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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第六章 士爵 十騎長 トーリノ関門防衛司令官代理編
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幕間 その3 ジェックス視点




ニートが奴隷であるエルフの少女と猫族の若者達を買った夜。

『ジェックス』は手酌を重ねながらも酔えず、今日は美味さを感じない酒を飲んだくれていた。




 ******




「ぷっはぁぁ~~~……。」


 このトーリノ盆地と呼ばれる地方に赴任したのは去年の春。

 それ以来、この強いスモーキーフレーバーの香りが気に入り、ずっと飲み続けているインランド北方の名産酒。


 ところが、今夜に限って、その強い香りが鼻をやけに触って仕方がない。

 琥珀色の酒を一気に呷って、マグカップを机に叩き置きながら溜息を深々と漏らす。


 今も生き残っている同期に騎士叙任を受けた仲間達から言わせると俺は運が良いらしい。

 確かにその通りだろう。何のツテも、コネも無かった無役の平騎士に過ぎなかった俺はとんとん拍子に出世をしている。


 だが、それも、これも、デルモンテ伯爵様のおかげだ。

 デルモンテ伯爵様と初陣で知り合っていなかったら、今も俺は只の平騎士だったかも知れない。


 俺が愛用する武器は先祖代々から受け継がれている古い斧槍。

 今の流行とは数世代以上もかけ離れた品であり、貧しさ故に新しいモノが買えずに受け継いでいただけの品だった為、初陣で所属した小隊の皆に大笑いされたのを今でも良く覚えている。


『武器に古いも、新しいも無い。武器とは目の前に立ち塞がる敵を葬り、明日を生きる為の道具だ。

 戦いの前、お前を笑った者は何人が生き残った? 見たところ、お前以外は誰も居らぬではないか?

 だったら、その武器で敵を何人も葬り、この戦いを生き残った事をお前は誇るが良い。そして、その武器を先祖が残してくれた事を感謝するんだな』


 しかし、それが却って、デルモンテ伯爵様の目に留まる事となった。

 命辛々、酷い負け戦だった初陣を何とか生き残り、逃げ延びてきた城の床にへたり込んでいると、たまたま通りがかったデルモンテ伯爵様が俺の前で立ち止まり、そう言ってくれた。

 その後、戦線を維持する為、俺は再編されたデルモンテ伯爵様の部隊に組み込まれ、それ以後の戦いもデルモンテ伯爵様の部隊に配属されてゆく様になる。


『聞いたぞ? お前、酒も飲めなければ、女も抱いた事が無いんだってな?

 良いだろう! 今夜は私に付き合え! ジェックス、お前にこの世に存在する二つの極楽を教えてやる!』


 今にして思えば、デルモンテ伯爵様は豪快な人だった。

 戦いが終わって、王都に帰る度、必ず娼館を一軒丸ごと貸し切りにして、三日三晩の酒池肉林。俺が酒を覚えたのも、女を覚えたのも、絶対にデルモンテ伯爵様のせいだ。


 そして、平民も、貴族も、身分を問わず、血筋を問わずに公平な人だった。

 俺が十騎長に出世したのは十七歳の秋。同期の仲間達の中では最も早かった。


『ジェックス、お前は見所がある。

 部隊を纏めるのも上手ければ、戦場の空気を読むのも上手い。そして、なかなかの武も持っている。

 しかし、読み書きが出来ないのは頂けない。これからは命令書を読む機会も多くなる。文字を書けなくても良いが、せめて読める様にしておけ』 


 だが、俺の家柄でまさか百騎長になれるとは思ってもみなかった。

 二十一歳の春、デルモンテ伯爵様から百騎長の階級を渡された時は跳び上がるほどに驚いた。


『そうそう、私の領で陪臣をしている家なのだが、婿探しを頼まれてな。お前を推薦しておいた。

 ただ、お前は直臣で、相手は領主の一人娘だ。

 だから、お前の家の跡継ぎと娘の家の跡継ぎ。ゆくゆくは二人以上の子供を作って貰うのが条件なのだが、次の戦いの前に会うだけ会ってみぬか?』


 しかし、それ以上に驚いたのが、その直後の言葉。

 俺の家は騎士位だけを継承している貧乏な家。嫁の来てを探すとなったら困難であり、親父も持参金を十年以上も貯め、ようやく三十五を過ぎて、お袋を見つけたほど。

 そのお袋もまた貧乏騎士の家であり、縁のアテを持っていなかったにも関わらず、デルモンテ伯爵様は嫁のアテを用意してくれた上、その娘は陪臣領主の娘である。


 そんな信じられないほどの良縁を断る筈が無い。

 親父とお袋に至っては涙を流して喜んでくれ、俺も直臣として国王に忠誠は誓っていたが、それと同等のモノをデルモンテ伯爵様に誓い、何処までも付いて行くとその時に決心した。


 ところが、先ほども言ったが、デルモンテ伯爵様は平民も、貴族も、身分を問わず、血筋を問わずに公平な人であり、豪快な性格だった為、歯に衣着せぬ発言も多く、王宮に敵も多かった。

 それが災いして、デルモンテ伯爵様を良く思っていなかった連中の一人がとうとう形振りを構わず、デルモンテ伯爵様を亡き者とする謀略に打って出た。


 ミルトン王国戦にて、別働隊を率いていたデルモンテ伯爵様に対して、伝令と補給を途絶えさせた挙げ句、敵中に孤立させたのである。

 その事実を俺が知ったのは、デルモンテ伯爵様が紹介してくれた陪臣領主の娘との見合いを終え、一足遅れの援軍を率いて、その戦場に向かっている道中だった。


 そう、俺は何処までも付いて行くと決心したにも関わらず、デルモンテ伯爵様が苦戦している時、その傍に居らず、女に現を抜かして舞い上がっていた。

 全てを知った時は既に何もかもが終わっており、俺は無様に死に損なった。


 そして、俺の運の良さもここまでだった。

 デルモンテ伯爵様という後ろ盾を失い、百騎長の階級だけは持っている元の何のツテも、コネも無い無役に逆戻り。


 それだけに大きな恩をデルモンテ伯爵様から受けていながら、その跡を継いだ若様の力に全くなれなかった。

 当時、若様はまだ九歳。所有していた領地を次々と成す術無く削り取られてゆき、本領すら奪われた後は辺境の地に追いやられ、伯爵位だけを持つ三つの寒村の領主となっている。


 その後、百騎長の階級を持っている俺は都合の良い存在として、上級爵位の血筋を持っている扱いづらいボンクラの下に配属され、次の春が来ると、別のボンクラの下に配属。一年毎に所属を転々と変えてゆく。

 去年の春はあの逃げ出したラクトパスの街の代官の下に付けられ、また今年の春に転属命令が王都から届いた為、後任者の到着を待っていたところ、先の戦いが起きた。


 余談だが、見合いをした元デルモンテ伯爵様の陪臣領主の娘とはそれっきり会ってはいない。

 会ったのは最初の一度っきりだったが、話も弾んで相性も合い、その場で婚約も決まったが、主と誓ったデルモンテ伯爵様は亡くなった以上、会わせる顔が有る筈も無く、返事は貰えなかったが、婚約を解消する旨を伝えた手紙は出してある。

 この最前線の盆地に赴任が決まった去年の春。ちょっとだけ気になって調べてみたところ、彼女は数年前に結婚をしており、既に子供も居ると噂で聞き、少し安心した。


「ごふっ!? ……けほっ、かほっ!?」


 手酌をするのも面倒となり、ピッチャーに口を付けて呷るが、ピッチャーの注ぎ口は広口だけに酒を鼻でも吸ってしまい、たちまち吹き出して咽せる。

 慌てて濡れた口元を右腕で拭いながらテーブルに目を向けると、そこは大惨事。酒のアテにしていたナッツの山は崩れてしまい、酒浸しとなったテーブルに散らばり、ニスがすっかりと剥げているテーブルは酒を吸い、この分だとスモーキーフレーバーの酒臭さが二、三日は残るに違いない。


「はぁぁ~~~……。」


 明日の朝、大将が目を醒ましたら怒るだろうなと苦笑した後、酒を飲んでいた理由を思い出して、溜息を深々と漏らす。

 視線が自然と天井を向く。この兵舎は仕官用のバストイレ付きで部屋数は五つ。大将の部屋は二階の奥に有り、つい先ほど風呂を済ませて、既に大将は部屋に引っ込んでいる。


 先の戦いの後、俺は遂に階級では最高位の千騎長に出世した。

 だが、それは大将をトーリノ関門防衛司令官代理の座に就ける為の方便に過ぎない。


 正直に明かすと、大将と初めて出会った時、レスボス家の一員と聞き、ボンクラの相手ばかりをしていた俺は大将もまたボンクラの一人だろうと見下していた。

 小賢しい事をペラペラと喋り、策士気取り。応戦を宣言したが、夜になったら隙を見て、結局はラクトパスの街の住人達を見捨て、従者と逃げるのだろうとばかり考えていた。


 ところが、その現場を捕まえようと常に見張っていたが、いつまで経っても逃げるどころか、住民の脱出に奔走した挙げ句、極めつけはアレ。

 二万と言う大軍を目前にして、街を守る全ての城門を開くと、敵に最も近くて目立つ見張り台にて、たった一人で無防備に踊って叫び、敵の目を一手に惹き付けた。


 それを目の当たりにした瞬間、デルモンテ伯爵様が亡くなって以来ずっと有った心の曇天が一気に晴れ渡り、デルモンテ伯爵様が付いて行きたいと思わせる安心感のドッシリとした魅力なら、大将は俺が居なくては駄目だと思わせる目が離せないドキドキ、ハラハラとした魅力に魅了された。

 事実、兵士達の中にも大将に惹かれた者は多い。その証拠に大将が率いた別働隊は当初の人数は百人ちょっとの予定だったが、あの誰もが唖然とした開戦がきっかけとなって、その人数は三百を超える数にまで増え、先の戦い後も生き残った約八十の者達は大将の指揮下に入る事を声高らかに希望。全員が転属を願い出て、今も大将の指揮下にある。


 それ故、口さがない奴は俺を大将のおこぼれで出世した奴と蔑むが、俺はまるで気にならない。

 その通りと言うしかない事実に加えて、数年の苦痛の末に再び出会えた尊敬が持てる上司の傍に居られる嬉しさの方が断然に勝り、『レスボスの太鼓持ち』と呼ばれる陰口は最高の褒め言葉に感じていた。


 だからこそ、大将には期待もした。

 実際、その期待に応えてくれ、この半年間は退屈とは無縁な充実した毎日だった。


 文字の読み書きが出来る者を大将が必要としているのを知ってからは、ネーハイムの旦那から密かに教えて貰ってもいる。

 難点を言えば、歳を取ったせいか、いまいち覚えが悪くなっている事か。


 だが、今日の奴隷商人との取引は頂けない。

 猫族の四人に関しては別に問題は無い。元より獣人達は買う予定だったのだから。


 しかし、あのエルフの少女は駄目だ。絶対に認められない。

 確かにエルフの美貌は人間に無い人形の様な美しさが有る。男なら大抵は目が奪われ、その虜になるだろう。


 ただ、エルフは長命故に成長が遅い。

 見たところ、少女は人間で例えるなら十歳前後。

 女と呼ぶに相応しい年齢を待つとなったら、最低でも十年。下手したら、二十年は待たなければならない。


 その上、純血のエルフとしては破格の値段だが、あの左頬の酷い傷。

 ソレがある時点で無価値と等しいにも関わらず、ああも形振り構わずに目の色を変えて買った理由は一つしかない


 それは大将にとって、少女が少女のままで十分という事実。

 即ち、大将は『幼女趣味』の持ち主であり、まだ胸も膨らんでおらず、毛も生えていない様な幼い娘の方が大人の女より好みという事だ。


「はぁぁ~~~……。」


 これまで仕えてきたボンクラの中に大将と同じ趣味を持っている奴が一人居たが、アレは駄目だ。アレだけは意味が解らないし、絶対に認められない。

 その手配と後始末を何度もやらされたが、その度に気が狂いそうになった。


 苦いモノが口の中に広がり、思い出したくない光景が頭に蘇る。

 今一度、溜息が勝手に漏れ、濡れたままのテーブルに両肘を突きながら頭を抱えたその時だった。


「解っていると思うが……。誠心誠意、お仕えするのだぞ?」

「んっ……。」


 バスルームがある奥から足音が聞こえ、顔を上げると、ネーハイムの旦那が入浴を済ませた少女を連れて現れた。

 ネーハイムの旦那は平静を装っているが、その声にいつもの張りが無い。やはり大将の意外すぎる趣味を知り、俺同様に落胆しているのだろうか。

 もし、それが正しいのなら、ネーハイムの旦那は俺以上に自身の息子と同い年の大将を尊敬さえもして惚れ込んでいた分、その落胆はさぞや大きいに違いない。


 一方、エルフの少女『ララノア』は達観した表情。

 あの傷を見られて、涙を零した時以外は常に無表情であり、出会った時から既にそうだったが、目に輝きが無い。

 その聞き慣れない名前の響きに意味を尋ねたところ、それはエルフの古い言葉で『微笑む太陽』を意味するらしいのだから、何と言う皮肉か。


 一応、閨の夜着として、ソレっぽいものを着ているが、このトーリノ関門に子供は居ない。

 当然、子供服は売ってもいなければ、存在すらもしていない為、その夜着は馴染みの娼婦達にかけあって集めたサイズの小さいもの。


 何故だか、女のパンツというモノは伸び縮みする仕組みとなっていて、その原型は小さい。

 それだけにパンツは普通に履けた様だが、やはりと言うべきか、ブラジャーは必要が無かったらしく着けてはいない。

 その下着の上に身に着けているのはキャミソールだが、その丈は膝上まで有り、ネグリジェと名前を変えている。


 繊細な模様が施された黒いレースの下着と白い薄絹の透けたネグリジェ。

 これが人間の幼い娘なら、そのおしゃまな姿に苦笑が漏れるところだが、目の前の少女の場合は違う。

 絹の白い光沢が白すぎる肌をより引き立たせて、その下にうっすらと透けて見える黒い下着が実に映えて見える。


 この幼さでありながら、これだ。

 さぞや、女としての大輪を咲かせる年頃になったら、可憐の中に妖艶を漂わせる美しい華となるのは間違いない。

 それを大将は折ってしまうのか。華を咲かす蕾にもなっておらず、ようやく芽を出し始めた幼いこの少女を。


「え、ええっと……。な、何をすれば良いのかは解っているな?」

「んっ……。」

「そ、その……。け、経験はあるのか?」

「手と口なら」


 ふとネーハイムの旦那が立ち止まり、背を向けたまま尋ねる。

 長命なエルフ。幼いとは言え、その見た目は人間の例に果て嵌らないが、見た目の幼さ故に聞かずにはいられなかったのだろう。


 だが、最高級娼婦としての将来を見込まれていた筈の少女である。その手の技術が仕込まれていない筈は無い。

 女の奴隷を買う者達の中には何も知らない生娘を好んで求める者も居るが、大抵は快楽を目的に買う為、その手間を面倒に感じ、ある程度の仕込みが済んだ者の方が売れる。

 それこそ、それ専門を生業に娼館や奴隷商人の元を渡り歩く者が居るくらい。


「そうか。……なら、行きなさい。一番奥の部屋だ」

「んっ……。」


 ネーハイムの旦那がやるせない溜息を漏らしながら少女の背中を軽く押す。

 それに合わせて、ピッチャーを再び呷る。今度は先ほどの様なヘマはせず、胃を急激に焼く酒の熱さが心の中のモヤモヤを一時的により濁してくれる。


 しかし、大の男達がこの様だと言うにも関わらず、肝心の少女は顎先だけを小さく頷かせると、大将が待つ二階へと階段を一欠片の躊躇いを見せずに上って行く。

 その小さな背中を見送り、足音は既に二階の廊下を渡っていたが、ネーハイムの旦那はいつまでも階段の先をずっと見つめている。


「……旦那」

「はい?」

「一緒に飲らないか? 付き合ってくれよ」

「では、お言葉に甘えて……。」


 ただ黙って、見てなどいられなかった。

 ネーハイムの旦那はこちらを振り向いた後、一旦は視線を階段の先に暫く戻して、ぎこちない作り笑いを振り戻して頷くと、俺の真向かいに座った。


 テーブルはまだ濡れたまま、ナッツも散らばったままだが、いつもなら整理整頓に口五月蠅いネーハイムの旦那が何も言わない。

 食器棚まで立つのが面倒で俺が先ほどまで飲んでいたマグカップに酒を注いで差し出す。


「んぐっ、んぐっ、んぐっ、んぐっ、んぐっ……。ぷっはぁぁ~~~っ!?」

「ふっ……。なかなか良い飲みっぷりじゃないか」


 その途端、ネーハイムの旦那はマグカップを呷り、喉を何度も鳴らしながら一気に飲み干すと、酒臭い息を吐き出して、マグカップをテーブルに叩き付けた。

 思わず笑みを零して、その豪快な飲みっぷりを褒め称え、二杯目をピッチャーから注ぐ。


 本音を言ってしまえば、こんな場所に居らず、騒がしい酒場で飲み明かしたいところ。

 しかし、ネーハイムの旦那と交代で行っている大将の護衛。今夜はおれの当番であり、ここを離れる訳にはいかない。


 もっとも、それを言ったら、酒は当然の事ながら御法度。

 だが、どうしても飲まずには居られなかったし、いつもより早いペースで飲んでいるが、ちっとも酔えないので問題は無い。


 どの道、この調子ならネーハイムの旦那も眠れず、酒の相手が欲しいに違いない。

 そう考えるが、会話はまるで弾まず、お互いに黙り込んで静寂だけが漂い、それだけに二階の音がやけに響く。


 大将の部屋のドアを開けたらしき音から暫くの間を空けて、二階の奥から微かな話し声が聞こえてくる。

 思わずネーハイムの旦那と揃って、身体をビクッと震わせて身構えた次の瞬間だった。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

「「……えっ!?」」


 凄まじい悲鳴が響き渡った。

 天井を眺めながら席を蹴って立ち上がり、一呼吸の間を空けて、間抜けな顔を見合わせる俺達。


 何故ならば、その悲鳴は明らかに大将のものだった。

 あの少女が悲鳴をあげたなら解るが、大将が何故に悲鳴をあげたのか。もしや、少女が最後の抵抗に大将のナニを噛み付きでもしたのか。


「うわっ!? うわっ!? うわわわわっ!?」


 護衛である以上、即座に駆け付けなければならない場面だが、どうしても動けずにいると、二階の廊下を駆けて、二度ほど転ぶ様な音が聞こえたと思ったら、泡を食った大将が階段を駆け下りてきた。

 しかも、そのまま玄関の扉を勢い良く開け、自分のナニを右手で覆い隠した下半身裸の間抜けな姿で夜の外に飛び出して行く。


 茫然と思わず見送って尚も動けずにいると、少女が暫くして階段を下りてきた。

 俯いてはいたが、階段との高低差が少女の哀しみにだけ染まった顔を露わにしており、その瞳は今にも決壊寸前なほどに涙が一杯に溜まっていた。

 

「……ど、どうした?」

「舐めたら、逃げられた。私、ここでも要らないの?」

「えっ!? い、いや……。あ、あれだけの金を出したんだから、それは違うだろ?」

「どうして? なら、どうして逃げるの?」


 たまらず問いかけると、逆に問いかけられた。

 正しく、その答えは俺自身も知りたいもの。返す言葉が見つからずに詰まっていると、少女は階段の途中で立ち止まり、とうとう涙をポタポタと零し始める。


 もう何が何やらさっぱりと解らなかった。

 先ほどの大将の様子は不意打ちを喰らった驚きの様であり、少女の来訪を今か今かと待ち構えていたものとは考え難い。


 しかし、少女を買ったのは他ならぬ大将自身。今夜はそうなると解っていた筈だ。

 それなのに何故なのか。その答えを持っている大将は家の前を右往左往して、悲鳴を未だにあげ続けている。


「レスボス卿っ!? どうなさいましたかっ!?」

「お、俺のアレを下ろしてっ!? い、いつの間にか、俺のベットにっ!? そ、それもあの娘がっ!?」

「落ち着いて下さいっ!? 意味が解りませんっ!?

 ……って、キャっ!? な、何ですか、その格好はっ!? エ、エッチ、馬鹿、変態っ!?

 いやぁぁ~~~っ!? だ、誰か、来てぇぇ~~~っ!? お、犯されるぅぅぅぅぅ~~~~~~っ!?」 

「ち、違うっ!? お、俺は……。ぐえぇぇぇぇぇっ!?」


 酒場などが列んでいる商業地区なら、これからが最高潮を迎える時間だが、ここは兵舎が建ち並ぶ場所。

 それも双方の保安を高める目的から、大将の家の周囲はこのトーリノ関門に勤める数少ない女性騎士達の兵舎で固められた一角でもある。

 こんな時間にそんな場所で下半身裸となりながら悲鳴をあげていれば、より大きな騒ぎとなるのは当然の理。静まり返っていた周囲の家がざわめきを次第に増してゆく。


「ぷっ!? くっくっくっ……。」

「だ、旦那?」


 すると不意にネーハイムの旦那が笑い始めた。もしや、混乱し過ぎて、変になってしまったのか。

 慌てて視線を正面に戻すと、ネーハイムの旦那は先ほどまであった憂いを無くして、実に晴れ晴れとした顔で苦笑いをしていた。


「早速、今夜から警備を担当する猫族の者達との打ち合わせに忙しく、ニート様は彼女の相手を我々に任せました。

 そして、任された我々はこう考えました。奴隷商人からエルフを買ったのだから、それは夜の相手を務めさせる為だろうと……。」

「……当然だろ?」

「いいえ、違ったんですよ。

 ……と言うのも、私には今のニート様の姿に見覚えが有ります。

 ええ、あれはバップ村の村長からアリサ様が届けられた時の反応にそっくりです。

 ……と言う事は、ニート様は彼女を性奴隷としては見ていなかった事になります。何か違う目的で買われたのではないでしょうか?」


 ますます混乱は深まるばかり。

 そんな俺に対して、ネーハイムの旦那は腕を組むと、したり顔でウンウンと頷きながら説いた。


 大将とアリサ嬢の馴れ初めは聞いている。

 バップ村との距離は歩いて、二日程度。二週間毎、アリサ嬢が五日前後の滞在の為、このトーリノ関門を通い妻に訪れる度、その時の事をネタにして、大将とアリサ嬢の二人を散々からかって楽しんでもいる。


「あれだけの大金を出してか?」

「はい、間違い有りません。我々はニート様に彼女を買った理由をちゃんと聞いておくべきだったのです。

 それを勝手に勘違いして……。まあ、それはともかく、今は外の騒ぎを収めてきます。彼女の事に関してはその後にちゃんと聞きましょう」


 だが、とても信じられなかった。

 反論を返そうとするが、ネーハイムの旦那の笑顔の前に言葉が何も出てこない。

 席を立ち上がり、玄関に向かうネーハイムの旦那の背中に右手を伸ばしかけるも結局は下ろしてしまい、握り拳をテーブルの上に力強く作って震わす。


 大将を心の底から信じきっているネーハイムの旦那が羨ましかった。

 問いかけた言葉通り、あれだけの大金を出した目的がソレ以外に思い付かないのは、ボンクラ共の相手ばかりをしていたが為、俺自身もボンクラ思考に毒されてしまったからだろうか。


「おっ!? どうした?」

「私……。ここに居ても良いの?」

「ああ、そうらしい。良かったな」

「んっ……。」


 しかし、大将が眉を不安そうに寄せている目の前の少女を抱かなかったのは事実。

 また、ネーハイムの旦那の言葉に心のモヤモヤとしたモノが晴れ、酒を飲んでみれば、先ほどまで今ひとつと感じていた味がいつもの美味さに戻り、酔えなかった筈の酔いも急に感じ始めたのも事実だった。


「まあ、お前も飲め。……って、子供に酒はまずいか」

「大丈夫。私、三十二歳」

「えっ!? ……な、何だって?」

「だから、三十二歳。大人だもん」

「な゛っ!? ……お、俺より年上ええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇっ!?」


 但し、この事実だけは信じられず、思わず心の底から思いっ切り叫んでしまい、その大声に今度は俺が外の連中を何事かと呼ぶ原因になった。




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