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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第九章 男爵 百騎長 領主奮闘編
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第05話 船は行く




「この分なら、陽が落ちきる前に着くな」


 数多の櫂が水面をリズミカルに繰り返し叩き、風を三角帆に受けて、川を突き進む船の船首に腕を組んで立ち、夕陽に紅く染まる世界を眺める。

 この船首に立った当初、その姿は点でしかなかったバカルディの街はみるみる内に大きくなり、今は地平の三割を占めるまでに広がっていた。飛んできた豆が後頭部へ当たる。


 今はもう懐かしいおっさんとの旅を終えて、バカルディの街を初めて訪れた時、俺は生まれ育った村以外の事は何も知らない逃亡奴隷だった。

 だから、俺の世話を命じられたリズが幾度となく誘惑を仕掛けてきても『そこまでされる謂われはない』と言って、その歓待を懸命に堪えて断った。


 しかし、その後に兵役へと赴き、バップ村をロンブーツ教国軍から開放した際、ネーハイムさんから諭されて、アリサとの関係を持って以来、リズの存在はずっと気になっていた。

 もしかしたら、俺は彼女にとんでもない恥をかかせてしまったのでは無いだろうかと。


 そして、その懸念は間違っていなかった。

 トーリノ関門での兵役が終わり、バカルディへ戻ってくると、リズの姿は何処にも無かった。

 辛うじて見覚えがあったメイドさんに事情を尋ねると、俺がバカルディから去った後、リズはすぐに城勤めを辞めて、生まれ育った村へと帰ってしまったらしい。


 以前の俺なら何故と首を傾げるだろうが、それなりの立場を得た今なら解る。

 おっさんは南方領を統括する侯爵である。地方領主としての地位は北方領と西方領を統括する二人と列び、その上は国王しか存在しない。

 語るまでもなく、国の重鎮であり、そのおっさんの命を救った恩人たる俺の世話係を命じられたのだから、これは大変な名誉と言うしかない。

 言い換えるなら、リズは南方領を代表する一人に選ばれたのだ。


 問題は世話の中に閨の相手も含まれていた事実に尽きる。

 当時、リズに好いた相手が居たかは知らないが、俺の世話を引き受けるに辺り、並みならぬ決意で挑んだに違いない。


 ところが、俺はリズを抱かなかった。

 バカルディへ戻ってきた後、この件がサビーネさんの企みだったと知り、その選択は結果として間違っていなかったのだが、リズから見たらそれは違う。

 サビーネさんは真相を知っていたが、同僚のメイドさん達に大任を果たせなかったとは言えなかったのだろう。恐らく、リズは嘘を付いた。


『リズは幸せ者ですね。ニート様から、こんなに愛されちゃって……。

 ウフフっ……。仰らずとも解っています。姫様には内緒にしておきますから』


 リズの行方を聞いたメイドさんの言葉を考えると、それは間違いないだろう。

 それで城勤めを辞めたに違いない。大任を果たせなかった責任感と嘘を付いてしまった後ろめたさから。

 サビーネさんは俺に頭を下げて詫び、リズに関しては自分が責任を持つから心配するなと言ってくれたが、『はい、そうですか』と簡単に頷けなかった。


 平民社会は貴族社会ほど処女性に大きな価値を置いていないが、貴族の男性と関係を持った平民の女性の未来はあまり明るいモノとは言えない。

 まず大前提として、貴族と平民の婚姻は認められない。正妻が居らずとも妾扱いとなり、生まれてくる子供は『庶子』と記録されて半端物扱いを受ける。


 正式な妾と認めて貰えない場合は捨て扶持を与えられて、その殆どは生涯を独身のままで終え、生まれてくる子供は『私生児』となる。

 理由は簡単だ。女性の背後に貴族の存在が有ると知り、尻込みせずに結婚を申し込める平民の男性はまず居ない。


 いや、捨て扶持を与えられている内は御の字と言える。

 捨て扶持と言っても、その金額は男性貴族の懐次第。王侯貴族と変わらぬ生活だって、可能かも知れない。


 しかし、こういった関係は秘匿されがちな為、男性貴族が何らかの不慮の事故で命を失った場合、その捨て扶持は唐突に打ち切られる。

 女性が若さや美貌を損ない、男性貴族が関心を失った場合も同様である。


 それどころか、男性貴族が単なる行きずりの関係としか思っていない場合に至っては最初から捨て扶持すら与えられない。

 せいぜい得られるのは一夜分の対価だけだろう。 


 そうなってしまったら、その女性の人生は茨の道となる。

 この機械化が進んでいない世界において、農業は男手を絶対に必要とする重労働である。

 どうしても、家族か、親族か、村の世話を受けながら生活を行い、肩身の狭い思いをするしかなくなる。

 もし、それが嫌なら全てを捨てて、自分を誰も知らない何処かに行くしかないが、それも若い内である上に女の一人旅は危険が過ぎる。


 だが、これはあくまで最悪の話。

 リズが俺の世話係を担い、その世話の中に閨の相手も含まれていたのを知っているのは城勤めの者達のみ。

 それがリズの生まれ育った村に伝わっていないなら何の問題も無い。あとはリズの心の中の問題だけになる。


 ただ、ヒトの口に戸は立てられない。

 この世界は娯楽が少ない為、噂は格好の娯楽となり、時に驚くほどの早さで広まる。 


 リズの相手が俺というのもまずかった。

 おっさんが俺のトーリノ関門時代の武勇伝を積極的に広めたせいか、南方領で俺は結構な有名人だったりする。


 とにかく、その時の俺はリズの今現在の様子を確かめずにはいられなかった。

 サビーネさんはリズの所在を教えるのを頑なに拒んだが、ウィークポイントである姫様に手伝って貰い、その口を割らせた。


「……とは言え、微妙な時間か。挨拶は明日にした方が良いかな?」


 この辺りは川幅が二キロを軽く超えているだけあって、それなりに波も有り、たまに船が緩やかながらも揺れる。

 その波を掻き分けた水飛沫が霧状になって、約十メートルほどの高さにある船首まで届く。飛んできた豆が後頭部へ当たる。


 リズの生まれ育った村はサビーネさんが治める領内にあった。

 冒険者や旅人、商人が峠越えをする前に足を止める小さな宿場町。リズの家も宿屋を経営しており、名主の家の一つだった。


 俺としてはリズが幸せに暮らしているなら、それで良かった。

 もしかしたら、全ては俺の勘違いで城勤めを辞めたのは結婚が理由。幸せな家庭を築いているなら、再会したところで気まずくなるだけ。

 その幸せな姿を一目見て、黙って帰る事も考えていた。


 だが、現実は厳しいものだった。

 家族は違っていたが、リズが外を歩くと、村人達は誰もが目を逸らして、陰口を叩く有り様。明らかに腫れ物扱いを受けていた。


 但し、ネーハイムさんと数人が先行して、村に有る何軒かの宿屋に泊まって調査して貰った結果、それは俺とリズの関係がバレた為では無かった。

 どうやら、リズの父親が事業拡張を行い、小さな宿場町としては珍しいグレードの高い客狙いの立派な別館を建てたのが全ての発端らしい。

 それと時をほぼ同じくして、彼等の領主たるサビーネさんの元へ奉公に出ていたリズが突然に、それも季節外れに帰ってきたタイミングの悪さから、その別館を建てた金が何処から出てきたのかという噂と相まって、リズがある貴族の『おてつき』となり、その対価として多額の金を得たという噂が作られ、今や聞くに堪えない尾ひれまで付いて、村に広く完全定着していた。


 他人を妬んでの邪推とは本当に恐ろしいものだ。

 手掛かりなど何も無い状態から邪推が邪推を呼んで膨らみ、ほぼ『正解』に辿り着いてしまっているのだから。


 しかし、これで俺の答えは決まった。

 白昼堂々、リズの家の宿屋に馬車で乗り付けて、騎士の正装姿で現れると、ちょっと芝居がかった口調で迎えに来るのが遅れた事をリズへ詫びた後、貴族の作法に則り、リズの目の前で片跪きながら花束を捧げてのプロポーズを決行した。

 正直、顔から火が出るほど恥ずかしかったし、照れもしたが、リズが村人達から受けた数々の屈辱を考えたら、この程度は幾らでも我慢が出来た。

 唯一の不安はリズが断った場合だったが、リズ自身も、リズの両親と兄弟も涙を零して喜んでくれ、俺のプロポーズを受けてくれた。


 その時の光景は今でもはっきりと覚えている。

 囃し立てながらも祝福をしてくれ、大騒ぎをしているのはたまたま村に居合わせた冒険者や旅人、商人ばかり。

 村人達は唖然、茫然、愕然と言葉を失い、ただただ信じられないモノを見るかの様に俺達を遠巻きに眺めていた。


 伝え聞く話によると、後日になって、俺の正体が知れ渡り、村は当時以上の大騒ぎになったとか。

 普段は煩わしいだけの名声も役に立つ事があるらしい。リズが幸せ者だと村人達に知らしめる俺の思惑は叶った。


 その後、リズはモバーエ村の領主館に移り住み、これで『めでたし、めでたし』と思いきや、そうは問屋が卸さなかった。

 思いもよらぬ新たな問題が発生して、それが大きな悩みの種となる。


「……って、いい加減にしろ! 大体、食べ物を粗末にするんじゃない!」


 飛んできた豆が後頭部へ当たる。

 ふと足下を見れば、数えるのが馬鹿らしくなるほどの豆が散らばっていた。


 しかも、無視を続けたせいだろう。

 豆は投げられる毎に勢いを徐々に増して、とうとう痛みを感じるまでに至り、後頭部を押さえながら勢い良く振り返って怒鳴る。


「ふんっ……。」


 だが、犯人『ララノア』は顔をプイっと背けての知らん顔。

 約五メートルほど離れた位置に立っている船のマストの根元、その周囲を囲んで置かれている樽の一つに腰掛けて、膝の上に置いた布袋の中から確かな証拠物件『炒り豆』を取り出して食べ、その音をポリポリと響かせている。


 実を言うと、これが初犯では無い。

 言葉は違えども似た様なやり取りが繰り返されて、既に前科五犯。構って欲しいのかと言葉をかければ、この通り。


 もっとも、ララノアが拗ねているのは昨日から、その理由も解っている。

 昨夜、俺がリズが支店長を務める雑貨屋に泊まったからに他ならず、これはポーンシュに立ち寄る度、ララノアが必ず患ってしまう困った病だった。


 俺は『運命』というモノをあまり信じてはいない。

 その一言で全てを片付けてしまったら、自分の努力や選んだ選択肢が意味の無いものに感じてしまうからだ。

 しかし、ララノアとの出会いは『運命』の様なモノを少なからず感じずにはいられない。


 もし、大樹海を彷徨う俺とおっさんが毒キノコに手を出さなかったら。

 もし、ララノアのお父さんが衰弱しきっていた俺とおっさんを助けなかったら。

 もし、奴隷商人との取引の最中、ララノアが運んでいたお茶をうっかり零さなかったら。

 もし、捕まった際に負った頬の傷が原因で商品としての価値がほぼ無くなり、ララノアが売れ残っていなかったら。

 もし、ララノアと出会った時、たまたま奴隷商人が満足するほどの大金を持っていなかったら。


 そのどれか一つでも欠けていたら、俺はララノアを買わなかったし、買えなかった。

 それだけにララノアのお父さんと交わした約束に神聖なモノを感じて、俺自身もララノアと交わした約束を大事にした。


 本音を言ってしまえば、ララノアを手放したくなかった。

 トーリノ関門での二年半。同居して、身体を何度も重ねている内に愛情も、独占欲も湧いていた。


 だが、約束は約束。ララノアと交わした約束通り、コミュショーを初めて訪れ、その到着の忙しさが一段落した頃、皆と共に大樹海との境界線まで行き、俺はララノアを解放した。

 ララノアはこちらを何度も振り返りながら大樹海の奥へと消えてゆき、その姿を胸に焼き付けて、『これで良かったんだ』と自分自身を無理矢理に納得させた。


 ところが、ところがである。

 半年ほどが過ぎた頃。領主二年目の春先、ララノアはひょっこりと帰ってきた。


『父から許可は貰ってきた。これからは奥さんとして、よろしく』


 あの哀しい別れは何だったのか。幾ら無口とは言えども、そのつもりなら別れ際にそう言って欲しかった。

 これは俺だけの秘密。あの別れの日の夜、アリサにわんわんと泣いて縋り、色々な面で慰めて貰ったと言うのに。


 ともあれ、ララノアが帰ってきてくれ、心の底から嬉しかった。

 また嘗ての日々が戻り、これで『めでたし、めでたし』と思いきや、そうは問屋が卸さなかった。


 そう、妾として新たに加わったリズの存在である。

 アリサとリズは相性がとても良かった為、ララノアも大丈夫とばかり思っていたが、ララノアはリズが気に入らないらしい。


 どうやら、自分が居ない間に妾として加わった為、自分の居場所を取られたと勘違いしている様だ。

 そんな事は無いと何度も説得しているが、聞く耳を持たない。おっぱいが、おっぱいが、と返ってくる応えから察すると、リズの豊かな胸に強い嫉妬心も抱いているっぽい。


 一方、リズは逆にララノアと懸命に打ち解けようとしているのだが、暖簾に腕押し。

 ララノアはリズがそこに居ても居ないかの様に振る舞い、その現場を何度も遭遇する内、これは早急に問題を解決せねばと思い立った。


 女性の嫉妬とは恐ろしいもの。

 前の人生でも、今の人生でも、こんな贅沢な悩みは初めての経験だが、それだけは知識で良く知っていた。

 戦記、戦史、歴史書、その紐を解いたら男女の愛憎劇など幾らでも出てくるからだ。


 それ故、コミュショーとバカルディの中継地点として、ポーンシュに支店を作る提案がハーリから挙がっていたのは実にタイミングが良かった。

 何故ならば、リズは実家が宿屋を営んでいた為、計数を出来た。それを知り、モバーエ村の本店運営を手伝って貰ったところ、商売のセンスも少なからず持っている事が判り、軍事とは正反対に政務の人材に乏しい我が陣営にとって、その支店を任せられるのはリズ以外に居なかった。


 リズは嫌がったが、支店長を務めるのは三年間という約束で最終的に納得して貰った。

 三年も経てば、支店を任せられるだけの人材が見つかるか、後進が育ち、ララノアの胸も少しは育って、嫉妬も薄れているだろうと。


「はぁ~~……。何なんだよ。ったく……。」


 それから、半年。残念ではあるが、ララノアの胸は成長していない。

 そうした隠れた数々の苦労があると言うのに、この仕打ち。一度や二度なら可愛い嫉妬で許されるが、それが六度目ともなったら、さすがに腹が立つ。

 頭を右手でボリボリと掻きむしり、溜息と共にボヤきをつい漏らしてしまった次の瞬間だった。


「っ!?」

「……あっ!?」


 ララノアの息を飲む音が聞こえた。

 慌てて頭を掻いていた右手で口を塞ぐも時既に遅し。ララノアは背けていた顔を正面に戻すと、俺を鋭く睨み付けた。


「い、いや……。そ、その……。ち、違う! ち、違うんだ!

 ……って、痛っ!? 痛っ!? こら、止めろって! 痛ぁぁ~~~っ!?」


 その上、弁解をしながら近寄ろうとするが、ララノアは樽から飛び下りると、右手を布袋に突っ込んで炒り豆を一握り。

 前の世界における二月の風習『節分』の鬼払いの様に豆を投げ付けて近寄らせず、たまらず後退するが、ここは船首。あっさりと追い込まれて、豆を投げられ放題。


 挙げ句の果て、炒り豆がたっぷりとまだ詰まっている布袋をトドメと言わんばかりに思いっ切り振りかぶって投げてきた。

 弓の射手として素晴らしい才能を持っているララノアは投擲も素晴らしい才能を持っていた様だ。それはガードの為に顔の前に翳していた両腕の隙間を通り抜け、おでこへ見事に的中した。


 予想を遙かに超える痛み。

 インパクトの瞬間、上半身が仰け反り、船首から危うく落下しかけるのを踏ん張って耐える。


「ニート様の馬鹿! そんなにおっぱいが良いなら、おっぱいに埋もれて死んじゃえ!」


 だが、それが俺の限界だった。脳を揺らされたのか、腰から力が抜け、その場に尻餅をつく。

 ぼんやりとした視界に星が瞬き散る中、涙目のララノアが捨て台詞を残して走り去ってゆくのが見えた。




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