第04話 決死隊
「ちゃかぽこ~! ちゃかぽこ~!」
村中央の広場にて、今夜はちょっと豪華な宴会。
ある者は歌い、ある者は踊り、ある者は村娘を暗がりに連れて行こうと必死にラブアタック。
音をパチパチと鳴らして、火の粉を舞い上げる焚き火を囲み、騎士も、兵士も、村人も、身分など関係なく盛り上がっている。
村の裏にある空き地に深い穴を自分達で掘らせて、その中に木を組んで作った格子蓋で閉じ込めている捕虜達にすらお裾分け。
先ほど様子を見に行ったら、酒とご馳走に涙を流しており、頭を何度も下げられた。
「さあ、どうぞ」
「うん、ありがとう」
今、その俺はと言えば、村長宅を背にして、焚き火の前。上座と言える一番の特等席に座り、二つ年下の女の子を右隣に侍らして、酒をご機嫌に飲んでいた。
それこそ、ほろ酔いの力を利用して、こっそりと伸びてゆく悪い右手が彼女のお尻を撫でちゃったりもする。
「あっ……。」
当然、彼女は驚き、背筋をピンッと伸ばす。
ところが、その後も彼女はされるがまま。身を竦めた際、お尻を固くさせたが、すぐにお尻は極上の柔らかさを取り戻す。
「んっ!? どうしたの?」
「……ニ、ニート様のいぢわる」
だが、俺達の背後には誰も居らず、俺にしか知られていないとは言え、衆人観衆の中でのセクハラ。
彼女は焚き火の明かりを浴びていても解るほどに紅く染めた顔を俯かせると、唇を尖らせながら上目遣いに睨んだ。
その可愛らしすぎる抗議に俺のハートはズッキューンと高鳴る。
今すぐ、お姫様抱っこをして、村長宅の隣の家。借り受けて、寝泊まりをしている家に彼女を連れて行きたい衝動に駆られるが、我慢に我慢を重ねる。
まだまだ宴もたけなわ、主催した人物が早々に居なくなっては場が白けてしまう。ちょっと窮屈になったズボンを緩める為、少し腰を浮かせて座り直す。
彼女の名前は『アリサ』、ウェーブが少し入った癖毛の長い髪が特徴的なこの村の住人である。
どうして、アリサが俺の酌をして、お尻を撫でても嫌がらないのかを端的に言ってしまうと、アリサは村から俺に差し出された御礼だった。
この村を開放して、一週間後の夜。
村の共同風呂で一日の汗を流して、あとは寝るだけとなり、村から借り受けている家に帰り、欠伸をしながら仮の自室のドアを開けたら、白い下着がばっちりと透けた黒のエロいネグリジェを身に纏ったアリサが床に正座して待っていた。
一瞬、その光景に茫然となったが、アリサが三つ指を付きながら頭を深々と下げて、『お夜伽をさせて頂きます。アリサと申し……。』と挨拶を言い切る前にドアを勢い良く閉めた。慌てて階段を駆け下り、今さっき就寝の挨拶をして別れたネーハイムさんの部屋に突撃をかけた。
しかし、ネーハイムさんから返ってきたのは思ってもみなかった窘め。
それは何故にアリサを受け入れなかったのかというもの。その日の夕方、ネーハイムさんは村長から俺の女の好みを質問されており、今夜はこうなる事を事前に予想していた。
『ニート様、よろしいですか?
この村を開放したのは、あくまで我々の作戦の都合上ではありますが、村人達の目から見たら違います。
ラクトパスの街とトーリノ関門の間にある村は四つ……。
その内の何処よりも真っ先に自分達を救ってくれた。……そういう事になります。
それに敵を蹴散らして、この村を開放した時の様子を憶えていますか?
村人達、全員が涙を流して喜んでいました。つまり、それは敵軍によって、様々な苦難を強いられていた証拠です。
そして、一週間が経ち、我々の様子を見て、もう安全だと考えました。
だから、感謝の証として、その娘をニート様に差し出してきたのです。
だったら、それを拒んでしまっては村の面子とその娘の面子、その両方を潰すという事になります。村は心尽くしに村一番の器量好しを選んだ筈ですから』
盗賊や山賊、他国の軍隊、魔物と言った脅威から村を救ってくれた御礼として、金品を渡せない代わりに村一番の美人を村を救った軍隊の指揮官に差し出す。
辺境の貧しい村ではごくごく当たり前にある風習らしい。
コゼットという決まった相手が居る以上、どうしても我慢が出来ない時は娼館のお姉さん限定と決めていた俺である。
ネーハイムさんに背中を押されて追い出され、初めて知った風習に戸惑いながらも、どう断ろうかと部屋に怖ず怖ずと戻ったが、駄目だった。
『もしや、私ではお気に召しませんでしょうか?
実を申せば、私より姉の方が器量は好いのですが……。
うっううっ……。姉はロンブーツの兵隊達に連れ去られて……。ううっうっ……。
それと……。最初に申し上げておきますと、私は生娘ではありません。私もロンブーツの兵隊達に……。ううっ……。
ですが、年頃で生娘の者はもう一人も居らず……。どうしてもと仰るのでしたら、十歳の……。うっ……。うううっ……。』
声を押し殺して啜り泣かれ、もう色々と限界に達してしまった。
気付いたら、アリサをきつく抱き締めて、そのままベットに押し倒していた。
だが、アリサも、アリサの両親も、俺が貴族と解っている為、その将来に関して、特に何も求めてこない。
ふとした時、何かを言いたそうに気にしているが、それを口に出す事は決して無い。
勿論、何を言いたいのかなんて、とっくに解っている。
しかし、俺にはコゼットが居る。こちらからソレを告げる事は出来ない。
ネーハイムさんに詳しく聞くと、この風習に応じて、貴族に差し出された娘は村が一生の面倒を見るのも習わしの内だとか。
勿論、その娘が貴族に気に入られて、妾となったり、子供が生まれたりすれば、村は貴族との繋がりを持てる。その娘を通じて、村が栄えるメリットも思惑に存在する。
それを知り、胸を少し撫で下ろしたが、やはり罪悪感みたいなモノはどうしても感じる。
「おやっ!? ニート殿、どうしたんですか?
我らが英雄殿が暗い顔をしていては駄目じゃないですか? さあさあ、飲んで、飲んで!」
いつの間にか、その感情が表に出ていたらしい。
すっかり出来上がっている赤ら顔の騎士に見つかり、彼はアリサの手からピッチャーを奪い取ると、俺のマグジョッキに酒を勝手になみなみと注いだ。
この宴会で飲んでいる酒はロンブーツ教国軍の荷駄隊から奪った品。
恐らく、その無味、無臭、無色から推測するに、その品種はウォッカだろう。
ここより北に有り、冬がとても厳しいと言われるロンブーツ教国。その土地柄に相応しくアルコール度数はかなり高い。
しかも、俺は顔に出ないタチで良く誤解されるが、酒はあまり強くない。
今だって、舐める様にちびり、ちびりと少しずつ飲み、ようやく二杯目が飲み終わったところ。
実のところ、もう飲みたくないのだが、この手の輩は絶対にソレを許さない。
「それとも、何ですか? 俺の酒は飲めないと?」
事実、彼は意地悪そうにニヤニヤと笑い、『さあ、飲み干せ!』と言わんばかりに煽ってきた。
挙げ句の果て、彼に乗じた者達が一気飲みコールを行い始め、指笛を吹き鳴らして囃し立てる者すら現れる。
「ふっ……。その挑戦、受けようじゃないか! この程度、どうという事は無い!」
最早、注目が集まって、退くに退けぬ状況。
思わずマグジョッキの酒を見つめると、苦い唾が口の中に溢れて、身体が飲みたくないと拒否を全力で行っていたが、ここで退いたら男が廃る。
こうなったら、前世でのブラック企業勤務時代に接待で鍛えた飲みっぷりを見せるのは今しかない。
そう、ゴルフコンペに優勝した社長さんに代わり、優勝カップに注がれたブランデー二本分を一気飲みさせられた時に比べたら、屁の河童と勢い良く立ち上がった。
その途端、歓声が沸きに沸き、盛り上がりは最高潮。数多の拍手が雨霰の如く降り注ぐ。
「あ、あの……。む、無理しない方が……。」
「アリサ、止めるな! 男にはやらねばならん時があるのだ!
だから、お前は俺の生き様をその目にしっかりと焼き付けておけ! ……おら、逝くぜぇっ!?」
そんな中、酒はあまり強くないと知っているアリサだけが心配して、空いている左手を引っ張って止める。
だが、それを振り払って、左手を腰にあてがうと、マグジョッキを一気に傾けた。
******
「痛っ……。」
目を醒ますと、猛烈な鈍痛が頭を襲った。
明らかに二日酔いの症状。全身に感じる気怠さが全てのやる気を失わせて、指先一つすら動かしたくない心境だったが、それ以上に欲する激しい喉の渇きが身体をベットから起こす。
こめかみを右手で押さえながら、辺りをキョロキョロと見渡して気付く。
換気をする為に少しだけ開けられた木窓。そこから射し込む薄い光を背にして椅子を置き、アリサが膝の上に置いた水差しを大事そうに両手で抱えながら静かな寝息を立てている。
酔い潰れた後の記憶は無いが、どうやら付きっ切りで看護をしてくれたらしい。
その嬉しさと船を漕ぐ可愛らしい姿に思わず笑みが漏れる。
せっかく心地良さそうに寝ているのだから、それを起こすのは忍びない。
水差しを奪ってはアリサが目を醒ましてしまう。すぐ傍に水はあるが我慢して、俺が使っていた毛布をアリサの肩から身体に包み掛ける。
それが済んだら、抜き足、差し足、忍び足。
出入口のドア横に立て掛けてある愛槍第二号を持ち、音を立てぬ様に部屋から出て、階段を下り、玄関の扉を開ける。
「おーー……。死屍累々……。」
まだ陽は顔を覗かせていないが、朝の明るみが増し始めている村の広場。
彼方此方に酔い潰れて、そのまま眠ってしまった幾人もの者達が鼾の大合唱をしており、焚き火は未だ燻りを続けている。
この世界の夜は二つの月のどちらかが天に必ず在り、完全な暗闇に包まれるのは年に二度のみ。
しかし、電灯が未だ発明されていない為、魔術を使える者達は別として、その光明は蝋燭だったり、松明だったり、炎がほぼ唯一の手段であり、その暗闇は前世と比べたら圧倒的に深い。
当然、夜の街道を進むのは危険が有り過ぎ、それは大事な連絡を運ぶ伝令官も変わらない。
むしろ、大事な連絡を運ぶからこそ、その連絡を確実に伝える為、次の街や村にその日の内に到着が出来ない場合は安全をしっかりと確保する意味で早めの野営を行うか、その代わりに早起きをして、夜が開け次第に馬を再び走らせる。
もしくは、最初から次の街や村に行くのを諦めて、到着している街や村で一夜を明かす。
このバップ村の前後にある村は伝令官の早馬でどちらも半日足らず。
その為、伝令官が訪れるとしたら、昼から夕方にかけて。この一ヶ月間、朝から昼の午前中に訪れた事は一度も無い。
だから、昨日は陽が沈んだ時点で宴会の開催を宣言した。
勿論、深夜の危険を顧みない特急の伝令が訪れる例外の可能性は存在したが、俺達には昨夜の内に宴会を開き、羽目を外す理由がどうしてもあった。
「ひゃーーっ!? 冷たっ!?」
村長宅の裏手を流れる小川。
川縁に石階段が組まれて、村共用の洗濯場として利用されている桟橋に置かれた桶。その中に川から水を汲み、まずは喉の渇きを潤す為、一口、二口、三口と立て続けに飲んでから顔を洗った後、残った水を頭から被る。
その途端、夜の涼しさを含んだ冷たさに眠気も、二日酔いの気怠さも一気に醒めた。
但し、鳥肌が立って、身体はブルブルと震え、これは堪らないと即座に階段を駆け上り、村長宅裏で槍を懸命に何度も振るう。
鍛錬を行えば、汗を掻く。汗を掻けば、酒も抜ける。
おっさんと旅をしていた時、脳筋らしいおっさんから教わった二日酔いを直す為の無茶な方法。
「ふんっ……。ふんっ……。ふんっ……。はっ!」
ここ、バップ村を俺達が開放したのは、ロンブーツ教国軍がラクトパスの街の目前に姿を現した日から三日後。
つまり、敵がラクトパスの街を占拠してから二日後となる。
この間、敵の伝令がバップ村を一回だけ通過しているのが、村人達の証言から判明している。
恐らく、その内容はラクトパスの街を占拠したと伝えるもの。行き先はトーリノ関門の先、ロンブーツ教国王都だろう。
その予想が正しいなら、ロンブーツ教国はラクトパスの街までの支配権をより確実とする為、大規模な援軍を送ってくる可能性が多いにあった。
ロンブーツ教国の地理に詳しい者によると、そのタイムリミットは早いなら一ヶ月半、遅くとも二ヶ月。
敵の援軍が到着したら、俺の策は半ば意味を失い、その後はラクトパスの街を占拠した敵を兵糧攻めで下した味方援軍とそれを知らずにロンブーツ教国から遙々とやって来た敵援軍の総力戦となる。
当初、それで十分だと考えていた。
万を超える多くの血がきっと流れるだろうが、そこまでの責任はとても取れない。
十騎長として、俺は役目以上に働いた。あとはお偉いさんに任せて、自分は死なない程度に戦えば良いと考えていた。
だが、そうなったら、この村はどうなるのか。
味方はラクトパスの街を拠点として、敵はトーリノ関門を拠点として、その二つの間に在るこの村は戦場となる。
アリサという存在を知った今、それはどうしても許せなかったし、納得も出来なかった。
これがまだ手段が全く無ければ、諦めも付いたが、その手段の心当たりが俺にはあった。
「ふぉぉ~~~……。はっ! ほっ! やっ!」
建造されて以来、攻め寄せてきた敵を全て跳ね返してきたトーリノ関門。
その六万の兵力すら防いだ実績を持つ難攻不落の要塞がその半分の兵力で落ちる。そんな事は有り得ない。
しかし、トーリノ関門は現実に突破された。
だったら、その方法は正攻法に非ず、何らかの策によるもの。それも驚くほどの短時間に陥落した筈だ。
その方法を色々と考えてみたが、鮮やかな奇襲を成功させて、防衛司令官か、それに匹敵する高位の人物を人質に取ったのではなかろうか。
それが自分ならこうするという点では最も可能性が高い。
天下一の名剣とは言え、それを振るうのが素人では斬れ味も落ちる。『宝の持ち腐れ』とも言う。
例えば、俺を庶子、庶子とからかい、先祖の栄光に縋るしか脳の無い王都のアホ共。あんなのが防衛司令官なら格好の標的だ。
ちょっと刃物を首筋にちらつかせれば、あっさりと命乞いをして、自分を護ろうとしている味方を罵り、すぐに武器を下ろさせるに違いない。
なら、殆どの兵士は戦わずに捕虜となっている可能性がある。そう考えて、偵察に向かわせたところ、その通りだった。
一万近くの兵がトーリノ関門に囚われており、既に五千人の兵が人質や奴隷として、ロンブーツ教国に送られているのが解った。
「ふっ! はっ! ほっ! ……ふっ! はっ! ほっ!」
それを監視して、トーリノ関門を守るロンブーツ教国軍の兵力は五千人。
一人で二人を監視する計算だが、トーリノ関門は山間の平野に造られた全長十キロ以上にも及ぶ城壁要塞である。
その監視網は当然の事ながら穴だらけでザル同然。
捕まった味方達との接触を担当してくれた者に話を聞くと、命懸けを意気込んでいたのに拍子抜けするほどで難しい仕事では無かったらしい。
もっとも、トーリノ関門を守る者達にとって、そこは安全な後方基地。前線は遙か先にある。
あまつさえ、この村から送られた偽の伝令兵によって、『我が軍、優勢』と定期的に伝えられており、油断しきっているのだろう。
最初の頃に送った荷駄隊が帰ってきても良い頃にも関わらず、それを気にする素振りも見せず、トーリノ関門の雰囲気は平和そのもの。常に監視を行わせている者達から緊急の報は今まで一度も訪れなかった。
そして、ロンブーツ教国からの援軍がトーリノ関門に到着する直前であろうこのタイミング。
明朝、陽が昇ったのを合図にして、俺達はトーリノ関門を襲撃。それに合わせて、捕虜となっている味方達が一斉に蜂起して、トーリノ関門を奪還する作戦が決まった。
捕虜となっている味方達の蜂起が成功すれば、こちらの兵力は一万人。
その兵力差は二倍で勝り、元々がトーリノ関門の防衛任務に就いていた者達。地の利は断然に有り、その勝利は確実に近い。
だが、その蜂起が成功するまでの間、敵の目を惹き付ける役目を持つのが、俺の率いる三百人の部隊。
その兵力差は十五倍以上、犠牲は必然的に大きなモノとなる。もしかしたら、トーリノ関門は奪還したが、俺達は全滅という危険性は十分に有る。
だから、昨夜は宴会を開き、その開式の挨拶にて、この作戦がどれほど過酷なモノかを伝えた。
出発は今日の夕方。騎士も、兵士も馬に乗って、全員が夜の街道を突き進み、途中にあるまだ占領下の村を全速力で駆け抜けて、トーリノ関門を一気に目指す。
幸いにして、馬はロンブーツ教国軍の荷駄隊のおかげで余るほど居り、その余った分も代え馬として、敵を混乱させる道具として、一緒に連れて行く。
また、敵に情報を渡さなければ、逃げたい者は逃げて構わない。みんな、酔っぱらっているのだから逃げても気付かない。そうも伝えてある。
ある意味、この作戦は俺の我が儘が大いに含まれているのだから。
「おっ……。朝日」
不意に右眼を光に焼かれて、槍を振るうのを止める。
目線の上に左手を翳しながら澄み渡った東の青空を眺めると、朝日がすっかりと昇っていた。
******
「……御武運を」
「ありがとう……。」
腰に回された両手はきつく、きつく結ばれて、離すまいとする明確な意志が感じられた。
だが、誰よりも先頭に立つべきの俺が逃げるなんて出来ない。その震える小さな肩を両手で掴み、半ば強引に抱擁を押して解き、アリサの頬に頬を寄せて囁く。
「アリサ」
「はい」
「もし、この戦いが終わったら……。」
しかし、その想いを告げようとして、ふと気付く。
どう考えても、このセリフ、このシチュエーションは死亡フラグそのもの。
「いや、止そう。やっぱり、帰ってきてから話すよ」
「はい!」
慌てて言葉を飲み込んで言い換える。
アリサとしても、その未来を感じられる言葉の方が嬉しかったのか。瞳に涙を一杯に溜めて、今にも泣き出しそうな顔でニッコリと微笑んだ。
男なんて、単純なものだ。
自分を好いてくれている女が微笑む。たったのそれだけ事でやる気が漲ってくるのだから。
その一方で少なからずの罪悪感をコゼットに覚えながらも、アリサの唇に唇を軽く重ねてから背を向ける。
最早、迷いは無い。あとは突き進むだけと玄関のドアを勢い良く開け放つ。
「……えっ!?」
夕焼けに紅く染まる街の広場。
ロンブーツ教国軍の姿に扮した精鋭達が家の前に整列をして集っていた。
その全員の左腕に巻き結ばれた黒い布。
それは明朝の戦場で敵と味方の区別を付ける為の目印であり、死兵となって戦い、これから死にゆく仲間達に予め捧げられた喪章である。
思ったより人数が多い。思わず息を小さく飲む。
正直に言うと、この作戦に参加するのは多くても二百人は超えないと考えていたが、ここに居る人数は二百人を軽く超える。
「ニート様、準備は整っております。
尚、総員は二百八十三人。欠員は一人も居ません。御命令を……。」
その予想は当たっていた。
しかも、俺を出迎えて、目の前に直立不動したネーハイムさんから告げられた人数は欠員無しの全員だった。
誰も逃げ出さなかった事実に改めて驚き、見開いた目をパチパチと瞬きさせる。
家の玄関前。皆より一段高い位置から『本当に良いのか』と見渡してみれば、どいつも、こいつも戦意に満ちており、そこに嫌々の者や皆が行くからと消極的な顔は一つたりとも無かった。
「くっくっ……。みんな、馬鹿ばっかりだな」
俺は皆を見くびっていたらしい。
そんな自分を反省しながら、敢えて死地に飛び込もうとする馬鹿野郎共の頼もしさに笑みが零れた。
「いやいや、それは無いでしょう?
二万人にたった一人で立ち向かった大馬鹿野郎のニート殿に言われるなんて、心外ですよ? ……みんな、そうだろ?」
すると昨夜の俺を酔い潰した騎士が軽口を叩き、場内が笑い声にドッと湧く。
俺も笑った。ネーハイムさんも笑った。その場に居る全員が笑った。見送りに集まった村人達も釣られて笑った。
誰も彼もが喉の奥が見えるほど大笑い。
それは幸せな一時であり、いつまでも浸っていたかったが、時間は迫っていた。
右の掌を肩まで上げて見せると、笑い声は一斉にピタリと止まり、それに合わせて、ネーハイムさんが声を張り上げる。
「総員、注視! 傾聴!」
直立不動となって集う二百八十三人の眼。
そのやる気に満ちた視線を受けて、この作戦は絶対に成功する。そんな予感があった。
「言いたい事は昨日の内に全て言った。
だったら、この期に及んで言う事は何もない。……全員、騎乗せよ!」
だが、明日の今、その半数以上は閉じられ、もう二度と開く事は無くなっているだろう。
その全てを憶える事は出来ないが、この瞬間は永遠に忘れない。そう心に深く刻みつけた。