第04話 君の隣に立ちたくて
「そう、それでその……。」
「トーリノ関門です」
「ええ、そのトーリノ関門の防衛司令官になりたいと?」
「はい、母上」
宮廷の人事権は姉上の派閥が、軍部の人事権は下の兄上の派閥がほぼ握っている。
その為、人事に関して、希望は出せるが、彼等の思惑から大きく外れている場合、その希望はまず通らない。
しかし、僕は『トーリノ関門防衛司令官』の役職がどうしても欲しかった。
ニートの隣に立てたなら、この窮屈な日常から解き放たれ、暗いばかりの未来にも明かりが少しは差してくれるのではなかろうかという期待があった。
その高揚感の前に自重など出来ず、トーリノ地方から王都へ帰ってきた翌日。事後処理の事務仕事を伯父さんに全て放り投げて、面会を申し込み、初めて公的な我が儘を願った。
僕の後見人であり、僕が『母上』と呼ぶインランド国王正妃『アイーシャ・デ・アナハイム・ケイシス・インランド』に。
どうして、母上が縁もゆかりも無い僕の後見人となってくれているのかは解らない。
父に頼まれたのか、何らかの政治的な意味合いなのか。それとも、考えもつかない別の理由なのか。
だが、これだけは自信をはっきりと持って言える。
僕と母上の間に血の繋がりは無いが、母上は僕にとっての二人目の母であり、母上も僕を実の息子だと感じてくれていると。
『この春でお前も成人を迎える。だから、一人の男として選べ。
このまま王族として、ここに残るか。それとも、王族としての身分を捨てて、子供の頃の夢を叶えるか。
俺としては後者を選んで欲しい。自由を、それがお前の母との約束だからな。……だが、お前の人生だ。無理強いはしない』
それ故、騎士叙任式の一ヶ月ほど前、父から呼び出されて、そう問われた時、父の希望とは逆を躊躇わずに選んだ。
一瞬、とうの昔に諦めた冒険者となる道が頭に浮かんだが、亡くなった母さんに代わり、新しい母となってくれた母上に対する恩返しの為にもそれは選べなかった。
陰謀が渦巻く王城。庶子である僕は子供の頃から数多の悪意に触れてきた。
僕に対する陰口だったり、飼っていた犬の突然な不審死だったり、その程度は大小様々。
今になって考えてみると、あれは僕を狙った暗殺だったのではと思われる出来事も一度や二度では無い。
父は国王として中立を保っているのか、派閥争いもそうだが、敢えて見て見ぬフリや見逃している節が有る。
年に一回か、二回。前述の様に僕を秘密裏に呼び寄せて、質問と共に大きな選択肢を迫り、気を使ってくれているのは解るが、基本的に宮中での騒ぎにいちいち口を出したりはしない。
そんな中、今日まで僕が生きてこられたのは母上の存在が大きい。
先生を指南役に選んでくれ、レスボス家という大きな後ろ盾を得られたのも母上のおかげなら、伯父さんを筆頭とする親衛隊の必要性を父に説き、僕の親衛隊が結成されたのも母上のおかげ。
そう、母上が防波堤となって、僕を守ってくれていたのである。
だったら、その恩に応えるのがヒトとしての道。今度は僕が母上を守る番と言えないだろうか。
この数年、王太子である上の兄の病状は酷くなるばかり。
今や、食事や排泄ですら介護を必要とするまでに衰えてしまい、寝ている時間も多くなっている。
正直、その余命はあと数年といったところだろう。それを上の兄上自身も自覚しているのか、最近は弱気になっている事が多い。
母上が正妃たりえるのは王太子であり、実子の上の兄上の存在があってこそ。
上の兄上の病弱さを理由にして、口さがない連中はこう叫んでいる。正妃は強国たる我が国の正妃に相応しくないと。
その声はこの国に三つの派閥が出来る前から存在しており、三つの派閥が出来てからはますます大きくなっている。
もし、上の兄上が亡くなったら、その声がますます加速するのは目に見えていた。
父が健在の内はまだ良い。
父と母上の仲は今も良好であり、国王という絶対無比な存在が母上を守ってくれるだろうが、それも絶対とは言えない。
あまり見たくない光景だが、年老いた王が若い美姫に溺れ、それまで支えてきた妻を蔑ろにする例は歴史書の中にも数多く存在する。
ましてや、母上と姉上の仲は険悪を通り越して、最悪。
その昔、姉上を生んだ母親と母上の間にあったらしい確執を姉上が引きずり、母上を一方的に嫌っているだけなのだが、その傾向は派閥が出来る前から少なからず有り、派閥が出来てから完全に駄目となった。
まず間違いなく、姉上は上の兄上が亡くなったら、母上を排斥しようとするだろう。
姉上の母親がそうなった様に国元へ戻されるだけなら良いが、その手段が幽閉だったり、命そのものを狙うものだったら、それはさすがに許せない。
その時こそ、今度は僕が母上を守る番だ。
姉上や下の兄上の力には及ばないが、いざとなったら母上をこの国から逃がすだけの力くらいは僕も持っている。
ある意味、それこそが僕の生きる目的だった。
次代の王に僕を推す者達に申し訳ないが、僕自身は王になるつもりなど無い。そんな野心は一欠片すらも持っていない。
そもそも、その可能性など万に一つも無い。
だが、力は必要だ。その力で母上を守る為、僕は僕の派閥を利用していた。
しかし、新たな生きる理由が加わった。
ニートを僕の人生に巻き込んでしまう後ろ暗さはあったが、それを眩しく照らし尽くしてしまうほどにニートという輝きは僕にとって大きかった。
その輝きを少しでも感じて欲しく、騎士叙任式の際にあった出来事から先日まで赴いていたトーリノ地方での戦いに至るまでを母上に切々と語った。
ちょっと興奮して、身振り手振りを交えたが為、テーブルの上のティーカップを倒してしまう失敗はあったが、母上はたまに相づちを打ちながら僕の話を面白そうに聞いてくれた。
「そうねぇ~~……。うん、解ったわ。
滅多に無いジュリアスさんのお願いだものね。お母さん、お父さんを張り切って説得しちゃうわ」
「ありがとう御座います!」
そして、最後に結んだ僕の我が儘に対して、母上は右肘を左手で持ち、右手を頬にあてがいながら首を暫く傾げて考え込むと、満面の笑顔で頷いた。
これで来年度の『トーリノ関門防衛司令官』の座は僕に決まったも同然。思わず目を輝かせながら椅子を蹴って立ち上がる。
生まれは王族だが、その出身が小国のせいか、母上は正妃でありながら華美を好まず、質素を好む。
今、母上は『滅多に無いお願い』と称したが、それは母上自身にも言え、母上は父に何かを強請ったりする事は滅多に無く、逆に父からもっと着飾れと宝石やドレスを贈られる事が多い。
それだけに父は母上の滅多に無い『お願い』にとても弱い。
事実、先生が僕の指南役を務めているのは母上の『お願い』があってからこそ。
下の兄上も幼少の頃、指南役に先生を強く望んだらしいが、先生はこれを断っている。
姉上の派閥と下の兄上の派閥が人事にどれほど強い権限を持っていたとしても、国王の一言には勝てない。
来年度からはニートと共に居られる。その喜びに早くも来年度が待ちきれず、心がウキウキと弾んで沸き立つ。
「反たぁ~~い!」
「えっ!? ……うおっ!?」
だが、その喜びに水を差す叫び声が突如にして響き渡った。
顔を声がした方向へ反射的に振り向けると、僕達が居る庭園の東屋を囲む垣根の中から少女が駆け現れ、その勢いのままタックルするかの様に僕へ抱き付いてきた。
彼女の名前は『ミント・デ・マールス・ケイシス・インランド』、母上の実子であり、今年で十二歳になる僕の妹。
その髪に数枚の葉っぱが絡み付いており、スカートの膝部分が土汚れているところから察すると、僕達を脅かそうとでもしたのか、ここまで四つん這いになりながら近づいてきたに違いない。
「反対! 反対、反対、反対! 大反対!
ニートだなんて、いかにも穀潰しみたいな名前! お兄様は騙されています!」
「あらあら……。盗み聞きなんて、はしたないわよ? ミントさん」
何故ならば、この東屋は庭園の花々を眺める為、庭園の中心に建てられており、その床は庭園の地面より高く、腰の高さくらいに床がある。
つまり、東屋に近づいてくる者が居たなら、テーブルに向かい合って座っていた僕か、母上のどちらかが絶対に気付いていた筈なのだ。
その証拠として、ミントが現れた垣根側を監視していた母上の護衛役である女性騎士が申し訳なさそうな苦笑を浮かべながら両手を合わせて謝っている。
この分だと腰で結ばれている両手も汚れているのは確実だろう。思わず溜息をやれやれと漏らす。
「お母様も、お母様です! どうして、賛成なんかするんですか!
この三ヶ月の間、どんなに寂しかった事か! それなのに今度は何年も会えなくなるなんて、ミントは絶対に反対です!」
「いや、すぐにって訳じゃないから……。来年の話だよ」
「来年だって、嫌です! 嫌ったら、嫌! お兄様、ミントと一緒に居て下さい!」
しかも、この件をミントに知られてしまったのは完全な失敗だった。
父の決定が既に成された後なら、それを大義名分に説得もまだ簡単だったが、こうなってしまうと姉上の派閥や下の兄上の派閥以上の難敵が出現したと言うしかない。
ミントは涙を瞳に溜めながら、顔を左右にイヤイヤと振りまくり。頷いてくれるまで離さないぞと言わんばかりに僕を力強く抱き締める。
困り果てて、視線を母上へ向けるが、母上はニコニコと微笑んで見守っているだけ。どうやら、自分で何とかしろという事らしい。
三ヶ月前、トーリノ地方へ援軍に赴く際も随分と宥めるのに苦労した。
その時は『すぐに帰ってくるから』と誤魔化したが、同じ手はもう二度と効かないだろう。
これがまだ他の役職なら誤魔化せたが、『トーリノ関門防衛司令官』は下の兄上が務めていた前例がある。
その時、三年半ほど王都に帰ってこなかったのをミントは憶えているっぽい。『何年も会えなくなる』と言った辺りから、それが解る。
今一度、溜息が漏れそうになるのを堪えた。
僕を慕ってくれるのは嬉しいが、そろそろ兄離れをして貰わないと困る。
その密着している膨らみはもう十分に女性と言えるだけの感触を持っているのだから。
そこまで考えに至り、ふと頭の中を閃きが走った。
母上譲りの白い肌と美しい金髪。澄み渡った青空の様な蒼い目。
兄としての贔屓目無しに見ても器量好しであり、そのスタイルは痩せてもいなければ、太ってもいない。
お尻はスカートに隠されていて解らないが、腰は細い。胸だって、十二歳の年齢でコレなら、その将来は有望であるのは間違い無い。
当然、ニートも気に入ってくれるに違いない。
女好きという点は兄として気になるが、ニートとミントがもし結婚したら、僕とニートは必然的に兄弟となる。
言うまでもなく、今のニートの身分では困難どころか、絶対に無理と言わざるを得ない未来だが、ニートはこの先もきっと出世する。
それだけの才と運を持っていなければ、あのトーリノ関門における逆転劇は決まらない。
「ねえ、ミント……。今、好きな人とか居るのかい?」
「……えっ!?」
「もし、居ないんだったら……。」
ミントだって、あれだけの男だ。会えば、きっと気に入る筈だ。
今すぐは無理でも、いずれはニートを紹介しよう。そう考えて、抱擁を解き、ミントの肩を掴んで問いた。
「そ、そんな……。い、いきなり、何を……。
で、でも、お兄様がその気なら……。ミ、ミントは……。ミ、ミントは……。んちゅぅぅ~~~……。」
「ち、違う!」
すると何を勘違いしたのか、ミントは両手を胸の前で組みながら目を怖ず怖ずと瞑り、突き出した唇を僕の唇へと近づけてきた。
慌ててミントの顔を掴んで止めるが、これが意外なくらいに力強い。目一杯に押し返しているにも関わらず、ミントの唇はより接近して、僕の身体は仰け反ってゆく。
「あらあら……。二人とも仲が良いのね。母さん、嬉しいわ」
「い、いや、そうじゃなくって!」
ところが、この息子のピンチを目の当たりにして、母上はニコニコと微笑んで見守っているだけ。
おまけに、僕等を護衛している女性騎士達やお茶の給仕を行っているメイドさん達もクスクスと笑い、誰一人として助けてくれない。
その結果、一歩、二歩、三歩と後退。背を垣根に塞がれて、バランスを崩してしまい、僕とミントは垣根の中に倒れ込んだ。
「……って、うわっ!?」
「キャっ!?」
しかし、この一件が意外にもヒントとなり、おでこにキス。それと引き換えに僕はミントの説得に成功した。
但し、その日からトーリノ関門へ赴くまでの毎朝と毎晩、おはようとおやすみの度にソレを強いられる事になるとは思ってもみなかったが。