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第01話 旅立ち



「社訓、一! お客様へのお役立ち!」


 只でさえ、憂鬱な月曜日の朝の上に今日は面倒な日替わりの朝礼司会当番日。俺のかけ声に合わせて、営業課の全員が続いて唱和する。

 中学校時代は科学部、高校時代は帰宅部、大学時代は戦史研究会というサークルに所属。体育会系とは縁遠い道を歩んできた俺にとって、この社訓、社是を大声で唱和する前時代的な朝礼は苦手な時間だった。

 今年で入社五年目となるが、未だ大声を出す行為が気恥ずかしかった。


 だが、声が少しでも小さければ、課長から叱責が飛ぶ。

 新人時代、会社の前にて、約三十分に渡り、課長が満足するまで社是、社訓を叫ばされたのはちょっとしたトラウマになっている。


 しかも、朝礼司会当番は社訓、社是の唱和が終わってからこそが本番。

 月初めに配られる『職場の知識』と銘打たれた小冊子。一ページ毎に日付が割り振られており、そこに書かれている心がちょっと温まる道徳エピソード。

 それを読み上げた後、感想を発表しなければならないのだが、これが嫌で嫌で仕方なかった。


「さて、今月の成績だが……。

 今月もトップは二十三口を達成した中島君だ! 皆さん、拍手!」


 挙げ句の果て、今週は営業月締め日が木曜日に迫った月曜日の朝礼。

 その月の営業成績が改めて発表され、課長からノルマ達成者には賞賛が、ノルマ未達成者には怒号が送られる日。


 営業職とは、課せられたノルマを達成するか、しないかで明暗がはっきりと分かれる職種である。

 ノルマを達成すれば、天国。営業手当として、素敵な数字が給料明細に列び、銀行口座の残高はウハウハ。ちょっとした贅沢が出来る。

 それこそ、ノルマを達成した後は自由。更なる営業手当を狙って稼ぐのも良ければ、漫画喫茶やパチンコ、昼寝で時間を潰しても良い。

 朝礼が終わった後、即帰宅。夕方頃、会社に電話して、お得意さまから自宅に直接帰ると告げて、実質的な休日を味わった経験も有る。


 だが、ノルマが未達成ならば、地獄。営業手当はがくんと減り、給料はカツカツ。毎日の生活に節約を考える必要がある。

 月末に近づけば、近づくほど、課長の機嫌は傾いてゆき、提出した日報の内容を事細かに駄目出しされ、終業後はサービス残業を遠回しに強要される。

 もちろん、土日もノルマ獲得の為、鬱陶しがられるのを承知して、お得意様に頭を下げて回らなければならない。


 なら、俺はと言えば、最近は調子の低迷が続き、ノルマ未達成が四ヶ月も続いていた。今月も合わせると、五ヶ月目である。

 当然、今朝は起床した時から憂鬱で憂鬱で仕方がなかった。会社へ向かう電車に乗っている時など、このまま終点まで乗っていようかと現実逃避に悩んだくらい。

 今月、完全に一日休んだのは第一週の日曜日一日のみ。明らかに疲れとストレスが溜まっていた。最近は朝食が喉を通らず、空腹を栄養サプリメントと栄養ドリンクで誤魔化すのも慣れた。


「……で、お前さ。どうなっているの?

 今、七口だよ? 七口? 今日も含めたら、あと四日で残りの八口を何処から持ってくるんだ?」

「申し訳有りません」


 そうこうしている内に巡ってきた俺の順番。

 今月は特に営業課全体の成績が悪い。少しずつ積もり積もった課長の怒りという爆弾の導火線にいよいよ火が点く。

 しかし、手の内に有効な手札は一枚も無い。とっくに切り尽くして、残っているカードは謝罪のみ。


 昨日、お得意様に泣き付いて貰った新規契約が三口あるが、それを打ち明けたところでノルマは届かず、課長の怒りは収まらない。

 むしろ、会社としては困るだろうが、一営業員としては今月のノルマ達成は諦めて、その三口を来月分に回して、来月を見据えた営業を行った方が良い。


 営業とは不思議なもの。余裕がある時は運も味方して、契約がトントン拍子に進む事が多い。

 普段なら、各方面を駆けずり回って、ようやく取れる契約が向こうから出向いて現れ、あっさりと契約に至る事だってある。

 ところが、少しでも低迷の兆しが見え始めたら危険信号。一旦、負のスパイラルに突入するとなかなか抜け出せない。

 滅多に起こらないからこそ、奇跡と言うにも関わらず、奇跡ばかりを頼り、まるで成果が上がらなくなる。

 こうなってしまうと、何が良くて、何が悪いのかが解らなくなり、やる事、なす事が裏目に出やすい。


「いやいや、そうじゃなくってさ! 俺はどうする気かって聞いているんだよ!

 大体、謝って済む問題じゃないから! やる気を見せろって言うんだよ! やる気をさ!」

「申し訳有りません」


 決して、やる気の問題ではない。

 やる気が無かったら、好き好んで休日活動など行うものか。

 しかし、それを言うつもりは無い。ただ、ひたすらに謝罪をするしか他に術は無い。


 ちなみに、今は槍玉に挙げられ、皆を代表する様に怒鳴られている俺にも昔は良い時代があった。

 入社から二年目と三年目は正に我が世の春と言うくらい契約が面白い様に取れ、特に三年目の前期は社長賞という金一封すら貰った。

 その頃の課長の態度も違った。いつもニコニコと笑い、まるで菩薩の様だったが、今は地獄の閻魔。最近、笑ったところを見た記憶が無い。


「トントントン! 入っていますか? もしかして、空っぽですか?

 どうするかって聞いてるんだよ! そんな簡単な事も解らないのか! ……ええっ!?」

「申し訳有りません」


 スイカの熟れ具合を確かめる様に俺の頭を軽く何度か叩いた後、唾を飛ばしまくって怒鳴る課長。

 完全なパワハラだが、うちの様な中小企業は社長を筆頭とした絶対王政。それを告げる事は許されていない。


 そもそも、労働環境に関して、文句を言ったらキリが無い。

 残業代が働いた分だけ出るとか、有給が有るとか、そんなものは大企業だけの特権だと社会に出てから知った。


 例え、風邪をひいたとしても休めない。俺が若い頃は這ってでも出てきたものだと嫌味を言われる。

 医者の診断書を提出して休めたとしても、それは『欠勤』であって、『有給』では無い。一日分の給料が差し引かれるだけ。

 当然、有給の消化など有り得ないし、有給の買い取りも都市伝説に過ぎない。


 ちなみに、ここで謝罪するのを止めて、『頑張る』や『努力する』などの言葉を口にするとどうなるか。

 『頑張る必要など無い。いつも通りで構わない。それとも、お前はいつも頑張っていないのか?』と返ってくる。努力するに対する応えも似た様なもの。

 結局、何を応えても怒鳴られるだけであり、ただただ謝罪するのが唯一残された道なのである。


「知っているか? お前の様な奴を給料泥棒って言うんだ!

 泥棒だぞ! 泥棒! やる気が無いなら、さっさと辞めろ! その方がせいせいする!」

「申し訳有りません」


 もっとも、課長も部長に、部長も社長に、社長も株主に怒鳴られているのだろう。

 だったら、怒るのも仕事、怒られるのも仕事。これは月末の恒例イベントだと考え、今は嵐が過ぎ去るのを待てば良い。

 全く反省しないのも駄目だが、真正面から受け止めるのも駄目。馬鹿正直に受け止めた結果、心を病んでしまった人も過去に居るのだから。


 課長の死角、先輩がニヤニヤと笑いながら何度もウインクして戯けている。

 この緊張感の中、たわいもないソレがどうしようもなくおかしい。笑いを懸命に堪える。

 きっと元気付けてくれているのだろう。心が少しだけ軽くなった様な気がした。


「……ったく、どんな教育を受けたんだろうな! 親の顔が見てみたいわ!

 まあ、お前の様な間抜けを生んだんだ! どうせ、お前と同じ間抜け面に決まっているけどな!」


 しかし、課長が俺の親を馬鹿にして、喉の奥が見えるほどに笑った瞬間、俺の頭は真っ白になっていた。

 もう気付いた時は固く握った握り拳を課長の左頬目がけて思いっ切り放ち、課長を見事なくらい吹き飛ばしていた。


「親は関係ねぇ~だろ! 親は!」

「ひぃぃっ!?」


 その後の記憶はぼんやりと曖昧で残っていない。

 ただ言えるのは、すぐさま先輩が俺を取り押さえてくれた結果、課長は這い蹲りながらも逃げる事に成功。傷害罪の前科だけは危うく免れた。




 ******




「はっ!? ……えっ!?」


 悪夢から目が醒めて、跳び起きようとするが上半身が少し跳ねるだけ。

 ソレもその筈。身を起こそうと両脇を支える腕が自分の意志に反して動かないのだから当たり前。

 その事実に戸惑うが、腹の上に乗っている両腕を見て、現状を理解。額の汗すらも拭えない不自由さに溜息をつく。


「そう、そうか……。そうだったよな」


 両腕を拘束する木製の手枷。それは俺の罪の証だった。

 あのブタ貴族を棒で打ちのめす事には成功したが、すぐに俺は幾人もの兵士達によって取り押さえられた。

 当然、ブタ貴族は怒り狂い、その場で手打ちにしてくれると剣を抜いたが、その最中に領主様が登場。待ったをかけた。


 領主様の話によると、俺がおおよそを予想した通り、ブタ貴族は領主様預かりの謹慎中の身であった。

 だが、ブタ貴族は窮屈な謹慎生活に嫌気が差して、自分の身分の高さを盾に周囲を脅すと、領主様が留守の間に無断で謹慎生活から脱走。

 その事実を帰宅と共に知り、すぐさま領主様はブタ貴族の後を追った。素行の悪さで有名なブタ貴族が何らかの問題を起こすのではなかろうかと危惧して。

 案の定、ブタ貴族はうちの村で問題を起こす。その報をブタ貴族の追跡途中、村長と街道で出会って知り、もう許してはおけないと逃亡先であろう別荘に急いできてみたら、正に俺がブタ貴族に襲いかかるところだったらしい。


 その後、俺の処罰を巡って、領主様とブタ貴族の間で言い合いになった。

 領主様は我が領民が我が領内で行った罪なのだから、領主である自分だけに裁く権利があると。

 ブタ貴族は被害者は自分である以上、誰の領民であろうとも自分こそに裁く権利があると。

 お互いに一歩も譲らず、領主様は冷静に、ブタ貴族は感情的に長く言い合っていたが、結局はブタ貴族が引き下がる形で領主様の言い分が通った。

 どうやら、ブタ貴族は元々が謹慎の身であるのもそうだが、領主様に苦手意識を持っている様に見えた。


「いっ……。せぇ~~、のっ!?」


 両腕が使えないのでは仕方がない。

 両足を抱える様に曲げた後、身体を前後に二度ほど揺らして最後に勢いを付け、気合いを入れると共に腹筋の力で一気に跳び起きて立ち上がる。

 前世のだらしない身体ではとても出来なかったアクロバティックな起き方。確かに身体は逞しく成長したが、残念ながら精神の方は成長していないらしい。今さっきまで見ていた悪夢がソレを思い知らせてくれた。


 『三つ子の魂、百まで』という諺があるが、正にその通りと言うしかない。

 今回の一件も、今さっきまで見ていた悪夢。前世にて、ニート生活に至るきっかけとなった会社を辞めたきっかけも、その原因はキレてしまったが故の暴力だった。


「駄目だな。俺って奴は……。」


 今一度、自由を奪っている手枷を眺めながら溜息を深々と漏らして項垂れた。




 ******




 唯一、インランド帝国史上、臣の最高位『大元帥』の地位にまで至った無色の騎士の二つ名で呼び慕われているニート。

 帝国の公式記録は否定しているが、彼の始まりが最下層中の最下層『奴隷』であったのはあまりにも有名である。

 その証拠に彼自身は出自を隠しておらず、周囲の者が綴った語録や日記にソレが残されている。


 ところが、彼が何故に奴隷だったかは解らない。

 主君であり、腹心の友であった帝国初代皇帝のジュリアスにも、その理由を決して語らなかったらしい。

 ジュリアスがたった一度だけ尋ねた事があった様だが、ただ言葉を濁して苦笑したという記録が残されている。


 奴隷とは言え、人間とは何かしらの足跡を残すもの。

 しかし、彼の場合は帝国に姿を現す以前の記録が全く残っていない。

 一応、帝国の名簿に出自が記されているが、真っ赤な偽物。その源を辿っても、ニートという人物は何処にも見当たらない。


 もし、その明確な出自が解れば、それは歴史的な大発見となるだろう。

 何故ならば、帝国初代皇帝のジュリアスにも影響を与えたニートの思想は高度で革新的すぎるものが多い。


 そう、思想とは言えども、進歩する過程は必ずある。

 ところが、インランド王国時代のモノをAと例えるなら、インランド帝国時代のモノはCとなり、その途中のある筈のBが何処を探しても見当たらない。

 だが、ジュリアスがニートの影響を受けた様に、ニートも誰かしらの影響を受けており、その師が居た筈なのである。

 それ故、出自が奴隷と言われていながらも、その思想が高度すぎる為、彼を研究する者はソレを一度は必ず否定する。


 ジュリアスとの友誼を早い段階で結んでいる点から、実は亡国の王子だとか。

 金儲けの上手さに秀でていた点から、実は破産して身売りした商人の後継者だとか。

 それこそ、この大陸より文明、文化が高度に進んだ世界より召喚された者に違いないと与太話を主張する者まで居る。


 無論、それ等全てが的外れなのは言うまでもない。

 ニートは元奴隷、それ以上の明確な出自は見つかっていないのだから。

 ただ、これだけは言える。その出自を空想させてしまうミステリアスさが無色の騎士と呼ばれた彼の魅力を高めているのでは無いだろうか。




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