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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第七章 男爵 百騎長 王都漫遊編
56/140

幕間 その1 ルシル視点



ニートが義姉のカーテリーナからルシルとの関係について問われ、眠れる夜を過ごしていた頃。

その『ルシル』もまた眠れぬ夜を過ごして、いつもと変わらぬ朝を迎えようとしていた。




 ******




「ルシルさん!」


 見上げるほど高く積まれて、整然と列べられた麦袋の合間に作られた細い通路。

 ある十字路に差し掛かった瞬間、右から伸びてきた手にいきなり腕を掴まれて引き寄せられ、そのまま麦袋の壁に身体を押し付けられる。


「キャっ!? ……だ、駄目! だ、誰か、来ちゃう!」


 すぐさま首筋を吸われながら、その一方では身体を激しく貪られて、人目を理由に拒んでみせるが、その心配は最初から要らないと知っていた。

 ここは立場ある私達だから入れるトーリノ関門の食料貯蔵庫。もし、私達以外の者が入ってきたとしても、それを立て付けの悪い出入口の引き戸が音を鳴らして教えてくれ、積まれた麦袋が作る網目状の通路を利用すれば、その新たな来客と顔を合わせずに貯蔵庫から出て行くのも容易い。


 だからこそ、何度も逢い引きに利用しているとっておきの場所。

 難点を挙げるなら、今は勤務時間中であり、先ほどお昼を食べたばかりで空がまだ明るいと言う点か。


 しかし、二人だけの合図。ニート君が執務室を持つ司令本部前の置き石を見つけた時から胸はドキドキと弾んでいた。

 ここを訪れる道中、これから訪れる甘い時を期待して、私の身体はニート君を受け入れる準備をとっくに整えていた。


「うん、そうだね。ごめん、やっぱ駄目だわ」

「……えっ!?」


 ところが、予想外の出来事が起こる。ニート君は私の拒絶をあっさりと受け入れ、行為を止めると拘束も解いた。

 思わず茫然と目が点になる。ニート君に触れられた身体の熱は高まっており、ここで止められたら切なすぎる。


 もしや、焦らしているのだろうか。

 そう考えて、はしたないとは思ったが、私達の間にそれは今更の問題。その場にしゃがむ。


「ほら、腹筋が割れている女の人はちょっと……。ねぇ?」

「う、嘘! ま、前はそれが良いって!」


 だが、ニート君は伸ばした私の手を避ける様に一歩下がると、私がコンプレックスを最も感じている点を挙げて苦笑い。

 それも只の苦笑いでは無い。蔑みと小馬鹿を入り混ぜたもの。


「なら、取り消すよ」

「そ、そんなっ!?」


 切なさで一杯だった心が絶望に染まる。

 信じられなかった。目を大きく見開いた顔を左右に振るが、そのいつも甘く囁いてくれた口は辛辣に尖ったままで厳しい現実は変わらない。


「じゃあ、お幸せにねぇ~~?」


 挙げ句の果て、ニート君は未練など微塵も感じさせない他人顔の笑顔で手を振り、振り返る気配も見せずに去ってゆく。




「嫌! 捨てないで!」


 絶叫にも近い叫び声をあげながらベッドから跳ね起き、すぐに気付く。

 目一杯に伸ばした右手の先にニート君は居らず、あるのは見慣れた灰色の壁。ここがトーリノ関門の食料貯蔵庫ではなく、自室のベッドの上だと。


「フフッ……。フフフフフッ……。ううっ……。」


 つまり、今見ていた光景は夢であり、過去の記憶。

 だが、跳ね起きた拍子に頬を伝い流れた涙は現実。これでもかと期待に尖っている胸の先っぽも、おねしょをしたのかと思うほどに湿り気を帯びているショーツも現実。

 それは私が抱えている未練と欲望を如実に表していた。


 今、この王都にニート君が居る。

 そう噂に聞いてから、ほぼ毎朝がこの調子。 すっぱりと諦めたつもりだったが、ちっとも諦めきれていない。

 あまりの情けなさに失笑が漏れ、それはすぐ嗚咽へと変わった。顔を両手で覆い、肩を振るわす。


 子供の頃、私は男として育てられた。

 母は五人の子を産んだが、男に恵まれず、父さんがとうとう痺れを切らして、五人目に生まれた私を男だと言い張って、そう決めたからだ。


 我が国、インランド王国は女性の家督相続を認めているが、実際に女性が家督を継ぐ例は少ない。

 社会が基本的に男性で成り立っている為、やはり男性と比べたら、女性は何かと不利だからだろう。


 それ故、父さんの気持ちも解らないでもない。苦渋の選択だったに違いないのだから。

 ただ、今は亡き母は事ある事に私へ謝っていた。四人の姉達も申し訳なさそうな表情を良く見せていたが、当時の私は何故に謝っているのかが良く解っていなかった。


 なにしろ、我が『エスカ家』の領地は土地の広さだけなら上級貴族並みのものを持っているが、その実はインランド王国の西方領と南方領を分断するジブラー山脈の西方領側の山塊地。早い話がド田舎である。

 治めている村は三つあるが、そのどれもが限られた狭い平野部に作られた隠れ里の様な小さな村で総人口は五百人程度。旅人や行商人が滅多に訪れない閉鎖した小さな世界にあって、領主たる父の言葉は絶対とも言え、領民達は私を男として扱った為、私自身も自分が男だと信じて疑わなかった。


 男が男たる証のアレとて、女の小さなアレが大人になったら大きく立派なモノになるのだと本気で信じていた。

 だから、数人しか居ない同世代の男友達にからかわれても、その証拠に自分も立ったままで用が足せると息巻き、ズボンを何度も汚しては姉達に叱られた思い出がある。


 そんな私に転機が訪れたのは十一歳の夏だった。

 初潮を迎えるに至り、一番上の姉さんがいい加減にしろと父さんに詰め寄ったところ、ここで大事件が発生する。

 その昔、遠い北方の地に戦役へ赴いた父さんが現地妻を作っていた事が発覚した上、その平民の女性との間に男の子が生まれていた事実まで判明。揉めに揉めた末、私はお役御となった。


 当然、私は困った。領民達も困った。

 男として、十年も過ごしていた、扱っていたのだから『はい、そうですか』と急に変われる筈が無い。

 私は王都に移り住み、王都屋敷を管理する二番目の姉さんの元で女としての社会復帰を目指す事となった。


 ところが、ところがである。十四歳の秋に転機が再び訪れる。

 ミルトン王国との戦いの最中、父さんが矢を右膝に受けてしまい、その矢傷が原因で歩行に杖を手放せなくなり、騎士としての引退を迎えねばならなくなったのである。


 しかし、私の後釜に座った弟『マイルズ』はまだ六歳。

 通常、爵位の継承は後継者が幼くとも問題は無いが、我が家に限っては大きな問題があった。


 それは我がエスカ家が貧乏という悲しい事実。

 一応、父さんの名誉の為に言っておくが、父さんの経営手腕が悪い訳では無いし、浪費癖がある訳でも無い。全てはご先祖様に原因がある。


 我がエスカ領はド田舎ではあるが、昔は鉄鉱石の産出によって、それぞれの村は職人や商人で賑わい、旅人も訪れて、我が家も元々は裕福だったらしい。

 それが四代前の当主の時、鉄鉱石が採れなくなり、新たな鉱脈を掘り当てようとしたが、山師に何度も騙された挙げ句に毒泉を引き当て、麓にあった二つの村を駄目にしてしまい、残ったものと言えば、莫大な借金のみ。


 四代に渡って、その返済に領地収入のほぼ全額を充てているが、完遂は私達の孫の代。

 それだけにエスカ家が世襲を許されている王都での役職『南門門番長』で得られる給金は我が家の生命線に等しかった。

 あとは父さんの様に戦役へ積極的に赴き、手柄を立てて、報奨金を狙うしか収入を得る手段は無かった。


 だが、そのどちらも六歳の幼子に求めるのは不可能と言うもの。

 特に『南門門番長』の役職を継げる者が居らず、その不在が二、三年程度ならまだしも、それが十年近くとなったら、当家に資格無しと判断されて世襲資格を失うのは目に見えていた。


 その結果、私に白羽の矢が立った。

 十五歳の時に騎士叙任を受けて、トーリノ関門へ兵役義務で赴く事となり、それが済んだ後は男爵の爵位と南門門番長の役職を一時的に預かり、その二つをマイルズが成人後に継ぐという形で決まった。


 父さんは何度も、何度も謝った。自分の勝手ばかりを押し付けて申し訳ないと。

 姉さん達も何度も、何度も謝った。家の都合を私だけに押し付けて申し訳ないと。


 この時、ようやく亡き母が謝っていた理由に理解が追いついたが、その通りだと憤慨する一方で喜びもあった。

 女らしくないからと止められ、隠れて行っていた鍛錬を堂々と行える様になり、馬に乗って駆け巡る楽しさを再び得られて。

 やはりと言うべきか、外見はそれなりに女らしさを装える様になったが、まだ男として育てられたモノが芯の部分で残っていたらしい。


 髪を伸ばして、仕草や言葉遣いを改めた。女物の下着を着けて、スカートを履くのも慣れた。その方が可愛いからと勧められて、伊達眼鏡までかける様になった。

 女らしいとされる趣味の類を一通り経験させられて、姉さんが参加しているお茶会にも出席して、王都での女友達も何人か出来た。


 でも、どうもしっくりと来なかった。

 私を女らしくさせようと一生懸命な姉さんの手前、言い出せなかったが、私の中で何かが違うとずっと囁いていたのだ。


 それが顕著に現れたのが、戦場だった。

 普通なら不安で堪らず、逃げ出す者すら居る初陣。それが逆にワクワクとした期待感に満ち、私は皆と違う意味で前日の夜を眠れずに過ごした。


 しかも、戦場にいざ出てみたら、これが愉快で堪らない。

 特に強者との死力を尽くした戦いは性的な快感すら覚え、それをより味わおうと誰よりも先頭を駆けている内に一年目で『十騎長』に昇進した。


 一方、姉さんが私に厳しく教育した女らしさも残っていた。

 それが戦場でのあの男らしさと女らしさが混じった妙な言葉遣い。


 同僚から指摘されるまで全く気付かずにいて、直そうと努力してみたが、直らないと言うよりは直せない。

 言葉遣いを意識すると、戦いに集中が出来ず、もどかしさばかりが募り、私は言葉遣いの矯正をあっさりと諦めた。


 その影響でそれまで友人だと思っていた何人かの男達が話しかけて来なくなったがまるで気にならなかった。

 どうしてだろうとは思ったが、当時は解らず終い。今にして思えば、その言葉遣いに女としての私を幻滅したのだろう。


 そして、トーリノ関門での二年目。あの大逆転劇の戦いが始まる。

 当時、私は第一番門を護る一部隊を率いていた為、寝泊まりしている兵舎がトーリノ関門の端にあったのが幸いした。

 ロンブーツ教国軍の夜襲を受けて、指揮系統が完全に混乱する中、応戦に出ようとしたところを副官に諭され、私達の部隊は撤退。同様に逃げてきた者達を纏めて、ラクトパスの街に至る道中の各村で防衛戦を行うが、守勢を得意としない私は敗退を繰り返す結果となる。


『こうなったら、一人でも多く逃げるんだよ!

 但し、ケツを掘られたくなかったら、街道は止しな! 行くなら、森だ! 散り散りになって、森の中に逃げ込みな!』


 それが私の最後の命令だ。防衛部隊は完全に崩壊して、活路は何処にも見当たらず、村の周囲に広がる森の奥深くへと逃げた。

 但し、それはよりマシな死地に過ぎない。身体は既に疲労困憊して、傷も負っており、普段は雑魚モンスターでしかないゴブリンやコボルトですら、もし出会ったら死は確実であり、女を見たら犯すしか脳がないオークに見つかったら、嬲られる前に自決しようと覚悟も決めていた。


 しかし、私が出会ったのはニート君だった。

 ちょっと休むつもりで寄りかかって座っていた木の根元。いつの間にか、気を失っていたらしい。

 頬を軽く叩かれて、意識を取り戻すと共に身体が勝手に動き、目の前のニート君に襲いかかるも逆にあっさりと腕を取られ、土を舐めさせられながらも『くっ!? 殺せ!』と叫んだのを良く憶えている。

 どうして、良く憶えているのかと言えば、その直後にいきなりニート君がお腹を抱えての大爆笑。その茫然となるしかない状況がとても印象深かったからだ。


 そんなニート君へ対する私の第一印象は二枚目半の七光り。

 恐らく、その後に再会を果たした十数人にまで減った部下達も同様だったに違いない。

 ニート君が率いていたトーリノ関門を攻略する為の部隊は百騎長どころか、他の十騎長も居らず、先任の十騎長である私に指揮権を何故に渡さないのかと不満を良く零していた。


 だが、その認識はすぐに変わった。部下達もまた不満を次第に減らしてゆく。

 まるで未来を知っているかの様な戦略とその未来へ向かって進む為の戦術。武器を振り回して、目の前の敵を倒すだけしか取り柄の無い私とは明らかに違った。


 多分、嫉妬と憧れ。その二つの入り混じった感情が最初のきっかけ。

 いつしか、ニート君が気になる存在となり、その姿を自然と探して追いかける様になっていたが、当時の私はそれが恋だとはちっとも気付いていなかった。


 トーリノ関門奪還後、同じ兵舎に住む事となった娘達の話によると、もう一目で解るくらいにバレバレだったらしいが、男として育てられた私である。

 それまで男性に友情は感じても、恋心を感じた経験は一度も無かった。時折、ニート君と目が合った際、胸がドキリと高鳴った事もあったが、首を傾げて戸惑うだけで済ませていた。

 恥ずかしながら明かすと、私が自分の中のニート君に対する好意をはっきりと自覚したのは処女を失った直後になる。


『あぁん? 何だい? 用も無いのに良く話しかけてくると思ったら……。あんた、あたしに惚れていたのかい?

 あっはっはっ! お生憎様! 残念だけど、あたしはあんたの様なフニャチン野郎は趣味じゃないんだよ!

 でも、どうしてもって言うのなら、ロンブーツの早漏野郎をどっちが多くイかせるかで勝負と行こうじゃないか!

 もし、あんたが勝てたら……。そうだね! 今夜、あたしの寝所に来な! 褒美にあたしの処女をくれてやるよ! 

 まあ、このあたしがあんたの様なフニャチン野郎に負けるなんて、絶対に有り得ないけどね! ……ぷっ!? あっはっはっはっはっ!』


 その日の昼、命令違反とは言え、味方の劣勢を静観したままでいるニート君に腹を立てて食ってかかったのが全ての始まり。

 今にして思えば、赤面するしかない言葉だが、この時はあくまで発破をかける為のものであって、軽い気持ちの冗談でしかなかった。


『ひゅー! ひゅー! 今夜はお楽しみですね!』

『まあ、ルシルらしい告白だったんじゃないかな?』

『じゃあ、頑張ってね。私達はそれぞれ友達の所に泊めて貰うから』

『その代わり、感想をちゃんと後で聞かせろよー!』


 それが冗談で無くなったのが、夕食後。そう告げて、同じ屋根で寝泊まりしている娘達が兵舎を次々と出て行き、誰も居なくなった後の事だった。

 最初、彼女達が何を言っているのかが解らなかった。賭は確かに負けたが、前述の言葉はあくまで冗談であって、ニート君も本気で捉えている筈が無いと考えていた。


 しかし、普段は姦しい筈の兵舎にたった一人。

 それだけに感じられる胸のドキドキとした高鳴りの五月蠅さ。


 知らず知らずの内、普段はカラスの行水だと言われている入浴を念入りに行っている自分が居た。

 あまつさえ、皆が兵舎を出て行く前、『どうせ、ルシルは持っていないだろうから』とプレゼントしてくれたネグリジェと下着の一式。中身がスケスケな黒いソレを身に纏い、自室のベッドの上で正座して、誰かを待つ自分が居た。


 ところが、時は一刻、二刻と過ぎてゆき、夜はどっぷりと更けてゆく。

 当初は高鳴っていた胸も治まり、風が木窓を揺らして、小さな音を立てる度、身体が過剰にビクッと震わせていたが、それもすっかりと慣れた。


 やはり同居人達が変に勘ぐりすぎたのだろうと苦笑して、もう寝ようとベッドの中に入るもこれが眠れない。

 焦れに焦らされた身体が火照っており、目を瞑れば、瞑ったで先ほどまで期待していたモノが瞼の裏に映り、悶々と目が冴えわたってくるのみ。


 思わず手が何度も伸びかけたが、次の瞬間にドアが開いたらと考えたら、その火照りを冷ます術は使えなかった。

 もし、その現場を見られでもしたら、ここにはもう居られない。何もかもを捨てて、旅に出るしかなくなる。


 そうこうしている内、その悶々としたモノは苛々としたモノへと変わってゆく。

 自室とリビングを意味もなく往復。寝る、起きる、水を飲む、顔を洗う、トイレに行くを繰り返して、苛立ちを溜めに溜めた末、どうやらキレてしまったらしい。と言うのも、その後の記憶が無い。


 我を取り戻したのは破瓜の痛みを感じてだ。

 今まで満たされず、ずっと欠けていた部分がピタリと填った様な最高の感覚。同時に最悪の状況だった。


 どう見ても、私がニート君を襲ったのは明らか。私の初恋は始まった瞬間に終わったと感じた。

 明日からは話しかけてさえもくれず、視線さえ逸らされるだろうと考えて、これが最後ならと自棄になり、そのまま自分本位に貪りまくった。


『ええっと……。その……。どうして、泣いているのかな?

 どちらかと言うと、それは俺の立場で……。取りあえず、う~~~ん……。少し休ませてよ。さすがに休み無しの三回連続は死ねるって』


 しかし、満足に満たされながらも悲しみに満たされ、放心しながらも裁きを待っていた私にそう茶化すと、ニート君は私を慰めて、改めて優しく抱いてくれた。

 今更ながら思う。こんな酷い目に遭い、あの戦場での言葉遣いを知って、その理由が男として育てられた昔話を聞いても『オスカル様だね。解ります』と意味不明な事を言うだけで態度を全く変えなかったニート君は希有な存在であり、私にとっては理想の相手だったと。


 それからの一年間は本当に幸せだった。

 ニート君の隣には既にララちゃんとアリサちゃんの二人が居たが、私達は相性が良かった。

 一人の男を巡って、複数の女達が嫉妬の炎を燃やし合い、諍いを起こす。王都に居た頃、姉さんと一緒に参加していたお茶会で良く聞いた上級貴族達の噂話の様になったりする事は一度たりとも無かった。

 アリサちゃんがトーリノ関門を訪れている時はアリサちゃんが、それ以外の時は私とララちゃんがと言うサイクルが自然と出来て、ニート君も私達三人を平等に愛してくれた。


 数年前に別れ離れとなりながらも、ニート君がずっと愛し続けている幼馴染みのコゼットさん。

 その存在を暫くして聞かされたが、特に嫉妬心は湧かなかった。きっと私達三人の様に上手くやっていけると考えた。


 そう、この頃の私は今の幸せが未来永劫まで続いていると信じて疑わなかった。

 女として生まれたのを感謝しながら、男として育てられたが故にニート君と出会えた幸運を感じていた。


 その幸せが終わりを告げたのは兵役期間を満了して、ニート君より一年先に王都へ戻ってきた去年の春の出来事だった。

 ニート君から『一年後、必ず迎えに行くから』と言われていたが、別れてから一ヶ月も経つと、私はニート君と会えない寂しさから確かな繋がりを欲する様になった。


『今まで父さんの我が儘を聞いてきた分、今度は私の我が儘を聞いて欲しい。実は……。』


 その言葉から始まり、打ち明けたニート君との関係。

 貴族の娘として、婚姻を結ぶその時まで絶対に守らなければならない大事な処女を既に捧げている事実をある為、猛反対されるとばかり思ったが、父さんも、姉さん達も意外なくらい喜んでくれた。

 当時のニート君は世襲が許された士爵位。男爵である我が家とは格違いになるが、レスボス侯爵家の血筋であり、とんでもない良縁だと。

 それどころか、レスボス侯爵家ほどの家から婿を取るのだから、私達の間に子供が出来たら、その子に男爵の爵位と南門門番長の役職を継がせても良いとまで言ってくれた。


『あーーー……。そのだな。真に言い難いのだが……。

 弟はオータク侯爵家のティラミス嬢と婚約が内々の話で決まっている。就いては弟との関係を詳しく聞かせてくれないだろうか?』


 だが、婚約を申し込みに浮かれながら訪れたレスボス侯爵家屋敷にて、侯爵様本人から絶望を知らされる。

 ニート君とオータク侯爵は年齢を越えた友人同士らしく、その話は色々と聞いてはいたが、そんな話は一度も聞いた事が無かった。


 しかし、聞いていようが、聞いていまいが、相手が侯爵家令嬢となったら相手にならない。

 私とニート君の関係を聞いた侯爵様は正式な側室『第二夫人』としてはどうか、その条件でならオータク侯爵と話を纏めてみせると好意を示してくれたが、我が家の事情がそれを許さなかった。


 そう、弟が成人後に男爵位を得て、兵役義務を満了。一人前と認められて、南門門番長の役職を継承するまで、あと六年もかかる。

 それまで私は南門門番長の役目を担わなくてはならず、オータク侯爵領がある南方領にニート君と一緒に向かう事は出来ない。


 もし、その六年を待って貰えるとしても、その時の私は二十五歳。

 適齢期としては辛うじてギリギリだが、行き遅れ間近の女が侯爵家ほどの上級貴族の第二夫人になるのは明らかにおかしい。


 ましてや、我が家は莫大な借金があり、憶測を色々と呼びやすい。

 私だけならともかく、家族や領民達が後ろ指を指されるのは嫌だった。


 どう足掻いても諦めるしか他は無く、私があまりにも落ち込んだ為だろう。

 この一件が済んだ後も侯爵様は私を気づかって南門を度々訪れる様になり、ようやく最近は笑って話せるくらいの関係になっていた。

 それと何度も断ったのだが、どうしても気が済まないと多額の慰謝料を半ば押し付けられ、孫の代まであった我が家の借金は大幅に減り、マイルズの代で完遂予定となった。


「ルシル、今の声っ!?」


 ふと此方に駆けてくる廊下の足音に気付き、慌てて涙を拭っていると、出入口のドアが勢い良く開き、姉さんが血相を変えて現れた。

 決して広くはない家。もしかしなくても、先ほどの叫び声を聞かれたのだろう。


「……って、またなの?」

「ご、ごめん……。」


 しかし、涙を拭っても隠せない泣き腫らした私の顔を見るなり、姉さんは溜息を深々と漏らした。

 当然である。夜、入浴後に履き替えているにも関わらず、また朝になると履き替えて、洗濯物を無駄に増やしているのだから、その理由も当然の事ながらバレる。


「しっかし……。あんた、どれだけ欲求不満なのよ?

 昨晩だって、随分と……。そうだ。言おう、言おうと思っていたんだけど……。」

「……な、何?」


 だが、この隠し事がバレた当初、私の悩みを真剣に聞いてくれ、一緒に泣いてくれた姉さんは何処に行ったのだろうか。

 その口から励ましの言葉や慰めの言葉が聞かれなくなって随分と久しい。今や、私の心を容赦ない言葉でザクザクと突き刺してくる。


「声が大きい。シてる時、部屋の前を通ると丸聞こえだから。

 そりゃぁ~~、声を上げた方がすっきりするのは解るけどさ。今はマイルズも住んでいるんだから、少しは声を抑えて……。」

「う、うるさい! で、出て行け!」


 今も嫌な予感を覚えたが、案の定だった。

 そのストレートが過ぎるモノの言い様に思わず絶句した後、恥ずかしさのあまり枕を投げ付けるが、所詮は枕。当たりはしたが、姉さんの暴言は止まらない。


「あとさ。あんたが毎晩の様に盛っているから、うちの旦那が煽られてね。おかげで、今日も眠くって、眠くって……。」

「本気で怒るよ!」

「キャっ!?」


 よりにもよって、自分達の夫婦仲自慢。これ見よがしにわざとらしい欠伸の真似までする始末。

 最早、怒り心頭。ベッドから駆け下り、眉を吊り上げながら右拳を振り上げると、姉さんは愉快そうな悲鳴をあげて、私の部屋から素早く撤退。ようやく平穏が訪れる。


「シーツも汚れているなら、ちゃんと洗濯に出しておきなさいよぉ~~!」

「わ、解ってるわよ!」


 ところが、そう思った矢先。逃げた廊下の先から捨て台詞が届く。

 即座に出入口のドアを叩き付ける様に勢い良く閉め、聞くに耐えない暴言をシャットアウトする。


 しかし、腹は立ったが、姉さんに感謝する。暴言ではあるが、アレは勇気付けだと解っていた。

 実際、先ほどまでは沈みきっていた気分はかなり晴れていた。今日も一日を頑張ろうという気力が湧いており、その為にもまずは着替えを済ませようと振り返って、目の前の光景に顔を引きつらせる。


「う゛っ……。」


 掛け布団が跳ね除けられて、露わとなっているベッドのシーツ。

 姉さんが言った通り、小さくはあるが、地図がくっきりと描かれており、こんな身体にしてくれたニート君に思わず憎しみを覚えた。




 ******




「おはようございまーす」

「やあ、おはよう。今日は早いんだね? それに休みじゃなかったっけ?」

「ええ、ちょっと早起きしちゃって」


 泣いて充血していた目が元に戻ったのを見計らい、ダイニングへ向かうと、義兄さんが朝食を摂っていた。

 二番目の姉さんと結婚した義兄さんはエスカ領の隣に領地を持つ元子爵家の三男坊。当代士爵の爵位を持っており、南門門番長である私の副官を務めている。

 その為、この屋敷から出たら、私が上司となるのだが、この家の中では義兄さん。ちょっと言葉遣いの区別が面倒だけど仕方がない。


 この屋敷に住んでいるのは私と姉さんと義兄さんと弟のマイルズの四人。

 マイルズは去年まで領地で暮らしていたが、人が多い王都での生活に慣れる為と成人後も続く縁を作る為、この春に王都へ上り、それと入れ替わる様に父さんが領地へと戻っている。


「早起きねぇ~?」


 私達の会話が聞こえたのだろう。隣のキッチンから笑みを含んだ姉さんの声が届く。

 それを見に行かずとも意地悪そうにニヤニヤと笑う姉さんの姿が解り、キッチンがある方向を鋭くギロリと睨み付けたその時だった。


「いってきまーす!」

「はーい、いってらっしゃーい!」


 朗らかなマイルズの声が玄関から聞こえ、姉さんがそれを当たり前の様に応える。

 春の半ばを過ぎているが故に陽は既に昇っているが、今の時刻は王都の各城門がまだ開いていない早朝。思わず玄関に振り向けた目を丸くさせる。


 だが、義兄さんも姉さん同様に全く動じていない。

 もしや、私が気付かない内に王都の各城門が開く合図。私や王都に住む者達全員が朝の目覚まし代わりにしている光の教会の鐘が鳴ったのかと一瞬考えるも、ダイニングの光景がそれをすぐに否定する。

 朝、南門を開ける責任者で常に早番勤務の義兄さんがここで朝食をのんびりと摂っているのが何よりの証拠。やはり時刻は早朝で間違いない。


「ねえ、こんな朝早くから何処に出かけたの?」


 当然の疑問を持ち、朝の新鮮な空気を取り入れようと開け放たれている窓から上半身を乗り出してみれば、急ぎ駆けて行くマイルズの後ろ姿が見える。

 それも鍛錬の際に使用する長棒を担いでだ。こんな朝早くから鍛錬とは実に感心だが、それならそれで何処かに行かずとも庭で行ったら良い。先日、私が何の為に休みを返上して、つまらない庭の草むしりを行ったと思っているのか。


「ああ、ルシルちゃんは知らなかったんだね。実は……。」

「あっ!? あの子ったら、朝ご飯を忘れている! ……って、もう居ないし!」


 その疑問に義兄さんが応えようとするが、それを上書きする叫び声がキッチンからあがる。

 慌てて姉さんはダイニングを通り、玄関に駆けてゆくが、マイルズの姿はもう見えない。悔しそうな声が玄関から届く。


 その瞬間、私の第六感が『逃げろ』と囁いた。

 考えるよりも早く、すぐさま足音を消しながらキッチンに向かう。朝食は後回しになるが、勝手口から逃げ出れば、私の勝利だ。


「あら、こんな所から何処へ行くの?」


 しかし、勝利を確信して、勝手口のドアを開けると、なんと姉さんが目の前に待ち構えているではないか。

 息が少し切れているところから察するに玄関を出て、わざわざ外を走り、私以上の早さで勝手口に回り込んだらしい。


 無言のまま、即座に回れ右。その場を足早に離れようとするが、右肩をガッチリと掴まれる。

 義兄さんが顔を背けながら肩を震わせている。


「勿論、届けてくれるわよね?」

「えーーっ!? どうして、私が! 大体、マイルズは何処へ行ったのよ!」

「北公園らしいわ。お願いね?」

「だから、どうして! 私、今日は休みなんだけど!」


 そして、告げられる信じ難い要求。

 右肩を引き寄せられて、強引に半回転させられた挙げ句、マイルズが忘れたらしき朝食の包みを姉さんが押し付ける。


 改めて言うと、この屋敷に住んでいるのは四人。

 普通、領地持ちの貴族の家なら、こういった場合は使用人が届けてくれるのだろうが、貧乏な我が家に使用人など居ない。

 前述にもあるが、今や男爵となった私自ら庭の草むしりを行っているくらいだ。


 この屋敷とて、貴族街にこそあるが、我が家の財政が傾く前に立てられたモノで貴族街にある屋敷とは思えないほどに古びている。

 使っている部屋は一階の数部屋のみ。それも掃除が楽だからという理由で嘗ては使用人達が使っていた部屋を使い、その他は物置か、埃が積もりっぱなしの状態。

 二階に至っては立ち入り自体を禁止していたが、最近は猫の親子が住み着いたらしい。鳴き声がニャー、ニャーと聞こえ、屋敷の中を歩いている姿をたまに見かける。


 いっそ、屋敷を手放して、借金返済の足しにすれば良いのだろうが、この屋敷が我がエスカ家の最後の砦とも言える貴族の見栄でもある。

 それに貴族街の南に位置している為、勤務先である南門に通勤する上で近いという利点も手放さない理由として挙げられる。


 それ故、マイルズが向かった『北公園』は逆に遠い。

 その名前で解る通り、この屋敷とは王城を間に挟み、上級貴族達の屋敷が比較的に建ち並んでいる第二郭北区に在り、そこまで行くとなったら結構な運動になる。

 何故、休日の朝っぱらから、そんな遠出を好き好んで行わなければならないのか。冗談じゃない、真っ平御免である。


「どうしてって……。あんたが一番暇だからよ。

 ほら、私はさ。誰かさんのせいで洗濯に忙しいからね」

「うぐっ……。」

「それとも、それとも? どうして、忙しいかをここで詳しく説明しようか?」

「解ったわよ! 行けば良いんでしょ! 行けば!」


 だが、それを言われたら、ただ黙って従うしかない。

 私の毎晩の事情は義兄さんにも知られているらしいが、家族に必要なのは察しと思いやり。その事実を敢えて口に出されては堪らない。

 マイルズが忘れていった朝食の包みを姉さんの手から苛立ち気に引ったくり取る。


「ありがとう。それじゃあ、よろしくね」

「ふんっ!」


 しかし、まだ知る由も無かった。この不承不承ながらも引き受けたお使いの目的地にて、まさかの運命の再会が待っているのを。




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