第06話 叔父と姪と甥と長女様
「叔父様ぁぁ~~~っ!」
「んっ!?」
長女様が襲来した翌日。その命令に逆らう訳にもいかず、憂鬱ながらも訪れた王都貴族街にあるレスボス侯爵家屋敷。
馬車から降りて、三歩目。玄関の二枚ドアが左右に勢い良く開き、ポニーテールの赤い髪をピョコピョコと跳ねさせながら満面の笑顔で少女が駆けてきた。
彼女の名前は『ショコラ・デ・ミディルリ・レスボス』、長女様が生んだ次女で年齢は十七歳。
ドレスのスカートの裾を両手で摘み上げ、白い足を見せているのは淑女失格だが、その三年前と変わらない元気っぷりに思わず頬が緩む。
ところが、あと数歩の距離まで迫り、ショコラちゃんは走る速度をまるで緩めようとはせず、表情が真顔に戻る。
まさか、その短距離ランナーばりのトップスピードで抱き付いてくるつもりか。慌てて腹筋に力を入れて、両手を大きく広げると案の定だった。
「んぐっふっ!?」
ショコラちゃんは笑顔をより輝かせて、ホップ、ステップ、ジャンプ。
抱き付いてくるどころか、両手を俺同様に大きく広げながら俺の胸に飛び込んできた。
刹那、その凄まじい衝撃に息が詰まる。
即座に右足を退かせて、衝撃を吸収するも吸収しきれず、力のベクトルを逸らす為に腰を左に捻る。
「あはは! 叔父様、お帰りなさい!」
その結果、退いた右足を軸にして、ショコラちゃんが勢い良くグルリと一回転。
それが好評を得たのか、ますますご機嫌に笑うショコラちゃんだったが、成長期における三年間の時の流れを考えて欲しいものだ。
身長も、体付きも、随分と見違えている。三年前はまだまだ女の子でしかなかったが、今では立派なレディーに変貌を遂げている。
特に身長差の関係から鳩尾辺りに感じる長女様譲りの急成長した素敵な柔らかさは三年前には無かった逸品。いつまでも堪能していたい素晴らしさ。
しかし、たったの二歳違いとは言えども、俺とショコラちゃんは叔父と姪の関係。
叔父として、だらしない鼻の下が伸びた顔は見せられないし、若き血潮を急速に滾らせ始めているソレを気付かせるなんてのは以ての外。
胸の中に居るショコラちゃんを下ろして、煩悩の『ぼ』の字も感じさせない爽やかな笑顔で三年ぶりの再会となる挨拶を返す。
「はい、ただいま。ショコラちゃんも元気そうで安心したよ。
それにしても、随分と背が伸びたね。前はこれくらい……。俺の胸辺りくらいだったのに」
だが、記憶にある三年前のショコラちゃんの姿を思い出して、右手を胸の前に置き、その後にショコラちゃんの頭を撫でたのは完全な失敗だった。
たった今、ショコラちゃんが立派なレディーに成長したのをこの身を以て認識したのだから、レディーとして褒めれば良かったのを三年前と変わらない扱いを行ってしまい、それに気付いた時は既に遅かった。
「えへへ……。って、もーーっ! 子供扱いしてぇーーっ!
ほら! こっちだって、ちゃんと成長しているんですよ! ママほどじゃないけど、どうですか!」
三年前の様に嬉しそうなとろけた笑顔を見せたのはほんの数瞬のみ。
ショコラちゃんは頭に乗る俺の右手を乱暴に打ち払い、唇を尖らせながら俺を上目遣いに睨み付けると、自分自身の胸を下から持ち上げてのアピール。前に進み出て、ソレを俺に押し付けてきた。
「う゛っ!?」
前の世界での規格で言うなら、Dカップか、Eカップ。
コゼットとララノアは勿論の事、アリサでも味わえない凄まじい破壊力に俺の若き血潮は再び急速沸騰。
これが酒場や娼館のお姉さん相手なら『とても大好物に御座います!』と返して盛り上がるところだが、今まで築き上げてきた素敵な叔父のイメージを崩す訳にはいかず、慌てて一歩後退する。
「フフっ……。」
しかし、それが更なる失敗に繋がった。
ショコラちゃんは目をパチパチと瞬き。俺の反応に対して、不思議そうなキョトンとした表情をしていたが、すぐに口角だけを上げて、妖艶にニンマリと笑った。
「……ショ、ショコラちゃん?」
その以前は有り得なかった女の顔に胸がドキリと跳ね、それと共に次々と脳裏に蘇ってくる三年前の思い出。
レスボス家は義父の『試し』が影響して、当代世代は圧倒的な女系の家である為、雇っている使用人達も殆どが女性であり、屋敷に住んでいる男が極めて少ないせいか、びっくりするくらいに警戒心が薄い。
扉を開けたら、誰かが着替え中だったという様なラッキースケベに遭遇する確率が高いのだが、その中でもショコラちゃんとの遭遇率は極めて高かった。
但し、その頃のショコラちゃんはまだ女の子だった。
例えば、入浴中にショコラちゃんが現れても、ちょっとした幸運を感じる程度であり、逆に恥ずかしがるショコラちゃんを混浴に誘う余裕すらあった。
だが、今のショコラちゃんは違う。三年という時を経て、その破壊力は恐ろしく増していた。
もう幸運の一言では済まない。嫌な予感が『逃げろ』と警告を発していたが、逃げる場所など何処にも有りはせず、動揺に動揺を重ねて固まる。
「さあ、行きましょう?」
「えっ!? ど、何処へ?」
その隙を突き、ショコラちゃんは俺の左隣に立つと、腕を俺の左腕に絡めて、その豊満な胸をこれでもかと押し付けてきた。
忘却の彼方に一度は捨てた素敵な感触が俺の脳を再び刺激して、若き血潮は遂に沸点を突破。その様子をチラリと窺ってみれば、ズボンを窮屈そうに張り、明らかなくらいに目立っていた。
幸いにして、ショコラちゃんがソレに気付いた様子は無い。
どうにかして、ショコラちゃんの気を逸らす必要が有り、そのポジションを早急に変更する必要がある。と言うか、このままでは歩き辛くて仕方がない。
「勿論、私の部屋です。この三年間、どんな事があったのかを是非ともお聞かせ下さいな?」
「い、いや……。で、でも、その前に挨拶を……。」
しかし、ショコラちゃんは俺の苦悩などお構いなしに腕をグイグイと引っ張る。
その度、この三年間でたわわに実ったショコラちゃんのデカメロンがポヨン、ポヨンという擬音が聞こえそうなくらいに弾み、ますます俺の若き血潮を刺激するのだから堪らない。
最早、絶体絶命の状況下。
前へ進むのも、後ろへ退くのも出来ず、俺の叔父としての威厳は地に墜ち、いつも無邪気に慕ってくれたショコラちゃんの笑顔はもう二度と見られないのかと覚悟する。
「姉上、酷いです! 部屋に閉じ込めるなんて!
僕だって、叔父上に会えるのを楽しみにしていたのに! ……って、わわっ!?」
だが、奇跡は起こる。日頃の喜捨が効いたのか、光の神は我が元に天使を遣わせた。
ふと階段をドタバタと駆け下りる音が屋敷から聞こえたかと思ったら、両方の握り拳を掲げながら半ベソをかいた小さな男の子が玄関より駆け現れ、外と玄関を仕切る段差を踏み外して派手に転倒する。
ショコラちゃんと同様に成長して見違えたが、その顔に見覚えがあった。
確か、今年で八歳か、九歳。長女様が生んだ長男にして、次期レスボス家の当主。申し訳ないが、名前は忘れた。
それと言うのも紹介された憶えはちゃんとあるのだが、ちっとも俺に懐いてくれず、いつも長女様の後ろに隠れていた印象しか残っていない。
しかし、今度は違う。俺は受けた恩を忘れない。
だから、その名前を聞かせてくれと組まれているショコラちゃんの腕をすぐさま振り解いて、坊ちゃんへと駆け寄り、その俯せとなって倒れている肩を持って起こす。
「大丈夫か?」
「うっううっ……。うっ……。ううっ……。」
「こらこら、男が転んだくらいで泣いてどうする? だらしがないぞ?」
「な、泣いてなんかいません! へ、平気です!」
当然、助け起こす為には片跪かなくてはならず、その体勢が上手い具合に窮屈だったポジションを緩和させる。
背後にて、悪意に満ちた舌打ちが聞こえた様な気がするが、きっと気のせいだろう。このまま坊ちゃんをあやしながら若き血潮が収まるのを待つ。
「はっはっはっはっはっ! さすがのザッハも憧れの騎士様の前では泣き止むか! いつもは泣き止ませるのに一苦労だと言うのにな!」
そして、大本命の長女様が豪快な笑い声と共に登場。
三人の子供が居るとは思えない若さと美貌。スリムながらも、ショコラちゃん以上の破壊力を持ち、今にもシャツがはち切れそうな胸元。
その艶のある赤い長い髪を靡かせながら、平時であろうと軍服を身に纏い、剣を腰に差した男装姿で颯爽と歩く姿は何処までも凛々しく、男より男前だった。
「……憧れの騎士?」
ただ、その言葉に引っかかりを覚えた。
それが間違いなく自分を指しているのは解ったが、憧れを持たれる様な覚えはないし、三年前の坊ちゃんの様子とも重ならない。
どうして、俺が『憧れの騎士』なのか、目の前の坊ちゃんをまじまじと見つめる。
「え、えっと……。そ、その……。は、母上!」
「こらこら、駄目だぞ? 叔父上から稽古を付けて貰いたいのだろ?」
「で、でも……。」
「良いか? 男という者は戦わなければならない時がある。立ち向かわなければならない時がある。だから……。」
ところが、その答えを持っている坊ちゃんは俺に直視された途端、三年前同様に長女様の後ろに隠れてしまう始末。
疑問の発端となった長女様もそんな坊ちゃんをあやすので手一杯。これは時間がかかりそうだと疑問の解決を半ば諦めていると、背後からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「相変わらず、叔父様は自分の事になると疎いですね。
ご存じですか? 今、この王都で叔父様の名前を知らぬ者は居ないのを? 特に三年前の戦いなんて、吟遊詩人達の歌にまでなっているくらいですよ?」
「ああ……。あれね。でも、あれはさ。誇張が混じっているって言うか……。」
長女様と坊ちゃんに代わり、応えたのはショコラちゃん。
原因は『また、それか』と酒場で聞いた自分の英雄歌を思い出して顔を引きつらせながら、その内容についてを否定する。
「そうかも知れません。でも、それは重要ではありません。
重要なのは結果として、叔父様の名声が王様すらも動かしたという事実です。
なまじ、西方での戦いが芳しくない分、明るい話題が必要だったのかも知れませんが……。」
だが、ショコラちゃんは首を左右に振った。
やはり、貴族の令嬢と言ったところか。俺が男爵に出世した理由を言っているのだろう。
それでも、自分の中にある認識とのギャップがまだ埋められない。トーリノ関門でも、それなりの人気は感じていたが、この王都ほど極端では無かったし、王都に至る道中の村々でもそうだった。
口を固く結んで黙っていると、ショコラちゃんは呆れた様に溜息をつき、右手の人差し指を立てて見せながら尚も言葉を続けた。
「そもそも、叔父様はあのお爺様に認められたんですよ?
それだけでも注目を浴びる要素は十分だと言うのに……。叔父様は驚く様な武勲を立て続けに挙げました。だったら、目立たない筈が無いんです。
この三年間、トーリノ関門から戦勝報告が届く度、誰も彼もが叔父様の名を讃えて、王都は何処もお祭り騒ぎ。是非、今の叔父様にその時の様子を見せたいくらいです」
ここに至り、ある可能性にふと気付く。
それは俺の評判が何者かによって操作されているのではないだろうかというもの。
この世界は情報伝達が遅く、こう言った噂話に皆が飢えており、娯楽になっているという事実もあるだろう。
ショコラちゃんが言う通り、ミルトン王国戦線が停滞しており、華々しく明るい話題に乏しいという事実もあるだろう。
しかし、民衆とは基本的に熱しやすく、冷めやすいものである。
もし、その熱さを維持するとなったら、より強い刺激を与え続けなければ、その心は満たされない。
それを考えると、俺の人気の高さがいかに不自然かが解る。
俺が経験したトーリノ関門における三度の戦いの内、話として盛り上がるのは一年目と二年目の戦いだが、やはり大逆転を成した一年目の戦いの方がウケは抜群に良い。
なら、三年目の戦い。去年はどうだったかと言えば、これは特に語る場面すら無い。
最初から兵力も、士気も十分だった為、トーリノ関門の圧倒的な防御力を用いた防衛戦。ロンブーツ教国軍も本気で攻め落とそうと言う気概を見せず、散発的な攻勢を行う程度で収穫の秋を控えてだろう。夏の終わり頃、あっさりと撤退した。
ウケる場面を強いて挙げるとしたら、ジュリアスが俺との賭けに負けて、女装した姿で出撃したエピソードくらいか。
「そして、男爵になった事で叔父様の名声はより高まりました。
だったら、ザッハの様に憧れる者が出てきてもおかしくはないと思いませんか?
若手騎士達は身近な出世対象として……。子供達は将来の目標として……。
そうだ。明日にでも一緒に子供達が集まる広場に行ってみませんか? 叔父様になりきって騎士ごっこをして遊んでいる子供達の姿を見る事が出来ますよ?」
即ち、一年目、二年目、三年目と年を追う毎に華々しさは失われている。
なら、どちらかと言えば、人気は下がってゆく傾向にある筈が未だ衰えず、英雄歌が酒場で歌われて持て囃され、大人以上に飽きが早い子供達のアイドルで居続けられるのは明らかにおかしい。
第一、今更ながら良く考えてみると、あの酒場で歌われている英雄歌は不審な点がある。
本来なら、一般に知らされていない筈の軍機が誇張はあれども正確に歌われており、それを知る事の出来る立場の者が歌を作ったか、広めたか、その両方を行っているとしか思えない。
だったら、それを成している人物は誰なのかと言う当然の疑問に突き当たるが、それはもう一人しか居ないだろう。
この様な事を行い、利を得るのは第三王子派であり、それを成せるほどの力を持つ者と言ったら、やはり第三王子派の黒幕たる派閥の長をおいて他はない。
「まあ、その辺も含めてだ。
我が家の英雄を歓迎する為に皆が鍛錬場で待ちかねている。全員、さっさと行くぞ」
「げっ……。」
ところが、その正体が誰なのかが解らない歯痒さ。
深く深く思考に没入しかけるが、長女様の一言が俺を現実に引き戻させる。
三年ぶりに帰還した俺の歓迎会を開いてくれるのは解るが、それを行う会場が鍛錬場とはどういう意味なのか。
その答えは剣の一族と呼ばれるレスボス家の血を受け継ぐ者は大抵が戦闘民族であり、鍛錬を娯楽として、強い者と戦うのをこの上ない楽しみとするバトルジャンキーだからである。
その者を知りたければ、剣を交えるべし。剣は口の様に嘘を語ったりはしない。
こんな常識がまかり通っており、祝い事も、諍い事も、冠婚葬祭に至るまで何事も決闘で解決する意味不明な風習があるから堪らない。
四年前、この屋敷を初めて訪れた時も酷かった。
空手の百人組み手ならぬ、百本決闘。一族と領民の腕自慢が集まり、歓迎会の名を借りた荒行を強いられ、それを遂げた後は疲労困憊。次の日は筋肉痛で動けなかった。
その悪夢が再び。長女様と会うのも嫌だったが、これが有るからこそ、この家は訪れたくなかった。
どうして、歓迎される側が虐められなければならないのか。この家の常識はおかしい。
「だったら、私が一番目ね!」
「姉上、狡いです! 僕が一番目です!」
事実、つい先ほどまで俺を誘惑して、自室に誘っていたショコラちゃんでさえ、この通りである。
目を輝かしながら坊ちゃんと競い合い、屋敷へ駆けて行く。恐らく、ドレスの着替えとマイソードを取りに向かったのだろう。
もしかしたら、歓迎会を止めてくれるかなと期待したが、淡すぎる期待だった。
「さあ、我々も行くぞ! ちゃんと槍は持ってきているのだろうな?」
「ええ……。どうせ、こんな事になるだろうと思っていましたからね」
どうやら、今回も歓迎される俺の意志は関係ないらしい。溜息を深々と漏らしながら肩をガックリと落とした。