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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第七章 男爵 百騎長 王都漫遊編
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第09話 昇竜と落鳳、麒麟


「へ~~~……。」


 歯を食いしばった兵士がレバーを懸命になって回す。

 滑車と繋がる鎖が音をジャラジャラと鳴らして、重厚な二枚扉がゆっくりと開いてゆく。


 石造りの門を潜って、目の前に広がった光景に驚いた。

 畑があり、家畜が居て、気の合う者同士が朗らかに会話を交わしている。

 同じデザインの小さな家が整然と建ち並んでいる以外、そこは有り触れた小さな村にしか見えなかった。


 しかし、明らかに普通の村とも言えなかった。

 会話を交わしている片方は兵士であり、今潜った門は外と繋がる唯一の出入口。

 その門から視線を横に移してみれば、見上げるほどに高い丸太壁が村の外周を囲み、村の四方には見張り台と思しき櫓が建っていた。


 ここは王都の北東、海岸に深い堀を作り、その掘った土を浜辺に盛って造られた人工の離島。

 その住民は他国の貴族で所謂『捕虜収容所』と呼ばれる施設である。


 この世界における戦争の目的は土地の奪い合いだが、その副産物として身代金の獲得がある。

 例えるなら、敗戦国が払う戦争賠償金の個人版と言える古くからの慣習であり、捕虜となった者は自分の身代金を支払う事が出来る者は帰国が許されるのだ。

 無論、身分や名声といったモノが値段に考慮されて付けられる為、一国の王族ともなったら、最初から払えないのを承知した額が付けられ、事実上の幽閉刑となる。


 これは平民にも適用されているが、最低ランクの額ながらも平民で身代金を支払える者はまず居ない。

 その為、平民は捕虜になると身分を奴隷に落とされて、インランド王国においては全てが戦争奴隷となり、自分の生まれとは別方面の最前線に送られる。


 それ故、この捕虜収容所に平民は居ない。

 ここは身代金が支払われる可能性を持った他国の貴族が住む場所である。


「ええっと……。二十七だったよな」


 門を潜る前、受付で聞いた情報を頼りに目的地へ向かう。

 幸いにして、どの家も玄関のドアに数字がでかでかと書かれており、目的地を見つけるのは容易い。


 王都での生活もとうとう二ヶ月目に突入。

 ルシルさんの自宅に日参するも、未だ面会謝絶。仕事場である南門に行っても事務的な業務対応をされた末、仕事の邪魔だから何処かへ行け的な事を言われる始末。


 それこそ、言葉が駄目なら歌はどうだとリュートを掻き鳴らして、南門を前に愛を歌ってみたがこれも駄目だった。と言うか、最悪の結果になった。

 南門を行き来する者達からはおひねりが山の様に貰えたが、肝心のルシルさんからは矢を射られ、慌てて逃げるしかなかった。


 救いが有るとしたら、マイルズとの師弟関係は今も続いており、ルシルさんのお姉さんとその旦那さんが味方になってくれ、自宅に快く迎え入れてくれる事だろう。

 今朝も鍛錬の後、マイルズに誘われて、朝食をエスカ家で頂いてきた。その食卓にルシルさんは居なかったが。


 一方、社交は完全に下火となり、スケジュールは空白続き。

 王都での生活に飽きたのか、部下達から『そろそろ行きましょうよ?』と王都出発を促す声が上がり始めた頃、ここの住人から面談の申し入れがあった。


「ここか……。」

「おや、客人かな? だが、お向かいさんなら、この時間は留守だぞ?」

「えっ!? そうなんですか?」

「昼になったら帰ってくるが、どうしても急ぐと言うのなら……。

 この道を真っ直ぐ進み、二番目の十字路を右に、突き当たりを左に行くと良い。その先の畑に居る筈だ」

「二番目の十字路を右に、突き当たりを左にですね? ありがとうございます」

「なんの、なんの」


 それにしても、ここは何と言うか、見た目もそうだが、俺が抱いていた捕虜収容所とは随分とイメージが違う。

 今とて、目的地の家のドアをノックしようとしたところ、たまたま真向かいの家から壮年の男性が現れて、親切に色々と教えてくれた。


 しかも、暫く歩いた後に振り返ってみると、壮年の男性は家の前に列んで咲いている野花に水を如雨露でくれている。

 その微笑んだ横顔は慈愛に満ちており、とても幽閉を強いられている捕虜には見えない。


 もしかして、これは捕虜に好印象を与えて、身代金が支払われて帰国した後も親インランド王国派を作る為の高度な心理作戦なのだろうか。

 見る限り、小さいながらも住居が与えられて、衣服も平民が着る様な服ではあるが、ボロを着ている者は一人も見かけない。この分なら、きっと食事もまともに違いない。


 夏は湿気に蒸して暑く、冬は寒さが厳しい石造りの地下牢。

 食事は粗末なモノしか与えられず、垢が染み込んだボロを身に纏い、糞尿が牢の隅に幾日も放置されて悪臭が漂う。

 その牢の前を歩けば、収監者が出してくれと訴え叫び、薄暗闇が濃くなった廊下の奥にある拷問部屋からは絶叫が時たま聞こえてくる。


 こんな感じのイメージが有り、ちょっとした勇気と覚悟を持ちながら門を恐る恐る潜ったと言うのに肩すかしを完全に食らった。

 どう見ても、のんびりとした片田舎の村にしか見えない。何処からか、聞こえてくるバイオリンっぽい優雅な音色だけが場違いさを感じさせる。


「んっ!? 失礼ですが、コミュショー男爵では?」

「えっ!? ……あっ!? もしや、貴方が?」


 そんな事を考えながら歩いていると、鍬を担いだ中年男性がすれ違い様に呼び止めてきた。

 その瞬間、すぐに解った。一度も会った事は無いが、この中年男性が俺に面談を申し込んできた人物だと。


「はい、私が『ハーベルハイト・ネラ・ドライド・バラリス』に御座います」


 そう、兵役の一年目。難攻不落と呼ばれたトーリノ関門を初めて陥落させる快挙を成し遂げながらも俺の策略に陥ってしまい、逆に俺が名を挙げるきっかけとなった元ロンブーツ教国軍総司令官その人である。




 ******




「只の水で申し訳ないですが……。」

「あっ!? その前に一つ、言葉遣いを戻して良いですよ。

 今の立場はどうあれ、バラリス卿の方が爵位も、年齢も上です。だったら、敬うべきは私の方ですから」


 前の世界の単位で言うなら、広さは八畳と言ったところか。

 本来は二人部屋なのだろう。二段ベッドが部屋隅にあるが、上の段は使われている形跡は無く、布団すら置かれていない。

 家具はクローゼットと小物棚、テーブルと椅子が二脚。トイレは有るが、キッチンと風呂は無い。


 だが、テーブルを間に挟んで座るバラリス卿の様子を見る限り、畑仕事の後だけに薄汚れてはいるが、清潔さは保たれている。

 恐らく、食事も、風呂も燃料代がかかる為、集合施設が別の場所にあるのだろう。


「しかし……。」

「なら、こう言い換えましょう。私が落ち着かないので言葉遣いを戻してくれませんか?」

「ふっ……。では、お言葉に甘えさせて頂こう」


 トイレから嫌な臭いはしない。

 扉は閉じていて、その中は見えないが、各家の間に側溝蓋が敷かれて繋がっていた点から考えると水洗に違いない。

 この捕虜収容所が人口の離島故に水洗設備は作りやすいだろうが、それがまだ完備されていない王都の下町より居住環境が良いとは驚かされる。


 出された水を飲んでみると、ここの場所柄、ほんの少し塩っ気を感じるが飲めないほどでも無い。

 ここに来る道中、井戸の数も豊富にあった。贅沢は出来ないが、働かずとも衣食住が完備されている事を考えると、ここが楽園か、天国の様に思えてくる。


「ところで、我が家に随分と興味が有る様だが……。ここへ来るのは初めてなのか?」

「はい」

「では、男爵の目から見て、ここをどう思う?」


 部屋の様子を探る不躾な視線を悟らせない様に動かしていたつもりだったが、どうやらバラリス卿にバレていたらしい。

 それを指摘して苦笑い、バラリス卿は質問を重ね、その答えに俺が抱いていた捕虜収容所のイメージをそのまま伝えると、その表情を真顔へと変えた。


「……だろうな。少なくとも、我が国はその通りだよ。

 もっとも、私が訪れると聞いて、体裁を少しは整えた様だから実情はもっと酷いのだろうな。

 だから、ここへ連れられてきた時は実感したよ。いかに貴国が裕福かを……。

 いや、ここだけじゃない。ここへ来る道中に立ち寄った村々もそうだった。

 畑に実った麦の穂はどれも重そうに頭を垂れ、それを刈る平民達の顔には笑顔があった。労働に意欲を燃やしている証拠だ。

 子供達だって、そうだ。子供が子供らしく無邪気に走り回っている姿など、我が国では見られん。……攫われるからな。

 しかし、もっと驚いたのは犬や猫ですら肥え太り、躾がちゃんと成されている点だ。

 我が国の王都で何かを食べ歩いてでもみろ。野良犬や野良猫がたちどころに群がり、それを奪われるのが関の山だ。

 勝てない筈だと実感したよ……。何故かって? だって、そうじゃないか? 正しく、この国の姿こそ、私がずっと目指していたモノなのだからな」


 そして、バラリス卿は目線を俺のやや上に向けながら語り出した。

 トーリノ関門での三年間、職務の上で捕虜と話す事は多かったが、似た様な話は数多に聞いた。

 

 春、トーリノ関門に向けての出兵で減ってゆく若者達。

 夏、何処かの村が廃村になったという噂が流れ、いつか自分達の村もそうなり、家も、土地も失うのかと嘆くしかない毎日。

 秋、その膨大な戦費を支える為、重税の上に臨時の追加税が何度も布告され、翌年に作付けする種籾すら奪われて、たった一冬の薪代の為に売られてゆく子供達。

 冬、薪代を節約し過ぎて、凍える様な寒さの中で眠り、そのまま永遠の眠りについてしまい、雪解けの春先に凍った姿で見つかる一家。


 そのロンブーツ教国の酷い実情は騎士や爵位持ちの貴族に聞くと、別の意味でもっと酷くなる。

 火の教会が宮廷を牛耳って、国王は完全に意のまま。誇張して言うなら、フォークやスプーンの上げ下げすら自由にならない状態。

 本来、清貧である筈の聖職者達は財を成す事に夢中で肥え太り、戒律は有ってない無い様なもの。神聖な神殿や教会は酒池肉林の場となっているらしい。

 酷い話になると、処女は神聖なモノ故に神へ捧げるべしと謳い、村の美しい娘を攫う聖職者すら居るとか。


 それ等の話を初めて聞いた時は開いた口が塞がらなかった。

 どの世界も、どの時代も、どの場所も、宗教が権威を握り過ぎて、それが腐敗すると国自体が駄目になるのだと実感する。


 つまり、ロンブーツ教国に有るモノは宗教的熱狂のみ。

 多額の出費を投じて、戦争に勝ったとしても実入りが少なすぎ、インランド王国の代々の国王が北を積極的に目指さず、西ばかりを狙うのは当然の理だった。


「おっと……。いかんな。

 愚痴を聞かせる為に呼んだ訳では無いと言うのに……。実を言うと、男爵にずっと聞きたかった事があるのだ」

「聞きたかった事ですか?」


 やがて、その瞳に光るモノが溢れ始めた頃、バラリス卿は瞼を暫く瞑り、首をゆっくりと左右に振ってから視線を俺へ戻した。

 マグカップの水を呷り、乾いただろう喉を潤す事によって、場の空気を改めると、両肘を机に突きながら組んだ両手に顎を乗せて、その視線を鋭くさせる。


「そう、私と男爵の出会いとなった三年前のあの戦いについてだ。

 見張り台で奇妙な格好をして踊っていたのは君だと聞いているが……。あの時、伏兵は居たのか? それとも、居なかったのか?」


 それは面談の申し込みがあった時から予想していた問いかけだった。

 バラリス卿にとって、その時の選択こそが明暗を大きく分ける結果となり、この捕虜収容所に収監された原因となったのだから。


 しかし、その答えは軍機である。

 バラリス卿も一軍を預かっていた将。それを求めたところで絶対に返ってこない答えだと知っており、今まで誰かに問わなかった筈だ。


 また、それを問う事によって、未練がましい印象を与えかねない。

 既に敗戦の将としての屈辱を受けている上でのそれは誰だって嫌なもの。今まで誰かに問えなかった筈だ。


 だからこそ、その答えが知りたい。人間として、当然の欲求だ。

 この三年間、自分一人では答えが絶対に見つからないと承知していながらも、ああでもない、こうでもないと悩んでいたに違いない。


「伏兵は居ませんでした。あの時、ラクトパスの街に居た兵士の数は五百人程度です。

 貴方が攻撃命令を出していたら、我々は抵抗らしい抵抗も出来ずに降伏するしか術は有りませんでした」


 なら、それを教えてあげるのが人の情け。

 軍機ではあるが、もう三年も前の出来事である。

 その機密性も、重要性も失われているどころか、この捕虜収容所から出て、すぐ近くの酒場に行きさえすれば、バラリス卿が求めている答えが英雄歌として歌われており、今や王都の者なら誰もが知っている公然の秘密に成り下がっている。


「何故だ! 何故、そんな無茶が出来る!

 あの時、我が方の兵力は二万も居たんだぞ! もし、お前の言う通りなら相手にもならん!

 しかも、城門は全て開いていた! だったら、小手調べを行うだけで街は落ちていたんだぞ! 全軍に攻撃命令を出すまでもなくだ!」


 どうやら、バラリス卿の中では『伏兵が居た』という答えだったらしい。

 答えを聞いた瞬間、目をこれ以上なく見開かせると、俺が喋り終わるのを待って、机を両手で叩きながら椅子を蹴って立ち上がった。


「それは貴方が優秀だからです」

「……何?」


 鼻息を荒くさせて、顔を激昂に赤らめ、下手したら今にも掴みかかってきそうな雰囲気。

 瞼をゆっくりと瞑り、自分自身とバラリス卿を落ち着かせる様に大きく息を吐いて、吸っての一呼吸の間を置き、バラリス卿を見上げながら努めて冷静に説く。


「まず私は貴方がどんな人物なのかを知るところから始めました。

 その手掛かりにどんな些細な事でも良いから教えてくれと貴方に関する情報を部下達や街の住人達から集めました。

 特に商人達はさすがですね。金をはずんだら、色々と教えてくれましたよ。

 それこそ、貴方がどんな性癖を持っていて、どんな女性を好み、何処に愛人が居るかまでね。

 そして、それ等の真偽と雑多が溢れる情報の中から私が出した結論は、貴方が経験豊かな指揮官であると同時に優秀な用兵家だという動かし難い事実です」


 暫くして、バラリス卿は見開ききったままの瞼をワナワナと震わせると、天を仰ぐ様に真上を見上げた。

 座っている俺の角度から、その表情は見えないが、口に笑みを描いているのだけは解った。それを疑問に感じながらも言葉を進める。


「但し、際立った武は持っておらず、前線にはなかなか出てこない。

 だからか、臨機応変さを大きく求められる一か、八かの作戦を好まず、良く言えば、慎重。悪く言えば、臆病な傾向が強い。

 ここにこそ、付け入る隙があると私は注目しました。

 逆に信じ難い奇策を行えば、貴方は疑心暗鬼に陥り、自分の常識に当て嵌めて、居もしない伏兵を勝手に作り上げると……。

 あの時、貴方はこう考えた筈です。

 例え、援軍が到着していたとしても、近隣の領主達からの援軍であって、王都からの援軍は届いていない。

 だったら、相手が寡兵であるのは間違いない。

 それが籠城戦の構えを見せず、城門を開け放っているのだから、これは罠に違いない。何処かに伏兵が潜んでいるのだろう。

 籠城戦を行うにしても、最初から籠城戦を行うのと緒戦で小さくても勝利を得ているのとでは、その後の士気が大きく違う。

 なら、敢えて虎穴に入る必要も無ければ、敵に塩を渡す理由も無い。どの道、勝利は確実で急く必要も無い。今日の勝利を明日に延ばせば良いだけだ、と……。

 つまり、戦略と戦術に秀でていたからこそ、開戦を一日遅らせる余裕が持てたんです。反対に言えば、貴方が馬鹿だったら、これ幸いと全軍で突撃を喜々と仕掛けてきたでしょうね」


 その後、説き終えても反応は無い。バラリス卿は真上を見上げたまま。

 沈黙だけが延々と続き、居心地の悪さとあまりの手持ち無沙汰を覚えて、視線を正面から右へ、バラリス卿から開け放たれている窓の外の景色へと向ける。


 道を行き交う人々が朗らかに挨拶を交わし合う捕虜収容所とは思えない光景。

 相変わらず、何処からか聞こえてくるバイオリンっぽい音色の調べ。意識して聞いてみると、弦楽器の心得を持っていない俺ですら解るくらいに上手い。

 その音色に暫く聞き惚れていたが、すぐ間近で聞こえた音を合図に視線と意識を正面に戻して息を飲む。


「……声を荒げて済まなかった」

「いえ」

「優秀か……。まさか、味方ではなく、敵に評価されるとはな」


 それはまるで祈りを捧げて、懺悔をしているかの様だった。

 バラリス卿は両肘を机に突き、項垂れた額を縦に深く組んだ両手に乗せて、肩を脱力しきって落としていた。


「男爵、教えてあげよう……。

 私は所謂『穏健派』と呼ばれる長でな。インランド王国との戦争に反対を訴える立場だったんだよ。

 国力が著しく下がっている今、内政に力を注ぐべきであり、インランド王国とは一時的にでも停戦を結ぶべきだ。

 そう、陛下に訴え続けてきた。家督を継ぎ、国の実情を知ってから、ずっと……。ずっとだ。

 しかし、男爵も知っていよう。我が国は火の教会に支配されて、今代の教皇は聖地を取り戻す事だけに執心している。

 当然、次第に疎まれてゆき、最後は鼻つまみの厄介者。それが私だよ。

 だから、インランド王国との戦いに何度も駆り出されてはいるが、それは決して私を頼ってではない。あわよくば、戦死しないかと願われてだ。

 その証拠に私の敵は味方の中にこそ居た……。三年前の戦いもそうだった。私自身が殺したのは敵兵より暗殺者の方が断然に多い。

 よって、残念ながら君の評価は改める箇所がある。私は臆病ではあるが、慎重では無い。慎重さを強いられていたんだ。

 前線ともなれば、乱戦だからな。暗殺者にとって、これほど格好の場は無い。どうしても、後方で指揮を執るしか無かったんだよ。

 だが、しかし……。今更ながら、つくづく思うよ。私は何の為にああも必死になって戦っていたのだろうと……。味方に死を望まれてまで……。」


 それは俺に語るというよりも独白に近かった。

 言葉の端々に苦さが満ちている。さぞや、熾烈な権力争いを繰り広げていたに違いない。

 それに戦時でさえなのだから、暗殺の危険性は日々の平穏にも潜んでいた筈だ。よくぞ、主義主張を変えずに居続けられたと感心する。


 ところが、のんびりとしたここでの生活に触れて気付いてしまったらしい。

 小石を幾ら積み上げたところで横から崩されるだけの無駄だった行為に。


 その声は酷く疲れ果てていた。 

 事実、話し終えると共に上げたバラリス卿の表情にほんの数分で十歳は老けた様な印象を覚えた。


「その口振りだと、まるで故郷に帰る気が無い様に聞こえますが?」


 これなら激昂してくれていた時の方が断然に気が楽だったかも知れない。

 僅かな沈黙が辛く、何でも良いから会話を続けなくてはという使命感に駆られて、思ったままを尋ねる。


「残念だが、帰りたくとも、その故郷が無い。

 あの貪欲な教会の連中共が我が領地をこれ幸いと没収しているだろうからな。

 もしかしたら、内ゲバを起こしている可能性もあるぞ? 我が領地はそれなりに広かったからな。

 残してきた妻と息子が心配と言えば、心配だが……。自慢をさせて貰うと、私の息子は優秀でな。恐らく、教会の連中が動く前に上手く逃げ延びている事だろう」


 だが、これがとんでもない藪蛇だった。

 必ず生き残って、コゼットと再会する。この三年間、それを大義名分に数多の命を奪ってきたが、決して後悔はしていない。

 それが奪ってきた数多の命に対する敬意であり、勝ち残った者の義務と考えたからだ。


 勿論、その奪ってきた命にも俺同様に戦う理由があったのは知っている。

 知っているが、それを聞くのはやはり少し辛かったし、苦手だった。居たたまれない気持ちとなり、言葉を失いながらもふと疑問を覚えた。


 だったら、身代金が支払われない事を知りながら、この捕虜収容所に居るのは何故だろうか。

 ここは確かに働かずとも最低限の衣食住が保証されて、天国の様な場所だが、首を真綿でじわじわと締められている様な場所でもある。


 前の世界にて、『ニート』という身分を経験した俺から言わせて貰えれば、世間が思っているより『ニート』という身分は辛い。

 ご近所の視線や自分の中の罪悪感は気持ち次第でどうとでも出来るが、その性質上、『ニート』に時間はあっても、お金を持っていない為、本当の自由が無い。


 例外も居るだろうが、それはあくまで例外。大抵の『ニート』は狭い範囲の自由しか持っていない。

 数千円の出費ですら悩み、それが数万円となったらもう諦めるしかない。働いてさえいれば、その程度はちょっとした遣り繰りで片づくのにだ。


 当然、あらゆる面でケチり、何かとワンランクを下げる様になる。

 例えば、本当はチャーシューメンが食べたいのに、只のラーメンで我慢する。時にはラーメンすら諦めて、牛丼、カップラーメン、菓子パンとランクダウンさせる。


 バラリス卿は元伯爵である。ロンブーツ教国が貧困とは言え、その平民よりは贅沢を知っている。

 この部屋を見る限り、酒どころか、茶葉すら無い。言うまでもなく、この捕虜収容所に女性は居らず、そういった贅沢は出来ずに辛い筈だ。


 この捕虜収容所から出るには身代金を払うか、戦争奴隷となるか、死体となるしかない。

 今更、一兵卒から始めるのは大変かも知れないが、バラリス卿ほどの才覚がありさえすれば、すぐに人並みの生活は得られるだろうに。

 若しくは祖国を売る事になるが、ロンブーツ教国の情報を積極的に売るという方法も有り、その方面の道が開ける可能性だって十分にある。

 何にせよ、五年だったか。ここでの生活期限を迎えたら、奴隷の身分に落とされるのだから決断は早い方が良いに決まっている。


「だったら、こんな所で生き恥を晒しているのは何故だと言いたそうな顔だな?

 いや、気にするな。私自身、そう思いながらも、ただただ月日が過ぎてゆくの無為に眺めていたのだから……。」


 その考えが表情に出てしまったのか、バラリス卿が苦笑する。

 長年、権力争いの中で生き抜いてきただけの事はある。交渉に秀でた才能も持っているのかも知れない。


「だが、去年の秋頃の話だ。

 私同様に捕虜となり、その後は奴隷となっていた筈の我が領民の名主の息子が面会に現れてな。私にこう言ったんだ。

 屈辱かも知れないが、男爵と絶対に会うべきだ。

 きっと君なら私をここから出してくれる手立てを真剣に考えてくれるに違いない。

 彼も、村の何人かも、君の口添えがあって、今ではインランド王国市民になれた。だから、決して諦めず、君に面会を求めて欲しい。……とな」

 

 すると唐突にバラリス卿は話題を変えた。

 それを聞きながら思い出す。一年前の戦いにて、捕虜となった者達がトーリノ関門から旅立つ時、やる気が有る者達に少しでも力になれたらと添え状を渡したのを。


 多分、彼等が向かった先はミルトン王国戦線の激戦区。

 きっと多くの者が命を散らしてしまっただろうが、夢をちゃんと掴めた者が居たと知り、思わず頬を嬉しさに緩める。


「よくぞ、こうも言わしめた。

 君こそ、彼等を奴隷の身分に落とした張本人だと言うのに……。驚くしか無かったよ。

 だからこそ、私は君に興味を持ち、面会を申し出た。是非とも、君に会って、嘗て戦った相手がどんな男なのかを知りたくなった」

「フフ……。それでお眼鏡には適いましたかね?」

「ああ、十分すぎるほどな!」

「えっ!? ……ちょっ!? な、何を……。」


 その上機嫌から出た軽口だったが、いつの間にやら元気を取り戻していたバラリス卿は腕を組んだ堂々たる態度で大きく頷いた。

 まさか、返事が直球で返ってくるとは思ってもみず、驚いて戸惑っていると、バラリス卿は徐に席を立ち上がると、より思いもよらぬ驚愕の行動に出た。


「我が名はハーベルハイト・ネラ・ドライド・バラリス!

 なれど、今は只のハーベルハイトに御座います! 些か、用兵には自信が有ります! 何卒、この身を麾下の末席に加えては頂けないでしょうか!」


 なんと椅子に座っている俺の隣に歩み寄り、その場に正座。売り口上を叫び、額を床に押し付けての土下座を行った。




 ******




「う~~~ん……。どうしたものかな?」


 距離にして、約二十メートルくらい。捕虜収容所がある離島と王都を繋ぐ桟橋を歩きながら考える。

 バラリス卿の申し出は保留とした。その理由は言うまでもなく、バラリス卿を釈放する権限など持っていないからだ。


 もし、独力で釈放するとなったら、バラリス卿にかけられている身代金を支払うしかない。

 だが、バラリス卿はロンブーツ教国の伯爵。知名度も高い為、その身代金額はべらぼうに高い。


 男爵になったとは言え、その金額はさすがに手が出ない。

 長女様から借金という手段も有るには有るが、これからの領地経営を考えたら、最初から借金を背負っているのは避けたい。


 しかし、用兵の心得と領地経営の心得を持っているバラリス卿は是非とも欲しい。

 次期王位争奪に関する派閥問題を考えたら、領地に引っ込んでばかりもいられず、今後も王都を訪れる用事は多々有るだろう。

 それに南方領の領主として、アレキサンドリア大王国の侵攻を防ぐ戦役義務も有る。俺の留守を預かり、代理となる人物は必ず必要になる。

 その役にネーハイムさんを考えていたが、選択肢が有るなら、やはりネーハイムさんは俺の側に居て欲しい。


 今、考えられる手段としては、こんな時の為に重ねてきた社交のコネ。

 未だに顔も、名前も、気配すらも見せないが、第三王子派の派閥長は俺が力を蓄えるのを歓迎してくれている筈であり、この件を第三王子派のネットワークにそれとなく流せば、何らかのリアクションが返してくるに違いない。

 まずはこの路線から試してみよう。もし、これでバラリス卿が釈放されたら、第三王子派の派閥長は法務関係にも力を持っている証拠となり、その正体を探る上での範囲を狭められる。


「……んっ!?」


 そんな事を考えていたら、誰かと擦れ違った。

 いや、その男性の姿は桟橋を歩き始めた時から前方に捉えていたが、いきなり降りかかってきた難題を解くのに忙しくて、心は動かなかった。


 だが、擦れ違った瞬間、何かが勘に触った。

 悪い意味で『勘に触った』という意味では無い。文字通り、何かが勘に触り、俺の中の何かが反応した。


 思わず立ち止まりかけるが、ここで立ち止まったら不自然が過ぎる。

 堪らないほどの振り向きたい欲求に駆られながらも歩をそのまま進めて、桟橋を渡りきる。


「男爵様、お疲れ様でした!」

「ああ、ありがとう」


 それを待ち構えて、王都と繋がる門の横に設置された受付の詰め所から兵士が駆け現れる。

 ボードに貼られた捕虜収容所への入退出記録を受け取り、前歴者達に倣って、数刻前に書いた自分の名前に二重の横線を入れながら、今擦れ違った人物の名前を探す。


「ところで……。今、入っていった方は誰だろうか?

 歩きながら考え事をしていた為に礼を欠いてしまったから、後で詫びたいのだが……。」


 しかし、俺の後に捕虜収容所へ入った二人は既に退出済み。それも記入欄はそこで一杯な為、アテが外れる。

 ボードを返すのと引き換えに預けていた剣を受け取り、それを腰に差しながら兵士に疑問の答えを尋ねた次の瞬間だった。


「ああ、殿下ですよ。

 第二王子、ジェスター・デ・マールス・フォリオ・インランド様に御座います」


 まるで背筋に氷を入れられたかの様な冷たい殺気に身体がブルリと震えた。

 身体が勝手に反応して、右手が剣の柄を掴むと共に腰が全力で捻られ、その殺気と正対する。


 すると今渡ってきた桟橋の先、捕虜収容所がある離島の門前で先ほど擦れ違った男性が俺を見ていた。

 潮風に吹かれて靡くオールバックの黒い長髪。その表情は良く解らないが、こちらと同様に兵士が側に立っているところから察するに向こうも俺の名前を兵士に聞いたのではなかろうか。俺と知って、その視線を俺へ確かに向けていた。

 お互いの間に二十メートルほどの距離が有り、向こうは剣を差しておらず、ただ自然体で立っているだけにも関わらず、間合いの一歩外に居る様な圧迫感。少しでも動こうものなら、刃が飛んできそうな濃密な殺気に動けない。


「あの……。男爵様?」


 だが、さほどの間を置かずに思わぬ助け船が入る。

 蚊帳の外に居た兵士から声がかかり、気を微かに逸らすと、視線の先の第二王子が興味を失ったかの様に背を向ける。


「大丈夫ですか? 顔色が随分と悪い様ですが?」

「ありがとう。でも、平気だから……。それより、門を開けてくれないか?」


 身体の硬直が解けて、姿勢を戻してみれば、汗が全身に滲んでいた。

 滑車と繋がる鎖が音をジャラジャラと鳴らして、重厚な二枚扉がゆっくりと開いてゆくのを待ちながら右手を胸に置くと、未だ鼓動が激しく脈打っているのが解る。


「おっかね……。ジュリアス、どうするよ? あれは手強いぞ?」


 やがて、門が開ききり、目の前に現れる青空。それを見上げて呟く。

 奇しくも、その方向は北であり、ジュリアスが今も居るトーリノ関門に繋がっている空だった。




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