幕間 その1 コゼット視点
ニートが忘れ物のモーモー鳥を山小屋へ取りに戻っている頃……。
明日の収穫祭に備えて、コゼットは村長の娘として、ケビンから命じられた作業をせっせと勤しんでいた。
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「全く、もう! エステルに甘いんだから!」
村中央の広場に隣接して建てられている村一番の大きな建物。様々な用途に使われている共同貯蔵庫の目録作りは私の役目。
この役割を与えられた当初は、領主様へ収める税も倉庫内に含まれている為、無駄口など叩く余裕は全く無かったが、今ではすっかりと慣れたもの。
こうして、愚痴りながらも出来てしまう。
無論、その内容はエステルに関するもの。ニートは『無い、無い。有る筈が無い』と笑って否定するが、エステルはニートに恋心を絶対に抱いている。
実際、さっきだって、そうだ。私の誕生祝いがイノシシに対して、自分の誕生祝いがモーモー鳥だと知った時のあの勝ち誇った笑み。絶対に間違いない。
ただ、いつも思うのだが、この話題をあげる度、ニートは真っ向から否定した後、必ず『俺なんて』と溜息をついて繋げる自信の無さは何故なのだろうか。
恋人の贔屓目を取っ払ったとしても、ニートはなかなかの二枚目。性格だって悪くないし、皆が感心するくらいの働き者。
実際、今年の春に隣の村へ嫁いだ一歳年上のアンナさんはニートが好きだったらしい。
しかし、私とニートの仲へ割り込めそうに無かったから諦めたと嫁ぐ前日にこっそりと明かしてくれた。
それを聞いた時、つくづく思った。十年前の流行り病で亡くなった者達に不謹慎ではあるが、同世代に私とニート、アンナさんの三人しか居なくて、本当に良かったと。
だが、まだ油断は出来ない。
今夜、ニートがお父さんに私との結婚を申し込み、その許可が出て、初めて私の勝利は確定する。
なにしろ、私の胸は小さい。毎日、悩むほどに小さい。
正直なところ、ブラジャーは着けているが、あまり必要性を感じない。裸になって見下ろすと、膨らみは申し訳程度でしかない。見栄だけで着けている。
どうやったら大きくなるのか、ヤギの乳を飲むと良いらしいと義姉さんから教えられて、朝晩を欠かさず飲んでいるが、その兆候は一向に見えてこない。
ところが、そうと聞いた訳ではないが、ニートは胸が大きい女の人が好きっぽい。
私は密かに知っている。その昔、ニートは共同浴場に行くと、村のお姉さん達の胸を盗み見ては子供の癖にアソコを大きくしていたのを。
当時、ソレが子供心に不思議で仕方なかった。父さんのも、兄さんのも、村の男の大人達のも、子供達のも、ニートの様になっていなかったから。
ただ、ニートがソレを懸命に隠していたものだから、人に喋ってはいけない病気か、何かだとばかり考えていた。
それ故、三年前の十二歳の収穫祭の時、村のお姉さん達から性教育を受け、その原因を初めて知った時は愕然とした。
翌日、試しにニートとお風呂に一緒に入り、ニートのアソコが完全な無反応だったのを見て、激しく落ち込んだのは思い出したくない思い出。
その頃の私の胸はまだ成長を始めておらず、小さな子供達と同じでぺったんこだった。
だからこそ、まだ雪が降り積もる前の二年前の冬。共同浴場にて、エステルの裸を見た時は驚くしかなかった。
何故ならば、十三歳の春にして、ようやく私の胸は膨らみ始めたと言うにも関わらず、なんとエスセルは九歳にして、その兆しが見え始めていた。
その上、私のお母さんとエステルのお母さんを見る限り、将来性でもエステルの方が断然に上なのだから焦りに焦った。
一応、ニートとはお互いに好き合っており、親同士の間でも半ば婚約が結ばれていた。
それでも、このままではいけないと焦り、思い悩んだ末、義姉さんに相談。その忠告に従い、ニートを誘惑した。
二年前の猛吹雪の日。近所とは言えども自宅に帰るのが厳しく、ニートの家に泊まった夜。
ニートのベットに潜り込み、『寒い』と言って抱き付いたが、幾ら待てどもニートは何もしてこず、こうなったら女は度胸と決意して、こちらから誘った。
それ以来、私達は隠れて、アレをする様になった。最近、ちょっと歯止めが効いていなかったから、兄さんに叱られたのは良いきっかけだったかも知れない。
「大体、ニートは押しに弱いのよ! 押しに!」
この際、ニートに対する不満を挙げるなら、それは恋愛に関してだけではない。
ニートは子供の頃から自分を何かと低く見る傾向があり、それを父さんと兄さんは『驕らず、出しゃばらず、美徳だ』と褒めるが、最近になって、それはちょっと違うかなと思う様になった。
多分程度の何となくではあるが、ニートの場合は自分自身に自信が持てていないのではなかろうか。
もっとも、確証は無い。それを相談したくても、私よりニートを良く知っているフォートおじさんは残念ながら今年の夏に亡くなってしまい、どうする事も出来ない。
その自信の無さのせいだろう。ニートは誰かと対立した時、ある一線を越えると大抵は退く。
相手を立てる事自体は悪くないと思うが、ニートの場合はどうしてとやきもきする場面が多い。
ニートは解っていない。どれだけ自分が村に貢献しており、村に無くてはならない人物となっているかを。
フォートおじさんは確かにとんでもなく強かったが、ニートも負けてはいない。と言うか、フォートおじさんを比較にするのが間違っている。
年齢を考えたら、ニートはまだまだこれから。フォートおじさんとて、ニートの年頃はあそこまで強く無かった筈だと思う。
その証拠にうちの村は熊などの害獣は勿論の事、ゴブリンと言った魔物が近づかず、今の子供達はゴブリンを見た事すら無い。
今でも子供心に憶えている。毎年、秋になると飢えたゴブリンやコボルトの集団が村を襲ってくる為、秋から冬にかけて、父さんが冒険者を必ず雇っていたのを。
事実、フォートおじさんも最初はそうだった。その腕っ節と誠実な性格を気に入り、是非ともうちの村の猟師になってくれと頼んだのは父さんだった。
それだけにフォートおじさんが今年の夏に亡くなった時、最も困ったのは父さんだろう。また今年から冒険者を雇わなくてはならないと。
だが、結論を言えば、畑の麦や作物が実り、今は収穫を半ば終えたが、魔物の襲撃は一度も起こっていない。
父さんの話によると、魔物の世界は弱肉強食が厳しい為、強者とテリトリーに敏感であり、自分達が脅かされない限り、強者のテリトリーに踏み込んでくる事は滅多に無いらしい。
つまり、うちの村が安全なのはニートが居るからこそ。一週間ほど前だったか、冒険者を雇うかで迷っていたお父さんも、ニートはフォートおじさんの跡を継いで立派に役目を果たしていると太鼓判を押してくれた。
そう、ニートはもっと堂々として良い。『うちの村は俺が守っているんだぞ』と威張って、悪口を言う人達を黙らせてもバチは当たらない。
「そうよ! ニートが悪い! 私は悪くない!」
ついでに零すと、もう一つの疑問。
ニートは自身の名前に対して、極々希にだが、とても微妙な顔をする時がある。あれは何だのだろうか。
ニートと言ったら、誰もが真っ先に思い出すのは『光の槍』の二つ名で呼ばれている英雄『ニート』の物語。
今からずっと昔、私達が住んでいる国の隣の隣の国だったか、実在した人物。仕えた王様に絶対の忠誠を誓い、その王様の窮地を何度も救い、騎士の中の騎士と呼ばれるにまで至る話。
また、その二つ名で解る通り、英雄『ニート』は槍の名手。フォートおじさんも、ニートも棒を得意としているが、あれを槍と考えたら、ニートの名前の由来がこの英雄『ニート』であるのはほぼ間違いない。
ところが、この名誉ある名前がニートはどうもお気に召していないらしい。
もしかしたら、英雄と讃えられている人物と比較されるのが嫌なのだろうか。それなら解らないでもないのだが、ニートの場合は何となく違う気がする。
「コゼット、ここに居たか!」
突如、切羽詰まった怒鳴る様な大声。
当然、考え事は強制的に中断。目録を作る手も止めて、背後を振り返ると、兄さんが息を切らしながら血相を変えていた。
「ど、どうしたの?」
「たった今、先触れが来た! 領主様のじゃない! 知らない貴族様のだ!」
「……えっ!?」
その明らかに尋常でない様子に嫌な予感を覚え、それは当たらなくても良いのに的中してしまう。
幸いにして、うちの村を管轄する領主様は先代様も、今代様も立派な御方であり、凶作の時は一緒に悩んでくれ、時には税を下げてくれるお優しい方。とても私達は助かっている。
しかし、村長の娘として、父さんに教えられた。貴族の中で領主様の様な御方は希有な存在であり、大抵の貴族は民を人とは思っておらず、虫けらの様に扱う。領主様以外、誠実な貴族はお伽噺の中でしか知らないと。
そして、村長の娘だからこそ、聞きたくない噂も聞く。『悪事、千里を走る』と言うが、たわいもない理由から無礼打ちされたとか、若い娘が手込めにされたとか、貴族の理不尽な振る舞いに関する噂が月に一、二回は村に届く。
「今すぐ、女と子供を集めて、森へ……。いや、適当な空き家で良いから、今すぐ隠れろ!」
「解ったわ!」
「イルマがこっち側を集めている! お前は村の東側を頼む!」
だが、村のみんなはソレを知らない。すぐさま羽ペンと帳簿を投げ捨てると、この緊急事態を村のみんなに伝えるべく全速力で駆け出た。
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「しっ! 静かにして……。」
あまり騒ぎ立てては気取られて意味が無い為、声を潜めながらも村は大騒ぎとなった。
そうこうしている内に村の広場に現れた貴族様の馬車は、あまりにも豪華すぎて絶句するしかなかった。
まず馬が四頭立てという時点で既に豪華なのだが、その馬が村にいる馬とまるで姿が違う。
貴族様の馬は細身ながらもシャープ。足も長くて、毛並みは艶やかだが、村の畑を耕す馬はずんぐりむっくり。同じ馬なのかと思うくらい優美さに差が有る。
馬車とて、私達が知る幌が張られた馬車とは違う。
正しく、動く部屋と言うべきか。木で作られた箱形であり、金色の装飾が至る所に施されて輝き、カーテンが閉めきられていて、その中は見えないが窓にガラスが入っている。
しかも、その馬車を守る兵士の数は五十人以上。その内の十人ほどは私達より上等な服を着ており、とても旅装とは思えない豪華さ。
「みんな、ちゃんと居る? お互いに確かめ合って」
広場とは川を間に挟んだ空き家から窓をほんの少しだけ開けて、広場の様子を皆で代わる代わる覗き見をしているのだが、誰もが広場を見た後は驚きに声を失っている。
当然だろう。年に一、二度、うちの村へ視察に来る領主様の馬車だって、私達から見たら豪華なのが、あの馬車は領主様の馬車の数倍は豪華。貴族様の身分の高さが伺い知れた。
但し、貴族様本人は姿を見せない。
馬車は留まっているが下りて来ず、先ほどから代理の人だろうか、やっぱり上等な服を着た男の人が父さんと兄さんの二人と喋っている。
ただ、遠目で見る限り、どうやら何かの交渉は上手くいっていないらしい。地面に正座する父さんと兄さんは頭を頻りに下げており、その後ろにいる名主の二人に至っては土下座をしたっきり、頭を上げない。
その様子に涙が少し出てくる。
うちの村の領主様でも無ければ、突然にやって来て、父さんや兄さん達があそこまで頭を下げなければならない理由は何だと言うのか。
挙げ句の果て、本人は姿すら見せていない。まるで自分と私達は違うと言わんばかり。
「あれー? エステルお姉ちゃんが居ないよー?」
「えっ!?」
しかし、そんな疑問など吹き飛んでしまう驚愕の事実がある女の子から告げられる。
これ以上なく見開ききった目を振り向かせて、広場を覗いている窓以外は閉めきった薄暗い部屋をキョロキョロと見渡すが、その姿は見つからない。
慌てて子供達を集めているこの部屋から隣の部屋。幾ら叱っても突然の危機が解らず、まるで土砂降りが降ってきた時の様にはしゃいで落ち着かない子供達とは違い、怯えきった若い女性達が集うリビングへ駆ける。
「どうしたの? 何かあった?」
「実は……。」
当然、リビング全員の視線が何事かと一斉に集まり、明らかに焦った私の様子に動揺が走る。
だが、その中にエステルの姿は見つからない。ここに居る子供達は母親を必要とする赤ちゃんや幼児ばかり。
私が子供達を宥める役なら、義姉さんは若い女性達を宥める役。その義姉さんがみんなを代表する様に立ち上がり、その疑問に応えようとした次の瞬間だった。
「エステルお姉ちゃん、居たよー」
「トイレに行っていたみたいー」
子供達が居る部屋から朗報が入り、思わず胸をホッと撫で下ろして安堵の溜息を漏らす。
どうやら、それで察してくれたらしい。義姉さんは私を労る様に微笑んで頷くと、再び床に座り戻り、そんな義姉さんに頷き返して子供達が集う部屋へ戻る。
しかし、この時は安心が大きかった為に気付いていなかった。この家はトイレへ行くのも、帰るのも、私達が居る部屋。リビングを必ず通らなければならないのを。
「もうっ……。エステル、駄目じゃない。
トイレだからって勝手に何処かへ行くなんて……。って、あれ? エステルは?」
「あそこー」
「……えっ!?」
そして、事態は最悪の方向に向かっているのを知ってしまう。
部屋を再び見渡すが、エステルの姿は見当たらず、私の問いかけに数人の子供達が窓へ向かって指さしながら応える。
一瞬、その意味が解らず、首を傾げて呆けるが、すぐに子供達が言っている意味を理解して息を飲んだ。
そう、子供達が言っていたトイレは村の広場にある共同のトイレ。この家のトイレではなかった。
だが、共同トイレは共同貯蔵庫の隣。真っ先に調べた場所だったにも関わらず、エステルは何故に見つからなかったのか。
恐らく、それは今の今までトイレから出てこなかったところから察すると、エステルの用事が大きい方だったからではなかろうか。
私とて、同じ状況下で居るかどうかを問われたら、小さい方ならまだしも、大きい方だったら幾ら同じ女とは言えども、エステル同様に恥ずかしさから無言を貫くのに決まっている。
また、余裕が無かった為、個室の扉をきちんと開けて調べず、出入口からトイレ内を覗いて、『誰か居る?』と声をかけただけなのも失敗だった。
しかし、まだ希望はあった。エステルはまだ子供とは言え、村の子供達の中では最年長で最も聡い。
上手く立ち回りさえすれば、無礼打ちなんて事態はならない筈。そう信じて、少しだけ開けている窓の隙間から広場の様子を覗き、その信じられない光景に愕然とした。
「まさか……。そんなっ!?」
何かを必死に泣き叫びながら暴れているエステル。
だが、その両脇は屈強な兵士に掴まれて逃げられず、服を乱暴に脱がされて、ショーツ一枚の姿となった挙げ句、開いた扉の奥。馬車の中へと強引に放り込まれる。
それが意味するところをすぐさま察したが、理解が追いつかなかった。
なにしろ、エステルの発育が幾ら良いと言っても、やはり見た目はまだまだ子供。アソコの毛だって、まだ生えておらず、月のモノもまだ迎えていない。
その子供を『手込め』にするなど有り得るのか。もし、有り得るとするなら、それはもう人の所業ではない。魔物の所業と言える。
父さんと兄さん、名主の二人が土下座をして、何かを懸命に請い、その頭で大地を何度も、何度も叩いている様子を見ても、まさかと自分の考えを信じられなかった。
「あ、あれは……。そ、それじゃあ、本当に?」
ところが、そのまさかを確信に至らせる出来事が起こる。
ここからでも聞こえるほどの雄叫びをあげながら広場に駆け現れるエステルのお父さん。
無論、その走る直線上にあるのは馬車だが、多勢に無勢。当然の事ながら、立ち塞がった兵士達によって、あっと言う間に取り押さえられる。
それは誰が見ても明らかに無謀な行いだったが、エステルのお父さんが無謀だと解っていながら行ったのも明らかだった。
「ううっ……。」
そんな外の騒ぎなど気にした素振りを見せず、留まったまま小さく揺れ始める馬車。
もう見てはいられず、両手を壁に突いたまま、その場に力無く腰を落として項垂れると、壁に額を押し付けながらただただ泣いた。