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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十一章 男爵 百騎長 新婚旅行編
84/140

幕間 その1 パリス視点




 ニートがハネポートの街の少年に槍の指導を得意気になって行なっている頃。

 その目の前の領主館の裏庭にて、ハネポート領の執政職に就く『パリス』もまた槍を振るい、毎朝の鍛練を行なっていた。




 ******




「ふぅぅ~~~……。」


 一心不乱に振っていた槍を下ろして、大きく息を吐く。

 最近、体力の衰えを感じる。具体的に言えば、三十代後半を迎えた辺りからだ。

 この毎朝の鍛練とて、二十代の頃は疲労を感じても、それは心地良いものだったが、今はしんどさが勝っており、鍛練にかかる時間も増している。


 だが、泣き言は漏らせない。

 この地の領主たるコゼット様が戦場へ出れない以上、去年の様に出馬要請が有ったら陣代を務めるのは他ならぬ自分の役目。

 もし、戦場で無様な姿を晒せば、それはコゼット様の恥となる。コゼット様のおかげで陪臣から世襲の直臣に取り立てて貰った恩を少しでも返す為にも体力が衰えたのなら、技を磨けば良いのだ。


「おはようございます! 今日も良い天気ですね! 朝ご飯が出来ましたよ!」


 その為にも槍をもう一振り。そう考えて、槍を構え直したところでタイムアップを迎えた。

 背後を反射的に振り返すと、今朝も満面の笑顔を浮かべたコゼット様が屋敷の勝手口に立っていた。


 コゼット様と出会って、もう七年。あの頃はまだ少女らしさを残していたが、今ではすっかり大人の女となり、正に花盛り。

 春と夏を過ごすハンブルクにて、夜会へ出席すれば、ダンスを申し込んでくる者は後を絶たず、過去に求婚を申し込んできた者すら何人も居た。


 当然だろう。その美貌を差し引いたとしても、コゼット様は朗らかでヒトを惹き付ける魅力を持っている。

 特にマスカット大公のお気に入りであると共にその後継者であるヤード様の母親でありながら謙虚にして驕らず、この点に関しては出会った頃のまま。

 その純真な心はこのハネポート領を豊かにもしており、この街を初めとする領内の村々は五年前に初めて訪れた時とは比べ物にならないくらい発展している。


 ただ、難点を挙げるとするなら、コゼット様は清貧が過ぎる。

 服やドレス、宝石などの装飾品を滅多に買わない。商人をせっかく呼び寄せても商品を見るだけで満足してしまう事が殆どだ。


 贅沢に耽るのも困るが、これはこれで困る。

 嘗てが村娘だった故の感覚だろうが、今は歴とした男爵位を持つ貴族。身分に相応しい装いというものがある。


「コゼット様、おはようございます。ええ、本当に良い天気ですね」


 今だって、そうだ。その姿はどう見ても街娘にしか見えない。

 口に自然と出かかった小言を慌てて飲み込み、朝の挨拶と共に笑顔を返す。


 そもそも、朝の第一声からして既におかしい。

 朝食の準備が整ったのを告げに来てくれたのは嬉しいが、それは領主の役目だろうか。


 いや、それ以前に考えるべき事が有る。

 その朝食を誰が作ったのかと言えば、コゼット様である。コゼット様の手料理を食べられるのは嬉しいが、それは領主の役目だろうか。


 また、朝食を作るとなったら早起きは必然となる。

 俺が目を醒まして、自室から出た時、寝癖を付けたままのメイドが慌ててキッチンへ駆けて行き、その方角からはコンソメの良い匂いが漂っていたが、領主とは使用人達よりも早起きな存在だろうか。


 論じるまでも無い。答えは否、否、否である。

 しかし、現実として、コゼット様は日頃から使用人達に混じり、炊事、洗濯、掃除などの家事を率先して行なっている。



『これは見事な庭ですね。ただ、維持管理に結構な費用がかかりそうですが』


 この裏庭に広がる家庭菜園も悩みの一つ。

 初めて領主館を訪れた時、華美が少し過ぎる裏庭にそうボヤいたのがいけなかった。


『なら、潰しちゃいましょう。これだけ立派な庭ですもの。勿体無いですよね』


 立派な庭、勿体無いと言いながらも潰す。

 コゼット様が何を言っているのかが解らなかった。解ったのは翌朝になってからの事だった。

 なんとコゼット様は自ら鍬を持つと、使用人達の陣頭指揮を執り、見事な庭を半年の月日をかけて、見事な菜園に作り変えてしまったのである。

 今日もコゼット様はきっと午後から育てている野菜の為に鍬を振るい、その後は街の共同浴場へ汗を流しに出かけ、街の農家の奥方と天気や作付の話で盛り上がるのだろう。


 それを夕飯の席で聞かされる俺の気持ちが解るだろうか。

 一応、補足しておくと、この領主館にもコゼット様専用の風呂が有るのだが、お湯を湧かす薪代が勿体無いと言い張り、滅多に使おうとしない。


 そう言った事情から、初めて領主館を訪れる大抵の者がコゼット様を使用人と間違える。

 先日もある商人がコゼット様と誼を結ぼうとご機嫌伺いに初めて訪れた際、たまたま玄関掃除を行なっていたコゼット様に取り次ぎを申し込み、コゼット様に領主館の案内をさせた挙句、コゼット様にお茶の給仕までさせた事件が発生している。


 その後、真相を知った商人が冷や汗をかきながら頻りに恐縮している姿が実に哀れで仕方がなかった。

 この先ずっと、彼はコゼット様へ頭が上がらないに違いない。


『ここでは私が一番偉いんですよね? だったら、私が何をしてもオールOKって事ですよね?』


 同様に自分の失言に関して、悔やんでいる件がもう一つ有る。それはハネポート領へ最初の第一歩を踏み入れた時の出来事だ。

 この言葉を施政に対するものと勘違いして、優しいコゼット様なら領民を虐げる事は有るまいと二つ返事で頷いたのがまずかった。

 貴族として、領主として、マスカット大公の親族として相応しい振る舞いと装いをして欲しいと幾ら諫言しても、コゼット様はこの時の言質を盾に取って聞く耳を持たない。


 だが、その庶民的な部分が領民達に親しまれている大きな要因となっているのも確か。

 それ以上にここでの活き活きとしたコゼット様の姿を見ていると感じずにはいられないモノがある。

 マスカット大公の親族として、ハンブルクの街では誰からも傅かれ、見事な淑女ぶりを披露しているコゼット様だが、その生活はきっと窮屈なものなのだろうと。


 だからこそ、あまり多くは言えなかった。

 別れ離れとなったニート様の行方を追うという名目の下、コゼット様を故郷からこの遥か遠い地へ連れ出して、その窮屈な立場に押し上げたのは俺自身に他ならないのだから。


「ところで、ヤードは……。」

「ああ、ヤード様でしたら……。」


 しかも、その名目を未だ叶えられていないばかりか、実はニート様の行方に関する重大な手がかりを知りながらも、それを伝えられずに隠していた。

 そう、それは去年の初秋の事。インランド王国との戦いの最中にあった出来事だ。




 ******




「怯むな! 焦らず、落ち着いて戦え!

 訓練通り、三人一組だ! 二人が防ぎ、一人が攻めれば、何の恐れも無い!」


 こうして、戦場に立つのは十五年以上ぶりとなるが、ここは相変わらず酷い場所だ。

 誰もが目を血走らせながら手に持った武器を振り上げ、次から次へと血と肉と臓物を撒き散らして死んでゆく。ただただ死の臭いだけが蔓延していた。


 しかし、こんな掃き溜めの様な場所だからこそ、強く光り輝くモノが有る。

 今、目の前で繰り広げられている光景は正にその極み。


 我が方の兵力が一万五千に対して、敵の兵力は目測で一万足らず、当初は負ける筈の無い戦いだった。

 味方は鶴翼陣を、敵は魚鱗陣を構えて、双方の目論見も明らか。此方が敵を包囲するのが早いか、敵が数の劣勢さを覆す為に此方を分断するのかが早いかの戦い。


 ところが、開戦して暫く経った頃、それは起こった。

 敵の欺瞞後退にあっさりと引っかかり、鶴翼中央部の本陣が突撃を開始する。

 この時点で当方の作戦は瓦解したも同然。敵を受け止める役割を担っている鶴の頭が両翼より突出したが為、慌てて両翼が追いつこうと前進を始めるが、この絶妙の隙を突いて、敵陣の中から割って出てきた部隊が中央部と右翼の付け根に食らいついたのである。

 それを起点に混乱は瞬く間に全軍へと伝わった。今や、右翼と中央部は完全に分断されてしまい、その突撃を仕掛けてきた敵の部隊に続き、敵の全軍が分断されて作られた空間に割って入り、中央部と左翼が逆に半包囲されつつあった。


 その劣勢を鮮やかに覆した手口は敵ながら見事と言うしか無い。

 特に文字通りの尖兵となり、鶴の翼を食い破る快挙に成功した部隊の先頭を馬走らせる騎士の一騎当千ぶりたるや眩しいばかり。

 槍で立ち塞がる我軍の騎士、兵士を次から次へ薙ぎ倒してゆく様は麦の穂を刈るが如く。


 時代の流れを感じずにはいられなかった。

 これまでインランド王国の南方領と言ったら、『紅蓮の槍』の二つ名通りで知られるバルバロス・デ・バカルディ・オータク卿が率いる『赤備え』が有名だった。


 そして、どんな戦場でも、どんな作戦でも、オータク卿と赤備えが戦いの要を常に担っていた。

 逆に言えば、その両者の動向を警戒して、どの様に防ぐかが常に我が方の作戦課題であり、昨夜の会議もそれが議題の中心となっていた。


 しかし、件の部隊に統一されている特徴は左の二の腕に結び巻かれた黒い布であって、赤い色は鎧の何処にも見当たらない。

 それを率いている騎士も顔は兜で見えないが、オータク卿とは明らかに違う。二つ名の由来となった炎は燃え広がっておらず、騎士が突撃を仕掛けてきたタイミングと時同じくして、強い向かい風が吹き荒れ、件の部隊へ矢が放てないでいる。


 さしずめ、オータク卿が『紅蓮の槍』なら、かの騎士は『疾風の槍』か。

 間違いなく、オータク卿と同じマジックアイテムの持ち主。どう考えても、この風は不自然だ。


 いずれにせよ、これは次代の若手達が育っている証拠であり、オータク卿の後継者たる南方領の新たな英雄の出現と言えよう。

 今後、インランド王国との戦いにおいて、彼と彼が率いる部隊が常に我軍の前に立ちふさがり、戦いの主役を担ってゆく予感がする。


 それに引き換え、我が方は駄目だ。

 今回の戦役における総司令官のモーンキ侯爵と副司令官のルシアン侯爵の二人はアレキサンドリア大王国北部領の将来を担う有望株と言われていたが、蓋をいざ開けてみたら先祖代々の仲違いを戦場に持ち込み、お互いがお互いを出し抜こうと足を引っ張り合って情けない限り。

 先ほどの本陣突出とて、功を焦っての部分が大いに有るのではないだろうか。とにかく、二人は互いの事になると激情に駆られ易い。


 恐らく、今回の戦役は今日の戦いが分水嶺となるに違いない。

 一時期、オータク卿の居城があるバカルディの街まで迫る快進撃を続け、三度の逆撃を食らいながらも士気を辛うじて保っていたが、それも四度目となったら難しい。

 大体、モーンキ侯爵とルシアン侯爵の二人が対立する険悪なムードが兵士達にも伝わり、士気を内側から削いでいるのだから絶対に無理だ。

 今日を堺にして、急な下り坂を転げ落ちる様に負け続け、最終的に本国への撤退を余儀なくされるだろう。


 最早、死ぬには馬鹿らしい戦い。

 コゼット様の陣代として、この場に立っている以上、コゼット様から預かった兵士達を一人でも多くハネポートの地へ帰さなければならない。


 但し、その為にはオータク卿の後継者たる新たな英雄の足を一時的に止めなければならない。

 彼が率いる部隊は本陣へと真っ直ぐに突き進んでいる。総司令官のモーンキ侯爵と副司令官のルシアン侯爵、そのどちらかでも討ち取られたら、撤退もままならないほどの大混乱となるのは必至であり、今の混乱から立ち直る時間が必要だった。


 だが、『しかし』である。十五年以上も戦場の空気から遠ざかっていた俺がオータク卿の後継者たる新たな英雄を相手に何処まで戦えるのか。

 そんな不安があったが、彼が馬を走らせている行く手に自分が操る馬を割り込ませて、腹の底から吠える。


「我が名はパリス・ラゥ・ナハト・アレキ!

 貴公の槍さばき、実にお見事! 辛抱が堪らず、一槍を馳走して貰いに参ったが、その前に貴公の名を教えては貰えまいか!」


 もう後には退けず、覚悟が半ば強引に決まる。

 早鐘を打つ鼓動は加速してゆき、口の中が瞬く間に乾いてゆく。


 混戦の喧騒の中、俺と彼の周囲だけが動きをピタリと止める。

 数拍の間を開き、誰かが『一騎打ちだ!』と叫ぶ。それは瞬く間に伝播して、俺と彼が戦う為のスペースが広い円を描いて空けられる。


 敵味方が入り混じり、手拍子と共に声を揃えて挙がる一騎打ちのコール。

 こうなってしまえば、もう彼は一騎打ちを受ける他は無く、一騎打ちを断るにしても馬を止めなければならない。

 もし、このまま馬を止めずに本陣へ突撃したら、彼の武名は地の底まで落ち、今後は常に戦場で卑怯者と謗られる事となる。


 その為、この時点で俺の目論見は半分が成功していた。

 残りの半分は味方の混乱が収まるまで時間を稼ぐか、彼に勝つ事だ。ハンブルクを発つ際、コゼット様へ誓った通り、俺は必ず生きて帰らなくてはならない。


「ほう、面白い! 緒戦以来、俺が現れると誰も彼もが逃げ出すものだから、アレキサンドリアの兵は腰抜けばかりだと思っていたが違った様だな!

 ならば、教えよう! 我が名はニート! インランド王家に男爵の称号を賜り、祖をレスボスに連ねる者! ニート・デ・ドゥーティ・コミュショーだ!」

「な゛っ!?」


 しかし、彼が馬を立ち止まらせる為に手綱を引き絞り、一騎打ちを応じる証の名乗りを挙げた瞬間、俺の中にあった色々なモノが全て吹き飛んだ。

 思わず右手の握力が緩んで持っていた槍を落としかけてしまい、その拍子に慌てて我を取り戻すが、混乱は治まらない。目を見開きながら大口をあんぐりと開けたまま。

 

 なにしろ、その行方を長年に渡って探しているニート様と同名である。

 彼がニート様とは別人なのは解っていても、これを驚かずして何に驚けという話。


 ただ、『ニート』という名前は非常に珍しい。

 その行方を探して、もう約七年。ミルトン王国を中心に探した国の数は八カ国を数えるが、『ニート』と名乗る人物を見つけたのは目の前の彼で三人しか居なかった。


 ちなみに、決して禁止されている訳ではないが、我が国の国民なら我が子に『ニート』と名付けたりはしない。

 我が国で『ニート』と言ったら、『光の槍』の二つ名を持つ建国の忠臣の名前であり、マスカット大公の祖と誰もが知っているからだ。


 だったら、そのタブーを破り、我が乳兄弟『フィート』が自分の子に『ニート』と名付けたのは何故か。

 俺はこう考える。当時、風の教会の姫巫女だったニート様の母親『エクレア』様との仲が認められず、マスカット大公と仲違いの末に駆け落ちする形で国を出奔したが、マスカット大公同様に時が経つにつれて後悔を重ねていたのではなかろうか。


 それなら、納得がいくのだ。

 身は故郷から遠く離れていても、建国の忠臣である先祖『ニート』の様に心は王の傍に在る。そう解釈するのは都合が良すぎるだろうか。

 マスカット大公もそう感じたらしく、コゼット様の口から孫の名前が『ニート』だと初めて聞いた時、暫く押し黙り、その後は静かに涙を流されていた。


 だからこそ、『ニート』という名前が稀有な存在であったとしても、目の前の彼は只の同名だと断じる。

 アレキサンドリア大王国北部領にとって、インランド王国南方領は百年以上の永き時に及ぶ仇敵。目の前の彼がニート様であってはならないのだ。


「どうした! 今更、怖気づいたか!」


 だが、現実とは過酷、運命とは数奇なものだった。

 俺の態度を変に思ったのだろう。彼が兜のバイザーを上げて、眉を怪訝そうに寄せた目線を見せた。


 その瞬間、心の臓が胸から飛び出すほどにドキリと跳ねた。

 あまりにも似ていた。今も記憶に刻まれて残っている若き日の我が乳兄弟『フィート』の目元に似ていた。


 いいや、違う。この場合、『そっくり』と言うべきだ。

 他人の空似と言うには似すぎており、血の繋がりを感じずにはいられない。


 それをきっかけに次々と明確に蘇ってくる記憶。

 その声も、その背丈も、その体格も『フィート』に似ており、あの頃のあいつが目の前にまるで現れたかの様な印象を受ける。

 相違点を挙げるなら、瞳の色が該当するが、それすらもニート様の母親『エクレア』様と同じ蒼。コゼット様から伝えられているニート様の特徴と一致する。


「い、いや、待て! い、今、何と言った! い、今一度、貴公の名を聞かせて貰えないだろうか!」

「ちっ……。出来たら、名乗りたくないのに……。

 良いだろう! ならば、耳をかっぽじって聞け! 我が名は……。」


 俄然、兜の下にある素顔を拝みたくなってくるが、ここは戦場の只中。

 まさか、兜を取ってくれと言える筈も無く、名前を聞き違えたのを期待しながら彼へ名前を改めて問いた。




 ******




「もうっ! あの子ったら、また!」


 ニート様とコゼット様の子供、ヤード様は今年で六つを数える。

 本来なら、あらゆる危険性を排除する為、嫡子なら尚更の事、十歳を数えるまでは屋敷の敷地内で過ごすのが上級貴族の習わし。

 だが、コゼット様の教育方針により、午前中に行われている最低限の教養以外は押し付けず、それ以外はヤード様が興味を示したらという事になっており、放任主義が半ば採用されている。


 そのせいか、ヤード様はコゼット様の優しさをしっかりと受け継ぎながら、人見知りや物怖じをしない逞しい子に育ちつつある。

 今朝も部屋からこの裏庭へ来る道中、二階の窓から領主館前の広場で鍛練を行なっている冒険者達に混ざり、ヤード様が鍛錬用の長棒を振るっているのが見えた。


 商隊の護衛、モンスター退治、遺跡や迷宮の探索。

 それ等を生業とする冒険者は毎日が危険と隣り合わせである為、鍛練に気を抜く者は居らず、その彼等が幾人も鍛練を行なっている領主館前の広場は殺気とは言わないにしろ、緊張感に満ちている。


 幼さ故の無謀かも知れないが、その直中に平然と入っていけるのだから、ヤード様はなかなかの大物と言える。

 今から将来が楽しみで仕方が無い。きっと戦場で華々しく咲ける一角の将となるに違いない。


「まあ、槍の基礎鍛練は地味ですから、他に目移りしても仕方が無いかと……。

 私自身、ヤード様の頃に経験が有ります。だから、あまり叱らないでやって下さい」

「そうですか? でも、パリス様がせっかく教えて下さっているのに」


 ただ、コゼット様からヤード様の槍の指南役を恐れ多くも任された俺としてはちょっと寂しいと言うか、悔しい。

 今朝も領主館前の広場にヤード様の姿を見つけた時、思わず『またか』と溜息が漏れてしまったのが本音である。


 同時にコゼット様に言った通り、ヤード様の気持ちも理解が出来るのだ。

 父兄弟の『フィート』、あいつと俺が教えを受けた槍の師は基礎をとにかく大事にする人物であり、俺達二人は基礎だけを十年間もやらされた。


 当時、それは退屈で辛いものでしかなかった。

 友人達が武術の所謂『型』を次々と教えられてゆく様が羨ましく、どうしても子供心に隣の芝生は青く見えた。


 だが、今は基礎を積み上げて磨き上げる事の重要性を理解している。

 小手先の技を幾ら持っていようが、単なる突きでもそれが究極の一なら決して勝つ事は出来ない。


 だから、ヤード様が先を望んでいるのを承知していても、それは師として見せないし、甘くも出来ない。

 自分自身がそうだった様にヤード様が戻ってくるのを気長に待つしか無い。幸いにして、ヤード様も一般的な男の子達がそうである様に騎士や冒険者に憧れており、強く在りたいと武術に興味を持っている為、武を投げ出したりはしないだろう。


 但し、本人の適性も必要だが、マスカット大公家は『光の槍』の二つ名で有名な建国の忠臣『ニート』の家系。

 歴代の当主が当主の証として受け継がられているマジックアイテムの槍『ゼピュロス』がある以上、やはり当主は槍の担い手であるのが相応しい。

 冒険者達に混じり、鍛練を行うのは問題無いが、槍以外の武に興味を持たれでもしたら槍の指南役としてはとても困ってしまう。


「たっだいまー!」


 すると噂をすれば影。勝手口の向こう側、キッチンの先にある領主館の玄関からヤード様の元気な声が聞こえてきた。

 タイミングが悪すぎる。あと少し帰ってくるのが遅ければ、まだ違った結果が待っていたかも知れないと言うのに。


 反射的に背後を振り返ったコゼット様の背中に怒りの炎が着火。

 その火力を加速的に増してゆき、その炎をメラメラと燃やす幻影が見える。


「ちょっと行ってきますね」

「お、お手柔らかに……。」


 コゼット様は振り返った姿のままで一溜息。

 こちらへ顔を向けていなくても怒りを必死に抑えている様がありありと解り、思わず身体がビクッと震えて、コゼット様の肩へ伸びかけていた右手が止まる。


 その隙を突き、コゼット様は感情の篭っていない声だけを残して、そのまま去って行く。

 どうやら、今話し合っていた件について、予想以上にご立腹らしい。間もなく、ヤード様の頭上に凄まじいカミナリが落ちるだろう。

 不甲斐ない俺に出来る事と言えば、きっと泣き喚いて縋り付いてくるヤード様を慰めて、午後からは予定を変更して、せがまれていた狩りへ気晴らしに連れて行ってやる事くらいか。


 通常、コゼット様ほどの身分になると、子供の躾は乳兄弟の親が行い、実際の親が口を出すのは教育方針くらい。

 しかし、コゼット様は我が国への旅の道中にヤード様を産み、乳兄弟が生まれてすぐに与えられなかったのも影響して、ハンブルクへ到着後もヤード様を手放さずに自分の乳で育て、その躾も自分の手で引き続き行なっていた。


 そうした躾の中、コゼット様が特に重要視して、ヤード様へ常日頃から説いているモノが有る。

 それはヒトを欺く事なかれ。即ち、コゼット様は嘘をとにかく嫌っている。


「はぁ……。」


 たまらず溜息が漏れかけて、その口を慌てて右手で塞ぐ。

 知らず知らずの内、落ちていた視線を上げてみれば、コゼット様の姿は既に無い。胸をホッと撫で下ろして、溜息を改めて漏らす。


 俺がニート様の行方に関する重大な手がかりを隠している。

 もし、それを知ったら、コゼット様はどんな反応を見せるだろうか。


 恐らく、泣きはするだろうが、口汚く罵る事は決して有るまい。

 ヒトを思いやれて、敏いコゼット様の事だ。こちらが説明をする前に自ずと何らかの事情があっての事だと理解してくれる筈に違いない。

 それが解るだけにコゼット様を裏切っている様で最近は毎日が辛く、その一方で焦ってもいた。


 何故ならば、ニート様と同じ名前を名乗ったインランド王国の騎士は去年の戦いで名を挙げ過ぎた。

 下々の者達にとって、ニートと言う名前は建国の忠臣を意味する為、さしたる問題は無いが、マスカット大公とその周囲の方々にとっては違う意味を持ち、ここで問題が発生した。


 今現在、マスカット大公を初めとする皆がコゼット様を気遣い、人々の口からニート様の名前が消えて久しい。

 そう言った事情も有り、彼の存在が明るみになる事は無いかも知れないと淡い期待を抱いていたが甘かった。その存在を今でもちゃんと記憶していた人物が居たのだ。


 それが北部領の軍を統括する北部総司令官である。

 我軍の軍監は公平に彼の活躍を記録に残したらしく、それが北部総司令官の目に止まり、彼の存在は北部領の内政を統括する内政主務へすぐさま伝えられた。


 その結果、身分違いも甚だしいが彼と実際に一騎打ちを交えた俺も呼ばれて、事情聴取が取られた末、彼に関する情報はマスカット大公にすら極秘扱いとなって記録から抹消された。

 だが、彼の存在を放置しておく訳にもいかず、極秘扱い故に北部領として動く訳にもいかず、俺がニート様の行方を元々追っていた事も有り、その調査を一手に引き受ける事となった。


 幸いにして、マスカット大公は高齢故に軍から完全に離れており、コゼット様も軍に関する伝手は少ない。

 今のところ、知られてはならない最大の二人に彼の存在が伝わった様子は見えないが油断は出来ない。人の口に戸は立てられないからだ。


 もっとも、彼がニート様と判明した場合、どうするかはまだ決まっていない。

 とてもデリケートな問題の為、全ては調査後に棚上げされ、まずは真相がどうなのかを調べるのが先になっている。


 しかし、本音を明かすと、彼と実際に槍を交えた俺は彼がニート様だと確信していた。

 彼が使う技は見知らぬ流派のモノだったが、その根底にある槍の基礎は俺とフィートが師から学んだモノに他ならなかった。


 槍を持つ握り手に緩急を付ける事によって、相手に間合いを狂わせる基本ながらも秘技『狂い突き』はフィートが最も得意とした技。

 この技は一朝一夕で用いられるほど容易い技では無い。原理は簡単だが、下手に盗み真似ようものなら手首を必ず痛める為、この技を用いる事を想定した長い年月の鍛練が必要となる。


 それを彼は何度も使っていた。

 勿論、世界は広い。同じ秘技を持つ流派が何処かに在るだろうが、同じ秘技を使い、見た目が親に似ていて、名前も同じ。こうも条件が重なる偶然など有り得るだろうか。


 彼もまた戦っている内に俺の槍が自分の槍と酷似している事実に気づいたのだろう。

 二十合ほど交えた辺りから彼の殺気は鈍り、三十合も数えると振るってくる槍に明らかな戸惑いが感じられた。


 それを利用して、彼により近づき、槍を交わしながら会話を小声で交わそうとした矢先、全軍総撤退のラッパが鳴らされる。

 今にして思い返すと、この時に命令違反を犯してでも一騎打ちを続け、その正体を彼自身へ直に確かめていたら、今有る複雑な胸中は無かった筈だ。たった一言、コゼット様の名前を出したら、その正体が解った筈だ。


 今一度、溜息を漏らす。朝食に呼ばれたが、後悔の念が胸に溜まり、朝食が喉を通りそうに無い。

 雑念を振り払う為、もう少し鍛練を続けようかと槍を構えたその時だった。


「ヤード! それ、どうしたの!」


 予想していた落雷が轟き、思わず身体がビクッと震える。

 だが、その声は予想していたものと少し違い、怒りのみならず、心配の色も含んでいた。


 もしや、ヤード様の身に何か有ったのか。

 そう考えるや否や、先ほどまで抱えていた後悔は一瞬で霧散。すぐさま屋敷の中を駆けるには邪魔な槍を放り投げて駆ける。

 ヤード様が膝を擦り剥いたとしても笑いながら『そんなもの、唾でも付けておけば治るわよ』と軽く済ますコゼット様がこんな悲鳴に近い叫び声をあげるなど只事で無い。


「コゼット様、如何なさいましたか!」


 ところが、息を切らして玄関に到着してみるが、ヤード様の身に別条は無い。

 その姿を上から下まで目を凝らしてみても、ヤード様は血相を変えて駆け付けた俺を見開いた目で見上げ、口をポカーンと開いているだけ。


「パリス様! これを見て下さい! これ!」

「これは……。」


 単なる杞憂だったのかと思いきや、コゼット様が指差す先にようやく合点がいった。

 今先ほどはその身を心配するあまり見逃したが、ヤード様の右手に皮を剥かれて握られているのは黄色い魅惑のフルーツ『バナーナ』ではないか。


 聞いた話によると、我が国が大陸の東海岸に存在するなら、『バナーナ』の原産地は大陸西海岸らしい。

 早い話が想像を絶する遥か遠方の地な為、天候次第、季節次第で傷みやすい『バナーナ』はジョシア公国までの流通がやっと。

 この北部領まで運ぶとなったら、それを予め見越して運搬する速度を上げなければならず、その単価は必然的に釣り上がる。


 つまり、隣国のジョシア公国なら庶民でも食べられる安価なフルーツだが、この北部領へ入った途端、限られた者だけが口に運べる高級品となる。

 付け加えるなら、マスカット大公が嘗ての旅の中で一度だけ食べた『バナーナ』の味がどうしても忘れられないと嘆いたコゼット様の為に何度も買い込んだものだから、貴族の間で『バナーナ』を食べるのが流行してしまい、利に貪欲な商人達が値をより釣り上げた結果、たった一本の『バナーナ』が今は一般的な兵士の給金三日分も相当する超高級品にまで至っていた。


 それ故、マスカット大公を含む幾人もの貴族達が『バナーナ』の栽培を試みてはいるが、その成果はあまり良くない様だ。

 水が合わないのか、土地が合わないのか、気候が合わないのか、農業の経験が無い俺には解らない。ただ言えるのは北部領で育てられた『バナーナ』は実がやや小ぶりで味も乏しく、原産地より遠路遥々と運ばれてくる『バナーナ』に劣っていた。


「ぼ、僕が冒険者のおじさん……。

 ……じゃなかった! お兄さんから貰ったんだよ! だから、僕のモノなんだからね!」


 右手を凝視されて、俺とコゼット様に『バナーナ』を奪われると思ったのか。

 慌ててヤード様は『バナーナ』を口一杯に頬張ると、口に詰め込み過ぎたせいで息が苦しいのだろう。鼻の穴を大きく広げて、鼻息をフンフンと撒き散らす。


 その様子は愉快だったが、ここまま笑って済ます訳にはいかなかった。

 高級品と言っても所詮はフルーツ。献上品にまでは至らないが、ちょっとした付け届けとしては十分な価値を持つ。


 コゼット様は献上品を滅多に受け取らないと知り、ヤード様を狙ったに違いない。

 貴族達や商人達はコゼット様に近づこうとあの手、この手を使ってくるが、実に上手い手口だ。相手を憎らしいながらも『してやられた』と褒めたくなる。

 朝食前の上、鍛練後の腹が空いたところに小腹が膨れる甘い果物を差し出されて、それを断れる子供は居らず、それを食べてしまったが最後、返品したくても返品は効かないときている。



「ねえ、ヤード。その冒険者さんはまだ居るの?」

「ううん、もう帰っちゃったよ」

「……パリス様」


 しかし、この俺が居る限り、悪意をコゼット様へ絶対に近づけたりはしない。

 ニート様の行方を知りながらも、それを黙っている俺にとって、それが精一杯の謝罪だからだ。


「ご安心下さい。どの道、向こうからコゼット様を訪ねてくるでしょう。

 今日は外へ出かけずに待機していますから、訪問者が有った場合、私を必ず通す様にして下さい」

「いつもすいません。お願いしますね

 ほら、ヤード! あなたもパリス様へ頭を下げなさい!」

「えっ!? 何で? そんなに食べたかったの? お母さんってば、卑しん坊!」

「違うわよ!」


 ところが、ヤード様へ『バナーナ』を渡した何者かは幾ら待てども現れなかった。

 次の日も、その次の日も現れず、コゼット様とあれは何だったのだろうと首を傾げるも答えは出ず、この事件は未解決のままに終わった。




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