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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十二章 男爵 オータク侯爵家執政 百騎長 第十三騎士団出陣編
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幕間 その4 続・ルシル視点




 オータク侯爵家王都屋敷へ帰ってきたニートがティラミスの留守を不思議に思っている頃。

 ティラミスと『ルシル』の今年度の出兵に関する密談はまだ続いていた。




 ******




「改めて、お聞きします。何故、ニート様と共に出兵をなさらないのです?」

「そ、それは……。」


 オータク侯爵家令嬢からの二度目となる問いかけ。

 その目は明らかに私を非難していた。今となっては是が否とも今年度の出兵に参加したくなったが、それを今から実現させるには決断が遅すぎる。

 軍司令部へ対する参戦の意思表明もそうだが、出兵の為の費用を用立てている時間も無ければ、最たる理由にエスカ家の事情が有る。


 現在、私がエスカ男爵家当主の座に在るのは弟のマイルズが跡を継ぐまでの一時的なものに過ぎない。

 だが、そのマイルズは今年度の騎士叙勲を済ませたばかりだ。爵位を継承する為、今年度の出兵に参加するのが決まっており、兵役義務期間の三年間を待たねばならない。


 その間、私は私で南門門番長の職務を大過なく全うする必要が有った。

 王家へ南門門番長の職を一時的に預けて、代理を立てるという手段も存在するが、それは既に私が兵役義務へ赴いた際に用いている。

 十年という短い期間に職務を二度も預けたら、我がエスカ男爵家に資格無しと判断されかねず、南門門番長という役職を失ったら破産が確実に待っている借金漬けなエスカ家にとって、それは絶対に選べない選択肢だった。


「私はエスカ様が羨ましい」

「……えっ!?」

「私が出来る事と言ったら……。せいぜい、ニート様のお帰りが一刻でも早くなる様に祈るくらい。

 ですが、貴方は違う。ニート様と共に戦場を駆ける事が出来る。それが何故? 何故、ニート様を愛していながら出兵をなさらないのです?」


 しかし、再三に渡る問いかけが私の心を揺らす。

 オータク侯爵家令嬢の表情が憂いを帯び、その向けられた視線の種類が非難から羨望へと変わる。


 自身の目が大きく見開かれているのを自覚した。

 私は男として育てられたせいか、ニート君以外の男性に対する女としての愛想が欠けており、人付き合いが上手く行かない事が多い。

 恐らく、それ等を後から顧みると、彼等は私へ女性的なモノを求めるが、私は彼等へ男同士の付き合いを求めるからだろう。そのちぐはぐさが限界に達すると、相手の方から自然と疎遠になる事が多々有り、それが解っていながら直せない。


 当然、そんな私だから政治力も乏しい。

 この五年間、後継となるマイルズを少しでも楽にさせてやろうと社交に勤しんでみたが、父や先祖が築いた以上の伝手を作れなかった。

 作れた伝手と言ったら、ニート君を介してのものしかなく、その点は第三王子たるジュリアス殿下と誼を結べたのは大きいが、ジュリアス殿下が宮中で厳しい立場に有るのは誰もが知るところ。


 片や、戦場での才能は人並み以上のモノを持っている様だ。

 トーリノ関門時代、ニート君はここ一番の局面で私を多用してくれ、その功績が積み重なった結果、私は女性騎士では稀有な百騎長にまで昇進した。


 但し、それは男勝りとも言い換えられる。

 幸いにして、私は母の血が濃かったのか、細身な身体をしており、背もさほど高くないが、その中身は筋肉で固く、胸も柔らかいのは上辺だけであり、ウエストは細くても腹筋は割れている。


 それを踏まえて、目の前に座っているオータク侯爵家令嬢を改めて観察すると、女の私から見ても可愛い。

 残念ながら、胸にボリュームは無い様だが、その腕に筋肉は付いておらず、ぷにぷにと柔らかそうであり、腰に至っては抱き締めたら折れてしまいそうなほどに細い。

 それに立ち振舞や言葉遣い、雰囲気、そのどれを取っても私に勝てる要素は無い。正しく、お姫様という言葉がぴったりでニート君が奥さんに選んだのも悔しいけど頷ける。


 ところが、そのオータク侯爵家令嬢が今、私を羨ましいと言った。

 まさか、この自分が人から羨まれる立場になるとは思っても見なかった。それも女の子としての理想を体現したかの様なオータク侯爵家令嬢からなら尚更だ。


 口を固く結びながら天井を見上げる。

 その昔、エスカ男爵家が絶頂期にあった頃に建てられた屋敷だけあって、この来客を迎える応接室の天井は他の部屋よりも高く、吊り下がっているシャンデリアも見事なら、各所にある彫刻も立派なもの。


 しかし、落ちぶれてしまった今となっては滅多に来客は訪れず、この応接室を使うのは年に数回程度しかない。

 そのせいか、ついつい手入れが怠り気味となり、天井まで行き届いていない。シャンデリア上はロウソクの煤で黒ずみ、部屋の隅に至っては蜘蛛の巣が作られた跡に埃が付着して綿帽子の様にさえなっている。


 まるで今のエスカ男爵家そのものだ。

 男爵位を持つ貴族として、最低限の外見は整えているが、その内情は数世代に渡っての借金まみれ。

 最近は色々な物価が上がるばかりで節約もより厳しくなり、朝と晩の食卓に列ぶ品は来る日も来る日も芋料理ばかりで貧相の一言。

 昼食を見るも、百騎長の私より騎士位だけの部下達の方が断然に良いものを食べている。


 去年、ジェックスさんが我が家を何度も訪ね、今年度の出兵に是非とも参加して欲しいと申し込んできた時、私はエスカ家の事情を理由に断った。

 無論、先祖代々の借金苦故に厳しい財政事情は身内の恥となる為、その大事な部分は上手く伏せて。


 だが、こうまで心を晒してくれたオータク侯爵家令嬢へ私も全てを晒して縋ってみよう。

 もしかしたら、頼れる伝手を持たないエスカ男爵家には絶対に無理でも、巨大な権力を持っているオータク侯爵家なら何らかの手段が有るかも知れない。


「実は……。」


 そんな気持ちが広がり、オータク侯爵家令嬢へ視線を戻すと共に頷き、全てを語る決心をした。




 ******




「でしたら、話は簡単です。

 お祖父様へ頼めば、きっと今からでも出兵に割り込めます。

 弟さんに関しても、我がオータク侯爵家が後見を致しましょう。それで全てがまるっと解決です」


 早い家庭は食卓に列び、もう夕飯を食べているだろう時刻。

 空腹を感じている筈にも関わらず、オータク侯爵家令嬢は私の長い話を、エスカ家の歴史を黙って聞き続けてくれた。


 そして、それが済み、暫くの沈黙がお互いの間に流れた後、、オータク侯爵家令嬢から提案された申し出は破格のものだった。

 思わず息を飲むが、その申し出に飛びつく訳にもいかず、一瞬だけ浮かした腰をソファーへ沈める。


 何故ならば、直臣と陪臣の上下関係が有る様に直臣の中にも常日頃から世話になっている寄親と寄子という上下関係が有る。

 我がエスカ男爵家の場合、王都全ての門を管理している上役のフローネ伯爵家となり、弟のマイルズの後見人を既に務めて貰っている。


 当然、それをこちらの都合で勝手に変える事は出来ない。

 もし、それを行なったら、フローネ伯爵家の面子を潰すのは勿論の事、エスカ男爵家が代々築いてきた大きな信用を失ってしまう。


「それは願ってもない申し出ですが……。」


「ああ、存じております。エスカ男爵家の寄親様へ迷惑をかけるつもりは有りません。

 オータク侯爵家がエスカ男爵家の後ろ盾になるという意味ではなく、オータク侯爵家とエスカ男爵家に繋がりが有るのを世間へ示すだけです。

 その為にも、エスカ様にはニート様との仲違いを早急に解いて頂き、結婚式を挙げるには時間が少々足りませんから、正式な婚約を結んで貰わなければ困ります」


 しかし、その常識を大貴族のオータク侯爵家令嬢が知らない筈は無い。

 それを語ろうとする私の言葉を遮り、前言の驚きなど軽く吹き飛ばす更なる驚愕を告げた。


「ふぁっ!?」


 今度こそ、腰がソファーから完全に浮いた。

 口からは変な声も飛び出して、口をあんぐりと開きっぱなし。さぞや、今の私は愉快な顔をしているに違いない。


 いや、私の聞き間違えだ。そうに決まっている。

 愛人へ自分の旦那さんとの婚約を勧めてくる奥さんが何処の世界に居ると言うのか。

 夫婦仲が完全に冷め切っているならまだしも、目の前に座っているのは王族すら出席した結婚披露宴で熱烈な本気のキスを交わした新婚熱々の夫婦の奥さんである。


「ええ、婚約を結んでしまえば、ニート様を介してですが、エスカ男爵家と我がオータク侯爵家は繋がりを持ちます。

 なら、エスカ様が今年度の兵役に行かれても、エスカ男爵家が世襲をしている南門門番長の役目を奪おうとする不埒な輩はまず現れないでしょう」


 ところが、ここに居た。目の前に存在した。

 最早、息を飲むどころか、そのまま呼吸を忘れてしまうほどの驚き。口をパクパクと開閉させる。


「ただ、ご承知の通り、ニート様はジュリアス殿下とご懇意な関係です。

 その為、エスカ男爵家は第三王子派に属したと見なされるでしょう。その点に関して、何か不都合が有るのでしたら……。」

「い、いえ……。わ、我が家は派閥へ誘われる様な家ではありませんから」

「では、決まりですね!」


 そんな私を置いてけぼりにして、話はトントン拍子に進んでゆく。

 私が懸命に追い縋って応えると、オータク侯爵家令嬢はこれで問題は全て解決したと言わんばかりに満面の笑顔をニッコリと咲かせながら胸の前で柏手を打った。


「ま、待って下さい! そ、その前に聞いても宜しいですか!

 お、奥様は、その……。わ、私とニート君の仲を認めて下さるんですか?」


 それを中腰だった姿勢を完全に立ち上がらせると、慌てて右掌を付き出して待ったをかかる。

 今年度の出兵に心置きなく参加が出来るのは嬉しいが、その以前に解決しなければならない問題がこれだ。


 そもそも、オータク侯爵家令嬢は私とニート君の仲をどう考えているのか。

 今日、我が家を訪れたのは、私とニート君の仲を裂くつもりだったのではないのか。

 その二つの意味を込めて問いかけると、オータク侯爵家令嬢は私を見上げながらパチパチと瞬き。不思議そうなキョトンとした表情を傾げた。


 女の私ですら、グッと来る可愛い仕草。

 今までソファーに座っていたのさえも忘れて思わず後退り、足を危うく躓かせそうになるのを堪える。


「はい、認めるも何も……。もう、とっくに認めていました。

 エスカ様を第二夫人にしたい。それが婚約の時に出された結婚の為の条件ですから」

「……へっ!?」


 数拍の間を空けて告げられた新事実。

 それは私が待ち構えて築き上げた心の防壁をとんでもない威力であっさりと破壊した。

 何を言われたのかすら理解が追いつかず、頭の中が真っ白に染まる。目は見開ききり、時が止まったかの様に動きをピタリと止める。


 これこそ、今日一番のこれ以上ない驚き。

 息をハッと飲む音が目の前で聞こえ、それと共に私の時が再び流れ始めると、猛烈な疲労感が全身を襲ってきた。


「もしや、ニート様からお聞きになっては……。」

「……い、いません」

「あら……。だったら、それを私が言っても良かったのかしら?」


 とても立っていられなくなり、ソファーへ脱力して崩れ落ちる様に座り戻る。

 姉さんから口を酸っぱく叩きこまれた女の嗜み。パンツが丸見えになろうとも構わずに両足を開き、その膝の上に両腕を乗せて項垂れる。


 この四年間の苦労と悲しみは何だったのだろうか。それさえ知っていたら、もっと違う四年間を過ごせた筈だ。

 夜な夜な、枕を涙に濡らしながら火照った身体を鎮めては虚しさを感じ、その翌朝は声が五月蝿いと姉さんから叱られる様な日々は少なくとも無かっただろう。


 いいや、違う。ニート君の言い分を一方的に聞こうとしなかったのは私の方だ。

 今、改めて思い返してみると、ニート君が唄っていた歌は一つとして同じ歌は無いが、その全てが愛の歌ばかり。

 もしかしたら、その一つ、一つの全てがプロポーズだったのかも知れない。それを私は部下達の手前、仏頂面で聞きながら心ではニヤニヤとにやけて、皆から囃し立てられては強がり、最後はニート君を無視したり、怒鳴り追い返したり、ある時は剣や槍、弓矢を用いた事さえも有る。


 今更ながら、どうしたら良いのかが解らない。

 今や、あれだけの騒ぎとなってしまっているのだから、ニート君と二人っきりで会い、和解をしたところで世間は納得しないだろう。


 だからと言って、あの騒ぎの渦中へ飛び込んでゆくのは恥ずかしい。

 それとも、その恥ずかしさを克服する事こそ、ニート君へ聞く耳を持たなかった私へ科せられた罰なのか。


「それでは、ニート様が出兵なさるのは十日後となりますが、準備の方は大丈夫ですか?」

「はい、ちょっと慌ただしくなりますが平気です。必ず間に合わせてみせます」


 私が暫く黙り込んでいると、オータク侯爵家令嬢がやや声を上擦らせながら話を進めて来た。

 まだ確かな返事を返した訳では無いが、どうやら私がニート君と一緒に出兵するのはオータク侯爵家令嬢の中で決定事項らしい。


 もっとも、先ほどオータク侯爵家令嬢が提示した後見の意味は申し分ない。

 あとは私とニート君が和解で全てが解決する。私さえ、勇気を振り絞れば良いのだ。


 残る問題と言ったら、急な出兵参加となる為、その準備費用を用立てるアテが見当たらない事くらい。

 だが、この際だから恥の掻きついでにソレもオータク侯爵家令嬢に縋ってみよう。利害が一致している以上、きっと良い返事をくれるに違いない。


「良かった。正直、お姉様とララノアさんの二人だけでは少し不安だったんですよね」

「お姉様……。ですか?」


 それを申し出ようとするが、ふとオータク侯爵家ご令嬢の言葉に奇妙な引っ掛かりを覚えた。

 思わず顔を上げると、私とは問題が違って解決したオータク侯爵家令嬢は今まで手を付けずに放置していたお茶をニコニコと笑いながら飲んでいた。


 その様子におかしなところは見当たらない。

 だが、やっぱりおかしい。オータク侯爵が孫娘を大事にしているのはとても有名な話だが、その孫娘は一人娘で姉妹は居なかった筈だ。


 もっとおかしいのは、ここでララちゃん以外の名前が出てくる点。

 今、話し合っている会話の根底にある議題は、出兵先におけるニート君の浮気防止について。

 だから、ララちゃんの名前が出てくるのは解るが、お姉様なる人物は何者なのか。とても嫌な予感がした。


「あっ!? お姉様と言うのは私の姉代わりの方でして、ニート様の愛人です」

「ああ、なるほど……。えっ!? あ、愛人?」


 オータク侯爵家令嬢の応えはとてもあっさりとしたものだった。

 まるで当たり前の常識を告げるかの様な軽さに流されて、思わず納得に頷くも一瞬後に目をギョッと見開き、我が耳を疑って尚も問い返す。


「はい、愛人です」

「あ、姉代わりの人なのに? ……へ、平気なんですか?」

「平気とは?」

「ですから……。何と言えば良いのか、その人が愛人でも……。」


 しかし、やはりオータク侯爵家令嬢の応えはとてもあっさりとしたもの。

 それどころか、不思議そうなキョトンとした表情を浮かべて、まじまじとした視線を逆に返されて戸惑う。


 この私の方が間違っている感は何なのか。

 私は間違っていない筈だが、その自信がオータク侯爵家令嬢に見つめられれば、見つめられるほどに薄れてくる。


「ええ、昨夜も三人で一緒に愛し合いました」

「えっ!? ……さ、三人で? い、一緒に?」


 挙げ句の果て、衝撃的過ぎる事実をさらりと告げられ、もう絶句するしか無かった

 そういう術が男女の睦み合いに有るのは知識で知っていたが、自分とは関係の無い遠い世界の出来事だとばかり思っていた。

 ひょっとすると、今現在におけるニート君の閨事情はソレが当たり前なのだろうか。もし、ソレが当たり前なら私には難易度が高すぎる。


 そんな筈は無い。トーリノ関門時代、ニート君が特殊な趣味を持っていた気配は無かった。

 当時も私とアリサちゃんとララちゃんの三人が居り、ソレを行おうと思ったら実現は十分に可能ではあったが、ニート君がソレを望んだ事は一度も無い。


 もしや、これは血統を確実に残そうとする王家を初めとする上級貴族ならでは価値観なのだろうか。

 それなら、私とニート君の仲をオータク侯爵家令嬢があっさりと認めてくれたのも納得が出来なくもない。


「それで話を戻しますと、ほら……。ニート様って、おモテになるでしょ?」

「はい、ニート君自身は不思議とそう感じておらず、勘違いだといつも言い張りますけど」

「ええ、それが救いではあるのですが……。先ほど言った悪しき風習以外にも、ニート様へ近づいてくる女性は居ると思うんです」

「居ますね。いえ、トーリノ関門でも実際に居ました」


 まだまだ悩みは尽きなかったが、オータク侯爵家令嬢の問いかけに相槌を打ち、今は難問を棚上げする。

 これ以上、悩んだら今まで培ってきた常識が崩れそうで怖くもあった。オータク侯爵家令嬢は高貴な生まれ故に私とは感性がちょっと違うという事で一応の納得を得ておく。


 また、時間も随分と押していた。陽は完全に傾き、先ほどはまだ茜色に染まっていた部屋が薄暗くなりかけている。

 ここまで来たら、夕食へ誘うべきなのだろうが、オータク侯爵家令嬢を我が家の貧相な夕飯へ誘って良いものなのかと判断に迷う。


「そうですか……。やはり、エスカ様が頼りです。

 先ほど言った悪しき風習だけなら、お姉様とララノアさんの二人が居ます。

 しかし、ニート様の心を奪おうとする相手が直臣だった場合、お姉様はオータク家の陪臣、ララノアさんに至ってはエルフ……。どうしても強くは出れませんから」

「解りました。私にお任せ下さい」


 そんな新たな悩みを抱えながら会話を交わしていると、ようやくオータク侯爵家令嬢の意図がここではっきりと見えた。

 私としても悪い虫がニート君に付くのは避けたい。胸を右拳で叩きながらしっかりと頷いて強くアピールをする。


「良かった。これで安心です」

「お互い、大変ですね。厄介な相手を好きになってしまって」

「フフ、そうですね」

「フフフ」


 正しく、一件落着。顔を見合わせて笑い合う。

 オータク侯爵家令嬢の突然の訪問に驚き、その話の内容も驚く事ばかりだったが、とても有意義な時間となった。


「ところで、エスカ様に一つだけ聞きたい事が……。」

「はい、何でしょう?」

「今、ニート様と喧嘩をなさっている様ですが、何が原因なのですか?」

「……へっ!?」


 だが、オータク侯爵家令嬢は私をまだ楽にさせてはくれなかった。

 心が緩んだ隙を突き、オータク侯爵家令嬢にとっては素朴な疑問だが、私にとっては応えられない疑問に笑顔が瞬く間に凍る。


「もし、差し支えが無ければ、後学の為に教えて頂けませんか?」

「え、ええっと……。そ、それはですね。そ、その……。」


 既に我がエスカ男爵家の事情を語り、恥は十分に掻いた。

 これ以上、恥を掻き加えるのは嫌だ。まさか、『貴方が原因による私の一方的な早とちりです』とは口が裂けても言えず、私の悩みはどうやったら話題を逸らせるかで暫く尽きた。




 ******




「んっ、ん~~~っ……。」


 朝からの書類作業にきっと疲れたのだろう。

 突き合わせている二つの机の向こう側、義兄さんが作業の手を止めて、両腕を大きく掲げながら伸びをした。


「ひゃっ!?」


 たった、それだけの何気ない行為。

 だが、私の身体は過剰なまでにビクッと震えた上に変な声が口をついで出てきた。


「どうしたんだい? 今日は朝から妙にソワソワして?」

「いえ、何でも有りません。ただのしゃっくりです」

「そう? なら、お茶の時間にしようか?

 お茶を飲めば、しゃっくりも治るし……。ほら、そろそろ時間だろ?」


 当然、義兄さんは目を丸くさせながら怪訝そうな表情を向けてくるが、多くは応えない。

 視線は手元の書類へ向けたまま。今の私はそれどころではなかった。


 義兄さんの言葉通り、私の戦いがもうすぐ始まる。

 思考も、意識も、それに全てが傾けられており、先ほどから鼓動がドキドキと早鐘を打っていた。


 壁越しにも聞こえてくる南門前広場の賑やかさ。

 窓を開けきると五月蝿くて仕事にならず、採光の為に隙間を少しだけ開けてある窓を開けようと、席を立った義兄さんが指をかけたその時だった。


「席を少し外します」


 決戦の時を遂に迎えた。

 午後の半ばを告げる教会の鐘の音色が鳴り響き、南門前広場から溢れていた喧騒がピタリと止んで静寂に満ちる。

 それを合図に心の臓が飛び出てしまったのかと思うほどの強い痛みを伴いながら胸がドキンと高鳴った。


 深呼吸を一つして頷き、最後の覚悟を完了させてから席を勢い良く立ち上がる。

 最初の一歩を進めるのに震えがブルリと走り、膝が崩れそうになるも負けじと次の一歩を強引に進める。


「それは良いけど……。えっ!? ルシルちゃん、まさかっ!?」


 今の私に躊躇いも無ければ、後退も無い。

 義兄さんが背後で何かを叫んでいたが振り向かない。道中、部下達が何やら囃し立てているが立ち止まらない。


 ただただ、前だけを真っ直ぐに見つめて進んで行く。

 今や、胸は鼓動の刻みを張り裂けそうなほどに早めて、喉はカラカラに乾ききっていた。


「うっ……。」


 階段を居りて、廊下を進み、目の前に立ち塞がったドアを開ける。

 薄暗い屋内から外へ出た明暗差が目を焼く。反射的に右掌を目の前に翳して、陽の光を遮りながら小さく呻き声をあげる。


 その声を耳に止めたのだろう。

 近くに居た野次馬達がこちらへ視線を向けるが、一瞬の事。すぐに元の目線へと振り向き戻る。


 しかし、顔馴染みである果物売りの露天商のおばさんは違った。

 目をギョッと見開きながら息を飲み、一呼吸の間を空けて叫んだ。


「ル、ルシルちゃんっ!?」


 それは静寂が満ちた南門前広場にとても良く響き渡った。

 何百という視線が一斉に集い、その圧力に思わず身体が仰け反るも右足を引きそうになったのは堪え、逆に歩を前へ進めながら身体も引き戻す。


 歩みを進める度、行く手の野次馬達が左右に自然と分かれてゆく。

 やがて、それは広場中央の樅の木の下に特設された舞台と一本の道で結ばれ、こちらを茫然と見つめながら口をポカーンと大きく開け放っているニート君の姿が見える。


 その服装は普通だ。最近、日替わりで着ていた奇をてらった服装とは違う。

 最後の最後に残った私ではどうにもならない不安が晴れて胸をホッと撫で下ろす。


 なにしろ、これから行われる出来事は確実に命が尽きるその時まで心に刻まれ、命が尽きるその時に必ず蘇ってくる思い出となる。

 だが、その思い出が最近の様な奇抜な格好ではサマにならない。思い出は美しく残しておきたかった。


 そう、これこそがお互いに名前で呼び合うようになったティラミス様から授かったアドバイス。

 どう足掻いても恥ずかしいなら、より恥ずかしさを感じない歌を唄われる前にこちらから先手必勝大作戦である。


 昨日、教えて貰った酒場の三階の様子を窺うと、ティラミス様が窓から身を乗り出しながら両拳を胸の前で握り締めている。

 その頑張れというメッセージを受け取り、視線を正面へ戻す。


 私の胸の高さにある舞台。

 三歩手前で立ち止まり、ニート君を仰ぎ見る。


 全ての視線が私とニート君の動向を見守り、息苦しいほどの緊迫感。

 ここに立っているだけで奮い立たせた勇気が驚くほどの早さで消耗されてゆくのを感じ、すぐさま先制に打って出る。


「おっ……。お、お久しぶりです」


 ところが、緊張が過ぎて、その声は震えて詰まった上に裏返る大失態。

 せめて、乾ききった喉を唾で湿らせるくらいの余裕を持つべきだったと後悔するも時既に遅し。


「ひゃい! しょうれふね!」


 しかし、ニート君は噛み噛みの声を裏返して、もっと酷かった。

 それも声をかけた瞬間に踵を揃えながら背筋をシャキーンと伸ばしての直立不動。私以上に緊張しているのが丸解り。


 普段、ここで数多の観衆を前に歌を堂々と唄っている癖して、たった一人の私を相手に緊張している姿が妙におかしくて可愛い。

 笑みが口元に自然と浮かび、それと共に緊張が一気に軽くなって、早鐘を打ち続けていた鼓動もゆっくりと治まってゆく。


「でも、歌はちゃんといつも聞いていました。

 その気持ちも十分に伝わりました。だから、その返事をしようと、今日はここへ来ました」

「はい!」

「でも、本当に良いんですか? 私、嫉妬深いですよ?」

「えっ!?」

「今回の件なんて、勝手に先走って、勝手に嫉妬して、それで五年もうだうだと……。

 ううん、それだけじゃない。身体も筋肉で固くて、抱き心地は良くないだろうし……。腹筋だって、その……。割れているし……。」


 勇気や決意を用いずとも、口から言葉がすらすらと出てきた。

 昨夜、明け方近くまで考え抜き、完璧に用意した言葉とは違ったが、これが私の本心だった。

 最後の方は常日頃から感じている大きなコンプレックスな為に少し言い淀みはしたが、心の内は全てを言い切った。


「知っています! 構いません!」

「じゃあ……。本当に私で良いんですね?」

「勿論です! 俺はルシルさんが良いんです! いや、ルシルさんじゃなければ、駄目なんです!」


 すると間一髪を入れず、ニート君は私の全てを受け入れてくれた。

 涙が嬉しさに溢れ出して、そのまま泣いてしまいそうになるのをまだ駄目だと言い聞かせて堪える。


 私はまだ一番大事な返事を言っていない。

 この広場で何度も、何度も歌を唄われ、その一つとして同じ歌は無くとも常に申し込まれていたプロポーズの返事を。


「なら、私を貰って下さい。一生、貴方に付いてゆきます」


 そして、涙が堪えきれずに頬を伝い流れるのを感じつつ精一杯に微笑み、その返事を告げた次の瞬間、まるで南門前広場が揺れているかの様な大歓声が沸き上がった。

 ニート君が両手を大きく広げながら私へ向かって、舞台から飛び降りてくる。何かを叫んでいるのが解ったが、それを大歓声が掻き消してしまい、その言葉は残念ながら解らない。


「うおおおお! やった! 遂にやったぞ!」

「ルシルちゃん、おめでとう! 幸せになるんだよ!」

「今日は祭だ! 酒だ! フィーバーだ!」

「おい! 今日の倍率はどうなっている!」

「時代は歌か! 早速、俺もあの娘に唄ってくるぜ!」

「俺もだ! ササ、食ってる場合じゃねえ!」


 だが、その表情は満面の笑み。私の返事を喜んでくれているのは間違いない。

 この際だから、私も普段はとても言えない恥ずかしい言葉を叫び、私達は五年ぶりに抱き合い、五年ぶりのキスを交わした。




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