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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十二章 男爵 オータク侯爵家執政 百騎長 第十三騎士団出陣編
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第02話 家族の肖像




「……と言うのが俺の見解なんだが、どうだろうか?」


 ルシルさんとの和解が済んで婚約もめでたく決まり、あとは五日後の出兵を待つのみ。

 そう行きたいところだったが、今年度の出兵について、自分の中に広がりつつあった懸念がどうしても晴れず、皆を朝一で招集。会議を開く事となった。


 俺を含めて、参加者は八人。おっさんを除いて、今年度の出兵に参加するコミュショー男爵家家臣団とオータク侯爵家家臣団の幹部。

 議場としている十人掛けの長テーブルの席は俺が上座に、おっさんが下座に、コミュショー男爵家家臣団が右側に、オータク侯爵家家臣団が左側に列ぶ。


 何故、おっさんが下座に座っているのかと言えば、結婚披露宴の際におっさんは侯爵位をティラミスへ譲り、隠居の身となったからだ。

 それに伴い、俺もオータク侯爵家執政に正式就任。名前を『ニート・デ・ドゥーティ・コミュショー・ナ・オータク』へ改めている。


 本当なら、ここにルシルさんも皆との顔合わせの意味も含めて参加して欲しかった。

 今はエスカ男爵ではあるが、将来は俺の奥さんとなり、コミュショー男爵家家臣団の一員にもなるだろうから、この会議に参加する資格は十分に有していた。


 しかし、ルシルさんは今年度の出兵に急遽参加する事となった為、現在は多忙を極める毎日。

 一応、会議を開く旨は伝えたが、やはりと言うか、会議へ参加する余裕は無いらしく、謝罪と共に欠席の返事が届いていた。


 さて、その会議に関して言えば、俺の独壇場で長々と喋る事、小一時間。

 最初は活発な質問や意見が飛び交っていたが、時間の経過と共に少なくなり、今では全員が全員とも険しい表情で黙り込んでいた。

 だが、それも無理は無い。俺が密かに抱え込んでいた懸念は巨大なモノであり、ここに居る全員が一丸となっても手に余りあるほどのモノだ。


 だからと言って、このままでは会議は進まない。

 俺は言いたい事を全て言った。あとは皆の意見を聞きたい。

 喋り疲れた喉を潤そうと、テーブルに置かれたお茶を手に取り、ティーカップを傾けながらネーハイムさんへ目配せを送る。


「ニート様は今まで敵の先手を常に読み、数々の戦いで勝利を収めてきました。

 ですから、その軍才は疑うものではありません。しかし、これは……。まさか、そんな大それた事が有り得るんでしょうか?」


 それを受け取り、ネーハイムさんが顎先を微かに頷かせて、沈黙を打ち破る。

 これは会議がきっと行き詰るだろうと予想して、ネーハイムさんが俺の考えに肯定的でも否定してくれと予め頼んでおいた起爆剤だ。


 前述にも有るが、これは俺の懸念が晴れないから開いた会議。

 忌憚の無い意見を言って貰わないと困るのだが、それには俺の身分が邪魔をしていた。


 前の世界とて、会社での上位者が提示した意見を否定するのはとても難しい。

 明確な身分制度があるこの世界なら尚更だ。現状において、それをオータク侯爵家家臣団へ望めるほどの仲にまだ至っていない。


 だから、ここでネーハイムさんの出番となる。

 ネーハイムさんは俺が騎士となった頃から仕えている最古参であり、誰もが認める俺の忠臣でもある。

 そのネーハイムさんが否定したのだから、否定意見を持つ者は『なら、俺も』と声をあげ易くなる寸法だ。


「正直なところ、私も同感です。

 畜生にも劣る行為、その汚名を敢えて被るなど……。果たして、有り得るでしょうか?」


 思惑通り、やや間を置いて、オータク侯爵家陪臣の騎士団を纏める団長が釣れた。

 団長は俺へ視線を一旦は向けるが、すぐに視線を申し訳なさそうに伏すと、最後に首を左右に振った。


「私も同意見だが……。固定観念は捨てるべきだ。

 選択肢の一つとして、有りきで考えた方が良い。問題はそれがどの程度の確率で起こるかによる。

 可能性が高いなら、これを全力で防ぎ、可能性が低いなら、それを頭に入れているだけでも対応はいざという時に早く出来る」


 それに待ったをかけたのがバラリス卿だった。

 確率を重視して、肯定も、否定もせず、その双方に対して備えようとする辺りが実に元領主らしい考えと言える。


「いや、可能性が少しでも有るなら、それを前提に備えるべきでしょう。

 どう考えても、これは我々の死活問題となる。俺はニート様の考えを支持します」


 その意見に修正を被せてきたのは茶髪の男性。

 これも有らゆる危険性を排除してから先へ進もうとする元冒険者らしさが出ている。


 そう、彼こそが新婚旅行の際に俺とティラミスの護衛を担ってくれた冒険者達のリーダーである。

 名前は『タムズ・デルヴィル・モバーエ』、年齡は三十三歳。トレードマークは顎先だけに生やした短い髭、筋肉質なガッチリとした体型をしており、見た目にも猛者の風格を持つ。


 役職はコミュショー男爵家陪臣騎士団の団長だが、この場に居る者を除いたら、俺の陪臣は新たに加わった彼の元パーティメンバーが四人の為、実質的な立場は以前と変わらない。

 しかし、中間管理職を担うタムズさんを筆頭に彼等、彼女等が加わってくれた事によって、ネーハイムさんとバラリス卿の忙しさはグッと減る筈だ。


 余談だが、タムズさん達の元パーティ構成を前の世界のRPGゲーム風に例えると、戦士、戦士、盗賊、僧侶、魔法使いとなる。

 それぞれの適正に合わせた役目と役職をゆくゆくは設けたいが、今は時間も無ければ、費用も無いし、それを個別に担わせるほどの意味がそもそも無い。零細領主の悲しいところである。


「バルバロス様はどうお考えですか?」


 一旦、ここで発言が途切れかかるも間の手を入れてきたのが、オータク侯爵家陪臣騎士団の副団長。

 俺としては今後の事も有り、おっさんの意見より今日が初顔合わせとなる彼自身の意見を聞きたかったが、どうやら前評判通りらしい。


 一昨年のアレキサンドリア大王国との戦いにて、前任者が戦死。

 その代わりとして、目覚ましい武勲を挙げた彼が二十二歳の若さで副団長に抜擢されたが、団長の評価は芳しくない。


 一流の武を持っており、若手を中心に人望も有り、部隊を率いる指揮能力も申し分ない。

 おまけに字も書けて、簡単な計数も出来る。副団長として、事務面においても合格点の彼だが、それ等の美点を補って余るほどに考える事を苦手で他者へ丸投げしてしまう悪癖が有るとか。

 その為、明確な目標を持った攻勢は滅法強いが、臨機応変さを求められる守勢は苦手を通り越して弱い。


 そう酒の席で愚痴りながらも、団長は嬉しそうに語っていた。

 その様子と言葉の端々に感じた期待感を考えると、団長は彼を自分の後継者として考えているのだろう。


 そう言う事なら、俺も協力せねばなるまい。

 俺と彼は年齡が一緒だ。将来、オータク侯爵家を支える為、手を取り合う大事なパートナーとなるのが今から解っているのだから。


 但し、俺は団長と彼へ対する考えがちょっと違う。

 団長は彼に軍略などを学ばせて、立派な後任に育てようとしているが、その必要は無いと俺は考えている。


 無論、それが叶うなら越した事は無いが、大人になった時点で考えるのを苦手とするのなら、今更の学習はもっと駄目に違いない。

 人間はAを持っているならBを持たず、Bを持っているならCを持たず、Cを持っているならAを持たないと言う様に何かしらが欠けているのが当然であって、完璧である筈が無い。


 欠けているモノが有るなら、他から持ってくれば良いだけの事だ。

 即ち、彼のブレーンとなる優秀な副官を付けてやれば、それで全てが丸く収まる。

 変に矯正した結果、彼の持ち味を失ってしまい、良い例えとは言えないが『下手な考え、休むに似たり』になる可能性は否定しきれない。


 しかし、それを今すぐに実行する事は出来ない。

 俺はオータク家の執政となったばかり。人事に手を着けるのは影響力をもっと広げてからの話となる。

 第一、そのブレーンとなる優秀な人材にアテが無いし、彼へ付けるよりも俺が先に欲しい。


 そんな彼から話を振られたおっさんも彼と同じタイプである。

 違いが有るとするのなら、彼がまだ持っていない戦場の経験を多く持っており、その経験と勘が勝利の方程式を直感で導き出せる点だが、それは今回の会議に役立たない。


「サビーネ、お前の意見が聞きたい」


 おっさんはすぐに応えなかった。

 カウントを数えるなら、十前後か。腕を組みながら目を瞑り、口を『へ』の字に固く結んで黙っていた。


 それは幾多の重い決断を下してきた元侯爵らしい威厳が溢れる姿に見えるが、長い付き合いの俺には解る。

 おっさんは考えているフリをしているだけであって、その実は全く何も考えていない。もし、考えているとしたら、彼へ対する『儂へ話を振るなよ』という愚痴だろう。


 事実、口を勿体ぶって開いたと思ったら、サビーネさんへのスルーパス。

 思わず苦笑が漏れかけるが、次こそが意見を最も聞きたかった大本命のサビーネさんとあっては笑っておれず、真剣な面持ちを向ける。


「はい……。あくまで私はオータク侯爵家の陪臣です。

 その為、私の目と耳はオータク侯爵領だけにしか向けられておらず、その手が届くのもオータク侯爵領だけ。

 ですから、この会議が始まるまではニート様が仰った可能性など一欠片も持っていませんでした。

 しかし、ニート様が挙げられた情報の数々を繋ぎ合わせると、高い確率……。

 いえ、その可能性を知った今、それ以外を私は考えられません。十中八九、それが起こるでしょう。

 なら、それを前提に我々は動くべきだと進言します。

 正にモバーエ氏が言った通り、これは我々の死活問題。それが起きた時、我々に有るのは全てを得るか、全てを失うか、その中間は有りません」


 その結果はたった一つの失点も無い完全肯定だった。

 聡明なサビーネさんから認められた嬉しさに心を弾ませるが、それは同時に俺の懸念が現実味を帯びた意味合いも含んで素直に喜べず、苦い味が心に広がる。


 皆も同様らしく、誰もが厳しい表情で黙り込み、発言が再び途切れる。

 当然だろう。俺自身、その可能性を否定して欲しくて、この会議を開いた感が非常に大きい。


「我が陣営の知恵袋二人がそう言うのなら、これはもう間違い有るまい」


 暫くして、沈黙を打ち破ったのはその可能性に俺以上のショックを感じている筈のおっさんだった。

 いつの間にか、テーブルへ落ちていた視線を弾かれた様に上げると、おっさんがこちらを真っ直ぐに見ており、その視線の中で『本当なら、これはお前の役目だぞ』と窘めていた。


 思わず小さく声を『あっ!?』と口の中で漏らして、失敗したと反省する。

 実を言うと、結婚披露宴の後日。正式なオータク侯爵家執政就任と共におっさんが今まで裁可していたモノが俺の元へ全て届けられる様になり、その巨大な権力を実感すると俺は今更ながら不安に苛まれて、数日ほど寝付きが悪くなった経験が有る。


 なにしろ、コミュショーという小さな領地ですら、俺は実績らしい実績を挙げていない。

 領民達は生活が豊かになったと喜んでくれているが、その比較は前任者達が酷すぎただけであって、まだまだ貧しい生活を他の領に比べたら強いている。


 その俺が南方領を統括するオータク侯爵家の執政に就き、その領民の数はオータク侯爵家の直轄領ですら、コミュショーの約六十倍。南方領全てを含めたら、百倍は軽く超える。

 前の世界で例えるなら、田舎の小さな支店長が本社の社長令嬢と結婚して、いきなり本社社長に就任した様なものであり、これで不安を感じないとしたら、よっぽどの大物か、只の馬鹿だ。


『儂が見込んだのだ。なら、その儂を信じろ。

 それに政治をするのも、戦場で指揮を執るのも根本は変わらん。

 なら、もう数多くの戦場を経験してきたお前はそれをとっくに知っている筈だ。

 そう、指揮官に最も必要なのは常に前を向いている事……。そして、劣勢や不安な時ほど空元気で笑ってみせる事だ。

 ……と言うか、この儂にですら出来たのだから、お前に出来ぬ訳が無い。

 もし、困ったら、サビーネを頼ると良い。もし、お前の様な婿を迎えられなかった場合に備えて、ティラミスを守れる様に仕込んだつもりだ』


 その日の夜、ララノアをバタンキューさせても不安で寝付けず、一人酒を飲んでいるところをおっさんに見つかり、一緒に酌み交わした時の言葉だ。

 それを考えると、今さっきの俺の態度は落第点と言う他はない。皆の意見が出揃ったにも関わらず、自身の不安をモロに出してしまった挙句、それに浸りきって締めるを完全に忘れていた。


「であるなら、出兵に関する人員も再調整が必要になります。

 兵は十分に残してありますが、ニート様の考え通りになるのなら、兵士達を指揮する騎士もですが、その騎士達を指揮するのがバルバロス様一人では手が足りません」

「しかし、既に出兵が始まっている今となって、突然の変更は変に怪しまれませんか?」

「でしたら、ティラミス様が風病を患った。そう言う事にしましょう。

 バルバロス様がティラミス様をとても可愛がっているのは有名な話です。

 孫可愛さに帰還の護衛を増やした。そう噂を軽く流すだけで怪しまれずに済むかと」

「そうなると、誰がの問題になりますが……。」

「ふっ……。経験と立場から言って、それは私の役目だろうな。

 我が才をニート様へ見せる機会を失うのは残念ですが、それが起こった時はこちらこそが要。勲功第一は私と思って引き受けましょう」


 結果として、おっさんの言葉が決定打となった。

 これではどちらが上座で、どちらが下座かが解らない。


 だが、この辺りは独裁とも言える身分制に基づいた強いトップダウン型の良い点だ。

 上位者がそうと決めたら、下位者はそれに従って動く。その速度は逆のボトムアップ型とは比較にならない。

 先ほどは全面否定した団長ですら、今は肯定に意見をあっさりと覆して、積極的な意見を出している。


 そこからは本当に早かった。

 目標に向かって、話があれよ、あれよと進み、出兵の不参加を自ら立候補して、おっさんやティラミスと南方領へ一緒に帰還する事が決まったバラリス卿が俺へ視線を向け、それと共に皆の視線が俺へ集まる。


 俺とおっさんが先ほど交わした目線のやり取りを気付いたのだろう。今度はバラリス卿が目で『さあ!』と促していた。

 その気遣いに嬉しさを感じながら、いかに自分が恵まれているかも実感して、先ほどの失点を取り戻す為、やや大袈裟に深く頷いてから声を張り上げる。


「ああ、その時は期待してくれ! では、決まりだ! 斯くの如く実行する!

 尚、言うまでもないが、この件は今はまだ俺の推測に過ぎず、その証拠が無い以上、防ぐ手段が無い!

 そして、敵は強大だ! もし、防ごうとしたら逆に付け入る隙を与えてしまい、防ごうとする前に俺達は潰される!

 だから、俺達に出来る事はそれに対しての準備を整えて、速やかなカウンターを与える事だ!

 その為にも、この件はここに居る者以外へ絶対に漏らしてはならない! 酒を飲んだ勢いなどで口がうっかり滑ったなんて事が無い様に徹底してくれ!」


 そして、言葉を言い切ると、全員から威勢の良い返事が返って来た。

 つい先ほどの失態も有り、おっさんの様子をこっそりと窺えば、笑みを微かに零しての満足そうな様子。どうやら今度は及第点らしい。


 あとは今回の件に直接関わってくるおっさんとバラリス卿と団長の三人で詳細を詰めるのみ。

 それぞれが出兵前の忙しさに追われており、全員をここへ留めおく事は出来ない為、会議を一旦閉会する挨拶を告げようと席から腰を浮かせるが、そのタイミングで出入口のドアからノックが響いた。


「失礼します。ご隠居様、画家の方がいらっしゃいました」

「おおっ!? そうか!」


 最後の最後で水を差されて、苦笑しながら許可を与えると、ドアの軋む音すら立てずに現れたのはこのオータク侯爵家王都屋敷の執事長。

 相変わらず、惚れ惚れするくらい見事な一礼であり、その言葉にすぐさま反応したのがおっさんだった。それも目を輝かせながら椅子を蹴って立ち上がる興奮ぶりでだ。


「……画家?」


 しかし、俺が知る限り、おっさんが絵に興味を持っていたという話は一度も聞いた憶えが無い。

 俺よりおっさんと長い付き合いのサビーネさんと団長も同じ心境らしく、不思議そうな顔を見合わせている。


「うむ、そうだ! ほれほれ、お前も早く支度をするぞ!」

「えっ!? ……ちょっ!? 俺もっ!?」


 そんな俺達を他所にして、おっさんはただ呼んだら済む距離に居る俺の元まで駆けてくるほどに興奮して、俺の右腕を強く引っ張って急かした。




 ******




「城の玄関の壁に……。そう言われてみると、あそこだけ不自然に空いているな」


 貴族の屋敷へ社交で赴くと、当主や先祖の肖像画が何処かしらに飾ってあるものだ。

 だが、言われてみて初めて気づいた。この王都屋敷も、バカルディの城も肖像画は何処にも飾られていないのを。


 だから、正式に当主の座をティラミスへ譲った記念に俺、ティラミス、おっさんの三人が揃った絵をバカルディの城の玄関に飾りたい。

 おっさんが画家を呼んだ理由はそれだった。


 それにしても、俺が絵のモデルとなる日が来るとはまさか夢にも思っていなかった。

 今、この瞬間を目に焼き付けようとする画家の視線がどうにも擽ったいが、それは仕方が無い。

 俺達は半日のモデルで済むが、絵は一朝一夕に完成しない。完成まで数ヶ月から数年、画家は記憶を頼りに描かなければならない。


 しかし、やはりモデルとなっているだけでは退屈で堪らない。

 最初は緊張して、口を噤んでいた俺達だったが、時が経つにつれて、無駄口が自然と多くなっていた。


 画家も俺達の様な客に慣れているのだろう。

 ポーズが大きく崩れた際、軽く注意する程度に留めて、筆を走らせるのに専念している。


「本来、あそこは当代当主の肖像画を飾る場所なんだが……。

 まだ幼かった頃のお前が父のそれを見る度、わんわんと泣いてな。それでずっと外したっきりになっていたのだ」

「そうだったんですか……。」


 ポーズはとても簡単なものだ。

 騎士服を着た俺とおっさんが腕を組んで立ち、その間にメロン色のドレスを着たティラミスが椅子に座っているだけ。


「……で、自分の引退を機にまた飾ろうって訳か。

 でもさ……。それなら、これは何よ? 新手のイジメか?

 だったら、泣くぞ? わんわんどころか、ガウガウと泣くぞ? 大の男が大泣きするぞ? それでも良いのか?」


 そう、簡単なポーズだが、俺には大きな不満点があった。

 それはおっさんとティラミスが隣り合っているのに対して、俺とティラミスの間には半歩ほどの不自然な間が空いている点だ。


 最初は何故だろうと首を傾げる程度の小さな違和感だった。

 それがふと線引きをされている様な感を受けた途端、家族という枠組みからの疎外感に堪らなくなり、それがとうとう爆発。問題の空間を指差しながら口を尖らせる。


「ぷっ!? ……いや、これは失礼を致しました。

 ですが、噂と違って、コミュショー卿はユーモアを持った御方なのですね」

「あっ、どうも……。噂や歌の俺は別人と思って下さい」


 それに対して、反応が真っ先にあったのは正面。

 今日、初めて会ったばかりの人に自分のお馬鹿な一面を知られた恥ずかしさと仕事を真剣に行なっているところを邪魔してしまった申し訳無さに恐縮する。


「あと今の質問の答えですが、元侯爵様からのご要望は家族の肖像画です。

 なら、コミュショー卿と奥様はお若いですから、お子様もそう遠くない未来だと思いまして……。いずれ、その時が来ましたら描き加える予定となっています」


 だが、怪我の功名と言うべきか、三人の立ち位置に関する意味が解り、なるほどと右拳で左掌を叩く。

 なかなか粋な趣向である。前の世界で例えたら、肖像画は写真の様なモノだが、あとから描き加えが出来るのは絵だからこそ。


 今はまだ誰も居ない俺とティラミスの間にある空間を見つめて思う。

 ここに新たなもう一人が加わる日が一日も早く来て欲しいものだ。その時こそ、ようやく俺は二度も失った家族を取り戻せたと実感が出来るのではないだろうか。

 こうなったら、出兵までの残された限り有る夜に賭けて、ティラミスと頑張るしか無い。今夜は寝かせないぞと密かに決意する。


「そう、それだ! お前達、孫はまだなのか? 昨夜はちゃんと励んだのか?」


 そんな家族計画に抜群の食い付きを見せたのがおっさんである。

 結婚前は『お前達、結婚はまだなのか?』と煩かったが、結婚したら今度はこれだ。

 その気持ちは解らないでもないが、ティラミスがしつこすぎる催促にキレて以来、ここ暫くは大人しかったのが見事に復活を遂げてしまった。


「も、もうっ! お、お祖父様ったら! こ、こんな陽が高い内から!」


 ティラミスが目をギョッと見開き、声を上擦らせながら怒鳴る。

 その顔は瞬く間に紅く染まり、ドレスで露出している肩までもが白から紅へと見事に変わる。


 なにせ、この場に居るのが、俺達だけならまだしも、第三者の画家が居り、おっさんの言葉は直球過ぎる。

 それに絵のモデルとなっている今、動いたら画家へ迷惑をかける為に動けないのに加えて、正面の画家を否が応でも意識しなくてはならないのだから。


「しかし、ティラミス。もう出兵は五日後に迫っているのだぞ? 

 この機を逃したら、チャンスは数年は先に遠のいてしまうのだ。それを考えると、もう儂は居ても立ってもおられんのだ」

「お、お祖父様が焦ったところで関係ありません! ほ、放っておいて下さい!

 だ、大体、子供は天からの授かりものです! だ、だから……。ほ、ほら、ニート様もお祖父様へ何か仰って下さいな!」


 ところが、おっさんのしつこさは治っていなかった。

 ティラミスは画家が居る手前、強く出れないのだろう。俺へ縋るような眼差しを向ける。


 夜、ベットの中では第三者を平然と交えられる大胆さが有りながら、普段は思春期の初々しさを残しているのだから、そのギャップが面白い。

 ある意味、ティラミスは男の理想『昼は淑女、夜は娼婦』にピタリと当て嵌まるのかも知れない。


「ああ、そうだな。この際だから、俺も言わせて貰うか」


 つい溢れかけた苦笑を堪えて、真剣な面持ちとなり、右の人差し指を立てて見せる。

 可愛い奥様のお願いとあったら断れない。幸いにして、おっさんを黙らせる術を今の俺は持っていた。


「……な、何だ?」


 そのこれ見よがしにアピールされた人差し指の効果は抜群だった。

 おっさんはやや怯み、ティラミスは期待して、画家も描いている絵から気を逸らして、三者の視線が人差し指へ集中する。


 そして、敢えて焦らす様に数呼吸の間を置いてから、人差し指を頭上へ高々と掲げた。

 釣られて、三者の視線も上がり、ここでも数呼吸の間を置いた後、殊更に大げさなゆっくりとした動作で人差し指をそこへ振り落とす。


「なあ、それ……。盛りすぎじゃね?

 将来、息子か、娘に『お母さんのおっぱい、こんなに大きくないよね?』って絶対に言われるぞ?」


 ティラミスが着ているドレスの胸元に作られた胸の谷間。

 どう考えても、それは不自然な大きさと険しさを持っており、真実を知っている俺としてはそれをどうしても指摘したくて我慢が出来なかった。


「ぷっ!? ぶわっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」

「ぷっ!? くっくっくっ……。い、いや、申し訳ありません。くくっ……。」


 一拍の間の後、おっさんと画家が腹を抱えての大爆笑。

 慌ててティラミスは胸元を両手で隠しながら蹲り、俺を上目遣いに睨みつけて叫ぶ。


「も、もうっ、もうっ! ニ、ニート様まで私を虐めて酷いですぅ!」

「ごめん、ごめん。でも、あまり見栄を張るのもどうかと思ってさ」



 そのちょっぴり涙目となっている様子に少しやり過ぎたかなと反省するが、たまらない幸せを目の前の光景にしみじみと感じて、俺自身もまた笑顔が堪えきれなかった。




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