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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第八章 第三王子 ジュリアス編
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第06話 第三王子



「ニート、それをお願い」

「ほら」


 トーリノ関門の冬はとても厳しい。

 秋が訪れたと思ったら、一ヶ月も経たない内に雪が降り、冬があっと言う間に訪れる。


 最初の頃はまだ良いが、寒さが増し始め、除雪が次第に追いつかなくなるともう手に追えない。

 降雪量は日に日に増してゆき、たった一夜で見上げる程にまで積もる事さえある。


 こうなったら、現状維持を目的とした除雪に切り替えるしかない。

 家屋の一階を地下階として扱い、二階に予め設置してある玄関から家の出入りを行う。


 そして、ここからがトーリノ関門の冬本番。

 年末頃から猛烈な北風が吹き荒び、それが絶え間ない降雪と合わさって、猛吹雪と呼ぶのすら生温い超吹雪が発生する。


 立っているのも辛い強風が吹き、何処を見ても真っ白な視界ゼロの世界。

 濡れたタオルが数秒で立派な鈍器となる極寒であり、たった数メートル先にある隣の兵舎すら辿り着けず、方向を一度でも見失ったら凍死してしまうソレが最大で十日前後も続く。


 恐らく、これは渓谷という風が集まり易いトーリノ関門特有の現象だろう。

 事実、ニートの愛妾であるアリサ嬢の話によると、彼女が住んでいる村では超吹雪の様な酷い吹雪は起きないとの事。


「ジュリアス、頼む」

「はい、どうぞ」


 そういった事情から、雪が降り積もり出すと、ラクトパスの街から北の街道は完全に封鎖される。

 トーリノ関門の歓楽街で店を構えている商人も雪が降り出したのを合図に南下を続々と開始。冬籠もりをして、冬期間は店を閉めてしまう。


 つまり、冬のトーリノ関門は陸の孤島と化す。

 その上、超吹雪が発生したら、トーリノ関門どころか、兵舎の一軒、一軒が陸の孤島と化してしまうと言っても過言で無い。


 それだけに冬籠もりはとても大事なもの。

 雪が降り積もった後は地下となる一階を補強して、木窓は完全封印。冬の暖房に欠かせない暖炉の掃除と薪の備蓄などなど備える事は山ほど有る。


 とりわけ、食料の備蓄は最重要である。

 軍からの支給も有るが、それは週初めに行われる。もし、その週初めに超吹雪が発生していた時の事を備えて、自分でも少し多いと思うくらいに買っておく必要がある。

 前述にもあるが、超吹雪となったら隣の兵舎へ助けを求めるのも困難となる為、兵舎の一軒、一軒が何事も全てを賄わなければならない。


 その冬籠もりを怠ったが最後、その先に待っているのは不幸な事件しかない。

 実際、それが原因で去年は十二件の事件が起きている。凍死、焼死、窒息死、食料の奪い合いの果ての殺人と発狂などなど様々。


 そう、トーリノ関門の冬に王都の常識は通用しない。

 一年目は何もかもが初めてで解らず、近所中に迷惑を随分とかけて回った。

 超吹雪が発生している最中にめぼしい食料が尽き、一週間もサツマイモだけで過ごした時は気が変になりそうだった。


 二年目になる今年は随分と慣れて、今度は僕達がトーリノ関門一年目の者達へアドバイスする側に回った。

 今期、初となる超吹雪も難なく過ごして、『今年は大丈夫そうだな』と皆で口々に言っていた傍から失敗をしてしまった。


 仕事帰りに誘われて、ニート達が住む兵舎へ立ち寄り、ちょっとで済ますつもりがついつい長話。

 ついでだからと夕飯を食べて、酒まで飲み始めた上に良い気分となって寝てしまい、朝になったら今年二回目の超吹雪が到来していた。


 僕が住んでいる兵舎は二ブロックも先。

 たった一軒隣に移動するのにも命懸けの状況下、とても帰宅など出来る筈も無く、この家で既に五日間もお世話になっていた。


 ちなみに、僕が酒を飲み始めた段階でニャントーが伝令に走ってくれており、一緒の兵舎に住んでいる伯父さん達へ僕がここに居ると伝わっている為、そちらの心配は無い。

 ただ、去年も同様の出来事が何度も有り、伯父さんから『今年は気を付けろ』と口酸っぱく言われていただけに帰った時の事を考えると気が滅入る。


 だが、家に籠もりきりを強いられるのも気が滅入る。明日は晴れるか、晴れないか。

 そんな事を考えながら、みんなと夕飯を和気藹々と囲み、本日の調理番であるニートの創作料理『細切りじゃがベーコン揚げ』に舌鼓を打っていたその時だった。


「くっくっくっくっくっ……。」


 突然、ウィローウィスプ卿が含み笑いを始めた。

 思わず全員が何事かと視線を向けるが、何処吹く風。ウィローウィスプ卿は手に持つマグカップをマイペースに呷る。


 談笑が止んだ静寂の中、涼感を感じさせる音がカラン、コロンと鳴り響く。

 その正体はマグカップの中に浮かんでいる氷がぶつかり合う音。元々は今の季節ならどの屋根にもぶら下がっている氷柱であり、それを適度な大きさに砕いたのもの。

 それを北方領名産の酒に浮かべて飲むのが『粋』らしく、『寒い、寒い』と文句を列べながらも、わざわざ極寒の外へ採取しに行くのだから、酒飲みとは感心する一方で呆れるしかない。


「まるで長年を連れ添った夫婦の様ですな。殿下と大将は」

「「……はぁ?」」


 酔っぱらいの戯言か、笑い出したのも突然なら、話題も脈絡が無く、意味がまるで解らない。

 指名があった僕とニートは顔を見合わせて、お互いに首を傾げると、その心境を声を揃えて訴える。


「ぷっ!? はっはっはっはっはっ! そう、それそれ。それですよ。息がぴったりじゃないですか?

 さっきから、あれ、それ、だけで何が欲しいかをお互いに解り合っているし……。変な噂が立つのも仕方が無いかなってね」


 しかし、それが余計にウィローウィスプ卿の笑みを誘った。

 とうとう吹き出した上に腹を抱えて笑い、その指摘に直前までの自分達の行動を顧み、確かにその通りだと納得する。


 もっとも、僕とニートはトーリノ関門の司令官と副司令官。

 お互いの役職柄もあって、大抵は朝から晩まで一緒に居る事が多い。

 その後も今の状況が正にソレだが、この兵舎で夕飯を食べて、酒を飲み、その挙げ句に泊まってゆく事も多い。


 それ故、この兵舎にも僕の部屋があったりする。今年の春先、ネーハイム氏が気を効かせて作ってくれた。

 最近は私物もすっかりと増え、本音を言ってしまうと、本来の兵舎へ帰るのが面倒になっていたりもする。


 休日とて、大抵はニートと一緒に居る。

 その際の過ごし方は色々とあるが、狩りに出かける事が多い。

 おかげで、弓の腕前は随分と上がった。


 そもそも、僕がトーリノ関門の司令官となった目的はニートと友好を結ぶ為だ。

 だから、ここを訪れて以来、僕は自分にこれほどの積極性が有ったのかと驚くくらい積極的に近づき、ニートも嫌がらずに受け入れてくれていた。


「違いますよ! たまたまですって! たまたま!」

「たまたまねぇ~~?」

「くっ!? ……ジュリアス! お前も何か言ってやれ!」


 だが、僕とニートの関係が『友達』なのかと問われたら、僕は黙ってしまう。

 第三王子という身分が邪魔して、今まで『友達』と呼べる存在が一人も居なかった為、その距離感が今ひとつ解らないからだ。


 さりとて、相手に『僕達、友達だよね?』と問い質す馬鹿は居ない。

 それだけにウィローウィスプ卿が『夫婦』と、それも『長年を連れ添った』と僕達の関係を表現してくれたのが嬉しかった。確証をずっと、ずっと欲していた。


 なにしろ、『長年を連れ添った夫婦』とは大過なく過ごしてきた熟年夫婦を意味しており、それは男女における至上の仲と言えるもの。

 なら、それを男同士の友情に言い換えたら、それは『友達』を超えて、『親友』すらも超えた仲『無二の親友』と言えなくはないだろうか。


「……って、うぉぉ~~~い!

 ジュリアス君? どうして、君は顔を赤らめているんですかぁ~~?」

「えっ!? だ、だって……。」

「だって、じゃねぇ~~よ! 大体、その乙女チックな仕草は何なんだよ!

 只でさえ、お前は女顔でヤバいんだから、そう言うのは止めろって言ってるだろ! それとも、また男からプロポーズされたいのか!」


 他者から見て、僕とニートが『親友』以上の関係にあると認められて嬉しかった。

 その一方で妙に照れ臭かった。耳まで熱くなり、その顔を見られまいと俯くも喜びに居ても立ってもいられず、身体がモゾモゾ、ムズムズして堪らない。

 自分の三つ編みを持って、その尻尾の毛先を弄んでいたら、ニートが猛烈な怒鳴り声をあげた。


「な゛っ!?  ……僕の何処が女顔だって言うのさ!

 大体、アレは君のせいだろ! 君が無茶を言うから、僕はあんな恥ずかしい思いを!」


 激怒のあまり目を見開きながら絶句する。

 親しき仲にも礼儀有り。言って良い事と悪い事が有る筈だ。

 それが日頃から気になって、気になって、気になり過ぎているコンプレックスだったら尚更。カチンと来た。


 しかも、『男からプロポーズ』という思い出したくない過去を掘り起こすなんて有り得ない。

 それは今年のロンブーツ教国軍戦で遭った不幸な出来事であり、僕が記憶の奥底に封印したもの。


 脳裏に蘇ってくる嫌な思い出。

 頭を左右に素早く振って、それを振り払うと共に怒鳴り、テーブルを叩きながら椅子を蹴って立ち上がる。


「その割に随分と着飾っていたじゃないか? 化粧をして、胸に詰め物を入れた上にミニスカまで履いてさ?」

「それは君とララノア嬢がグルになって、そうさせたからじゃないか!」

「まあ、そうだな……。それは認めよう。

 だが、ジュリアス。ララノアは着替えの場には居なかった筈だ。

 だったら、見た目は仕方ないとしても、その中身まで女装する必要は無かったんじゃないのか?」

「……えっ!?」


 するとニートも受けて立つとテーブルを叩きながら椅子を蹴って立ち上がった。

 売り言葉に買い言葉。たちまち僕達はヒートアップしてゆき、怒鳴り合う毎にテーブルを叩いて騒音も撒き散らす。


「どうして、それをと言う顔だな?

 あっはっはっはっはっ! 馬に跨っていた時、ちゃんと見えていたぞ! 白と水色の縞パンがな!」

「覗くなんて、酷いよ! ニートのH! スケベ! 変態!」

「変態はお前だろうが! ……と言うか、その乙女チックな反応は何なんだ! まさか、本当にそうなのか!」


 今が夜だけに外が超吹雪でなければ、警邏の者達がどうしたんだと駆け付けるほどの大騒ぎ。

 しかし、それもまた嬉しくも楽しかった。今まで本気で怒鳴り合える相手が居なかっただけに。




 ******




「済まない。待ったか?」

「いいえ、僕もちょっと前に来たところです」


 超吹雪が通り過ぎた翌日は必ず初夏を思わす様な強い日差しの晴天になる。

 その日のトーリノ関門の城壁上から眺める渓谷側の景色が僕はとても好きだった。


 降り積もったパウダースノーが日差しにキラキラと反射して、大地の白と空の青が二つにくっきりと分かれた世界。

 それは幻想的な光景であり、幾ら見ていても飽きないが、ずっと見続けていると雪目になってしまうのが難点があった。


 逆側のトーリノ関門内側の光景もなかなか面白い。

 この晴れ間を逃してなるものかと駐留員総出でせっせと除雪中。

 犬達が暫く外に出られなかった鬱憤を晴らすかの様に吠えまくって、雪を積んだソリを懸命に引っ張って走っている。


 正しく、猫の手も借りたい忙しさとはこの事を言うのだろう。

 その忙しさの中、こんな所で景色を眺めている理由はサボっているからでは無い。今、階段を上ってきた伯父さんに呼び出されての事だった。


「ううっ……。やっぱり、寒いな。ここは……。」


 日差しが強いとは言え、今は冬の真っ直中。風が吹けば、当然の事ながら寒い。

 ここ、城壁の上は特にそうだ。渓谷を駆け抜けてきた冷たい風がモロに浴びる。


 僕はもう慣れたが、今来たばかりの伯父さんには辛い筈だ。

 伯父さんは身体を寒さにブルリと震わすと、両腕を忙しなくさすりながら早めの足踏みを行い、暖を懸命に取り始める。


 冬期間、トーリノ関門を訪れる者など居ないが、ここは国境を守る重要拠点。

 監視員が見張り塔に常駐してはいるが、機能している見張り塔は五つある内の一つであり、常駐員は三人しか居ない。


 除雪だって、各階段とその出入口周辺のみ。

 つまり、ここは他人へ聞かれたくない密談を行う場所としてはうってつけだった。


「伯父さんが何を言いたいのかは解っています」

「だったら!」


 だから、伯父さんがこんな所に僕を呼び出したのは何故か、その理由は見当が付いていた。

 それを先んじて告げると、伯父さんは暖を取るのをピタリと止め、眉をカッと跳ねさせながら怒鳴り声をあげた。


「初めて出来た友達なんです」

「それは解る。しかし、だな……。」


 しかし、澄み渡った青空を一旦見上げて、言葉を穏やかに重ねた途端、伯父さんは勢いを失う。

 一言、二言、何かを怒鳴りかけるも結局は口に出さず、その代わりに白く細長い溜息を漏らすと、それっきり口籠もってしまい、たまに風がピュー、ピューと駆け抜けてゆく音だけが響く。


 伯父さんがこんな所に僕を呼び出した理由、それは僕とニートの仲が近すぎるのを窘める為だ。

 近すぎて、何が悪い。それが僕の偽りの無い本音だが、残念ながら第三王子としての立場がそれを許さないらしい。


『今はまだ良い。声を大にして叫んでいる訳でも無いし、三人か、四人程度だからな。

 だが、こういう不満は一気に爆発するもんだ。そうなったら、親衛隊はガタガタになるぞ? そうなる前にレスボス卿との関係を少し控えろ』


 将来性が殆ど無いと言っても過言でない僕の親衛隊でも人気がそれなりに有り、募集をかけようものなら多くの者が集まる。

 その理由は簡単。無役の士爵位だけを持つ者は数多に居り、親衛隊の一員となれたら、役職手当が支給されるからに他ならない。


 だが、募集は基本的に行っていない。これは僕に許された歳費がそれほど多くないからだ。

 誰かしらの推薦状を持っているのが入隊テストを受ける大前提となっており、入隊テストは武術と馬術の一次審査、親衛隊隊長の伯父さん達と面接する二次審査、僕と面接する最終審査。この全てに合格しなければ、親衛隊の一員にはなれない。


 はっきり言って、狭き門である。

 だからこそ、いきなり現れたニートの存在が許せないのは解らなくも無いが、伯父さんから注意されても僕はニートとの関係を変えようとしなかった。


 ニートと共にある時、感じる心地良さ。

 それを知らない以前なら違ったが、知ってしまった以上、どうしても手放すのは嫌だった。


 そもそも、僕とニートは境遇が良く似ている。

 これだけ取ってみても、シンパシーを大きく感じられる上にニートは大きな魅力を持っていた。


 それはどんな生まれの者に対しても分け隔てが無い心を持っているという魅力。

 ニートは自分の非を認めれば、奴隷と言えども頭を素直に下げる。その光景を初めて目の当たりにした時は開いた口が塞がらなかった。

 逆に言うと、王族だろうが、大貴族だろうが、相手に非があれば、拳を振り上げるのも厭わない。その最たる例が騎士叙任式での出来事だろう。


 そんなニートだからこそ、僕は気楽に接する事が出来た。

 伯父さんは僕と対等な言葉遣いを使ってはいるが、それは僕が何度も強く頼んだ結果に過ぎない。

 今、僕が第三王子としての態度に切り替えたら、伯父さんはたちどころに言葉遣いを改めるに違いない。

 それが普通だ。奴隷、平民、貴族、王族、その身分差は誰の心にも根付いている畏怖であり、尊厳である。


 しかし、ニートは身分に垣根を持っていない。

 ニートが基本的に敬うのは尊敬が出来る年上であり、その証拠に役職が下のウィローウィスプ卿へ対する言葉遣いは丁寧なもの。


 また、貴族と平民。その世間体を考えて、言葉遣いを部下に対するものを使っているが、ネーハイム氏も尊敬しているのが、日頃の会話の端々から解る。

 それを踏まえて考えると、ニートは公の場なら僕を立ててくれるだろうが、プライベートの場で僕が第三王子としての態度を取ったとしても、呆れ顔で『何、格好付けているんだ?』と返してくるのではないだろうか。


「伯父さん、憶えていますか? 

 僕が十二歳になった時、初めて王城からの外出を許されて、あの生まれ育った下町へ一緒に行った時の事を……。」

「ああ、勿論だ」

「トロア、ビスク、コロナ……。友達だった筈のみんなが僕を見た途端、土下座をしてさ。

 そうそう、僕を良く虐めてくれたガキ大将のニルスも居たな。真っ青な顔でブルブルと震えちゃってさ。

 いや、最初から解っていた筈なんだ。あそこに戻りさえすれば、また一緒に遊べる。そう考えていた僕が間違っていたって……。」


 すぐ隣にある雪の壁から雪を手に取り、丸めて作った雪球を国境側の渓谷へと投げる。

 当初、それは意味の無い行動だったが、その落下地点に黒い点が三つも出来ると、妙な禁忌感を覚えて興が乗り、雪球を次々と作っては放り投げて、無垢な白いキャンパスを汚してゆく。


 だが、遠投に慣れていない肩は十球を投げた辺りで痛みを訴え、切りの良い十五球を数えたところで止める。

 コントロールを気にしないで投げていたせいか、落下地点はバラバラ。最も遠いところに作られた黒い点は、ここから百メートルは悠に超えている。


「……ジュリアス」


 まだ投げ足りない気分だったが、その飛距離に満足。

 右肩をグルグルと回しながら振り返ると、伯父さんは僕を暫し見つめた後、その視線を地面に落とした。


 伯父さんもまた人生の道を強いられた一人。

 それも大人になってから。貴族になる前と後で変わった交遊関係は僕以上のモノが有る筈だ。

 今、僕が語った話に思うところが有るのだろう。伯父さんの表情は苦みに満ちていた。


 僕と伯父さんは似た者同士。

 なるべく迷惑はかけたくないが、僕にも譲れないモノがある。


 いや、ソレが出来たと言うべきか。

 第三王子となって以来、僕は様々なモノを諦めて、与えられるモノだけで満足してきたが、これだけは自分で見つけて、自分で望み、ようやく手に入れたモノ。一歩も退くつもりは無かった。


「どうせ、あと三ヶ月ですよ。

 そして、僕の任期はまだ一年も有る。だったら、そんな不満はすぐに消えてしまうんじゃないかな?」


 ましてや、残された時間は少ない。

 雪解けの春が来て、街道の封鎖が解けたら、ニートは王都へ帰ってしまい、僕はここに残る。


 その後の事は解らない。

 ニートは南方領領主筆頭のオータク卿と懇意にしており、その縁でレスボス領には帰らず、オータク領に呼ばれているらしい。

 どういう形で赴任となるのかは解らないが、今の様に四六時中を一緒に居られる事は出来なくなる。即ち、今の様にしていられるのは今を除いて他に無い。


「解った……。親衛隊は俺の方が何とかしておく。でも、気には留めておけよ?」

「はい」


 その思いが伝わったのかは解らない。

 だが、伯父さんは根負けしたかの様に溜息を漏らすと、後頭部を右手で掻きむしり、僕の願いを面倒臭そうながらも受け入れてくれた。


 そして、気を効かせてくれたのだろう。

 伯父さんは間を置かずに階段を下りて行き、その気配が完全に消えるのを待って、心の赴くままに右拳を雪の壁に思いっ切り放つ。


 常に渓谷からの強い風に晒されている城壁の上は、腰辺りの高さからは新雪しか積もらない。

 当然、右腕はあっさりと肩まで深々と突き刺さり、その手応えの無さに満足感を得ず、左拳も続けざまに放ち、更に右拳、更に左拳と交互に連打を浴びせてゆく。

 見上げるほどに積もった雪の壁の中程が削られ、その出来た穴の上にある雪が自重に負けて崩れ落ち、ちょっとした雪崩が襲ってくるが、それこそが僕の狙い。


「どうして、僕は……。なんかに……。」


 雪崩の勢いに圧されて倒れる途中、舞い広がる粉雪の中に埋もれて消えた言葉。

 それは他者から見たら恵まれている僕が絶対に言ってはならない言葉であり、絶対に聞かれてはならない言葉だったからだ。




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