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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第七章 男爵 百騎長 王都漫遊編
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第03話 母の想い




「それで……。あの子、本当のところはどうなのかしら?

 ほら……。私は女ですから見当も付きませんが……。殿方は……。その……。とても滾るのでしょ? 戦いの後は……。」


 当初の予定では一週間。長くても、二週間。

 トーリノ関門から王都までの旅の疲れを癒したら、すぐに出発。それが王都での滞在の予定だった。


 しかし、俺は貴族社会というモノを舐めていた。

 いや、無知だったと言うべきか。王都での生活も早一ヶ月が過ぎ、俺達は未だ旅立てないでいた。


 その理由は男爵の就任に伴った社交の発生である。

 最近、ようやく忙しさに一段落がついたが、ほんの一週間前までは午前、午後、夜のスケジュールが隙間無く詰まり、自分の時間というモノが全く持てないでいた。


 夜遅くに帰り、寝たと思ったら起床。

 毎朝の鍛錬を忙しなく行い、朝食を食べたら馬車に乗って、即出発。

 次の目的地へ向かう道中ですら休息は与えられない。次の面談相手に関する予備知識を頭に叩き込んで話題作りに勤しむ。


 面談相手は貴族のみならず、商人や冒険者ギルド、商業ギルドといった各ギルドのお偉いさんまで様々であり、その中には『どうして、こんな大物が?』と驚く様な人物も居た。

 また、実際の真実と英雄歌の虚像との差にさぞや落胆したとばかり思っていた姫巫女とも一度きりの縁で終わらず、お茶を一緒に週一で飲む仲となっていた。


 言うまでもないが、これ等の面談はただ友好を求めての顔合わせでは無い。

 それを純粋に求めている者も中には居るが、大半の者達は俺との出会いによって、いかに自分の利益を今より得ようかという強欲で老獪な者達ばかり。


 只でさえ、社交という慣れない義務を強いられているにも関わらず、気が休まる時が一時たりとも無い。

 言質を取られて、不利益を被らない様に緊張、緊張、緊張の連続。賄賂っぽい品はきっぱりと断り、夜会などで近づいてくる美女はハニートラップと捉え、自分がこうもモテる筈が無いと理性を必死に効かせる。


 はっきり言って、もう疲れ果てた。

 ところが、スケジュール管理を任せているネーハイムさんによると、まだ二週間先まで面談予定が入っているらしい。


 それだけに週に一度の姫巫女との一時は正に清涼剤。

 そもそも、姫巫女と週一で面談を行う様になったきっかけは、俺が今の状況をボヤいた為だった。


『それはさぞや大変でしょう。

 なら、多大な喜捨をなさって下さった男爵様には猊下もよろしくと言っておられました。

 ですから、私を使って下さいな。私の名と立場なら、予定を多少は強引に割り入れても、他の方々に角が立つという事は無いでしょう。

 ただ、あまり頻繁では妙な勘ぐりを受けかねませんから……。そうですね。週に一度としましょう。男爵のお好きな時に私との面談を受付に申し込んで下さいな。

 その時、男爵は何をなさっていても構いません。私もそれを口実に休ませて頂きますから……。でも、せっかくですから、少しくらいお話がしたいですね。男爵のお話は面白いですから』


 そう、姫巫女はニッコリと微笑んで提案をしてくれたのである。

 その瞬間、目の前に天使が光臨したのかと我が目を疑った。大げさな表現などではなく、心の底からそう感じた。


 満面のニコニコとした笑顔で近づいて来ながらも、その胸に一物も、二物も有り、舌の裏に毒を持ち、背中に隠した右手に刃を持つ貴族社会。

 実のところ、誰が味方で、誰が敵かが解らずに疑心暗鬼に陥り、俺の精神は病みかけていた。


 なにしろ、あの命のやり取りを行う殺伐とした戦場が恋しくなっていたくらい。

 たまに足を引っ張るアホも居るが、皆で一丸となり、目の前の敵を打ち倒しさえすれば、全てが綺麗さっぱりに解決する単純明快な世界だっただけに。


 毎日に張り合いも出来た。

 向こうの都合も考えて、その週に一度の日は水曜日の午後と定め、姫巫女が奏でてくれるハープの穏やかな調べを耳にぐっすりとお昼寝。

 今、それが俺の何よりの楽しみであり、あと幾つの夜を越えたら水曜日が再び訪れるのかを指折り数えながら忙しい毎日に耐えていた。


「そうですね。否定はしません。

 しかし、私の知る限り、殿下は娼館もですが、女性と酒を酌み交わす目的とした酒場にも通ってはいませんでしたね」

「だったら……。どうやって? 特定の娘も居ないのでしょう?

 報告で知る限り、私が密かに付けた娘にも手は出していない様ですし……。ま、まさかっ!?」

「実を申し上げますと、私共の間でも女っ気の無さからソレが噂になった事が一時期ありまして……。

 しかも、ソレが殿下の耳に入って、大騒ぎ。売り言葉に、買い言葉と申しましょうか、殿下がその証明に娼館へ行くという展開に」

「えっ!? でも、今……。」

「ええ、まあ……。結局、娼館の入口で怖じ気付き、逃げてしまったんですけどね。

 ですが、ご安心して下さい。決して、殿下は男色ではありませんよ。口ではとやかく文句を言っていましたが、女性に興味津々と言った様子でしたから」

「まあまあ、そうですか! これで胸を撫で下ろせますわ! 

 あの子ったら、ちっとも関心を示さないから……。男爵、聞いて下さる? あの子、公爵令嬢とのお見合いの席でね」


 そして、本日午後の御相手は誰かと言えば、なんと国王の奥さん。第一王妃である。

 おっさんの屋敷の家令さんから面談前に受けた講義によると、王妃は国王の五歳年下。今年で四十歳になる筈だが、その見た目はとても二十代の息子が居るとは思えない若さ。


 無論、王妃に選ばれるだけあって、かなりの美人。

 朗らかで良く笑うが、その際は口を手で隠すのを決して忘れず、所作の一つ、一つに気品があり、正に上流階級の貴婦人。


 王城の一角、春の花が咲き誇って匂う庭園の東屋にて、その貴婦人と二人っきり。

 給茶を行う二人のメイドさんが側に控え、王妃を護衛する女性騎士が数人ほど庭園に居るが、彼女等は基本的に居て居ない存在。王妃の視線と興味は当然の事ながら俺のみに向いている。


 この一ヶ月間の社交生活で大概の事は慣れたが、今日は極めつけ。

 俺の為に用意された様々な御菓子がテーブルの上に所狭しと列んでいるが、極度の緊張のあまり喉が通らない。

 先ほど何度も勧められて頬張ってはみたが、乾ききった喉にはきつ過ぎた。


 おかげで、紅茶を何杯もお代わり。

 ちょっと動く度、水音が腹の中でチャポン、チャポンと聞こえている。


 唯一の救いは王妃がジュリアスの後見人であり、ジュリアスという共通の話題がある点。

 どうやら、ジュリアスは王妃の前では割と良い子ちゃんだったらしい。トーリノ関門でのジュリアスの様子を語ると、王妃は上品にころころと笑って喜んでくれていた。

 特にジュリアスが俺とのある賭けに負けて、その罰ゲームに女装する事となったのだが、その美しさのあまりロンブーツ教国軍のある騎士が一目惚れ。戦いの最中、戦場のど真ん中でプロポーズしてきた愛に溢れる話は王妃どころか、メイドさん達や女性騎士達までもが巻き込まれて爆笑の渦に包まれた。


 もっとも、その繋がりがあったからこそ、この面談があったのだろう。

 雲の上の存在とも言える王妃が新興の男爵家に正式な招待状を送り、王城に招いての面談など普通は考えられない。


「あらあら……。もう、そんな時間かしら?」


 そんな気苦労でしか無かった面談もようやく終わりを告げる。

 王都の第二郭と第三郭に跨って建てられている光の教会から夕方を告げる鐘の音色が届く。


 釣られて、空を仰ぎ見ると、陽が西の山々に沈みかけていた。

 王妃が右手を右頬にあてがいながら首を傾げて、残念そうに溜息をつく。


 だが、俺にとっては救いの鐘。

 これでようやく帰れると思いきや、ふと嫌な予感を覚えて、その正体に気付く。


 王妃が西の空を眺めたまま、席から立ち上がる気配を見せない。

 もしや、面談を延長して、この上に晩餐を誘ってくるのではないだろうか。

 そうなっては堪らない。立場上、誘われたら断るのは苦しい。自分の第六感に従い、ここはさっさと退散するに限る。


「どうやら、その様ですね。楽しい一時とは本当に早く過ぎ去ってゆくもの。

 本日はお招きを頂き、真にありがとう御座いました。名残惜しくはありますが、臣はここでお暇をさせて頂きます」


 果たして、その予感は的中する。

 こちらに視線を戻した王妃の目が言っていた。まだまだ話し足りないと。


 次の瞬間、王妃が口を開きかけたが、それに先んじて席を立ち上がり、礼を一息で言い切る。

 さすがの王妃とは言えども、こう宣言されては引き下がるしかない。


「えっ!? ……あら、そう? 残念ねぇ~」


 事実、王妃は明らかに渋々と言った様子で席を立ち上がった。

 寄せられた眉。その様子に心が少しだけ揺れたが、今日はもう一杯一杯で疲れ果てた。これ以上は絶対に無理。

 王城の晩餐である。どんなご馳走が登場するのか、その興味は大いにあるが、晩餐だけに王妃のみならず、更に国王が加わりでもしたら、俺の胃が死ぬ。


「王妃様におかれましては、いつまでもご健勝あれ。では……。」


 王妃に決断の間を与えず、三歩下がっての礼。

 一ヶ月前、国王との謁見で緊張にドキマギして、頭の中で礼の作法を懸命に反芻していた無様な俺はもうここには居ない。

 この一ヶ月間の社交に継ぐ社交の賜物によって、貴族特有のキザったらしい礼が無意識に行えるまでになっている。


「お待ちなさい」


 礼が済んだら、余韻を残さずにすぐさま回れ右。

 一歩、二歩、三歩と歩を進める毎に速度を上げてゆくが、競歩となった七歩目。王妃から鋭く待ったがかかった。


「……何か?」


 胸をドキリと跳ねさせて、歩を止めた際に引きつった表情を素に戻しながら、ゆっくりと回れ右。

 もしや、強引に事を進めようと言うのか。もし、王妃が俺を晩餐に招くとを口に出したら、こちらは身分的に断る術が無い。


「男爵は西方領にあるトーリという地方をご存じかしら?」

「……へっ!?」

「男爵は西方領にあるトーリという地方をご存じかしら?」

「いえ、申し訳有りません。勉強不足で……。」


 しかし、王妃の言葉は予想もしていなかった唐突で脈絡の無いものだった。

 思わず茫然と間抜けな声を返すと、王妃は同じ言葉を繰り返して問い、慌てて我に帰りながらも応えを返す。


「なら、憶えておきなさいな。

 トーリはサクランボの産地でね。このパイはその早摘みを使ったものなのよ?」

「は、はぁ……。」


 すると更に返ってきたのはどうでも良い雑学。

 その意図を懸命に計るもさっぱり解らず、戸惑いの上に戸惑いを重ねる。


「貴女、このパイを男爵に包んで差し上げなさい」


 そんな俺を余所にして、王妃は東屋のテーブルの上に手付かずのままで残っているチェリーパイを土産にと申し出てきた。 

 すぐさまメイドさんの一人が動き、チェリーパイをテーブルナプキンに包み始める。


「お気遣いを頂き、感謝します」

「いいえ……。こちらこそ、今日はたくさん愉快な話を聞かせて貰ったわ。だから、その御礼よ。

 是非、帰宅したら、一口だけでも食べてみなさいな。男爵は甘いモノが苦手な様だけど、これはきっと気に入るわ」

「はい、有り難く頂戴を致します」


 別に深い意味は無かったのだろうか。

 特に断る理由も無く、王妃の手からテーブルナプキンに包まれたチェリーパイを受け取る。


 単なる御菓子とは言え、王妃からの下賜品。

 王妃が言う通り、甘いモノはさほど好きでない俺だが、食べない訳にはいかない。

 少しだけ食べて、あとはアリサとララノアの二人にあげよう。古今東西、どの世界でも女性は甘いモノが好きな筈だと考えていたその時だった。


「コミュショー男爵」

「はい?」


 今日、出会った時から今の今まで朗らかにニコニコと笑顔を絶やさなかった王妃が不意に表情を引き締めた。

 何事かと目を丸くした矢先、更なる驚愕が襲う。


 この国の貴族社会の序列において、その上は国王がたった一人だけの王妃がなんと家の歴史が始まったばかりの序列最下位と言える男爵に対して、頭を深々と垂れたのである。

 俺を含めて、その場に居る誰もが息を飲み、呼吸すら止めた。まるで時が止まったかの様な感覚がゆっくりと過ぎてゆくが、王妃は頭を下げたまま。


「あの子の事を……。ジュリアスの事をよろしくお願いします」


 それは願いと言うよりも祈り。決して、後見人と呼ばれる者が発する声では無かった。

 平民も、貴族も、王族も変わらない。何処の家庭にも当たり前にある有り触れたソレは母親が我が子の行く末を心配する姿だった。




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