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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第六章 士爵 十騎長 トーリノ関門防衛司令官代理編
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幕間 その2 ニャントー視点




 ニート、ネーハイム、ジェックスの三人が赴いた奴隷商人との交渉の場。

 奴隷商人から背中を何度も足蹴にされている子供を目の前にして、猫族の四人の中の年長者『ニャントー』は沸き上がる怒りを必死に耐えていた。




 ******




「ええい! 馬鹿者! 大切なお客様の前で!」


 名前も知らなければ、顔も見た事が無い。

 いつも彼女はフードを深く被っていて、目が合うとすぐに顔を俯かせるからだ。


 だが、彼女の事はずっと前から知っていた。

 俺があのくそったれな奴隷を生む為だけの村から出てきた時から彼女は既にここに居た。俺は今年で十九歳になるから七年前になる。


 もっとも、接点はあまり無い。

 俺は素敵な貴族様に連れられて、春の始めから秋の終わりまで、今日は東に行っては戦い、明日は西に行っては戦いの毎日。

 その貸出期間が終わって帰ってきた冬くらいしか、ここには居ない。居ても、糞旦那様の雑用係を担っている彼女と会う事は滅多に無い。


 それでも、憤りは隠せない。彼女が何をしたと言うのか。

 彼女はお茶を運んできたのを気づかず、その前に進み出たのは糞旦那様の方だ。

 そのデブい腹に跳ね飛ばされて転び、彼女はお盆の上のお茶を零してしまったが、糞旦那様も、お客様達も濡らさなかったのだから、そこまでする必要が何処にあると言うのか。


 だが、止めろと叫ぶ事も出来なければ、彼女を庇う為に飛び出す訳にもいかない。

 もし、そんな事をしたら、糞旦那様の機嫌を損ねるのは確実だからだ。


 それが解っているから、彼女自身も足蹴を何度も受けながら、ただただ身を蹲らせるだけで避けようとも、逃げようともしない。

 少しでも避けたり、逃げたりしたら、お客様達が帰った後にもっと酷い目に遭うと過去の経験から身に凍みて解っているからだ。


 しかし、右隣に立つ『ニャムル』は俺達の中で一番若いせいか、それが解っていない。

 壁際に立っている為、糞旦那様からは見えなくて幸いだが、怒りを露わにして尻尾を思いっ切り逆立てている。


 こっそりと溜息を漏らして、自重しろと視線を送る。

 所詮、俺達はこの世界の最下層にしか立てない奴隷に過ぎない。

 どう考えても、周りが見えていなかった糞旦那様に非は有るが、この世界の公式に当てはめると、非はタイミング悪く現れた彼女に有る。


 ふとお客様達がどんな反応をしているのかが気になり、思わず小さく『あっ!?』と声を漏らしてしまう。

 その直後、慌てて糞旦那様に視線を向けるが、どうやら糞旦那様は彼女を蹴るのに夢中で気付かなかったらしい。

 思わず胸をホッと撫で下ろす。もし、見つかっていたら、糞旦那様の怒りは此方に向いていただろう。


 だが、左右の仲間達はさすがに気付いた。

 何事かと目線だけを頻りに向けてきたのに応えて、お客様達を気付かれぬ様に指さすと、一拍の間を空けて、三人が次々と目を驚きに見開いた。


 俺達、奴隷は憐憫な目を向けられる事は多々ある。

 目の前で行われている様に理不尽な仕打ちを受けている時は特にそうだ。


 しかし、俺達側の立場に立ち、憤っているのは初めて見た。

 その上、そのお客様は三人の中でも真ん中に立っており、今までの糞旦那様との会話から考えても、この場における最上位の上級貴族と思しき人物なのだから驚くなと言うのが無理な話。 


 明確に憤ってはいないが、我々猫族の人間より優れた目には解った。

 そのお客様が視線の先に糞旦那様を捉えながら奥歯を強く噛み締めて、微かなコブを顎に作り、怒りに耐えている様子が今もはっきりと見えていた。


 ひょっとして、このお客様は『大当たり』なのか。

 そんな嬉しい予感が沸き、左右を目線だけで見ると、皆も同意見らしく、その口が嬉しさに綻んでいた。


 俺達、獣人は人間より強い。

 化け物の様な強さを持った人間も居るが、それは極希だ。大抵の人間なら、背後を取られさえしなければ、まず一対一で負ける事は無い。


 だが、俺達の利き手の甲には奴隷の印が有り、それが俺達を縛る。

 上手く逃げられたとしても、この印が有る限り、街の出入りも、店の出入りも、主人が居なくては出来ない。


 詰まるところ、生きてはいけない。

 生きてゆくとしたら、森の奥深くに入り、狩りをして暮らすしか術は無いが、森の奥は魔物の領域。さすがの俺達も魔物には勝てない。


 それ以外に生きてゆくとしたら、盗賊か、山賊になるしかないだろうが、逃亡奴隷は高く売れるらしい。

 軍隊や冒険者達が躍起になって捕まえに来る事を考えたら、あまり良い手段とは言えず、結局は奴隷として生きてゆくのが最も無難となる。


 そんな境遇の俺達だが、売れてこそ、幸せになれる。

 何故ならば、主人となる人物は大金を出して、俺達を買う以上、少なくとも単なる消耗品扱いはしない。


 しかし、獣人の中にも駄目な奴は居る。何の実績も持たない奴を買う馬鹿は居ない。

 だから、俺達は春先になると軍隊に貸し出されて、戦って、戦って、戦って、秋の終わりに生き残れていたら、冬は買い手が付くのを期待する。


 なにしろ、貸し出された軍隊での扱いは最悪である。

 完全な消耗品扱いで不味い飯と日々の重労働、生き残るのが難しいくらいの戦場。憂さ晴らしに殴られる、蹴られるなんて日常茶飯事。


 無論、買い手が付いたとしても、その主人に当たり、外れはある。

 極々希にとんでもない幸運を手にして、平民以上の生活を手に入れる者も居り、そう言った者は俺達の憧れとして語り継がれているが、俺はそこまでは望まない。


 不味い飯と日々の重労働はもう慣れた。生き残るのが難しいくらいの戦場も構わない。理不尽な仕打ちだって、少しなら我慢はする。

 ただ、死ぬまでは朝夕の食事をきちんと食べられる生活が俺の望みだ。今の生活の様に着ているボロの袖を囓り、飢えを紛らわせて凌ぐ様な生活だけは嫌だ。


 その点、俺達を買おうと言ってきたお客様は目の前の様子を見る限り、その心配は無さそうに感じる。

 今も、この先も、糞旦那様から酷い仕打ちを受け続ける彼女には申し訳ないが、ようやく巡ってきた自分の幸運を感謝した。


「何処までも使えぬ愚図めが!」

「ふぐっ!?」


 糞旦那様が一呼吸の間を置き、最後のトドメと言わんばかりに彼女を横から思いっ切り蹴り上げる。

 突然、蹴る方向を縦から横に切り替えられ、彼女は覚悟を決める間も与えられず、蹴りを脇腹にモロに浴びて、息を詰まらせた悲鳴をあげた。


「はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……。

 下がれ! 下がれ! お前の様な奴は目障りだ! さっさと下がれ!」

「も、申し訳ありませんでした。だ、旦那様」


 だが、蹴りの勢いに床を数回転ほど転がって止まると、彼女はフードを深く被り直しながら、すぐに立ち上がった。

 しかも、蹴られた脇腹が痛むだろうに手で押さえようとはせず、直立不動で頭を糞旦那様にきちんと下げて、部屋を出て行こうとした次の瞬間だった。


「待った!」


 期待のご主人様が開いた右掌を突き出しながら大声を張り上げて、彼女を呼び止めた。

 彼女が足を止めて振り返り、この場にいる全員の視線が集まると、期待のご主人様は予想外な事を言い出した。


「今、ちらっと見えたけど、彼女も商品なの?」


 その意図は明白だった。

 もしや、彼女が受けた仕打ちに同情して買うつもりなのだろうか。

 そうだとするなら、資金の方は大丈夫なのだろうか。まさか、彼女を優先して、俺達は買わないという事にはならないだろうか。

 自分の醜い心を自覚しながらも、目の前に掴みかけている幸せを手放したくは無かった。 


「なんとお目が高い! これは驚きました! 確かにコレも商品に御座います!」

「なら、買おうと思えば、買えるんだね?」

「はい! ただ、コレは難が少々有りでして……。それでも、ご覧になりますか?」

「是非、お願いしたい」


 一方、糞旦那様はこれ以上ないほどに目を輝かせて、最近に無いくらいの上機嫌。

 当然である。予想外の思っても見なかった商品に期待のご主人様が食い付いたのだから嬉しくない筈が無い。


 この場所に長く居ると嫌が応にも解る。

 人間、獣人を問わず、容姿か、スタイルのどちらかに優れている女は定期的に開かれるオークションで真っ先に競り落とされてゆく。

 当然、その正反対が店頭に残り、この時点でもうまず売れないのは決まった様なもの。


 獣人の場合、将来の商品を生む為、一般からは隠された獣人の村に送られて、子作りが強制的に行われる。

 知りたくなかった事実という奴だ。戦歴を重ねたせいか、俺も強い子を産む素質有りとされ、一昨年から冬の一定期間を里帰りさせられ、ソレを強制されている。


 人間の場合、何らかの優れた一芸を持っていれば、まだ売れる可能性はある。

 それすら持っていなければ、非力な人間の女を買う者は居らず、二束三文の一山幾らの値段が付けられ、鉱山などの過酷な地で働く奴隷の為の奴隷として売られてゆく。


 ましてや、女の子供となったら買い手すら付かない。只の無駄飯喰らいと言っても良い。

 出会った頃から背丈も、身体付きも成長しないのは不思議だが、フードを室内でも深く被らされているところから察すると、その容姿は相当な難があるのだろう。


 ところが、糞旦那様は彼女だけは手放さない。

 それは何故なのか。無駄飯喰らいを嫌い、時には機嫌次第で荒野に売れ残った奴隷を簡単に捨ててゆく糞旦那様がだ。


「畏まりました!

 ほら、何をしている! お前もここに立って、さっさと脱げ!」

「……はい」


 しかし、その密かに長く抱えていた疑問が遂に解けた。

 糞旦那様に怒鳴られて、彼女が期待のご主人様の前。部屋の中央に立ち、帯だけを留めたボロの巻頭衣を脱いだ瞬間、それは露わとなった。


 身長は140センチくらいか。

 まだ膨らみすら見せていない胸、ややくびれ始めた腰、まだ毛も生えていない幼いアソコ。


 彼女の身体付きから幼いのは知っていたが、女である以上、その裸体をついつい凝視してしまうのは男の悲しい性。

 視線は上から下へと行って、下から上へと戻り、最終的に彼女の顔を初めて目の当たりにして、目をこれ以上ないくらいに見開いた。


「「エルフっ!?」」


 これだけの人数の男達を前にして恥ずかしいのだろう。

 彼女は噛み締めた下唇を僅かに震わせて俯き、長い髪が顔の左半分を隠していたが、その容貌は意外なくらいに整っていた。


 いや、今まで会ったどの娘より可愛い。

 その整いすぎた顔を思わず凝視した後、周囲に視線を広げて気付く。その耳が横に細長く尖っている事実に。


 改めて、その顔を確かめてみるが、獣人特有の髯は頬に生えていない。

 即ち、それは彼女が『エルフ』だと物語る何よりの証拠だった。


「「……の白子っ!?」」


 その上、背中まで伸びた銀色の髪に紅い目。白い肌ではなく、白そのものといった肌の色。

 驚くべき事実が二重にも存在して、期待のご主人様以外のお客様は揃って驚き声をあげると、一拍の間を空けて、更に驚きの声をあげた。


 その昔、人間には無い美しく整った容貌が災いして、エルフは獣人以上に片っ端から乱獲されたと俺達の歴史は伝えている。

 なにせ、その美しさに加えて、エルフは寿命が人間の二倍から三倍は有り、美しく居られる時間はとても永く、その反面で子供が出来難い体質の為、快楽を目的とする奴隷としてはこれ以上無い。


 その結果、エルフ達は住処を次第に追いやられて、森の奥へ、奥へ行き、今では魔物達の領域である深い森の奥底に住み着き、その姿を世の中から消した。

 それ故、今の世の中、エルフと呼ばれている者の殆どは人間との間に生まれたハーフエルフであり、純血のエルフはここに七年居る俺ですら過去に一人しか見た事が無い。


 ところが、彼女は間違いなく純血のエルフだ。

 ハーフエルフの耳は基本的に人間のソレと同じで先だけは尖っているが、横に細長く伸びてはいない。


 そのハーフエルフですら、主人が既に居た前歴を持ち、童貞、処女でなくとも、俺達の十人分の価値は持つ。

 だったら、純血のエルフであり、この幼さなら処女は当然として、滅多に生まれない白子という希少価値が加わったら、どれだけの価値を持つかは計り知れない。


 白子とは彼女の様に髪の色も、肌の色も全く無い者を指す。

 まず滅多に生まれず、百年に一人居るか、居ないか。俺自身、話に聞いてはいたが、この目で見るのは初めて。

 土地、土地によって、その稀少さ故に神よりの授かりモノとして敬われたり、悪魔の下僕として忌み嫌われたり、扱いは両極端だが、稀少度が高い故に奴隷としては値が張る。


 それなら、がめつい糞旦那様が幼い彼女を手元に置いていた理由も解る。

 人間並みに寿命が落ちぶれてしまったハーフエルフと違い、彼女は純血のエルフだけに成長を待つのは十年単位の長い月日を必要とするが、その長い月日をかけた分の大きな儲けが見込めるだろう。


 ただ、長年の疑問が解決した事によって、新たな疑問が湧く。

 その価値に相応しい待遇を彼女は受けていない。俺達とは比較にならないほどの価値が有るにも関わらず、彼女の扱いは俺達以下。何故、そうなのか。

 今まで俺が見てきた限り、美しい女達は見た目を保つ為に良いモノを食べさせられ、極めて美しい女達などに至っては高い出費を払い、芸や学問を仕込まれて、奴隷とは思えない待遇で大事に扱われていた。


「ちょっと良いかな?」

「あっ!?」


 しかし、その疑問もすぐに解けた。

 期待のご主人様が歩み寄って、俯いている彼女の顎を左手で持ち、その顔の左半分を隠している髪の毛を右手で除けると、それが露わとなった。


 槍傷か、矢傷のどちらかだろう。

 口から耳にかけて、彼女の頬には酷い裂傷痕が残っており、左口が裂けていた。


 それを見て、納得するしか無かった。はっきり言って、これでは商品にならない。

 顔の右半分がエルフ特有の美貌を持っているが故、顔の左半分の口が裂けた顔はよりおぞましさが増している。


 恐らく、糞旦那様はソレ込みでも売れると判断して、彼女を仕入れたのではなかろうか。

 だが、今も彼女がここに居る事実が示す通り、そのアテは外れた。糞旦那様の性格を考えたら、それは一度や二度ではない筈。何度も、何度も外れたに違いない。


 そうは言っても、彼女は純血のエルフ。

 その傷が有っても仕入れ値は高額だった筈であり、どうしても手放せず、半ば売れるのを諦めながらも在庫として何年も抱えていたのだろう。

 それなら、少女を商品としては扱わず、その顔を隠して、雑務を行わせていた理由も解る。


「ぅっ……。」


 彼女が小さく嗚咽を漏らして、その瞳をみるみる内に潤ませてゆく。

 見た目は幼くても彼女も女、コンプレックスを絶対に感じている筈の顔の傷を無遠慮に見られたら傷つくのは当たり前。


 それに俺の勝手な予想だが、その傷は日常の生活で負ったモノとは到底思えない。

 多分、人間達が彼女を捕まえようと追いかけていた際に負ってしまった傷ではないだろうか。それも傷を負った後の処置がずさんだったのが容易く見て取れる。


 そう、彼女は人間の身勝手な理由から顔に傷を負い、その傷が理由で人間達からは嫌悪の目で見られ、挙げ句は糞旦那様から乱暴な扱いを受けている。

 あまりにも理不尽だが、彼女は奴隷の身だけに文句は言えない。先ほど恥ずかしさに下唇を噛んでいた彼女だが、今は悔しさに下唇を噛み締めていた。


 その姿に思わず義憤に駆られて、奥歯をギリリと噛み締めたその時だった。

 期待のご主人様が思ってもみなかった予想外すぎる行動に出た。


「ごめん……。ごめんね」


 なんと期待のご主人様は膝を少し屈めて、彼女との目線を合わせると、彼女を引き寄せて抱き締めた。

 そして、左手では彼女の背中を優しく叩いて慰め、右手では彼女の頭を優しく撫でながら自分の無遠慮さを謝罪したのである。


 その瞬間、期待のご主人様を除くこの場に居る全員が息を飲んだ。

 糞旦那様に至っては、信じられないモノを見るかの様に目をこれ以上なく見開いて、口を間抜けにパクパクと開閉している有り様。


 なにしろ、何度も言うが、彼女は奴隷である。その証たる焼き印も右手の甲にちゃんと刻まれている。

 期待のご主人様は確かに無遠慮を行ったが、奴隷に謝罪をするなんて有り得ない。百歩譲り、謝罪をするとしても、それは彼女の今現在の所有者である糞旦那様に対してである。


「良し、彼女も買おう。彼等、四人と合わせて、先ほどの倍の金額を出す」


 そんな驚きと戸惑いが満ちる雰囲気の中、更なる驚愕が襲う。

 期待のご主人様は抱擁を解くと、糞旦那様に振り向き、彼女に対して目が飛び出るほどの金額を提示してきた。


 俺達の四人分、その値段は過去に売れた純血のエルフの値段と比べたら圧倒的に安すぎる。

 だが、その値段は人間の極上の女を買ってもお釣りが来る値段。とても商品価値が無いに等しい彼女に付ける値段では無い。


「えっ!? あっ!? い、いや……。ば、倍っ!? ええっ!?」


 実際、糞旦那様は驚愕のあまり目を白黒させて、お客の前だけはいつも滑らかな筈の舌を絡ませている。

 期待のご主人様の左右に居るお客様もそうだ。言葉を完全に失い、見開ききった目で茫然と期待のご主人様を見つめている。


「解った。……なら、三倍だ。三倍の金を出そう。

 しかし、これ以上は出せない。三倍が俺の今持っている全財産だ」

「ニ、ニート様っ!?」

「た、大将っ!?」


 ところが、驚愕はまだまだ続いた。

 糞旦那様の様子を売り渋りと勘違いしたのか、期待のご主人様は値段を更にアップ。

 期待のご主人様の左右に居るお客様が堪らずと言った様子で我を帰り、声を揃えながら叫ぶ。


 当然だろう。三倍と言ったら、俺達の何人分になるのだろうか。とにかく、一杯だ。

 彼女自身も自分に付けられた値段に驚き、目を大きく見開きながら口をポカーンと開ききっている。


「二人は黙って……。それでどうです? 三倍の値段で売って頂けますか?」


 しかし、期待のご主人様の表情は真剣そのもの。

 鋭い眼差しにはうっすらと殺気すら帯びており、戦場で極希に出会う化け物の様な人間と似た雰囲気を持っている。


 その証拠に肌が粟立ち、喉が急速に渇いてゆく。

 壁際に立たされているのを承知していながら背中が壁にぶつかり、知らず知らずの内に後退っていたのを気付く。


「も、勿論ですとも! お、お買い上げをありがとう御座います!」


 俺からして、こうだ。戦場を金儲けの場としか知らない糞旦那様は気圧されるどころか、完全に飲まれた。

 背後に一歩、二歩、三歩と後退るが、期待のご主人様に一歩、二歩、三歩と距離を詰められて、その場に腰を抜かすと、まるで餌を啄むニワトリの様に首を必死に何度も、何度も上下させた。


 思わず顔が綻ぶ。横道に逸れはしたが、これで商談は成立した。

 このご主人様の下なら、決して粗末な扱いはされない。これは予想でも無ければ、願望や期待でも無い。絶対の確信だ。


 それが彼女とのやり取りで十分に解った。

 一日二食の食事どころか、週に一回くらいは酒を与えてくれるかも知れない。


 死ぬ理由が無いから、ただ生きていた毎日。

 それが変わる。遂に変わる。糞ったれな昨日しか知らない俺にも、ようやく希望の明日が来るかも知れない。


「ふーーっ……。ふーーっ……。ふーーっ……。ふーーっ……。ふーーっ……。」


 だからこそ、思わずには居られない。自重しろと。

 ふと右隣に立っているニャムルの鼻息がやけに荒くなっているのに気付き、視線を何気なく向けて、目をこれ以上ないくらいに見開いた。


 俺達の中で最も若い故に気になるのは仕方がない。

 だが、彼女の裸を凝視して、ソレをデカくさせるのは止めて欲しい。特にお前のソレは膨張率が人並みを外れているのだから。


「んがっふっふっ!?」


 もし、ソレがご主人様に知られたら、呆れ返った末に俺達の購入を思い直してしまうかも知れない。

 そんな危惧を抱き、即座に一切の躊躇いを持たず、ソレを思いっ切り膝蹴ると、ニャムルは愉快な悲鳴をあげながら悶絶。白目を剥いて、その場に膝を折って崩れ落ちると、そのまま額を床に付けた。


「……んっ!?」


 その呻き声に反応して、ご主人様がこちらを振り向くが、ニャムルのソレに気付いた様子は無い。

 思わず胸をホッと撫で下ろして、何食わぬ顔で視線を下げると、ニャムルの隣に立つ二人が手枷を填められながらも『良くやった』と親指を立てていた。




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