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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第六章 士爵 十騎長 トーリノ関門防衛司令官代理編
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第01話 初めての管理職

書籍版『無色騎士の英雄譚』から此方へ訪れた皆様へ。


一部の固有名詞が書籍版となろう掲載版では違います。




例)書籍版:アルビオン王国 > なろう掲載版:インランド王国




その辺りを脳内変換してお楽しみ下さい。



「愛しのニート様へ……。

 この手紙が届く頃、其方はもう雪で一杯でしょうか?

 先立っての手紙に書きました通り、私は生まれ育ったバカルディからの旅をようやく終えて、今は王都に居ます。

 生まれてから領内を一度も出た事が無かった私にとって、王都は何もかもが目新しく新鮮な毎日を過ごしていますが、この寒さだけは困りものです。

 ですが、ニート様が赴任なされているトーリノ関門は王都よりもずっとずっと寒いとお爺様に聞きました。病などを患い、体調を崩していないか、心配で心配で堪りません」


 俺達の奇襲部隊がトーリノ関門を奪還したのが最終的な決定打となり、インランド王国北方の国境で行われたロンブーツ教国軍との争いは終結した。

 三日後、三万という大兵団を率いて援軍に駆け付けたロンブーツ教国軍はトーリノ関門に翻る我が国の軍旗を見て、一戦も交えずに撤退。その報は直ちにラクトパスの街に伝えられると、籠城戦を粘り強く行っていたロンブーツ教国軍は降伏した。


 第三王子の名において、この戦いについての戦勝評定がラクトパスの街で開かれ、それに呼ばれて訪れた時は街の住人達が既に戻っており、以前と変わらぬ賑わいを見せていたが、ロンブーツ教国軍が降伏した直後の街はここが地獄かと見間違うほどに酷い様相を見せていたらしい。

 餓死した者達が至るところに放置されて、生き残っていた者達は誰も彼もが憔悴しって立ち上がるのもやっと。当初、二万人は居た筈の兵力も半分を下回り、八千人まで減っていたとか。


 それを聞いて、さすがに思うところはあったが、殺さねば、殺される。それが戦争だと割り切った。

 生まれ変わりを経験した俺としては、あの世の存在をいまいち信じてはいないが、いずれは本物の地獄へ行くとして、今世ではコゼットと添い遂げるまでは死ねなかった。


 その為にも、まずは三年の兵役義務を勤め上げなければならない。

 戦時の非常事態で預かった指揮権を第三王子に返して、これで門を開け閉めするだけの簡単なお仕事。本来の役目に戻れるかと思いきや、そうは問屋が卸さなかった。


「さて、この度はトーリノ関門防衛司令官代理に就任したとの由、心よりの御祝いを申し上げます。

 今、王都はニート様の話題で持ちきりとなっており、貴方様の名前を聞かない日は有りません。それがとても誇らしく、私事の様に嬉しく感じています」


 戦勝評定の場にて、俺に与えられた新たな役職はトーリノ関門防衛司令官代理。

 第三王子から勲功第一と讃えられ、この地位と共にびっくりするくらいの多額な報奨金を得た。


 今年の春に叙任したばかりの新米騎士が国境の重要な要塞の防衛司令官代理。

 幾ら勲功第一とは言え、どう考えても腑に落ちない人事だが、これには三つの裏事情があった。


 一つ目は、トーリノ関門を開戦まで運営、指揮していた上級仕官達の殆どが未だロンブーツ教国の捕虜となっている事実。

 戦争後に判明した事だが、トーリノ関門が陥落した理由は俺が予想した通りだった。

 真夜中の夜襲を受けて、指揮系統が混乱している中、防衛司令官が人質に取られて、実際に戦って抵抗したのは数百人程度。駐留していた兵士の九割は戦う間もなく捕虜となっていた。

 その後、ロンブーツ教国軍は防衛司令官を筆頭として、上級仕官達を本国王都へ優先的に運んでいる。


 なにしろ、上級仕官となれば、大抵は爵位持ちの貴族に連なる者。その捕虜交換の際に得られる身代金は莫大なものとなる。

 それこそ、当主だったり、嫡男が居たら大当たり。その価値はぐんと跳ね上がり、身代金額も一緒に跳ね上がる。


 トーリノ関門を陥落させたボンクラな元防衛司令官は伯爵家の嫡男。

 王都から流れてきた噂をよると、ロンブーツ教国から提示された身代金はおっさんが持つ領土の税収半年分にも相当する。


 二つ目は、ミルトン王国との国境沿いにあったオーガスタ要塞を手に入れて以来、国王の関心がミルトン王国侵攻に向けられている事実。

 捨てられて、俺自身も捨てた国の事情など関心が持てずに知らなかったが、今や我が国となったインランド王国は大規模な戦いの合間に小競り合いを常に重ねて、嘗てはミルトン王国領だったトリオールの街まで版図の拡大を達成していた。

 その為、上級仕官達の殆どはミルトン王国方面の戦線を支えるべく派遣されており、こちらのロンブーツ教国方面に割く余裕がまるで無いらしい。


 三つ目は、ロンブーツ教国軍との戦いで生き残り、俺より階級が上位だった者達。百騎長の皆が俺を『トーリノ関門防衛司令官代理』に推した事実。

 本来なら、あのラクトパスの街に唯一残った百騎長が『トーリノ関門防衛司令官代理』の地位に就く筈だったのだが、これが最後の決め手になった。


『ニート殿、居らずして、此度の勝利は無かったでしょう。

 そして、私はニート殿の采配に従っただけの事……。だったら、その功に相応しいのは彼であって、私では決して有りません』


 ラクトパスの街の住人達を守り抜いた功績によって、勲功第二と認められた彼がこうも男前に辞退したとあっては、他の百騎長達も辞退せざるを得なくなったのである。

 上層部の不甲斐なさ故とは言え、戦いが終わる間際の間際まで捕虜となっており、功績らしい功績を持っていない故に。


「ささやかながら、御出世の御祝いの品をお送りします。

 不出来な品では有りますが、ニート様を想いながら編みました。使って頂けると幸いです。まずは書中にて、お祝いまで……。貴方のティラミスより」


 俺も男である。当然の事ながら、出世は嬉しいが、俺は凡人である。凡人はいきなり高いところには上れない。

 その高さに目が眩んで落ちてしまったら、元の位置よりも遙か下に落ちかねない。


 出世をするなら、一歩、一歩を確実に上りたい。

 その途中の過程を踏まず、経験も積まず、こんな抜擢どころか、大抜擢は身分不相応が過ぎる。無茶振りにも限度というモノがある。


 しかし、凡人故に過ちを犯してしまった。

 報奨金という箱に詰まった銀貨の多さに驚くあまり茫然としている隙を突かれて、思わず生返事をしてしまい、慌てて我を取り戻して断ろうとした時、第三王子の隣に立つ義父から『まさか、断らないよな?』と素敵な笑顔で念を押されてはとても辞退など出来なかった。


 こうして、俺は『トーリノ関門防衛司令官代理』の座に就く事となったのだが、その席にいざ座ってみて、更に驚かされる事となる。

 なんと『代理』の文字だけは付いているが、俺の上に誰も居ない。正式な『トーリノ関門防衛司令官』が訪れる来年度の春まで俺が実質的なトップである事が解った。

 これは先ほど挙げた二つ目の理由に絡み、今年中のロンブーツ教国の再侵攻は無いとも判断されて、中央からの補充は人員、兵員、共に有らず、指揮系統はラクトパスの街から逃げ出さずに残った者達とトーリノ関門で捕虜になっていた者達の中で完全に再編された為である。


 挙げ句の果て、その事情に加えて、今度は先ほど挙げた一つ目の理由が絡み、トーリノ関門の運営、指揮に関わっていた上級士官が軒並み居ない。

 それにも関わらず、運営の経験はおっさんとの旅で行商を営んだ程度、指揮の経験は先の戦いで三百人を率いた程度の俺が約一万人もの兵士達が駐留する要塞の運営、指揮を行う。

 どう考えても、やっぱりおかしいと言わざるを得ない。


 なにせ、約一万人もの人口が居たら、それはもう『街』と言える。

 実際、戦いで壊れる事を前提としている為、その全てはこの世界では珍しい木造建てだが、城壁の上から眺めると、兵士達が寝起きする兵舎が綺麗にずらりと列んでいる様など圧倒される。


 当然、それだけの人口が居れば、数多の商人達も集う。

 商業区と定められた場所には宿屋や酒場、雑貨店、鍛冶屋といったヒトの生活に不可欠な店が全て揃っており、賭場や娼館までもが有る。

 その『街』を円滑に運営するの仕事。ただ単にロンブーツ教国に対して備えていれば良いってモノでは無い。


 当初は何から何までもが全て手探りで行った。

 足りない部分が出たり、何らかの問題が発生する度、その内容を書面に記録させた後、トライアンドエラーを繰り返して、上手く行ったらソレを完全にマニュアル化する。

 運営のいろはも知らなければ、経験も無い俺である。面倒極まりない作業ではあるが、それ以外の手段が思い付かなかった。


 無論、彼方を立てれば、此方が立たずで最初は苦情の山だった。

 最初の一ヶ月なんて、俺の元に届けられる案件を読むだけで日が暮れてしまい、この世界に生まれて、徹夜を初めて経験した。


 だが、約半年が立ち、そうした苦情も随分と減った。

 それでも、俺の処理を待つ羊皮紙は翌朝になると机の上にてんこ盛り。

 今日も毎朝の鍛錬を済ますと、トイレに立つ以外は机の前に座り、丸まった羊皮紙を開いては案件をせっせと片付けている。


 最近は雪が降り積もり、冬が本格化してからは燃料に関する訴えが多い。

 訓練と称して、外に幾らでもある木の伐採を兵士達に課してはいるが、人口が約一万人も居るとあっては在庫なんて有ってない様なもの。


 このトーリノ関門の地において、厳しい冬の寒さは文字通りの死活問題。

 もう昼時は過ぎていたが、昼食をゆっくりと摂る暇も無ければ、案件の処理を疎かにする事も出来ない。


 羊皮紙の文面に目を走らせながら、左手で机の上を手探る。

 固い黒パンを冷え切ったスープに浸して、腹を膨らませるだけの食事を摂る。


「え~~、何々? 

 追伸、レスボス家次女のショコラ様とはどういったご関係なのですか?

 叔父様と結婚するのは私だと訳の解らない寝言を言っているのが、とても気になります。

 かぁぁ~~~っ!? 大将と来たら、罪作りだねぇ~~……。こうも手紙をくれる婚約者が居ながら、まだ他にも女が居るとは羨ましい限りだ」


 そんな多忙な日々に俺を追い込んだ張本人はと言えば、これである。

 暇になると、俺が仕事をしている執務室に来て、下らない世間話をして帰ってゆく毎日。


 今とて、昼食を持ってきてくれたのは嬉しかったが、自分の分をさっさと食べ終わった後は暇を持て余して、机の前に置かれている来客用の応接セット。長ソファーをベットにして寝転び、テーブルの上に置いてあった俺宛の手紙を俺が封を切る前に開けての音読。

 その無遠慮さも最近はすっかりと慣れてしまい、怒る気力が湧かないと言うか、その気力が勿体ない。


 そう、彼こそが先の戦いでラクトパスの街の住人達を率いた百騎長。

 名前を『ジェックス・デ・バーラン・ウィローウィプス』と言い、今は俺の補佐官として『トーリノ関門総門番長』を務めている。

 これに伴い、爵位は最下位の『士爵』でありながら、千騎長に昇進もしている。


 千騎長とは、千人の騎士とそれに従う一万人の兵士を指揮する権限を持つ階級。

 即ち、俺の下にジェックスさんを置く事によって、俺は十騎長の階級ではあるが、このトーリノ関門に駐留する一万人の兵士達に命令が間接的に出せるという仕組みになっている。


 この詭弁とも言える回りくどい仕組みはインランド王国特有のもの。

 役職は血統が重視されるが、階級は実力が重視される為であり、その両方を兼ね備えた者が少ないという理由から作られた制度である。


 例えば、ある戦いの戦列に王族が加われば、その序列は問答無用で第一位となる。

 なら、総司令官の役目を担うのも当然となるが、その王族に実力も、経験も無い場合、あまりにも不安が多い。誰もが弱腰となって、勝てる戦いにも勝てなくなる。

 だから、その王族の下に実力と経験を兼ね備えた者を置き、これ等の矛盾を打ち消す。


 その具体的な例として、先の戦いで王都より援軍を率いて駆け付けてくれた第三王子が挙げられる。

 彼もまた俺同様に今年の春に叙任したばかりの十騎長だが、援軍を率いる総司令官という大任を担っていたが、その彼の下に千騎長の階級を持つ義父が相談役として置かれていた。


 しかし、少し考えると解るが、この仕組みは大きな利点と大きな欠点を同時に含んでいる。

 上が下に敬意を払い、下が上を尊重している場合、全ては良い方向に向かうが、これが片方でも逆を向いていると、軋轢が生じるなど良い結果は生まない。


 その具体的な例として、このトーリノ関門の元防衛司令官であり、今はロンブーツ教国の捕虜となっている伯爵家嫡男が挙げられる。

 彼は今年度で義務兵役を終える三年目の平騎士。その資質にも問題は大いに有ったが、彼の補佐を行っていた千騎長である防衛副司令官にも問題は有った。


 今の役目に就いた時、まずは前任者を参考とする為、多くの者に話を色々と聞いて調べたが、伯爵家嫡男はただ遊び呆けていただけだった。

 その代わり、彼を補佐する千騎長はとても優秀だったのだが、千騎長は伯爵家に古くから仕えている代々の陪臣で伯爵家嫡男が言う事、成す事に『はい』しか言わないイエスマン。どんな無茶も、我が儘も許していた結果、トーリノ関門失陥という国事記録に記載されるほどの大失態を犯している。


 それを考えると、俺とジェックスさんの相性は良い。

 俺自身、ジェックスさんが補佐してくれるなら心強いと考え、この『トーリノ関門防衛司令官代理』と言う役目を何だかんだで引き受ける決心が付いた。

 だが、俺は大きな誤解というか、大きな誤算をこの時にしていた。


 いや、ジェックスさんは間違いなく優秀である。

 俺の補佐を担う様になり、さすがと感心する場面はとても多い。特に数多の違う意見を同じ方向へと持ってゆく統率の手腕は見事と言うしかない。

 先の戦いにて、敵が迫っている極限の緊張感の中、不平不満ばかりを言うラクトパスの街の住人達を見事に率いて、街からの脱出に成功したのはまぐれでは決して無かった。

 前述にもあるが、この役目に就いた当初はなかなか上手く行かず、苦情が各方面から殺到したが、それ等の苦情の数々を宥めて収めたのはジェックスさんに他ならない。


 しかし、ジェックスさんはとても残念な事に文字を読む事は出来ても、書く事が出来ない。

 自分の名前と幾つかの軍用語だけはきちんと書けるが、それ以外はソレっぽい単語が列ぶだけの解読という無駄な時間を要する古文書を作り上げてしまう。

 ついでに言えば、計算も両手で数えられる程度の足し引きが限界ときている。


 むしろ、この世界における識字率を考えると、読めるだけでも大したもの。

 それが俺の誤算だった。つい前世での日本の常識を持ち込んでしまい、ジェックスさんが読み書きが出来て、それなりに計算も出来るとばかり思い込んでいた。


 つまり、実務は優秀だが、事務はからっきし駄目。

 その結果、トーリノ関門の運営に関する事務は俺が、実務はジェックスさんが行うという今の関係が生まれたのだが、ご覧の有り様である。


 俺ばかりが仕事に追われて忙しく、ジェックスさんは暇を持て余す。

 今の役目を受け取る際、義父が言っていた『ただ偉そうにふんぞり返っているだけの楽な仕事』というイメージとは程遠い。


「だから、何度も言ってますが、姫様とはそういう関係じゃないんですってば……。」


 ふと羊皮紙に書いていた文字がかすれ、羽根ペンをインク壺に漬け置く。

 それがきっかけとなって、思わず溜息が漏れる。瞼を右手の人差し指と親指で揉みほぐして、『さあ、再開』と羽根ペンを再び取ろうとした矢先。


 ソファーに寝そべったまま、こちらを見て、スケベったらしくニヤニヤと笑うジェックスさんが居た。

 今一度、溜息が深々と漏らす。その暇人ぶりを見ていると、朝から仕事を真面目に黙々と行ってきた己が馬鹿みたいに思えてくる。


 ジェックスさんは気さくで良い人だ。

 お互い、三日もしない内に堅さが取れて、肩肘を張らない気楽な関係となった。


 だが、どうしようもない酒好きの女好き。自分だけでは飽きたらず、人の色事にも首を突っ込みたがり、茶化そうとする悪癖を持っている。

 今は酔っていないからまだマシだが、これが酔っぱらうと只のセクハラマシーンと化して、苦情を処理する側の者でありながら苦情を生む側の者に早変わり。

 この約半年の間、商業区にある酒場や娼館で問題を何度も起こしており、『ジェックス、お断り(トーリノ関門防衛司令官代理公認)』の立て看板が張られている店は多い。


 今、話題となっているおっさんの孫娘。姫様との関係に関しても、もう何度も飽きるくらい説明をしているが、ジェックスさんは聞く耳を持たない。

 こうして、姫様からの手紙が届く度、俺を茶化した末、夜の酒場で酔っぱらって口が滑らかになると、根も葉もない俺と姫様の関係を言い触らすのだから堪らない。


 もし、それが姫様の耳か、おっさんの耳に届いたら大変な事になる。

 今、二人は手紙によると王都に滞在している様だが、噂となってしまえば、距離なんて意味を持たない。噂をする者と噂を聞く者の双方が持っている興味の度合いにもよるが、噂というモノは驚くほどの早さで何処までも広がり続ける。


 俺は男だから特に困る事は無いが、姫様は違う。

 この世界では初婚の場合、女性側の処女性が重視されており、それは身分が高くなれば、高くなるほどに顕著となっている。


 侯爵家の姫様が俺との仲を噂される。

 それだけでも問題だと言うにも関わらず、最悪の尾ひれでも付いてしまったら、これはもう大問題。

 姫様の婚期は確実に伸びるだろうし、その相手となる人選も本来ならあった筈の幅が狭まるに違いない。


 そして、おっさんは怒り狂う。

 あの孫馬鹿で目に入れても痛くないほどに姫様を可愛がっているおっさんが怒り狂わない筈が無い。

 あの初めて出会った戦場にて、おっさんが見せた無双っぷり。きっとアレ以上の鬼神となって、俺の首を狩りにやって来るに違いない。


 そんな恐ろしい事態を引き起こさない為にも、ジェックスさんの誤解は絶対に解かなければならない。

 仕事を一時中断。今日こそはと意気込んで説得を試みる。


「なら、大将。俺も何度も言わせて貰うが、その何でもない関係の娘が手紙をこう毎週の様に送ってくると思うか?」

「それは……。」


 しかし、ジェックスさんから告げられた事実が全ての反論を封じる。

 実を言ってしまえば、俺自身も『もしかしたら……。』という考えがあった。


 姫様から初めて手紙が届いたのは約三ヶ月前の事だった。

 その時に届いた手紙の数はなんと十二通。中身の日付を見ると、毎日、毎日、書いては送っていた様であり、どうも何処かで停滞して溜まっていたモノが一気に届いたらしい。


 しかも、それだけに止まらず、その後もこのトーリノ関門を新たな商人が訪れる度、姫様からの手紙は届いた。

 その内容は常に俺の安否を切々と気遣ったもの。どうやら、俺がおっさん宛に出した遺書が原因っぽい。


 それ故、勘違いをしてはならない。

 あくまで姫様は友人の俺を気遣っているのであって、それ以外の理由は無い。

 そもそも、生粋の貴族である姫様が俺の様な田舎者に想いを寄せるなんて理由は有り得ない。


 今まで届いた手紙を読むと、身体が弱いにも関わらず、俺を心配するあまり王都までの長旅をサビーネさんの猛反対を押し切って敢行した様だが、それはきっと社交辞令で俺の事はついでに違いない。

 姫様もお年頃、王都を訪れたのはお婿さん探しの社交界デビューが目的だろう。


 第一、俺の想像通りだったら、あのおっさんが許す筈が無い。

 こうして、俺が無事と解った今も毎週の様に手紙が届くのは、それをおっさんが問題無いと認めている何よりの証拠である。


「しかも、今回はマフラーのオマケ付きだぞ?」

「いや、それはさ。何て言うか、う~~~ん……。」


 だが、『しかし』である。

 ジェックスさんが言う通り、今回の手紙と一緒に届いた姫様手編みの赤いマフラーの存在が俺を悩ませる。


 果たして、女は好いてもいない男の為にマフラーを編むものなのだろうか。

 残念ながら、その答えは前世でも男、今世でも男の俺では幾ら考えても解らない。


 ましてや、手編みのマフラーをプレゼントされる。そんな青春ラブコメ漫画にありがちな素敵イベントは前世では発生しなかった。

 バレンタインの本命チョコレートですら、前世の俺にとっては都市伝説。手掛かりとなるヒントすら見つからない。


 だからこそ、彼女と言う存在が一度も現れなかった灰色な人生を送ってきた前世の俺が囁く。絶対に勘違いするな、と。

 同時に前世で何度も繰り返してきた悲しい勘違いの記憶が脳裏に次から次へと蘇り、その最後にある女性から同情混じりに失笑された切なすぎる思い出がトドメを刺す。


『あのさぁ~~……。たった一回、キスしたくらいで彼氏面しないでよね?

 あんなの酔った勢いのノリに決まってるじゃん?

 ……って言うかさ。いい加減、気付いて欲しいんだ? 付きまとわれて、迷惑しているって……。』


 それは記憶の奥底に何重もの封印で封じてあったあまりにも過酷な戒め。

 大学二年の秋、彼女が初めて出来たと勘違いして浮かれ、その女性を喜ばせようとハードなアルバイトに明け暮れて、クリスマスイブ資金がようやく貯まり、その日の予定を聞きに行った時の返事。


「お、おいっ!? た、大将っ!?」

「失礼します。今、奴隷商人が……。ニ、ニート様っ!?」


 涙が知らず知らずの内に止めどなく溢れていた。

 頬を伝い流れて、机の上に広げた羊皮紙の上にポタリ、ポタリと零れ落ち、せっかく書いた文字のインクを滲ませてゆく。


 勿論、いきなり泣き出した俺を見て、ジェックスさんどころか、部屋にタイミング悪く入ってきたネーハイムさんまで驚いて焦りまくり。

 ジェックスさんはソファーの上に勢い良く跳び起きて立ち、ネーハイムさんは慌てて俺の元に駆け寄る。


「い、いや、大丈夫……。め、目にゴミが入っただけだから」


 俺の心はグサリと刃渡り三十センチの傷。二人を安心させようと笑うが、涙がちっとも止まらない。

 しかし、泣いている理由を話すのは傷が深まるばかりか、情けなさ過ぎる為、何の捻りも無い有り触れた言い訳で誤魔化した。




 ******




 亜人、それは獣人やエルフ、ドワーフと言った人間に極めて近い存在ながらも人間とは明確に違う存在。

 今では人間との混血が進み、純血の者こそが極めて希な存在となったが、ニートが活躍した時代では混血種こそが逆に極めて希な存在だった。

 その理由は亜人達が悲劇の歴史を歩んできた為である。


 我々が住まう巨大な大陸、パンゲーニア。

 最も早く平地に進出して、川沿いに集い、国という概念を最初に作ったのは人間であり、文明と文化を急速に進化させたのも人間である。


 では、亜人はどうかと言えば、彼等は自然を愛して、その地が険しくとも自然と共に生きた。

 それを可能としたのは彼等が人間とは違い、厳しい自然に適応する能力を持っていたからである。


 そう、人間を基本とするなら、亜人には一長一短が存在する。

 獣人なら、進化の源となった獣の特性に加えて、強靱な肉体を持つ代わり、知性はあまり高くない。

 エルフなら、高い知性と長命を持つ代わり、華奢な体付きで腕力も低く、繁殖力は極めて低い。

 ドワーフなら、力強い腕と器用な手先を持つ代わり、身長は成人になっても人間の半分ほどで短足、俊敏さに欠ける。

 それ等の要因から亜人の文明と文化は人間より緩やかに進化した。


 だが、その文明と文化の格差は亜人にとっての悲劇を生む。

 突然、それまで良き隣人であった人間が牙を剥き、亜人を野蛮だ、下等だと蔑み、戦力として、労働力として、快楽の目的として、奴隷化したのである。


 当然、亜人達は逃げた。逃げて、逃げて、その身をより険しい地へと隠した。

 しかし、人間達は何処までも追いかけた。捕獲される数が少なくなり、その稀少度が増すと、より欲望の炎を燃やして、ますます亜人達の奴隷化は加速した。


 そして、亜人が奴隷という身分から解放されて、陽の下を堂々と歩ける様になるのは永きに渡る千年以上の時の果て、ニートという英雄が出現するまで待つしかなかった。




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