第01話 国王謁見
「ふっ……。騎士叙任式の時以来だな」
「はっ! 過日におかれましては過分なお言葉を賜り、それを誉れとして、この三年間を励んで参りました」
コゼットとの再会。その希望を胸に抱き、指折り数えて待った三年間。
いきなり責任重大な管理職を任されて、苦労ばかりの三年間だったが、それも過ぎ去ってしまえば、良い思い出であり、良い経験でもあった。
今、俺は兵役期間を遂に終えて、三年前に通った道のりを遡り、インランド王国王都『マールス』を訪れていた。
本音を言えば、王都など立ち寄らず、おっさんの領地へ脇目も振らずに向かいたいところだが、残念ながらそうもいかない。
インランド王国に存在する全ての中央軍や領主軍、騎士団を統括する中央軍統合本部に出頭して、兵役を満了した旨を申告しなければならなかった。
この申告を経て、貴族は正式なインランド王国貴族の一員として、平民は正式なインランド王国市民として認められ、自分の名前が戸籍に記載され、同時に貴族は次の配属先が与えられ、平民は生まれた村に帰るか、そのまま軍隊に残るかの選択となる。
俺の場合、おっさんとの約束が有り、おっさんの根回しによって、おっさんを頂点とする南方領主軍の何処かに配属される予定になっていた。
実際、兵役中の功績が認められて、十騎長から百騎長の昇進と共に告げられた次の配属先は聞き覚えの無い場所だったが、それと一緒にオマケが付いてきた。
そのオマケを貰う為、翌日に日を改めて、俺は騎士叙任式の際に袖を一回だけ通したっきりの礼装を着て、この場に居た。
この国の支配者たるインランド国王が至尊の玉座に座る謁見の間にである。
「どうやら、その様だな。
トーリノ関門から頼りが届く度、随分と驚かされたものだ。さすがはハイレディンの息子と言ったところか」
「恐縮に御座います」
先ほど自分の名前が告げられると共に重厚な二枚扉が開き、この謁見の間に入った時はその広さに圧倒された。
前の世界で通っていた学校にあったどの体育館よりも広く、天井も高い。
しかも、壁や床はピカピカに磨かれた大理石。
天井には数多のシャンデリアが吊り下げられており、中二階の内テラスに列んでいる窓は全てがガラス張り。
建設費と維持費、その二つにどれだけの金額が動いているのか。軽く試算するも、膨大すぎる馬鹿馬鹿しい数字が頭に列び、途中で考えるのを止めた。
今、片跪いている出入口と玉座を繋いでいる毛並みの深い赤絨毯とて、超一流の品。
小市民な俺としては、その超一流の絨毯に土足で上がっているのがどうにも落ち着かない。
その上、それ以上に落ち着かせない存在が間近に居た。
こんな場所、つい昨日までは俺の人生に無縁な場所だとばかり思っていた。さっさと用事を済ませて帰りたい。
五メートル前方、三段の階段を上ったステージにある玉座。
この謁見に辺り、一夜漬けした知識によると、玉座が床より高い位置にあるのは国王と謁見者の目線の高さを合わせながらも、立位の謁見者が座位の王を自然と敬う形にする為らしい。
但し、国王と直対の立位が許されるのは男爵以上の身分の持ち主。
その為、俺を呼んだのは国王だが、士爵である俺は右拳を床に突きながら片跪いた体勢で視線を床に縫い付けて、国王を直に見る事を許されない。
「ふっ……。その言い様も親似だな。
では、まずは用件を済まそう。そのままでは話し辛いからな。……立つが良い」
「はっ!」
だが、その古からの慣例を国王自身が許す。
それが意味するモノは只一つ。今、この瞬間を以て、俺の爵位が国王を前に立位が許される爵位に、士爵から男爵へと上がるという事に他ならない。
たちまち赤絨毯の左右に居並ぶ数十人の貴族達からざわめきが沸く。
無遠慮な視線が注ぎ集まる中、胸を強くドクンと一鳴らしして、片跪いた体勢から徐に立ち上がる。
王を頂点に置き、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、士爵の順に列ぶ貴族社会の序列。
この列びで解る通り、男爵と士爵の爵位差は一つだけだが、その間には越えがたい大きな壁が存在しており、士爵から男爵となるのは平民から士爵となる以上に難しい。
何故ならば、士爵は貴族に分類されてはいるが、その実は貴族と平民の間に存在する半貴族と言った存在。
前の世界における会社での序列に例えるなら、中間管理職の係長であり、労働者側に属している。
しかし、男爵からは国政の一端を担う完全な管理者側。
国から支払われる年金は一気に倍額となり、何らかの役職も与えられて、余程の下手を打たない限り、その役職と爵位は国が世襲を子々孫々に至るまで保証してくれる。
軍においても、同じ百騎長なら先任、後任を問わず、爵位が優先されるなどの特権は多い。
ところが、インランド王国は建国以来を侵略国家として成長してきたが、北をロンブーツ教国に、南をアレキサンドリア大王国に、東を海に、西をミルトン王国に行く手を阻まれてしまい、この数十年間は行き詰まっていた。
新たな領地を得られないのだから、当然に事ながら新たな家も興らない。爵位の上下があったとしても、それは男爵以上の爵位を持つ者達に止まり、限られた既存のモノを椅子取りゲームで奪い合っているに過ぎなかった。
事実、ここ数年はミルトン王国との戦争が活発化した為、新たに士爵となる者達が増えつつあるが、それ以前は序列最下位である当代限りの士爵位ですら減少傾向にあった。
だったら、士爵から男爵の出世は尚更であり、貴族達の驚きは当然だった。
「陛下の御前である! 静粛にせよ!」
誰かは知らないが、顔の見た目は中年だが、逞しい体付きは軍人のソレ。
俺のすぐ右隣。国王の死角となる最も近い位置に立っている事実から軍の重鎮だろうか。
その人物が声を張り上げて、場内がピタリと静まり返る。
同時に注がれていた視線は国王へと戻り、誰もが国王の言葉を待って、過ぎてゆく静寂と共に緊張感が張り詰めてゆく。
暫くして、目線を送ってきた国王に応え、閉じた左手を胸にあてがいながら右足を半歩引き、改めての礼を国王に捧げる。
たった、これだけの動作にも関わらず、昨夜はネーハイムさんを国王に見立てて、何度も何度も練習した。喉はカラカラに乾いて、胃がキリキリと痛み、胸はドキドキと高鳴りっぱなし。
本音を明かしてしまうと、先ほどから膝が生まれたての子鹿の様にプルプルと震えていた。
それを足の筋肉を強張らせる事によって、強引に押し留めていたが、少しでも気を抜いたら、その場に尻餅をついてしまいそうだった。
だが、弱音は吐けない。
逃亡奴隷という社会の最底辺から俺を掬い上げてくれ、その上に貴族という輝かしい生きる道を与えてくれたおっさんの為にも恥は掻けない。
奥歯を力強く噛み締めながら顎を引き、見た目には堂々と国王を見据える。
「さて、皆も存じていよう。
我が国が版図を西に拡げるのを止めたのは、余の先代の先代……。そのまた更に何代も遡った百年以上も昔の出来事だ。
あの忌々しいオーガスタ要塞が立ち塞がって以来、我が国は一進一退を無意味に繰り返して、時には侵略の屈辱を受けた過去すらあった。
しかし、今は違う! 今、我が国は快進撃を続けて、ミルトンの東一帯を支配するに至った! これは歴史的な快挙であり、実に喜ばしい事である!」
それを満足そうに頷き、玉座に座したまま語り始める国王。
その声は威厳に満ち溢れて、広大な謁見の間の隅々まで朗々と響き渡り、さすがは一国の王と呼べるものだった。
第二十七代インランド王国国王、メリクリウス・デ・マールス・ケイサー・インランド。
先王の次男として生まれるが、本来の王太子だった兄が戦死して、王位に就いたのが二十一歳。
今年で四十五歳となり、その二十年を越える治世は可もなく、不可もなく、賢王でなければ、愚王でもない。
最も大きな功績を挙げるなら、つい先日まで俺が居たトーリノ関門を造り上げて、ロンブーツ教国との紛争地帯だったトーリノ盆地に大きな一区切りを付けた事だろう。
文武を比べたら、どちらかと言えば、武の人。
個人としての高い武名は持っていないが、王子時代は軍務に就いており、国王となってからも自ら陣頭指揮を執る親征を度々行って、軍での人気は非常に高い。
実際、一昨年もミルトン王国に対して親征を行っている。
それがきっかけとなって、停滞しつつあった戦線は大きく前進。今、国王が言った通り、ミルトン王国東一帯の支配権確立に至っている。
そう、一昨年である。俺にとって、一昨年と言えば、これを置いて他はない。
年度初めに送られてくる筈の補充兵がトーリノ関門に届かず、その後も到着が遅れに遅れて、頼れる味方に苦戦を強いられたロンブーツ教国軍との戦い。
ジュリアスの到着によって、勝利を得るに成功したが、あれは本当にギリギリの間一髪とも言える辛勝だった。
俺自身も槍の特殊能力をフルに使ったが為、意識を一週間も失った挙げ句、その後もベットで寝たきりの生活を一ヶ月近くも強いられた。
だが、国王自身の出馬となったら、それは絶対に負けられない国の威信を賭けた戦い。そのしわ寄せが何処かに及ぶのは当然と言える。
その情報をトーリノ関門に出入りする商人達が一季節ほど遅れて運んできた時、そんな裏事情があったのかと皆で深い溜息と共に納得するしかなかった。
「だが、しかし! 余は大事な事を忘れていた!
我が国の版図が拡がったとしても、その一方で失ってしまえば、その輝かしい喜びも意味を失ってしまう事を!
そして、その大事な事を余に思い出させてくれた者が居る!
しかも、その者は一度ならず、二度までも国家存亡の危機を見事に救ってくれたのだ! ならば、功には報いを与えるべきは余の務めである!」
そして、もう一つ。語りながら感情のボルテージを上げてゆき、今や玉座を立ち上がり、身振り手振りを交えての熱弁を振るう国王の姿に解った事がある。
その言葉は結果として、俺を褒め称えてはいるが、そこに至る過程は自画自賛。国王は名声を明らかに欲していた。
国王が訴える通り、インランド王国が版図を西に拡げる邪魔をしていたオーガスタ要塞が此方の手に落ちた今、その先にあるミルトン王国を攻め滅ぼす絶好の好機と言える。
ましてや、この数十年間は東西南北のどの方向にも版図の拡大に行き詰まっていた事実もある。もし、ミルトン王国を攻め滅ぼす事が出来たなら、国王の名声は鰻登りとなり、その名はインランド王国史に燦然と輝くに違いない。
しかし、国王は気付いているのだろうか。
この数年間、ミルトン王国征服という野心に炎を燃やし過ぎた結果、徴兵に継ぐ徴兵で国内に厭戦の声が静かにゆっくりと広がりつつあるのを。
トーリノ関門から王都まで来る道中の村々にて、そう言った声を幾度も聞いた。
それに加えて、まだ目立ってはいないが、王都からトーリノ関門に向かった三年前と比べて、村々から若い男達が確実に減っていた。
労働力のバランスが崩れてからでは遅い。そろそろ歯止めを効かせなければならない時期が来ているのではなかろうか。
おっさんも随分と苦労しているらしい。
南のアレキサンドリア大王国との国境守備の兵数が限界ギリギリで領地をどうしても留守に出来ず、俺の迎えに王都へ行けないのを手紙で残念がっていた。
もっとも、それを国王に諫言するほどの度胸を俺は持っていない。
更に付け加えるなら、愛国心も持っていない俺だが、ここまで出世したのだから国が傾いてしまっては困る。国王の側近達が聡明である事を祈ろう。
「ニート・デ・ドゥーテイ・レスボスよ!」
「はっ!」
「そなたを男爵に叙すると共に我が南方直轄領『コミュショー』の地を与える!
今、この時を以て、名を『ニート・デ・ドゥーテイ・コミュショー』と改めるが良い!」
「ふぁっ!?」
突如、雲上からドデカい爆弾が投下。
極度の緊張を紛らわせようと現実逃避に余所事を考えていただけに、その破壊力はとんでもなかった。
滑稽なほどに身体をビクッと跳ねさせた挙げ句、変な声を出してしまい、茫然と目が点。居並ぶ貴族達からも先ほど以上のざわめきが沸く。
今のご時世、士爵から男爵の出世が希なら、新たな領地を賜るのはもっと希である。
言うまでもなく、土地とは国王、貴族にとっての収入源。版図の行き詰まりを見せている今、誰が他人に自分の大事な収入源を渡すものか。
収入は力に直結するもの。
このインランド王国は王政であり、王は絶大な権力を持っているが、完全な絶対王政に非ず、まだまだ地方分権の色を濃く持っている。
敢えて別の名で置き換えるなら、国王は貴族達を束ねる盟主。
その結束力を高める為、力ある貴族達を抑える為、国王は誰よりも強い力を所持しなければならない。
余談だが、今現在は西に快進撃を続けて、その版図を拡げつつあるが、その新たな土地は基本的に全てが直轄領。
それ等の新たな土地が下賜されるとしたら、国王が戦争に一区切りを付けた論功行賞の場を待たなければならない。
だからこそ、貴族達の驚きは当然だった。
俺自身、爵位が男爵に上がるのは知っていたが、まさか、まさか領地まで賜るとは思ってもみなかった。
男爵となるに伴い、与えられる役職は軍に絡んだもの。
昨日、中央軍統合本部でも国王が今告げた『コミュショー』なる地が次の任地先として告げられてはいたが、それは砦や要塞と言った軍施設の名前だとばかり考えていた。
「くっくっくっくっくっ……。どうした?
どんな大店の商人にも屈せず、一小銅貨でも多く巻き上げようとする図太い奴。
そう、ジュリアスの手紙には書いてあったが?
それとも……。どうしたら、自分の値をもっと吊り上げられるか。その算段でも考えているのか?」
謁見の間に響き渡る含み笑い。
慌てて我を取り戻すと、玉座に座り直した国王が肩を振るわせて笑っていた。
親子ではあるが、見た目の印象が全く違う国王とジュリアス。
国王は角張った顔付きをして、体格も男らしいが、ジュリアスはイケメンの女顔というか、体付きもほっそりとして、男装の麗人にしか見えない。
だが、そのニヤニヤとした半笑いは正に親子の繋がりを確かに感じさせる瓜二つのモノだった。
それが結果として、俺に余裕を取り戻させる。
あと二年の任期がある為、トーリノ関門に残った我が友人。
まだ別れてから、たった一ヶ月しか経っていないにも関わらず、懐かしさと共に寂しさを感じて、笑みが口元に浮かぶ。
「滅相も御座いません。コミュショーの名と土地、有り難く頂戴を致します」
皆の注目の中、閉じた左手を胸にあてがいながら右足を半歩引き、国王に頭を深々と垂れる。
何の気負いも感じずに自然と出たソレは昨夜の練習を存分に発揮させた完璧と言える礼だった。
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年齢を重ねてから生まれる友情もあるが、やはり友情というモノは若き日々に生まれやすいものである。
そして、その日々が苦しければ、苦しいほどに友情というモノは強固に結ばれる。
後世に無色の騎士として名高いニートとインランド帝国初代皇帝のジュリアス。
運命に導かれたのか、この二人の英雄もまた若き日に縁を結び、その友情を生涯に渡って育んでゆく。
ここで面白いのが、その縁を結んだ地がトーリノ関門だという点だ。
今も尚、その姿を残して、世界遺産として登録されているソレが何処にあるかなど説明は不要だろう。
そう、世界のヘソと呼ばれる街。嘗て、インランド帝国の王都として栄えた街『マールス』の北である。
しかし、当時のインランド王国の目は西に向けられていた。
国の総力を挙げての大規模侵攻を西のミルトン王国に対して行っており、国王自身が出馬する親征を行った記録すら有る。
その最中、北方の国境守備を担う。それは左遷に他ならない。
しかも、当時の大陸は千年サイクルで繰り返されている寒冷期のど真ん中である。
トーリノ関門の貯蔵庫の出入口が全て城壁に上る階段の踊り場に設置されている点から当時の冬の積雪は三メートルを軽く超えていたと考えられる。
当然、街道は封鎖されて、孤立無援。それでいながら万を超す兵士が常駐していたのだから、冬の食糧事情は相当に厳しかったのではないだろうか。
この左遷時代、ニートが誼を結んだのはジュリアスだけでは無い。
それぞれが二つ名を持ち、英雄たるニートの脇を固めた『八将軍』と呼ばれる者達の半数がこの頃から行動を共にしていた事実が最近の研究で判明している。
一人は、十万の軍勢を整然と指揮する様は芸術的とまで謳われ、千騎長の上の階級を彼の為に作るべきだと言われた万騎長・ジェックス。
一人は、攻勢においては目立たないが、撤退戦や防衛戦を得意として、彼の旗が翻る防衛拠点を攻めるのは愚策と言われた鉄壁のネーハイム。
一人は、千の兵を以てしても、彼女一人の行く手を止める事は能わず、一騎当千とは彼女の為に作られた言葉と言われた不退転・ルシル。
一人は、その美しい姿に魅入られて、心を奪われたが最後、その正確無比な矢に命も奪われると言われた白い死神・ララノア。
その左遷された者達が時流と共に頭角を現して、その名を歴史に燦然と刻む事となるのだから、世の中は何処に珠が転がっているのかが解らないモノである。