幕間 その2 サビーネ視点
披露宴は来年の春に王都で予定しているが、オータク侯爵家陪臣達を呼んでの結婚式は三日前に済ませたニートとティラミス。
遠路遙々訪れた陪臣達は一人、また一人と領地へ戻ってゆき、先ほど最後の一人も帰って、いつもと変わらぬ日々が戻ったバカルディの城。
自分の執務室にて、『サビーネ』は一人黙々と結婚式の収支を書類に纏めていた。
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「へへっ……。恨むなら、女だてらに戦場へ来ちまった自分を恨みな」
母の話によると、私は産み月よりも早く生まれた為、普通の子供より体重がずっと軽かったらしい。
身体も弱くて、熱を出して寝込んでしまう事も多く、医者からは十歳まで生きるのは難しいだろうと言われたとか。
それ故、私が物心を付くと、父は病魔に負けない丈夫な身体を作るべく騎士としての鍛錬を女の私に課した。
その努力が実を結び、医者の見立ては大きく外れる事となったが、幾ら鍛えても限界があるのか、残念ながら腕力の方はさっぱりだった。
だから、私は剣の腕を磨く傍ら、知恵を求めた。
それなら、私でも父が常に讃えていた主君であるオータク侯爵家の役に立てると考えたからだ。
だが、それもここで終わる。
バルバロス様が出陣している隙を狙っての本陣奇襲。私も剣を抜いて戦ってみたが、技で勝っていても、力で負けてしまい、私の剣は折られてしまった。
挙げ句の果て、頬を殴られ、地面に倒れたところを馬乗られている。
身体を必死に藻掻かせるが、馬乗った男はびくともしない。私の首を取ろうと、ナイフを首筋へ今正に下ろそうとしていた。
やはり、騎士は腕力なのだろうか。
南方領はアレキサンドリア大王国という大国からの防衛を第一の目的としている為、個人の武勇が尊ばれる傾向が強い。
その為、有事は軍師、平時は内政官の色が強い私をやっかむ声は多い。
オータク侯爵家を支える御三家の出身とは言え、これと言った武勲も無く、ティラミスとの友誼だけで私がバルバロス様の副官を務めているのはおかしいと。
涙が悔しさに溢れて、視界が滲む。
男が持っている粗末なナイフは日常生活で使われるもの。戦いを目的にした品では無い。
鎧を身に着けておらず、先ほど私の剣を居ったのは只の棍棒であり、誰がどう見ても只の雑兵だった。
やっかみに負けず、今日まで走り続けてきたが、こんな雑兵にすら勝てず、私の人生はここで終わると思ったら悔しくて、悔しくて溜まらなかった。
その悔しさを目の前の男に見せまいと目を力強くギュッと瞑り、瞼の裏に妹分のティラミスの笑顔が浮かんだその時だった。
「……えっ!?」
不意に馬乗る男の重さは変わらないが、私を拘束しようとする力と意志が感じられなくなった。
何事かと目を開けてみれば、地味な装飾ながらも見覚えの有る槍に胸を貫かれて、馬乗っている男は絶命していた。
「遠慮は無しだ! ガンガンいこうぜ!
アレキサンドリアの猿共に刻みつけてやれ! 俺達『コミュショー兵』の強さをな!」
そして、聞き覚えのある声が頭上から聞こえてくる。
それと共に大地が揺れて、土煙が舞い、黒い腕章を左腕に着けた兵士達が雄叫びを上げながら私の左右を駆け抜けてゆく。
何故という言葉が頭に浮かぶ。
昨日の夕方に届いた先触れの報告によると、その声の主の到着は明日の予定だった筈だ。
しかし、声と槍、黒い腕章を左腕に着けた兵士達。
その三つは紛れもなくニート様のもの。どんな理由かは知らないが、予定より一日早く到着したらしい。
おかげで、九死に一生を得られたが、正直な感想は『よりにもよって』だ。業腹と言っても良い。
それだけに尚更の事、いつまでも醜態を晒している訳にもいかず、絶命しながらも馬乗っている男を退かそうとするも重くて退かせられない。
「……ったく、おっさんは何をやってんだよ。
平時の支えがあってこそ、有事が成り立つって言うのに……。もし、サビーネさんに何かあったら、南方領は終わりだぞ」
そんな私の気持ちを余所にして、ニート様が独り言をブツブツと呟きながら歩み寄ってくる。
ずっと嫌われているだろうと感じていた。初対面の時から嫌われるだけに値する態度を取り続けた為、好意なんて最初から求めていなかった。
私自身、妹の心を奪った最も憎らしい相手として、嫌うまでいかないにしろ、好きになれないでいた。
だが、その口から思わずと言った様子で漏れた愚痴は正反対の評価。バルバロス様以外、誰もが認めない私の能力を高く認めてくれているものだった。
愕然とするあまり目をこれ以上なく見開き、身体を藻掻かせるのをピタリと止める。
いや、違う。私は気弱になっているだけだ。
死に瀕して、気弱になっているところへ欲しい言葉がたまたま耳に届いて感じ入っているに過ぎない。そうに決まっている。
だったら、この胸の高鳴りは何なのか。
その歩みが近づくほどに高鳴りはますます激しくなってゆく。
お願いだから、今の私に優しくしないで欲しい。
もし、優しくされてしまったら、とんでもない過ちを犯してしまい、あと戻りが出来ない予感があった。
「さあ、大丈夫ですか?」
そう心の底から願うが、ニート様は未だ私の上に馬乗っている男から槍を引き抜きながら蹴飛ばすと、右手を笑顔で差し出してきた。
******
「……はっ!?」
バランスが大きく崩れて、上半身を机へ倒しそうになり、慌てて目を醒ます。
いつの間にか、居眠りをしていたらしい。机の上の羊皮紙を見ると、ペン先が彼方此方を彷徨った跡の線が描かれており、せっかくの報告書が駄目になっている。
本日通算、四度目の居眠り。書類を駄目にするのも四度目であり、溜息を漏らさずにはいられなかった。
「はぁぁ~~~……。」
両の瞼を右手の親指と人差し指で揉みほぐしながら悩む。
居眠りをしてしまうほどの睡眠不足が影響して、今日の内に予定していた書類の処理はまだ半分も終わっていないが、居眠りをする前はまだ薄暗かった窓の外はすっかり暗い。
明かりを灯す蝋燭とて、有限なのだから居眠りするくらいなら寝てしまうべきか。
だが、その一方で考える。
実を言うと、この居眠りをしてしまうほどの睡眠不足は今日で三日目。果たして、床に就いたところで本当に眠れるのだろうかと。
なら、三日間も連続で睡眠不足になっている理由は何かと言えば、ニート様とティラミスの二人に他ならない。
三日前、夫婦となった二人は当然の事ながら今まで別々だった二つの部屋を一つの部屋にして、同じ部屋で過ごす様になった。
無論、夜も一緒である。ティラミスは私より先に大人の階段を上ってしまい、その証拠に隠してはいたが、一昨日は酷く歩き辛そうにしていた。
それを知って以来、駄目だ、駄目だと解っていながら、それをどうしても想像してしまうのだ。
一人、真っ暗な部屋の中で床に就き、目を瞑っていると、二人がどんな情事を交わしているのかを。
あまつさえ、声を必死に押し殺しながら何度も、何度も果てに至り、全身が汗だくとなるまで疲れ切った末に意識が飛び、それでやっと眠れる。
そんな夜を三日も続けていたら、睡眠不足になるのは当たり前。どう考えても、健康にも悪すぎる毎日と言うしかない。
嘗ての私はこんなでは無かった。
王都の大学に通っていた頃、年頃の筈の自分が異性やその方面に関心をまるで持てないでいるのを悩んでいたくらい。
それがガラリと変わってしまったのが、去年の夏。
アレキサンドリア大王国との戦いにて、絶体絶命の窮地をニート様に助けられてから。
そう、先ほどの居眠りの中で見ていた夢は過去にあった実際の出来事。
あの時の事を思い出すと、今でも胸が高鳴って締め付けられ、その末に胸の先が興奮に張ってくる。
当初は理由を何かと付けては自分自身を誤魔化していたが、もう今では自分でもはっきりと自覚している。
私はニート様を想い、慕い、愛している。ニート様とティラミスが結婚すれば、この胸の想いもきっと変わるだろうと考えていたが駄目だった。
むしろ、届かない想いに胸を焦がして、より悪化している。
そもそも、ニート様は最初からティラミスのものだと承知していながらも好きになったのだから、心変わりなど儚い希望に過ぎなかったのだろう。
だからと言って、この想いをニート様へ告げる気は毛頭無い。
私も今年で二十四歳。元々、結婚するつもりは無く、見合いもずっと断っていた。
幸いにして、我が家には弟が居る為、血を次代に継ぐ心配は要らない。
再来年度、成人を迎えたら家督は弟に譲るつもりでいるが、バルバロス様も、ニート様も、私を認めて下さっている。
家督を弟に譲っても、そのお傍に置いてくれると私は信じている。私はそれで満足だ。
「仕方ない。あまり頼りたくは無かったが……。」
だが、未来は良くても、明日もまた睡眠不足になるのはさすがに拙い。
体力を回復する筈の夜に体力を激しく消耗しているのも合わさり、身体の芯にずっしりと有る疲労感が半端無い。
今夜こそはぐっすりと安眠を得る為、机の三段有る一番下の最も大きい引き出しを開けて、薬箱を取り出す。
子供の頃に比べたら、遙かに丈夫な身体になったとは言え、やはり薬箱は手放せずにおり、その小分けされた仕切りの一つに睡眠導引の丸薬が有った。
何故、それをもっと早く使わなかったのかと言えば、この丸薬は常用性がとても強く、恐ろしく苦いのだ。
ヒヨコ豆より小さいにも関わらず、口に含んだ途端、吐き気を込み上げてくるほどの苦さが口一杯に広がり、それが眠りに落ちるまで続く。
それ故、この丸薬を用いるのは最後の手段。
子供の頃、これを飲むのが嫌で嫌で堪らなかった。今、目の前に取り出しただけで身体が目一杯に拒否を始めて、早速の吐き気が込み上げてきている。
「う゛っ……。」
到底、このままでは飲めず、薬用のすり鉢で細かく潰さなければならない。
粉状にすると、より苦さを感じる事になるのだが、丸薬は飲み下すまでが本当に大変であり、それに比べたら粉状の方が圧倒的に飲み易かった。
左手ですり鉢を押さえ、右手ですり棒をひたすらに回す。
丸薬、磁器のすり鉢とすり棒の三つが擦れる音が部屋に響き、丸薬がすり潰れるのを待っている手持ち無沙汰にぼんやりと考える。
『旅の間、ずっと考えていたが、さっぱり良い案が浮かばん。
サビーネ、お前の知恵を貸してくれないか? 小僧を騎士にするとしたら、どうしたら良い?』
そうバルバロス様から意見を求められたのは七年前の話になる。
その七年を『もう』と感じるか、『まだ』と感じるかは個人差が有るだろう。
だが、これだけは間違いない。
ニート様が『たった』の七年でこれほど出世するとはバルバロス様以外の誰一人として考えていなかったに違いない。
なにしろ、バルバロス様から意見を求められ、ニート様とティラミスと結婚させるまでの道筋を提案した私自身でさえもそうなのだから。
私はバルバロス様の副官として、絶対に無理だと告げるのが最良であると知りながら止められず、ニート様が失敗したら、バルバロス様も満足して諦める筈だと考えていた。
ところが、ニート様は私の提案した道筋を全て突破してきた。
あの誰もが成し得なかったレスボス老に打ち勝ち、トーリノ関門では見事な武勲を打ち立て、去年のアレキサンドリア大王国との戦いにおいてはトーリノ関門での武勲が実力で勝ち取ったモノだと見せ付けて、オータク侯爵家陪臣達に認められた。
そもそもの話。私はニート様がレスボス老に勝てるとは全く思っていなかった。
この最初の試練であっさりと躓き、それで『はい、終わり』と軽く考えていた。
だが、ニート様はレスボス老の『試し』に合格する。
その上、レスボス老から随分と気に入られて、オータク侯爵家の秘宝であるバルバロス様の槍に匹敵するマジックアイテムの槍を授けられてさえいる。
トーリノ関門での兵役もそうだ。
今や、吟遊詩人達から酒場で歌われる定番の英雄歌になるほどの武勲を挙げるなんて、誰が考えると言うのか。
『将来、バルバロス様の後継者となるやも知れない御方を失う危険性は避けるべきです。
それでしたら、派手な武勲は難しいですが、三年間を勤め上げたら無難な武勲を得られるトーリノ関門を赴任先とするべきかと』
北か、西か、ニート様の兵役赴任先に悩むバルバロス様へそう提案したが、それは真っ赤な嘘。
国王陛下の関心が傾いている武勲を挙げ易い西のミルトン王国戦線へ赴き、箔が付いて貰っては困るのが私の本音。
兵役が済んで帰ってくるまでの三年の間にニート様とティラミスの婚約に反対する陪臣達の派閥を大きくする事が私の目論見だった。
しかし、その目論見もあっさりと覆される。
それも私が暗躍を始める前にだ。このバカルディ城にもトーリノ関門陥落の報が届き、ニート様の身を案じるティラミスと共に王都へ上り、南方領へ再び帰ってきてみれば、ニート様の噂は私達が帰ってくるよりも早く届いており、バカルディの街は『さすが、姫様の婚約者』と喜ぶ声で溢れかえっていた。
それでも、私は諦めなかった。
決して前面に出ず、影ながらニート様とティラミスの婚約に反対する陪臣達の派閥を育てていたが、それすらも私自身を含めた一切合切を一気にひっくり返された。
例年の小競り合いでしかない侵攻と違い、十年に一度有るか、無いかのアレキサンドリア大王国軍の大侵攻。
初動の遅れが災いして、国境を守るクーバ砦が陥落。そのクーバ砦とバカルディの街との間にある二つの村も敵の手に落ち、背後にバカルディの街を置いて築いた野戦陣地へ奇襲を受け、もう駄目かと思った瞬間だった。
ニート様が領地から援軍を率いて着陣。既に出陣していたバルバロス様と緻密な打ち合わせをしたかの様に即興の敵分断作戦を仕掛けると、たった百人程度の兵力で五千を超す敵の先陣を翻弄して、負け続けていた戦況に初めて勝利の光明を照らした。
ニート様は常に誰よりも戦場の先頭を駆けた。
その勇猛果敢な戦いぶりは皆の信頼を急速に集めてゆき、南方領領主としては最も新参ながらも南方領領主達やオータク侯爵家陪臣達から名実共にバルバロス様の後継者と認められる様になってゆく。
実際、一ヶ月も経つと、前線の指揮はニート様が執り、全体の指揮はバルバロス様が執る二分指揮体勢が完全に定着。誰もがそれに従った。
また、武勇のみならず、ニート様は見事な戦略眼と戦術論も兼ね備えていた。
どう足掻いても劣勢な状況を覆す為、敵の総司令官と副司令官が先祖代々に渡っての仲違いをしているという情報を得ると、その二人の足並みを『離間計』を用いて完全に崩してしまう。
その結果、敵全軍の足並みは徐々に乱れてゆき、我が方は兵力で劣りながらも敵の侵攻を食い止めるどころか、逆に圧し返し始め、秋の終わり頃にはアレキサンドリア大王国軍の撤退を勝ち取っている。
年内の戦争終結はまず不可能。下手したら、数年に及ぶ長期戦も有り得ると見立てられ、王都へ援軍要請の伝令を送ったにも関わらず、その援軍が到着する前に決着を付けてしまったのである。
そして、結婚式の二週間前。オータク侯爵家に伝わる儀式において、ニート様はバルバロス様との真剣勝負で完全な勝利を収めている。
最早、ニート様がバルバロス様の後継者として疑う者は誰も居らず、先日の結婚式の場にて、オータク侯爵家陪臣全員が忠誠を捧げて片跪いた。
ただただ、『凄い』と賞賛するしかない。
初めて出会った当初、私の顔色を窺ってばかりいた少年が北の極寒の地で見事な成長を遂げ、付いて行きたいと思える頼もしい背中を持った男となって帰ってきたのだ。
「はふっ……。」
ついつい漏れてしまった熱くも切ない吐息。
いつの間にやら、ニート様の事を考えていたら、身体が熱くなっている。
腰の奥がむず痒くなり、知らず知らずの内に足を開いて、そこへ伸びかけていた右手を慌てて戻す。
のぼせきった頭を左右に勢い良く振り、気を紛らわそうとするが、一旦でも火が着いた身体の熱がそう簡単に治まる筈も無い。治まっていたら、三日連続の睡眠不足に悩んではいない。
もう迷っている暇は無かった。
毒は毒を以て制すしかない。すり鉢の中のまだ形が残っている丸薬の一番大きい粒を摘み、口の中に放り込む。
「ぐふぅっ!?」
効果は抜群だった。上半身が思いっ切り仰け反り、背後の壁に頭をぶつけても、その痛みが気にならないくらいの苦さが大爆発。
頭の中に蔓延していたイケナイ妄想が瞬時に綺麗さっぱりと吹き飛ぶ。
胸をホッと撫で下ろすも束の間、その胸から猛烈な勢いで逆流が始まり、慌てて口を左手で押さえる。
片や、右手は机の上を必死に探り、飲まずに放置しておいたお茶を見つけるなり、喉を鳴らしながら一気に飲み干す。
たちまち苦さと酸っぱさが合体して、更なるモノが込み上げてくるが、仰け反っていた身体を机に蹲らせて耐える。
「に、苦ぁぁ~~~っ!」
数拍の間の後、ようやく苦さだけが口に残り、机から顰めきった顔を上げる。
ティーポットのお茶を空になったティーカップへ注ぎ、立て続けに二杯飲むが、口の中の苦さはちっとも減らない。
だが、私は賭けに勝った。
この口の苦さが有る限り、もうイケナイ妄想は出来ないし、膨らまない。
あとはすり鉢の中に残っている丸薬が細粒化したモノを残らず飲んだら完璧だ。
ただ、地獄の苦しみを味わった直後だけに手が伸びず、こんな事なら全てを一気に飲むべきだったと思い悩んでいるその時だった。
「はい、どうぞ?」
「失礼します。サビーネ様、姫様が……。
いえ、奥様がまだかと催促をなさっていますが、如何を致しましょうか?」
「……えっ!?」
部屋の出入口からノックの音が響き、こんな夜に誰かと思えば、侍女長のエルがドアを開いて現れる。
その一礼されて告げられた言葉に疑問符が頭に浮かび、思わず見開いた目を返す。
「えっ!? お忘れですか? 今日は週の終わりに御座います」
「いや、それは解っているけど……。」
「ええっと……。もし、何が不都合がお有りでしたら、奥様にそう伝えますが?」
するとエルは身体をビクッと震わせるほどに驚き、私以上に目を大きく見開いた。
その上、動揺を露わにして、視線を彼方此方に漂わすと、片付けられていない机の上の様子に目を止め、何やら納得したかの様に頷いた。
疑問符が更に追加されて、幾つも頭に浮かんでくる。
このまるで私の方が間違っていると言わんばかりの反応は何だろうか。
いや、先週までだったら、エルの言っている意味も理解が出来た。
それ以前にエルが催促に訪れなくても、私の方からティラミスの部屋へとっくに訪れている。
その理由の発端はティラミスが初めて王都を訪れた六年前に遡る。
当時、王都はロンブーツ教国軍を追い返したニート様の話題で持ちきりとなっており、連日がお祭り騒ぎの様だった。
当然の事ながらニート様の後見人となっていたバルバロス様は各所で催されていた夜会に招かれ、ティラミスもそれに伴う形で社交界デビューを果たした。
その時、どうやらティラミスは酒の美味しさを知ってしまったらしい。
酒を食前食後に必ず嗜む様になり、その酒量はバルバロス様と並ぶほどの意外な酒豪さを発揮した。
しかし、酒に幾ら強くても、当時のティラミスは日々の運動が習慣化した今のティラミスより身体が格段に弱かった。
すぐに医者から厳しい酒量制限を受け、食事の際は一杯のみ、酔うくらいに飲んで良いのは週に一日だけと言い渡された。
つまり、その医者から許された週に一日がエルの言葉の中にある『週の終わり』で今日に当たる。
その酒の伴をして、ティラミスが飲み過ぎないのを見張り、飲み過ぎたら止めるのが私の役目となっていた。
だが、『しかし』である。
ニート様とティラミスが結婚した今、その役目は最も近くに居るニート様こそが相応しいのではないだろうか。
それに昼ならまだしも、他の女が夫婦の部屋へ夜に訪れるのはどう考えてもまずい。
そう私は考えていたのだが、ティラミスは違ったらしい。
結婚した後も変わらぬ親愛を示してくれるのは嬉しいが、ケジメを付けなくてはならない。あらぬ噂が立ってからでは遅いのだ。
「いえ、行くわ。……ったく、あの娘ったら仕方ないわね」
そう思い立つと、つい微笑みは漏れていたが、その辺りをティラミスへ諭すべく席を立ち上がった。