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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十章 男爵 百騎長 結婚騒動編
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第05話 握り締めたモノ


「ワンワン!」

「ワンワン!」


 約百メートルほど先にある森の中から聞こえてくる二頭の犬の鳴き声。

 こちらへ次第に近づいてくるソレを先んじて、黒い影が森から疾走して現れた。


「やっ!」


 そのまま直進して、こちらへ向かってくるが、草むらに身を低くして隠れている俺達に気付いたらしい。

 黒い影は進む方向を少し斜め右へと変え、それに焦ったのか、草むらから勢い良く立ち上がったジュリアスが弓に番えている矢を放つ。


 当然、焦りを乗せた矢が当たる筈も無い。

 黒い影はジュリアスの殺気を察知して、駆ける速度をアップ。狙いは悪く無かったが、タイミングは更に狂ってしまい、矢は黒い影が通過した通り道に一足遅れて突き刺さった。


 ここはバカルディの街から南西に半日ほど歩いた山裾にあるオータク侯爵家御用達の狩り場。

 街道から完全に切り離されているが、破棄された小さな古砦が有り、軍の調練場として利用される事もある場所で一般の利用は厳禁。オータク侯爵家に認められた御用猟師のみが利用を認められている。

 その為、この草原は常に獲物が豊富に居り、たまに利用させて貰っているが、いつも入れ食いの大漁であり、俺としてはもう少し難易度が欲しいくらい。


 ところが、今日に限り、その狩り場に野ウサギ一匹すら居らず、静けさばかりが満ちていた。

 狩りの拠点となる前述の古砦に到着したのが昼前。昼食後から獲物をずっと探しているがまるで見つからない。

 過去、こんな事は一度たりとも無く、明らかな異常事態と言えたが、その理由はすぐに解った。


 ジュリアスがバカルディ城へ訪れて、今日で一週間と五日目。毎晩、夕食の食卓に列べられる品はどれも豪華なものばかり。

 それはジュリアスを持てなすおっさんの心遣いだが、その夕飯の材料の一部が何処で採られているかと言ったら、このオータク侯爵家御用達の狩り場に他ならない。


 しかも、ジュリアスはこの国の第三王子である。

 連日、御用猟師達は総出で狩りを必死になって行ったに違いない。

 それに下手な品は出せない。二羽の鴨が獲れたら良質な方を、三羽の鴨が獲れたらより良質な方を厳選したと考えたら、必要以上に狩った筈だ。


 だったら、狩り場が静けさに満ちているのも納得が出来る。

 獲物達だって、馬鹿では無い。自分の身を守る為、森の奥深くへと隠れたのだろう。


 それなら、こちらも森の奥へ入ったら良いのだが、残念ながらジュリアスの狩りの腕前はそこまで高くない。

 お互いがトーリノ関門に居た頃、せがまれては弓を良く教えていたが、ジュリアスの弓の才能は並程度。木々の合間を縫って獲物を射るのは難しい。


 だが、あくまで今日の狩りの主役はジュリアス。

 その為、同行している御用猟師達に森へ入って貰い、見つけた獲物をこの待ち構えている草原まで猟犬で追い立てる方法に変えたのだが、最初の一匹は残念な結果に終わってしまった。


「狩りの極意は心を落ち着けて焦らない事……。

 但し、定める狙いは獲物の一歩先に置く。そう教えただろ?」


 しかし、西の空は赤みを帯び始め、そろそろ夕方になる。 

 今夜はバカルディ城へ帰らず、古砦での一泊を予定しており、このままだと夕飯はとても寂し過ぎるものになってしまう。


 それだけは何としても避けたい。

 最初の一匹はジュリアスに仕留めて貰いたかったが、そんな悠長な事は言ってられなくなった。夕飯を確実に確保する為、弓を構える。


 気配を殺して、狙いを定めてみれば、黒い影の正体はハッソクブタ。

 その名の通り、八本の足を持っている豚であり、普通の豚より体躯が二周りほど大きい。

 足が多い分、小回りが意外と効き、森の中で出会ったら難敵となるが、この見晴らしの良い草原なら俺の敵では無い。


「ピギィーーッ!」


 放たれた矢は狙いを違わず、ハッソクブタの目に命中。

 ハッソクブタは大きな悲鳴をあげると、片目を失ったせいか、疾走する向きを極端に反らしてゆく。


「ピギッ! ピギギギギッ! ピギィィィッ!」


 その結果、本来なら横を通り過ぎて行く筈だったハッソクブタは、俺達の周囲に大きな円を描く様にグルリと半回転。疾走力の高さが災いして、遠心力が強く働いて転んでしまう。

 あとは簡単なお仕事。こちらに見せている腹へトドメの一撃を放てば、もうハッソクブタは逃げるだけの生命力は残っておらず、その場でのたうち回るのが精一杯だった。


「ワンワン!」

「ワンワン!」


 一足遅れて、二匹の猟犬が森から駆けてくる。

 訓練されている彼等はハッソクブタに噛み付かず、その周囲をグルグルと回り、己の主人に獲物はここだと教える為に吠えまくる。


 俺達はちょっとした手持ち無沙汰。

 彼等にとって、主人は御用猟師達であり、俺達は獲物を横取りする悪い奴。下手に近づいたら噛まれる危険性が有った。


「いつもながら凄いね! 下の兄さんでも、こうはいかないよ!

 そうだ! 今度、秋の園遊会に出たらどうかな? 父さんも喜ぶだろうしさ!

 もしかしたら、これほどの腕前なんだ! コミュショーが弓の家って、認められるかも知れないよ!」

「だったら……。ほら、あれ」


 するとジュリアスが俺とハッソクブタに視線を交互に何度も向けながら興奮した様子で俺を大絶賛するが、たまらず苦笑いが浮かんだ顔を左右に振る。

 確かに結果だけを見ると、今の一連の内容は正しく神技と呼ぶに相応しい。ジュリアスが大絶賛するのも頷ける。


 だが、その真相は最初の一射は狙い通りだが、その後はたまたまハッソクブタが都合良く動いてくれたに過ぎない。

 それに俺は俺以上の射手を知っており、その今の一連の内容を狙ってさえも出来そうな人物を指さす。


「ピィィーーーッ!」


 天空を響き渡る悲鳴。

 その正体は犬の鳴き声に驚き、森の木々の中から飛び立った際に射られ、地上へと真っ逆さまに落ちてくる鳥のもの。


 地上を駆ける獲物と空を飛ぶ鳥。

 そのどちらを射る方が難しいなど言うまでもない。

 空を飛ぶ鳥の方が圧倒的に難しい。射る為に必要な要素が多く、要求される値も高いからだ。


 森に立ち並んでいる針葉樹の木々の高さは目測で約二十メートル。

 なら、そこから飛び立った鳥の高度は三十メートルは確実にあっただろう。


 また、矢が放たれた場所は俺達二人の後方二十メールに居る集団の中から。

 それ等の要素を考えたら、俺は最初から矢を撃たない。もしかしたら当たるかも知れないが、外れる確率の方が高い為、矢が無駄になる。


「むぅ……。」


 しかし、それを成功させたララノアは違う。

 過去の実績から考えると、まだ余裕がある。今の条件下なら、十中八九は成功させる高い的中率を持っている。


 そのララノアに弓を教えたのは俺だが、ご覧の通り、腕前はもう完全に抜かれてしまっている。

 あの俺より細い腕の何処に今の様な剛弓力が有るのかが不思議でならない。前の世界における大抵のファンタジー概念の設定でエルフは弓の名手とされていたが、この世界においてもそうなのだろうか。


 実際、その絶技を見せ付けられて、ララノアを知らない者達は揃って驚いている。

 森から出てきた御用猟師達など驚きを通り越して茫然としてしまい、目を見開きながら立ち止まっていた。


 ところが、当のララノア本人は今の結果に何やらご不満らしい。

 眉を眉間に寄せた顔を傾げると、矢を番えていない弓を構え、その弦を二度、三度と鳴らして、イメージトレーニングを繰り返している。


「い、いやいや、彼女は別格と言うか、別次元と言うか、何と言うか……。う、うん、比べたら駄目だと思うんだ」


 その様子に苦笑を深めるしかなく、ジュリアスに至っては声を震わせながら顔を引きつらせた。




 ******




「ほら、焼けたぞ」


 悠久の時の流れに風化したのか、嘗ての戦いの激しさを物語っているのか。

 石造りでありながらも天井が完全に抜け落ちてしまい、満点の星空が仰ぎ見れる古砦。


 焚き火にくべられた薪が音をパチパチと鳴らして、炎を燃え上がらせる。

 時折、その音に混ざり、串に刺さったハッソクブタの肉が炎に焙られて、肉汁を滴り落とし、煙を上げながら音をジュウジュウと立てる。


 隣に座るジュリアスはそれをもう辛抱堪らないと言った様子で見つめ、先ほどから視線で『まだ? ねえ、まだ?』と何度も訴えていた。

 本当はもう少し焙った方が良いのだが、溜息をやれやれと漏らして、最も焼き加減が進んでいる串を手渡す。


 ちなみに、この嘗ては何らかの部屋だっただろう場所に居るのは俺とジュリアスの二人だけ。

 他の面々は部屋の外の広場で別の焚き火を囲んでおり、もう酒が進んでいるらしく、陽気な笑い声が聞こえている。


 当初、ララノアが隣に座り、普段以上に俺へくっついていた。

 バカルディ城を訪れて以来、俺の隣に居る事が多い姫様がこの狩りに同行していない為、溜まった寂しさを解消しようとしていたのだろう。


 しかし、単なる狩りのキャンプで行う小さな宴とは言え、俺の隣に女性が居るにも関わらず、ジュリアスの隣に女性が居ないのは不公平になる。

 もしかしたら、王都から護衛として付き従ってきたジュリアスの親衛隊から不満の声が出るかも知れない。そうネーハイムさんからアドバイスを貰い、今は遠慮して貰っていた。


「うん、やっぱり美味しいね。出来たての料理ってのは」

「料理ってほどのものじゃないだろ。ただ、塩と胡椒を振って焼いただけなんだ」

「そうは言っても、王宮の料理はどうしても冷めたモノが多いからね」


 どうやら、ジュリアスはかなり腹ペコだったらしい。

 串を受け取るや否や、頬張った肉の熱さに吐息を忙しなく何度もハフハフと漏らしながらも肉を一心不乱に貪り、あっと言う間に一串をペロリと平らげた。


 その見事な食いっぷりに食欲をそそられて、丁度良い焼き加減の串を頬張ってみると、これが実に美味い。

 血抜きを行ったばかりの為、獣臭さは少し感じるが、通常の豚より歯応えが有り、噛む度に肉汁がこれでもかと溢れてくる。


 ジュリアスは早くも二串目に取り掛かっている。

 俺もバーベキューを純粋に楽しみたかったが、それでは今日の狩りを企画した意味が無い。


 実を言うと、狩りはジュリアスを外へ誘う口実に過ぎない。

 本命はおっさんや姫様が居るバカルディ城から離れ、ジュリアスと二人っきりで話し合う事にこそあった。

 その為も有り、ララノアをこの場から離れて貰っている。


「さて……。そろそろ、話したらどうなんだ?」

「えっ!?」

「王都からバカルディまでの旅が約一ヶ月……。

 滞在期間を一ヶ月として、往復で三ヶ月か。第三王子という身分はそれほど暇だとは思えないんだけどな?」


 マグカップのラム酒を一口、二口、三口と連続で飲み、その酒の勢いに乗じて、本当の目的を切り出すと、ジュリアスは頬張っていた二串目を口から下ろした。

 それまで浮かべていた笑顔を消して、更なる問いかけに視線を伏して黙り込み、その態度が俺の予想通り、何かを腹に隠し持っている事実を物語っていた。


「もし、本当に休暇と言うのならだ。

 どうして、ゼベクさんか、ジェックスさんを連れていない? 

 同行者は親衛隊の中からたったの四人。どう考えてもおかしいだろ?

 幾ら腕を立つ者を厳選したからと言って、お前の身分を考えたら少な過ぎる。

 同行者を最低限に絞り、旅を急いできたとしか思えない。

 だったら、もう十日も過ぎたんだ。そろそろ、悠長にしていられる暇は無いんじゃないのか?」


 俺達はアレな初体験の失敗談ですら赤裸々に語り合った仲である。

 それにも関わらず、ここまで言い出すのを躊躇っていると言う事はよっぽどの話なのだろう。


 しかし、ジュリアスほどでないにしろ、俺も忙しい。

 作物の収穫が始まる秋前までにコミュショーへ帰りたい。バカルディで休暇を楽しんでいられるのも長くて、あと二週間くらい。


 だからこそ、ここで吐き出して貰わなければ困る。

 ジュリアスが腹に隠し持っているモノを知りながら俺はコミュショーへ帰れないし、ジュリアスもまた王都へ帰れないに違いない。


「相変わらず、君は聡いね」

「いや、お前を見ていたら解るよ。ずっと何かを言いたそうだったからな」


 ジュリアスは俺の追求にとうとう観念した様らしい。

 溜息を漏らしながら苦笑を浮かべ、それに釣られて苦笑を返す。


「実はまだ内々の話なんだけど……。来年度、第十三騎士団の団長に就任するのが決まってね」

「へぇ~~……。正直、意外だな。でも、おめでとう」


 そして、ジュリアスの口から遂に明かされる悩み。

 ただ、それは悩みと言うよりは喜ぶべき吉事であり、そのジュリアスの憂いた表情の理由が解らなかった。


 インランド王国の常設騎士団は第一騎士団から第八騎士団までの八つ。

 それ以降のナンバーは対外戦を目的とした非常設。今現在の状況を考えたら、その戦地はミルトン王国戦線に他ならない。


 それに加えて、指揮序列が複雑になる為、同じ戦線に二人以上の王族が配置される事はまず有り得ない。

 即ち、来年度以降のミルトン王国戦線の総司令官は第三王子であるジュリアスとなり、ジュリアスが戦線から撤退しない限り、それが以降も続く事も意味している。

 軍と政、その両方から武勲を挙げさせまいとトーリノ関門の総司令官に続き、今は直轄領巡回兵団の団長という閑職に就いているジュリアスがである。


 上層部の心変わりが気になるところだが、停滞しているミルトン王国戦線を大きく進められたらジュリアスの出世は間違いなし。

 宝くじとて、買わなければ当たらない。これを喜ばずして、何に喜べと言う話。


「ありがとう……。でもね。その第十三騎士団に配属される兵員数は本来の半分、五千人なんだよ」

「はぁ? ……何だ、そりゃ?」

「まあ、軍本部の言い分も解らないでもないんだ。

 君も知っているだろ? ここ数年、動員令が相次いでいるって……。余裕が無いんだ」

「だからって……。」


 だが、ジュリアスの続いた言葉に思わず我が耳を疑った。

 同時に今年はオーガ騒動が遭った為に行けなかった春の王都で繰り広げられただろう社交の動きも読めた。


 立身出世を望む者達から見たら、ミルトン王国戦線は武勲を立てる絶好の狩り場だが、国家運営の視点から見たら、ミルトン王国戦線は悩みの種でしかない。

 兵員と予算、時間ばかりを費やして、その版図は一進一退を繰り返してばかり。国家として、旨味があった時期はとっくに過ぎており、本来なら停戦か、終戦に向けての外交を行っていなければならない時期に至っている。


 しかし、国家の主権者である国王が野心に駆られていてはどうしようもない。

 きっと国王がまた騒ぎ立てて、その擦った揉んだの末、今現在まで失敗を一つも犯していないジュリアスに白羽の矢が立ったのではなかろうか。


 当然、軍と政のどちらも様々な理由を付けて反対したに違いないが、国王の鶴の一言が有っては従うしかない。

 そういう理由なら納得が出来る人事だった。詰まるところ、軍上層部がジュリアスに本来の半分の兵員しか渡さないのは武勲を立てさせない為の枷であり、罠である。


 国王が親征した時は三万人が、第二王子の時は二万人が動員されたと聞く。

 それに比べて、ジュリアスはたったの五千人。間違いなく、ジュリアスは敗北を望まれている。


 その敗北した事実を以て、ジュリアスを更なる閑職に就けようと言う思惑か。

 もしかしたら、その後は軍に関わらせない可能性だって十分に考えられる。そうなったら、ジュリアスは終わりだ。


 インランド王国は侵略国家として繁栄してきた歴史が有る。

 女ならまだしも、王族の男が軍に関わらずして、その将来の未来は無い。

 残される道は他国との同盟関係を結ぶ為の婚姻要員のみ。それも簡単に切り捨てられる人質の存在としてだ。


「そうだね。だからと言って、五千は少ない。

 負けに行く様なものだ。いや、それを望まれているのかな? ははは……。」


 それはジュリアス自身もきっと気付いているのだろう。

 ジュリアスは焚き火の揺らめく炎をぼんやりと見つめながら儚く微笑んだ。


 激しく堪えきれない義憤に駆られる。

 心のモヤモヤを少しでも解消しようと、マグカップを一気に呷るが、ちっとも気分は晴れない。


 ヒトの命を何だと思っているのか。

 日頃は大切だと叫ばれている命も戦場では軽い。たった一回の攻防でも、その規模や状況によっては千人単位の命が簡単に失われる。

 その死地へ赴く者達が持つ願いはヒトそれぞれだが、最初から敗北が望まれた戦争を作り上げようなんて考えは狂っている。


 二杯目を続けざまに飲もうと、その一口を飲んだところで気付く。

 ジュリアスが酒をまだ一口も飲んでおらず、マグカップの酒が全く減っていないのを。


 こんな話は酒を飲まなければやってられない。

 酒が入ったピッチャーを無言で差し出すと、その意味が解ったのだろう。

 ジュリアスは喉をゴクゴクと鳴らしながらマグカップを一気に呷り、最後に大きく一息吐くと、強い眼差しと共にマグカップを差し出してきた。


「でも、僕はやるからには負けるつもりは無い。その為の最大限の努力は行うつもりだ。

 だから、ジェックスには北方領へ、叔父さんには西方領へ行って貰った。僕と親交の有る領主達に派兵を申し込みにね。

 そして、僕はこの南方領だ。……ニート、僕に力を貸してくれないか? 君が居れば、勝てない戦いだって勝てそうな気がするんだ」


 来年度のミルトン王国戦線に対する参戦要請。

 思わず眉がピクリと跳ねて、手元が震える。陶器製のピッチャーとマグカップが打ち合い、音をカチリと小さく鳴らす。


 一拍の間の後、注ぎ終わったピッチャーを下ろして、夜空を見上げる。

 今にも星が降ってきそうな満天の星空の下、友と酌み交わす酒は最高に美味いもの。


 ところが、改めて口に含んだ酒は酔う為だけの安酒の様に不味くて、やけに熱かった。

 その味は二口、三口と飲んでも変わらず、むかつきだけが胃に溜まり、力が自然と眉間に込められてゆく。


 返事を待っているジュリアスの強い視線を感じる。

 強張りきった表情を解き、視線を夜空から下ろして、ジュリアスへ苦笑いを向ける。


「俺が居ればって……。お前、知らないのか?

 俺は百人の兵士を維持するのがやっとの零細領主だぞ? たったの百人が加わったところで何も変わらないだろ?」


 しかし、その戯けにクスリとも笑わず、ジュリアスは俺を真っ直ぐに見つめたまま。

 即座に苦笑を剥がされ、お互いに無言で暫く見合うが、その沈黙が辛くて、先に目を逸らしたのは俺だった。


 再び夜空を見上げて、不味い酒を更に呷る。

 ジュリアスが求めているものはとっくに解っていた。


 俺が居ればと言ったのは言葉の綾。

 戦争は数を揃える事こそが勝利の近道。ジュリアスが求めているものはオータク侯爵家が統括する南方領の三万を超す兵士達だ。


 俺とジュリアスの二人が頼めば、おっさんは兵を貸すのを断らないだろう。

 だが、七十歳を間近に控えたおっさんがミルトン王国まで遠征するのは体力的に無理があるし、それ以前におっさんは左脚を悪くしている。


 恐らく、俺とおっさんが初めて出会った時に負傷していた矢傷が原因だと考えられる。

 それをおっさんは頑なに隠している為、敢えて気付かないフリをしているが、おっさんの槍を稽古で受けていたら、それが明らかに解る。

 年齢的なモノも勿論有るのだろうが、踏み込みが甘くなっており、おっさんの槍は初めて出会った時と比べたら、その鋭さと重さは残念ながら衰えを見せ始めている。


 おっさんが出陣しなければ、南方領の領主達は動かない。

 借りられる兵力はオータク侯爵家が抱える兵士達だけに留まり、多く見積もっても二千人か、三千人くらい。

 それはそれで貴重な戦力となるが、ジュリアスが求めている戦力には到底足りない。


 ところが、その問題を解決する方法がたった一つだけ有る。

 それは俺と姫様が結婚して、俺がオータク侯爵家の執政となり、南方領領主達に出兵の号令を出せば良い。

 但し、それは俺の中にあるコゼットへ対する想いに区切りを付けなければならない意味も同時に含んでいる。


 ジュリアスは俺のコゼットへ対する想いを知っている。

 いや、知り過ぎているが故、この問題を言い出すのをずっと躊躇っていたのだろう。ようやく合点が言った。


 廃村となってしまい、もう帰りたくても帰れない俺の故郷、ヒッキー村。

 冒険者だった両親がその地に居を構え、コゼットと初めて出会ったのは俺が六歳の頃だった。

 あの忌まわしい事件が起こり、村から追放されたのが十四歳の秋。それから様々な出来事を経て、俺は今年で二十一歳になった。


 つまり、村での思い出が約七年なら、村を出てからの思い出も約七年。

 来年になったら、コゼットと共に過ごした時間をとうとう上回り、コゼットと共に居ない時間の方が多くなってゆく。

 だったら、コゼットへ対する想いは捨てきれなくても、過去より今を大切にするべきではないだろうか。


 おっさんに恩を感じていながらも、その好意にいつまでも甘えて、恩を返さないままではいられない。

 姫様とて、あれほど想われたら男冥利に尽きる。その想いに応えてあげたいし、姫様とならきっと上手くやっていける確信も有る。


 その選択に間違いは無い筈だ。

 第一、ジュリアスを見捨てるなんて選択肢は俺の中に探すまでもなく有りはしない。


「出兵の予定は何時なんだ?」


 長い長い葛藤の末、大きな決断を下した高揚感に立ち上がる。

 満天の星空を眺めながら改めてマグカップを呷ってみると、これが先ほどと同じ酒なのかと疑ってしまうくらい格別に美味かった。


 前の世界にて、戦史好きだった俺は戦史を読みながら、その戦史の中に良く思いを馳せた。

 大学時代は『なんちゃって』な研究会だったが、戦史研究会に入り、城や古戦場を巡る為にバイクの免許も取った。


 そんな趣味を持っていた俺がファンタジーな世界で今は男爵となり、少ないながらも独自の兵権を持ったのだから、当然の事ながら妄想は捗りまくり。

 暇が有ったら、戦略と戦術をああでもない、こうでもないと考え、旅をしている道中も景色を愛でながら、戦場に適した場所や奇襲が行えそうな森などを常に探していたりする。


 当然、そうした妄想の数々の中にはミルトン王国攻略の絵図も存在していた。

 俺は第三王子派の派閥に組みする故、所詮は妄想に止まり、世に出る筈が無いと考えていた絵図が試せるとあって、高揚感は更に高まる。


「例年通りなら、春の終わり頃かな?」

「日数的にギリギリ……。急げば、間に合うか」

「えっ!? ……ニート、もしかして?」


 それを感じ取ったのだろう。ジュリアスの息を飲む声が聞こえた。

 視線を落とすと、そこにあったのは複雑な表情だった。


 幾つもの感情の中、喜びの色も混ざっていたが、目立って彩られている色は負い目。

 相変わらず、王族でありながら甘い奴だ。そんな顔をする必要はこれっぽっちも無いと言うのに。


 ジュリアスは俺の背中を少しだけ押してくれたに過ぎない。

 決断を強いられた訳では無いのを解らせる為、口の端をニヤリと吊り上げて笑いながら大胆不敵に宣言する。


「ああ、やるぞ……。そして、やるからには勝つ。

 それも完全な勝利だ。俺とお前の二人でミルトンの首都を落としてやるぞ」


 大切なモノを捨ててまで選んだ決断である。その程度、手に入れずして、どうするのか。

 その熱い思いが滾り、再び満天の星空を見上げて、届かないと知りながらも右手を遙か彼方にある輝きへと伸ばした。




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