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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第六章 士爵 十騎長 トーリノ関門防衛司令官代理編
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第03話 春、到来




「見つけた! ヘラジカだ! かなりデカいぞ!」


 顔は動かさずに目線だけを左右に動かして歩いていると、左手の方向から叫び声が聞こえてきた。

 今、俺達は百人が横一列に一定間隔を空けて列び、杉の木々が立ち並んでいる薄暗い森を進軍していたが、その叫び声の聞こえ具合からして、随分と左端の辺り。俺の位置からはかなり遠い。


「南東だ! 南東の方に逃げたぞ!」


 しかも、発見した目標はより左端に向かっているらしい。

 すぐさま駆けるが、未だ浅く積もった雪の大地は春の陽気に融けかけて、足首の上まで沈み、足を取られて走りづらい。列の中央を歩いていた俺が着いた頃には全てが済んでいるだろう。


「肉だ! 肉ぅ~~!」

「絶対に逃がすなよぉ~~!」

「頼む! 二週間ぶりの恵みを俺達に!」


 行く手からは目の色を変えた無我夢中の雄叫びが、背後からは全てを託した必死の祈りが幾つもあがり、森が緊迫感に包まれてゆく。

 思わず苦笑が漏れてしまうが、かく言う俺も幾つもの肉料理が頭に浮かんでは消え、たちまち涎が口の中に溜まってくる。槍を握る右手は握力が自然と強まり、いつの間にやら走るリズムも嬉しさに弾んでいた。


 なにしろ、誰かが叫んだ通り、肉を最後に食べたのは二週間も前の事。

 冬籠もりに貯えていたトーリノ関門の干し肉やハムといった肉類はとうの昔、約二ヶ月も前に尽きていた。


 季節は春となり、ラクトパスの街との流通が再開。

 昨日、今年初の補給便が王都から届いたが、各物資の分配を開始するや否や、全部隊の隊長が一斉に肉類へと群がり、あっと言う間に無くなった。


 俺達が住んでいる兵舎の二軒右隣の男爵嫡子のルシルさん。

 艶やかな黒いロングヘアーがとても良く似合い、眼鏡をかけた口元左下のホクロがチャームポイントの清楚な女の子。

 家の事情とは言え、血生臭い騎士など全く似合わず、前世で言うところの図書委員な雰囲気を持った日頃は大人しい彼女でさえ、久々の肉を目の前にして、目を血走らせていた。


 それこそ、髪を振り乱しながら凄まじい雄叫びをあげて、立ち塞がる敵をちぎっては投げ、ちぎっては投げの大活躍。

 十キロのブロック肉を両脇に抱えて、喉の奥が見えるほどに勝利の高笑いをする姿なんて、密かに『良いな』と想っていた淡い恋心が一瞬で冷めてしまった瞬間だった。

 付け加えて言うなら、その様に唖然とするあまり立ち竦んでしまい、俺は肉を手に入れる事が出来なかった。


 おかげで、部隊に手ぶらで帰った俺に待っていたのは罵詈雑言の嵐。

 百人の兵士達が飢えた猛獣の様に『肉! 肉! 肉!』と叫び、身の危険を覚えた俺は翌日の訓練内容を急遽変更。今現在、森での追撃戦訓練という名目で狩りを行っている真っ最中だった。


 余談だが、俺が防衛司令官代理となってから、トーリノ関門周囲一帯での狩りは非常時を除き、許可申請制となっている。

 その理由は狩りに関する規制がそれまで無かった為、トーリノ関門が完成して以来、欲したら欲するだけ狩りを際限なく行ってきた結果、トーリノ関門周囲一帯の森が半ば干上がっていたからである。


 これはこのトーリノ盆地が国王直轄領であり、トーリノ関門の防衛司令官の座が永続的なモノでない弊害だろう。

 トーリノ関門が完成してから、今年で九年目。たったの九年しか経っていないにも関わらず、代理の俺も合わせると、既に五回もトップが変わっている。

 その誰もがトーリノ関門の防衛司令官の座を所謂『腰掛け』としか考えておらず、あとの事を考えていない証拠に他ならない。


 去年の秋、本格的な冬を前にして、毛皮が欲しくなり、その森の大きさに対する獲物の少なさに驚いた。

 元猟師として、断じて許せなかった。同時に魔物の出没が次第に増えている様な気がするという頭の片隅にあったトーリノ関門に最も近いオンカン村からの陳情についての原因も解けた。


 この世界の森は奥へ進むに従って、虫や動物、魔物の強さは増してゆく。

 だから、森に生きるモノ達は自分より弱いモノを狩る為、己のテリトリーとする場所の一歩手前を狩り場とする傾向がある。


 つまり、それは森の浅瀬に生きていたモノ達が居なくなれば、森の中程に生きていたモノ達が浅瀬を越えて、街道や人里まで獲物を探して出没する様になる事を意味する。

 もし、それが頻繁となり、ヒトが襲われる被害が続出し始めたら、もう取り返しはつかない。負の連鎖が始まる。


 何がトリガーとなっているのかは知らないが、魔物に殺された者はきちんと埋葬しないと、生ける屍と化し易い。

 それが森を夜な夜な徘徊し始めてしまえば、その森自体もやがては呪われてしまい、雑草すらも育たない腐界へと変わり、その勢力を周囲にゆっくりと広げてゆく。


 一旦、こうなってしまったら、もうお手上げ。

 何十、何百年という永い時の自然回復力を待つか、かなり高位の神官の手で森を清めて貰うしか、森を元通りにする術は無い。

 猟師になりたての頃、親父に連れられて、村から五日も歩き、実際に腐界となった森を見せられたが、あれは実に酷いものだった。


 だからこそ、トーリノ関門周囲一帯の生態系を取り戻す為、狩りに制限をかけて、それを破った際の厳しい罰則も設けた。

 その結果、肉類の貯えが春を迎える前に無くなくなってしまい、各所から不満が続出したが、これは今年度の冬に向けての最優先課題とする。


「嬢ちゃん、頼む! 念願のお肉様だ!」

「お嬢、ビビるな! お前なら出来る!」


 行く手でひっきりなしにあがっている叫び声。

 それ等の中にあったソレに反応して、思わず眉がピクリと跳ねる。


 俺が率いる直轄の部隊に所属する女の子は一人のみ。

 アルビノという希有な存在であり、左頬に傷を持つエルフの少女『ララノア』である。


 本来、性奴隷という名目で売られていたララノアだが、俺は戦奴として扱い、自分の部隊に組み入れた。

 ネーハイムさんは非力なエルフに何が出来るのかと反対したが、エルフは森の民。狩りと護身の為、物心を付いた頃から弓を持たされ、その腕前は総じて達者だと知っていた俺には自信があった。


 事実、最初の一ヶ月は勘を取り戻すのに四苦八苦していた様だが、舌を巻くほどの腕前を徐々に発揮し始め、半年が経った今では部隊一の射手と呼べるほどになっていた。

 元猟師としては嫉妬を抱いてしまうくらいの才能を持っており、昨日より今日、今日より明日という具合に成長をまだまだ重ねている。


 もっとも、それはあくまでも表向きの理由。

 真の目的は別に有り、そちらも前進こそはしているが、その進歩具合は弓の腕前とは正反対に残念ながら芳しくない。


 ララノアと一緒に買った猫族の四人。

 話を聞くと、ニャントー達は奴隷の村で生まれ、自分達が奴隷だと自覚させられながら育てられたらしい。

 そのせいか、自分達はそう言うモノなのだと達観している節があり、その奴隷の人生なりにも楽しみを見出そうとして、本当の明るさも持っている。


 しかし、ララノアは違う。

 幸せだった生活から一変。人間に捕まり、奴隷商人に売られた挙げ句、売り物にならないと奴隷以下の酷い扱いを受けている。

 例えるなら、正に天国から地獄へと突き落とされた様なもの。


 その地獄の中で自分を護る術だったのではなかろうか。

 失語症とまでは言わないにしろ、そう呼べるほどに口数が極端に少なく、こちらから積極的に話しかけなければ、その声を聞かない日も多い。


 だが、ヒトとの接触は決して拒んでいない。

 むしろ、逆に居場所を必死に作ろうとしている。ジェックスさんはそう言っていた。


 あのララノアを買った夜の出来事。

 俺は寝込みを襲われて逃げてしまったが、ララノアは俺に拒まれたと勘違いして、ジェックスさんに『ここに居ても良いのか?』と涙ながらに尋ねたらしい。


 それ故、ララノアを自分の部隊に組み入れた。

 最初は読み書きと計算が出来ると知って、俺の補佐をと考えたが、このトーリノ関門とて、血筋だけを拠り所にした高慢な貴族は存在する。

 そう言った者達がララノアにどんな目を向けてくるのかは想像が容易く、より自分の手が届く範囲を選んだ。


 幸いにして、俺の直轄部隊は全員が平民。

 それも寒村出身の次男、三男ばかりであり、明確な身分差はあるが、その境遇はララノアに近い。


 この要素の上に前述の通り、ララノアは射手としての凄腕を持つ。

 それは軍隊においては尊敬を向けられる要素。その見た目の可愛らしさも決してマイナスには働かず、部隊に自然と溶け込んで行ける条件は揃っていた。


 そして、部隊とは集団でありながら個体として動かなければならないもの。

 前世での物語『三銃士』で有名な格言、『皆は一人の為に、一人は皆の為に』という奴だ。

 その意志疎通の為には口籠もってなどいられない。言葉を積極的に交わす必要があり、時には声を張り上げる必要だって有る。


 しかし、半年が経った今もララノアの口数はお世辞にも増えているとは言えない。

 俺は精神学を学んでおらず、この手段が正解なのか、不正解なのかも解らないが、ジェックスさんに『ここに居ても良いのか?』と尋ねたララノアに自分の居場所は自分で作り上げてゆくモノだと知って欲しかった。


「ヤバい! 嬢ちゃん、逃げろ!」

「お嬢、さっきのは取り消す! 無理すんな!」


 実際、先ほどからララノアの声は一度も聞こえてこない。

 それどころか、危機が迫っているらしい警告があがっているにも関わらず、ララノアは悲鳴をあげたりもしなければ、助けを求めたりもしない。


 今、皆が獲物として追っているヘラジカを一言で言うなら、巨大な鹿。

 それも超が付く巨大さ。前世での中学校修学旅行で見た奈良公園の鹿とは比較にならないほどの巨大さ。

 過去に親父と一緒に何度か狩っているが、最低でも体長と高さが共に二メートルを超え、大きなモノは三メートルすら超える。


 その驚異は何と言っても巨体に見合わない凄まじい突進力。

 雄の場合、横幅が二メートルもある角を加えて持っており、その突進力を以て掬われたら、人間は簡単に天高く舞い上がって、空のお星様と化す。


 当然、一人で立ち向かうには危険すぎる相手。

 特に雪が融け始めている今の季節は餌が少ない為、どんな動物も気が立っていて、夏や秋に比べたら、その驚異度は一割増し。


 ところが、ララノアは一生懸命過ぎると言うか、何事も無茶をする傾向がある。

 例えば、体力作りにランニングを命じれば、ぶっ倒れるまで走り続けたり、弓の練習をさせれば、弦を引く左手の人差し指の皮が切れて、血が滴り落ちるまで続けたり、目が離せない事が多い。

 今回の狩りでは列の端の方に置き、そう言った無茶を起こさせない配慮したつもりだったが、どうやら裏目に出てしまった様だ。


「くっ!?」


 もしかしたら、また無茶をしようとしているのではないだろうか。

 そんな不安が渦巻き、駆ける速度を徐々に上げて、本気の走りに奥歯を力強く噛み締めたその時だった。


「ブヒヒヒヒーーーン!」


 ヘラジカの悲鳴と思しき雄叫びが森に木霊した。

 その後、数拍の間を空けて、巨大なモノが倒れ伏す重い音が聞こえ、それを軽い地響きが追いかけて伝わってくる。


「大丈夫だった……。の、かな?」


 沸きに沸く大歓声。そのどれもがララノアを讃えていた。

 それが意味するモノは一つしか無い。駆ける速度を緩めて立ち止まり、要らぬ心配だったかと胸をホッと撫で下ろした。




 ******




「わっはっはっはっはっ!?」

「だから、言っただろう? それはお前がさ」

「違う、違うって! そこはだな!」


 現場に到着して、その巨大さに息を飲むしかなかった。

 三メートルどころか、四メートルすらも越える体長。俺が今まで見た中でも最高の大きさ。


 但し、ここはまだまだ森の浅瀬と呼べる場所。

 本来なら、これほど巨大な個体は森の中程から奥手前、そこが住処の筈。こんな浅瀬での遭遇は有り得ない。

 もしかしたら、トーリノ関門周囲一帯の森の生態系の乱れは俺が考えている以上に深刻化しているのかも知れない。


 しかし、今は難しい事を忘れて、みんなと焚き火を囲んでの談笑中。

 ヘラジカの調理方法は至ってシンプルな串焼き。味付けは塩とコショウをまぶしただけだが、これが抜群に美味い。


 しかも、その巨大さは肉に飢えた百人の胃袋を満たしても、肉の消化量は半分をやっと超えたところ。

 この分なら、トーリノ関門で留守番中のネーハイムさんとジェックスさんや夜勤警備の為に今は就寝中のニャントー達にも持って帰れるだろう。

 特にニャントー達は猫族だけあって、肉料理が大好物。目を輝かして狂喜乱舞する姿が頭にありありと浮かび、思わず頬が緩む。


「ふふっ……。」

「おっ!? どうしたんですか? 思い出し笑いなんかしちゃって?」

「馬鹿、野暮な事を言うな。春が来て、随分とご無沙汰だったアリサ様と会えるんだ。だったら、思い出し笑いの一つもしたくなるさ」

「かぁーーーっ!? このスケベ! 女ったらし!」

「ちょっ!? ……ち、違うって! そ、そんなんじゃないって!」


 それがきっかけとなって、ちょっとした盛り上がりを見せるが、ニャントー達を思い出したら、ララノアの事が気になった。

 椅子代わりにしていた倒木から立ち上がり、辺りをキョロキョロと見渡して、その後ろ姿を俺達の輪から少し離れた場所に見つける。


「ニート様、これを持っていって頂けますか?

 今日の一番手柄はお嬢だって言うのに……。俺ってば、渡しそびれちゃって……。」

「ああ、解ったよ。ありがとう」


 その様子に俺がララノアの元に向かうと察したのだろう。

 いや、その言葉から察すると、俺がララノアの元に向かうタイミングを待ち構えていたのかも知れない。


 兵士の一人が俺の元に駆け寄り、慌ててマグカップを差し出してきた。

 それはあくまで今は訓練中、当然の事ながら酒を飲むのは御法度だが、バーベキューを楽しむのに酒が無いのは寂しすぎる。だから、これは身体が不思議と温まる水と言う名目で一人一杯を限定に飲んでいるウォッカ。


 どうして、ソレを自分で運ばないのか。

 ララノアが食事をしている最中は誰も近づいてはならない。それがこの部隊の暗黙の了解だからである。


 同じ家で暮らす仲間として、ララノア達と初めての食事をした時の出来事。

 ニャントー達はがっつき貪り食べているのに対して、ララノアはいつまで経っても食事に手を付けようとせず、ただただ俯いてばかりいた。


 最初は奴隷の身分を気にして、同じテーブルで食べるのを遠慮しているのかと思ったが、

 俺の勧めにこちらの様子を怖ず怖ずと窺いながら食べ始めるのを見て、それがすぐに勘違いだと解った。ララノアは食べようとしなかったのではなく、人前では食べられないのだと。


 そう、ララノアの左頬には口まで裂けた傷がある。

 その為、食事を行うには顔を右に傾けなければならない。そうしなければ、特にスープなどは口から漏れてしまう。


 左頬の傷に酷いコンプレックスを持っているララノア。

 当然、そのヒトとは違った食事の方法を奇異な眼で見られるのは嫌に違いなかった。


 それ故、俺はネーハイムさんに『甘すぎます』と叱られながらも、食事を自室で食べる事を許した。

 部隊での野営時も同様である。俺の馬の見張り番という大義名分を与えて、今現在の様に皆から外れて食べる事を許していた。


 ちなみに、食事以外はこれと言った問題は起こっていない。

 ヒトの口に戸は立てられず、ララノアはエルフ故に注目が集まり易い事もあって、その傷を知る者は増えているが、実際に見た者は少ない。


 今、ララノアが着ている黒いコートはララノアの為に誂えた品。

 その立った高い襟のボタンを留めると、目線までの顔半分が隠れるデザインになっている。


 また、ララノアが奴隷というのは誰もが知るところだが、ララノアは俺の奴隷であり、財産でもある。

 ヒトの財産を勝手に傷つけるのは国法に背く行為。奴隷だからと言って、俺以外の他者がララノアを虐げるのは許されず、その襟を好奇心から解く事は出来ない。


 まあ、馬鹿な奴は何処にでも居るもの。

 その当たり前の法を知らずに色々とやってくれた様だが、大々的に裁判を起こして、その傷を周囲に知らしめる事によって、エルフとしての価値を著しく損ねたという理由でララノア達を買った値段以上の賠償金を奪ってやったら、二人目の馬鹿は現れなくなった。


 問題はこれからの季節。

 この地方は冬の寒さがとても厳しい為、コートを室内で着ていたとしても何もおかしくは無かったが、夏になっても、コートを着ているのはさすがにおかしい。


 今のところ、単純に風邪や花粉症などを患った際に着用する衛生マスクを考えている。

 ところが、今更ながらに気付いたが、この世界に衛生用マスクという概念は無い。少なくとも、俺はソレを着けている者を今まで見た事が無い。


 正直、この世界にまだ存在していない前世の概念を持ち込むのは気が進まない。

 俺は残念ながら凡人に過ぎず、ソレを何故に発明したか、何故に知っているのかと問われたら、答える術が無いからだ。


 だが、ララノアの為なら目を瞑ろう。

 その時期が来たら、我が家全員が風邪を患ったという事にして、まずは衛生用マスクを着けていても不思議でない光景を作り上げるつもりでいる。


「はふはふっ……。」


 倒木を椅子に腰掛けた小さな背中。

 あと数歩と迫ったところ、ララノアが座っている横の木に繋がれた俺の馬が耳をピクリと立てて、雪下に生えている生草を頬張る為に下げていた頭を上げる。


 しかし、いつもは気配に敏感な筈のララノアが俺の接近に気付かない。

 どうしたのだろうかと立ち止まってみれば、久々の肉にご満悦中。豪快にぶつ切り、串焼きにしたソレはララノアが頬張るには大きく、熱々なのも伴って悪戦苦闘をしている。


 その微笑ましい後ろ姿に思わず苦笑が零れる。

 本心としては、その様子を正面から拝みたかったが、今は後ろ姿で満足しておく。

 いつの日か、ララノアから食事の輪に加わってくれる筈だと信じて、右隣にある木の根元付近。誰も踏んでおらず、雪が自然のままに積もっている部分を右足で踏む。


「っ!?」


 融けかけながらも凍った雪の表面が音をガサリと立てて割れる。

 その音に身体をビクッと跳ねさせると、慌ててララノアは左右を何度もキョロキョロと見渡し始めた。


 恐らく、食事を行うのに開けたコートの襟を閉じたいのだろう。

 だが、その為には右手に持った串焼きと左手に持ったパンが邪魔であり、その二つを一時的に置く皿は無い。

 だからと言って、串焼きも、パンも、まだ半分以上が残っており、捨てるのは惜しい。どうしたら良いのかと悩んでいると見た。


「大丈夫。俺だよ」


 再び苦笑が漏れ、その先ほどにも増して微笑ましい後ろ姿をいつまでも見ていたかったが、声をかける。

 まず間違いなく、そのまま放っておいたら、ララノアはコートの襟を閉める為にパンか、串焼きのどちらかを捨てる選択肢を選ぶ。


 それを知りながら、それを選ばせるのは酷というもの。

 周囲は融けかけの浅い雪を何人もが踏んだ結果、ぬかるんでおり、一度でも捨ててしまったら、ソレを再び口にするのは抵抗がある。


「ぁっ……。ニート様」


 ララノアは跳ねさせたまま強張らせた身体を弛緩させると、まずは顔だけを浅く振り向かせた。

 そして、俺以外の誰も居ないと知り、今度は身体ごと振り向く。その右手には串焼きを、左手にはパンを持っており、コートの襟は開いたまま。


 これこそが俺だけに許された特権であり、半年間の努力の成果。

 つい最近になって、ようやくララノアは素顔を俺に見られるのを厭わなくなっていた。


「はい、これ……。飲み物が無くて、食べ辛かっただろ? 渡しそびれて、申し訳なかったって謝っていたよ」

「んっ……。」


 思わず顔が自然と綻ぶ。

 満足にウンウンと頷き、ララノアが腰掛けている横に運んできたマグカップを置く。


「それにしても凄いな。あれだけ大きいヘラジカは初めて見たけど、見事な目打ちだ。

 俺でも、ああは上手くいかないよ。とうとう弓の腕は抜かれちゃったかな?

 んっ!? ……そんな事ない? いやいや、本当に凄いって……。大したもんだよ。うん……。

 でも、聞いたよ? あのヘラジカを前にして、一歩も逃げなかったんだって?

 これも凄いって褒めたいところだけど……。

 ララノアは矢を当てられる自信が……。いや、あのヘラジカを絶対に倒せる自信があったのかな?

 うんうん……。違うよね。だから、今日は良い機会だから良く考えて欲しいんだ。

 勇敢と無謀は似ている様で全然違うって事を……。今回は上手くいった。でも、次は違うかも知れない。無茶は駄目だ。

 もし、ララノアが怪我でもしたら、みんなが心配する。……って、俺? 勿論、俺も心配するに決まっているよ。

 良いかい? もう一度、言うよ? 無茶は絶対に駄目だ。

 時には無茶も必要になるけど、それは生きるか、死ぬかの様なここぞという時だけで十分なんだよ。

 その前に周りを良く見るべきだ。ララノアの隣には誰が居る? 仲間が居るだろ?

 そう、ララノアはみんなをもっと頼るべきだ。みんなだって、ララノアに頼られたら嬉しいに決まっている。

 えっ!? 俺? 当然だよ。それが仲間ってものさ。ネーハイムも、ジェックスさんも、ニャントー達も、それは変わらないよ」

 

 しかし、会話に関しては出会った頃と未だ変わらず、この通り。

 ララノアは首を振ったりして受け答えはするが、会話のキャッチボールは俺が投げっぱなし。綻んでいた顔も次第に引きつり、肩がガックリと落ちる。


 なにしろ、これでは食事の邪魔をしに来ただけ。

 その上、会話の糸口を探るのを失敗して、ただ単に小言を重ねる嫌な奴にもなっており、せっかく楽しかった食事が完全に台無し。


「さて……。それじゃあ、もう少ししたら帰る予定だから、早めに食べてね?」


 本音を言ったら、ララノアの隣に座り、もっと話したかった。

 だが、ちょっと臭い説教をしたせいもあって恥ずかしくなり、背中のむず痒さにぎこちなく笑いながら話を打ち切って、ララノアに背をむける。


 どの様にしたら、会話が上手く出来るのだろうか。

 そんな事を考えながら歩を進め、ふと重要な事を伝え忘れていたのを思い出して振り返る。


 すると此方を振り向いたままで右手を伸ばしているララノアと目が合った。

 その眉は悲しそうに寄せられており、『もしかしたら、ララノアも俺との会話を望んでいるのかな?』と楽観的に考えながら伝え忘れていた言葉を告げた次の瞬間だった。


「……っと、そうだった。肝心な事を言い忘れてたよ。

 昨日、王都からの補給が来たのは知っているだろ? それで実はさ……。」


 ララノアは目をパチパチと瞬きさせると、その目をこれ以上なく見開き、こんな大声が出せたんだと驚くほどの叫び声を森に轟かせて、俺のみならず、部隊のみんなも驚かせた。




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