第06話 オータク侯爵家儀式
「うん……。良いなっと」
ネーハイムさんが持ってくれている鉄鏡に映る自分の顔をチェック。
顎先を上下左右に動かしても髭の剃り残しは見当たらず、満足に頷く。
本音を言ったら、映す像が今ひとつぼやけている鉄鏡ではなく、ガラス製の鏡。それも全身を映す姿見で確認したいところ。
だが、この世界はガラス自体が贅沢品なら、ガラス製の鏡はびっくりするほどの贅沢品。インランド王国の東、海を隔てた遙か彼方にある小さな島国が製法を秘匿しており、割れ物という付加価値も加わり、目が飛び出るほどの値段が付けられている。
王族のジュリアスとて、持っているガラス製の鏡はせいぜい顔を映す程度の大きさの品。
それだけに姫様の部屋で姿見を見た時は本当に驚き、おっさんがどれほど姫様を大切にしているかを実感した。
だからこそ、身だしなみはしっかりと整えなければならない。
国王より賜った直臣の証たる剣、南方領領主を表す紅を基調とした騎士服、肩口に百騎長のマークと家名の紋章が刺繍された黒いマント。
インランド王国公式式典における正装三点セットを身に着けての出陣である。
「野郎共、準備は良いか!」
「おう!」
時は満ちた。背後を振り返れば、いつもより着飾ったコミュショーの兵士達が俺の号令を待っていた。
唯一、ララノアだけが部屋の隅で腕を組みながら口を『へ』の字に固く結んで顔を背けているが、そのいつもと変わらぬ不機嫌を丸出しにした様子が逆に苦笑を誘う。
おかげで、過度の緊張が解けた。
今一度、最後の確認に頷き、自分自身を奮い立たせる様に発破をかけると、野太い声の唱和が返り、それが俺の勇気となって満たされてゆく。
「なら、往くぞ! 着いてこい!」
もう何も怖くない。あとは突き進むのみ。
自分自身と皆の着替えの為に貸し切った酒場の扉を勢い良く開け放ち、俺達は戦場へと飛び出した。
******
「ねえ、あれって……。」
「……だろ? やっぱり」
「そうか、遂に……。」
青空に立ち上っている入道雲。夏の強い日差しが間もなく直上を通り過ぎようとしている暑い盛り。
そろそろ誰もが昼食を摂ろうかとしていた頃、不意にバカルディの街は騒然に溢れた。
勿論、その原因は俺達に他ならない。
総勢、四十七人が着飾り、俺を先頭にして、まるで戦いから凱旋してきた様に部隊旗を掲げながら二列縦隊で足並みを揃えて、街を練り歩いているのだから当然だった。
酒場を出発した後、誰かが触れ回ったのだろう。
俺達の姿を一目見ようと行く手は常に人集りが出来ており、その人集りは俺達が進むと道を空けて割れ、誰もが通り過ぎてゆく俺達を指さして囁き合っていた。
しかも、その人集りの殆どが俺達の列の後ろに付いてくる為、ざわめきは行進が進めば、進むほどに大きくなってゆく。
先ほど曲がり角を曲がる際、後方を横目で窺ってみたが、とんでもない行列の規模になっている。ひょっとしたら、千人すら超えているかも知れない。
こうなってくると行列の中に押し合いなどの混乱が自然と生じてくるが、さすがはおっさんが鍛えた騎士達、兵士達である。
この騒動を素早く察知すると、交通整理の人員を配置して、行列を見事に管理している。
そう、これから何が起こるのかを街の皆が知っていた。
丁度、今は時間的に手隙な者達が多い。この娯楽の少ない世界において、これから起こる出来事は昼食を少しくらい遅らせても見逃せない格好の娯楽に違いなかった。
どうして、その辺りを深く考えず、出発地点を目的地から遠い城門近くの酒場を選んでしまったのか。
先頭を毅然とした態度で行進している俺だが、恥ずかしくて、恥ずかしくて堪らなかった。今すぐ、頭を抱えながら大声を叫び、この場から逃げ出したい衝動に駆られていた。
しかし、時既に遅し。今更、それは出来ない。
最早、この行進は街の誰もが知るところになっており、おっさんと姫様にも当然の事ながら伝わっているだろう。
だったら、どんなに恥ずかしくても成し遂げなければならない。
それがプロポーズという儀式だ。
「待て、待て、待てぇぇ~~~い!
兵を引き連れて、我が主君が御座す城に何の用か! まずは名を名乗られよ!」
数多の野次馬達を引き連れて辿り着いたバカルディ城の城門前。
坂道を上りきった広場にある緊急時以外は開け放たれている城門が今日は堅く閉ざされており、おっさんに仕える陪臣の一人で騎士団を纏める団長が城門前に腕を組んで待ち構えていた。
俺と団長は知り合いであり、最近は酒を一緒に飲む仲でもある。
その団長が初対面の様に接してきたのは何故かと言えば、これが茶番で有り、オータク侯爵家に伝わるプロポーズの為の儀式だからだ。
今代のおっさんで第二十三代目となるオータク侯爵家。
俺と姫様が結婚したら、第二十四代目となるのは姫様であり、第二十五代目は俺と姫様の間に生まれた子供になる。
つまり、オータク侯爵家に婿入りする俺を一言で表すなら『種馬』だ。
言い方は下品かも知れないが、それが最も端的な表現となる。
だが、姫様は出会った当初と比べたら随分とマシになったが、まだまだ身体が弱い。
戦場に立てず、政務を執るのも難しい為、俺が陣代、または執政となり、オータク侯爵家の事実上のトップとなる。
これも言い方は悪いかも知れないが、最も端的に言うなら『乗っ取り』に他ならず、この辺りが儀式に関わってくる。
これはおっさんから『爺』と呼ばれ、オータク侯爵家の生き字引と称される陪臣のあるご隠居から教えて貰った話。
オータク侯爵家は常にインランド王家の尖兵として戦場を先駆けてきた為、今代のおっさんと同様に本来の後継者を戦場で亡くしてしまい、血を継承する者が女性のみになった事例が過去に何度か遭ったらしい。
その最初の事例となったのが、オータクの家名がまだ子爵家だった頃の四代目当主。
どうやら四代目当主は祖たる初代の山賊気質を引き継いだのか、貴族なら当たり前の家同士の繋がり『政略結婚』を望まず、大胆にも『我が家の乗っ取りを欲するなら挑んでくるが良い』と大々的に宣言して、強者を後継者に望み、己との勝負に勝利した者を五代目の婿に選んだ。
五代目の婿となった者は目麗しい男では無かったが、その四代目を打ち倒した武を以て、数多の武勲を立てると、六代目の代替わりの時、辺境伯位を賜る結果をもたらして、その後に南方領を統括する立場となるオータク家の礎を築いた。
この逸話は歴代当主によって引き継がれてゆき、それが再び血を継承する者が女性のみになった九代目当主の時に儀式化して、オータク侯爵家に婿入りする者はこの儀式を成し遂げるのが条件となった。
即ち、四代目と戦う挑戦権を得る為に戦ったオータク家に仕える騎士団長と五代目の婿となる権利を得る為に戦った四代目に代わり、オータク侯爵家当代に仕える騎士団長とオータク侯爵家当代に戦いを挑んで勝利しなければ、オータク侯爵家の婿入りは認められないのである。
もっとも、これは前述の通り、あくまで儀式であり、茶番である。
当時の様に命を賭けた本気の勝負を行ったりはしない。刃と刃を軽く交える程度で決着が着き、婿入りする側が最初から勝つと決まっている。
「我が名はニート! 生はドゥーティ、領はコミュショー!
インランド王家に男爵の賜り、祖をレスボスに連ねる者だ!
この家に美姫が居ると聞いた! ならば、この目で是非とも見たい! そして、噂に違わぬなら我が妻に迎えてくれようぞ!」
そして、団長の詰問を皮切りにいよいよ始まってしまった茶番劇。
ますます天井知らずに高まってゆく羞恥心を『頑張れ、俺! 負けるな、俺! 挫けるな、俺!』と口の中で唱えて封じ、声高らかに名乗りを挙げる。
しかし、これほど悲しくも情けない名乗りが他に有るだろうか。
その意味は俺にしか解らないが、これだけは確信して言える。この世界の神様は俺の事を絶対に嫌っている。
只でさえ、名前が『ニート』で切ないにも関わらず、俺が育った村の名前は『ヒッキー』である。
その村を追放された後、インランドの直臣となる為の新たな経歴を得たと思ったら『ドゥーテイ』であり、苦労の末に認められて与えられた領地は『コミュショー』、姫様と結婚したら今度は『オータク』の家名を得るときた。
ニート、引き籠もり、童貞、コミュニケーション障害、おたく。
どれもこれも素敵な称号と言うしかない。麻雀で例えるなら、これだけ高い役が揃ったら数え役満と言えるだろう。
「えぇい! 我らが姫に対して、何たる言い草!
この痴れ者が! どうしても姫が見たいと言うのなら、この私を倒して行くが良い!」
そんな俺と比べて、団長は見事な千両役者っぷり。
腰の剣をすらりと抜いて、その切っ先を俺へと向けた。
当然と言えば、当然か。
過去、この儀式が行われたのは儀式の元になった四代目当主の逸話を加え、九代目当主と十六代当主の時のたった三回しか無い。
その極めて希な儀式の当事者となるのだから、これほど名誉な事は無い。団長が張り切るのは当たり前だった。
街の騒動を聞き付けて、きっと急いで着替えてきたに違いない。
団長はオータク侯爵家陪臣としての正装である『赤備え』のハーフプレートメイルを身に纏っている。
「好かろう! 推して参る!」
だが、普段の団長を良く知っているだけにギャップが妙に可笑しい。
思わず緩んでしまいそうになる口元を懸命に引き締め、芝居がかった仕草で音をバサリと立てながらマントを左手で翻すと、もう片方の右手で腰の剣を抜いた。
******
「……む、無念」
城門前に鳴り響いた剣戟の数は七回。
団長が先手を取り、ゆっくりとした誰の目にも見える動作で上段、中段、下段を交互に繰り出した後、胸元を狙ってきた突きを絡め取り、逆撃の突きを胸元を放つ。
言うまでもないが、寸止めである。
一拍の間の後、団長が片膝を折り、苦しそうな笑みを残して崩れ落ちると、野次馬達はやんややんやの大盛り上がり。
その拍手喝采の中、顔を引きつらせながら、この茶番が早く終わらないかなと切に願う。
暫くして、城門が重い音を立てて開き、その先を隔てている水堀に跳ね橋がゆっくりと下りてくる。
再開された次の一幕に野次馬達は拍手とざわめきをピタリと止め、舞台中央に倒れ伏していた団長が腰を落とした低い体勢でそそくさと退場して行く。
やがて、跳ね橋が下りきると、城門上の物見櫓に姫様が姿を現した。
その姿はいつだったか見せてくれた姫様の母親がオータク家へ嫁いできた時に着ていたというウェディングドレス。
「一体、何があったと言うのかしら? 妙に騒がしいわ。
えっ!? 狼藉者が騎士団長を倒して、こちらへ向かってきている? 大変だわ! どうしたら良いの!」
残念ながら、姫様は立派すぎる大根役者だった。
気の抜ける棒読みもさる事ながら、身振り手振りの演技の合間、合間に視線が足下へ向けられており、カンニングペーパーを盗み見ているに違いない。
たまに姫様の傍で揺れ動いて見える栗色の頭頂部はサビーネさんのものか。裏方も大変な様だ。
「安心せぇ! 我が孫娘よ!
この儂が居る限り、城には虫一匹たりとも通さん! お前はそこで安心して、儂の勇姿を見ているが良い!」
その一幕が済み、姫様が退場すると、真打ちが遂に登場。
おっさんが槍を右肩に担ぎ、満面の笑みを浮かべながら跳ね橋を渡り、俺の前へ堂々と歩いて来る。
「この私を相手に虫呼ばわりとは驚いた! さすが、その武名を他国にも轟かすオータク侯爵か!
是非とも、その剣……。いや、槍を馳走して貰おうか! 姫が祖父を失うのは哀れではあるが、それが武の理よ! 姫の哀しみは私が癒してやろう!」
一瞬、その姿に『あれ?』と疑問を感じながらも、オータク家の生き字引と称される爺様から教えて貰った台本通りに話を進めてゆく。
国王から『インランドの槍』の称号を許されたおっさんが槍を得意とするのは誰もが知るところだが、この儀式は三代目当主の逸話を模した茶番であり、ここで用いられる武器は剣だった筈だ。
その上、姿格好もいつもと変わらない普段着。
これでは仰々しく正装に身を包んでいる俺だけが滑稽に見えてしまい、治まりかけた羞恥心がぶり返してくる。
「なかなか口達者な若僧よ!
ならば、確認しよう! 先ほどの名乗りに相違は無いか! お前の死を知らせる宛が違っていては堪らんからな!」
だが、おっさんが十メートルほどの距離を間に置いて立ち止まり、こちらへ槍先を構えながら歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべた瞬間、全てを理解した。
何故ならば、その獲物を前にした飢狼の姿を間近で見るのはこれで三度目。否が応でも理解させられた。
一度目はおっさんと初めて出会った戦場。
混乱する味方達に押されて、一騎駆けを敢行してきたおっさんの前に望まず立ち塞がった時。
とんでもない化け物を目の前にして震え上がり、情けない事に大も、小も垂れ流した。
二度目は去年のアレキサンドリア大王国との戦い。
敵陣へ突撃する為、閉ざされた城門の前で轡を列べ、その時の合図を今か今かと待っていた時。
その姿に頼もしさを覚えて、突撃前の焦りと不安など吹き飛んでしまい、城門が開く前から勝利を確信した。
そして、三度目。おっさんの身体から溢れて立ち上る気炎は殺気を含んだ真剣勝負のものだった。
数多の戦場を経験してきた今だからこそ、実感が出来る高い壁。初めて出会った時は漠然とし過ぎて解らなかった壁の高さを知り、全身の肌が粟立つ。
「おっさん……。本気か?」
「何を異な事を! 我らは武人! 刃を突き合わせる時は本気以外の何もので無かろう!」
おっさんの意図は明白だ。
儀式の進行自体は変えないが、茶番は行わず、俺の力量を真剣に計ろうと言うもの。
今さっきとは別の意味で逃げ出したい心境に駆られながらも、その一方で高揚感が溢れて止まらない。
目の前の壁は確かに高いが、その高さは以前と違って見えている。それも手を伸ばしさえすれば、もしかしたら届くかも知れない高さに有るのだから挑まずにはいられなかった。
「面白い……。俺の槍を!」
思わず生唾をゴクリと飲み込み、乾ききった唇を舐める。
おっさんと本気で戦うなら、剣では挑めない。それなりに剣も仕えるが、剣では万に一つも勝ちは拾えない。
やはり俺の血となり、肉となっているのは槍をおいて他は無い。邪魔でしかない剣と腰の鞘を投げ捨てた後、マントも脱ぎ捨てて、右手を横に勢い良く伸ばす。
「えっ!? えっ!? えっ!? ……お姉様、これって?」
「ニート様……。バルバロス様……。」
俺達の様子に只ならぬ気配を感じたのか、野次馬達からざわめきが湧く。
催し物を見物するお気楽感が引いてゆくと共に張り詰めた緊迫感がゆっくりと広がって静寂が満ちてゆく。
そんな中、ネーハイムさんが俺の愛槍を持って進み出てくるが、その槍が握れない。
真剣勝負に威勢良く応じておきながら槍を握ったら最後、おっさんとの真剣勝負が始まると思ったら、指先が震えて固まった。
「オータク侯爵様はニート様がいつかは越えねばならない御方です。
だったら、その『いつか』が『今』になっただけの事……。御武運をお掴み下さい」
しかし、その高揚感の中に残っていた怯えをネーハイムさんが掻き消す。
目線は向けず、俺だけに聞こえる小声で囁きながら、固まった右手の指を一本ずつ曲げてゆき、俺の手に槍を握らせてくれる。
正しく、ネーハイムさんの言う通りだ。
今後、姫様に代わり、オータク侯爵家の陣代として、執政として、その陣頭に立つ俺はおっさんと常に比較される。
今現在の様に南方領を統括する強いオータク侯爵家になるのも、南方領領主達やオータク侯爵家陪臣達から舐められる弱いオータク侯爵家になるのも、全ては俺次第となる。
なら、前者を望む為にも、まずはここでおっさんに勝たなければならない。
負けるのは勿論の事、引き分けも許されない。おっさんに勝って、その高い壁を乗り越えてこそ、南方領領主達やオータク侯爵家陪臣達は俺に従う。
俺が持つ男爵位『コミュショー』は俺自身が初代であり、このインランド王国で最も新しい家。
血の歴史を持っていない以上、南方領の最大の義務であるアレキサンドリア大王国の侵攻を俺なら阻めると期待が出来る強さを示さなければならない。
おっさんが何処まで考えて、この真剣勝負を望んだのかは解らないが、これが絶好のチャンスなのは確か。
これほどの野次馬が集まっているのだから、この場での結果は南方領全土へ噂となって広がり、南方領領主達やオータク侯爵家陪臣達の耳にも必ず届くだろう。
それにしても、ネーハイムさんはいつも俺が欲しがっているモノをくれる。
俺の幸運はネーハイムさんが俺の副官になってくれた事だ。どうして、これほどの人物が野に埋もれていたのかが最近は不思議で仕方がない。
「なるほど……。違いない!」
最早、迷いも、怯えも消えた。槍を力強く握り締めると、その槍先をおっさんへと向けた。