第03話 新しい家族
「あっ!?」
コゼットと二人。ここ数日の獲物を背負子に括り付けて背負い、更に山盛りとなった一輪車を押して、和気藹々と会話を交わしながら村へ向かう道中。
薄暗かった森を抜けた村の手前、木々の切り株が幾つも並んだ伐採跡地。古びた切り株に腰掛けているその後ろ姿を見つけ、思わずコゼットと揃って驚き声をあげる。
「ようやく来たか……。まあ、そこに座れ」
俺達の声に振り向き、切り株から腰をゆっくりとあげたのはケビンさん。
今年で二十歳となり、村長の片腕として、村を切り盛りしており、最近では近隣の村同士の会合にも村長の名代として出席もしている。
そんな俺とは比べものにならないくらい村に貢献しているケビンさんだが、村同士の会合では圧倒的に若いせいか、どうしても威厳が足りず、最近は頭を悩ませているらしい。
一ヶ月ほど前、その悩みに対して『髯でも生やしたら?』と適当に助言したのは俺。
だが、それは失敗だった。一週間ぶりに見るケビンさんは顎髭がようやく生え揃い、威厳が本当に生まれて、怒っている表情は以前の倍増しの恐ろしさがある。
コゼットとお互いに諦め怯えきった顔を無言で見合わせた後、ケビンさんが指さす先に怖ず怖ずと正座する。
「コゼット……。お前、俺と約束したよな?」
「……うん」
「それなのに朝帰りどころか、昼帰りだと? ……ふざけるな!」
「ひぃっ!?」
暫くの間を空けて、ケビンさんは腕を組みながら溜息を深々と漏らすと、感情を押し殺した声から一変。腹の底から怒鳴り声をあげた。
その凄味の鋭さに思わず身体がビクッと震える。コゼットに至っては悲鳴を漏らし、その様子を横目で窺ってみれば、早くも涙目となりかけている。
ケビンさんは温和な人で滅多に怒らないが、滅多に怒らないからこそ、怒った時の怖さは相当なものがある。
5年前の夏、村を流れる川が増水しており、駄目だと言われていたにも関わらず、夏の暑さに負けて、コゼットと川遊びして流されてしまい、怒られた時は本当に怖かった。
前世を含めたら精神年齢は圧倒的に上だと言うのに、あまりの恐ろしさに泣いてしまったのは赤面モノの恥ずかしい思い出。
今、その恐怖が再び。今朝、ケビンさんに怯えるコゼットを笑ったが、どうやら甘く考えていたらしい。
言うまでもなく、この一件は俺が大きく関係している手前、コゼットばかりを矢面に立たせてはおれず、たまらず口を挟む。
「あ、あの……。ケ、ケビンさん?」
「お前は黙っていろ。今はコゼットの問題だ」
「は、はい」
しかし、顔を上げるや否や、ケビンさんから鋭すぎる睨みが飛び、口を挟ませてくれない。
コゼットに心の中で詫び、視線を伏せるしかなかった。
「コゼット、お前も親父から聞いていると思うが……。
我が家の先祖は行商人だ。名主の家系でも無ければ、この村を切り拓いた開祖のメンバーでも無い。
それにも関わらず、東の名主の家が途絶えた時、我が家が東の名主に選ばれて、祖父の祖父の代からは村長を代々任されているのは何故だと思う?」
「えっと……。読み書きが出来て、計算が出来るから?」
それでも、俺でワンクッションを置いた事によって、冷静さを少し取り戻させるのに成功したっぽい。
ケビンさんは深呼吸を一つ。再び感情を押し殺した声で説き問い、コゼットが小首を傾げながら応える。
そう、この世界に義務教育など無い。
必須とする者や、自分から望んだ者しか学問を学ばない為、識字率は極めて低く、算数も一桁の単純な足し引きならまだしも、それ以上はお手上げの者が多い。
とは言え、うちの村の様な田舎に住んでいると、一般の者達は字が知らなくても、計算が出来なくても不便は無い。
一応、貨幣は流通しているが、補助的な役割であり、村の中では物々交換が基本。行商のおっちゃんとの取引も物々交換で済んでいる。
ちなみに、俺が喋っている言語はこの世界のモノだが、頭の中は日本語で考えている。例えるなら、日本人が英会話をしている様なもの。
さすが、赤ん坊の知識吸収率。両親の会話をただ聞いていただけで完全なネイティブとなるのだから驚異的と言うしかない。
ただ、日本語を基礎に持っていたせいか、言葉を憶えるのが一般的な子供より遅かった為、両親はちょっと俺の行く末に心配したらしい。
また、識字に関して、特に教わってもいないのだが、いつの間にやら習得していた。
なにせ、発音と文字の違いはあるが、この世界の言葉は母音が五つ、子音も五つ。その表記法則は日本語のローマ字変換にそっくりであり、パソコンの文字打ちをローマ字変換で行っていただけに解って当然だった。
だが、どう考えてもおかしい。前世とて、あれほど多種多様な言語があったにも関わらず、こうも似るものだろうか。
これも俺以外の日本人の転生者が居たんじゃないかと疑える一つの要因だったりする。
話は変わるが、初めて聞いたケビンさんとコゼットの村長家の歴史はちょっとした驚きである。
なにしろ、この世界は俺の知る限り、王政による貴族社会。即ち、血の古さが尊ばれ、新しい血は比較的に疎まれる。
実際、村で最も新しい家である我が家が正に良い例と言える。
我が家が村に根を下ろして、今年で8年になるが、まだまだ余所者扱い。村長曰く、親、子、孫の三代が住み着いて、やっと仲間らしい。
それこそ、村の一部の者達が日常的に我が家の悪口を言っているのを俺は知っている。
もっとも、猟師の役目を一度たりとも怠った事が無いせいか、決して面と向かって言ってはこない。視線を向けると、逸らすのは向こうの方だったりする。
「それも大きな理由だろうが、それ以上に村のみんなが我が家なら任せても大丈夫と信頼してくれているからだ。
そして、信頼とは約束を守る事で育つもの。ところが、お前ときたら……。どうして、俺との小さな約束事も守れない!
そんな奴を村のみんなが信用してくれると思うか! それとも、お前は先祖が少しずつ積み重ねてきたモノを崩すつもりなのか! どうなんだ!」
だからこそ、染み入るほどに理解が出来るケビンさんの重い言葉。村長の片腕として、失敗は出来ないという重圧があったに違いない。
それに加えて、威厳が足りないと悩んでいた真の理由が解った様な気がする。
「ううっ……。ご、ごめんなさい」
コゼットも俺と同じ心境に至ったのだろう。
ケビンさんから再び鋭い怒号が飛んだが、先ほどの様に身体を震わせず、真っ向から受け止めると、涙を零しながら神妙な面持ちで頭を下げた。
「ニート! 次はお前だ!」
「はい!」
そして、遂にやって来た俺の番。
正座したまま。直立不動をする様に背筋をビシッと伸ばして、軽く握った両拳を足の付け根に置き、ケビンさんを真っ直ぐに見つめる。
「俺はお前の事を気に入っている。だから、お前と妹の仲を反対するつもりもない」
「ありがとうございます!」
ところが、怒られると思いきや、正反対の褒め言葉。
一瞬、戸惑って呆けかけるが、今夜は村長宅へコゼットとの結婚に関してを挨拶しに行くつもりだっただけに、これで勇気百倍。
最強の援軍を得て、思わず顔がにやけそうになるのを堪えて、精一杯の声で感謝を返す。
「しかしだ。何故、その意志を周りにきちんと示さない?
昨日も様子を見ていれば、コゼットはこそこそと隠れて、お前の所へ行くし……。」
「それは……。」
「去年の今頃、お前がフォートさんを連れて、コゼットを嫁にと申し込んできた時、親父がどうして渋ったのかが解るか?」
だが、ここへ説教を繋げてくるとは思わなかった。たまらないバツの悪さに思わず隣の様子を窺う。
何故ならば、実は嫁取りに一度失敗している件をコゼット本人に告げていなかったからである。
その理由は言うまでもない。村長から絶対にOKが貰えると自信を持ち、意気揚々と申し込みに行ったのがあっさりと断られて格好悪かったから。
ちなみに、フォートというのは俺の親父の名前。なるほど、『フォート』と『ニート』は響きがとても似ており、いかにも血の繋がりを感じる。
しかし、よりにもよって、何故『ニート』なのか。他にも響きが似た名前は数多に有ると言うのに。
もっとも、この世界に『今現在、教育を受けておらず、雇用もされておらず、職業訓練も受けていない者』を意味する『ニート』と言う言葉は存在しない。
だから、両親を恨んだりはしていないが、正直に言ってしまうと、たまにボヤきたくなる時は確かにある。
「えっ!? 何、それ? 初耳なんだけど?」
「うるさい。お前は黙っていろ」
「……はい」
案の定、コゼットは驚愕に見開いた目をパチパチと瞬きさせた後、視線を交互に俺とケビンさんへ何度も向ける。
しかし、ケビンさんにあっさりと斬り捨てられ、コゼットは唇を尖らせながらも口籠もり、その視線を伏すが、ケビンさんからは見えない様に向けられた横目で俺を『あとでちゃんと説明してよね』と睨んでいた。
「もう一度、聞く。どうしてだかが解るか?」
「それは俺がまだ子供だから……。ちゃんと十五歳になってから……。」
一体、この公開裁判は何なのだろうか。
ケビンさんが俺の事を気に入っていると言ってくれたのはつい先ほどだった筈。
あれは嘘だったのか。たまらず項垂れ、隣からひしひしと感じて突き刺さる視線に耐えきれず、ちょっぴりと涙目になり始めている顔をコゼットから背ける。
「はぁ~~~……。やっぱり、そのまま鵜呑みにしていたのか。
あの時のアレはな。ただの方便だよ。
完全に断った結果、お前達が思い悩んで下手に駆け落ちでもされたら堪らないからな」
「……へっ!?」
するとケビンさんは酷く疲労感を感じさせる溜息を漏らした。
その言葉に驚いて顔を上げると、ケビンさんは呟きを『よっこいしょ』と漏らしながら切り株に座った。
「だって、そうだろ? 自分の嫁取りに親を助っ人に連れてくる様な情けない奴に嫁をやれると思うか?
しかも、肝心のもう一人の本人、コゼットは留守。イルマの里帰りに付いて行き、村に居ない時を狙い澄ませてだ。
だから、親父はまず断って、お前の気概を試したんだよ。それなのにお前ときたら、すごすごと引き下がりやがって……。」
今、明かされるあの日の真相。
ケビンさんは最後に舌打ち、視線で『どうなんだ』と尋ねてきたが、こちらは驚きに目をこれ以上なく見開いて放心するしかなかった。
今にして思えば、日頃のコゼットの様子を考えたら心配する事など全く無かったのだが、当時の俺はコゼットを誰かに取られまいと焦っていた。
その理由はコゼットが俺の一歳年上。つまり、今年から大人と認められる年齢となり、それと共に結婚適齢期となったからである。
しかも、この近辺では近親婚の蔓延を防ぐ為の知恵だろう。三年に一度、八つの村が合同で行う集団お見合いの風習が有り、それが今年の春にあった。
当然、大人の仲間入りしたコゼットは村長の娘として、この村の代表という形で出席する予定になっており、去年の俺は春までに何とかせねばと頭を必死に悩ませていた。
なにしろ、コゼットは胸はちょっと薄いが、前世で言うアイドル並とは言わないにしろ、通っている学校で一、二を争うくらいの美人。性格も朗らかな上、跡取りでなくても村長の娘というステータスも付けば、お見合いで人気が出るのは必然と考えた。
そして、あの日の村長宅からの帰り道。親父がしょぼくれている俺に言った言葉を思い出す。
親父は苦笑しながら『まあ、仕方ないよな』と言った後、『それでどうするんだ?』と繋げて、俺が村長の言葉を額面通りに受け取り、十五歳になるのを待つ事を告げると、これ見よがしに溜息を深々とついて見せた。
当時、その反応に声は出さず、『溜息をつきたいのはこっちだ!』と苛立ったが、今更ながらに解った。親父は村長の意図に気付いており、俺に発破をかけていたに違いない。
失敗した。それも大失敗だ。
当時の俺は落胆しながらも、前世の価値観もあって、やはり十四歳で結婚は早いかと早々に諦めて、取りあえずは十五歳になったらという半ば婚約する形で満足してしまった。
だが、村長の意図に気付いているか、それ以上に意気地があったら、とっくにコゼットと夫婦になっており、その晴れ姿を親父に見せる事が出来ていたのだ。
未来は誰にも解らないとは言え、親父が逝ってしまった今を考えると後悔が大きい。
「あれ以来、親父は待っているんだぞ? お前が一人で嫁取りを申し込みにくるのを……。
ところが、お前等ときたら、責任は果たさず、やる事だけは一人前か? もし、結婚を前に子供が出来たら良い笑いものだぞ?
さすがの親父だって、昨夜は呆れていた。一応、俺とイルマでフォローはしておいたが、今のままを続けていたら、親父はお前達の仲を本当に許さなくなるぞ?」
だからこそ、もう後悔はしたくない。
改めて、今日は必ず村長宅へ嫁取りの挨拶しに行く事を決意していると、ケビンさんが驚くべき忠告をしてきた。
慌てて腰をケビンさんへ向けて捻り、右の親指を肩越しに指して、背中を懸命にアピールする。
「これ、これ! 俺の背中、見て貰えますか?」
「うん? ……って、これっ!?」
ケビンさんは切り株から立ち上がり、眉を寄せた訝し気な表情を浮かべる。
だが、その表情は俺の背中側へ歩いて回るなり、驚愕に染まりきって息を飲み、その反応に手応えありと口の端を吊り上げてニンマリと笑う。
俺の背負子の一番上に乗せてあるのは、昨日倒した森の主の毛皮。
それも剥ぎ取るのは手間だったが、頭部から全身繋ぎで剥ぎ取ってあり、そのアピール感はたっぷり。
その上、森の主は只の熊では無い。
通称は『大熊』と呼ばれ、一般的な熊との違いは大きさしかない様に感じるが、桁違いの獰猛さを持つ『ワイルドベアー』と呼ばれる熊である。
そう滅多に無いが、こいつが村の近くに出没したら死活問題となり、冒険者ギルドがある街まで数日かけて赴き、冒険者数人を雇わなければならないほどの大事となる。
今までチートな親父が居たからこそ、ワイルドベアーなどの凶悪な獣が出没しても、うちの村は安全だった。近隣の村からも頼りにされ、うちの村は大きな発言権も持っていたらしい。
しかし、その親父もこの夏に逝ってしまい、村の猟師として跡を継いだ俺が若いのを理由に村では少なからずの不安があった。
「今日、改めて話に行こうと考えていたんですけど……。
これなら……。これなら認めて貰えますよね? 村長も、村のみんなも……。」
その不安は格好な材料となって、村の一部の者達の間では俺とコゼットの仲に対する不満にもなっていた。
どうやら、彼等にとって、村で最も新参の家である我が家と村長の家が繋がるのは面白くない出来事らしい。
当然、そうした声の数々は村長の右腕たるケビンさんも知っていた。
「ニート、お前……。ああ、認めるさ! 認めるに決まっている!
もし、認めない奴が居たら、俺がそいつを認めない! だから、待っているぞ!」
「はい、ケビンさん……。いや、義兄さん!」
「おおう! 我が義弟よ!」
お互いに感極まり、涙を潤ませながらも表情を輝かせて、熱い握手を両手で交わし合う俺達。
もうすぐ、目の前の人が義兄となる。そう思うと、どんな文句も、影口も、もう何も怖くは無かった。
「ねぇ~~……。さっきの話、聞かせてよぉ~~……。」
そんな俺達の熱い男の友情に付いてゆけず、疎外感からか、隣では俺の嫁が口を尖らせていた。