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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十章 男爵 百騎長 結婚騒動編
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幕間 その1 ティラミス視点




 昨夜、大きな決断を下したニートがバカルディの街へ戻ってきた頃。

 運動でかいた汗を流そうと、『ティラミス』は入浴を行おうとしていた。




 ******




「ふぅ……。」


 運動をした直後と言うのも理由の一つだが、今日は特に暑い。

 自室の窓辺、風通しの最も良い場所に椅子を移動させて座り、微風に当たっているが、額の汗は止まる気配を見せず、チュニックの生地が肌に張り付いて気持ち悪い。

 たまらずスカートを太股の上まで捲り上げながら足を開いて、左手は襟元を引っ張り、右掌を振って作った風をチュニックの胸元へ送る。


 そんなに汗を掻くのが嫌なら、最初から運動なんてしなければ良い。

 嘗ての私ならきっとそう言っただろう。嘗ての私はお医者様から体力作りの運動を勧められながらも、無駄だと断じて、運動を嫌っていた。

 その考えが正反対に変わったのはニート様が兵役に赴いた矢先、その絶体絶命の危機が伝えられて、初めて王都を訪れた時の事だった。


『何よ、オータクの娘が来てるって聞いたから期待したのに……。がっかりね。

 まともに槍も振れないじゃない? そんな貧相な身体で強い子を生めると思っているの? やっぱり、叔父様に相応しいのは私しかいないわ!』


 初対面でありながら、いきなり決闘を申し込んできたショコラさん。

 今では一番の親友となった彼女からそう言われて、愕然とするしかなかった。


 出産が命懸けなのは経験が無くとも教育で知っていた。

 当時の私はちょっとした事で熱を出しては寝込んでおり、出産に耐えられるほどの体力はとても持っておらず、ショコラさんのそれは暴言にも等しかったが正にその通りだとしか言えなかった。


 その日の夜、枕を悔しさに涙で濡らしながら決意した。

 ニート様に相応しい女となる為、お爺様に教えを請い、体力作りを目的とした槍術を学ぶ事を。


 もっとも、私は身体が弱く、病弱でもある。

 ニート様やお爺様が行っている本格的な鍛錬内容と比べたら、子供の遊びの様な鍛錬内容だが、継続は力なりと良く言ったもの。

 最初の半年は逆に体調を崩す日々が多かったが、槍の鍛錬を初めてから五年が経った今、体力は随分と付いたし、熱を出して寝込むのも格段に減った。


「姫様、湯の用意が……。

 ……って、こらっ! はしたないですよ!」

「あっ!?」


 突如、響き渡った怒鳴り声。

 思わず身体をビクッと跳ねさせた後、慌てて引っ張っていたチュニックの胸元から手を放すと共に足を閉じ、スカートの裾を膝の上から落として直す。

 怖ず怖ずと振り向けば、侍女長のエルが両手を腰にあてがいながら部屋の出入口に立ち、私を睨み付けていた。


 私は私を生んでくれた両親の顔を知らない。

 お父様は私が生まれた年にミルトン王国の戦いへ赴き、勇敢に戦うも残念ながら戦死してしまったらしい。

 お母様は産後の肥立ちが悪く、そのタイミングにお父様が戦死した報が重なり、失意に心を弱くして亡くなってしまったらしい。


 そんな私にとって、子供の頃から傍に仕えてくれ、結婚した後も城勤めに残ってくれたエルは母親とも呼べる存在。

 お爺様が何かと甘えさせてくれる分、とても厳しく、本気で怒ったら恐ろしい存在でもある。


「良いですか? 殿方というモノは女に夢を見るものなのです。

 もし、若様が今の姫様の姿を見たら、きっとこう思ったに違い有りません。

 ああ、こんなだらしなさが有ったのか。もうガッカリだよ。……とね。大体、姫様は……。」


 ちょっとした事でもこれだ。下手すると、お説教が小一時間は続く。

 それも長い付き合い故に私の弱点を明確に知っており、それを突いてくるから耳が痛い。


「ほ、ほら、お風呂の用意が出来たんでしょ?

 も、もうすぐ、ニート様も帰ってくるだろうし、その前に済ませておかないと!」

「おっと、そうでした。急ぎませんと」


 たまらず椅子から立ち上がり、姿見の前に移動して、両手を左右に広げる。

 その脱衣を求めるポーズを合図にして、エルが我を取り戻したかの様にお説教モードから侍女長モードに切り替わり、壁に控えていた侍女のメルとマリーがエルの目配せを受け、私の前後で服を脱がし始める。

 作戦成功にこっそりと一息を漏らして、胸をホッと撫で下ろす。


 メルとマリーはどちらも私より二歳年上。

 私付きの侍女になって、今年で五年目。お互いに慣れたもので声を掛け合わなくても、その作業に淀みは無い。


 余談だが、チュニックスカートの格好で槍の鍛錬を行うのは変だと思うかも知れない。

 私自身、初めて槍の鍛錬を行う際は男装を用意したが、それを見たお爺様はこう言った。


『どうせ、やるからには実践的な意味が有るものを教える。

 ……と言っても、お前が槍を持ち、実際に戦うなんて事は有り得ん。

 しかし、万が一と言う事もある。だったら、常日頃の服装で学んだ方が断然にその時の為になる』


 なるほどと納得した。私が男装を身に纏うなんて、乗馬の時くらいしかない。

 ただ、やはりスカートは動き難い。スカートの裾幅が足の開きの限界に直結しており、足を交差させる際にスカートが絡まる事も有る。



 先日、それが原因で派手に転んでしまった。

 よりにもよって、ニート様に格好良いところを見せようと演舞を行っている最中にだ。


 おまけに、スカートは完全に捲れて、パンツは丸見え。

 慌ててお姉様がスカートの裾を直してくれ、ニート様も顔を背けてくれていたが、絶対に見られた。

 その時の出来事を思い出すと、今でも顔が熱くなってくる。せめての救いは可愛いのを履いていた事か。


「姫様? 顔が紅い様ですが、熱は……。」


 ふと目の前に影が差す。

 それをきっかけに我を取り戻すと、いつの間に脱衣が済んだのか、全裸になっていた。


 その上、エルが文字通りの目の前に居り、心配そうな表情で右手を私の額に当てている。

 侍女長だけあって、エルは侍女の鏡。親しい間柄とは言え、お説教モードになっていない限り、決して断りを入れずに私の前に立つ事は無い。


「キャっ!?」

「えっ!?」


 だが、考え事に没頭するあまり、その声に気付かなかったか。

 突如、エルが目の前に現れたかの様な印象を受けて驚き、反射的に身体を仰け反らせながら半歩引いて、エルの右手を打ち払うと、エルもまた驚きに目を見開かせた。


「……あっ!?」


 すぐ自分の失態に気付いて謝ろうとするが、その言葉が出てこない。

 謝ったら、私がニート様を思い耽っていた事実も言わなければならないからだ。


「どうやら、心配は要らない様ですね。

 さあ、ぼんやりするほど愛しの若様がもうすぐ帰っていらっしゃいますよ。湯を早く済ませましょう」


 しかし、私が語るまでもなく、完全にバレていた。

 エルはこれ見よがしに溜息を深々とつき、メルとマリーの二人に至っては口元を拳で隠した上に顔を背けながら肩を震わせている。


 私の顔は真っ赤っか。今、エルが熱を計ったら、跳び上がって驚くくらい熱い。

 最近と言うか、この城にニート様が滞在している時の私は駄目駄目だ。どうしても意識してしまい、ニート様の事ばかりを考えている。


 特に夜は酷い。空き部屋を間に挟んでいるとは言え、ニート様が同じフロアに居ると考えただけで心が掻き乱されて眠れない。

 ニート様の性格を考えたら、私の部屋を婚前交渉の為に忍び込んでくる筈が無いと解っていながら、それを期待して悶々としてしまう。


 挙げ句の果て、声を懸命に押し殺して、心の掻き乱れをより掻き乱した後に襲ってくるのが猛烈な自己嫌悪。

 毎晩、それを期待しながらも、その時が不安で堪らず、その不安の元が目の前からエルが退き、姿見にありありと映る。


「はぁ……。」


 薄い胸、薄いお尻、薄い恥毛。

 背丈は王都で見た同世代の女の子達より少し低い程度だが、それ等は十九歳の女のモノにとても見えない。


 その癖、普段の私は胸を盛っている。

 メルとマリーの二人の懸命な努力によって、寄せて上げられ、ブラジャーの中には詰め物が入っている。


 だが、部屋をどんなに暗くしても、その正体は触られた感触で絶対にバレてしまう。

 その時、ニート様は酷く落胆するのではないだろうか。こんな成人前の女の子にしか見えない身体を抱いて、ニート様は満足するのだろうかと考えたら不安で、不安で仕方が無い。


 こんな思いをするなら、自分の身体の弱さを言い訳の口実にせず、お医者様の言葉に従い、もっと早くから運動を行っていれば良かった。

 槍の鍛錬を始めてからは食事量が増えて、お通じも良くなっている。以前は完全に浮き出ていたあばら骨が今ではうっすらとしか見えない。

 胸やお尻だって、ショコラさんの様な立派なモノでなくとも、今よりは少なくとも育っていたに違いない。


 そんな私にとって、希望の光はアリサさんとララノアさんだ。

 二人も私と同じスリムな体型であり、こう言っては失礼かも知れないが、ララノアさんと比較したら、さすがに私の方が勝っている。


 だったら、私も大丈夫だと考えたいが油断は出来ない。

 嘗てはこの城の侍女を勤め、今はニート様の妾となっているリズは胸も、お尻も大きい。

 アリサさんから聞いた話によれば、何やら事情が有り、王都に滞在しているニート様の愛人のルシル嬢も胸が大きいらしい。


 なら、ニート様の心を掴んで離さないコゼットさんがどうなのか。

 それがどうしても気になってくるが、さすがにニート様へ尋ねる勇気は持っていない。


 恋なんて知らなかった頃、恋がこんなにも苦しいものだとは知らなかった。

 私はオータク侯爵家に残された唯一の後継者。子供の頃から、お爺様は国一番の婿を選んでやるから心配するなと言ってくれていたが、私はちっとも興味を持てなかった。

 それ以前に病弱な身体が煩わしくて、結婚するまで生きられるのかと自分の将来にあまり期待を持てなかったからだ。


『そうだ! 君、この城のメイドさんだろ?

 実を言うと、この街に来たばっかりでさ。知り合いが一人も居ないんだよね。

 多分、俺もこの城で働く事になるだろうし……。もし、良かったら、俺と友達にならない?』


 しかし、あの日。奇跡が起こった。

 男性を私に近づけまいとお爺様が作り上げた防衛網を擦り抜けて、ニート様が私の目の前に現れた時、私の全てが変わった。


 最初はお爺様と侍従長以外の男性と初めて間近で接する状況に緊張して、どうしたら良いのかが解らずに混乱した。

 だが、ニート様が身振り、手振りを交えて語ってくれた私の知らない外の世界の話はどれも愉快なものであり、緊張はすぐに解けて、その話にどんどんと引き込まれていった。


 当然、そうなってくると今度は実際に外の世界をこの目で確かめたくなってくる。

 私はニート様に何度もお願いして、馬での遠乗りに連れて行って貰った。その翌日、願いの代償に必ず熱を出して寝込んでしまうのを承知しながら。

 お姉様やエルに当時の事を語らせると、これほどの積極性が私に有ったのかと驚くばかりだったそうだ。


 今になって考えてみると、この頃からお爺様は既に私とニート様の婚約を考えていたに違いない。

 そうでなければ、男性と二人っきりでの遠乗りを許す筈が無い。お爺様にも報告は届いていただろう。


 しかし、この頃の私はニート様と一緒に過ごすのがただただ楽しくて、その関係は初めて出来た異性の友人でしか無かった。

 それが変わったのはお姉様と領内視察へ出かけた筈のニート様が帰ってこず、兵役へ赴いたと聞いて驚き、せっかく出来た異性の友人が居なくなってしまった不満と寂しさを募らせている時だった。

 王都のお爺様から兵の緊急召集とニート様の危機を伝える報が届き、私は居ても立ってもいられなくなり、お姉様やエルを初めとする数多の反対を強引に押し切って、生まれて初めての王都へと旅立った。


 それ故、何度も道中で熱を出しては寝込みながらも先を急がせて、ようやく王都へ辿り着き、ニート様の無事を知った時は心の底から安堵した。

 安堵し過ぎて、その場で意識を失ってしまい、一週間も寝込む事となり、お姉様から大目玉を食らったが。


 この時、熱に魘されながら自覚した。

 どうして、三ヶ月程度を一緒に過ごしただけの赤の他人をここまで心配したのかを何度も何度も考えて、自分の抱えている想いが恋だと言う事を。


 だから、お爺様からニート様との婚約を提案された時、本当に嬉しかった。

 それと共にニート様の本当の出自を教えられたが、私はちっとも気にならなかった。もしかしたら、出会った当初に告げられていたら違った結果が有ったかも知れないが、それを気にする段階はとうに過ぎていた。


 そして、恋心を自覚した私は最前線で戦っているニート様と再会する日を待ちわびながら手紙をせっせと書き続けた。

 同時に兵役一年目に続き、二年目、三年目と立派な武勲を立て続けるニート様に相応しい女となる為、ニート様の強い子供を産む為、身体を一生懸命に鍛えた。


 だが、姿見に映る私の見窄らしさは何度見ても変わらない。

 隠しきれない溜息が漏れる。思わず手が胸に伸び、少しでも大きく見せようと胸を下から持ち上げようとしたその時だった。


「ご心配なさらずとも大丈夫ですよ。

 女の胸は殿方がベットで育むもの。姫様も若様と閨を共にする様になったら、すぐに大きくなります」


 耳元で優しい囁きが走った。

 慌てて我に帰ると、私の背後に立ちながら腰を少し屈めて、慈愛の溢れる微笑みを私の左肩口に置くエルの姿が姿見に映っていた。


「あぅぅっ!?」


 続けざまの大失態。せっかく治まった顔の火照りが再熱する。

 じっとしては居られず、エルが羽織らせてくれたバスローブの前を掻き抱きながら駆ける。


 目指すは廊下を間に挟み、自室の向かいにあるバスルーム。

 湯船に一刻も早く飛び込み、この耐えられない恥ずかしさを汗と一緒に綺麗さっぱりと洗い流したかった。


「大変! 姫様、大変です! 今すぐ、お支度を! 若様が! 若様が!」

「……えっ!?」


 しかし、廊下へ飛び出た瞬間、階段を駆け上がってくる音と共に叫び声が聞こえ、その風雲急を告げる報が私の足を止めた。




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