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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第七章 男爵 百騎長 王都漫遊編
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第02話 微笑みを取り戻した太陽




「それではよろしいですか?」


 そう問いかけられ、ララノアが身体をビクッと震わせる。当たり前だが、『もし』を考えたら不安で堪らないのだろう。

 無言で『大丈夫』と頷くが、こちらに向けられたララノアの縋る目はゆらゆらと揺れ、涙がじんわりと溜まり始めている。


「お願いします」


 だが、いつかは前へ進まなくてはならない。

 ララノアを背後から抱き留めて、ベットの上に座らせる支えとなっている俺は更なる勇気付けに少し強く抱き締めると、前に進めないララノアに代わって返事を返す。


「心を出来るだけ静かに……。

 私も同じ女です。不安なのは解りますが、心が騒いでいては上手くゆくものも上手くいきませんよ?」


 するとベット脇に立つ美少女『姫巫女』はララノアの顎を持ち、自分の方を振り向かせて、優しくニッコリと微笑んだ。

 その慈愛に満ちた笑顔にたちまち強張っていたララノアの身体から力と緊張が抜けてゆく。


 さすが、この王都に総本山を置く光と知恵の神を奉じる光の教会本部の若手女性神官のナンバーワン。

 その放たれている癒しのオーラが凄まじいのもさることながら、その驚くほどの美少女っぷり。思わず見惚れてしまった。


 腰まで伸ばしているのに癖が全く見当たらない金髪はキューティクルがキラキラと輝き、頭頂のソレは正に天使の輪。

 光の教会の神官が着る黄色の貫頭衣も姫巫女が着ると、本来の野暮ったさが形を潜めて、美しい花が咲いたかの様にちょっとしたドレスに早変わり。

 おまけに、起伏が出来にくいデザインに打ち勝ち、ボインと出て、キュッと締まり、またボンと出ている神の黄金律。

 その服の下にどんな理想郷が広がっているのかを思わず想像してしまうが、相手は神に仕える巫女。慌てて邪な心を払い飛ばす。

 

 しかし、背と胸をぴたりと合わせて抱き締めている為、胸がドキリと跳ねたのがララノアにバレたらしい。

 頭頂から顎を包帯でグルグル巻きにして、口が開かない様にしっかりと固定しているにも関わらず、その唇が不機嫌そうに尖っている。


 出会ってから、約二年半。最近、ちょっと嫉妬深くなってきたララノアである。

 ヘロヘロの実を煎じた麻酔薬が効いていなければ、きっと肘打ちするか、抓っていたに違いない。


「では、男爵様はララノアさんが動かない様にしっかりと抑えていて下さい」

「はい」


 さて、そろそろ今現在の状況を纏めて説明しよう。

 ここは上級貴族、中級貴族の屋敷が立ち並んでいる通称『貴族街』と呼ばれる王都の第二郭内一角にあるオータク侯爵邸。おっさんの屋敷である。


 おっさんは広大なインランド王国南方を束ねる貴族の長だけあって、その屋敷は実に立派なもの。

 部屋数は二十を越え、広い広い庭付き。王都の貴族達を呼んでのパーティが開ける大ホールも完備。

 武人の屋敷らしく馬房もあり、領地から連れてきた兵士達を停める宿舎だってある。


 勿論、おっさんの留守を守り、王都と領地の連絡役に担う家令さんが常駐。

 屋敷や庭が傷まない様に管理、運営する住み込みの使用人やメイドさんだって居る。


 それだけに王都の一時滞在先として、俺達が急に押し掛けても問題にならなかった。

 ただ、三十人を越える大人数はさすがに予想外だったのか、家令さんの顔は少し引きつっていたが。

 どうして、三十人を越える大人数なのかはすぐに解るだろう。


 次は光の教会本部の重要人物たる姫巫女が何故にこの場に居るのか。

 それはララノアのトラウマであり、コンプレックスの源である左頬の酷い裂傷痕を治療する為に他ならない。


 そう、前の世界と比べたら、この世界の医療は遙かに劣った原始的なモノだが、それを補って余る奇跡の技『魔術』がある。

 その内の一つ、神聖魔術と呼ばれるソレを頼り、その使い手が居るだろうこの王都に総本山を置く光の教会本部の門を叩いた。


 無論、喜捨という名の代価を支払ってである。それも相場を無視した目が飛び出るほどの大金を。

 何故、それほどの大金を支払ったかと言えば、その理由は簡単である。失敗、または中途半端な治療を二流、三流の者に行って貰っては困るからだ。


 もし、治療が失敗したり、中途半端だった場合、ララノアの心は更に深く傷つき、もう二度と治療を受けたがらないのは容易く想像が出来た。

 その為、治療を絶対に成功させる一流の使い手でなければならなかった。


 ところが、一流どころか、超一流が訪れる嬉しい大誤算が発生。

 本来なら、王族や大貴族の依頼ですら超多忙で滅多に受けない姫巫女だが、たまたまスケジュールがぽっかりと運良く空いていたのと俺の名前を聞いて興味を持ったらしい。

 またしてもの何故だが、姫巫女ほどの超VIPが何故に俺の名前を知っているのかと尋ねたら、可愛らしくクスクスと笑って応えてくれた。


 どうやら、俺は自分が思っている以上に王都では有名人らしい。

 特に三年前の戦い。俺が空城計を使って、ロンブーツ教国軍を欺き、やがては失われたトーリノ関門を奪還するまでに至る戦いぶりは当時の王都国民を熱狂させて、今では酒場の吟遊詩人達が歌う英雄歌にまでなっているのだとか。


 知りたくなかったという事実である。

 先日、試しに見た目を冒険者風に装い、ネーハイムさんと一緒に夜の酒場に出向いてみたところ、確かに俺の歌を歌っていた。

 猛烈な居た堪れなさを覚えながらも最後まで我慢して聞き、歌が終わるや否や、酒場を飛び出して、恥ずかしさのあまり吠え走って帰ってきた。


 なにしろ、歌の中の俺ときたら、歌われている本人が『えっ!? 誰? これ、俺?』と問い質したくなるくらい格好良かった。

 言った覚えの無い熱い名台詞や行った覚えの無い一騎打ちなどの捏造が山盛りであり、ネーハイムさんは歌が始まって暫くすると俺から顔を背けて、最後まで顔を此方に向けず、ずっと肩を震わせていた。


 だが、その虚仮のおかげで姫巫女という願ってもない超一流が治療に訪れてくれたのも事実。

 ララノアの左頬が元通りに戻るのは約束された様なものだった。


 しかし、その姫巫女の力を以てしても、ララノアの左頬の裂傷痕の治療は難しかった。

 姫巫女がこの屋敷を訪れるのは今回が五回目。初日から治療毎に一日を間に置き、今日で九日目となる。


 死者の蘇生すら可能とする秘術があると噂される神聖魔術だが、その行使は原則的に直後でなければならない。

 それに対して、ララノアの左頬の裂傷痕は十年以上も昔の古傷。長い長い時が経ち過ぎていた。


 それ故、姫巫女が用いた手段は驚くべき荒療治だった。

 ララノアの左頬の裂傷痕を銀のナイフで敢えて切り、その新しく作った傷を神聖魔術で癒す事によって、裂けている頬の間隔を徐々に縮めてゆき、それを何度も繰り返して最終的にくっつけるというもの。


 だが、治療の為とは言え、刃を身体に突き立てられて、平然としていられる者など居ない。

 そんな化け物はおっさん一人くらいだろう。いや、義父も平気そうだが、普通なら耐えきれないし、それが眼前となったら尚更だ。


 それを可能とするのが、この世界で痛み止めや麻酔として使われているヘロヘロの実を煎じた薬。

 全身が弛緩してしまう欠点も有るが、その為に俺がララノアを背後から抱き締めて支えていた。


「どうやら順調の様ですね。この分なら、今回の治療で完治するでしょう」


 敢えて作った新しい傷口は神聖魔術で完全に塞がるが、少しでも左頬の裂けている間隔が近づく様にララノアの顔に巻いていた包帯。

 それを解いて、姫巫女が口元を綻ばせながら頷き、その様子に釣られて覗き込むと、ララノアの左頬は未だ裂けているが、九日前まであった痛ましい傷痕は見事に無くなり、裂けている間隔もあと僅かになっていた。


 思わず喜びに声をあげそうになるのをまだ早いと堪える。

 それはララノアがこれから行う最後の試練に耐えきって初めて許される喜び。


「では、気持ちを楽にして、目を閉じて下さい」


 姫巫女が背後に控えるお付きの巫女から銀のナイフを受け取り、その切っ先が窓からの明かりに反射してキラリと光った。




 ******




「ふぅぅぅぅぅ~~~~~~……。」


 部屋から出て、ドアを閉めながら溜息を深々と漏らす。ララノアを背後から抱き締めて支えていただけなのに酷く疲れた。

 一拍の間を空けて、自然と下がっていた視線を上げると、三十を超える視線が俺に悉く集っていた。


 三年前、俺とネーハイムさんの二人だけだったトーリノ関門への旅。

 今回、帰郷とも言える王都への旅は打って変わり、ワイワイと賑やかなものとなり、ここに集った者達全員が同行者だった。


 王都へ戻る商隊に便乗して、その護衛という名目で道中の食事を提供して貰い、俺とネーハイムさん、ララノア、アリサ、ニャントー達の八人。

 それに加えて、あの三年前のトーリノ関門奪還作戦で死地を共にした仲間達。その後も俺の率いる部隊に入り、一昨年と去年の戦いに生き残った四十七人。


 総勢、五十五人の大所帯。

 その内、半数の二十四人は王都に到着後、それぞれの生まれ故郷へと帰って行ったが、もう半数の二十三人は今後も俺と共に行きたいと残ってくれた。

 全員、俺よりも年上だと言うのに物好きな連中と言うしかない。


 だが、とても有り難い話だ。

 正直に明かすと、そう言ってくれた時、思わず目に涙が滲んだのは俺だけの秘密である。


 なにせ、俺は侯爵家たるレスボスに名を連ねてはいるが、それは真っ赤な嘘。

 それもレスボスの名を名乗って間もなく、すぐ騎士叙任となり、そのままトーリノ関門へと向かっている。


 当然、貴族なら居るのが当たり前の譜代の部下も居なければ、子飼いの部下も居ない。

 こういった気心が知れた信頼の置ける存在が居る、居ないによって、これからの先々で難易度が大きく違う。


 例えば、兵士の練兵一つだけを取ってみても、三年間の苦楽を共にした彼等が居るなら、俺は彼等に役割を与えるだけで全てが済む。

 ところが、彼等が居なかったら、兵の一人、一人に戦いの初歩の初歩から教えなければならず、誰が小隊長に相応しいかなどの組織運営の基礎から行わなければならない。


 ましてや、俺は成り上がりの男爵。

 譜代や子飼いの部下が居ない分、栄達のチャンスは大いに有るが、成り上がり故にあっさりと没落する可能性も大いに有り、人材は集まり難い。


 しかも、俺とジュリアスは親友同士。

 特に派閥的な活動は行っていないが、傍目には完全に第三王子派。その旗色はお世辞にも良いとは言えず、俺に仕えるのは賭の要素が非常に大きい。


 実際、領地を得た為、内向きの政務官が必要となり、その人材を貴族、平民の身分を問わずに募集を広く呼びかけてみたが、まるで梨の礫。

 今の季節は春、王族や大貴族が避寒地から戻ってくるのに伴い、国中の貴族達が比較的に集っており、俺達同様に各地で任期を終えた数多の騎士達、兵士達も集まっているにも関わらずだ。


 反対に募集もしていないのに、武官を志す者は数多く訪れ、その中には俺との手合わせを望み、俺を倒して、名を挙げようとする者まで居るから困る。

 言うまでもなく、義父が行っている『息子試し』の影響だろう。今朝も毎朝の鍛錬を行う為に近くの公園へ向かう途中、妙な小僧がいきなり罵詈雑言の嵐で言い掛かりを付けてきたので軽ぅ~く叩きのめしてやった。


 もし、王都帰還のメンバーにジェックスさんが居たら問題は無かった。

 軍務はジェックスさんに任せて、俺とネーハイムさんの二人が疎いなりにも政務を行うという選択肢があった。


 しかし、残念ながらと言うか、予想通りと言うか、ジェックスさんはトーリノ関門の副司令官に出世。名実共にジュリアスの副官として、トーリノ関門に据え置かれた。

 やはり、第三王子派にとって、ジェックスさんは『千騎長』という高い階級に在りながらどの派閥にも属しておらず、世襲役職を持たない只の平騎士の出自で大貴族の紐も付いていない奇貨と言える存在。

 誰が派閥の長を担っているのかは知らないが、今後の事を考えて、第三王子派に取り込むべきだと考えたのだろう。


「ニート様、ララノアは……。その……。」


 視線を左右に向けると、大の大人が揃いも揃っての心配顔。

 今一度、深い溜息を漏らすと、部屋から出て以来ずっと黙したままの俺に焦れたのか、正面に立つネーハイムさんが皆を代表する様に尋ねてきた。


 ララノアは成長が遅い自身の見た目の幼さにコンプレックスを持っているが、その幼い見た目故に俺達の部隊ではアイドル的存在だった。

 決して甘やかしたりはしないが、何かと皆で気づかい、感情が乏しい無口なララノアをいかに笑わせるかで競い合っていた。


 だからこそ、ララノアから笑顔を奪っている根元。左頬の裂傷痕を気にしないフリをしながら、誰もが気にしていた。

 それだけに居ても立ってもいられなかったのだろう。二時間ほど前、姫巫女と共に部屋へ入った時はネーハイムさん一人だけだった筈が今は全員が集まっている。


「ああ……。そうだな。何と言えば良いのか……。」

「まさかっ!?」


 思わず苦笑いを漏らして、首を左右にやれやれと振る。

 その様子に何かを感じ取ったのか、アリサが真っ先に息を飲み、目を大きく見開きながら口を素早く覆う。

 全員の視線が一斉に俺からアリサへと向かい、アリサが目を次第に潤ませてゆくのを見て、アリサ同様に『まさか』と言わんばかりの見開ききった目を俺へ次々と戻す。

 

 誰もが明確な答えを欲していた。

 だが、それを問えずに誰もが口籠もり、静寂と緊張がゆっくりと満ちてゆく中、誰かが生唾をゴクリと飲み込んだ次の瞬間。


「何、湿気た面を列べていやがる! これを見ろ!」


 部屋のドアを勢い良く開けて、その場を横にずれ動いて譲り、部屋の中を大公開。

 全員が即座に部屋の出入口に群がるが、この部屋は個室ではあるが使用人部屋。その狭い出入口に大の男が三十人も肩を列べるスペースなど有る筈も無い。


 その結果、先頭の一人が後ろから押されて倒れたのをきっかけに次々と倒れ、むさ苦しい男の山が出入口に出来上がる。

 恐らく、こうなるだろうと予想していた。だから、部屋を出る前に予め伝えておいた。


 しかし、普段は男子禁制の女だらけの場所で生活している姫巫女とお付きの巫女である。

 熱気ムンムンな男達の視線を直に浴び、すぐさま部屋隅まで後退。目を丸くさせながらお互いを頼り、きつく抱き合っている姿が妙に百合百合しくて可愛い。


「おおっ! お嬢が笑っている!」

「お嬢、おめでとう!」

「良かったな! お嬢!」


 そして、肝心のララノアは幾つものクッションを背もたれにベットの上に座り、心の底から嬉しそうに微笑んでいた。

 その左頬に嘗てあった裂傷痕は何処にも見当たらない。そこに有るのは女性なら誰もが羨むだろう張りの良さそうな真っ白な肌であり、本来のララノアが持っていた魅力を存分に引き出して、その微笑みを美しく輝かせていた。


 たちまち湧き上がる大歓声。

 改めて、しみじみと思う。支払った治療費は大金と呼ばれる額だったが、その価値以上のモノは十分にあったと。


 どの道、俺が大金を持っていても仕方がない。

 商人と交渉するのが面白くて、金を稼ぐのは好きだが、根が小市民なだけに贅沢をしようと考えても、その贅沢自体が今ひとつ思い付かないのだから困る。


 衣食住で試しに考えてみると、服装は前の人生の時からあまり頓着が無かった。

 大学へ入学後、私服で通う様になった時、毎朝を学生服の一択で済んでいた中学校、高校時代がいかに楽だったかを思い知ったほど。


 食は幾ら追求したところで前の世界の洗練さに届きようが無い。

 前の世界にて、一人暮らしを行っていた頃、それなりに自炊はしていたが、よくよく考えてみるとインスタント素材を使った料理ばかり。

 完全な一から作るレシピを知らず、再現は不可能。カレーが食べたくても、この世界にカレーのルーは存在しない。


 住む場所と言うか、俺個人の部屋ならこの使用人部屋の広さで十分すぎる。

 正直、家令さんから今提供されている客間は広すぎて、ちっとも落ち着かない。

 これから赴く領地で家を建てる必要が有るとしたら、それはきっとこじんまりとしたモノになるだろう。


 だったら、趣味はどうか。

 残念ながら、貴族となる以前は日々の糧を得るのに追われて、趣味を持てる様な環境では無かった。


 強いて言うなら、その日々の糧を得る為の鍛錬と狩りが趣味になるだろうが、そのどちらも費用はあまりかからない。

 貴族となる以前は節約していた矢の鏃も、今の俺にとっては端金に過ぎない。


 その癖、商人とはとことん納得するまで交渉して、一小銅貨たりとも決して譲らない。

 だからか、ジェックスさんが以前にこんな事を言っていた。俺の財布の紐は固いのか、緩いのかが解らないと。


 しかし、使わない金は只の死に金。使うべき時に使わなければ、幾ら貯め込んだところで意味が無い。

 大事なのは『いざ』という使いどころを見誤らない事。そう俺は考える。


「……と言う事で今夜は宴会だ! 飲んで、歌って、騒ぐぞ!

 アリサ、何人かを連れて、豚か、牛を買ってこい! 一頭丸ごとだ!

 ニャントー、お前達は酒だ! 樽で……。いや、こうなったら何処かの酒場をいっそ借り切るぞ! ネーハイム、手配は任せた!」


 さしあたり、今がその『いざ』と判断して、ララノアの快気祝いを名目とした豪遊を宣言すると、先ほどとは違った種の大歓声が男達から湧き上がった。




 ******




「ララノアっ!?」


 姫巫女達を玄関まで見送った後、ララノアが居る部屋に再び戻り、そのドアを開けた途端の出来事だった。

 ベットで寝ているララノアが何やら苦しそうに藻掻き始め、血相を変えて駆け寄る。


「……って、脅かすなよ。

 良いって、良いって、そのままで……。あと半日は動けない。そう言っていただろ?」

「でも……。」


 だが、三歩目を踏み出して気付く。

 それが治療後の予後不良などに非ず、ヘロヘロの実を煎じた薬の影響で身体の自由が未だ効かず、ただ単にベットから起き上がろうと悪戦苦闘しているに過ぎないと。


 その証拠に気持ちだけが先走っているのがありありと見て取れる。

 肩どころか、頭すら持ち上げられず、しゃくれさせた顎先を前後に動かして、その度に鼻の穴を大きく開き、顔を力みに赤く染めながら鼻息をフンス、フンスと強く吹き出していた。


 せっかくの可愛い顔が台無しになっており、吹き出すのは堪えたが、苦笑いが漏れる。

 落ち着かせようと諭すが、ララノアは起き上がるのを諦めようとはせず、ならばと傷が癒えた左頬を優しく撫でる。


「ほら、解るかな?」

「ニート様、私……。私……。」


 その効果は覿面だった。たちまちララノアは大人しくなり、その瞳に涙を潤ませ始めた。

 前述にもあるが、今のララノアはヘロヘロの実を煎じた薬の影響で身体の自由が効かない。


 それ故、ララノアは治療後に自身の顔を鏡で見て、左頬の傷痕が完全に無くなっているのは既に知っているが、自分自身で触る事は出来なかった。

 勿論、ヘロヘロの実を煎じた薬の影響は触覚にも及んでいるが、その実感を少しでも感じて欲しかった。


「初めて会った時に言っただろ? 

 ララノアのお父さんは俺の命の恩人だって……。そのお返しだよ」

「だけど……。」


 右手が左頬を二度、三度と往復している内にララノアの瞳から涙がとうとう零れ落ちる。

 その涙を親指で拭うが、涙は次から次へと溢れて止まらない。


 余談だが、ララノアも、ニャントー達も今は既に俺の奴隷では無い。

 姫巫女の治療によって、五人の利き腕に刻まれていた奴隷が奴隷たる証の焼き印は綺麗さっぱりと消去済み。


 もっとも、奴隷の身分から解放されたと言っても、エルフのララノアや獣人のニャントー達が人間の世界で普通の暮らしを営んでゆくのは困難と言わざるを得ない。

 結局のところ、人間の世界で生きて行くのなら、俺に付き従うしか術は無い為、何も変わらない俺の単なる自己満足に過ぎないのだが、俺は感謝の気持ちと言うか、ボーナスの様なモノを五人にどうしてもあげたかった。


 それくらい出会ってからの二年間、五人のトーリノ関門での活躍は著しかった。

 それこそ、五人がいずれはトーリノ関門から去る事実に危機感を覚えて、ジュリアスが去年の秋頃に獣人の配下を加えたほどだ。


 そう、ララノアはもう俺の奴隷では無い。

 そして、お返しと言えば、俺はララノアと出会った当初に生まれ故郷である大樹海にきっと帰してあげると約束を交わしている。


 しかし、出会ってから二年が経った今、ララノアを手放したくは無かった。

 そんな約束を交わすんじゃなかったと不実な考えに染まり、どうしたらララノアが俺の元に留まってくれるかを考える毎日。


 だが、約束は約束である。

 ララノアとて、ソレを励みにこの二年間を頑張ってきた筈なのだから、誠意には誠意に応えるべきなのだ。


「そう、お返しだよ」

「ニート様……。」


 でも、今はまだ俺の側に居てくれている。

 たまらずララノアをベットから抱き起こすと、その実感が欲しくて、きつくきつく抱き締めた。




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