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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第七章 男爵 百騎長 王都漫遊編
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第08話 義弟よ




『はい、待っています。ニート君が王都に来るのを……。

 手紙、絶対に書きますから、ニート君も返事をちゃんと書いて下さいね?』


 笑顔を交わし合い、ルシルさんと別れたのは去年の春。

 それから、二ヶ月半後くらいだったか。王都に到着したという手紙がトーリノ関門に居る俺の元に届いたのは。


 だが、それっきりだった。その後、ルシルさんからの手紙は二度と届かなかった。

 最初に届いた手紙の返事も合わせたら、三通。此方から手紙を送ってみたが、ルシルさんからの返事は届かなかった。


 もしや、怪我か、病気でも患い、筆すらも手に取れないのかと不安に駆られて、馴染みの商人に様子を探る様に頼んだが、そのどちらでもなかった。

 ルシルさんから予め聞いていた王都での役職『南門門番長』を何の問題も無く勤めていると聞き、ますます訳が解らなくなる。


 やがて、俺に気を使ってだろう。ルシルさんの話題が皆の口に上らなくなり、出ようとしても避ける様になった頃。

 夕飯後、酒を酌み交わしていたジェックスさんが話をこう切り出してきた。


『大将、諦めろ……。こういった場所ではざらにある話さ』


 その後の話は俺を傷付けまいとオブラードに包まれ、何度も話題は脱線しかけたが、それ等を纏めるとこういう事らしい。

 トーリノ関門の様な最前線では死が身近にある為、ヒトとしての生きる本能がそうさせるのか、男も、女も戦いの後は自分の子孫を残そうとどうしても滾りやすい。


 それ故、最前線の施設には娼館といった歓楽施設が必ずある。

 例えば、常に最前線が移動しているミルトン王国戦線の様な場合なら、支配が確保された前線の一歩手前の村を丸ごと保養地として用い、一山を当てようと企んで集まる商人達を受け入れて、一時的な歓楽街を作り上げる。


 しかし、軍隊とは圧倒的な男の世界である。

 女性の騎士、兵士は少ない為、その需要の少なさから、女性が滾りを発散させる手軽な施設はまず作られない。


 もっとも、それ以前に作る必要が無い。

 軍隊が圧倒的な男の世界の為、女から見たら、男は選り取り見取り。

 誰もがアイドルになれる環境であり、男も一夜だけの愛を娼館で買うより本当の愛の方が良いに決まっている。


 だから、戦場では恋が生まれやすい。

 その成就も容易く、日々の戦いがスパイスとなって、愛は戦いを重ねれば、重ねるほどに燃え上がってゆく。


 ところが、その燃え上がった愛も最前線を生き延び、元あった平穏の地にいざ帰ってみると首を傾げてしまう。

 あんなにも好きだった筈の相手が今はそうでもない。どうしてなのだろうかと。


『第一、良く考えてもみろ? 今や、ルシル嬢は男爵なんだろ?

 だったら、適齢期だ。王都に帰ってみたら、実は婚約者が居ました。そんな話が有ったとしても不思議じゃない。

 俺達、下っ端ですら、血を継ぐのは何よりの使命だ。だったら、爵位持ちの奴等はもっと必死になって当然だろ?

 まあ、ぐだぐだと話したが要するにだ。

 今、言った通りなら、大将が手紙を何度も、何度も出すのはルシル嬢にとっては迷惑になるし、大将自身も男を下げる行為になる。

 だったら、これ以上は止めておけ。もし、それでもまだって言うなら……。来年になるのを待って、ルシル嬢に堂々と会いに行く方が男らしいぞ?』


 こう最後に締めて、ジェックスさんはアドバイスもくれた。

 ネーハイムさんも一緒に飲み、ずっと聞き役に徹して黙っていたが、何も言わないところを察するにジェックスさんと同意見らしい。


 本音を明かせば、未練はたらたら。

 ジェックスさんのアドバイスを無視して、これでもかとルシルさんに手紙を送りつけたかった。


 しかし、俺は所謂『恋愛弱者』に他ならない。

 前の世界での人生は言うに及ばず、この世界での人生でも懇意となった女性はコゼット、アリサ、ララノア、ルシルさんと四人。そのいずれがきっかけとなったアプローチは相手側からである。

 情けない話ではあるが、縁が結ばれている最中は大丈夫でも、縁を結ぶアプローチがまるで解らず、自分以上の経験を持つだろうネーハイムさんとジェックスさんの二人の意見に従うのが正しいと思えた。


 また、この時点で季節は秋。トーリノ関門の冬はとても早く、雪が降り積もったら街道は閉鎖される。

 手紙を出したとしても、その返事は春の雪解けを待たなければならない。なら、ジェックスさんのアドバイス通り、兵役義務が満了する春を待てば良いと考え、それを言い訳に自分の本音を無理矢理に封じ込めた。


 だが、それが拙かったのかも知れない。春を待つ半年間に不安はどんどんと膨らみ続けた。

 いざ、王都に訪れてみたら、今度は会いに行く勇気がどうしても持てなかった。


 もし、知らない男と腕を組みながら仲睦まじく歩いていたら。

 もし、知らない男が玄関に現れて、ルシルさんを『おい』や『お前』と言った深い関係を察せられる呼び方をしていたら。

 もし、知らない男がルシルさんの大きくなったお腹を撫でており、ルシルさんがそれを慈愛の笑みで見つめていたら。


 前の世界で受けたトラウマの数々が不安を助長して抉り、嫌な『もし』ばかりが頭に浮かぶ。

 今日こそはと決意するが、手紙の宛先で知っている住所にも、職場である南門にも足が進まず、今度は社交の忙しさを言い訳にして、ルシルさんとの再会を先延ばしにしていた。


 それだけに長女様からルシルさんとの関係を問われた時は口から心臓が飛び出るくらいに驚いた。

 よりにもよって、そう呼べるくらい知られたくなかった相手だが、臆病者の俺には丁度良かったのかも知れない。

 今日の午前中、予定が空白なのも知られて、会いに行けと命じられている。これで退くに退けなくなり、口実ときっかけは得られた。


 驚いた事はもう一つある。俺とおっさんの孫娘、姫様が婚約を予定している事実だ。

 おっさんは何を考えているのか。あの二人で旅をしていた懐かしい頃、あれだけ自慢して、大事にしていた姫様の婚約者に俺を選ぶなんて。


 しかし、その事実を知り、一つの疑問がようやく解けた。

 おっさんに仕える。それが今も結ばれている俺とおっさんが出会った当初に交わした約束だが、何故にわざわざ手間がかかる方法を選んでいるのかがずっと解らなかった。


 なにしろ、おっさんはインランド王国南方領を纏める侯爵様である。

 その鶴の一声で陪臣の末席に座らせてくれたら、それで俺は十分に満足だった。


 ところが、おっさんは周囲どころか、国まで欺き、俺を国王の直臣とした。

 その理由が姫様との婚約の為なら納得が出来る。姫様の相手に俺を見込んだ理由は別として、極度の孫馬鹿なおっさんならそれくらいはやる。いや、実際にやってのけた。


 姫様は侯爵家嫡子、その姫様の相手に陪臣では格がどう足掻いても足りなさすぎる。

 今でこそ、男爵となった俺だが、三年前は世襲の士爵。これでも格がまだまだ足りないが、レスボス侯爵家はオータク侯爵家と列ぶ武門の家であり、俺が庶子となる過程にあった義父の『試し』はあまりにも有名。この二つの要素があれば、格は指先くらいは届く。


 俺が兵役の任地として、トーリノ関門が選ばれた理由も恐らくはそれだ。

 武勲を稼ぐのなら、ミルトン王国戦線の方が断然に有利だが、そちらはトーリノ関門より圧倒的に死の可能性が高い。 

 その点、トーリノ関門は去年がそうだった様に無茶さえしなければ、本来は生存率も高く、武勲も無難に積み重ねられる場所。あとは少しの根回しを行い、十騎長から百騎長に出世すれば、格は辛うじて足りる。


 しかし、その予想に反して、俺の兵役は一年目と二年目が大波乱。

 ミルトン王国戦線に赴くよりも派手な武勲を挙げて、何処かのお節介さんのおかげで王都の人気者。俺は百騎長と合わせて、領地持ちの男爵にまでなってしまった。

 さぞや、おっさんは嬉しい悲鳴をあげただろう。姫様の相手として、俺は申し分ない格となり、陪臣団からも歓迎の声が挙がるほどになった。

 これが他の家だったら、男爵と侯爵の爵位差が問題点となるだろうが、オータク侯爵家は武門の家。その当主に最も求められるモノは高い武名であり、次期当主が病弱で戦えない姫様の相手としては正に俺は適役と言えた。


 ちなみに、俺がレスボス家の庶子である点は問題にならない。

 男爵となった事によって、俺自身を表す枕詞は『レスボス家庶子』から『レスボス家傍系コミュショー家初代』へと変わっており、名前も『ニート・デ・ドゥーテイ・コミュショー』に改まっている。


 だが、『しかし』である。

 おっさんは俺がコゼットを愛しているのを重々承知しており、その点をどう考えているのか。


 そもそも、コゼットをオータク領に呼び寄せる計画はどうなったのか。

 手紙の運搬に数ヶ月単位の時間がかかる為、この三年間をずっと続いていた姫様との文通もトーリノ関門を離れる直前に届いた『次は直接会えるのを楽しみに待っています』で締めた手紙で途絶えており、追加の情報が入っていない。


 王都での滞在がこれほど長くなるとは考えていなかったが、姫様も考えていなかったに違いない。

 オータク侯爵家屋敷にも、レスボス家侯爵屋敷にも手紙は届いていない。


 全ての答えはおっさんの居城があるバカルディの街に行けば解る。

 今すぐ、王都を出発したい心境だが、その逸る心を抑えて我慢する。社交のスケジュールがもう少しだけ残っており、ルシルさんの件も解決しなければならない。


「師匠! 師匠! 師匠ぉぉ~~~っ!」

「……んっ!?」

「とっくに百を数えました! もう限界です! 死にます! 死んじゃいます!」

「おおっ……。すまん、すまん」


 その苦悩の世界から俺を現実に引き戻す声。

 我を取り戻すと、肩幅に足を開きながら腰を落として、両掌を突き出した姿勢。例えるなら、乗馬を行っている様な姿勢で静止している俺の右隣。同様の姿勢でいる弟子が生まれたての子鹿の様にプルプルと全身を震わせながら悲鳴をあげていた。




 ******




「ふっ! はっ! ほっ!」


 槍を突いて、巻いて、払い、戻すの四動作をただひたすらに繰り返す。

 汗が額から零れ落ちるほどの心地良い疲労感。やはり、朝はこれに限る。これをやらないと一日が始まった気がしない。


 ここはオータク侯爵家屋敷とレスボス侯爵家屋敷の間にあり、どちらからもさほど離れていない位置。王城の裏に面している通称『北公園』と呼ばれる場所。

 正式名称は『王立戦勝記念公園』と言い、その名前が示す通り、インランド王国が滅ぼした国々の名前が刻まれた記念碑が彼方此方に建ち並ぶ公園である。


 国営だけあって、何処も彼処も立派で見事な噴水が幾つも有り、船遊びが出来る池も、小動物が住んでいる林も有り、俺が知っている前の世界のどの公園よりも広い。

 遊歩道として、石畳で舗装された道が公園の外周をグルリと囲んでいるが、これを一周するだけで十分なピクニックとなり、走ったらマラソンになるほどの距離が有る。


 その更に外周は植樹された背の高い針葉樹が壁を作り、公園の内側から見えるのは小高い丘に建てられた王城の裏側のみ。

 それだけに王都の中心地でありながら自然を満喫する事が出来る為、田舎育ちの俺にとって、この公園はお気に入りの場所だった。


 ところが、この貴族街に住む者達から見たら、どうでも良い場所らしい。

 二十四時間、解放されているが、今の様な早朝は勿論の事、昼に来ようが、夕方に来ようが、人の姿を滅多に見かけない。

 屋敷を公園端に持ち、この公園の管理運営の役目を世襲している士爵に話を聞いてみたところ、この公園が賑わうのは国王が秋に開催する園遊会の三日間だけだと寂しそうに語ってくれた。

 これだけ立派な公園が有りながら宝の持ち腐れと言うか、実に勿体ないと言うしかない。


「ふっ! はっ! ほっ!」


 だからこそ、一ヶ月ちょい前のある朝。今、芝生の上に大の字となって寝転び、虚ろな目で空を見上げながら荒い息をついている弟子が公園の出入口で待ち構えていた時は驚いた。

 突如、見ず知らずの少年が俺を指さして、罵詈雑言の嵐を投げてきたと思ったら、木剣を振り上げて、『天誅ぅ~~っ!』と叫びながらの襲撃。驚かない筈が無い。


 もっとも、軽ぅ~~く叩きのめし返したが。

 そんな非常識な初対面を経て、今は俺の弟子となっている少年の名前は『マイルズ』、今年で十二歳になるらしい。


 マイルズはしつこかった。毎朝、毎朝、公園の出入口で待ち構えて、あっさりと倒された挙げ句に放置されながらも諦めなかった。

 いつの間にか、俺も朝の挨拶とも言えるマイルズの襲撃が楽しみになり、そのちっともめげないタフさに根負けして、最初の出会いから十日目を数えた朝、初めて声をかけた。


『お前、いい加減に気付けよ。俺を相手にするにはまだ早すぎるって……。

 でも、その根性は気に入った。王都に居る間、俺が少しは鍛えてやるから、今日から俺の事は師匠と呼べ』


 断ったら、それまで程度の戯れを含んだ提案だったが、マイルズは意外にも『えっ!? 本当ですか?』と目を輝かせて承諾した。

 その日以来、俺とマイルズは師弟関係となり、早朝に公園の出入口で待ち合わせて、鍛錬を一緒に行う仲となった。


 しかし、遅くとも夏前に解消してしまう関係である為、プライベートに関しては特に聞かなかった。

 自分の性格から言って、それを聞いたら情が湧いてしまい、別れがたくなるのが目に見えていたからである。あくまで早朝だけの仲を努めた。


 ただ、それを聞かずとも、鍛錬を行うのは各城門が開く前の早朝である点から貴族街に住んでおり、朝食をいつも持参している点から遠方から通っているのだろうと察せられた。

 それにも関わらず、俺より早く公園を必ず訪れており、小雨程度なら通ってくる辺り、鍛錬に対する真剣さが伺えて、実に好感が持てた。


 だったら、最初に俺を襲ってきた理由は何なのか。

 実を言うと、その点に関しては思い当たるモノがあった。


 それと言うのも、初めて襲撃が遭った日の出来事。鍛錬から屋敷に帰ってくると、ネーハイムさんの様子がおかしかった。

 何やら妙にソワソワと落ち着きが無く、俺の様子を頻りにチラチラと窺っており、何だろうと思いながらも構わないでいたら、遂に我慢が出来なくなったに違いない。その日の夕方、平静を装いながら『今朝、何か有りませんでしたか?』と白々しく問いかけてきた。

 即座にピーンと閃いて解った。毎朝の鍛錬の為、この公園に俺が通っているのをマイルズに教えたのはネーハイムさんだと。


 だが、それが解ると共にそれを何故に教えたのかという疑問が生まれた。

 騎士となって以来、ネーハイムさんは俺の頼れる腹心であり、その絶対の信頼を置いているネーハイムさんが俺のプライベートを他人に軽々しく教える筈が無かった。


 しかし、その信頼があるからこそ、答えも暫くして解った。

 逆に言うと、俺のプライベートを教えても問題が無い相手。即ち、マイルズは俺の身内『義弟』に違いないと。


 その答えに至った理由は義父の『試し』にもある。

 例年なら、この時期は王都に必ず滞在している義父が不在の為、春の風物詩とも言える『試し』が行えず、何を勘違いしたのか、その『試し』に唯一合格した実績を持つ俺に目標を変えて、猛者達はオータク侯爵家屋敷前に集った。

 王都を訪れた当初は本当に酷かった。毎朝、朝食を食べる頃になると、屋敷前は武術大会が開けるほどの人数で溢れて、わいわいと騒いで近所迷惑になっていたほど。


 俺も最初は自身がどの程度の腕を持っているのかが気になり、猛者達相手に戦ってみたが、その殆どが口先ばかり。

 三日も経つと相手をするのが面倒となり、俺流の『試し』を行い、その課題をクリアした者とだけ戦う事にしたところ、挑戦者は極端に減ってゆき、今では一人もオータク侯爵家屋敷の門を叩く者は居ない。


 ちなみに、その『試し』とは我が部隊に混じり、毎日行っている訓練を三日間耐えるというもの。

 ネーハイムさんの話によると、大半が最初の長駆と呼ばれる武器、防具を身に着けてのマラソンで脱落していたらしい。


 だが、本当の意味で『試し』に挑戦するのはマイルズの様な少年である可能性が高い。

 その事実にあとから気付いて反省したが、俺が課した『試し』は少年にちょっと厳しすぎる。


 なら、言葉は厳しくとも、何だかんだで情が深いネーハイムさんである。

 猛者達の中にマイルズの姿を見つけて、その事情を知り、俺と個人的に会わそうとマイルズを優遇したのではなかろうか。


 これならマイルズが最初に襲ってきた理由も納得が行く。

 きっとマイルズの母を捨てた勝手な義父が憎く、その怒りを俺へぶつけていたに違いない。


『なあ、義弟よ。少し聞きたいんだが……。』

『えっ!? ……あっ!? は、はい! 何でしょうか?』


 実際、不意を突いて、試しにカマを一度かけてみたところ、これである。

 マイルズは目を丸くして戸惑った後、何と呼ばれたのかを理解して、その日は鍛錬が終わって帰るまでご機嫌だった。


 改めて、その容姿を観察してみると、納得は更に深まる。

 金髪に茶色の垂れ目。その将来はきっと女を泣かせそうなイケメンっぷりは正に義父の血と言えた。


 武に関する才能も決して悪くない。

 ショコラちゃんと比べると、さすがに見劣りするが、その年齢を考えたら申し分ない。

 難点を挙げるとするなら、マイルズに武を授けた師は広く浅く教えたらしく、剣も、槍も、弓も、素手も扱える反面、器用貧乏で止まっている。

 それだけに勝負は今後の三年間、成人に至るまでの期間の鍛錬次第で只の兵で終わるか、一角の将になるかが決まるだろう。


 確実に言えるのは現時点において、義父の『試し』に合格する可能性は残念ながら万に一つも無い。

 それに挑むなら、前述と重なるが、今後の鍛錬次第になる。まず義父には勝てないだろうが、その目に適う可能性は十分に有る。


「あっ!?」

「んっ!? ……どうした?」


 それにしても、今日は駄目駄目だ。どうしても雑念ばかりで鍛錬に没頭が出来ない。

 その理由は言うまでもないが、幾ら背後とは言えども、周囲に遮るものは無い芝生の草原のど真ん中に居ると言うのに、マイルズの声で我を取り戻さなければ、第三者が槍の間合い寸前まで接近しているのに全く気付かなかった。

 槍先を下ろして、近づく事の危険性を注意しようと背後を振り返り、目を茫然とこれ以上ないくらいに見開く。


「ま、まさかとは思ったけど……。や、やっぱり……。」


 何故ならば、その言うまでもない理由のルシルさんがすぐ目の前に立っていた。

 完全な不意打ちとしか言えない一年ぶりの再会。今日、会いに行く予定だったが、まだ心の準備が整っていなかっただけに頭の中は完全に真っ白け。

 お互いが見開ききった目で見合い、口をパクパクと開閉。言葉を募らせるも言葉が出てこない。


「どうして、姉さんがここに?」

「どうして? それは私のセリフよ。どうして、貴方がニー……。コミュショー卿と?」

「それは……。その……。コミュシュー卿が稽古を付けてくれるって……。」


 そんな気まず過ぎる沈黙の中、いつの間に回復したのか、ルシルさんとの間に俺を挟み、マイルズが会話の口火を切る。

 ルシルさんへ向けていた目をマイルズへ振り向け、声を小さく『えっ!?』と漏らして驚くが、俺も馬鹿では無い。二人の会話から、すぐに自分の大きな勘違いに気付いた。

 マイルズは間違いなく『義弟』だったが、それは義父を通した関係に非ず、ルシルさんを通した関係だったと。


 さすが、ネーハイムさんである。その重大な事実を敢えて伏せていたのは俺のプライドを考慮した上で変な先入観を持たせず、話を拗らせない為に違いない。

 もし、マイルズがルシルさんの弟だと最初から知っていたら、臆病な俺の事。この公園で鍛錬を行うのは変わらなくても、きっと使用する場所と出入口は変えていた。

 実に頼れる腹心と言いたいところだが、残念ながら貴方の主は貴方が思っているほど小器用ではありませんし、アドリブにも強くありません。

 知ってさえいれば、この避ける事が出来た修羅場。時期を見計らって、ちゃんと真実を伝えて欲しかったです。


「それこそ、どうして? 貴方、姉さんとコミュショー卿の関係を知っている筈よね?」

「はい……。でも、それは姉さんの誤解なんです! コミュシュー卿は僕の事を義弟と……。」


 ルシルさんは一見して冷静だった。

 だが、俺には解った。言葉を重ねてゆく度、怒りも重ねてゆき、その態度をゆっくりと尖らせてゆくのを。


 マイルズは果敢に立ち向かっていたが、明らかに腰が引けていた。

 その証拠にルシルさんが足を一歩踏み出すと、マイルズも一歩後退。漠然とではあるが、日頃の力関係が垣間見える一幕である。

 

「うるせぇ~んだよ! この裏切り者が!」


 そして、遂に言葉遣いが変わり、ルシルさんは戦闘モードに突入。

 持っていた包みをマイルズに思いっ切り投げ付けて、その中に包まれていた黒パンのサンドイッチが刈り込まれた芝生の上に散らばる。


「待った! 待った、待った、待った! ちょぉ~っと待った!

 二人とも落ち着こう! 冷静になろう! まずは深呼吸だ! ……なっ!? なっ!? なっ!?」


 慌てて両手を広げながら二人の間に割って入り、ルシルさんとマイルズの双方に掌を突き出す。

 ルシルさんが引いた右腕に拳を作り、左脚を踏み出そうとしていた。正に間一髪、あと一瞬でも遅れていたらマイルズは殴り飛ばされていただろう。


 その可憐で大人しそうな容姿に騙されて、何百、何千というロンブーツ教国の男達があの世に旅立った事か。

 戦闘モードを発動させたルシルさんは修羅とも、羅刹とも言える恐ろしい存在。武器を持っていなくても、その拳が、その蹴りが十分すぎる凶器である。

 事実、戦場で捕縛されかかり、馬も、愛用の大斧も失い、野獣と化したロンブーツ教国の男達に押し倒されかけたが、半裸となりながらも百人の囲みを突破。その地に地獄絵図を作り上げて生還した実績を持っている。

 もし、その一撃をまだ身体も、筋肉も出来上がっていない子供のマイルズが受けたら一溜まりもない。今は怒りで我を忘れていても、絶対に後悔すると解っている行為をルシルさんにさせてはならない。


 いざとなったら俺が受けるしかない。

 その挙動に視線を光らせながら内心は戦々恐々に待ち構えていると、やや間を空けて、ルシルさんは右拳を戻して、大きく息を吐き出した。


 胸をホッと撫で下ろして、俺自身も思わず大きく深呼吸する。

 一瞬後、その格好悪さに気付いて、右拳を口にあてがい、わざとらしい咳払いで間を作ると、ルシルさんにニッコリと微笑んだ。


「ルシルさん、久しぶりだね。元気そうで安心したよ」

「コミュショー卿もご健勝でなりよりです。

 過日は北の地で随分と世話になっていながら、挨拶が遅れた事を深くお詫びすると共に貴殿のご栄達を心よりの御祝い申し上げます」


 しかし、ルシルさんの態度と言葉は固かった。

 完全な他人行儀。閉じた左手を胸にあてがいながら右足を半歩引き、その礼も正式な作法に則ったもの。


 ここは王都、今の季節は春。

 それなのに寒い。骨の芯まで寒すぎる。

 隣の兵舎にすら行き来が出来なくなるトーリノ関門の真冬に吹き荒ぶブリザードの直中に居るのかと錯覚する。

 最早、あの素敵な笑顔は二度と見られないのかとルシルさんの肩を堪らず掴む。


「……えっ!?」

「それに重ねて……。ティラミス嬢との御婚約、おめでとう御座います。末永く、お幸せに……。」


 すると顔を上げたルシルさんは泣いていた。涙をポロポロと零しながらも、俺が見たいと願った笑顔を浮かべて。

 胸が痛いほどに強くドキリと跳ね、その拍子に思わず掴んだ筈のルシルさんの肩を放してしまう。


「では!」


 それが大失敗の始まりだった。その隙を突き、ルシルさんが踵を返して走り出す。

 一瞬、茫然となりかけるもすぐに我を取り戻す。さすがの俺とて、こういう時は真っ先にどうしたら良いのかぐらいは解り、全力疾走の邪魔となる槍をマイルズに放り投げる。


「マイルズ、それを屋敷に届けておいてくれ! 場所は解るだろ!」

「はい! 姉さんをよろしく頼みます!」

「おう! 任せておけ!」


 心の準備が整わないままに一年ぶりの再会を果たしたが、今こそが絶好のチャンスにして、最後のチャンス。

 それを絶対に掴み取る為、俺は必死に追いかけた。




 ******




 俺も、ルシルさんも身体が資本の軍人である。

 その日々の鍛錬は厳しく、厳しいからこそ、武器を自在に操り、防具を身に纏っても普段と変わらない動きが出来る。


 つまり、その二人が追いかけっこをしたら、決着を着けるのは難しい。

 王都の各城門が開く合図の鐘が鳴った後も、俺とルシルさんの追いかけっこは貴族街、平民街、下町の王都全土を舞台に延々と続き、最終的にルシルさんが自宅へ逃げ込んで終了。

 残念ながら午後から外せない上級貴族との面談予定があった為、決着の行方は明日以降に持ち越しとなった。




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