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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第九章 男爵 百騎長 領主奮闘編
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第06話 幸せの定義




「ぷっはっ!?」

「ニート様、これを」

「うん? ええっと……。ああ、そうか……。」


 突如、顔に冷たさを感じると共に息苦しさも覚え、上半身を跳ね起こす。

 すかさずタオルが目の前に差し出され、辺りをキョロキョロと見渡しながらそれを受け取る。


 混乱する頭。タオルで濡れた顔を拭っている内、途切れていた最後の記憶が蘇ってきた。

 どうやら、ララノアの一撃によって、意識を失ったらしい。船首に居た筈が船体中央に居り、そこで寝かされていた様だ。


「どうぞ」

「ありがとう」


 顔を拭き終わると、今度はコップが差し出される。

 正しく、水を欲していたところ。タオルと引き換えに受け取り、喉をゴクゴクと鳴らして飲み干す。


「わっ!? ごめん」

「いえいえ」


 さすが、ネーハイムさんと言うしかない。至れり尽くせりの対応である。

 そこでネーハイムさんが上半身裸なのに今更ながら気付き、思わず首を傾げるも、その意味を一瞬後に理解。目を見開きながら勢い良く振り返る。


 予想に違わず、背後に敷かれていたのはネーハイムさんの上着。

 甲板の上を直に寝ていたら、きっと背中が痛いだろうと気づかって敷布にしてくれたのだろう。本当に至れり尽くせり。

 慌てて尻を持ち上げて、ネーハイムさんへ上着とコップを返す。


「それにしても、驚きましたよ。

 ニート様が倒れて目を醒まさない。そう彼女が泣き喚くものですから」


 更にもう一人。頭上から聞こえてきた声に視線を上げると、水が入った桶を足下に置くバラリス卿が肩を竦めていた。

 その肩越しに右の親指で指す先を見れば、マストの影からララノアのものと思しき白い髪が風に靡いて見えており、思わず苦笑が漏れる。


 初めての出会いは五年前の戦場。次の出会いは二年前の捕虜収容所。

 嘗ては敵同士なら、三年間の捕虜収容所生活を強いる原因となったのも俺であり、祖国での爵位は圧倒的に俺よりも上だったにも関わらず、インランド王国に対してではなく、俺に対しての臣従を申し込んできたバラリス卿だったが、俺は悔しいながらも彼を捕虜収容所から釈放するだけの権力も、財力も持っていなかった。


 しかし、俺は諦めなかった。 

 用兵の心得と領地経営の心得、その二つを持っているバラリス卿は喉から手が出るほどに欲しい人材だった。


 だから、俺は第三王子派の派閥ネットワークに俺がバラリス卿を欲している噂をそれとなく流した。

 元手がゼロだけに駄目で元々。その程度の気持ちであり、第三王子派の派閥長の反応がどの程度かを計るのが主な目的だったのだが、一週間も経たない内にバラリス卿は釈放された。


 第三王子派の派閥長の正体を知る者は居ない。

 だったら、噂が最短路を通って、ダイレクトに伝わるのは有り得ない。

 幾ら王都という限定された狭い範囲とは言え、噂が広がり、その耳にまで届く時間を考慮すると、それは驚くべき早さと言うしかない。


 おっさんの様な大貴族だって、もう少し時間がかかる。

 その事実から考えると、それは鶴の一声の様な絶大な権力が働いた証拠である。

 最低でも、政務を携わっているなら大臣、軍事を携わっているなら将軍と呼ばれるクラス。

 俺としては中立派と言われている宰相が怪しいと睨んでいるのだが、ジュリアスは言うには業務上のみで言葉を交わす程度で有り得ないらしい。


 いずれにせよ、候補はかなり絞られた。

 他者に踊らされてばかりなのは気にくわないし、この一件でも第三王子派の派閥長が俺に大きな期待をかけているのも解った。

 いつか、絶対に尻尾を掴んでやるのが俺の目標だ。俺の恥ずかしい英雄歌を広めてくれた件も合わせて、絶対に御礼をしなければならない。


 さて、そう言った事情を経て、俺の臣下となったバラリス卿だが、前述にもある通り、祖国での爵位は圧倒的に俺よりも上の伯爵である。

 政軍に経験豊富で実績も有り、降将とは言え、これほどの人物を召し抱えるとなったら、大領を与えて然るべきだが、悲しい事に無い袖は振れない。


 名前を『ハーベルハイト・ドライド・キファ』と改めて貰い、役職はキファ村の管理官と俺の相談役。

 バラリス卿は『お気になさらず。ニート様が主ならすぐに増えますから』と言って、不満を漏らした事は一度も無いが、その収入は嘗ての一割どころか、一パーセントも有るかどうか。

 その負い目から未だ心の中では『バラリス卿』と呼んでいたりする。


 また、そんなバラリス卿を慕って、五年前の敗戦後に戦奴となり、その後に奴隷の身分から解放された嘗ての部下達がコミュショーを時たま訪れる。

 去年の冬、何処で噂を聞き付けたのか、バラリス卿の奥さんと息子さんも訪れ、今では全員がコミュショーに帰属して、モバーエ村に居を構えている。


 この事に関して、領内の派閥化を少し心配していたが、どうやらバラリス卿が上手く取り計らってくれている様だ。

 元々のコミュショー領民、トーリノ関門時代から俺に付き従ってくれている者達、バラリス卿を慕って集まった者達、この三者の間で諍いらしい諍いは一度も起きていない。

 これこそ、経験が成せる業だろう。二十歳を超えたばかりであり、外来の初代領主となる俺ではこうも上手くは行かなかったに違いない。


 ちなみに、俺が領主貴族となったのに伴い、ネーハイムさんも俺を主とする陪臣貴族になっている。

 この提案を持ち掛けた時、ネーハイムさんは滅相も無いと固辞したが、これからも俺の副官を務めるにあたって、平民のままでは何かと不自由な為、半ば無理矢理に納得して貰った。


 但し、領民とは領主が所有する歴とした財産である。

 その村や街の長によって、簡素ながらも戸籍が管理されており、特に家主と嫡子に関しては勝手な移動が認められておらず、領主の合意が必要となる。

 特にネーハイムさんの家の様な村や街の顔役たる名主の家の場合、それは被支配階層の平民ではあるが、領主の臣下とも言える存在で尚更だ。


 その常識を領主となった一年目の俺は知らず、王都から去ろうと門を出ようとした瞬間、レスボス家の執政を務める次女のタマル様が襲来。

 馬鹿か、アホかと怒鳴られながら、その常識を教えて貰うと共にその場で交渉を行い、ネーハイムさんの戸籍はコミュショーに帰属した。


 俺が罵られる以外、交渉がスムーズに進んだ理由として、ネーハイムさんが俺の副官として単身赴任中、ネーハイムさんの長男が恋人を見つけていた点が挙げられる。

 コミュショーに帰属するのはネーハイムさんと奥さんと次男の三人。長男は結婚して、レスボス領に残り、名主としての家を継ぐのが条件となり、コミュショーとレスボスの双方が不利益にならない形が取られた。


 言い換えるなら、コミュショー領の家は分家となり、ネーハイムさんは名前を『ネーハイム・グラーシ・ブレーム』と改めた。

 その名前から解る通り、役職はブレーム村の管理官と俺の副官。それまでの功績を考えたら、バラリス卿同様に領地をあげたいのだが、やはり悲しい事に無い袖は振れない。


 だが、陪臣と言えども、貴族は貴族。

 本家と言えども、平民の家より収入が少ない現状は主として切なすぎる。早急に改善したい問題だと考えている。


「おっ!? もう到着じゃないか」


 こちらを心配そうに窺っているララノアを安心させる為、バラリス卿の手を借りながら立ち上がると、船は既にバカルディの湾港へ入る準備を行っていた。

 夕陽が沈みかけて、東の空は薄暗く、西の空は真っ赤に染まっていると言うのに、この街は相変わらず賑やかだ。数多の男達が声を揃えて張り上げ、船を岸壁に停船させようと縄を引っ張っており、その人数だけでコミュショー領民の半分は居る。


 男爵の爵位とコミュショーの土地を賜り、千人を超える領民の主となった俺。

 寄り合い所帯でしかなかったトーリノ関門時代と違い、立派な家臣団が形成されてゆく内、俺にもある種の使命感が生まれてきた。


 政治と軍事。そのどちらかと言えば、俺は明らかに軍人である。

 おっさんも、ジュリアスも、軍部も、南方領主の面々も、世間も、それを誰もが望んでいる。


 つまり、いつ死ぬかも知れない立場に有る。

 無論、まだまだ死ぬつもりは毛頭無いが、それが戦場というモノだ。

 どんな猛者とて、ひょろい流れ矢を受けたのが原因となり、死ぬ事さえ有るのだから。


 しかし、今の俺は運悪く死ぬ事も許されない。

 もし、俺が死んでしまったら、家臣団と領民達は路頭に迷い、コミュショーは以前の代官統治時代に戻る。


 だからこそ、俺は一刻も早く成さねばならない。

 コミュショーの統治をより安定化させる為、己の血を時代に継ぐ事を。


 ありていに言えば、子作りだ。

 それを領民達も望んでおり、領内を視察していると、そう言った声をかけられる事が最近は多い。


 特に領主館の侍女長に就任して貰ったバラリス卿の奥さんのプレッシャーは半端無い。

 三日に一回は急かしてくるし、夕食に必ず出るのが、バラリス卿の奥さんの家に伝わる秘伝の精力剤ドリンクでこれが凄い。


 暫く時間が経つと、身体が火照りまくって、鼻息はフンフンと荒くなり、アレは鉄の様にカチンコチンに漲りすぎて痛いくらいになる。

 前の世界では媚薬と言ったら、眉唾物でしか無かったが、この世界は魔術すら存在する世界だけにかなり本物臭い。


 だが、良薬は口に苦しと言うが、これがとんでもなく不味い。

 どんなに美味しい料理が夕飯に列ぼうが、どのタイミングでこれを飲んでも全てが台無しになる。

 バラリス卿に何度も助けを求めているが、『自分も通った道です』と遠い目で達観するのみで役に立たない。


 そんな努力の末、そうならない様に以前は気を付けていたのを今は逆に頑張っている。

 しかし、子供は天からの授かりもの。残念ながら、その気配はアリサも、ララノアも、リズも今は見えない。


「ニート様、あちらを!」

「んっ!?」


 不意にネーハイムさんが肩を叩き、声を張り上げながら俺が見下ろしている湾港の上を指さす。

 何だろうと見上げてみれば、バカルディの外郭の上に女の子と女性が二人居り、女の子が頭上に掲げた右手を大きく頻りに振っている。


 城壁は街を守る重要な軍事施設。

 距離が遠い為、その顔は良く見えないが、一般人が立ち入れない場所に居り、片方がドレス姿、片方が軍服姿と言ったら、姫様とサビーネさんの二人組しか居ない。


 こちらも応えて、手を振り返すと、姫様はその場をピョンピョンと飛び跳ねて大はしゃぎ。

 すぐさまサビーネさんが姫様の腰を後ろから抱き締めて、何やら怒鳴っている様子が見て取れるが、姫様はお構いなし。尚もピョンピョンと飛び跳ねて大はしゃぎ。


『ほらほら! 気付いてくれた!』

『姫様、いけません! ここを何処だと思っているんです! 危のう御座います!』

『でも……。ほら、見て! ほらほら!』

『ティラミス! いい加減にしなさい!』


 声が聞こえなくても解る。そんなやり取りをきっと行っているのだろう。

 相変わらず、いつ訪れても本当の姉妹の様に仲が良い二人の様子に思わず吹き出す。


「いやはや、先触れは出ていないと言うのに出迎えとは……。

 毎日、来ていたんでしょうな。あの様子だと……。フフ、ニート様は幸せ者ですな」


 だが、バラリス卿が微笑みながら告げた何気ない言葉。

 前方の光景が大きな苦労を前提として作られているのに気付かされ、笑みが苦いモノへ変わる。


 先触れとは、己の来訪をこれから訪れる村や街へ前もって告げる貴族の風習である。

 これが有るから、来訪される側は到着前に準備が行え、来訪する側は村や街の入場や目的の人物との面会を待たされる事態を避ける事が出来る。


 今回、俺がコミュショーからの移動に船を選んだのは、それがバカルディへ最短で到着する手段だからに他ならず、この早さを追い越す存在が無い以上、先触れは出せない。

 よっぽどの緊急事態で俺の到着を今か今かと待っているなら、夜間の川下りを強行する先触れを出しただろうが、今回は行っていない。


 船の到着だって、天候次第などの様々な要素によって、到着の予定は幾らでも狂う。

 今日は昼前までは向かい風が吹いて、その後は次第に追い風となったが、到着時間としてはやや遅い。


 それ等の事実を踏まえると、今日、この瞬間、たまたま姫様とサビーネさんが居たとは考え難い。

 優秀なサビーネさんの事だ。ある程度、手紙がコミュショーへ届くまでの日数とコミュショーからの旅程を計算しての出迎えだろうが、今日を限定するのはやはり難しい。


 なら、バラリス卿の言葉は正しい。

 何日前からは解らないが、この湾港へ日参していたに違いない。

 それも船の到着を待つ為、夕方の一時を必要とするのだから、それ相応の根気、執念、想いと言ったモノが必要になる。

 姫様の場合、その三つの内のどれかなど言うまでもない。


「幸せ、か……。」


 心の内を口に出すつもりは無かった。

 しかし、つい漏れてしまい、その声の中に含まれた憂いのニュアンスを見つけたバラリス卿が意外そうに眉を跳ねさせる。


「これは異な事を……。第三王子殿下と深い友誼を持ち、南方領を統括するオータク卿には信頼されて、腹心中の腹心。

 あまつさえ、そのオータク卿からは孫娘との婚約まで許され、誰もが羨む立場にあるニート様が幸せでなければ、何だと言うのです?」

「だよねぇ~~……。」


 そう、姫様『ティラミス』は今や俺の正式な婚約者。

 それも結婚がいつでもOKな状態。おっさんはまだか、まだかと催促しており、今回の意味の無い呼び出しも最大の目的は結婚の催促なのだろう。


 しかし、おっさんが頼んだ商人の調査で解った事だが、俺が育った村は廃村となっており、コゼットの行方は不明。未だ見つかっていない。

 どうしても、それが心残りになっており、俺はおっさんの催促にも、姫様の想いにも応えられずにいた。

 ララノアはエルフ故に認められていないが、アリサやリズを正式な妾に迎え入れておきながら何を今更と言うだろうが、正妻の座はコゼットの為に空けておきたかった。


 もちろん、今は貴族になった俺と平民のコゼットは結婚が出来ない。

 だが、裏技は存在する。ジュリアスへ相談したところ、ミルトン王国よりずっと西にあるベレゾラ王国なる国では没落した貴族の家名が売られているらしい。

 役職も無ければ、領地も無く、只の名誉のみの貴族位だが、それを買いさえすれば、コゼットも貴族を名乗れ、結婚が出来るという仕組みだ。


 先ほどは子作りに頑張っていると言ったが、それとて、コゼットに対する後ろめたさが無い訳では無い。

 しかし、将来をコゼットと誓い合った日から八年。まだ十年足らずではあるが、今の俺を取り巻く環境はとても想像が出来なかったものに変わっている。

 バラリス卿が言う通り、他人から見たら今の俺はトントン拍子に出世して、近い将来は侯爵の座すら約束されており、確かに羨まれる立場なのだろう。


 ところが、心の底から真実に欲している最も大切なモノが手の内に無い。

 何かを得る為には何かを捨てなければならない。そんな言葉を聞いた事があるが、それなら俺はどうすれば良かったのかと言うのか。

 

「でも、まあ……。ニート様のお気持ちも解ります。

 実を言うと、うちの奥も結婚前は優しかったのです。それが結婚した途端、鬼嫁に……。ううっ……。」

「……ど、どんまい」


 今度は口にする事は無かったが、バラリス卿の言葉は本当の幸せとは何かを考えさせる重みを持っていた。




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