳しい。

 中部自体が広大な平野である為、進軍が不可能となるまで雪は積もらないが、北北東にそびえ立つ『大陸の角』とも呼ばれるミシェール巨山を筆頭とするヒトの往来すらも拒む北の大山脈から吹き下ろす寒風は骨まで滲みるほど強烈であり、士気の著しい低下が避けられない。


 俺はもっと冬が厳しいミルトン王国北部育ち故にさほどでも無いが、俺が率いてきた亜熱帯で生まれ育った南方領の兵士達は特にそうだ。 

 はっきり言って、使い物にならない。身体をブルブルと震わせて縮め、寒風が吹き抜けてゆく度に動きが止まる。


 それ故、冬の基本戦術は防戦一方とならざるを得ない。

 敵から見たら、これほど与し易い敵は居ない。攻めてこないと解っているのだから、本来は防衛へ割くリソースも回して、こちらを全力で叩けば良いだけの話であり、戦う前の駆け引きの時点で既に勝利を得ている。


 この状況に業を煮やして、冬の進撃を強行した総司令官が一人居たが、その結果は惨敗。

 痛烈な逆撃を受けた挙句、レッドヤードの街が陥落寸前にまで至り、万単位の犠牲者を出してしまった自責の念に駆られて、その総司令官は自死したとか。


 敵が持つ地の利はもう一つある。

 ネプルーズの街へ向かう街道は三本。北の山沿いルート、平野の真ん中を突っ切るルート、南の大樹海沿いルートがあるが、それ等の道中に村や街、砦といった仮の拠点になり得る場所が一カ所も存在しない。


 いや、より正しく言うと、数年前までは存在したが、今は存在しない。

 嘗て、その場所にヒトの営みがあった様子を辛うじて残すのみ。家屋から城壁に至る全てが徹底的に破壊されるか、燃やし尽くされて、利用価値を完全に失っている。


 そう、これはネプルーズの街を絶対死守防衛線の前線基地と定めた『焦土作戦』に他ならない。

 この焦土となった土地はミルトン王国中部の三割弱を占める。あやふやな記憶の上に正確な地図が無い為に大凡の比較になるが、前の世界で例えるなら、北海道を上にまるまる置けるほどの広大さだ。


 だが、これ等の問題だけなら解決方法は有る。

 寒さの問題は戦費は嵩むが、兵士の一人、一人にしっかりとした防寒対策を取らせたら良い。

 拠点の問題も戦費は嵩むが、廃村を再生させる気構えを持って、その地に強固な陣を築いたら良い。

 物資管理を行なっている後方の補給部隊と軍事費を捻出している本国の財政官達が頭を悩ますだけで事が足りる。


 なら、敗走を重ねている最大の原因は何なのか。

 ここで先ほど挙げたこの世界の地図に関する事情が大きく引っかかってくる。


 通常の侵略戦の場合、軍部が所有している大雑把な地図で問題は無い。

 より詳しい情報を知りたかったら、征服した村や街の住人から近郊の情報を得たらそれで十分だからだ。


 ところが、焦土作戦によって、その住人が一人も居ないのだから情報が得られない。

 捕虜も同様であり、焦土作戦を実施した村や街の出身者は一人も居らず、敵は他の地域の者を徹底して用いている。


 その為、こちらは進軍を暗中模索で進めてゆくしか無い。

 唯一、確かな街道を足がかりにゆっくりとした進軍速度でだ。


 だが、敵は違う。焦土作戦を用いる以上、事前に地図の作成を行なった筈に違いない。

 機動力を持った少数部隊で地元の住民くらいしか知らない様な細道を当たり前に使い、奇襲や後方撹乱を縦横無尽に仕掛けてくる。


 つまり、常にイニシアティブを握られている様なもの。

 これでは常に緊張を強いられる事となり、それが長く続いたら当然の事ながら疲弊する。戦う前から疲弊しているのだから勝てる戦いも勝てなくなる。

 

 その上、この焦土作戦は月日を重ねてくると、思わぬ素敵な付加価値が付いてきた。

 廃墟しかない場所に旅人も、商人も、冒険者も訪れなくなり、ヒトの手による管理が離れてしまった事によって、モンスターの繁殖が止まらなくなったのである。


 今や、この焦土作戦が行われた地はモンスターランド化。

 進軍中、モンスターの襲撃にも警戒しなければならず、これがまた消耗を誘う原因となっているから笑えない。


 挙げ句の果て、このモンスターランド化現象に伴って、スケルトンやゾンビ、ゴーストといったアンデット系モンスターが爆発的に増えてきている。

 何故なのかなど疑問を考えるまでもない。我々は戦争をしており、その発生源となる素材を常に提供し続けているのだから当然の結果だ。


『ほら、あそこを見てご覧よ。紫色のウィル・オー・ウィスプだ』

『きっとレア種だな。倒したら、凄い経験値が貰えるかも知れないぞ?』

『けいけんち? ……何だい、それは?』

『だったら、レアドロップだ。村正が貰えるかもな?』

『……ますます君が何を言っているのかが解らないよ』


 夜、人魂がふわふわと浮いているのを目撃した例なんて珍しくもない。

 数日前もジュリアスと立ち小便を列べながら、こんな会話を交わした記憶が有る。誰もがすっかりと慣れたものだ。


 たた一点、この焦土作戦で幸いなのは井戸などの飲水に毒を撒かれなかった事くらいか。

 戦争が終わった後の再開発の為も理由として有るだろうが、さすがに仁義は弁えていたらしい。もし、飲水さえも使えなかったらと思ったらゾッとする。


 もっとも、毒が撒かれていたとしても国王が版図の拡大を望んでいる以上、俺達は進軍を止められない。

 歴代の総司令官がこれ等の圧倒的な不利を抱えながらも執った作戦は単純明快。三本の街道を同時に進軍しながら地図の精度を少しずつ高め進めてゆく事だった。


 しかし、俺はこの基本方針に強い異を唱えた。

 これがまだ十年前なら通用したかも知れないが、今のインランド王国の経済状況を考えたら、ネプルーズの街までの地図が完成する前に国家財政が破綻するからだ。


 それに廃墟となった村や街を幾ら占領しても意味が無い。

 戦力の分散はゲリラ戦法を行なっている敵の思う壺である以上、進軍ルートを一本だけに絞り、戦力を集中した大軍でネプルーズの街まで電撃的に突き進む。これが俺の提案した作戦である。


 だが、これは前年度、前々年度からこの地で戦っている第十一騎士団と第十二騎士団から大きな反発が表れた。

 当然だろう。先ほどから何度も挙げている地図の問題も有るが、それ以上に第十一騎士団と第十二騎士団が勝ち取り、維持に苦労している占領地を無駄だと評したのだから。

 それこそ、俺を参謀長の座から下ろすべきだという声が挙がったが、ジュリアスが全ての上級指揮官を集めた会議の場でこう言って待ったをかけた。


『どうか、僕を信じて欲しい。

 そして、僕が信じて、参謀長に任命したニートを信じて欲しい。この通りだ』


 もう記憶が曖昧で何のアニメか、漫画かは忘れたが、俺が人生で一度は言ってみたいと思っていた言葉。

 それも王族たるジュリアスが頭を下げるという付加価値も付き、俺の心はグッと震えた。俺だけの秘密を明かすと、その場は辛うじて耐えたが、自室へ戻った途端、涙が自然と溢れて止まらなくなったほどだ。


 こうして、俺とジュリアスの最初の一年目はレッドヤードの街へ到着したのが夏の終わり頃だった為、全ての現有兵力をレッドヤードの街へ集結させるだけで終わった。

 こうなると今度は焦土作戦が敵側に逆作用して、大軍で守るレッドヤードの街を攻められず、偵察に放っていた斥候部隊が例のゲリラ部隊を何度か発見する事は有ったが、レッドヤードの街へ近づく事さえも無かった。


 二年目の今年は雪解けと共に南ルートを選んで進軍を開始。

 誰もが懸念していた地図の問題を裏技で解消して、この地へ味方ですら驚く早さで到達するのを成功させた。


 これでジュリアスから借りていた参謀長としての信用度は本物になった筈だ。

 今、その証拠に地図へ注がれていた全ての視線は俺へと注がれ、心地良い緊張と静寂が満ちる中、皆が俺の作戦説明を待っていた。


 とりわけ、その中でもキラキラと輝いているのがジュリアスの視線。

 俺はこのジュリアスの子供が大人へ冒険譚をせがむ様なわくわくとした眼差しに弱い。ついつい期待に応えたくなってしまうから困る。


「さて、こちらに万全の用意が有るのを皆さんにも解って頂けたところで作戦の説明に移りたいと思います。

 ……ですが、その前に結論から先に言いましょう。私が考えているネプルーズ攻略の要、それは『水攻め』です』


 そんな自分に苦笑が漏れそうになるのを堪える為に敢えて咳払いをすると、俺は満を持して作戦の説明を始めた。




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